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    <title>永井俊哉ドットコム論文編</title>
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    <updated>2009-08-04T06:02:26Z</updated>
    <subtitle>様々な学問のジャンルからテーマを選び、独自の視点から深く掘り下げます。</subtitle>
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    <title>太平洋戦争における保守と革新</title>
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    <published>2009-08-02T10:39:26Z</published>
    <updated>2009-08-04T06:02:26Z</updated>

    <summary>戦後の日本人は、保守と革新が右派と左派の関係にあり、保守勢力が好戦的であるのに対して、革新勢力は平和主義者であると考えがちである。しかし、戦前の日本を満州事変以降の自滅的な侵略戦争に駆り立てたのは、保...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="7_politics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>戦後の日本人は、保守と革新が右派と左派の関係にあり、保守勢力が好戦的であるのに対して、革新勢力は平和主義者であると考えがちである。しかし、戦前の日本を満州事変以降の自滅的な侵略戦争に駆り立てたのは、保守勢力ではなくて、一見すると右翼的であるが、実は左翼的な革新勢力であった。保守と革新という観点から、近現代の日本の歴史を振り返ってみたい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 保守の戦争と革新の戦争</h2>
<p>大日本帝国の歴史は、侵略戦争と領土拡大の歴史であったと一括りにされる傾向があるが、大日本帝国時代の日本の戦争は、第一次世界大戦以前と満州事変以後では、その性格が大きく異なる。すなわち、第一次世界大戦までは、日本は、勝つ見込みのある戦争しかしなかったし、実際ほとんどの戦争で勝ち続けていた。また、戦争は、当時の国際法に則って行われ、戦争による領土の獲得も、すべて国際的に承認されていた。しかし、満州事変から太平洋戦争に到る一連の戦争は、勝つ見込みのほとんどない無謀な戦争であったし、満州国建国以降の支配圏の拡張は、国際的に非難されるものであった。要するに、リスクの大きさと国際的な承認という点で雲泥の差があったのである。</p>
<p>このような違いはなぜ生まれたのだろうか。私は、第一次世界大戦までの日本の戦争が保守派による戦争であったのに対して、満州事変から太平洋戦争に到る一連の戦争は、革新派によって惹き起こされた戦争であったがゆえに、その性格が大きく異なるのではないかと考えている。保守派とは、社会の上層部を占める特権階級で、自分の利権を確実に増やす、勝つ見込みのある戦争ならするが、利権をすべて失うことになる、勝つ見込みのない冒険的戦争に対しては慎重になる。これに対して、特権から疎外された社会の下層部は、失う恐れのある利権をほとんど持たないがゆえに、自分たちの待遇改善のためなら、ハイリスクな戦争をも辞さない。それどころか、彼らの中には、戦争に負けた方が革命を起こしやすいという理由で戦争を支持する共産主義者たちまでいる。</p>
<p>明治維新以後、特権階級となった保守派とは、維新政府樹立に功績があった薩長土肥、なかんずく、薩摩藩と長州藩の出身者たちである。彼らは、維新政府樹立後、藩閥を形成し、維新政府と敵対した佐幕派、とりわけ、戊辰戦争で最後まで維新政府と戦った東北諸藩の出身者たちを長らく冷遇し続けた。日本の軍部も第一次世界大戦の頃までは、薩長の軍閥によって支配されていた。なかでも、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争で軍功をあげた長州出身の軍人、山県有朋は、軍閥の象徴的存在で、1921年に失脚するまで、日本の陸軍、否、日本の国家権力の頂点に君臨した。</p>
<p>山県は、議会を無視した超然主義の方針を採り、そのため、山県の軍国主義は、民主主義を無視したファシズム期の軍国主義と安易に同一視されがちである。たしかに、山県は、日露戦争後、ロシア帝国との協調により、中国から英米を排除するという、日ソ中立条約を結んで、日中戦争を行ったファシズム期の日本の軍国主義者と似たような外交戦略を試みたこともあったが、1917年にロシア革命が起きてロシアが共産主義の支配下に入ると、山県は自分の外交戦略の失敗を認め、1918年以降、親英米派の原敬を、盛岡藩出身で、立憲政友会総裁であるにもかかわらず、首相にして、英米との協調に努めた[川田 稔（1998）<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4121014456/n08-22">原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政</a>，p.153]。このあたりが、勝つ見込みがなくなっても、際限もなく戦争を続行したファシズム期の軍国主義と異なるところである。</p>
<h2>2. 内ゲバ型革新と外ゲバ型革新</h2>
<p>山県が権力を掌握していた間、日本は、無謀な戦争や国際的に非難される戦争はしなかった。また、日本の軍部がクーデターを起こしたり、内閣の意向を無視して暴走したりしたことはなかった。このことは、山県がリーダーとして優れていたということを意味していない。仮に山県がもっと早い時期に失脚ないし死去したとしても、保守派は、第一次世界大戦終結の頃までは保守的な政治と外交を続けることに成功しただろう。ところが、第一次世界大戦終結以降、日本経済は、明治維新以来例を見ないほど長期的で深刻なデフレを経験するようになり、これが革新勢力の台頭を許すこととなった。山県は失脚後すぐに死去し、元老は西園寺公望一人だけとなった。彼は、英米との協調を主張し、革新勢力の台頭を抑えようとしたが、結局それには失敗した。</p>
<p>藩閥政治に対する非特権階級の不満は、維新政府発足当時からあった。ただし、経済が順調に成長していた明治時代においては、その不満はあまり先鋭化することはなく、藩閥外勢力は、言論を通じて自由民権運動を進め、穏健な手段で藩閥政治の弊害を是正しようとした。ところが、世界恐慌（日本では昭和恐慌）でデフレが深刻になると、下層民たちはもっと過激な方法で、つまりゲバルトを用いて階級社会を打破しようとするようになった。これからみるように、格差を解消するために、ゲバルトは、国家の内向きと外向きに向かった。それぞれを内ゲバ型革新と外ゲバ型革新と名付けることにしよう。</p>
<p>まず、内ゲバ型革新であるが、これは、ゲバルトを国内の特権階級に振り向け、階級なき平等な社会を国内だけでも作ろうとする左翼的な革新運動で、その代表的な理論的指導者は北一輝であった。北一輝は右翼思想家と一般に認知されているが、彼の主著『<a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~shigeaki/KitaIkki.htm">日本改造法案大綱</a>』を読めばわかるとおり、彼が言っている「改造」とは、社会主義（共産主義）革命以外の何物でもない。1931年の三月事件、十月事件、1932年の血盟団事件、五・一五事件、陸軍士官学校事件、1933年の神兵隊事件、1936年の二・二六事件といった昭和恐慌の時代に起きた軍部のクーデターは、実はたんなるクーデターではなくて、君側の奸（藩閥）を取り除き、天皇親政による階級なき平等な社会を作ることを目指す社会主義（共産主義）革命であった。</p>
<p>内ゲバ型革新の最後にして最大のものは二・二六事件である。二・二六事件というと、陸軍内部における皇道派と統制派という二つのセクトによるたんなる権力争いと見られがちであるが、もともと「皇道派というのは藩閥に反旗を翻した荒本、真崎等を中心として」[<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4404016255/n08-22">目撃者が語る昭和史（4）2.26事件</a>，p.278］集まった青年将校たちのグループであるのだから、やはり藩閥政治打破のための革命と位置付けることができる。</p>
<p>二・二六事件を率先して鎮圧したのは、当時戒厳司令部参謀だった石原莞爾であった。しかし、石原は、決して国内の革新に反対していたわけではなかった。石原は、東北の出身ということもあって、藩閥政治には批判的だった。山口重次は、庄内藩士だった父からの影響として、次のようなエピソードを紹介している。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 石原莞爾―悲劇の将軍 (1952年): 山口 重次: 本; Accessed Date: 7/23/2009" class="blockquote"><p>父の啓介は、よく言い聞かせていた。</p>
<p>「東北には、ずいぶん、すぐれた人物がいたが、薩長政府にそむいたために、賊という汚名をかぶせられてしまった。維新後、薩長政府は、四民平等というて、士農工商の差別をとりのぞいた。それで農民でも、町人でも、足軽でも、どんな身分のひくい者でも、立派な地位につくことが出来たとはいえ、この恩恵に浴するのは、自分たちの藩だけで、一旦敵となった東北人のことなどは念頭におかなかった。だが、これからは、それでは通らぬ。お前の時代になったら、名ばかりの四民平等でなく、真の四民平等が実現されて、理非曲直の明白な道義の世界をつくりあげなくては、本当でない」</p>
<p>感受性の強い彼がうけた、この父の一言は、彼の一生をとおして貫いたという。</p></blockquote><div class="cite">［山口重次（1952）<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/B000JBDK2K/n08-22">石原莞爾―悲劇の将軍</a>，p.13］</div>
<p>石原は、しかしながら、国内だけで平等を実現するというスケールの小さな内ゲバ型の革新を目指したのではなかった。石原は、ゲバルトを外部へと振り向け、最終戦争（日米決戦）に勝つことにより、白人が有色人種を支配する階級社会を地球規模で是正し、それにより、同時に国内の革新も実行しようとしていた。石原は、関東軍作戦参謀だった1931年に、東北（盛岡藩）出身の関東軍高級参謀、板垣征四郎とともに、満洲事変を惹き起こしたが、後に彼が述べたように、これは、昭和維新という国内外の革新を行うための手段だった。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 現代史資料〈第11〉続・満州事変 (1965年): 本; Accessed Date: 7/25/2009" class="blockquote">
<p>当時私共の当面の敵は支那軍閥であつた、然し此敵と戦ひ、之を撃破し乍ら、私共は絶えず次の国際的な相手を顧慮し、此欧米覇道勢力の完全な覆滅の為の物心両面の備を保持して居らねばならなかつた、世界最終戦を予想して
の八紘一宇の為の次の階梯への準備である。</p>
<p>更に日本国内の維新改革も重大な問題であつた。満洲事変は当時の日本国内の政治、経済思想の行詰りと之が維新の要求とにも大きな関聯を有して居たのである。昭和維新の先駆としての満洲事変の性格である。</p></blockquote>
<div class="cite">［石原莞爾（1941）満州建国前夜の心境，<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/B000JBH1MA/n08-22">現代史資料 続・満州事変</a>, p.631］</div>
<p>石原は第二次世界大戦参戦前夜の心境を次のように語っている。</p>
<blockquote title="Source: 石原莞爾 最終戦争論・戦争史大観; Accessed Date: 7/22/2009" class="blockquote"><p>第二次欧州大戦で新しい時代が来たように考える人が多いのですが、私は第一次欧州大戦によって展開された自由主義から統制主義への革新、即ち昭和維新の急進展と見るのであります。</p>
<p>昭和維新は日本だけの問題ではありません。本当に東亜の諸民族の力を総合的に発揮して、西洋文明の代表者と決勝戦を交える準備を完了するのであります。明治維新の眼目が王政復古にあったが如く、廃藩置県にあった如く、昭和維新の政治的眼目は東亜連盟の結成にある。満州事変によってその原則は発見され、今日ようやく国家の方針となろうとしています。</p>
<p>［］</p>
<p>第一次欧州大戦以来、大国難を突破した国が逐次、自由主義から統制主義への社会的革命を実行した。日本も満州事変を契機として、この革新即ち昭和維新期に入ったのであるが、多くの知識人は依然として内心では自由主義にあこがれ、また口に自由主義を非難する人々も多くは自由主義的に行動していた。しかるに支那事変の進展中に、高度国防国家建設は、たちまち国民の常識となってしまった。冷静に顧みれば、平和時には全く思い及ばぬ驚異的変化が、何の不思議もなく行なわれてしまったのである。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［石原莞爾（1940）<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html">最終戦争論</a>］</div>
<p>ここからもわかるように、石原は、昭和維新を明治維新とのアナロジーで理解している。但し、石原が考えていた昭和維新は、たんなる国内の革新ではなくて、国内外に及ぶ革新であるという点において、さらに、維新の指導者が、維新成就後、特権を要求せずに、平等な社会を目指すという点において明治維新とは異なる。</p>
<blockquote title="Source: 石原莞爾 最終戦争論・戦争史大観; Accessed Date: 7/26/2009" class="blockquote"><p>東亜連盟は東亜新秩序の初歩である。しかも指導国家と自称せず、まず全く平等の立場において連盟を結成せんとするわれらの主張は世人から、ややもすれば軟弱と非難される。しかり、確かにいわゆる強硬ではない。しかし八紘一宇の大理想必成を信ずるわれらは絶対の大安心に立って、現実は自然の順序よき発展によるべきことを忘れず、最も着実な実行を期するものである。下手に出れば相手はつけあがるなどと恐れる人々は、八紘一宇を口にする資格がない。</p></blockquote><div class="cite">［石原莞爾（1940）<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html">最終戦争論</a>］</div>
<p>もしも、昭和維新の指導者（日本）が、最終戦争で特権を持つようになれば、その特権から疎外された国々は、格差を解消しようとして再び維新を企てるようになり、かくして最終戦争が、最終の戦争ではなくなってしまう。石原は、満州国を日本の傀儡国家ではなくて、日本と対等の独立国家にしようとしたが、これは、革新が新たな格差を生み出してはいけないという考えに基づいていた。</p>
<p>満州事変で突破口を開いた外ゲバ型革新は、その後、アジアを白人支配から開放するという大義名分の下、日中戦争から太平洋戦争へと戦争の規模を拡大しつつ、続けられた。石原の指摘の通り、一連の戦争により、日本は自由主義経済から統制主義経済、すなわち、当時「革新官僚」と呼ばれていた人たちによる計画経済へと移行し、国内の革新も遂行された。そして、戦時経済への突入により、日本経済はデフレから脱却することができたが、その代償はあまりにも大きかった。</p>
<p>石原は、各民族を平等に扱う東亜新秩序を夢見たが、それでは、何のために日本人が血を流しているのかわからなくなる。日本国内の世論の支持を得られなかったという点で、石原の戦略は非現実的であったと言わざるを得ない。石原が始めた外ゲバ型革新は、その後もっとエゴイスティックに日本の国益を追求する侵略戦争へと変質していき、石原が最終戦争で日本が同盟するべきだと考えていた中華民国と日本が戦うことになった。石原は日中戦争を進める東条英機と対立して、左遷された。最終的に太平洋戦争を始めたのは東条英機であるが、彼もまた東北（盛岡藩）出身の家系に位置していた。</p>
<h2>3. 直接的革新と間接的革新</h2>
<p>保守勢力が日本を支配していた時、日本は、当時の世界の覇権国家であった英米と協調しつつ、手堅く戦争に勝利してきた。しかし、山県失脚後、革新勢力が台頭し、日本は、覇権国家の英米と戦争をするという、当時の日本の国力を考えると無謀としか言いようのない賭けに出た。日本がこのような自殺行為に打って出た理由は何か。石原は、日本が最終戦争に勝てると考えていたが、外ゲバ革新を推進した人たちは、必ずしもそういう愛国者たちばかりではなかった。尾崎秀実のように、日本が敗北した方が、日本で共産主義革命を起こしやすいという理由で、日本の戦争拡大を謀った人もいた。尾崎は、近衛文麿のブレーンで、日中戦争が起きた時、近衛が「爾後國民政府ヲ對手トセズ」という声明を出して、日中戦争の泥沼化させた背景には、尾崎の画策があった。</p>
<p>石原と尾崎を区別しようとするならば、内ゲバ型革新と外ゲバ型革新という区別だけでは不十分である。非特権階級が特権階級をゲバルトを用いて直接倒そうとする直接的革新と特権階級同士を戦わせ、非特権階級が漁夫の利を得る形で権力を握ることができるようにしようとする間接的革新という新しい区別が必要である。日中戦争は、こうした間接的革新を実行しようとする共産主義者たちの策略に日本と蒋介石が嵌められたことによって起こった。日本と蒋介石の中華民国が力を消耗すればするほど、毛沢東率いる中国共産党にとっては有利になったのである。</p>
<p>1964年に、当時社会党の副委員長であった佐々木更三と会見した時、毛沢東は、侵略戦争を謝罪する佐々木に対して、次のように言ったと伝えられている。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 大衆政治家佐々木更三の歩み (昭和55年1月12日発行): 本; Accessed Date: 8/4/2009" class="blockquote"><p>日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。</p></blockquote><div class="cite">［総評資料頒布会（1980）<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/B000J86MM8/n08-22">大衆政治家佐々木更三の歩み</a>，p.476］</div>
<p>尾崎は、後にゾルゲ事件で逮捕され、ソ連のスパイであることが発覚した。この事件にショックを受けた近衛は、終戦間際に、以下のような見解を昭和天皇に上奏した。</p>
<blockquote title="Source: ; Accessed Date: 7/2/2009" class="blockquote">
<p>職業軍人の大部分は、中以下の家庭出身者にして、其多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、只彼等は軍隊教育に於て、国体観念丈は徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。</p>
<p>抑も満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、是等軍部一味の意識的計画なりし事今や明瞭なリと存候。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も、「事変は永引くがよろし、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心人物に御座候。是等軍部内一味の者の革新論の狙ひは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志（之を右翼と云ふも可、左翼と云ふも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり）は、意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し居り、無知単純なる軍人、之に躍らされたりと見て大過なしと存候。</p>
</blockquote><div class="cite">［<a href="http://www.geocities.jp/since7903/zibiki/ko.htm">近衛上奏文</a>］</div>
<p>共産分子に躍らされた革新シンパは、「無知単純なる軍人」だけではなかった。近衛本人もそうだった。</p>
<h2>4. 米国版革新としてのニューディール</h2>
<p>共産主義者は日本だけでなくて、米国にもいた。フランクリン･ルーズベルト大統領の側近に多くのソ連のスパイがいたが、これは、ルーズベルト大統領本人が共産主義シンパであったためである。財務次官補のハリー・デクスター・ホワイトの強硬な試案がハル・ノートとして採用され、日米開戦を決定的にしたり、国務省高官のアルジャー・ヒスの活躍により、ソ連に有利なヤルタ協定が結ばれたりして、ソ連が目指す世界の共産主義化に有利な事態が展開した。</p>
<p>私は、米国の参戦は、ルーズベルトにとってニューディール政策の継続であったという解釈を提示した［<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/new_deal.html">ニューディールは成功したのか</a>］。その時には、ニューディール政策という言葉を、たんに、財政支出の拡大によるリフレ政策という意味で使っていたのだが、ここで、ニューディールとは何だったのかということを、その語源にさかのぼって、改めて考えてみたい。ニューディール（New Deal）という英語は、本来、トランプゲームでカードを配り直して新たにゲームを始めることをいう。トランプゲームは勝ち組と負け組みという格差を生み出す。これに対して、ニューディールは、カードを回収して、格差を解消し、もう一度新たなルールの下でゲームをすることを意味する。だから、私は、「ニューディール」という言葉は、当時の日本での流行した「革新」に相当すると思う。ちなみに、漢字の「革」は、『説文』（三下）にあるように、「獸皮なり。其の毛を治去して、之れを革更するなり」、すなわち、毛を剃ってゼロから新たに始めるという意味の漢字であり、革新は、格差という、長く伸びてしまった毛を根こそぎ除去するという意味で、ニューディールなのである。</p>
<p>ルーズベルトは、社会主義的な政策により、資本家と労働者の格差を是正し、所得の再配分を行おうとした。しかし、国内の革新は、議会における保守派の反対で思うように進まなかった。そこでルーズベルトは、日本を挑発して、真珠湾を攻撃させ、この「裏口」を通って、第二次世界大戦に参戦した。これは、石原莞爾が外ゲバ型革新によって国内外を革新しようとしたのと同じである。ルーズベルトは第二次世界大戦終結前に死去したが、ニューディールを世界全体に広げようとする彼の野望は、第二次世界大戦後の共産主義勢力拡大により、かなりの程度実現した。すなわち、イギリスやフランスといったかつての植民地大国や日本やドイツといった新興工業国家の手から多くのカードが取り上げられ、共産主義者へと新たに配り直された。そして戦時経済を通して、米国経済は、自由主義経済から軍産複合体が支配する混合経済へと変貌していったのである。</p>
<h2>5. 格差を固定する保守とリセットを目指す革新</h2>
<p>一般的に言って、戦争や競争が起きると、勝ち組と負け組みが決まり、格差が生まれる。勝ち組は、自分たちが手にした既得権益を永続的に維持しようとして、勝ち組ゆえに持っている権力を使って、格差を固定しようとする。合法的に上昇する道を閉ざされた負け組みが、固定された格差を解体しようと思ったら、直接的にか間接的にか、内的にか外的にかは別として、ゲバルトを用いるしかない。</p>
<p>長州藩と薩摩藩は、明治維新における勝ち組だったが、江戸時代においては、負け組みだった。関が原の合戦と大坂の陣は、江戸維新とでも言うべき日本国内における直接的内ゲバ型革新であり、戦国時代の勝ち組だった豊臣家は、これにより没落し、豊臣秀吉に臣従していた徳川家康が、新たな勝ち組となった。徳川家康は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に積極的に賛同したが、これは、秀吉が海外遠征で力を消耗することを期待した上でのことであり、家康からすれば、間接的外ゲバ革新ということになる。江戸時代になってから、関が原の合戦で西軍に所属していた、あるいは豊臣家とつながりが深かった大名は外様大名として冷遇された。毛利氏と島津氏は、西軍であったから、外様大名として、長州藩と薩摩藩に封じられていた。</p>
<p>パクス・トクガワーナは、200年以上続いたが、幕末になると、江戸幕府の支配体制は揺らぎ始めた。江戸幕府の反体制派は、当初、攘夷という外ゲバ革新を試みたが、幕府にその意思がないことから、内ゲバ型革新に転じた。それは明治維新として成功した。その後、十分な特権に与ることができなかった多くの士族は、征韓論を唱えて、外ゲバ革新を試みたが、維新政府にその意思がないことから、内ゲバ型革新に転じた。だが、そうした不平士族の反乱は、西南戦争を最後に、完全に鎮圧された。かくして、薩摩藩と長州藩の出身者が特権的な地位を占める藩閥政治が始まった。この格差社会を打破するために、非特権階級がどのような革新を企てたかに関しては、これまで述べてきたとおりである。</p>
<p>日本を共産主義化しようとする革新勢力の試みは失敗し、戦後の日本は、米国の占領政策により、自由主義的要素を残す混合経済となった。とりわけ、米ソの対立が表面化してから、米国はレッド･パージを行うなど、革新勢力の弾圧を始めた。この動きは、当時「逆コース」と呼ばれたが、こうした名称は、太平洋戦争が革新勢力ではなくて、保守勢力によって推進されたという誤解に基づいている。戦後の日本の政治は、新米の保守勢力と反米の革新勢力という米ソの対立を反映した対立軸のもと、資本家階級と労働者階級の対立と和解を主な争点としてきた。しかし、現在の日本の社会では、これとはまた異なる格差の問題が出てきた。</p>
<p>それは、正規労働者と非正規労働者という格差である。この格差は、必ずしも労働者の能力によって決まるわけではなくて、学校を卒業した時の景気の良し悪しという偶然時に大きく依存している。たまたま卒業時に、景気が良ければ、新卒で正社員となり、その人の一生の生活はほぼ保障される。しかしたまたま景気が悪くて、正社員になれなければ、そのまま非正規労働者として一生を終えることになる。両者の生涯賃金や社会保障には大きな格差がある。ちょうど関が原の合戦で生じた格差が江戸時代を通して維持され、明治維新で生じた格差が明治時代を通して維持されたように、学校卒業時での競争で決まった勝ち組と負け組みの格差が一生を通じて固定され、維持されるのである。</p>
<p>正規労働者の地位を獲得した勝ち組は、自ら自分たちの特権を放棄しようとはしない。この結果、負け組みである非正規労働者のフラストレーションは、大きくなる一方である。非正規労働者たちは、社会的弱者ではあるが、《親米反中の保守派》対《反米親中の革新派》という伝統的な政治的対立軸の中で、必ずしも後者を支持しているわけではない。伝統的な革新政党は、労働組合に加入している正社員の権利の保護にばかり力を入れてきた。また、彼らは概して親中的であるが、非正規労働者たちは、中国のような新興工業国のおかげで、自分たちの待遇が悪くなったといった意識を持つ傾向があり、反中的になりやすい。おそらく彼らの不満の受け皿となるのは、《親米反中の保守派》でもなく、《反米親中の革新派》でもなく、《反米反中の革新派》であろう。</p>
<p>「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/right_wing.html">プロレタリア型右翼</a>」で提示した分類を使うならば、《親米反中の保守派》は保守主義者、《反米親中の革新派》は左翼、《反米反中の革新派》は右翼ということになる。もしも、今後、正規労働者と非正規労働者との格差が固定的に維持され、後者が増え続けるならば、将来、彼らは、極右政党を支持して、国内における格差と日米間の格差を同時に解消しようとするかも知れない。しかし、日本は、太平洋戦争と同じ間違いを繰り返すべきではないだろう。正規労働者と非正規労働者との格差の問題を根本的に解決するには、「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/labor_conditions.html">どうすれば労働者の待遇は良くなるのか</a>」で既に主張したように、正規社員の雇用に対する過剰な保護を撤廃し、固定的な格差社会から流動的な格差社会への移行を目指すべきである。</p>]]>
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    <title>プロレタリア型右翼</title>
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    <published>2009-05-29T22:11:56Z</published>
    <updated>2009-06-03T05:13:50Z</updated>

    <summary>従来、左翼は弱者の思想で、右翼は強者の思想と考えられてきた。たしかに、左翼や右翼という言葉が生まれたフランス革命後の議会では、そうした区別は有効だったが、現代では、弱者であるがゆえに右翼的な思想を持つ...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="7_politics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>従来、左翼は弱者の思想で、右翼は強者の思想と考えられてきた。たしかに、左翼や右翼という言葉が生まれたフランス革命後の議会では、そうした区別は有効だったが、現代では、弱者であるがゆえに右翼的な思想を持つ、プロレタリア型右翼とでも呼ぶべき、新しい右翼が増えてきた。知識人たちは、こうした右翼を権威主義的パーソナリティー論によって説明しようとするが、私はそれとは違う視点から、プロレタリア型右翼を解釈したい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. ナショナル・アイデンティティと学歴/所得の相関</h2>
