アメリカの覇権はもう崩壊したのか
アメリカはイラク戦争の失敗で世界の顰蹙をかった。アメリカはもはや、世界の指導者としての資格がないと感じる人が増えている。そういう感情に受けたのか、トッドの『帝国以後―アメリカ・システムの崩壊』は世界的なベストセラーとなった。はたして、トッドが言うように、アメリカの覇権は本当に崩壊したのだろうか。
1. アメリカの経常赤字問題
ソ連の崩壊により、アメリカは唯一の超大国となった。しかし、トッドは、アメリカの慢性的で大規模な貿易赤字を理由に、アメリカが、10年遅れでソ連と同じ運命をたどっていると主張する。
終戦直後の過剰生産の自律的な国であったアメリカ合衆国は、いまや一つのシステムの中核となったが、そのシステムの中でアメリカの果たす使命は生産ではなくて消費なのである。
トッドが、アメリカ国内の工業部門の衰退を強調したために、サービス部門を軽視した、脱工業化時代を理解しない古い発想という批判を浴びることになるわけだが、実は、アメリカは、貿易収支だけでなく、経常収支も慢性的に赤字であり、サービス産業が貿易収支の赤字を補っているわけではない。
一般的な傾向として、日本、ドイツ、フランスでは、経常収支が黒字で、資本収支が赤字であるのに対して、アメリカとイギリスでは、経常収支が赤字で、資本収支が黒字である[International Monetary Fund:International Financial Statistics Yearbook 2004]。このことは、日独仏が、英米への直接投資や証券投資や資本移転などにより、経常収支の赤字をファイナンスしているということである。経常収支が赤字の英米が、イラクで、戦争というサービス産業に力を入れていることは、偶然ではない。
1990年代の後半のようなバブルが起きると、アメリカ政府が何もしなくても、あるいは、せいぜい政府要人が「強いドルを望む」と発言しているだけで、日欧から民間ベースで資金が流入してくる。しかし、バブルが崩壊すると、政府が世界から資金を集めるような公共事業でもしなければ、経常収支の赤字を支える資本の流入が途絶え、ドルの暴落を惹き起こすことになる。
1991年の湾岸戦争では、この方法はうまくいったが、現在の「テロとの戦い」では、独仏が協力していないたために、うまくいっていない。2001年のアフガニスタン侵攻以来、ヨーロッパからアメリカへの純資本流入は大きく減少し、ドルはユーロに対して、下がり続けている。アメリカ経済は、日本をはじめとするアジアが米国債を買い支えることで、何とかもっているというのが現状である。
2. アメリカは世界の平和を望んでいない
フランシス・フクヤマは、主著『歴史の終わり』[Francis Fukuyama:The End of History and the Last Man] で、共産主義の崩壊により、民主主義と資本主義が最終的に勝利し、もうこれ以上社会制度が発展することがなくなるから、歴史は終わったと喝破した。しかし、実際には、冷戦の終わりで始まったのは、歴史の終わりではなくて、アメリカの終わりではないのかというのがトッドの考えである。
教育的・人口学的・民主主義的安定化の進行によって、世界がアメリカなしで生きられることを発見しつつあるそのときに、アメリカは世界なしでは生きられないことに気付きつつある。
社会が高学歴化すると、晩婚化と教育費の高騰で、子供の数が減る。少子化は世界的なトレンドである。高学歴化は、民主主義を可能にし、また、人口増加に伴う資源の奪い合いも減るので、世界は平和になると予想される。しかし、世界が民主主義化され、平和になって、一番困るのは、アメリカである。ちょうど、社会からトラブルがなくなると、トラブルを解消するのが仕事である弁護士が困るように、国際社会が平和で民主主義的になると、世界の平和と民主主義を守ることが仕事である世界の警察、アメリカが困るのである。