<p>田辺俊介の『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』が、ISSP（International Social Survey Program）の1995年の調査結果から、排外的な人には低所得と低学歴が多いという結論を出したことが、かつて話題になったことがあった。低所得で低学歴で排外的な人は、まさに私が言うところのプロレタリア型右翼に相当する。ISSPの調査結果は、この論文を読まなくても、1995年版のみならず、2003年の最新版までもが<a href="http://www.issp.org/">ISSP</a>のサイト上で無料で閲覧できるので、それを直接紹介することにしよう。</p>
<p>調査項目は、多岐にわたるが、ここでは、右翼一般にとって最も重大な問題の一つである「自国内への移民の数を増やすべきか」という質問に対する回答を見よう。「強く同意する」と答えた割合に+2、「同意する」と答えた割合に+1、「現状でよい」と答えた割合には0、「反対する」と答えた割合に-1、「強く反対する」と答えた割合に-2を乗じた値の合計で、移民の増加への賛成の度合いをグラフにしてみた。以下のグラフに見られるように、日本では、学歴が低くなるほど、移民の増加に対する拒絶度が大きくなっている。</p>
<div class="object_top"><img src="right_wing_jp_education.gif" alt="日本における移民増加賛成度と学歴の関係" /></div>
<div class="caption_bottom">日本における移民増加賛成度と学歴の関係<br />［データ：<a href="http://www.issp.org/">ISSP</a> (2003) <a href="http://www.gesis.org/en/services/data/survey-data/issp/modules-study-overview/national-identity/2003/">National Identity II</a>］</div>
<p>次に収入との関係を見てみよう。学歴の場合ほど相関性は明確ではないが、年収が少ない層のほうが、移民増加に対する拒絶度が大きい。一般的に言って、低学歴ほど低所得なので、これは当然であろう。</p>
<div class="object_top"><img src="right_wing_jp_income.gif" alt="日本における移民増加賛成度と税引前年収の関係" /></div>
<div class="caption_bottom">日本における移民増加賛成度と税引前年収の関係<br />［データ：<a href="http://www.issp.org/">ISSP</a> (1995) <a href="http://www.gesis.org/en/services/data/survey-data/issp/modules-study-overview/national-identity/1995/">National Identity I</a>］</div>
<p>もとより、移民に対して排他的だから、即、右翼（極右）というわけではない。そこで、次に、極右政党の支持の分布を直接見てみよう。日本を含めて、現在の主要先進国には、有力な極右政党はあまり存在しないが、フランスには、ルペン党首で有名な国民戦線という、一定の勢力を持つ極右政党が存在する。以下のグラフが示すように、フランスにおける各学歴ごとの国民戦線の支持率を見てみると、学歴が低くなるほど支持率が高くなる傾向がある。</p>
<div class="object_top"><img src="right_wing_fr_education.gif" alt="フランスにおける国民戦線と学歴の関係" /></div>
<div class="caption_bottom">フランスにおける各学歴ごとの極右政党（国民戦線）の支持率<br />［データ：<a href="http://www.issp.org/">ISSP</a> (2003) <a href="http://www.gesis.org/en/services/data/survey-data/issp/modules-study-overview/national-identity/2003/">National Identity II</a>］</div>
<p>オーストリアの有力な極右政党、自由党に関しても同様の傾向が見られる。</p>
<div class="object_top"><img src="right_wing_at_education.gif" alt="オーストリアにおける自由党と学歴の関係" /></div>
<div class="caption_bottom">オーストリアにおける各学歴ごとの極右政党（自由党）の支持率<br />［データ：<a href="http://www.issp.org/">ISSP</a> (2003) <a href="http://www.gesis.org/en/services/data/survey-data/issp/modules-study-overview/national-identity/2003/">National Identity II</a>］</div>
<p>では、外国人に対して排他的な価値観の持ち主には、なぜ低学歴・低所得の階層が多いのか。田辺の博士論文の審査を行った宮台真司によると、「昔からフランクフルト学派の人たちが言ってきた通りで、権威主義者には弱者が多い」のであり、そして、低所得ないし低学歴層が排外的愛国主義にコミットする背景には、「丸山眞男問題」があるとのことである。宮台は次のように言っている。</p>
<blockquote title="Source: アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景【追加】 - MIYADAI.com Blog; Accessed Date: 3/27/2009" class="blockquote">
<p>■丸山眞男によれば、亜インテリこそが諸悪の根源です。日本的近代の齟齬は、すべて亜インテリに起因すると言うのです。亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者、ということになります。この者たちは、東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず「煮え湯を飲まされる」存在です。</p>
<p>■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。</p>
<p>■これが、大正・昭和のモダニズムを凋落させた、国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマンだというのが丸山の分析です。竹内氏は露骨に言いませんが、読めば分かるように同じ図式を丸山自身に適用する。即ち、丸山の影響力を台無しにさせたのは、『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者どものルサンチマンだと言うのです。アカデミズムで三流以下の扱いの藤岡信勝とか八木秀次などです。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［宮台真司（2006）<a href="http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335">アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景【追加】</a>］</div>
<p>宮台は、文化資本の「独占」者は政治資本や経済資本から疎外されていて、政治資本や経済資本の所有者は文化資本の所有に与ることができないと考えているようだ。それならば、政治資本や経済資本から疎外されている知的階層は、その限りでは弱者であり、その弱者が、アカデミズムという知的権威を振りかざして、文化資本が不足しているという意味で弱者である右翼系論客を「三流学者ども」と罵倒して攻撃するならば、それは、自分が批判していることを自分自身で行っていることにならないだろうか。</p>
<p>あるいは、宮台が言っている弱者とは、知的な弱者に限定されるのかもしれない。宮台が言及しているフランクフルト学派の理論とは、知的弱者は、過剰な自由に耐えられず、自由から逃走し、権威に頼ろうとするという、フロム著『自由からの逃走』（1941年）やアドルノ他著『権威主義的パーソナリティ』（1950年）に見られる考えのことであろう。</p>
<p>しかし、こうした心理学的説明は、ファシズムに対する説明としては不適切ではないか。ファシストが権力を掌握したドイツやイタリアや日本よりも、そうではなかった英国や米国の方が、個人により多くの自由を与えていた。ドイツでもイタリアでも日本でも、ファシズムが勃興した第二次世界大戦前の時期に、それ以外の時期と比べてより多くの自由が個人に与えられていたわけではなかった。</p>
<p>『権威主義的パーソナリティ』は、アメリカユダヤ人委員会（American Jewish Committee）がスポンサーとなって出版した『偏見の諸研究（Studies in Prejudice）』の一部で、ユダヤ人を擁護しようとする政治的意図に基づいている。その序論には、次のように書かれている。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： The Authoritarian Personality (Studies in prejudice): Theodor W. Adorno, etc., Betty Aron, Maria Hertz Levinson, William Morrow: 洋書; Accessed Date: 4/12/2009" class="blockquote">
<p class="western">The authors, in common with most social scientists, hold the view that anti-Semitism is based more largely upon factors in the subject and in his total situation than upon actural characteristics of Jews, and that one place to look for determinants of anti-Semitic opinions and attitudes is within the persons who express them.</p>
<p>著者は、大部分の社会科学者と同様に、反ユダヤ主義は、ユダヤ人の現実的性格よりも、主観と主観の全状況における諸要因に主として基づき、反ユダヤ主義的見解と態度の決定要因を探す一つの場所は、それらを表明する人の内側にあるという見解を持っている</p>
</blockquote>
<div class="cite">［Theodor W. Adorno et al.: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/0393300420/n08-22">The Authoritarian Personality</a>, p.2］</div>
<p>慎重な言い回しで書かれているが、要するに、ユダヤ人が迫害されるのは、ユダヤ人が悪いからではなくて、迫害する側の性格に欠陥があるからだという立場を表明しているのである。ユダヤ人は悪くないという見解には同意するが、それを強調しようとするあまり、ファシズムの問題を個人の心理の問題に矮小化してしまうと、ファシズムの最大の原因である経済問題を見落としてしまうことになる。</p>
<p>ファシズムは、それ自体は政治的な現象であるが、その原因は、心理学ではなくて経済学によって説明されるべきである。第二次世界大戦前夜のファシズムの直接的原因は、世界大恐慌であり、失業の増加が、戦争を含めた全体主義的公共事業の必要性を高め、とりわけ、植民地が少なく、国内市場が小さい後発工業国でファシズムが支持された。要するに、個人がファシズムに走るのは、《自由からの逃走》ではなくて、《失業からの逃走》である。</p>
<p>なぜ低学歴で低所得の人ほど移民の増加に否定的なのかに関しても《失業からの逃走》という観点から説明ができる。日本のような先進国の場合、移民制限を緩和すると、発展途上国から安価な労働力が流入するが、それによって真っ先に仕事を奪われるのは、単純肉体労働に従事している低学歴・低所得の人たちである。彼らが、外国人労働者に対して排他的になるのは、経済的な利害関係による。</p>
<p>読者の中には、このような説明は、先進国には当てはまるが、発展途上国には当てはまらないのではないかと反論する人もいるだろう。その通りである。実は、田辺俊介の『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』は、ISSPが23カ国を調査したにもかかわらず、日本、ドイツ、アメリカ、オーストラリアの4カ国しか取り上げていない［<a href="http://www.metro-u.ac.jp/gakui/0510_0603/0510_0603syakaikagaku/134_s_ron_sinsa_yo.pdf">学位論文審査要旨</a>］。世界中どこでも低学歴で低所得ほど排他的というような結論は、こうした先進国の調査結果だけから導くことはできない。</p>
<p>では、発展途上国では、どうなのか。典型的な発展途上国として、フィリピンの事例を取り上げてみよう。1995年のISSPの調査では、フィリピンの所得に関するデータはないが、学歴に関するデータはある。以下のグラフからわかるように、フィリピンでは、学歴が低くなるほど、移民の増加に対する拒絶度が大きくなるという、日本で見られた傾向は見られない。むしろ、学歴が高い方が、拒絶度が大きくなっている。特に大学卒業者の拒絶度が最も高いことは、特筆するべきことである。この現象は、フランクフルト学派流の権威主義的パーソナリティー論では説明できない。</p>
<div class="object_top"><img src="right_wing_ph_education.gif" alt="フィリピンにおける移民増加賛成度と学歴の関係" /></div>
<div class="caption_bottom">フィリピンにおける移民増加賛成度と学歴の関係 <br />［データ：<a href="http://www.issp.org/">ISSP</a> (2003) <a href="http://www.gesis.org/en/services/data/survey-data/issp/modules-study-overview/national-identity/2003/">National Identity II</a>］</div>
<p>フィリピンの場合、国内の所得水準が十分に低いので、移民の受け入れを増やしても、低学歴の労働者のライバルが増えるという可能性は低い。むしろ、フィリピンの公用語が英語であることから、他の英語圏の高学歴労働者が、フィリピンに来て、国内の高学歴労働者から仕事を奪うという可能性の方が高い。大学卒業者の拒絶度が最も高いのはこのためだろう。</p>
<h2>2. プロレタリア型右翼はなぜ戦争を渇望するのか</h2>
<p>好戦的であることは、移民に対して排他的であることと並んで、右翼の大きな特徴であり、左翼との大きな違いであると一般に認知されている。では、なぜ右翼は戦争を好むのか。</p>
<p>こうした議論をするとき、そもそも右翼とは何かというところから話を始めなければならない。右翼という言葉は、フランス革命後の議会において、保守派が右側の席を占めていたことから、保守主義を指す言葉として使われるようになった。右翼は伝統的権威を重視し、好戦的であるといわれるが、それは、当時の没落貴族たちの特性であった。</p>
<p>フランス革命によって特権を奪われた貴族たちは、自分たちの栄光ある地位の回復を求めていたがゆえに、伝統的制度や伝統的価値観の復活に肯定的である。よって、彼らは、保守主義者の名に値する。ヨーロッパの貴族たちの伝統的な職業は戦争であるから、自分たちの活躍の場を増やすためにも、対外的戦争を支持する。だから、好戦的であるという右翼の属性を持っていた。</p>
<p>日本の場合、こうした右翼を形成した没落貴族に相当するのは、明治維新時の士族で、彼らは、伝統的な特権が奪われることに不満を持ち、自分たちの活躍の場を求めて、征韓論を唱え、それが新政府によって却下されると、新政府に対して反乱を起こした。</p>
<p>現代では、没落貴族型の右翼は少数派であり、代わって増えてきたのがプロレタリア型の右翼である。ISSPの調査で浮き彫りになった、移民に対して最も拒絶的な、低学歴・低所得の先進国の下層民たちには、復活するべき栄光に満ちた過去があるわけではなく、そのため、没落貴族型右翼とは異なって、伝統的権威への固執は強くない。彼らが伝統的権威の重要性を持ち出すとするならば、それは、それが移民排斥や対外戦争の手段として使える場合に限られる。彼らには、伝統的権威は、第一義的な重要性を持たない。</p>
<p>そういうプロレタリア型右翼の一つの事例として、赤木智弘を取り上げよう。赤木は、高校と専門学校を卒業したフリーターで、年収は150万円と報道されている［東京新聞朝刊（2008年5月3日）反発と絶望―極論生む］。日本人の大学・短大の進学率は50%を超えており、また平均年収も400万円を超えていることから、赤木を低学歴・低所得のカテゴリーに分類することができる。赤木は、「決して右傾化するつもりはない」［赤木智弘（2007）<a href="http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html">けっきょく、「自己責任」 ですか</a>］と言いつつも、戦争を希望し、特権化された既存の「弱者」しか守らない左翼を厳しく非難しているという点で、一種の右翼と呼んでよいだろう。</p>
<p>では、赤木のようなプロレタリア型右翼が戦争を希望する理由は何か。</p>
<blockquote title="Source: けっきょく、「自己責任」 ですか; Accessed Date: 5/26/2009" class="blockquote"><p>現状のまま生き続けたとしても、老いた親が病気などによって働けなくなってしまえば、私は経済基盤を失うのだから、首を吊るしかなくなる。その時に、社会の誰も、私に対して同情などしてくれないだろう。「自己責任」「負け犬」というレッテルを張られながら、無念のままに死ぬことになる。</p>
<p>しかし、「お国の為に」と戦地で戦ったのならば、運悪く死んだとしても、他の兵士たちとともに靖国なり、慰霊所なりに奉られ、英霊として尊敬される。同じ「死」という結果であっても、経済弱者として惨めに死ぬよりも、お国の為に戦って死ぬほうが、よほど自尊心を満足させてくれる。</p>
<p>［］</p>
<p>生きていれば流動化した社会でチャンスも巡ってくる。また、軍務に就いていれば衣食住は保証され、資格もいくつかとれるだろう。今の日本で、年長フリーターが無資格で就業できて、賃金を得ながら資格をとれるような職業に就けるチャンスはどれくらいあるのだろうか？</p>
</blockquote>
<div class="cite">［赤木智弘（2007）<a href="http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html">けっきょく、「自己責任」 ですか―続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで</a>］</div>
<blockquote title="Source: 「丸山眞男」をひっぱたきたい; Accessed Date: 5/26/2009" class="blockquote"><p>苅部直氏の『丸山眞男――リベラリストの肖像』に興味深い記述がある。１９４４年３月、当時30歳の丸山眞男に召集令状が届く。かつて思想犯としての逮捕歴があった丸山は、陸軍二等兵として平壌へと送られた。そこで丸山は中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれたのだという。</p>
<p>戦争による徴兵は丸山にとってみれば、確かに不幸なことではあっただろう。しかし、それとは逆にその中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった。</p>
<p>丸山は「陸軍は海軍に比べ『擬似デモクラティック』だった」として、兵士の階級のみが序列を決めていたと述べているが、それは我々が暮らしている現状も同様ではないか。</p>
<p>社会に出た時期が人間の序列を決める擬似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［赤木智弘（2007）<a href="http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html">「丸山眞男」をひっぱたきたい―31歳フリーター。希望は、戦争。</a>］</div>
<p>赤木には、天皇崇拝や愛国心といった日本の伝統的右翼の特徴のいくつかが欠けている。だから、彼は典型的な右翼ではないのかもしれない。右翼には、没落貴族型右翼やプロレタリア型右翼の以外にも愛国心に最大の重点を置く心情右翼や宗教的伝統を重視する宗教右翼などさまざまな類型が考えられる。しかし、私が見るところ、デフレ経済のもと、失業率の増加とともに社会が急速に右傾化するとき、増えるのがプロレタリア型右翼であると思う。</p>
<p>プロレタリア型右翼にとって、戦争で日本が勝つかどうかは重要でない。戦争をして、日本が勝ったとしよう。戦場で死ねば、英霊として崇拝されるし、生き残れば、強くなった日本で立身出世できる。戦争をして、日本が負けたとしよう。戦場で死ねば、戦争の犠牲者として同情してもらえるだろうし、生き残れば、かつて偉そうにしていた特権階級が没落した、混沌とした日本で、新たに出世するチャンスがやってくる。戦争になれば、どちらに転んでも、屈辱的な身分が死ぬまで続く平和な世の中より自分にとって望ましい。</p>
<p>以上のようなプロレタリア型右翼の考えは、戦前の朝鮮人の考えと同じである［<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/korean_strategy.html">朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか</a>］。大日本帝国の下層民であった朝鮮人の当時の心境を赤木風に表現するならば、「日本人をひっぱたきたい―檀紀4243年にして日本の属国。希望は、戦争。」といったところだ。前回、「彼らにとって、世界の一等国民の仲間入りをして、民族のプライドを取り戻すことは、歴史的悲願だった」と書いたが、赤木も「社会に出てから10年以上、ただ一方的に見下されてきた私のような人間にとって、尊厳の回復は悲願なのだ」［赤木智弘（2007）<a href="http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html">けっきょく、「自己責任」 ですか</a>］と同じようなことを言っている。</p>
<p>フランクフルト学派流の権威主義的パーソナリティ論は、没落貴族型の右翼の説明にはある程度使える。市民革命によって、社会が流動化すると、特権を失った貴族たちは、自分たちの利権を支えてきた過去の権威を復活しようとする。しかし、この説明は、赤木のようなプロレタリア型右翼の説明には使えない。赤木は「権威主義に対するラジカルな批判」［赤木智弘（2006）<a href="http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/08/post_147.html">『バックラッシュ！』非難の本質とは？（その２）</a>］を行っている。「丸山眞男をひっぱたきたい」という象徴的表現が、強者や権威に対する彼の激しい憎悪を示している。赤木は、また、過剰流動性がバックラッシュ（右翼的な保守反動）の原因となっているとする宮台によるフロム流の説明を次のように言って批判している。</p>
<blockquote title="Source: 深夜のシマネコBlog: 『バックラッシュ！』を非難する; Accessed Date: 5/27/2009" class="blockquote"><p>男性弱者が抱えている不安は「過剰流動性」とは正反対の「硬直性」です。「一度フリーターになってしまったら、正社員になることは、非常に困難である」ということです。</p></blockquote><div class="cite">［赤木智弘（2006）<a href="http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html">『バックラッシュ！』を非難する</a>］</div>
<p>要するに、赤木のようなプロレタリア型右翼の場合、《弱者であるがゆえに、過剰流動性に耐えられなくなって、権威に盲目的に服従し、権威が遂行する戦争に加担しようとする》といったフランクフルト学派的説明は成り立たず、むしろ《流動性のない格差社会で負け組みとして固定されているがゆえに、戦争によって流動性を作り出して、権威を打ち倒そうとしている》というような逆の説明が成り立つのである。</p>
<p>読者の中には、弱者が強者を打ち倒したいのであれば、右翼的な戦争ではなくて、左翼的な革命あるいは改革によってその目的を達成するべきだという人もいることであろう。これに対して、赤木は次のように反論する。</p>
<blockquote title="Source: けっきょく、「自己責任」 ですか; Accessed Date: 5/27/2009" class="blockquote"><p>革命は「多数派の国民が、小数派の国家権力に支配されている」というような状況を逆転させるための手法である。少数派が多数派に対して革命を行ったって、十分な社会的承認を得ることなどできないのは明白だろう。</p>
<p>［］</p>
<p>正社員で、もしくは非正規社員でも生活に十分な給与を確保している安定労働層という多数派に、小さな企業の正社員や、派遣労働者や、フリーターといった貧困労働層という少数派が支配されている現状において、革命などは絶対に成就しない。つまり社会への信頼もなく、少数派であるしかない私が、革命という結論に至ることはあり得ないのだ。</p>
</blockquote><div class="cite">［赤木智弘（2007）<a href="http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html">けっきょく、「自己責任」 ですか</a>］</div>
<p>非正規労働者が労働者に占める割合は、2008年の平均で、34.1%で、男性に限定すると、たったの19.2%である［統計局（2009）<a href="http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/zuhyou/dt01.xls">雇用形態別雇用者数</a>］。こういう数が少なくて、金も何もない弱者が団結して革命を起こしても、鎮圧されて失敗に終わるに決まっている。左翼政党も、労働組合に加入している正規労働者や女性といった票になる多数派の「弱者」のための政治には熱心であるが、赤木のような票にも資金源にもならない少数派の弱者には冷たい。だから、赤木は既存の左翼に対して強い不満を持っている。赤木からすれば、左翼的革命/改革よりも右翼的戦争の方が、固定化された格差社会を流動化する上で、より現実的な選択肢なのである。</p>
<p>ここで、もう一度「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/korean_strategy.html">朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか</a>」という問題を考え直してほしい。朝鮮人は、日本人よりも数が少ないし、経済力も格段に劣っていた。彼らが内地に反旗を翻しても、たちまち強大な軍事力で鎮圧されてしまう。従属的身分からの解放を熱望していた彼らにとって、左翼的革命は破滅的結果しかもたらさない非現実的手段であり、右翼的戦争こそが、自分たちのステイタスを確実に向上させてくれる現実的手段だったのである。</p>
<p>従来、左翼の論客（進歩的知識人）は、戦争を望んでいるのは資本家という強者であり、弱者である労働者は、強者に騙されて、戦場に駆り出された犠牲者だという説明をしてきた。進歩史観による戦争の説明は、例えば、以下のようなものである。</p>
<blockquote title="Source: 第二次大戦の真実は何か　戦争はなぜ起きたか; Accessed Date: 5/27/2009" class="blockquote"><p>資本家は、自分たちの搾取によって国内で品物が売れなくなると、搾取を少なくするのではなく、今度はその品物を外国に売ってもうけようとします。それは日本だけではなく、アメリカもイギリスもフランスもドイツも、資本主義国はみんなそうです。そうなると、品物を売る場所をどちらがとるかということで争いになります。</p>
<p>［］</p>
<p>そこで問題は、戦争をやるとなると武器を持って戦場に行くのはだれかということです。その場合、大きな資本家が自分で武器をかついで戦争をしに行くでしょうか。そんなことはありません。資本家階級から搾取され、抑圧されて、貧乏になっている労働者や農民やその他の勤労人民を「国のため」とあざむいて、戦争へ行かせるのです。</p></blockquote><div class="cite">［福田正義（1983）<a href="http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/dainizitaisennnosinzituhananika%20sennsouhanazeokitaka.htm">第二次大戦の真実は何か</a>］</div>
<p>私は、小学生の時以来、日教組の教師から、こうした類の説明を聞かされてきた。しかし、実際には、貧乏な勤労人民ほど、デフレで失業が増えると、戦争を熱望する。「右翼は、低学歴で頭が悪いから、権威に盲従し、自分たちにとって不利益になる権威の発動、すなわち戦争を支持する」というのが、権威主義的パーソナリティー論に影響された進歩的知識人たちの低学歴右翼に対する認識であるが、プロレタリア型右翼は、彼らが考えているような馬鹿ではない。下層階級の右翼には、戦争になれば、自国が勝とうが負けようが、自分たちの利益になるというしたたかな計算があるのであって、戦争に負ければ、多くの既得権益を失うリスクを抱える特権階級よりも、戦争から利益を受けやすいのである。</p>
<h2>3. 右翼と左翼の対立地平を越える</h2>
<p>右翼と左翼は、相容れるところがない、正反対の思想の持ち主と考えられがちである。たしかに、右翼と左翼という言葉の起源となったフランス革命後の議会では、右翼は第二身分、左翼は第三身分の代表であったから、その支持基盤には、明確な階級の差があった。しかし、これは、伝統的な特権階級が特権を失い、それまで権利を持たなかった者が権利を手にするという特殊な流動的状況での話である。持つものと持たざるものの格差が固定されると、自分たちの利権を守ろうとする特権階級が保守主義的になるのに対して、特権を持たないものはプロレタリア型右翼あるいは左翼となって、自らを解放しようとする。つまりプロレタリア型右翼と左翼は、支持する階級が同じで、下層階級の救済という同じ使命を帯びている。</p>
<p>プロレタリア型右翼にとって、戦争とは、別の手段を用いた左翼的革命の継続である。両者の手段の違いを簡単に言うと、左翼が自虐的で内ゲバ的な手段を使うのに対して、右翼は他虐的で外ゲバ的な手段を使う。すなわち、左翼が、ゲバルト（暴力）を同じ国家内の特権階級に向け、社会を流動化させようとするのに対して、右翼は、ゲバルトを外国に向け、自国と外国を戦わせることで、社会を流動化しようとする。もちろん、ゲバルトを使わない穏健な左翼や右翼もいるから、正確には、極左と極右と呼ばなければならないのかもしれないが、以下、極左と極右という意味で左翼と右翼という言葉を使うことにしたい。</p>
<p>一般に、右翼と左翼は、相互に相手を激しく非難する。このため、人々は、右翼と左翼は、正反対の、全く異なる思想と考えてしまう。だが、両者の仲が悪いのは、近親憎悪によるのであって、決して、両者が異質であることを示さない。プロレタリア型右翼も左翼も、ともに、下層階級の救済を目指しているので、譬えて言うならば、低所得層を顧客とするディスカウント店どうしのようなものである。ディスカウントショップは、同じ客を奪い合う関係にあるからこそ、激しく対立するのである。</p>
<p>プロレタリア型右翼と左翼は、手段においてのみ異なるわけではなく、目標においても相違している。すなわち、左翼が平等な社会の実現を目指しているのに対して、右翼は、必ずしもそうではなくて、むしろ自分だけは特権階級に入りたいというエゴイズムによって動機付けられているという違いもある。つまり、左翼的理想は普遍化可能な合理性を持つのに対して、右翼的理想はそうでないという違いがある。</p>
<p>ここで、話をまた赤木に戻そう。赤木は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望むと言っているが、そういう平等は、決して長く続くわけではない。</p>
<blockquote title="Source: けっきょく、「自己責任」 ですか; Accessed Date: 5/28/2009" class="blockquote"><p>本当に戦争のようなカタストロフィーが起きて、もし国民全員が苦しむ平等が達成されたとしても、そのような流動は極めて一時的なもので、安定を求める人たちがこうしたシステムを額面通り流動させたままにするとは思わない。戦争によって一度流動化したシステムも、やがてまた硬直化する。その時にはまた硬直化したシステムからはじきだされた人たちが、私と同じように異議を唱えることだろう。</p></blockquote><div class="cite">［赤木智弘（2007）<a href="http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama2.html">けっきょく、「自己責任」 ですか</a>］</div>
<p>戦争によって、固定的だった格差社会が流動化し、赤木がたまたま特権階級の仲間入りをしたとしよう。格差が再び固定された後、赤木は、社会の流動化を要求する下層民たちの声に耳を傾け、敢えて自分が手にした特権をリスクに晒すような戦争を支持するだろうか。もしも、特権階級にいる時とそうでない時とで言うことが異なるなら、赤木の思想は普遍化可能な合理性を失う。</p>
<p>思想には、普遍化可能な合理性がなければならない。社会における自分のポジションがどこであっても、同じ政策を支持することができないならば、その人はエゴイストということになる。格差の流動化が望ましいならば、自分が高資本所有者だろうが、低資本所有者だろうが、常に格差を固定しないことに同意しなければならない。但し、格差の流動化といっても、戦争は望ましくない。他者を不幸にすることを目標とする競争ではなくて、他者を幸福にすることを目標とする競争によって社会を流動化する必要がある。そのような競争とは、市場原理に基づく経済的競争であり、この競争により、社会を絶えず流動化させようとする政治的立場はリバタリアニズムと呼ばれる。</p>
<p>右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者の違いがわかるように、以下のフローチャートで整理してみた。</p>
<img src="right_wing_classification.png" alt="右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者" />
<div class="caption_bottom">右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者の関係</div>
<p>左翼は、格差を否定する。現実に存在する社会主義・共産主義国家には、格差は存在するが、彼らは、少なくとも理念としては、平等な社会の実現を主張している。左翼は、格差を肯定するすべての立場をまとめて「右翼」と呼んでいるが、そうした呼称は、大雑把過ぎる。そこで、彼らが言う「右翼」をさらに細かく分類しよう。</p>
<p>格差を肯定する立場のうち、現在の格差を固定的に維持しようとする立場は、言葉の本来の意味で、保守主義と呼ばれる。格差をゼロにしたり、格差を固定すると、イノベーションが起きなくなって、生産性が低下する。だから、格差社会は流動的でなければいけないが、流動化するための競争は、非合法な暴力に基づく右翼的競争ではなくて、市場原理に基づいたリバタリアンな競争でなければならない。この理由により、私は、四つの政治的立場の中で、市場原理至上主義という意味でのリバタリアニズムが最も望ましいと考える。</p>
<p>赤木は、特権階級が貧しくなれば、自分は豊かになると考えているようだが、こうしたゼロ・サム・ゲーム的な発想では、すべての人を納得させるような社会を設計することはできない。たとえ配分結果に格差が出ても、公平なルールに基づいて競争が行われ、社会全体の富が増大するシステムなら、（少なくとも理論的には）すべての人を納得させることができる。そうした社会は、市場原理至上主義によって実現されるというのが私の立場である。</p>
<div class="postscript">追記</div>
<p>本稿公表後、内容に関していろいろな方からご批判をいただきました。なかでも</p>
<ol>
  <li>「なぜ右翼には低学歴と低所得が多いのか」という最初のタイトルは、「右翼は低学歴で低所得」というステレオタイプを広めようとしているようにみえる。</li>
  <li>赤木智弘氏という一つの事例をすべての右翼に当てはまるかのように一般化することは一面的過ぎる。</li>
  <li>新聞の購読者層の比較については、購読者の年齢層に偏りがあり、一般的な結論が導けない。</li>
</ol>
<p>の三つの問題点を反省し、</p>
<ol>
  <li>タイトルを「プロレタリア型右翼」に変える。</li>
  <li>右翼一般ではなくてプロレタリア型右翼に話を限定する。</li>
  <li>新聞の購読者層の代わりに極右政党の支持層のデータを採用する。</li>
</ol>
<p>以上の改訂を加えました。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/korean_strategy.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2009:/a//17.2485</id>

    <published>2009-04-26T12:04:35Z</published>
    <updated>2009-09-11T04:50:31Z</updated>

    <summary>今日、韓国と北朝鮮は、太平洋戦争の被害者と称して、日本に対して謝罪と賠償を求めている。しかし、当時の朝鮮人は、太平洋戦争を熱烈に支持し、侵略戦争の被害者というよりもむしろ加害者としての役割を果たしてい...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="7_politics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>今日、韓国と北朝鮮は、太平洋戦争の被害者と称して、日本に対して謝罪と賠償を求めている。しかし、当時の朝鮮人は、太平洋戦争を熱烈に支持し、侵略戦争の被害者というよりもむしろ加害者としての役割を果たしていた。では、なぜ反日的なはずの朝鮮人が、日本の侵略戦争に加担したのだろうか。彼らの戦略のルーツは、元寇での成功体験にまで遡る。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 朝鮮人はなぜ太平洋戦争を熱烈に支持したのか</h2>
<p>韓国の歴史教科書は、朝鮮人（以下、韓国人を含めた朝鮮民族という意味でこの言葉を使う）が日中戦争や太平洋戦争に従軍したにもかかわらず、それを、もっぱら被害者の視点から描いている。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書 (世界の教科書シリーズ): 申 奎燮, 大槻 健, 君島 和彦: 本; Accessed Date: 4/24/2009" class="blockquote">
<p>わが民族は戦争に必要な食糧と各種物資を収奪され、わが国の青年は志願兵という名目で、また徴兵制と徴用令によって日本、中国、サハリン、東南アジアなどに強制動員され、命を失い、女性まで挺身隊という名で強引に連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4750316733/n08-22">新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書</a>, p.397］</div>
<p>しかしながら、当時の朝鮮人たちは、必ずしも、強制されて受動的に従軍したわけではなかった。1938年に陸軍特別志願兵制ができて以来、朝鮮人は日本軍に志願兵として参加することができたのだが、以下の表が示すように、その応募者は、日中戦争の進展とともに、採用数以上に伸び、倍率は、太平洋戦争が始まった年には、45倍に達した。しかも、「血書を書いての従軍志願者が何百という数に上り、中にはその希望が達せられないので自殺した青年まで現れ」［名越二荒之助：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4916029127/n08-22">日韓2000年の真実</a>, p.435］たというのだから、相当熱心な志願者がいたということである。</p>
<table>
<thead>
<tr>
<th>西暦（和暦）</th>
<td>採用数</td>
<td>応募者数</td>
<td>倍率</td>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr>
<th>1938（昭和13）年</th>
<td>406</td>
<td>2946</td>
<td>7.7</td>
</tr>
<tr>
<th>1939（昭和14）年</th>
<td>613</td>
<td>12348</td>
<td>20.1</td>
</tr>
<tr>
<th>1940（昭和15）年</th>
<td>3060</td>
<td>84443</td>
<td>27.6</td>
</tr>
<tr>
<th>1941（昭和16）年</th>
<td>3208</td>
<td>144743</td>
<td>45.1</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<div class="caption_bottom">内務省資料による陸軍特別志願兵制設置後の朝鮮人の志願状況［名越二荒之助：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4916029127/n08-22">日韓2000年の真実</a>, p.436］</div>
<p>1942年に日本政府が朝鮮での徴兵制の実施を閣議決定した時、『朝日新聞』5月10日朝刊は、「昨年の大東亜戦争開始以後の朝鮮人の戦争完遂に関する熱意は、献金に、あるいはその他各種の銃後援護に強く表明され、内鮮一体の機運はますます強固なるものがあるので、政府は朝鮮同胞のこの報国の赤誠に応え、朝鮮に徴兵制を施行し」たと報道し、同6月11日夕刊の「朝鮮・徴兵制に感激の波高し」と題した記事では、「大東亜戦争の実戦に参加し得る栄誉を与えられた朝鮮同胞は広大無辺の皇恩に感泣し半島全域の同胞から陸軍省へ寄せられた感謝の手紙や電報は連日引きもきらず遂に数千通の多数に達した」として、それを紹介している［安田将三, 石橋孝太郎: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4576941119/n08-22">読んでびっくり朝日新聞の太平洋戦争記事</a>, p.198-199（原文は旧仮名遣い）］。</p>
<p>こうした新聞報道は、必ずしも誇張や捏造によるものではない。1923年生まれの崔基鎬（チェ・ケイホ）が当時を回顧して述べているように、朝鮮人の大部分は、日本の侵略戦争を熱狂的に喜んでいた。</p>
<blockquote title="Source: 漁火６・７面; Accessed Date: 4/19/2009" class="blockquote">
<p>戦前から東京にいた私は、年に1～2回はソウルとか当時の平壌に行きました。その当時の韓国人は日本人以上の日本人です。劇場に行くと映画の前にニュースがありましたが、例えばニューギニアで日本が戦闘で勝利をおさめたという映像が流れると、拍手とか万歳が一斉に出ます。</p>
<p>私は劇場が好きで、日本でも浅草などに行って見ていましたが、韓国で見るような姿はごくわずかです。韓国ではほとんど全員が気違いのように喜びます。それは当時としてごく普通の姿ですから、特別に親日ということではありません。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [崔基鎬：<cite><a href="http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu.htm">武士道の覚醒と強い日本を願う</a></cite>，<a href="http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/">漁火新聞</a>] </div>
<p>では、なぜ朝鮮人は、日本人以上に日本の侵略戦争を喜んでいたのだろうか。それは、日本が始めた冒険的な戦争に加担すれば、それが成功しても、失敗しても、どちらに転んでも、自分たちにとって利益になるからである。すなわち、</p>
<ol>
<li>もしも太平洋戦争が成功すれば、日本軍に参加して手柄を立てた朝鮮人の地位が大日本帝国内部において向上し、朝鮮人は民族のプライドを取り戻すことができる。</li>
<li>もしも太平洋戦争が失敗すれば、朝鮮半島を支配している日本の軍事力が後退し、朝鮮は日本から独立することが可能となり、朝鮮人は民族のプライドを取り戻すことができる。</li>
</ol>
<p>民族のプライドを取り戻すということは、私たち日本人が考えている以上に、彼らにとっては重要なことである。朝鮮人が、今日の韓国人に典型的に見られるような、プライドに飢えた民族になったのは、朝鮮人が、知能に優れた、潜在的能力のある民族であるにもかかわらず、大国に隣接するという地理的事情により、自分たちにふさわしい国際的な地位をこれまで持つことができなかったからであろう。朝鮮人は、古代より中国の冊封体制に組み込まれ、二等国民としての屈辱的地位に甘んじ、そしてその後、それまで冊封体制外だから自分たちよりも格下だと思っていた日本の支配下に入ってしまった。そんな彼らにとって、世界の一等国民の仲間入りをして、民族のプライドを取り戻すことは、歴史的悲願だったのである。</p>
<p>日中戦争が始まった頃、朝鮮人のプライドを刺激するような人物が現れた。陸軍士官学校出身の陸軍少佐で、千名の日本人部下を指揮する大隊長、金錫源（キム・ソクウォン）である。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 「植民地朝鮮」の研究―日本支配36年: 杉本 幹夫: 本; Accessed Date: 4/20/2009" class="blockquote"><p>彼はかつての宗主国であった支那の大軍を、山西省で木っ端微塵に撃破し、朝鮮人として初めて「金鵄勲章功三級」が授与された。少佐クラスでしかも生存者での「功三級」は全く破格であった。このビッグニュースは朝鮮の新聞に連日、「金部隊長奮戦記」「戦塵余談」等、でかでかと紹介された。日本兵を率いて、支那を撃つというのは、朝鮮人にとって夢みたいな事だったので、早速歌になった。朝鮮人の作詞、作曲で「金少佐を思う」「正義の師に」「正義の凱歌」等々の歌が出来、歌謡大会まで開かれた。文那派遣軍を駅で送る歓声と旗の波、それに金大隊長の賛歌で、自然に朝鮮人のボルテージが上がった。</p></blockquote><div class="cite">［杉本 幹夫: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4886562140/n08-22">「植民地朝鮮」の研究―日本支配36年</a>, p.96-97］</div>
<p>陸軍特別志願兵制が作られ、朝鮮人青年がその応募に殺到した背景には、こうしたロール・モデルがあったわけである。もしも日本の太平洋戦争に参加して、日本が戦争に勝てば、自分たちは、当時劣等人種と思われていた黄色人種の国の下層に位置する情けない被征服民族から世界的スケールでの征服民族へとステイタスを高め、かつての宗主国である中国のみならず、人類の指導者を気取る英米すら自分たちの目下にすることができると思って喜んだことだろう。</p>
<p>では、もしも日本が太平洋戦争に負けたならば、どうなるのか。当時は検閲が厳しかったので、日本の敗北が朝鮮人にもたらすメリットが公然と語られることはなかった。しかし、検閲で押収された手紙などを読むと、朝鮮人の本音を観て取ることができる。以下の手紙は、金某が愈某に宛てた手紙である。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 検閲された手紙が語る満洲国の実態: 小林 英夫, 張 志強: 本; Accessed Date: 4/19/2009" class="blockquote">
<p>我等は何時迄も日本の奴隷下に呻吟し乍ら宿命論と亡国論を叫ぶを止め、朝鮮民族独立の為め闘争すべきだ。君も同じ朝鮮民族精神が生きて居る事を信じて疑はない。我等の敵日本は十二月八日自ら死地に入って行った時、正に絶好だ。今こそ我等青年が起ち上る時だ。吾々の同胞は蘇聯［ソレン］で満洲で又中国で準備を整へて居る事を忘れないで下さい。</p></blockquote>
<div class="cite">［小林 英夫, 張 志強: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4096260770/n08-22">検閲された手紙が語る満洲国の実態</a>, p.120］</div>
<p>この手紙に出てくる「十二月八日」は、真珠湾攻撃の日付である。この手紙の執筆者が、日本が米英と戦争を始めたことを「自ら死地に入って行った」と捉え、それを朝鮮民族独立の絶好のチャンスと認識していることに注目しよう。こうした認識は、直接独立運動に従事していなかった朝鮮人にも共有されていたのではないだろうか。日中戦争が始まり、陸軍特別志願兵制が行われるようになると、それまで朝鮮民族の独立を要求してきた「三・一運動の指導者や民族文学の第一人者たちが率先して戦争への協力を呼びかけ」［名越二荒之助：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4916029127/n08-22">日韓2000年の真実</a>, p.436］たのは、必ずしも彼らが転向したからではなくて、日本が始めた無謀な戦争が、結果として自分たちの解放につながるという計算があったからなのだろう<sub>［ａ］</sub>。</p>
<div class="note">[a] 朝鮮人が日本人から独立すると、日本人の戦争は、自分たちの独立を脅かすことになるから、朝鮮人は、日本人に対して絶対平和を求めるようになる。この日本の戦争に対する朝鮮人の態度の変化は、偶然かもしれないが、朝日新聞の論調の変化と奇妙に一致している。朝日新聞が太平洋戦争中にいかに戦意高揚を煽る記事を書いていたかは、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4576941119/n08-22">読んでびっくり朝日新聞の太平洋戦争記事</a>』を読むとよくわかるのだが、戦後になると、朝日新聞は禁欲的なまでの平和主義を日本国民に説くようになる。</div>
<p>朝鮮人が日本人以上に太平洋戦争を「気違いのように」喜んでいたのは、彼らが「気違い」だったからでもなければ、崔基鎬が言うように「日本人以上の日本人」だったからでもない。もしも朝鮮人が本当に「日本人以上の日本人」であるならば、なぜ彼らは現在あれほどまでに反日的であるのか。朝鮮人の太平洋戦争への加担は、計算された戦略に基づくものであって、それを見抜けずに「朝鮮同胞の赤誠（偽りのない誠の心）」などと言って、朝鮮人の戦争協力を賞賛していた日本人は、なんとナイーブなことか。
</p>
<p>朝鮮人は、このような見事な戦略をいつ身に付けるようになったのだろうか。私が見るところ、彼らの戦略は、元寇で得られた教訓から練られたようだ。元寇と日中戦争・太平洋戦争とでは、侵略のベクトルが異なるが、異民族の支配を受けて、独立性を失った朝鮮民族が、支配民族の侵略戦争に加担することで、独立を勝ち得たという点で共通点を持っている。そこで、以下、元による支配の中で、高麗国王がどのようにして自らのステイタスの向上を図り、成功したかを見ていくことにしよう。</p>
<h2>2. 高麗はなぜ自主的に元寇に加担したのか</h2>
<p>韓国の歴史教科書は、高麗人が元寇（韓国は「日本征伐」と呼んでいる）に従軍したにもかかわらず、それを、もっぱら被害者の視点から描いている。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書 (世界の教科書シリーズ): 申 奎燮, 大槻 健, 君島 和彦: 本; Accessed Date: 4/24/2009" class="blockquote">
<p>高麗は蒙古との講和以後自主性を著しく損なうに至った。講和後、高麗が最初にうけた試練は日本征伐に動員されことであった。高麗は、国号を元と変えた蒙古の強要によって日本征伐のための軍隊をはじめ多くの人的・物的資源を徴発された。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4750316733/n08-22">新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書</a>, p.149］</div>
<p>しかしながら、当時の高麗人たちは、必ずしも、強制されて受動的に従軍したわけではなかった。元寇当時の高麗国王であった忠烈王は、文永の役が起きる2年前からクビライが死去する2年前に至るまで、何度もクビライに、自ら「日本征伐」をしたいと要請していた。</p>
<p>そもそも、クビライが日本に関心を持つようになったのは、趙彝（ちょうい）という高麗人の進言による。趙彝の出身地は、日本への門戸である合浦や金州の近くに位置する咸安で、このため、趙彝は、日本についての情報に詳しかった。趙彝は、進士に合格して、クビライの知遇を受けると、クビライに、日本について詳しく語り、高麗に郷導（道案内）させて、日本に使者を送ることを勧めた。</p>
<blockquote  class="blockquote" title="Source: Amazon.co.jp： 高麗史日本伝〈下〉―朝鮮正史日本伝 (岩波文庫): 武田 幸男: 本; Accessed Date: 3/26/2009">
<p class="chinese">趙彝 出入帝所讒曰、高麗與日本隣好、元遣使日本、令本國鄕導</p>
<p>趙彝は、宮廷に出入りし、「高麗は日本と好を通じています。元が日本に使者を出す場合、本国に道案内させてください」と讒言した。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4003348729/n08-22">高麗史日本伝〈下〉</a>, p.219］</div>
<p>『高麗史』は、趙彝を、洪茶丘等と同様の叛逆者としている。理由は、当時元と交戦状態にあった宋が日本と国交があり、そして高麗がその日本と非公式に交流していたことを密告したからというのだが、これは誤解である。クビライは、高麗と日本との間に非公式の交流があったことを全く咎めていない。そもそも趙彝には、洪茶丘のように、祖国を恨む理由はない。趙彝は、むしろ、元と日本の交易が活発になって、高麗、特に彼の故郷が、東アジア経済のハブになるということを期待したのではないだろうか。また、趙彝は語学に秀でていたので、そうなれば、自分は外交官として活躍し、出世できるようになるとも目論んだのだろう。</p>
<p>クビライは、高麗国王元宗に日本招諭を命じ、元宗は、側近であった潘阜（はんふ）を派遣し、牒状を鎌倉に送ったが、日本側は、返牒を拒否した。何度使者を送っても、成果が上がらないので、クビライは、武力で日本を支配することを決意する。そんな中、当時世子（皇太子）で、モンゴルに送られていた諶（しん＝後の忠烈王）は、クビライに、次のように言った。</p>
<blockquote class="blockquote" title="Source: Amazon.co.jp： 高麗史日本伝〈上〉―朝鮮正史日本伝2 (岩波文庫): 武田 幸男: 本; Accessed Date: 3/26/2009">
<p class="chinese">惟彼日本、未蒙聖化、故發詔使、繼糴軍容、戰艦兵糧、方在所須、儻以此事委臣、庶幾勉盡心力、小助王師</p>
<p>あの日本だけは、いまだに陛下の支配に服しておりません。それゆえ、私どもは、日本に陛下の命令を伝える使者を発して、さらにその後、軍容を整え、戦艦と兵糧を準備万端にしているところです。もしも、このことを臣である私めにお任せいただけるのであれば、心力を尽くして励み、そして陛下の軍隊を、微力ではありますが、お助けいたします。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4003348710/n08-22">高麗史日本伝〈上〉</a>, p.90］</div>
<p>諶はなぜ自ら日本遠征への協力を要請したのだろうか。高麗は倭寇に手を焼いていたので、元の力を借りて、倭寇の本拠地を攻撃しようとしたという説がかつて有力であった。たしかに、1223年以降、倭寇が何度もあったことが『高麗史』に記されている。しかし、日本は、元寇以前、倭寇の取締りに協力的であった。</p>
<p>例えば、1227年、鎮西奉行の少弐資頼（しょうにすけより）は、倭寇の悪徒九十人を捕らえ、高麗国使の前で斬首した。このことは、以下のように『高麗史』にも書かれている。</p>
<blockquote class="blockquote" title="Source: Amazon.co.jp： 高麗史日本伝〈上〉―朝鮮正史日本伝 (岩波文庫): 武田 幸男: 本; Accessed Date: 3/26/2009">
<p class="chinese">日本國寄書、謝賊船寇邊之罪、仍請修好互市。</p>
<p>日本は書を寄せて、日本の海賊が高麗沿岸を荒らしたことを謝罪し、両国間の関係を修復し、相互に交易することを要請した。</p>
<p class="chinese">是歳、遣及第朴寅、聘于日本、時倭賊侵掠州縣、國家患之、遣寅齊牒、諭以歷世和好、不宜來侵、日本推檢倭賊誅之、侵掠稍息。</p>
<p>高麗は、この年、科挙に合格した朴寅を派遣し、日本に行かせた。当時、日本の海賊は、高麗の沿岸を荒らしまわっていた。高麗は、これを憂い、朴寅を遣わして、国書を送り、これまでの友好関係に基づき、海賊行為を行わないように教え諭した。日本は、海賊を検挙し、彼らを処刑した。その結果、倭寇は、しばらくの間、沈静化した。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4003348710/n08-22">高麗史日本伝〈上〉</a>, p.57］</div>
<p>元寇によって、倭寇を取り締まる日本の為政者を攻撃することは、倭寇対策としては逆効果である。実際、元寇以降、倭寇はいっそう盛んになってしまった。</p>
<p>では、なぜ高麗国王は、元寇に積極的に加担したのだろうか。太平洋戦争の時と同様に、二つの理由が考えられる。</p>
<ol>
  <li>もしも元寇が成功すれば、元寇に参加して手柄を立てた高麗の地位が元内部において向上し、高麗国王の権力が増大する。</li>
  <li>もしも元寇が失敗すれば、朝鮮半島を支配している元の軍事力が後退し、高麗が元から独立することが可能となり、高麗国王の権力が増大する。</li>
</ol>
<p>2が歴史的現実となるのだが、諶＝忠烈王は、当初1しか考えていなかったと思う。だが、時の経過とともに、忠烈王は2の理由でも元寇を支持するようになる。以下、忠烈王の動機の変遷を、文永の役の前、文永の役の後、弘安の役の後の三つの時期に分けて、辿ってみよう。</p>
<h3>2.1. 文永の役の前の忠烈王</h3>
<p>忠烈王が、最初に日本遠征への参加を要請した1272年当時、高麗国王は、高麗国内において、有名無実の存在となっていた。ちょうど、同時代の日本において、武士が台頭して、天皇や貴族たちが実権を失ったように、高麗でも、1170年のクーデター（庚寅の乱）以来、武臣が国王や文臣よりも優位に立ち、政治を動かすようになる。もしも、モンゴル軍が高麗に侵入してきた時、高麗国王が全実権を握っていたならば、国王は、自分の利権を守るために、最後まで抵抗したかもしれない。しかし、当時既に実権を失っていた高麗国王は、どうせ実権がないのなら、国内の武臣よりも強大な軍事力を持つモンゴル帝国に服従したほうがよいと判断し、江華島に残って抵抗を続ける武臣と決別して、モンゴル帝国に臣従した。</p>
<p>武臣は、高麗国王と結託したモンゴル帝国軍の攻撃を受けて、権力を失ったが、武臣勢力の残党、三別抄は、1270年に江華島から南部の珍島や耽羅島に移って抵抗を続けた。1272年当時、三別抄の乱はまだ続いており、高麗国王としては、日本遠征を促すことで、ついでに国内の反乱軍も一掃してもらおうという意図があったと解釈できる。というのも、日本に遠征するためには、その通路を塞いでいる三別抄を壊滅させなければいけないからである。</p>
<p>1274年に、元と高麗の連合軍は、日本への攻撃を開始した。日本で謂う所の文永の役である。元と高麗の連合軍は、日本に上陸して戦ったが、思うように進軍できないので、引き返し、夕方、軍議を開いた。その時、高麗軍の主将である金方慶（キム・バンギョン）と元の総司令官（東征都元帥）である忽敦（クドウン）との間に次のような議論がなされた。</p>