冷戦終結後、アメリカは、新たな敵を作らなければならなかった。オサマ・ビンラディンやサダム・フセインは、もともとアメリカが育てた人材である。こうした平和の敵であるテロリストや民主主義の敵である独裁者は、アメリカの軍産複合体にとっては、なくてはならない人材である。アメリカには、国営企業がないので、デフレ対策の公共事業と言えば、戦争ぐらいしかないのだが、戦争するには、海外から資金を集めるための大義名分が必要なのである。
3. イラク戦争は石油のための戦争か
アメリカが、イラク戦争を行ったのは、石油の安定供給のためだとよく言われる。しかし、湾岸地方の油田の確保それ自体はアメリカ経済にとって死活問題ではない。アメリカの貿易赤字に占める石油の割合は、18%程度で、しかも、輸入する石油の大半は、新大陸からのものである。日本が、国内で消費する石油の9割弱を中東に頼っているのに対して、アメリカのペルシャ湾岸諸国への石油の依存率は2割弱にすぎない。
アメリカ合衆国は同盟国の石油供給の安全を保障すると称するが、実のところは、ヨーロッパと日本に必要なエネルギー資源を統制することによって、この両国に有意的圧力を加える可能性を保持できると考えているのである。
私は、以前「ブッシュはなぜ戦争を始めたのか」で、ブッシュは石油そのものが欲しくて戦争をしているわけではないと書いたが、トッドもそういう意見のようだ。ブッシュは、中国、日本、ヨーロッパという、アメリカの経常赤字を作り出す国々の重要な輸入相手である中東を支配し、原油の販売で経常赤字を削減しようとしたわけだが、この目論見は外れた。積極財政により、デフレを克服することはできたが、財源を十分確保できなかったので、アメリカは、今後厳しい経済運営を迫られることになる。
4. アメリカの覇権は瓦解したのか
ヨーロッパと日本は、アメリカが支配者として世界を飛び回るために必要な両翼であり、現在一方の翼を失って、きりきり舞いになっている状態であるが、しかし地面に墜落するまでには、まだまだ時間がかかるだろうというのが私の見通しである。だから、私は、アメリカが覇者としての地位を失ったとするトッドの見解には与しない。
アメリカのヘゲモニーが終焉を迎えたかどうかを論じる前に、そもそも覇権国の条件は何なのかを考えなければならない。トッドは、人口や工業生産高や天然資源が多い国を大国と考え、覇権国を最大の大国と考えているようだが、これらは覇権国であるための必要条件でもなければ、十分条件でもない。
トッドは、人口学者らしく、人口を重視するのだが、アメリカ以前の覇権国、すなわち、スペイン、オランダ、イギリスは、人口大国だっただろうか。国内でも、支配者階級は、決して社会の多数派ではなく、むしろ少数派であることが普通である。元や清の場合、支配民族が、被支配民族の漢民族と比べて、無視できるほど少なかったが、その治世は長く続いた。
工業生産高は、人口と比べれば、重要なファクターではあるが、工業生産高がたんに量的に大きいだけでは、覇権国にはなれない。重要なことは、その時代の最も重要で先端的な産業で主導権を握っているかどうかなのだ。
大航海時代に最も重要であった産業は繊維産業だった。スペインは、毛織物工業のおかげで「太陽の没することのない帝国」を築いたが、プロテスタントの抑圧が原因で、オランダが独立し、国内の毛織物工業が衰退して、没落した。スペインに代わって、オランダが毛織物工業を武器に世界の貿易を支配したが、イギリスが、産業革命による綿織物の大量生産に成功して、世界の支配者となった。そのイギリスも、重工業化の波に乗り遅れたために、二度の世界大戦で勝利したにもかかわらず、急速に没落した。そして、イギリスに代わって、世界の覇者となったのは、世界で最初にモータリゼーションに成功したアメリカである。
今でもアメリカは、情報工学や遺伝工学といった、最も重要で先端的な産業の基幹技術を握っている。コンピュターの頭脳ともいうべきCPUでは、アメリカが主導権を握り、他の国は、より重要でないDRAMを作るとか、OSをはじめとする基幹ソフトは、アメリカがデファクトスタンダードを握り、他の国は派生的で泡沫的なソフトを作るといったぐあいに、量では測ることのできない、質的な差異がアメリカとそれ以外の国にある。