<blockquote  class="blockquote" title="Source: Amazon.co.jp： 高麗史日本伝〈下〉―朝鮮正史日本伝 (岩波文庫): 武田 幸男: 本; Accessed Date: 3/26/2009">
<p class="chinese">方慶謂忽敦茶丘日、兵法千里縣軍、其鋒不可當、我師雖少、巳入敵境、人自爲戰、即孟明焚舩淮陰背水也、請復戰</p>
<p>金方慶は、忽敦と茶丘日に言った「兵法には、本国を遠く離れて敵地に入った軍は、かえって士気があがるとある。我が軍が劣勢ではあるが、既に敵地に入っているのである。兵は自主的に戦う。帰国用の船を焼き、背水の陣を敷いた孟明や韓信のような状態だ。もう一度戦うことを請う」と。</p>
<p class="chinese">忽敦日、兵法小敵之堅、大敵之擒、策疲乏之兵、敵日滋之衆、非完計也、不若回軍</p>
<p>忽敦は言った「兵法には、少人数の敵が力量を考えずに堅守すれば、必ず大軍の虜になるとある。疲れた兵を動員して、日ごとに増えていく軍勢と戦うことは、無謀だ。軍を撤退させるほかない」と。</p>
</blockquote><div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4003348729/n08-22">高麗史日本伝〈下〉</a>, p.32］</div>
<p>結局、忽敦は、金方慶の主張を退けて、海中に引き上げ、その夜、暴風に逢ったこともあって、帰国する。韓国の歴史教科書では、嫌がる高麗に元が戦争を強制したことになっているが、ここの件を読むと、まるでその関係が逆であるかのように見える。崔基鎬の表現を借用するなら、この時の高麗人は、「モンゴル人以上のモンゴル人」ということになる。</p>
<h3>2.2. 文永の役の後の忠烈王</h3>
<p>文永の役が終わった翌年の1275年1月に、忠烈王は、高麗国内が経済的に困窮していることを訴えているが、その後、1278年の7月には、以下のように言って、再び日本遠征を要請した。</p>
<blockquote class="blockquote" title="Source: Amazon.co.jp： 高麗史日本伝〈上〉―朝鮮正史日本伝2 (岩波文庫): 武田 幸男: 本; Accessed Date: 3/26/2009">
<p class="chinese">日本一島夷耳、恃險不庭、敢抗王師、臣自無念以報徳、願更造船積穀、聲罪致討、蔑不濟矣</p>
<p>日本は、一介の野蛮な島国にすぎませんが、天然の要害があることをよいことにして、来貢せず、敢えて陛下の軍隊に抵抗しております。私が自ら思いますに、これでは陛下の徳が報われることがありません。戦艦を作り、兵糧を蓄え、日本の罪を強調し、討伐して、日本を辱め、救わないことを願います。
</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4003348710/n08-22">高麗史日本伝〈上〉</a>, p.113-114］</div>
<p>忠烈王がクビライに自ら日本遠征を要請したことは、『高麗史』のみならず『元史』にも書かれている。</p>
<blockquote title="Source: 元史・本紀第十二; Accessed Date: 3/30/2009" class="blockquote">
<p class="chinese">高麗國王請自造船一百五十艘，助征日本</p>
<p>高麗国王は、百五十艘の船を自ら作り、日本征伐を助けることを請うた</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.xysa.net/a200/h350/23yuanshi/t-012.htm">元史本紀第十二</a>，至元十九年七月］</div>
<p>経済的負担が大きいにもかかわらず、忠烈王が再びクビライに日本遠征への協力を要請した理由は何か。実は、1276年と1277年に、金方慶が忠烈王に対して謀反を企てているという密告がなされた。そして、以前から、父が讒言により処刑され、祖国に恨みを抱いていた高麗人の洪茶丘は、この機会を捉えて、クビライに、元軍による高麗の直接統治を進言した。しかし、金方慶の謀叛疑惑は事実無根であることが明らかとなり、クビライは、高麗から元軍とダルカチを引き上げ、洪茶丘を召還した。忠烈王は、この決定の後、日本遠征への協力を申し出て、洪茶丘ではなくて、自分に重要な地位を与えてくれて懇願している。その結果、娘婿の国王として、征東行省の中書左丞相、つまり日本遠征軍の指導的地位に就いた。したがって、この時の動機は、元に対する忠誠心を示すことで高麗の独立を維持するというところにあったようだ。</p>
<p>1281年に弘安の役が始まったが、この時も高麗軍は積極的に戦った。元・高麗の連合軍（東路軍）は、予定よりも早く出港したが、これは、他に先駆けて手柄を立てたいという思惑からだったのだろう。反対に一番士気が低かったのは、1279年に新たに元の支配下に入った南宋出身の兵である。南宋軍主体の江南軍は、予定よりも半月ほど遅れて東路軍と合流したが、その後1ヶ月近く海中にあって戦いに参加しなかった。そうこうするうちに、台風に遭って、海の藻屑となった。台風で沈んだ船のほとんどは、江南軍の船だった。高麗で造られた船が堅固であったのとは対照的に、旧南宋で造られた船は手抜きで造られたものが多く、これは、日本遠征に好意的ではない旧南宋民のサボタージュによるものだったと見られている。</p>
<p>弘安の役の後、1286年1月、クビライが日本遠征を中止した時の状況を『元史』は次のように描いている。</p>
<blockquote title="Source: 簫堯藝文網・元史・列傳第五十五; Accessed Date: 4/10/2009" class="blockquote">
<p class="chinese">連年日本之役，百姓愁戚，官府擾攘，今春停罷，江浙軍民歡聲如雷。</p>
<p>長引く日本遠征のおかげで、庶民は悲しみ、官吏も苦しんだ。今春、日本遠征が中止となり、それを聞いた江蘇・浙江の軍民の歓声は雷のようにとどろいた。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.xysa.net/a200/h350/23yuanshi/t-167.htm">元史・列傳第五十五</a>］</div>
<p>これは、いかに旧南宋民が日本遠征の負担を嫌っていたかを物語るエピソードである。日本遠征の負担は、旧南宋よりも高麗のほうが大きかったはずなのに、同じような記述が高麗に関してないのは、なぜだろうか。1293年に、第三次日本遠征計画が練られたとき、造船命令は、高麗に対してしか出されなかった。クビライは、江南軍が全くあてにならないことを学んだようだ。</p>
<h3>2.3. 弘安の役の後の忠烈王</h3>
<p>弘安の役が無残な結果に終わった後も、クビライは、日本遠征をあきらめなかった。クビライの日本遠征に対する執念は異常であり、たんなる征服欲によって説明できるものではなく、おそらく、マルコポーロの『東方見聞録』にも登場する、日本に豊富にあると信じられていた金を手に入れようとしていたのだろう。だが、無駄な遠征を繰り返すクビライに対して、帝国内の不満分子が次々に反乱を起こし始めた。まず、1283年以降中国南部で、1284年以降にはベトナムで反乱が起きた。さらに、1287年には、ナヤンの反乱、1288年にはカダアンの反乱といった身内による反乱が起きたことで、日本遠征どころか高麗の支配すらおぼつかなくなってきた。1290年にカダアンが高麗に侵入すると、クビライは、それまで元が直接支配していた東寧路総管府を高麗に返還した。これは、おそらく、高麗がカダアンに寝返ることを恐れたためだろう。結局、1291年に元の援軍が高麗に到着し、元と高麗の連合軍はカダアンを鎮圧することに成功した。</p>
<p>これまで、元は、高麗が元に反抗したことを口実に、高麗の領土の一部に総管府をおいて、直接統治した。1225年に、高麗に送られたモンゴル帝国の使節が高麗で殺害されると、1231年に、モンゴル軍は、報復のために高麗に侵入した。その時、洪福源は、高麗の鎮将だったが、投降し、モンゴル帝国の高麗侵略に協力した。この時の占領地が、後の東寧路総管府となる。1254年には、崔氏などの武臣が江華島に残っていることを口実に、モンゴル軍が高麗に侵入した。1258年には、高麗北部の和州以北が占領され、双城総管府が置かれ、降伏した高麗人が総管に任命された。1273年には、元に最後まで抵抗した三別抄を耽羅島で滅ぼし、後に、ここに耽羅総管府が置かれた。</p>
<p>こうした、奪われた領土を取り戻すことは、高麗王朝の悲願であり、元での内乱のおかげで、失われた国土を取り戻せたことは、高麗にとっては望外のことであった。これに味をしめたのか、忠烈王は、カダアンの反乱の翌年、次のように言って、クビライに日本遠征を要請している。</p>
<blockquote class="blockquote" title="Source: Amazon.co.jp： 高麗史日本伝〈上〉―朝鮮正史日本伝 (岩波文庫): 武田 幸男: 本; Accessed Date: 3/26/2009">
<p class="chinese">臣既隣不庭之俗庶當躬自致討以效微勞</p>
<p>我が国は、元朝に来貢しない殊俗の日本にもともと隣接しております。私ども自ら日本を討伐し、もって、ささやかながら功績を挙げることを願っております</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4003348710/n08-22">高麗史日本伝〈上〉</a>, p.174］</div>
<p>これまでの奏上とは異なり、元軍の補助ではなくて、高麗単独の出兵を要請したとも取れる内容になっている。単独で日本遠征を行うとなれば、忠烈王には、今よりももっと多くの権力がなければならない。おそらく忠烈王は、双城総管府の返還を期待していたのではないだろうか。</p>
<p>結局、クビライは、この2年後死去し、第三次日本遠征は中止となった。忠烈王の生前に戻ってきた領土は、東寧路総管府と耽羅総管府だけであったが、かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだったモンゴル帝国も、日本遠征の失敗以降衰退し、1351年に起きた紅巾の乱で元が壊滅に瀕すると、その5年後に高麗は元と断交し、独立して、双城総管府など北辺の領土を奪還した。</p>
<p>朝鮮人は、ここから一つの教訓を得た。モンゴル軍のような強大な権力に対して、武臣たちがやったように、無駄な抵抗を試みても、領土を奪われたり、自治権を奪われたりして、なにもよい結果をもたらさない。むしろ、忠烈王がやったように、元の侵略戦争に積極的に加担した方が、その侵略戦争が成功した場合はもちろんのこと、失敗した場合ですら、自分たちにメリットがある。元寇での体験は、560年後、日本人と朝鮮人の行動指針にそれぞれ異なった影響を与えた。日本人は、国難に際しては神風が吹いて、どんな大きな敵からも神が日本を守ってくれるというばかげた信仰を抱き、無謀な戦争に突入して、破滅への道を歩んだ。朝鮮人は、もっと現実的で巧妙な戦略により、独立を果たした。朝鮮人と日本人が元寇から学んだことには雲泥の差があったと言わなければならない。</p>
<h2>3. 韓国はなぜ米国のイラク戦争に参加したのか</h2>
<p>一般に、ある民族が異民族の圧政下に入って、被支配民へと転落すると、ゲリラ活動的な反乱によってその支配に抵抗し、独立しようとする動きが出ることが自然である。元朝に支配された旧南宋民や大日本帝国の支配下に入った台湾人たちがそうだった。朝鮮人は、そういう無駄な抵抗を試みるよりも、むしろ、支配者の侵略戦争の手先になって、自分たちの地位を向上させようとする。もしその侵略戦争が成功すれば、強大になった帝国内で、より高い地位を手に入れることができる。もし侵略戦争が失敗したら、宗主国の軍事力が衰退するので、独立することができるようになる。戦場で残虐な行為を行っても、後世になってから、「自分たちは宗主国に戦争を強要された被害者だ」と主張することで、戦争のすべての責任を宗主国に転嫁することができる。この伝統的戦略は、今でも韓国人によって使われているように思われる。最近の事例は、盧武鉉によるイラク戦争への派兵である。</p>
<p>盧武鉉は、反米左翼の政治家であったが、2002年の大統領選挙に当選することができた。これにはある偶然の出来事が追い風となった。この年、米軍装甲車が二人の韓国人女子中学生を轢き殺すという事故が起きたのである。11月に、米軍の軍事法廷が無罪の表決を言い渡したために、国内で反米感情が高まり、それを背景に、12月、反米左翼の盧武鉉が大統領に当選したのである。</p>
<p>盧武鉉は、大統領に就任すると、前任の金大中から太陽政策を継承し、北朝鮮に対しては宥和的な政策を採り、さらに「北東アジアのバランサー」として冷戦構造が残る北東アジアで中立的な立場を採ろうとしたために、日米との溝を深めることとなった。このように、反米左翼路線を邁進し続けたにもかかわらず、盧武鉉は、米国の侵略戦争であるイラク戦争に、派兵という形で協力した。しかも、その兵数は、約3600人で、米英に次ぐ規模であった。また、これに加えて、イラク再建のために2億6000万ドルの支援を行った。なぜ反米左翼のはずの盧武鉉が、米国の侵略戦争にこれほどまで加担したのだろうか。一般には、次のように解釈されている。</p>
<blockquote title="Source: 韓国はなぜイラクへ派兵をするのか ? ASIAPRESS NETWORK- FreeDB; Accessed Date: 4/22/2009" class="blockquote">
<p>盧武鉉（ノ・ムヒョン）大統領は、「（イラク派兵は）北朝鮮の核問題など、韓（朝鮮）半島の安保に重大な影響を与える懸念があり、これを解決しなければならないわれわれとしては、いつも以上に篤実な韓米関係が望まれる」（12月3日付け朝鮮日報）と、イラク派兵の最大の根拠は北朝鮮への抑止力としての米国との関係を維持、強化するためであることを明らかにしている。</p>
<p>韓国民には数百万人もの死傷者を出した朝鮮戦争はまだ記憶に生々しい。米国との同盟関係が損なわれた場合、在韓米軍の縮小、撤退などを招き、南北間の軍事的バランスが崩れることを怖れる人は少なくない。その不安感は戦争の体験者ばかりでなく、一般の国民の心にこびりついている。多くの人々は米国のイラク攻撃に「大義」はないと考えているものの、米国の派遣要請を断ることにはためらいがある。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［野中章弘：<a href="http://www.asiapress.org/free-db/archives/2003/12/16190641.html">韓国はなぜイラクへ派兵をするのか</a>］</div>
<p>たしかに、表向きの理由は、米韓同盟の強化であるが、これが本当の理由であったとは思えない。なぜならば、後に、盧武鉉は、自主国防のためと称して、米国に戦時作戦統制権の返還を要求したからだ。この要求は認められ、2012年4月に戦時作戦統制権が韓国に移管され、米韓連合司令部は解体され、半島における米軍のプレゼンスは大幅に縮小されることになった。盧武鉉は、「在韓米軍の縮小、撤退」を怖れていたどころか、自ら率先してそれを行ったのである。</p>
<p>朝鮮人の伝統的戦略を知らない者には、盧武鉉がやっていることは、矛盾しているように見えるだろうが、実は彼の政策は、計算された合理性に基づいており、首尾一貫している。盧武鉉が、「自ら死地に入って行った」米国の背中をポンと後押しして、米軍を泥沼の戦争から抜け出ることができないようにしたおかげで、米国は、朝鮮半島に余分な部隊を置けなくなり、盧武鉉の戦時作戦統制権返還要求を呑まざるを得なくなった。近い将来、韓国が自主国防を取り戻し、米国は、在韓米軍を縮小、撤退させなければならなくなったのだから、盧武鉉は、朝鮮半島の赤化統一という彼の野心の実現に向けて、大きな一歩を踏み出すことに成功したと言うことができる。</p>
<p>2007年に、米国下院外交委員会で、イラク派兵やイラク再建への資金援助など、韓国によるテロとの戦いへの参加に感謝する決議案が満場一致で通過した。オバマ大統領も、「韓国は米国の最も親密な同盟国の一つで、最も偉大なる友邦の一つ」［The Washington Post (2009/04/02) <a href="http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/02/AR2009040200595.html">Obama Discusses N. Korean Missile at G-20</a>］と褒めちぎっている。どうやら今の米国は、太平洋戦争時の日本と同様に、朝鮮人の伝統的戦略を理解していないようだ。これまでの朝鮮人の行動パターンから予測すると、将来、米国の覇権が崩壊し、朝鮮人が米国の支配から脱したら、彼らは、米帝が韓国人青年をベトナム戦争やイラク戦争に強制動員したとか、IMFを通じて韓国を経済植民地にして、韓国の資源を収奪したとかいったことを歴史教科書に書くだろう。そしてその時、米国は、韓国が「最も偉大なる友邦」という認識が間違いであったことに気がつくだろう。</p>
<h2>4. 所謂「かの国の法則」について</h2>
<p>ネット上では、かの国（Kの国＝韓国）と組むと、不幸（壇君の呪い）に見舞われ、身を滅ぼすという「かの国の法則」なるものが広く信じられている。例えば、2009年4月に草彅剛が公然猥褻罪で逮捕されると、彼が韓国語を学び、韓国の芸能界でも活躍していたことから、「法則発動」などと囁かれた。しかし、彼の韓国へのコミットと逮捕にはなんらの因果関係もないのだから、その意味では、「かの国の法則」は迷信であると言わなければならない。</p>
<p>しばしば「かの国の法則に例外はない」と言われるが、そんなことはない。例えば、白村江の戦いでは、朝鮮人国家である新羅と組んだ唐が、夫余系で、朝鮮系ではない百済の遺民と組んだ日本に勝った。文禄・慶長の役では、李氏朝鮮と組んだ明が日本に勝った。企業や個人に関しても例外はいくらでもある。だから、「かの国の法則」を盲目的に信じて、何にでもみだりに適用しようとすることはばかげている。</p>
<p>しかしながら、「火のないところに煙は立たぬ」で、こういう法則がまことしやかに語られるのは、それなりの理由があるからだと思う。私が本稿で提示した「朝鮮人の戦略」仮説が正しいとするならば、なぜ「かの国の法則」が成り立つのか、その根拠を合理的に説明することができる。朝鮮人は、属国民としての歴史が長く、宗主国に面従腹背で事大しつつ、自分に都合のよいように宗主国を手玉に取って、これを利用する術に長けている。だから、モンゴルや日本や米国といった、宗主国としての歴史が浅いナイーブな国は、朝鮮人の戦略に嵌められやすい。モンゴルが文永の役や弘安の役、日本が日中戦争や太平洋戦争、米国がベトナム戦争やイラク戦争といった、朝鮮人が積極的に参加した戦争を通して没落していったことは、偶然ではない。これに対して、中国は、宗主国としての長い歴史を持ち、属国の扱いも手慣れたもので、朝鮮人国家を併合したり、内政に深くかかわったりせずに、付かず離れず、適切な距離を保ちながら、これを支配してきた。漢民族への法則発動が少ないのは、このためであろう。</p>
<p>以上、朝鮮人の戦略について述べたが、朝鮮人の戦略は、朝鮮人にのみ特有の戦略というわけではなくて、戦争を望む右翼に共通して見られる戦略ではないかと考えている。本稿は既に十分長文になったので、これについては、次回改めて論じよう。</p>]]>
    </content>
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    <title>祭りとは何か</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/matsuri.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2009:/a//17.2484</id>

    <published>2009-03-11T06:29:45Z</published>
    <updated>2010-02-07T06:18:34Z</updated>

    <summary>ネット上で発生する祭りは、伝統的な祭りとどのような共通点を持つのか。２ちゃんねるで神と呼ばれるのはどのような人たちか。なぜ２ちゃんねるには「クマー」が出没するのか。２ちゃんねるでのフィールドワークを通...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="4_ethnology" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>ネット上で発生する祭りは、伝統的な祭りとどのような共通点を持つのか。２ちゃんねるで神と呼ばれるのはどのような人たちか。なぜ２ちゃんねるには「クマー」が出没するのか。２ちゃんねるでのフィールドワークを通して、祭りの民俗学的分析を行い、これらの問いに答えよう。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 祭りの本質を語源から考える</h2>
<p>「祭り」の語源は何であろうか。折口信夫は「祭（まつ）る」の語源を「たてまつる」に求め［折口信夫：古代研究，<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4124033494/n08-22">折口信夫全集 2</a>, p.399］、柳田国男は「まつらふ」に求めている［柳田国男: 日本の祭，<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4480750738/n08-22">柳田國男全集 13</a>，p. 386］ 。だが、「たてまつる」は「たつ」と「まつる」の合成語であり、「まつらふ/まつろふ」は、「まつる」に、継続を意味する「経（ふ）」という語尾を加えたもので、根源的な語源を示すものではない。根源的な語源ということであれば、「祭り」「祭る」の語幹である「まつ」と「待つ」との共通性に注目するべきだ。白川静は、「まつり」に関して、次のように解説している。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 字訓 新装普及版: 白川 静: 本; Accessed Date: 3/5/2009" class="blockquote"><p>神のあらわれるのを待ち、その神威に服することをいう。「待つ」と同源の語。祭酒を「待酒」という。まつりのことをまた「まち」「日まち」のようにいうところもある。</p></blockquote><div class="cite">［白川静：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4582128122/n08-22">字訓</a>，p.703］</div>
<p>祭りとは、神の出現を待つことである。では、神とは何か。ここでも、語源分析が手掛かりとなる。かつて「神（かみ）」の語源は「上（かみ）」と考えられていたこともあった。しかし、前者の「み」が乙音であるのに対して、後者の「み」が甲音であることから、現在では支持者は少ない。神の語源に関しては、定説はないが、日本語の「神」とアイヌ語の「カムイ」が同語源であることに異論を唱える人は少ない。そして、アイヌ語の「カムイ」には熊の意味もある。日本語でも、「かみ」と「くま」の間には密接な関係があるのではないか。</p>
<p>
一般的に言って、音韻の変遷において、子音は母音よりも変化しにくい。&#8220;kami&#8221;でも&#8220;k_m_&#8221;という子音の部分は変化せずに、母音の部分だけが変容を被ったと考えるなら、「かみ」と「くま」を同語源とみなすことに問題はない。そして、神と関連がある「くま」には、「隈」「熊」「奠」の三つがある。これらを順次解説しよう。</p>
<p>
まず「隈」であるが、これは現代でも「くまなく探す」などの表現で使われている。また、白川の解説を引用しよう。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 字訓 新装普及版: 白川 静: 本; Accessed Date: 3/5/2009" class="blockquote"><p>山や川ぞいの入りこんだみえにくいところ。そのようなところは、神の住む聖所とされることが多かった。</p></blockquote><div class="cite">［白川静：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4582128122/n08-22">字訓</a>，p.304］</div>
<p>古来より、日本には、死者は山中の異界、つまり地母神の胎内に回帰するという信仰がある。「山や川ぞいの入りこんだみえにくいところ」とは、地母神の女陰であり、あの世とこの世のを結ぶ通路と考えられていた。アイヌの人々が、地母神の女陰と観念していた山の隈から現れた熊を、異界から来た神の化身と考えたことは、ごく自然なことである。</p>
<div class="object_left"><blockquote title="Source: 【試行私考　日本人解剖】第３章　ルーツ　アイヌと縄文人（３） - MSN産経ニュース; Accessed Date: 3/5/2009"><img src="matsuri_iyomante.jpg" alt="江戸時代の絵師・平沢屏山が描いた「アイヌ熊祭図」（函館市中央図書館所蔵）" /></blockquote></div>
<p>いわゆるアイヌのイヨマンテとは、アイヌの人々が、山で狩って、上等の餌を与えて、生贄として1-2年大切に飼った小熊を屠って、肉を食べ、その霊魂を山奥の異界に送り返す祭りである［左図：<a href="http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/080211/acd0802111216002-p1.htm">アイヌ熊祭図</a>］。彼らにとって、神は霊魂であって、熊の肉や毛皮は、神が人間のために持ってきた土産である。だから、熊を屠ったときに神が現れるのであり、その神の出現を「待つ」ことが「祭り」なのである。</p>
<p>
アイヌのイヨマンテで屠られる生贄は、熊に限定されない。シマフクロウやシャチが生贄となることもある。日本本土では、新嘗祭に見られるように、米が供された。米に宿る神もまた、地中からこの世へと立ち現れ、食料という土産を私たちに届け、秋になると枯れて、地中に戻っていく。天皇が米を食し、その収穫に感謝しながら、神送りをし、来年の豊作を祈る新嘗祭は、アイヌのイヨマンテとよく似ている。かつての日本人は、米のような供え物を「奠（くま）」と言った。「供米（くまい）」や「米（こめ）」は、「神」と同様に、&#8220;k_m_&#8221;という子音の部分は変化せずに、母音の部分だけが変容を被っている「くま」と同系の語である。</p>
<p>
以上の語源分析から、祭りとは、隈に潜む熊などの奠を屠ることで神が顕現し、そして神があの世へと発っていくことを待つことだと言うことができる。これが祭りの根源的な意味であり、「たてまつる」や「まつろふ」はここから逆に説明される。「たてまつる」の「たつ」は「発つ」であり、神があの世へと発つことを待つという意味である。そして、「まつろふ」とは、祭りの儀式の反復を通じて、神威に服することである。</p>
<p>ところで、人々は、なぜ、以上のように定義された祭りを行う必要があるのだろうか。私は、その社会学的機能は、カタルシスにあると思う。この世が光の世界だとするならば、あの世は闇の世界である。隈は、この世から見たあの世との境界であり、隈から現れる熊や奠は、境界上の両義的存在である。この両方の世界に帰属する両義的存在者をあの世へと送り返し、境界を再設定し、両義的存在者によって増大したシステムのエントロピーを縮減する（つまりコミュニティの秩序を取り戻す）こと、これがカタルシスの機能である。</p>
<p>排除された両義的存在者は、いつも神と認知されるわけではなくて、節分の豆まきのときのように、鬼として認知される場合もある［<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/setsubun.html">なぜ節分に豆をまくのか</a>］。「鬼（おに）」は「陰＝隠（おぬ）」に由来し、その点では「隈」に由来する「神」とよく似ている。生贄を神に捧げることと鬼をスケープゴートとして排除することの違いを「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/victim.html">生贄とスケープゴートの違いは何か</a>」で述べたが、ここでは、どちらもカタルシス効果をもたらすという共通点を強調しよう。そして、より包括的に、祭りを、生贄を屠ったり、スケープゴートを排除したりすることによるカタルシス効果を待つセレモニーであると定義することにしよう。そして、この定義に基づいて、ネット上の祭りもまた、祭りであることを次に示そう。</p>
<h2>2. ネットにおける祭り</h2>
<p>ネット上でも「祭り」と呼ばれる現象が起きる。多くの人の顰蹙を買うような個人ないし団体の行為や発言が発覚すると、２ちゃんねる上にそれを報告するスレッドが作られ、それを非難する書き込みが増えてくると、祭りが始まる。以下の画像に見られるように、そうした平均投稿時速の高いスレッドを「祭り認定」する「<a href="http://www.2nn.jp/">２ちゃんねるニュース速報＋ナビ</a>」というサイトまである。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: 2NN ２ちゃんねるニュース速報＋ナビ - 2ch News Navigator; Accessed Date: 6/29/2008"><img src="matsuri_2nn.png" alt="ニュース速報" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">上図：２ちゃんねる史上最大の祭りとも言われている毎日新聞変態報道祭りでの「<a href="http://www.2nn.jp/">２ちゃんねるニュース速報＋ナビ</a>」のキャプチャー画像。英字新聞『毎日ディリーニューズ』が、9年以上にわたって、日本人に対する誤解を招くような記事を配信していたということで祭りになり、毎日新聞は、名誉毀損で訴えると脅して祭りを沈静化しようとしたが、それがさらに「燃料」を投下することになった。</div>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: 2NN ２ちゃんねるニュース速報＋ナビ - 2ch News Navigator; Accessed Date: 6/29/2008"><img src="matsuri_threads.png" alt="ニュース速報" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">上図：祭りがヒートアップすると、このように、時速5000レス以上という猛スピードで次々に書き込みがなされるようになる［同上］。</div>
<p>祭り上げられた生贄は、個人情報やさらなる問題発言・問題行為が暴露されたり、周辺にいる関係者への「突撃」が行われたりして、大きなダメージを受ける。毎日新聞の場合、ボイコット運動の広がりのおかげで、一時サイトからスポンサーがすべて姿を消したこともあった。</p>
<p>こうした祭りは、伝統的な祭りと同様に、カタルシスを目的としている。祭りの対象となるのは、コミュニティのエントロピーを増大させていると認定された境界上の両義的存在者である。毎日新聞のように、売国的な言動をしているとみなされたものは、格好のスケープゴートとなる。裏切り者は、内にして外という両義性を帯びるので、コミュニティは、この両義的存在者を血祭りにして、システムの外部へと追放しようとするのである。</p>
<h2>3. なぜブログは「炎上」するのか</h2>
<p>ブログに顰蹙を買うようなことを書くと、それに対する非難のコメントが殺到することがある。この現象は、ブログ炎上と呼ばれ、しばしば祭りに付随して起きる。ブログが普及する以前の、パソコン通信によるフォーラムが盛況であった時代にも、感情的なメッセージは「フレーム(炎)」と呼ばれ、フレームによってフォーラムが荒れることは「火がつく」と呼ばれていた。ネット上では、なぜこのような火のメタファーが使われるのであろうか。</p>
<p>もちろん「怒りに燃える」といった表現に見られるように、火は怒りのメタファーとしてよく使われるのだが、私は、それに加えて、火が伝統的な祭りにおいて重要な役割を果たしていることに注目したい。火による加熱は、最も古典的かつ代表的な殺菌方法であり、それゆえ、古来、人々は、穢れを清める際に火を用いた。火はまた、暗闇を照らす照明としても使われていたので、&#8220;光＝この世の秩序&#8221;を取り戻す手段として使われた。</p>
<p>日本のみならず、海外においても、火祭りは広く見られる。フランスの聖ヨハネ祭では、ルイ13世が勅令で禁止するまで、猫を生きたまま袋に詰めて、燃えさかる火の中に投げ込むという、古代の異教から受け継がれた供儀が行われていた［浜本 隆志, 柏木 治: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4750316946/n08-22/">ヨーロッパの祭りたち</a>, p.165］。中世の魔女狩りでは、魔女の嫌疑をかけられた女性たちが火あぶりになったが、これもキリスト教というよりもそれ以前から存在した古代の異教の風習によるものと考えられる。ネット上でも、穢れを清めるために、炎上と呼ばれるスケープゴーティングが行われていると解釈できる。</p>
<h2>4.「待つ」こととしての「祭り」</h2>
<p>私は、「祭り」をカタルシスを「待つ」ことと定義したが、２ちゃんねるには、以下のような、祭り上げる獲物を「待つ」様子を描いた定番のAA（アスキー・アート）がある。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: 【政治】「本当なのか」　民主・小沢代表の地元にも衝撃走る; Accessed Date: 3/4/2009"><img src="matsuri_mada.png" alt="【政治】「本当なのか」　民主・小沢代表の地元にも衝撃走る" /></blockquote></div><div class="caption_bottom">上図：民主党の小沢代表の公設秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された時に投稿された「小沢逮捕」を期待して待つAA［<a href="http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1236081048/">２ちゃんねる</a>］。</div>
<p>戦後の貧しい時代には、子供たちが、「愛媛みかん」などと書かれた木箱を食卓にし、空っぽの食器を箸で打ち鳴らし、「腹減った！飯食わせ！」と大合唱したものだが、飽食の現代にあっては、このような光景は見られなくなった。代わって、ネットで見られるようになったのは、スケープゴートを求めて飽くことのない大衆たちの欲望を示したこのAAである。このAAは、現在では、より短く、</p>
<p class="note">...ﾏﾀﾞｰ？|＿|＼（＼・∀・）ﾁﾝﾁﾝ</p>
<p>あるいは</p>
<p class="note">...ﾏﾀﾞｰ？（･∀･)っ/凵⌒☆ﾁﾝﾁﾝ</p>
<p>と書かれることもある。待っていたことが起きると、２ちゃんねらーは、</p>
<p class="note">ｷﾀ━━━━━━(ﾟ∀ﾟ)━━━━━━ !!!!</p>
<p>と叫んで喜ぶ。これは「神降臨などのとき感動をあらわす言葉」［<a href="http://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%A4%AD%A1%E4#i20">２典</a>］とされている。逮捕の場合は、</p>
<p class="note">ﾀｲ━━━━||Φ|(|ﾟ|∀|ﾟ|)|Φ||━━━━ﾎ!!!!!</p>
<p>と書かれることもある。逮捕された人が喜んでいるのは奇妙だが、逮捕された対象へと、それを喜んでいる２ちゃんねらーの魂が乗り移ったエクスタシー (脱魂) の瞬間のAAと解釈すれば、理解できる。</p>
<h2>5. どのような人が２ちゃんねるで神認定されるのか</h2>
<p>２ちゃんねるでは、通常の祭りにおいてと同様に、カタルシスをもたらしてくれる存在者は、神と呼ばれる。だが、スケープゴートは神とは呼ばれない。もしも毎日新聞が、ネットでのボイコット運動が原因で倒産したとしても、毎日新聞が神と崇められることはないだろう。神と呼ばれるには、犠牲となる生贄に対して、祭りの執行者たちが何らかの自己同一性を感じていなければならない。</p>
<p>伝統的に、日本では、高貴な身分の者が、濡れ衣を着せられ、恨みを抱きながら不本意な死を遂げた時、人々は、その怨霊を鎮魂するために、彼を神として祭る。極悪人は、人々の同情の対象にはならないので、神として崇められない。２ちゃんねるにおいても、神認定されるのは、２ちゃんねらーにとって同情の対象となるような犠牲者である。犠牲になった「同志」を神のように崇める定番のAAとして、こういうのがある。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: ２ちゃんねる掲示板へようこそ; Accessed Date: 3/8/2009"><img src="matsuri_mucha.png" alt="無茶しやがって" /></blockquote></div><div class="caption_bottom">上図：星となった特攻隊員に「無茶しやがって」と言いながら敬礼する２ちゃんねらーたちを描いたAA［<a href="http://www.2ch.net/">２ちゃんねる</a>］。</div>
<p>無名の２ちゃんねらーでも、英雄的な行為で自己を犠牲にすると神になれるが、やはり有名人のほうが神になりやすい。２ちゃんねるで神になった代表的な人物に田代まさしがいる。田代まさしは、2000年9月に女性の下着を盗撮しようとして、東京都迷惑防止条例違反で書類送検となった後、2001年12月に、男性が入っていた風呂場を覗き、現行犯で逮捕された。後者の現行犯逮捕のニュースは、２ちゃんねるで大いに話題となり、田代を『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」にして、神格化しようと、２ちゃんねらーたちによって、同誌が行っていたオンライン投票に大規模な動員がなされ、結果として田代が圧倒的な票でトップになった、いわゆる「田代祭」が起きたりした。田代も、自分が神と呼ばれていることを強く意識しているらしく、現在の彼の公式サイト/ブログのタイトル画像には、「ネ申降臨」と大書されている。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://www.tashiromasashi.com/" title="Source: 田代まさし公式サイト; Accessed Date: 10/30/2008"><img src="matsuri_tashiro.png" alt="Masashi Tashiro" /></blockquote></div><div class="caption_bottom">上図：まるで神のように後光が射し、「ネ申降臨」と大書されている田代まさしの公式サイトのタイトル画像。<a href="http://tashiromasashi.seesaa.net/">田代まさしブログ</a>でも同じような画像が使われている。［<a href="http://www.tashiromasashi.com/">田代まさし公式サイト</a>］</div>
<p>田代ほどではないが、2004年4月にエコノミストの植草一秀が女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとして逮捕された時にも、２ちゃんねらーは彼を神と呼んだ。</p>
<p>田代まさしも植草一秀も、覗きスキャンダルでテレビの画面から姿を消したのだから、象徴的な意味で殺されたといってよい。これらの屠られた生贄が神と呼ばれたということは、祭りを行っている２ちゃんねらーは、彼らに何らかの自己同一性を感じたということである。おそらく、祭りを行っている２ちゃんねらーが、覗きが原因で社会的に抹殺される人に対して同情的であるのは、彼らと覗きの性癖を共有しているからであろう。事実、スケープゴートの実名や住所を暴露し、顔写真や自宅の写真をアップロードして、丸裸にして楽しむという彼らの行為は、一種の覗き趣味に基づいている。祭りを行っている２ちゃんねらーが田代を神と崇めるのは、田代を、星となって昇天した、覗きの大先輩と感覚しているからだろう。</p>
<h2>6. なぜ２ちゃんねるには「クマー」が出没するのか</h2>
<p>２ちゃんねるでは、以下のような「クマー」と呼ばれるAAをよく見かける。2004年の秋に、熊が人里に出没するニュースが話題となったとき、盛んに下の図の左にあるようなAAが貼られたが、そのニュースが話題にならなくなった今でも、下の図の右にあるような、餌で釣り上げられる熊というテーマでよく使われる。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: クマー！！; Accessed Date: 3/9/2009"><img src="matsuri_kuma.png" alt="クマ──！！" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">左図：「クマー」出現のAA。右図：釣りレスに対して「そんな餌に俺様が釣られクマー」と言いながら、釣られて引きずり出される「クマー」のAA。［<a href="http://dokoaa.com/kuma.html">クマー！！</a>］</div>
<p>既に、「神」の語源分析で示したように、「かみ」と「くま」は同系統の語である。だから、熊出現は、神降臨と等値である。もちろん、そうした「神」や「熊」についての民俗学的ないし語源的な知識のある２ちゃんねらーは少ないだろうし、中にはアイヌの熊祭についてすら知らない人もいるかもしれない。だが、たとえ学問的な知識がなかったとしても、古代から続く日本人の祭りに対する感覚が、ネットスラングの選定においても無意識のうちに働いているということはありうる。</p>
<p>多くの２ちゃんねるの閲覧者は、無名かつ匿名の一般人で、いわば、彼らは、隈に隠れた熊である。そんな熊が、餌に釣られ、白日のもとに我が身を晒す時がある。実際、これまでに、多くの２ちゃんねらーが、祭りの際に釣られて、名誉棄損、脅迫、威力業務妨害、著作権法違反、迷惑防止条例違反などの理由で逮捕されたり書類送検になったりした。彼ら、彼女らは、仲間から「無茶しやがって」と言われながら、神になっていく。これは、アイヌの熊祭の現代版である。</p>
<p>祭りを行っている２ちゃんねらーには覗き趣味があると書いたが、窃視症と露出症には高い相関性があって、一般に言って、覗くことが好きな人は、露出するのも好きである［<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/voyeurism.html">覗く快楽と覗かれる快楽</a>］。２ちゃんねるは、匿名掲示板ということもあって（本当は完全に匿名というわけではないのだが）、祭りの実行人たちは、普段、慎み深く包み隠しているものを、ネット上で露出する。露出が行き過ぎて、御用となることがしばしばあるのだが、それは祭りの失敗ではなくて、それ自体が祭り上げられる対象となって、祭りを盛り上げていく。</p>
<h2>7. 祭りから司法2.0へ</h2>
<p>古来、日本では、祭りで犠牲者が出ても、それは神の成せる業として許容されてきた。諏訪大社の御柱祭りで死者が出ても、岸和田だんじり祭で家屋が損壊しても、苦情を言う人はいなかった。しかし、現代の日本は、政教分離の法治国家であり、祭りだからといって、人権侵害が許容されるわけではない。警察によるネット上の祭りに対する取り締まりも厳しくなってきた。例えば、2009年2月には、タレントのスマイリーキクチのブログを炎上させた祭りの執行人たち19人が、名誉棄損や脅迫容疑で書類送検となった。</p>
<p>祭りをやっている人の中には、悪人を懲らしめるために、正義感からやっていると言う人もいるだろう。しかし、日本の法律はリンチ（私刑）を禁止しており、動機が正義感だからといって、違法行為が容認されるわけではない。さらに、ネット上で祭りをやっている人たちの大部分は、伝統的な祭りの参加者と同様に、祭りをエンタテイメントとして楽しんでいる。エンタテインメントとしてのリンチへと堕落した祭りは、警察によって取り締まられてしかるべきである。</p>
<p>他方で、私は、たんに祭りを警察権力によって弾圧するだけでよいとも考えていない。ネット上で台頭してきた祭りのパワーを司法の民主化に取り入れることで、エンタテインメントとしてのリンチへと堕落した祭りを司法2.0へと昇華させるべきではないだろう。実は、司法の民主化は、現在、裁判員制度の導入などの形で、強化が試みられている。一方で、無報酬でかつ犯罪者になるリスクまである祭りに多くの人が殺到し、他方で、日当がもらえるのにもかかわらず、辞退希望者が多い裁判員制度との間にあるギャップを何とか解消したいところだ。</p>
<p>現在日本で行われている裁判員制度は、多くの問題を抱えているので、支持することはできない。だからといって、ネット上の祭りにそのまま公権力を付与するなどということは、もちろんできない。司法において公平性と民意の反映の両方を実現するにはどうすればよいかに関しては、私独自のアイデアがあるのだが、これに関してはまた別の機会に詳述することにしたい。</p>
]]>
    </content>
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    <title>サブプライム問題はなぜ起きたのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/subprime.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2009:/a//17.2482</id>

    <published>2009-01-25T06:50:42Z</published>
    <updated>2010-03-15T02:55:19Z</updated>

    <summary>2009年1月20日、バラック・オバマが米国大統領に就任した。共和党の市場経済万能主義的な経済政策のおかげでサブプライム問題が発生したので、この世界恐慌以来の経済的危機を、世界恐慌の時と同様のニューデ...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="6_economics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>2009年1月20日、バラック・オバマが米国大統領に就任した。共和党の市場経済万能主義的な経済政策のおかげでサブプライム問題が発生したので、この世界恐慌以来の経済的危機を、世界恐慌の時と同様のニューディール政策によって克服する必要性が生じ、このため、米国の有権者は、小さな政府を理想とする共和党政権に代わって、大きな政府を理想とする民主党政権を選んだというのが大方の解釈であるが、この解釈は正しいのか。検証してみよう。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 民主党政権誕生に対する二つの誤解</h2>
<p>2008年11月4日に米国の大統領選挙で、民主党候補のバラック・オバマが共和党候補のジョン・マケインを破って、第44代大統領に当選した。この時によく耳にした解説は、以下のような類のものである。</p><blockquote title="Source: livedoor ニュース - オバマ大統領誕生で米国民は市場原理主義に「Ｎｏ！」＝日本の原理主義者はどう答える; Accessed Date: 1/17/2009" class="blockquote"><p>　共和党のブッシュ政権が市場原理主義を至上のものとし「小さな政府」の運営を続けた結果、マネーゲームが横行し拝金主義が蔓延（まんえん）した。そしてリーマンブラザーズの倒産に象徴される市場万能主義の破たんが生じた。狂乱の宴のあとに残されたのが極端なまでの格差社会という荒涼とした光景であった。</p>
<p>　11月４日、米国民は市場原理主義の「小さな政府」より政府の大幅な関与を打ち出したオバマ候補の「大きな政府」を選択した。マケイン候補は選挙期間中、オバマ氏の当面の危機を脱するため「大きな政府」を前提とする経済政策に対して、「それはまるで社会主義だ」と激しく攻撃した。米国民にとって「社会主義」という言葉は、建国の精神から言っても本能的に拒絶反応を起こす言葉である。しかし2008年の米国民は「市場原理主義」よりマケイン候補が攻撃する「社会主義」を選択したのである。</p>
<p>　米国を席捲（せっけん）した暴力的なまでの市場原理主義の行き過ぎに対し、国民ははっきりと「No！」という回答を突きつけたのである。 </p>
</blockquote><div class="cite">［野田 博明：<a href="http://news.livedoor.com/article/detail/3890615/">オバマ大統領誕生で米国民は市場原理主義に「Ｎｏ！」＝日本の原理主義者はどう答える</a>，livedoor ニュース］</div>
<p>今回の大統領選挙では、投票日が近づくにつれて、有権者の関心が経済問題に集まったというのは事実である。しかしながら、サブプライム問題に端を発する金融危機が、共和党の市場原理主義的な「小さな政府」の経済政策によって惹き起こされ、そのために、米国民は、この問題を解決するために、社会主義的な「大きな政府」の経済政策を掲げるオバマを次期大統領に選んだとというこのライブドア・パブリック・ジャーナリストの解釈はいかがなものだろうか。</p>
<p>私が見るところ、現在よく耳にするこの通俗的解釈は、以下の二つの誤解に基づいている。</p>
<ol>
<li>共和党政権は小さな政府で、民主党政権は大きな政府である。</li>
<li>サブプライム問題は、自由放任的な経済政策が原因で起きた。</li>
</ol>
<p>この二つの常識が間違いであることを、以下に示そう。</p>
<h2>2. 共和党は米国を大きな政府にした</h2>
<p>米国の共和党は、レーガン以来、小さな政府を理想とする市場原理主義の政党であるというのが世間の常識<sub>［ｄ］</sub>であるが、レーガンの経済政策、いわゆるレーガノミックスは、そうした常識とは異なるものである。たしかに、レーガンは、減税を実行したが、それと同時に、政府の歳出をも削減しなければ、本当の意味で、小さな政府を実現することにはならない。ところが、レーガンは、国防予算を増額させることで、政府の支出を増やしてしまった。レーガノミックスのおかげで米国経済は一時的に良くなったが、それは、当初レーガンが考えていたようなサプライサイドの経済政策によるものではなくて、ケインズ的な財政政策によるものであった。</p>
<div class="note"><p>[d]レーガンは、この他、規制緩和を積極的に推進したと一般に思われているが、規制緩和に熱心に取り組んだのは、レーガン共和党政権の前のカーター民主党政権であり、レーガン本人は、規制緩和に対しては、カーターほど積極的ではなかった。</p></div>
<p>レーガン以降のブッシュ親子による共和党政権についても同じことが言える。「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/bush.html">ブッシュはなぜ戦争を始めたのか</a>」で既に述べたように、共和党政権は、小さな政府という建前とは裏腹に、軍産複合体と癒着し、デフレになると、それを戦争によるインフレ効果で克服しようとする、その意味では、公共事業依存型の大きな政府を志向している政権なのである。</p>
<p>もしも本当に、共和党は小さな政府を、民主党は大きな政府を目指しているのであれば、共和党政権下では財政支出は減少し、民主党政権下では、財政支出は増大するはずなのだが、以下のグラフを見ても、そうした関係は見出されない。むしろ、逆に、共和党政権下では財政支出の対GDP比率は増大し、民主党政権下では、減少している。</p>
<div class="object_top"><img src="subprime_us_spending.gif" alt="米国の財政支出の対GDP比率の推移" /></div><div class="caption_bottom">図1　米国の財政支出の対GDP比率（百分率）<br />
［データの出所：<a href="http://usgovernmentspending.com/downloadsrs_gs.php">Government Spending in the United States</a>］</div>
<p>もちろん、私は、共和党政権は大きな政府で、民主党政権は小さな政府であると言うつもりはない。次のオバマ民主党政権では、おそらく、財政支出の対GDP比率は上昇することだろう。財政支出の対GDP比率は、その時々の経済環境に依存し、必ずしも実権を握った政党によってのみ決まるわけではない。しかし、このデータだけを見ても、共和党政権は小さな政府で、民主党政権は大きな政府という対比がおかしいということがわかるであろう。</p>
<p>オバマの大統領就任演説を見てもわかるように、彼は、「小さな政府」対「大きな政府」、「市場原理主義」対「社会主義」という対立軸の中に自分を位置づけているわけではない。</p><blockquote title="Source: Barack Obama and Joe Biden: The Change We Need | Obama HQ Blogger: President Barack Obama's Inaugural Address; Accessed Date: 1/21/2009" class="blockquote">
<p class="western">The question we ask today is not whether our government is too big or too small, but whether it works - whether it helps families find jobs at a decent wage, care they can afford, a retirement that is dignified.</p>
<p>我々が今日立てるべき問いは、政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、政府が機能するか否かである。すなわち、家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、医療サービスを受けたり、立派な退職資金を手に入れたりすることの助けに政府がなるかどうかだ。</p>
<p>［...］</p>
<p class="western">Nor is the question before us whether the market is a force for good or ill. Its power to generate wealth and expand freedom is unmatched, but this crisis has reminded us that without a watchful eye, the market can spin out of control - and that a nation cannot prosper long when it favors only the prosperous.</p>
<p>我々が立てるべき問いは、また、市場が良い力か悪い力かというものでもない。富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。だが、今回の危機は、監視がなければ市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。</p>
<p class="western">The success of our economy has always depended not just on the size of our Gross Domestic Product, but on the reach of our prosperity; on our ability to extend opportunity to every willing heart - not out of charity, but because it is the surest route to our common good.</p>
<p>我々の経済の成功は、これまでずっと、たんにGDPの大きさにではなくて、繁栄の裾野の広さに、すなわち、すべてのやる気のある人に機会を広げる能力に基づいていた。それは慈善心からそうするのではなく、それが公共の利益を実現する最も確実な方法だからだ。</p></blockquote><div class="cite">［Barack Obama: <a href="http://my.barackobama.com/page/community/post/stateupdates/gGxHZR">President Barack Obama's Inaugural Address</a>］</div>
<p>しかるに、評論家の中には、共和党政権は大きな政府で、民主党政権は小さな政府という先入見に基づいて、米国民がマケインではなくてオバマを選んだのは、第二のフーバーであるブッシュの続きをやりそうなマケインよりも、オバマの方が、第二のルーズベルトとして、ニューディールをやってくれそうだからだといった論評を行うものが少なくない。例えば、ジャーナリストの田原総一郎は、次のように言っている。</p><blockquote title="Source: 今、日米が求める人物像は 「大恐慌時代のルーズベルト」 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉; Accessed Date: 1/18/2009" class="blockquote"><p>　金融混乱が高まって、オバマ氏の人気が逆転したということは、明らかにマケインやブッシュにフーバーを見て、オバマにルーズベルトを求めているんだと思う。</p>
<p>　つまり自由主義経済の原則ではなくて、公共事業を中心いろいろなことをやってくれるオバマ氏を求めているのだ。</p></blockquote><div class="cite">［田原総一朗：<a href="http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081023/106865/?P=3">今、日米が求める人物像は 「大恐慌時代のルーズベルト」</a>，<a href="http://www.nikkeibp.co.jp/jihyo/">時評コラム，日経BPネット</a>］</div>
<p>田原は、たんなる評論家ではなくて、自分の意見に基づいて、政治を動かそうとするから厄介である。田原は、90年代の日本をダメにした経済政策の提唱者であるリチャード・クーをサンデー・プロジェクトに出演させて、世論を積極財政の肯定に導こうとしたり、「バラマキで何が悪い」と開き直って、与党の大物政治家たちから、公共事業の拡大と赤字国債の増発の言質をとろうと誘導尋問をしたりしていた。</p>
<p>ところで、田原は、どのような公共事業が最も効果的であると考えているのだろうか。先ほどの引用箇所に続けて、田原は次のように言っている。</p><blockquote title="Source: 今、日米が求める人物像は 「大恐慌時代のルーズベルト」 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉; Accessed Date: 1/18/2009" class="blockquote"><p>　実はルーズベルトのニューディール政策も完全に成功したわけではない。誤解をされるかもしれないが、あえて言うと、こういう大不況が襲ったとき、ヒューマニズムとか人道主義とか、善悪をすべて考えないで言えば、戦争が一番効果的だ。</p>
<p>　現に歴史的には、必ずこういう不況下で戦争が起こっている。第二次世界大戦があったから、アメリカの景気はよくなった。ヒューマニズムとか善悪を抜きにして言えばの話だが、戦争というのは、いってみれば最も効率のいい大きな公共事業のようなものなのだ。</p>
<p>　まず、多くの国を巻き込める。それから戦争が始まると、飛行機や戦闘機や戦車などいろいろなものを生産する。ところが生産したものがどんどん壊れていく。だから在庫がまったくない状況だ。そういう意味では理想的とも言える。</p></blockquote><div class="cite">［田原総一朗：<a href="http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081023/106865/?P=4">今、日米が求める人物像は 「大恐慌時代のルーズベルト」</a>，<a href="http://www.nikkeibp.co.jp/jihyo/">時評コラム，日経BPネット</a>］</div>
<p>私も、「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/new_deal.html">ニューディールは成功したのか</a>」で、ルーズベルトのニューディール政策は、第二次世界大戦に参加したことで、真に実現されたとという解釈を示した。もしも田原が、戦争をリフレのための公共事業として認識しているのならば、そしてニューディールを財政均衡政策から積極財政によるリフレ政策への転換と解釈しているのであれば、クリントン政権末期に生じた、ドットコムバブル崩壊によるデフレを克服するべく、クリントン時代の財政健全化政策を放棄して、「テロとの戦い」という大義名分の下、大規模な公共事業を行ったブッシュは、まさにフーバーではなくて、ルーズベルトということになるのではないか。田原は、しかし、そうは考えない。それは、共和党政権は小さな政府で、民主党政権は大きな政府という先入見に囚われているからである。</p>