最後に、天然資源であるが、これも覇権国になるための条件では全くない。毛織物、綿織物、鉄道、自動車、情報機器といった、各時代の花形産業の原料を提供した国ほど、覇権国から縁遠い国はない。トッドが次のように言って、ロシアを持ち上げることに首をかしげるのは、私だけではないだろう。
ロシアの石油生産、とりわけガスの生産は、エネルギーの面でロシアを世界的行為者に押し上げる底のものなのだ。それにその広大な国土は膨大な量のその他の天然資源を保証していることを忘れてはならない。
なるほど、石油危機のとき、OPECが注目されたことはあった。しかし産油国は、当時、豊富な資金を手にしたが、世界を支配するだけの知的資源を持たなかった。世界を支配するには、富・知・力の三つにおいて、他の国に対して優位に立たなければならない。そして、その中で一番重要なのは知的支配であろう。先端的な産業の分野で、アメリカを凌駕する国が現れれば、その時アメリカは覇権国の座から降りることになるだろう。
| 書名 | 帝国以後―アメリカ・システムの崩壊 |
|---|---|
| 媒体 | 単行本 |
| 著者 | エマニュエル トッド 他 |
| 出版社と出版時期 | 藤原書店, 2003/04 |















アメリカの強さを知的資源にみることに非常に納得がいきました。
世界中から最優秀な人材をスカウトし、それらの人材に人と予算を潤沢に提供し、その業績を「正当」に評価する。アメリカには知的な生産と流通の理想的的形態があるように見えます。
それが野球や映画などのエンターテインメントの分野でも同じことがいえる。
やはり、少々ブッシュが不出来でも、アメリカの支配はゆるがないという印象です。
アメリカの優位がしばらくはゆるがないということは、実感できます。
アメリカは現代のローマ帝国として、事実上の世界政府の中心かのごとく
振舞っているようです。
イラク戦争に至る道のりを振り返ったとき、頭に浮かんだのは日本の大東亜戦争
にいたったときの状況でした。
ハルノートや日本の在米資産の凍結など、アメリカは日本が戦争に突入しなければ
ならないように追い込んだとしか思えません。
イラクにおいてもその争点となった大量破壊兵器は結局発見されませんでした。
アメリカはやくざのいいがかりと同じで、完全には否定できない価値観(中国の門戸開放、民主主義、人権、大量破壊兵器など)を全面に押し立て攻めたてきます。
そして、絶対飲めないような条件を突きつけて相手を追い込む。
このような国に占領されて60年、日本はアメリカの属州状態です。
今後、アメリカと中国やEUとの争いが多発することが予想されますが、そのとき
日本はどのような立場をとるのか、果たして今の日本の現状からなんらかの独自の立場を貫き通すことは困難でしょう。そうなると、60年間のアメリカの軍事的、文化的占領下におかれたわれわれは、アメリカ的価値観に骨の髄まで汚染されているので、小さな黄色いアメリカ人もどきとして行動するしかないのかもしれません。
独裁とは、差別の上に成り立つもの。ということは、アメリカの強さの源は、自由、つまり差別を嫌う人たちによるところのものであったという、歴史の事実(リンカーンの時代の奴隷解放など。今でも黒人差別が選挙運動に大きな影をおとしていますね。)が証明するところです。
そんなアメリカが、独裁化に陥っているということは、必然的に弱体化の道を歩み始めている証といえましょうか。
自由を強力に支持する新しい大統領が求められているのもうなずけますね。
バラク・オバマが支持を伸ばしている理由も、こんなところにあるような気がします。強いアメリカは、自由でなくてはならないということを知っている人たちが大勢いるということのようです。
必ずいつかは、覇権が崩れます。