<h2>3. サブプライム問題は政府の失敗である</h2>
<p>次に、本題であるサブプライム問題について考察しよう。ここでサブプライム問題と呼んでいるのは、サブプライム・ローンが不良債権化したことで起きた金融問題のことである。サブプライム・ローン（subprime lending）とは、低所得者など、債務履行の信頼度が低い借り手に対する貸付のことである<sub>［ｓ］</sub>。債務履行の信頼度が高い優良顧客への貸出金利&#8220;prime rate（最良金利）&#8221;よりも金利が高く、債券価格が低いという意味で&#8220;subprime mortgage（準優良抵当）&#8221;と名付けたのが、語源とされている。</p>
<p class="note">[s]日本では、｢サブプライムローン」という表現が一般的であるが、グーグルで検索すると、&#8220;subprime lending&#8221;が&#8220;subprime loan&#8221;の倍以上ヒットするので、後者よりも前者の方がポピュラーであるようだ。だから、本来は、「サブプライム貸付」とでも訳すべきなのだろうが、ここでは慣例に従う。日本語では、ローンという言葉は、貸金よりも借金という意味で使われるが、英語では&#8220;loan&#8221;は&#8220;lend&#8221;と同様、「貸す」という意味であることに留意されたい。</p>
<p>普通の民間金融機関が、返す見込みの少ない低所得層に巨額の融資を行うといったことが、レッセ・フェールの市場経済で、大規模に自然発生するなどということはありそうにないということぐらい、少し考えればわかりそうなものだが、多くの人は、ブッシュ共和党政権が、市場経済を自由放任した結果、サブプライム問題が自然発生したと考えている。しかしながら、サブプライム問題の発端を作ったのは、ブッシュ共和党政権ではなくて、クリントン民主党政権であり、しかも、それは、市場の自由放任ではなくて、政府による市場介入によって発生した。</p>
<p>クリントンは、低所得者にもマイホームを提供しようというリベラルな動機から、ファニーメイ（連邦住宅抵当公社）とフレディマック（連邦住宅貸付抵当公社）という政府系住宅金融会社に圧力をかけて、返済能力の低い人たちへの貸し出しを増やさせようとした。</p>
<blockquote title="Source: How HUD Mortgage Policy Fed The Crisis - washingtonpost.com; Accessed Date: 1/17/2009" class="blockquote">
<p class="western">In 1995, President Bill Clinton's HUD agreed to let Fannie and Freddie get affordable-housing credit for buying subprime securities that included loans to low-income borrowers. The idea was that subprime lending benefited many borrowers who did not qualify for conventional loans.</p>
<p>1995年に、ビル・クリントン大統領時代の住宅都市開発省は、ファニーメイとフレディマックに、低所得者の借り手に対するローンを含むサブプライム証券を購入することで住宅を入手可能にする貸付を行わせることに同意した。サブプライムローンは、通常のローンを受ける資格のない多くの借り手にとって利益になるという発想であった。 </p></blockquote>
<div class="cite">［Washington Post: <a href="http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/06/09/AR2008060902626.html">How HUD Mortgage Policy Fed The Crisis</a>］</div>
<p>二社のうち、ファニーメイは、大恐慌時代の1938年に、フランクリン・ルーズベルトが、停滞する不動産市場を活性化させるために、ニューディール政策の一環として設立した政府系金融機関である。1970年には、抵当市場をさらに活性化させるために、フレディーマックが新設された。両社とも、1995年までは、堅実な融資を行っていたが、クリントン政権時代、政権の高官が両者の最高幹部に任命され、クリントン政権の意向で、低所得者へのリスキーな貸し出しを積極的に行うようになった。</p>
<p>両社のなかでも政治との癒着が酷かったのは、ファニーメイで、クリントン政権があまりにもサブプライムローンに力を入れさせるので、ニューヨークタイムズは、1999年に、それが将来金融危機の火種になることを警告していた。以下の記事は、サブプライム問題が深刻化し、ファニーメイに公的資金が注入される2008年よりも9年も前に書かれた記事である。</p>
<blockquote title="Source: Fannie Mae Eases Credit To Aid Mortgage Lending - New York Times; Accessed Date: 1/17/2009" class="blockquote"><p class="western">Fannie Mae, the nation's biggest underwriter of home mortgages, has been under increasing pressure from the Clinton Administration to expand mortgage loans among low and moderate income people and felt pressure from stock holders to maintain its phenomenal growth in profits.</p>
<p>住宅抵当の国内最大の引き取り手であるファニーメイは、中低所得者向けの抵当ローンを拡充するようにとクリントン政権からますます圧力をかけられるようになり、また、驚異的な収益増大を維持しろという株主からの圧力を感じるようになった。</p>
<p> ［...］ </p>
<p class="western">In moving, even tentatively, into this new area of lending, Fannie Mae is taking on significantly more risk, which may not pose any difficulties during flush economic times. But the government-subsidized corporation may run into trouble in an economic downturn, prompting a government rescue similar to that of the savings and loan industry in the 1980's.</p>
<p>たとえ、試験的であるにしても、この［サブプライムという］新しい貸し出し領域に足を踏み込むことで、ファニーメイは、とてつもなく大きなリスクを取り始めた。景気が良いうちは問題が生じないかもしれない。しかし、この政府から補助金をもらっている企業［ファニーメイ］は、不況になると危機に直面し、1980年代の貯蓄貸付業界がそうしたように、政府による救済を求めることになるかもしれない。</p></blockquote>
<div class="cite">［New York Times: <a href="http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0DE7DB153EF933A0575AC0A96F958260">Fannie Mae Eases Credit To Aid Mortgage Lending</a>］</div>
<p>以下の図2は、サブプライムローンの年間総額と抵当市場全体におけるその割合を示しているが、ここから、サブプライムローンが、クリントン政権の政策により、1998年頃から急増したが、2000年にドットコムバブルが崩壊すると、伸び悩み、サブプライムローンが抵当市場に占める割合が一時減ったことがわかる。</p>
<div class="object_top"><img src="subprime_bbc.png" alt="BBC NEWS Business The US sub-prime crisis in graphics" /></div><div class="caption_bottom">図2（左図）サブプライムローンの年間総額（棒グラフ、単位は十億ドル）と抵当市場における割合（折れ線グラフ、単位はパーセント）、図3（右図）抵当債券（薄い茶色、単位は十億ドル）と政府保証債が占める割合（濃い茶色）［BBC: <a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/7073131.stm">The US sub-prime crisis in graphics</a>］</div>
<p>以下の図4は、米国の住宅価格指数を示している。2002年に3指数とも、上昇率が一時的な落ち込みを示しており、もしもこのとき政府が、政府系金融機関によるサブプライムローンを抑制していたならば、それによって作り出された住宅バブルは、規模が小さい早期の段階で崩壊し、そのダメージは、実際のものよりもずっと小さなものですんでいたことであろう。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: Standard &amp; Poor's - Home; Accessed Date: 1/22/2009"><img src="subprime_home_price.png" alt="Standard &amp; Poor's" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">図4　全米（太い実線）、10都市（細い実線）、20都市（点線）での住宅価格指数の対前年比の推移。［<a href="http://www2.standardandpoors.com/portal/site/sp/en/us/page.home/home/0,0,0,0,0,0,0,0,0,0,0,0,0,0,0,0.html">Standard &amp; Poor's</a> (2007) <a href="http://www2.standardandpoors.com/spf/pdf/index/CSHomePrice_Release_112766.pdf">The S&amp;P/Case-Shiller&#174; U.S. National Home Price Index Posts a Record Annual Decline in the 3rd Quarter of 2007</a>］</div>
<p>ところが、2001年に発足したブッシュ政権は、サブプライムローンを抑制するどころか、逆に税制上の優遇措置や財政支援によりサブプライムローンを後押しした。ブッシュは、2002年に、次のような演説で、住宅ローンの支払い利子の税控除や頭金支払いへの補助金支給といったサブプライムローン推進政策を正当化している。</p>
<blockquote title="Source: President Calls for Expanding Opportunities to Home Ownership; Accessed Date: 1/21/2009" class="blockquote"><p class="western">Too many American families, too many minorities do not own a home. There is a home ownership gap in America. The difference between Anglo America and African American and Hispanic home ownership is too big.</p>
<p> あまりにも多くのアメリカの家族が、あまりにも多くのマイノリティーが自宅を所有していません。アメリカには、自宅所有率に格差があります。アングロ系アメリカ人とアフリカ系/ヒスパニック系アメリカ人との間にある自宅所有率の格差はあまりにも大きすぎます。</p>
<p>［...］</p>
<p class="western">And so by the year 2010, we must increase minority homeowners by at least 5.5 million. In order to close the homeownership gap, we've got to set a big goal for America, and focus our attention and resources on that goal.</p>
<p>そこで、2010年までに、私たちは、マイノリティーの自宅所有者を、少なくともあともう550万世帯増やさなければなりません。自宅所有の格差を是正するために、アメリカは遠大な目標を掲げ、私たちの注意と資源をこの目標達成のために集中しなければなりません。</p></blockquote>
<div class="cite">［White House: <a href="http://web.archive.org/web/20080306163510/http://www.whitehouse.gov/news/releases/2002/06/20020617-2.html">President Calls for Expanding Opportunities to Home Ownership</a>］</div>
<p>ブッシュは共和党の政治家だから、きっと弱肉強食の自由競争と格差社会を放置するコチコチの市場原理主義者にちがいないという先入見を持っている人もいるかもしれない。しかし、実際には、共和党の政治家も、有権者のごく一部に過ぎない金持ちを優遇するだけでは多数の票が取れないので、こうした低所得のマイノリティーの歓心を買う人気取り政策もしているのである。</p>
<p>米国では、アフリカ系・ヒスパニック系の貧困層が都市のスラム街にある集合住宅に住んでいるのに対して、白人の富裕層は郊外の一戸建て住宅に住むという傾向がある。その結果、郊外の富裕層の子供と都心の貧困層の子供は校区が別になり、別の教育を受けることになる。米国では、教育の内容は学区ごとにまちまちであり、教育予算が固定資産税で賄われるために、地域の地価の格差によって教育の質が大きく異なる。だから、住居格差が教育格差、就職格差、賃金格差につながり、貧富の格差の再生産と固定化をもたらしている。クリントンやブッシュが低所得のマイノリティたちに一戸建ての住宅に住ませようとしたのは、こうした格差の再生産を断ち切ろうとしたためだった。</p>
<p>ブッシュによる、格差是正を大義名分とした新しい住宅政策により、2002年以降、再びサブプライムローンの総額とシェアの双方が急上昇したことを、図2から読み取ることができる。また、住宅需要の増大に伴って、住宅価格指数の変化率が二桁となり、住宅バブルが本格化したことが図4からわかる。いったん住宅価格が上昇し始めると、転売目的で購入する投機家も出てくるようになる。政府が行った、不動産売買によるキャピタルゲインの課税免除が、土地転がし（米国の場合、正確に言えば、住宅転がし）を過熱させた。</p>
<p>一般的に言って、市場経済では、買い手が増えることによって資産の価値が上昇すると、キャピタルゲインを目当てにさらに多くの人がそれを買おうとするようになるというポジティブ・フィードバックが働く。図3を見ると、2002年以降、政府保証のない抵当証券の割合が増えていることがわかるが、これは、政府の保証を必要としないプライムローンが増えたからではない。図2が示すように、2002年以降、サブプライムローンの占める割合が急増している。これは、住むためではなくて、転売の差益を目当てにした低所得者たちが増えてきたことを示唆している。借金して、自宅を手に入れ、資産を増やすという夢のような話が成り立つのは、住宅価格が上昇し続けている間に限られる。バブルが崩壊すれば、サブプライムローンは、不良債権となる。</p>
<p>市場経済が持つポジティブ・フィードバックのメカニズムが住宅バブルを過熱させたことは事実である。しかし、それを根拠に、サブプライム問題を市場の失敗とみなすことは、問題の根源を見失った判断である。主犯は、政府であり、市場経済は、せいぜい幇助の役割しかしていない。だから、サブプライム問題は、政府の失敗であると結論付けるべきである。</p>
<p>サブプライム問題は、貧富の格差を是正しようと、政治家たちが社会主義的な経済政策を強行したことで発生した。市場経済を自由放任した結果、経済危機が生じ、貧富の格差が広がったのだから、社会主義的政策による貧富の格差の是正が必要だといった、冒頭で取り上げた通俗的見解が、いかに倒錯しているかが、これでおわかりいただけたかと思う。</p>
<p>オバマは、引用した演説の中で「今回の危機は、監視がなければ市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた」と言っているから、アフリカ系の血を引く彼が、白人とマイノリティとの格差是正のために市場経済への介入を試みることは大いにありうることだ。しかし、それはこれまでクリントンとブッシュがしてきたことであり、チェンジの名に値する新政策ではない。もしも、オバマがクリントンやブッシュと同じことをするならば、同じような失敗をするだろう。サブプライム問題は、ニューディール政策によって惹き起こされた危機であって、ニューディール政策によって克服されるべき危機ではないのである。</p>
<h2>4. 結語</h2>
<p>マルクスの時代以来、恐慌が起きるたびごとに、市場経済の時代の終焉と社会主義経済の時代の到来が叫ばれた。今回の経済危機においても、御多分に洩れず、マル経崩れの左翼系エコノミストたちが、ここぞとばかりに活気づき、「アメリカ型市場原理主義が崩壊した」「新自由主義の時代は終わった」と言っている。彼らは、政府の失敗を市場の失敗に掏り替えて、社会主義的プロパガンダをしているわけだが、こうした掏り替えは、彼らの常套手段であり、珍しいことではない。</p>
<p>例えば、今話題の派遣労働の問題でも、社会主義者たちは、小泉・竹中の規制緩和が原因だとして、政府による規制の強化を求めている。「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/labor_conditions.html">どうすれば労働者の待遇は良くなるのか</a>」で既に論じたように、派遣労働の問題、あるいはもっと広く捉えて、ワーキング・プアの問題も、政府の失敗であり、正社員の雇用の過剰保護を止めない限り、抜本的な問題解決は不可能である。それにもかかわらず、社会主義者たちは、この政府の失敗を市場の失敗に掏り替え、政府による市場介入で雇用問題を解決することを提案している。</p>
<p>病気の原因がわからなければ、対症療法しかできないように、経済問題も、その原因を突き止めることができなければ、抜本的な解決をすることができない。市場原理が不十分であるために起きた問題を、市場原理が原因で起きた問題に掏り変える社会主義者たちのトリックを見破るためには、「米国政府はレッセフェールの小さな政府」とか「共和党は市場原理主義の政党」といった先入見に惑わされることなく、問題の根本原因を正確に探り当てる努力が必要である。</p>]]>
    </content>
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    <title>写楽の謎を解く</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/sharaku.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2213</id>

    <published>2008-12-15T11:19:57Z</published>
    <updated>2009-01-02T05:26:36Z</updated>

    <summary>東洲斎写楽は、江戸時代に、突如彗星のごとく華々しく現れ、画期的な浮世絵を大量に発表しながら、10ヶ月で忽然と姿を消した謎の天才絵師である。写楽とはどういう人物だったのか。写楽はあのデフォルメされた役者...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="4_ethnology" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>東洲斎写楽は、江戸時代に、突如彗星のごとく華々しく現れ、画期的な浮世絵を大量に発表しながら、10ヶ月で忽然と姿を消した謎の天才絵師である。写楽とはどういう人物だったのか。写楽はあのデフォルメされた役者絵で何を表現したかったのか。写楽にまつわるさまざまな謎を解き明かしたい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 写楽とは誰なのか</h2>
<p>写楽をめぐる最大の謎は、写楽が誰かという問題だった。1844年に斎藤月岑が編集した『増補浮世絵類考』に「俗称 斎藤十郎兵衛」と記載されて以来、その説を疑うものはほとんどいなかったが、徳島に斎藤十郎兵衛の実在を証明する証拠が見つからなかったことから、『増補浮世絵類考』の信憑性を疑って、多種多様な写楽別人説を提唱する者が、大正の末頃から現れるようになった。</p>
<p>他方で、その後、さまざまな古文書から、斎藤十郎兵衛の正体が明らかになってきた。1956年に、後藤捷一は、『蜂須賀家無足以下分限帳』に「江戸住斎藤十郎兵衛」の記事を見つけた。「江戸住」ということは、「江戸詰」とは異なって、徳島に帰ることなく、恒久的に江戸に住んでいたということである。徳島に、手掛かりがないはずである。これにより、写楽が「江戸八町堀に住す」とする式亭三馬による1821年（文政4年）頃の『浮世絵類考』への書き込みが裏付けされた。</p>
<p>また、同じ頃、河野太郎は、1816年（文化13年）4月5日付の『徳川礼典附録』(巻の九・下）に記載されている「鉢の木」の御能明細書に、ワキである万作の弟子として、斎藤十郎兵衛の名が記載されていることを見つけた。この演目では、斎藤十郎兵衛は、ワキツレを演じている。森敬助は、蜂須賀家藩邸で催された「巴」と「大蛇」で、十郎兵衛が、ワキ、ワキツレとして出演していたことを1931年に既に指摘していたが、御能明細書の年号が不明であったために、写楽と同時代の十郎兵衛かどうかはわからなかない。それに対して、「鉢の木」に出演していた十郎兵衛は、写楽と同時代である。</p>
<p>もちろん、斎藤十郎兵衛なる蜂須賀家お抱えの能役者がいたことが実証されたとしても、それが写楽であるという証拠にはならない。しかし、1977年に、中野三敏は、1818年（文政元年）に歌舞伎役者の瀬川富三郎が作成した江戸の文化人名簿である『諸家人名江戸方角分』の八丁堀の項目に、浮世絵師を示す記号の入った「写楽斎　地蔵橋」とあることを公表した。かくして、『増補浮世絵類考』に写楽の住所と素性が追記されるよりも3年ほど前の史料で、写楽斎と号する浮世絵師が八丁堀地蔵橋に住んでいたという情報が記載されていたことがわかった。</p>
<p>1981年には、内田千鶴子が、幕府の公式名簿である『猿楽分限帖』と、能役者の伝記『重修猿楽伝記』に、喜多流に属する能役者として斎藤十郎兵衛が記載されていることを見つけた。この史料から、斎藤十郎兵衛の父の名は与右衛門であり、斎藤家は、代々、与右衛門と十郎兵衛の名を交互に名乗っていることが、さらに、斎藤十郎兵衛が、1761年（宝暦11年）の生まれで、写楽が浮世絵師として活躍していた1794年には、33歳であったことがわかった。</p>
<p>1997年には、徳島の「写楽の会」のメンバーが、埼玉県越谷市の浄土真宗本願寺派今日山法光寺の過去帳に「八丁堀地蔵橋　阿州殿御内　斎藤十良兵衛」が1820年（文政3年）に58歳で亡くなったという記録があることを発見した。ここから計算される斎藤十郎兵衛の生年は、『猿楽分限帖』や『重修猿楽伝記』から推測される生年と矛盾せず、これにより、斎藤十郎兵衛が八丁堀地蔵橋に住んでいたという事実の信憑性は高まった。</p>
<p>以上、戦後の写楽研究を概観したが、これらの実証的な研究により、浮世絵師、東洲斎写楽と蜂須賀家お抱えの能役者、斎藤十郎兵衛は、八丁堀地蔵橋という場所を媒介にして、強く結びつくこととなり、斎藤十郎兵衛説は、再び定説としての地位を取り戻したといってよい。かつてあれほど出版業界を賑わせた写楽別人説ブームもすっかり下火になってしまった。もちろん、なおも<a href="http://www.ten-f.com/syaraku-o-sagase.htm">この説に疑問を持つ人</a>もいるので、斎藤十郎兵衛説に対する代表的な批判を取り上げ、それに答えよう。</p>
<h3>1.1. 『諸家人名江戸方角分』に対する疑問</h3>
<p>現存する『諸家人名江戸方角分』としては、国会本と東京教育大学（筑波大学）本の二種類があるが、前者の方が古いので、ここでは前者のみを扱う。この本は、1818年（文政元年）7月5日、竹本氏が大田南畝に届けた写本であることが、奥書の記述からわかっている。</p>
<div class="object_top">
  <blockquote title="Source: 54 諸家人名江戸方角分（019） | 国立国会図書館開館60周年記念貴重書展 学ぶ・集う・楽しむ; Accessed Date: 11/12/2008"><img src="sharaku_hogakuwake.jpg" alt="National Diet Library. Japan" /></blockquote>
</div>
<div class="caption_bottom">図1　諸家人名江戸方角分にある写楽斎の項目。左から二番目に、通号と実名を空白にしてある。右肩の×印は浮世絵師を、&not;記号は故人を意味する合印である。［国立国会図書館開館60周年記念貴重書展：<a href="http://www.ndl.go.jp/exhibit60/data/R/023/023-00-019r.html">諸家人名江戸方角分（019の画像の一部）</a>］</div>
<p>『諸家人名江戸方角分』に基づく藤十郎兵衛説にしばしばなされる批判には、大きく分けて二つある。一つは、故人印が付けられている点であり、もう一つは、号が「東洲斎写楽」ではなくて「写楽斎」となっている点である。</p>
<p>まずは、故人印の問題点から取り上げよう。斎藤十郎兵衛が死去したのは、今日山法光寺の過去帳によれば、1820年（文政3年）であるが、竹本氏が『諸家人名江戸方角分』の写本を南畝に届けたのは、1818年（文政元年）で、それよりも前であるにもかかわらず、「写楽斎」の項の右肩には、故人印が付けられている。これもまた、『諸家人名江戸方角分』に記載されている写楽斎が、東洲斎写楽こと斎藤十郎兵衛と別人であるという説の根拠の一つとなっている。</p>
<p>だが、ここで気を付けなければいけないことは、今日私たちが閲覧することができる『諸家人名江戸方角分』には、原著者が書いた『諸家人名江戸方角分』にもともとなかった故人印が後世になって書き込まれている場合があるということである。はっきりわかっているケースだけでも、1819年に死亡した者二名、1920年に死亡した者一名に、故人印が付けられている［中野 三敏：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121018869/n08-22/">写楽―江戸人としての実像</a>, p.105］。1820年に死亡した写楽斎にも、後になって、故人印が書き込まれたという可能性がある。諏訪春雄は、国会本の『諸家人名江戸方角分』の故人印の書き入れには四種類があって、写楽の分は後人の書入れと判断できると報告している［朝日新聞，平成9年7月3日夕刊］。私もこの説を採りたい。</p>
<p>これよりももっと重大な問題点は、「写楽斎」という号である。写楽は、落款として「東洲斎写楽画」あるいは「写楽画」を使用しており、「写楽斎画」を使ったことは一度もない。1789/90年（寛政元年/2年）の作とされる絵暦に、「写楽斎自画」と署名されたものが二点あるが、画風が全く異なるので、ほとんどの評者は、東洲斎写楽の作品ではないとみなしている。但し、「写楽斎自画」の「画」の中心部分が、「東洲斎写楽画」のそれと同様に、通常の“由”型ではなくて、写楽に特徴的な“田”型になっていることから、写楽の初期習作として後世に捏造された作品という可能性が強い。瀬木慎一は、「写楽斎」「写楽翁」と名乗ったことがある、写楽より後に現れた浮世絵師、歌川国直の作ではないかとしているが、その可能性もある［<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893300547/n08-22/">新版・写楽実像</a>，p.37］。</p>
<p>いずれにせよ、東洲斎写楽が、自ら「写楽斎」と名乗ったことはないといってよいだろう。では、なぜ『諸家人名江戸方角分』は「東洲斎写楽」ではなくて「写楽斎」としたのか。この問いに答える前に、まず、なぜ『諸家人名江戸方角分』の写楽斎の項には、通号と実名が省略されているのかという問題から考えてみたい。通号と実名の両方が省略されている者は『諸家人名江戸方角分』ではたったの三名しかおらず、写楽斎以外の二人は、東洲斎写楽よりも格段に無名の人物である。おそらく、その二人の項は、情報不足で、空欄にしたのだろうが、原著者の三代目瀬川富三郎は、写楽の役者絵に多数描かれた二代目瀬川富三郎や瀬川菊之丞の後輩に当たるので、先輩から写楽についての詳しい情報を得ていたはずである。にもかかわらず、全くの無名文化人と同様に、通号と実名の両方を省略した理由は何か。</p>
<p>この問いには、もしも東洲斎写楽が斎藤十郎兵衛ならば、容易に答えることができる。当時、歌舞伎役者は「かわらもの」と呼ばれ、卑しい職業とみなされていた。斎藤十郎兵衛は、無足（下級武士）とはいえ、士分であるから、歌舞伎役者の浮世絵を描くといった卑しい仕事に手を染めることは許されない。士分たる者、歌舞伎を客として見るだけならかまわないが、演じる側に回ってはいけないのである。例えば、福山藩阿部家のお抱え医師だった森枳園は、芝居好きが高じて、士分であるにもかかわらず、舞台に立ってしまった。このことが阿部家の知るところとなり、森枳園は、首となって、浪人生活の末、夜逃げするはめとなる。斎藤十郎兵衛も、自分の副業がお上にばれようものなら、同じような憂き目をみたことだろう。</p>
<p>中野三敏は、こうした理由から、瀬川富三郎が、写楽斎の通号と実名を知っているにもかかわらず、わざと書かなかったと推測する［中野 三敏：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121018869/n08-22/">写楽―江戸人としての実像</a>, p.180］。私もこの仮説に賛成だ。そしてこの仮説を肯定するならば、東洲斎写楽が写楽斎と記された理由もはっきりする。たとえ、通号と実名を書かなくても、東洲斎写楽という正式の号と八丁堀地蔵橋という住所を併記すれば、東洲斎写楽の正体がわかってしまう。だから、瀬川富三郎は、わざと写楽斎という、「洒落臭い」をもじったような偽名でカムフラージュしたと考えることができる。もちろん、こういう偽名でも、わかる人にはわかったことだろうが、現代でも「写楽と写楽斎は別人だ」と主張している人がいるぐらいだから、偽名の効果はあったというべきである。</p>
<h3>1.2. 『浮世絵類考』に対する疑問</h3>
<p>斎藤十郎兵衛説の発端となった根拠は、1844年（天保15年）に斎藤月岑が編集した『増補浮世絵類考』である。この浮世絵師の考証の書は、1800年（寛政12年）までに大田南畝が書いた原著の『浮世絵類考』に、さまざまな人物が加筆して成ったものである。原著は残っておらず、最も古い写本は、1802年（享和2年）に、近藤正斉が山東京伝から伝写した『神宮本浮世絵考証』で、そこでは、写楽に関しては、次のように書かれていただけだった。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 写楽・考: 内田 千鶴子: 本; Accessed Date: 11/11/2008" class="blockquote">
  <p>写楽　<br />
    これまた歌舞伎役者の似顔をうつせしがあまりに真を画かんとて、あらぬさまにかきしかバ、長く世に行われず、一両年にして止ム</p>
  </blockquote>
<div class="cite">［内田 千鶴子：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380932125/n08-22/">写楽・考</a>, p.37］</div>
<p>1821年（文政4年）4月の『坂田文庫本浮世絵類考』では、写楽の名前の右横に、朱書きで「イニ写楽斎トモ阿リ」と書かれている。「イニ」とは、「異本に」の意味で、ここでいう異本というのは、これより3-4年前に書かれた『諸家人名江戸方角分』のことを指していると考えることができる。また、『静嘉堂文庫本浮世絵類考』には、式亭三馬による「三馬按ルニ、写楽号東周斎、江戸八町堀に住ス、僅に半年余行ハルルノミ」という追記がある。式亭三馬が同じ『静嘉堂文庫本浮世絵類考』の春潮の項に行った追記には、「文政四年今尚」というくだりがあるので、書き込んだのは、1821年（文政4年）頃と考えられる。</p>
<p>要するに、1821年になって、『諸家人名江戸方角分』が用いた偽名の正体が暴露され、『浮世絵類考』に写楽の住所が書き込まれるようになったということである。1821年といえば、写楽が浮世絵界の表舞台から姿を消してから、26年が経過している。時間が経ちすぎているので信用できないという人もいる。しかし、1821年になって、その素性が明らかにされたことは、斎藤十郎兵衛説を逆に裏付けるものであると私は考える。なぜならば、1821年とは、斎藤十郎兵衛が死去した翌年に当たるからだ。本人が生きている間は、申し合わせたようにその素性が隠され、死没により、お咎めを受ける可能性がなくなってから、素性に関する情報が次々に出てくるということは、まさに写楽が斎藤十郎兵衛であったからこそなのである。</p>
<p>1844年に斎藤月岑が編集した『増補浮世絵類考』では、以下のように、素性がさらに詳しく書かれる。</p>
<blockquote title="Source: 増補浮世絵類考「さ」; Accessed Date: 12/9/2008" class="blockquote"><p>写楽　天明寛政中ノ人
　　　  　<br />
　俗称　斎藤十郎兵衛　居　江戸八丁堀に住す
　　　  　<br />
　阿波侯の能役者なり　号　東洲斎
　　  <br />
歌舞伎役者の似顔を写せしが、あまりに真を画んとて、あらぬさまに書なせしかば、長く世に行れず、
      一両年にして止む　類考
　　　  <br />
　三馬云、僅に半年余行はるゝのみ<br />
　　五代目白猿、幸四郎（後京十郎と改）半四郎、菊之丞、富十郎、広治、助五郎、鬼治</p>
  </blockquote><div class="cite">［<a href="http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/sita-naka.html">浮世絵師総覧</a>：<a href="http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/sa13.html">増補浮世絵類考（ケンブリッジ大学所蔵本）</a>］</div>
  <p>これとは別に、達磨屋伍一（1817-1866）が購入した、通称『伍一本浮世絵類考』に「写楽は阿波侯の士にて俗称を斎藤十郎兵衛といふよし栄松斎長喜老人の話那り 周一作洲」という記載がある。『伍一本浮世絵類考』の巻末には、「この本は三馬の補記を加えし本より記したりと見ゆ蔵前の書估田中長次郎か蔵せしを得」とあるので、達磨屋伍一が追記をしたわけではない。書估（本の商人）である田中長次郎が書いたとも思えない。この本の成立時期は不明であるが、浮世絵師の略伝が、1829年（文政11年）に没した歌川豊広で終わっているので、「文政末期以後天保か弘化の頃」［内田 千鶴子：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380932125/n08-22/">写楽・考</a>, p.69］とみなされている。いずれにせよ、斎藤月岑の『増補浮世絵類考』より早い。</p>
  <p>栄松斎長喜（えいしょうさいちょうき）は、写楽が活躍した頃、写楽と同様に、蔦屋重三郎の版元から美人画の浮世絵を出版しており、この頃の蔦屋の内部情報を知る立場に合った。また、彼の作品『高島屋おひさ』では、写楽の絵が団扇に描かれており、写楽となんらかの関係があったことを推測させる。長喜の情報は、三代目瀬川富三郎の情報よりも、時間的には後だが、独立したものであり、かつより高い信憑性を持つ。富三郎と長喜が同じ間違いをすることは、確率が低いから、やはり、斎藤十郎兵衛説は肯定されるべきであろう。</p>
  <p>なお、式亭三馬の書き込みが「東洲斎」ではなくて「東周斎」となっていることを問題視する人もいるが、この時代のマニュスクリプトでは、こうした同音異字の使用は日常茶飯事で、これを根拠に「東洲斎写楽」とは別に「東周斎写楽」がいたといった主張をすることはナンセンスである。『伍一本浮世絵類考』に「周一作洲」とあることからもわかるように、「周」も「洲」も同じである。</p>
  <p>写楽の活躍期間は、寛政6年5月から寛政7年1月にかけての約10ヶ月間（閏月を含む）であるが、『浮世絵類考』の原文では「一両年」となっており、三馬の書き込みでは「半年余」となっており、対立している。しかし、「一両年」を、二年間という意味ではなくて、「寛政6年から寛政7年にかけての期間」、「半年余」を、「半年＋半年未満の余り」と解釈するならば、両者の認識は、実際と大きく異なるということはない。</p>
  <h3>1.3. 時間的余裕についての疑問</h3>
  <p>写楽は、わずか10ヶ月の間に142枚の浮世絵を描いたが、能役者という本業があるならば、このような浮世絵の大量生産は不可能ではないのか、あるいは、そもそも絵の修行をする時間的余裕はなかったのではないかという批判が過去になされた。だが、当時の藩抱えの能役者は、5月から翌年の4月まで1年間任務に就くと、翌月の5月から来年の4月まで、丸1年間休みを取ることができた［内田 千鶴子：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380932125/n08-22/">写楽・考</a>, p.97］。江戸時代の能役者は、幕府諸藩から手厚い保護を受けていたので、趣味として絵を描く時間的余裕は十分にあったわけである。</p>
  <p>斎藤十郎兵衛は、宝生座の一員で、宝生座は、寅5月から卯4月まで一年間非番であった。一方、写楽が浮世絵を描いたのは、寛政6年（甲寅）5月から寛政7年（乙卯）1月までで、宝生座が非番（休み）であった時期の中にすっぽり納まる。だから、斎藤十郎兵衛は、この期間中、浮世絵に全力集中できたはずである。また、写楽の作品には、同じデッサンの使い回しも見られるので、版画製作にあたって、蔦屋重三郎が有能な彫師・摺師を総動員した（したがって、その間、蔦屋は、写楽の作品以外の浮世絵を出版していない）ことも併せ考えるならば、10ヶ月で142枚という大量生産は決して不可能ではなかったということができる。</p>
  <p>写楽がなぜライバルである豊国に4ヶ月遅れ、5月にデビューし、歌舞伎の人手がない夏に最も豪華な作品を出したのかは、従来、写楽の謎の一つとされてきたが、斎藤十郎兵衛の非番の時期を考えれば、納得がいく。逆に、時間に融通が利くプロ専業の絵師だと、この疑問は解消できない。</p>
  <p>ところで、2008年7月に、ギリシャ・コルフ島のアジア美術館に所蔵されていた肉筆扇面画を、小林忠ら国際学術調査団が写楽の真筆と鑑定した。描かれている役者絵は、1795年の5月に上演された歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」を題材にしていると推定され、もしこれが本当ならば、写楽は、1795年1月以降も、さらに、斎藤十郎兵衛が詰番になったときにも作画をしたということになる。しかし、私は、これが本当に写楽の作品かどうかを疑っている。写楽は、1794年11月以降、落款を「東洲斎写楽画」から「写楽画」に変えたにもかかわらず、この肉筆扇には、「東洲斎写楽画」と署名されている。後で述べる理由により、東洲斎写楽画と称する物には大量の偽作が存在するので、真偽の判定は慎重に行わなければならない。</p>
  <h3>1.4. 素人にこれほどの絵が描けたのかという疑問</h3>
  <p>当時、写楽は、「他流役者絵師」［三升屋二三治：賀久屋寿々免］、「外流」［河艸寿河老人：紙屑籠］、「別風」［江戸風俗惣まくり］と評されていた［内田 千鶴子：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380932125/n08-22/">写楽・考</a>, p.233］。式亭三馬の「倭画巧名盡（やまとえしのなづくし）」でも、写楽は孤立した一つの島として描かれている。写楽は、素人だったにもかかわらずではなくて、むしろ、素人だからこそ、あのような異端的な絵を描くことができたのではないか。もしも、既存の浮世絵師に師事して修行していたならば、もっと平凡な絵を描いたのではないだろうか。</p>
  <p>写楽が、わずか10ヶ月余で浮世絵を描くことを止めたのは、失敗しても、他に戻るべき本業があり、浮世絵に固執しなければならない必然性がなかったからだろう。多くの別人説は、写楽は、号を変えて絵を描き続けたとするが、その場合、なぜその絵師は、写楽の正体が知られることを拒み続けたのかに関して、斎藤十郎兵衛説よりも困難な立場に立たされる。写楽が描いた絵は、蔦屋から出版されたもの以外は、ほとんど残っていないが、これは、正体がばれることを恐れて、本人が処分してしまった結果であろう。</p>
  <h3>1.5. 素人絵師への巨額投資についての疑問</h3>
  <p>もしも写楽が、斎藤十郎兵衛という無名のアマチュアならば、なぜ一流版元である蔦屋重三郎が、いきなり巨額の投資をするというリスキーな冒険したのか、説明がつかないと批判する人もいる。例えば、梅原猛は、次のように言っている。</p>
  <blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 梅原猛著作集〈11〉人間の美術: 梅原 猛: 本; Accessed Date: 12/9/2008" class="blockquote">
    <p>蔦屋が一気に百四十二枚もの錦絵を出版する。それはけっして一冊の本を出版するようなものではない。むしろ一人の作家の著作集を出版するようなものである。それはまさに膨大な費用を要し、その版元の運命がかかっている出版といわなければならない。</p>
    <p>［］</p>
    <p>これらの状況を考えるとき、とても写楽を阿波の能役者と考えることはできない。もし、現在の大出版社がまったく無名の素人の小説を著作集として売り出したとしたら、それは狂った企画であるといわざるをえないだろう。私は、最後の瞬間まですぐれた出版社であるとともに、利にさとい商人であった蔦屋重三郎がこうした狂った企画を許すはずはないと思う。</p>
  </blockquote>
  <div class="cite">［梅原猛：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771112/n08-22">写楽 仮名の悲劇，梅原猛著作集〈11〉人間の美術</a>，506-509頁］</div>
  <p>梅原は、こう言って、写楽とは、実績のあるプロの絵師、歌川豊国の仮名であるという説を唱える。しかし、梅原の推論はおかしくはないだろうか。たしかに、著名なプロの作品の出版は、無名の新人の作品の出版よりも、リスクが少ない。しかし、それは、著名人が、その著名な名前を前面に出すからであって、著名人が、未知の仮名を使って、それまでとは異なる作風で実験をするとなれば、その出版のリスクは、有能だが無名の新人の作品を出版するリスクとほとんどかわらない。</p>
  <p>では、正体が誰であれ、写楽をデビューさせた蔦屋重三郎の企画は狂っていたのかと問われれば、そのとおりと答えざるをえない。実は、蔦屋重三郎が狂った企画をした背景には、事情があった。喜多川歌麿が、蔦屋重三郎のおかげで、売れっ子の美人画絵師になったにもかかわらず、1793年（寛政5年）頃から、ライバルの出版社から美人画を出版し、あまつさえ、蔦屋を非難するような秘戯画まで描いている。怒った蔦屋重三郎は、歌麿に取って代わる才能ある絵師を探し、かくして、写楽に白羽の矢を立てた。写楽に歌麿のときと同様の雲母摺の大判大首絵を大量に描かせたことからそのことが窺われる。しかし、写楽への巨額の投資は失敗し、蔦屋は財政的に行き詰った。明らかに、この時の蔦屋重三郎の経営判断は狂っていた。</p>
  <p>蔦屋の失敗について、梅原は、先ほど引用した箇所と矛盾するようなことを言っている。</p>
  <blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 梅原猛著作集〈11〉人間の美術: 梅原 猛: 本; Accessed Date: 12/9/2008" class="blockquote">
    <p>百四十二枚にわたる写楽絵の出版は、蔦屋に十分な利益をもたらさなかったのであろうか。とすれば、これはこの天才ジャーナリストの、ほとんど唯一の失敗であることになるが、蔦屋重三郎はあの財産半減の処分によっていささかあせりを生じ、その判断を狂わせ、ついに最後の賭けに失敗したのであろうか。</p>
    </blockquote>
  <div class="cite">［梅原猛：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771112/n08-22">写楽 仮名の悲劇，梅原猛著作集〈11〉人間の美術</a>，522頁］</div>
  <p>蔦屋は、筆禍事件で財産半減の処罰を受けたが、その後、歌麿の美人画のヒットにより、経営を立て直した。だから、財産半減の処罰で焦りが生じたということはない。蔦屋重三郎の経営判断を狂わせたのは、歌麿の裏切り行為に対する憤りである。蔦屋重三郎の狂った企画は、蔦屋にとっては不幸な出来事であり、日本の美術界にとっては幸運な出来事であった。</p>
  <h2>2. 東洲斎写楽という号にはどういう意味があるのか</h2>
  <p>「東洲斎」という斎号は、東の川の中島にある居室という意味である。過去帳によると、斎藤十郎兵衛が八丁堀地蔵橋に住むようになったのは、1799年（寛政11年）からで、写楽がデビューした1794年には、南八丁堀阿波藩屋敷内に住んでいた。南八丁堀の阿波藩屋敷は、現在の中央区湊一丁目あたりに位置し、八丁堀のすぐ南である。どちらも、江戸城から見て東に位置する中州の土地であった。よって、東洲斎は、斎藤十郎兵衛の住所を暗示していると解釈できる。</p>
  <p>「写楽」は、文字通りに解すれば「楽しみを写す」である。写楽の作品には、役者絵が多いから、「楽屋を写す」の略と考えることもできる。もちろん、洒落（しゃらく）という同音異義の漢語も意識していたことであろう。この漢語は、もともと「さっぱりしている」という意味であったが、江戸時代の前期頃から、「洗練された」という意味の「しゃれ」の当て字として使われるようになった。写楽の作品には、しゃれて垢抜けた趣があるから、「しゃれ」のしゃれであるというこの解釈も妥当である。</p>
  <p>梅原猛によれば、「写楽」には豊国の本姓が隠されている［梅原猛：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771112/n08-22">写楽 仮名の悲劇，梅原猛著作集〈11〉人間の美術</a>，764-766頁］。梅原は、裏から読むことができる、左右逆の文字が描かれている写楽の作品『都座楽屋頭取口上の図』をヒントに、写楽とは、左右逆に読むことによって解読できる暗号ではないかと考えた。「しゃらく」を左右逆に読むと「くらゃし」となる。これは、豊国の本姓である「倉橋」の音に近い。「くらはし」の鏡文字である「しはらく」を早口でしゃべると、「しゃらく」になる。梅原は、ここから、写楽は豊国であると考えた。</p>
  <p>梅原は、さらに「東洲」を「とよくに」と読んで、豊国に近づけようとするのだが、「洲」は「州」とは異なるのだから、この読み方には無理がある。落款を鏡文字として解読するならば、「東洲斎写楽」全体をその方法で解読するべきだ。「とうしう・さい・しはらく」を左右逆にすると「くらはし・いさ・うしうと」となる。これは「倉橋、いさ、憂し、疎し（倉橋？うーん、気にくわないし、オレとは疎遠だね）」という意味に解釈できる。これは、ライバルだった豊国に対する写楽の自然な感情ではないだろうか。</p>
  <p>写楽が、彼の仕事を始めるにあたって、豊国を意識していたことは想像に難くない。1794年の正月、長い休業の後、控櫓によって江戸三座そろっての芝居興行が再開された時、役者絵の大物、勝川春章は既に亡くなっており、これをビジネスチャンスと見た和泉屋は、豊国に「役者舞台之姿絵」のシリーズを描かせて、芝居のファンに売り出した。これに対して、蔦屋が写楽絵の販売を始めたのは5月になってからである。この遅れは、5月にならないと斎藤十郎兵衛が非番にならないために生じたものであるが、蔦屋にとって不利であったことは否めない。蔦屋は、出遅れを挽回するべく、量で勝負する。こういう状況でデビューしたのだから、写楽が豊国にライバル意識を持ったとしても不思議ではない。</p>
  <p>多くの人がすでに指摘したように、写楽は豊国ではない。落款が全然異なるし、写楽の絵に特徴的な、鼻線切れが見られない［大沢まこと：写楽は豊国ではない，芸術公論，1986年5月］。そもそも、写楽の仕事と平行して豊国の仕事をもこなすことは一人の人間にできることではない。しかし、それでも、梅原の発見は、無意味ではない。私は、写楽が、倉橋＝豊国と鏡像的に反転する関係にあることに別の解釈を与えたい。しかし、その前に、豊国と対比されるべき写楽の特殊な立場を確認しておく必要がある。</p>
  <h2>3. 能役者だったことはどのような影響を与えたか</h2>
  <p>内田千鶴子は、斎藤十郎兵衛説を強化しようと、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4380992098?ie=UTF8&amp;tag=n08-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4380992098">能役者・写楽</a>』で、写楽の大首絵と能面、役者絵の衣裳と能衣裳を比較して、類似点を見出そうとした。両者の間には、なるほど類似点もあるが、それ以上に相違点もあるから、斎藤十郎兵衛説の補強という点ではあまり役立っていない。私も、能役者であったことは、写楽の絵に影響を与えたと思うが、その影響は、こうした皮相なものではなくて、もっと深くて本質的であったと考えている。</p>
  <p>ここで、そもそも能とは何かという本質的な問いを立てなければいけない。能は、歌舞伎と並んで、日本の代表的な舞台芸能であるが、歌舞伎とは異なり、「能には、単式であれ複式であれ、諸国一見の僧の前に亡霊があらわれ、生前を物語り、僧に供養されて消え失せる、という筋のいわゆる夢幻能が多い」［松岡 心平 ：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047021024/n08-22/">能―中世からの響き</a>］。歌舞伎がこの世の出来事を扱うのに対して、夢幻能はあの世の出来事を扱う。能の起源は、中国にあるという人もいるが、日本の能は、怨霊に思い残すことをすべて語らせ、晴々とした気持ちで成仏してもらうという、日本的ニーズに合致したカタルシスのセレモニーであり、その意味では、日本独特の舞台芸能である。</p>
  <p>夢幻能では、神、亡霊、鬼など、異界からの来訪者がシテと呼ばれる主人公を演じる。シテは、鏡の間から、橋掛りと呼ばれる細い通路を通って、本舞台へと現れる。鏡の間は子宮で、本舞台はこの世で、橋掛りは両者をつなぐ膣＝ペニスを象徴している。本舞台の正面奥にある板は、鏡板と呼ばれ、観客は、本舞台で舞うシテを鏡に映った像として見る。これは、古代以来、あの世は、この世から見て、鏡に映った像として表象されているからである［<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/afterlife.html">あの世は縄文時代どこにあったのか</a>］。鏡の間も、そう名付けられるのは、たんにそこに鏡が置かれているからという以上の理由がある。</p>
  <p>シテの語りを聞く諸国一見の僧は、ワキといわれる。ワキは、舞台の脇に座っているから、ワキと呼ばれると一般に思われているが、安田登によると「脇」はもともと「分く」に由来するから、「ワキとは「分ける人」であり、そして「分からせる人なのだ」［安田登：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/414088195X/n08-22/">ワキから見る能世界</a>, p.19］ということになる。すなわち、ワキは、本来見えないはずの幽霊であるシテの存在を観客に分からせ、シテの物語を聞き分ける役割をしているというのである。</p>
  <p>斎藤十郎兵衛は、宝生座で、ワキツレをしていた。ワキツレは、ワキの従者で、役割はワキと同じと考えてよい。ワキが旅をしているとき、偶然、異界を覗き込み、シテを見分け、そしてそれを観客に分からせるように、斎藤十郎兵衛は、能役者にとっての異界である歌舞伎役者の世界を覗き込み、役者を見分け、そしてそれを浮世絵を通して観客に分からせた。ワキは、冥界と俗界の媒介者であるが、斎藤十郎兵衛は、能と歌舞伎の媒介者と位置づけることができる。</p>
  <p>もとより、能と歌舞伎は、あの世とこの世の関係にあるのだから、歌舞伎舞台を異界と扱うのは逆ではないかと訝しがる向きもあるだろう。しかし、能においては、こうした対立関係の鏡像的反転は容易に起きる。例えば、『実盛』では、実際にはクビを洗われる存在であるシテの実盛が、自分の生首を洗う。『塔婆小町』では、かつて、小野小町を恋い（乞い）続けて断られた深草の少将の霊が、老婆の乞食となった小町に憑いて、今度は小町が、食料を乞い続けて断られるという惨めな境遇に落ちる。能は、鏡の世界の出来事なので、このように、能動と受動の対立関係は、自己を自己の鏡像へと想像的に移し置くことで、反転する。</p>
  <p>古来、日本人は、ちょうど母の子宮から膣を通って人が生まれるように、人は、死ぬ時、地母神の膣を通って子宮に戻ると考えた。この想像自体が、鏡像的反転に基づいている。能と歌舞伎は、彼岸と此岸の関係にあるが、鏡像的反転により、ワキである斎藤十郎兵衛は、歌舞伎舞台を異界とみなし、役者をシテとして描こうとした。このことは、以下に見るように、写楽の作品を鑑賞する上でも重要な視点となる。</p>
  <h2>4. なぜ写楽は黒雲母摺を選んだのか</h2>
  <p>写楽の作品は、その出版の時期によって分類される。第1期の作品は、1794年5月、第2期の作品は、7月と8月、第3期の作品は、11月と閏11月、第4期の作品は、1795年1月に出版されている。今日名作と評される第1期の28枚は、すべて背景が黒雲母摺の役者の大首絵である。同じ手法は、勝川春英も採っていたから、そのこと自体が珍しいわけではない。ただ、ライバルである豊国が背景に白っぽい鼠潰しを用い、写楽以前の蔦屋の看板絵師、歌麿が背景に白雲母摺を用いていたことを考えると、なぜ黒を背景にしたかを考えてみる必要がある。</p>
  <p>第1期が当時不評であったためか、第2期の作品では、異なる多様な趣向が試されている。『都座口上図』でも「新板」ということが強調されている。第1期では大首絵が描かれていたが、第2期では全身図が描かれ、黒雲母摺は38枚中、たったの1枚になってしまう。黒雲母摺が減った理由は、大首絵の場合、背景が黒だと白い顔が浮かび上がる効果があるが、全身図の場合、白装束でもない限り、そうした効果はないというところに求められる。それにもかかわらず、黒雲母摺が1枚あるのだから、その1枚が黒雲母摺になった理由を探れば、第1期の黒雲母摺の狙いも分かる。</p>
  <p>第1期の黒雲母摺の1枚とは、以下の図の右側にある「三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と初代中山富三郎の新町のけいせい梅川」である。</p>
  <div class="object_top">
    <blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気 (浮世絵ギャラリー (4)): 浅野 秀剛: 本; Accessed Date: 11/10/2008"><img src="sharaku_magoemon.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /><img src="sharaku_kameyachube.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /></blockquote>
  </div>
  <div class="caption_bottom">図2　左図：四代目松本幸四郎扮する新口村孫右衛門と初代中山富三郎扮する新町のけいせい梅川（ハーバード大学美術館，ケンブリッジ），右図：三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と初代中山富三郎の新町のけいせい梅川（国立図書館，パリ）［浅野 秀剛: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096521043/n08-22/">写楽の意気</a>, p.69］</div>
  <p>これは、近松門左衛門の『冥途の飛脚』の改作である『四方錦故郷旅路』の一場面で、心中を決意した亀屋忠兵衛と遊女の梅川が、忠兵衛の故郷、新口村を目指して死出の道へと旅立つところを描いている。これに対して、同じ『四方錦故郷旅路』の一場面でも、左の図の「四代目松本幸四郎扮する新口村孫右衛門と初代中山富三郎扮する新町のけいせい梅川」のように、梅川が忠兵衛の父の草履の鼻緒を紙縒りで挿げるといった場面は、白雲母摺になっている。ここから判断すると、写楽が黒雲母摺を選ぶ芸術的なモチーフは死であると考えることができる。</p>
  <p>この観点から、すべて黒雲母摺だった第1期の作品を振り返ろう。以下の一対の浮世絵は、『花菖蒲文禄曽我（はなあやめぶんろくそが)』に登場する石井源蔵（いしいげんぞう）と藤川水右衛門（ふじかわみずえもん）を描いたものである。</p>
  <div class="object_top">
    <blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気 (浮世絵ギャラリー (4)): 浅野 秀剛: 本; Accessed Date: 11/10/2008"><img src="sharaku_mitsugoro.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /><img src="sharaku_hangoro.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /></blockquote>
  </div>
  <div class="caption_bottom">図3　左図：坂東三津五郎の石井源蔵（メトロポリタン美術館，ニューヨーク）,
    右図：坂田半五郎の藤川水右衛門（山種美術館，東京）［浅野 秀剛: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096521043/n08-22/">写楽の意気</a>, p.6,7］</div>
  <p>この劇は、元禄14年に、伊勢の国、亀山で実際に起きた｢元禄曽我｣と呼ばれる事件をもとに脚本されている。父を殺された石井源蔵は、敵を討とうと藤川水右衛門に挑むが、反対に返り討ちに遭ってしまう。後に、源蔵の遺児（実際は幼い兄弟）である源之丞、半二郎が、水右衛門を倒す。</p>
  <p>以下の一対の浮世絵は、『敵討乗合話（かたきうちのりやいばなし)』に登場する尾上松助（おのえまつすけ）の松下造酒之進（まつしたみきのしん）を描いたものである。</p>
  <div class="object_top">
    <blockquote  title="Source: Amazon.co.jp： 浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気 (浮世絵ギャラリー (4)): 浅野 秀剛: 本; Accessed Date: 11/10/2008"><img src="sharaku_matsusuke.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /><img src="sharaku_komazo.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /></blockquote>
  </div>
  <div class="caption_bottom">図4　左図：尾上松助の松下造酒之進（ネルソン＝アトキンズ美術館，カンザス・シティ），右図：市川高麗蔵の志賀大七（慶応義塾，東京）［浅野 秀剛: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096521043/n08-22/">写楽の意気</a>, p.14,15］</div>
  <p>尾上松助は、松下造酒之進を殺害するが、尾上松助の二人の娘が父の敵を討つ。</p>
  <p>以下の一対の浮世絵は、『恋女房染分手綱（こいにょうぼうそめわけたづな)』に登場する江戸兵衛と奴一平を描いたものである。</p>
  <div class="object_top">
    <blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気 (浮世絵ギャラリー (4)): 浅野 秀剛: 本; Accessed Date: 11/10/2008"><img src="sharaku_oniji.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /><img src="sharaku_omezo.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /></blockquote>
  </div>
  <div class="caption_bottom">図5　左図：大谷鬼次の江戸兵衛（シカゴ美術研究所），右図：市川男女蔵の奴一平（フィッツウィリアム美術館，ケンブリッジ）［浅野 秀剛: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096521043/n08-22/">写楽の意気</a>, p.16,17］</div>
  <p>丹波の由留木家の家臣である伊達与作は、由留木家の能指南役の娘と不義密通し、能指南役は、その責任を取って切腹する。由留木家の剣術指南役は、江戸兵衛に命じて、与作の下僕である奴一平から、与作が由留木家から預かっていた用金を巻き上げ、与作は由留木家を勘当される。写楽は、上の図にあるように、用金を奪おうと両手を突き出す江戸兵衛とそうはさせじと刀を抜く奴一平を描いた。</p>
  <p>写楽が第1期において好んで描いたのは、こうした生を賭しての戦いである。豊国のおっとりした役者絵とは異なり、写楽の絵には力強さと迫力がある。口をへの字に曲げた、凄みのある役者の形相から、死の危機を迎える緊張感がひしひしと伝わってくる。白っぽい鼠潰し地の豊国絵が生の世界を表しているのに対して、黒雲母摺地の写楽絵は死の世界を表している。私は、豊国と写楽が鏡像的に反転する関係にあるといったが、それは、三代目市川八百蔵の不破伴左衛門の絵ように、豊国と写楽とで左右対称の対を成す絵があるといった皮相な意味で言っているのではない。なお、白雲母摺地の歌麿絵に対しても、同じことが言える。</p>
  <p>写楽は、異界の絵師であった。浮世絵というのは、もともと浮世、すなわちこの世を描写する絵である。しかるに、写楽は、デフォルメされた異形の役者絵を描くことで、浮世絵を通じて異界を描いた。歌舞伎界からすれば異界である能の世界から来た斎藤十郎兵衛は、その段階で、「他流」「外流」「別風」なのだが、それ以上に、斎藤十郎兵衛は、ワキの視点から歌舞伎を異界とみなし、役者をシテとみなして描画することで、異界の絵師となったのである。</p>
  <p>日本では、古来、あの世は地下にあると信じられた。地下だから、冥界は暗い。だから、異界は黒色で表象される。ところが、写楽は、第2期以降、黄潰し地の絵を多数書くようになった。しかし、それでも、依然として、写楽の主たるモチーフは、異界であったと思う。土の色は黄色であり、だから、地下の冥界は、「黄泉の国」と呼ばれた。黄色は黒色と同様に、異界の色なのである。黄色は、また危機の色であり、境界上の両義的存在を象徴する色でもある［<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/yellow_peril.html">スケープゴートは何色か</a>］。</p>
<h2>5. 写楽はなぜ端役を好んで描いたのか</h2>
<p>写楽は、人気のある著名歌舞伎役者のみならず、あまり有名でない役者も好んで描いた。さらには、中島和田右衛門、中村此蔵、谷村虎蔵、板東義次など、当時全く無名だったといってよいような三流役者までを描いている。これに対して、豊国は、一流の人気役者しか描かなかった。おそらくこれは、写楽の絵が、豊国の絵とは異なって、商業的に成功しなかった理由の一つであろう。写楽は、豊国よりも大量の役者絵を描いたから、豊国とは違って、端役まで描かなければならなかったという説明は成り立たない。劇によっては、人気役者を省略して、端役だけを描いている場合があるのだから。</p>
<p>写楽が端役に注目した一つの理由として、斎藤十郎兵衛自身が、能舞台において端役しか果たしていなかったことを挙げることができる。能の主役はシテであり、ワキは文字通り脇役で、斎藤十郎兵衛はワキツレだったから、その脇役のさらに脇役である。芸術家というものは、作品の中に、自分の分身（鏡像的他者）を描こうとするものである。だから、写楽の視線が、脇役に注がれたとして、不思議ではない。</p>
<p>だが、私は、写楽が端役を描いたのには、もっと重要な動機があったと考えている。一流の人気役者は、脚光を浴びる位置にいるが、二流以下は、そうではない。両者は、光と闇の関係にある。そして、闇の中にあって、浮かばれない存在を見分け、観客に分からせるのがワキ（あるいはワキツレ）の仕事である。さらに、スケールを広げて、同じ考察をするならば、写楽がデビューする直前、伝統的な三座がすべて休場・倒産するほど、歌舞伎の人気は落ちてしまっていた。写楽は、人気が落ちた歌舞伎全体を見分け、一般人に分からせようとしたと解釈することもできる。</p>
<h2>6. なぜ写楽は短期間で姿を消したのか</h2>
<p>内田千鶴子は、写楽の役者絵が当初よく売れたと推測している。</p>
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 写楽・考: 内田 千鶴子: 本; Accessed Date: 11/11/2008" class="blockquote">
  <p>写楽版画は売れに売れた。その証拠に、大首絵の個々の作品の摺りの状態や色調の違ったりしたものが現在でもかなり残っていて、その枚数も多いから、写楽大首絵は評判が良かったために、大量に摺られたことが考えられる。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［内田 千鶴子：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380932125/n08-22/">写楽・考</a>, p.155］</div>
<p>たしかに、写楽の役者絵には、さまざまな異版があるのだが、それは、必ずしも、当時よく売れたということを意味しない。当時、写楽以上に人気があって、よく売れた勝川系の画家の作品には、こうした現象は見られない。さまざまな異版があるのは、後世にさまざまな偽作が作られたからではないのか。</p>
<p>内田が「市川男女蔵の奴一平」［内田 千鶴子：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872577558/n08-22/">写楽を追え―天才絵師はなぜ消えたのか</a>, p. 10］として口絵に採用している出所不明の浮世絵は、落款にある「画」が“由”型になっていて、写楽に特徴的な“田”型になっているないことから、後世の模造品と判断できる。こういうものを採用しているところをみると、内田は、原画と模造品の区別に関して無頓着なようだ。</p>
<p>ドイツのユリウス・クルトが、1910年に出版した『写楽』で、写楽をレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と絶賛して以来、海外での写楽の評価は高まった。もともと写楽の現存する作品の数が少なかったために、写楽の錦絵の買い取り価格は、他のどの錦絵よりも高くなった。その結果、写楽の作品の模造品を作って、本物と偽り、海外に売る輩が出てきた［瀬木 慎一：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893300547/n08-22/">新版・写楽実像</a>, p.101］。</p>
<p>こうした事情を考えるならば、やはり、写楽の錦絵は、第1期からあまり売れなかったと考えるべきであろう。もしも第1期の大首絵が売れていたならば、歌麿と同様に、写楽も大首絵を描き続けたに違いない。そうせずに、第2期以降、さまざまな手法を試しているところを見ると、彼の作品は、最初から最後まで、あまり売れなかったと推測できる。また、第1期はすべて高価な大判だったのが、第2期以降、それよりも安い細版が増えている。これは成功している作家がたどる道とは逆であり、蔦屋の写楽に対する評価が下がっていったことをも示唆している。</p>
<p>写楽のシリーズを出し終わった翌年、蔦屋が、蔵版の狂歌絵本などの版権を大阪の版元に譲渡しているところをみると、やはり写楽をデビューさせるプロジェクトは、商業的には失敗に終わり、その結果、蔦屋は財務的に行き詰ったということなのだろう。写楽の作画活動が短期間で終了したのは、この商業的失敗が原因である。もしも写楽がプロの作家ならば、他の出版社を探して、再起を図るということをしたかもしれない。だが、さまざまな出版社に売り込みをするということは、斎藤十郎兵衛の場合、素性がばれるのでできない。斎藤十郎兵衛には、戻るべき本業があるのであり、だからこそ、彼はあっさりと筆を捨てることができた。</p>
<p>写楽は、蔦屋からデビューする前に、大量の習作を描いていたに違いない。そうでなければ、蔦屋重三郎の目にすら留まらなかっただろう。しかし、それらは、現在、一切残っていない。もちろん、斎藤十郎兵衛が描いたとされる絵画もまったく残っていない。しかし、残っていないということは、存在しなかったことを意味するのではない。斎藤十郎兵衛は、きっと自分が東洲斎写楽であることが暴露されることを恐れて、手持ちの自作品をすべて処分したと私は推測している。だから、私は、出版のための版下絵を除いて、写楽作と称する肉筆画を信用していない。</p>
<h2>7. なぜ写楽の作品は質が低下していったのか</h2>
<p>写楽の作品は、第1期、第2期、第3期、第4期と後になるほど作品の質が落ちていくというのがもっぱらの評価である。このため、後期の作品は、前期とは別人が書いたという説を唱えるものまでいる。たしかに、役者の顔の描写という観点からすると、後になるほど粗っぽくなり、生彩を欠くことは事実である。しかし、それは大首絵から、全身絵、さらには風景画へと描く領域が拡大していった結果必然的に起きることであり、写楽の力量が下がったとか別人が書いたという結論を導くことはできない。</p>
<p>写楽の作品の中でも、なかんずく、背景を細かく描写した第3期と第4期の細版は評判がよくないのだが、これは、各細版を独立した作品として評価しようとするからであって、例えば図6でやってみたように、背景をつなげて、全体で一枚の絵と見てみると、決して手を抜いた作品とは言えないことがわかる。第3期は大量生産の時期と言われるが、続き物を一つの作品とカウントするならば、特に多作というわけでもない。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 写楽の全貌: 山口 桂三郎: 本; Accessed Date: 12/15/2008"><img src="sharaku_tuzuki01.jpg" alt="写楽の全貌" /><img src="sharaku_tuzuki02.jpg" alt="写楽の全貌" /><img src="sharaku_tuzuki03.jpg" alt="写楽の全貌" /><img src="sharaku_tuzuki04.jpg" alt="写楽の全貌" /><img src="sharaku_tuzuki05.jpg" alt="写楽の全貌" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">図6　左から順に、中島和田右衛門の家主身替りの地蔵、四世松本幸四郎の皆川新右衛門じつは畑六郎左衛門、四世岩井半四郎のおとまじつは楠正成女房菊水、三世市川高麗蔵の小山田太郎、二世小佐川常世の女髪結いお六［山口 桂三郎：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487790751/n08-22/">写楽の全貌</a>, p.144-146］</div>
<p>もとより写楽の才能は肖像画において最大限発揮されるのであって、舞台全体を風景画のように描くと、個々の肖像画の魅力は落ちてしまう。にもかかわらず、なぜ写楽は、あえて自分にとって不利な手法を取り入れたのか。</p>
<p>『江戸風俗惣まくり』は、写楽が不評であった理由を次のように説明している。</p>
<blockquote cite="http://homepage2.nifty.com/stara/hanawa/edososho.html" title="Source: 江戸叢書; Accessed Date: 11/11/2008" class="blockquote">
  <p class="classic_jp">写楽といふ絵師の別風を書き顔のすまいのくせをよく書たれど、その艶色を破るにいたりて役者にいまれける。</p>
  <p>写楽という絵師が、［歌川豊国や国政などとは］異なった作法で［歌舞伎役者の肖像画を］描いて、顔の形の欠点をうまく描写したが、その美しさを台無しにしたために、役者から嫌われた。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［江戸叢書刊行会編纂：<a href="http://homepage2.nifty.com/stara/hanawa/edososho.html">江戸叢書</a>巻の八，江戸風俗惣まくり，絵双紙と作者］</div>
<p>『浮世絵類考』では「あまりに真を画かんとて、あらぬさまにかきしかバ、長く世に行われず、一両年にして止ム」と評されていたが、真を画くといっても、それは写真で写したようにありのままに描く写実主義ではなく、顔の欠陥を誇張することで、本物以上に本物らしく描くというリアリズムだった。当時、役者絵は、歌舞伎のブロマイドのような機能を持っていたので、実際以上に役者を魅力的に描かなければならないのだが、写楽は、実際以上にグロテスクにデフォルムして描いてしまった。それが『浮世絵類考』が謂う所の「あらぬさま」ということであおる。</p>
<p>男役の役者はそれでもまだよいが、美貌を売りにしている女役にとっては、そしてその女役のファンにとっては、写楽の絵は我慢のならないものだったに違いない。例えば、以下の図7は、写楽が描いた三世瀬川菊之丞であるが、美人と言えるだろうか。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 写楽の全貌: 山口 桂三郎: 本; Accessed Date: 12/15/2008"><img src="sharaku_oshizu.jpg" alt="写楽の全貌" /><img src="sharaku_katuragi.jpg" alt="写楽の全貌" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">図7　左図：三世瀬川菊之丞の田辺文蔵の妻おしづ，右図：沢村宗十郎の名古屋山三と三世瀬川菊之丞の傾城かつらぎ（一部）［山口 桂三郎：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487790751/n08-22/">写楽の全貌</a>, p.13, 69］</div>
<p>三世瀬川菊之丞は、当時最高の給料をもらっていた最高の女方である。豊国は三世瀬川菊之丞を色気たっぷりに描いているが、写楽が描いた三世瀬川菊之丞は、まるで異界の妖怪変化のようだ。これでは役者やファンが怒るのも無理はない。</p>
<p>写楽は、クレームがあった顔の部分の比率を絵全体の中で相対的に小さくするべく、役者絵を大首絵から全身絵へと、さらには風景画へと変化させていったのだろう。しかし、比率が小さくなっても、あらぬさまにかいていた点は何も改善されず、結局、写楽は、役者とファンから評価されないまま、作画を断念するにいたったというのが、写楽シリーズが短命に終わった事情に違いない。</p>
<p>さらに、想像をたくましくするならば、写楽は、役者たちから嫌われた結果、芝居前のデッサンができなくなったのではないだろうか。複数の浮世絵師が同じ舞台の同じ役者を描いているにもかかわらず、服装が異なっていたり、公演が中止になった舞台の浮世絵が残っていることからも分かるように、当時の役者絵は、芝居前に描かれていた［梅原猛：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771112/n08-22">写楽 仮名の悲劇，梅原猛著作集〈11〉人間の美術</a>，583頁］。内田は、写楽が芝居を見ながら描画したと想像しているが、以下のような営業妨害的なことをしていたとは到底考えることができない。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/%E5%86%99%E6%A5%BD%E3%82%92%E8%BF%BD%E3%81%88%E2%80%95%E5%A4%A9%E6%89%8D%E7%B5%B5%E5%B8%AB%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%86%85%E7%94%B0-%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90/dp/4872577558/ref=sr_1_3?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1226279051&amp;sr=1-3" title="Source: 写楽を追え―天才絵師はなぜ消えたのか: 内田 千鶴子: Amazon.co.jp: 本; Accessed Date: 11/10/2008" class="blockquote">
  <p>写楽は思わずかぶりつきに立ち上がり、矢立の筆を手にした。</p>
  <p>「何やってんだ！」<br />
    「引っ込め！」</p>
  <p> 観客から野次や怒号。</p>
  <p> 野次や怒号を無視して、蝦蔵の顔を見据える写楽。ぎょっとした表情を化粧に隠す蝦蔵。写楽は蝦蔵の演技に能役者として絵師として満足感を覚え、座ることも忘れて、画帖一杯に筆をたたきつけた。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［内田 千鶴子：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872577558/n08-22/">写楽を追え―天才絵師はなぜ消えたのか</a>, p. 169］</div>
<p>おそらく、当時の浮世絵師たちは、稽古中の役者を見ながらデッサンをしたのだろう。それができなくなることは、肖像画家にとっては致命的なことだ。第3期と第4期の役者絵が生彩を欠いているのは、このためではないのか。写楽は舞台背景を描くことで、その欠陥をカバーしようとしたが、それは、たんに写楽の作品の芸術的価値を下げる結果にしかならなかった。</p>
<h2>8. 『高島屋おひさ』の写楽絵は何を物語るか</h2>
<div class="object_top">
<blockquote title="Source: Amazon.co.jp： 浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気 (浮世絵ギャラリー (4)): 浅野 秀剛: 本; Accessed Date: 11/10/2008"><img src="sharaku_hisa.jpg" alt="浮世絵ギャラリー〈4〉写楽の意気" /><img src="sharaku_gorobe.jpg" alt="写楽の全貌" /></blockquote>
</div>
<div class="caption_bottom">図8　左図：栄松斎長喜『高島屋おひさ（一部）』，右図：写楽『四世松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛』［山口 桂三郎：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487790751/n08-22/">写楽の全貌</a>, p.22］</div>
<p>『伍一本浮世絵類考』で「写楽は阿波侯の士にて俗称を斎藤十郎兵衛といふ」と証言したと記された栄松斎長喜が、彼の浮世絵『高島屋おひさ』で、写楽の絵をあしらった団扇を描いたことは既に述べた。この絵は、縦長の柱絵であるが、左の画像は、細長い『高島屋おひさ』の主要部分を切り取ったものである。団扇絵のオリジナルは、右に掲げた写楽の第1期の作品『四世松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛』である。</p>
<p>ところが、よく見ると、団扇に描かれている『四世松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛』は、写楽のオリジナルとは左右が逆になっている。つまり、オリジナルと団扇絵は鏡像的な関係にある。高島屋おひさが持っているのは団扇であるが、これは、その形状からして、手鏡のようにも見えないだろうか。手鏡の鏡面に写楽の作品が写っている、そういうようにも見える。栄松斎長喜は、この絵で何を表現しようとしたのだろうか。</p>
<p>実は、栄松斎長喜が『高島屋おひさ』を描いたのは、写楽が姿を消した翌年にあたる。あの世がこの世から見て、鏡の向こうの世界だということは、これまで繰り返し述べてきた。写楽の絵が鏡の向こう側にあるということは、写楽の絵はもうあの世に逝ってしまって、この世にはないということを示している。現代人にはいちいち説明しなければ分かってもらえないこのようなメッセージも、当時の人は、ヒントなしですぐに分かったことだろう。写楽は異界の絵師であった。彼は、能という異界から来て、歌舞伎を異界として描き、そして、異界へとまた帰っていったのだ。</p>
<p>参考：<a href="http://www.nagaitosiya.com/c/sharaku.html">写楽関連年表</a>（雑記編）</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>性的自己擬態の記号論</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/sexual_automimicry.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2212</id>

    <published>2008-10-31T04:39:49Z</published>
    <updated>2009-01-02T05:26:36Z</updated>

    <summary>最近、ローライズパンツをはいた女性が、しゃがんで腰の地肌を見せることがはやっているが、あのしぐさが男を性的に刺激するのはなぜなのか。男が、女とは異なってネクタイをしめるのはなぜなのか。デズモンド・モリ...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="2_biology" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>最近、ローライズパンツをはいた女性が、しゃがんで腰の地肌を見せることがはやっているが、あのしぐさが男を性的に刺激するのはなぜなのか。男が、女とは異なってネクタイをしめるのはなぜなのか。デズモンド・モリスの性的自己擬態説を参考に、これらの問題を考えることで、人類の表象文化の起源を探りたい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 自己擬態による性的誘惑</h2>
<p>自分の体の一部を他の部位に模造することは、自己擬態（automimicry/self-mimicry）と呼ばれている。例えば、ある種のヘビは、尻尾が顔そっくりであるが、このヘビは、自己擬態をしているということができる。ヘビの危険部位は噛み付くことができる頭の部分であるから、尻尾を頭とそっくりにすることで、敵を効果的に牽制することができる。自己擬態という言葉は、同一個体内だけでなく、同一種内での擬態に対しても使われる。例えば、ミツバチのオスは、メスとそっくりな外観を持つことで、メスのミツバチのように針で刺す能力があるかのように偽装し、敵を威嚇することができる。</p>
<p>自己擬態の機能は、敵を威嚇することにのみ限定されない。異性を惹きつけるための自己擬態もある。デズモンド・モリスによれば、人間の女性の乳房と口唇は、尻と陰唇の擬態になっている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0385334303/n08-22/ref=nosim" title="Source: The Naked Ape: A Zoologist's Study of the Human Animal; Author: Desmond Morris; Publication Date: 1999/04/13; Publisher: Dell Pub Co" class="blockquote">
<p class="western">The protuberant, hemispherical breasts of the female must surely be copies of the fleshy buttocks, and the sharply defined lips around the mouth must be copies of the red labia. </p>
<p>女性の突出した半球形の乳房は、肉質の尻のコピーに違いないし、また口のまわりのはっきりと区切られた赤い唇は赤い陰唇［女の外部生殖器の一部］のコピーに違いない。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [Desmond Morris：<cite title="Author: Desmond Morris；Source: The Naked Ape: A Zoologist's Study of the Human Animal；Publication Date: 1999/04/13；Publisher: Dell Pub Co"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0385334303/n08-22/ref=nosim">The Naked Ape: A Zoologist's Study of the Human Animal</a></cite>, p.75] </div>
<p>なぜこのような擬態が生じるのか。モリスは、性的自己擬態のもう一つの例として、ゲラダ・ヒヒを挙げる。ゲラダ・ヒヒの胸には、以下の図の上部に描かれているように、尻と同様に、白い毛に縁取りされたひょうたんの形をしたピンクの皮膚があり、かつ、その中で、赤い乳首が、赤い陰唇のように中央でくっついている。このように、性器とそっくりの形状を胸に作り出すのは、ゲラダ・ヒヒが、他のサル科の動物と比べて、長い時間尻を地面に付け、性器が隠れる姿勢で座っているからだとモリスは言う。</p>
<blockquote cite="http://employees.csbsju.edu/lmealey/hotspots/Chapter13.htm" title="Source: Hotspots, Chapter 13; Accessed Date: 3/18/2007" ><img src="sexual_automimicry_hotspots.jpg" alt="Automimicry: Big Boobs, Ruby Lips and Pendulous Noses "  /></blockquote>
<div class="caption_bottom">図1　ゲラダ・ヒヒ（上）とマンドビル（下）における自己擬態<br />
[R. Dale Guthrie：<cite><a href="http://employees.csbsju.edu/lmealey/hotspots/Chapter13.htm">Body Hot Spots
The Anatomy of Human Social Organs and Behavior, Chapter 13 Automimicry: Big Boobs, Ruby Lips and Pendulous Noses</a></cite>]</div>
<p>人間の性的自己擬態も同じ理由で説明できる。もしも人間が、他のサル科の動物と同様に、四足歩行をし、性器が顔と同じ高さにあって、よく見えるなら、このような擬態は不要である。しかし、直立二足歩行をし、後背位ではなくて対面位でセックスをするようになると、尻も陰唇も見えにくくなる。そこで、ちょうどフェロモンが、性器から以外に、鼻の高さにある腋の下からも分泌されるようになったように、尻と陰唇も、本店とは別にその代理店を体の上部に作ったと考えることができる。</p>
<p>性的自己擬態に対応して、性交にも擬態が生じる。陰唇の代わりに口唇にペニスを挿入するフェラチオや、尻の間にペニスを挿入する代わりに、乳房の間に挿入するパイズリは、性的自己擬態ゆえに生まれた性交の象徴的反復であり、前戯として使われている。アナルセックスでは、アナルが陰唇の代わりになっている。相手の口の中に舌を挿入するフレンチキスや陰唇に舌を挿入するクンニリングスでは、舌がペニスの代わりになっている。勃起した乳首を口に含む場合、乳首がペニスの代わりとなっている。</p>
<p>ところで、モリスは、自己擬態のもう一つの例として、マンドリルというヒヒの顔を挙げている。マンドリルの顔には、引用した図の下部に描かれているように、青い皮膚に挟まれた真っ赤な鼻があり、黄色いあごひげが生えているが、これは臀部における真っ赤なペニス、その横にある青い陰嚢、その下にある黄色い陰毛の擬態になっている。モリスは、この自己擬態の理由はわからないと言うが、これは、敵の攻撃に対して脆弱になりがちな尻の部分を顔に似せて、敵を威嚇するためだろう。つまりヘビの自己擬態と同じで、顔の擬態が臀部に生じていると考えるべきだ。</p>
<h2>2. 人工物による性的自己擬態</h2>
<p>人間は自然的存在であると同時に文化的存在でもあり、性的自己擬態を人工物で強調したり新たに作ったりする。ブラジャーで、たるんだ乳房を寄せて、上げて、尻のような外観にしたり、口紅を塗って、唇を、性的に興奮して、膨らんで濃い赤色になる陰唇のようにしたりすることは、人工物による自然的擬態の強調である。</p>
<h3>2.1. 性的自己擬態としての腰見せ</h3>
<p>近頃、ローライズパンツと丈の短い上着という組み合わせが女性の間ではやっている。この組み合わせだと、以下の写真にあるように、座ったり、かがんだりすると、ウエスト部分で腰の地肌とパンツが露出してしまう。女性が、腰周りの肌を見せることにどのような意味があるのだろうか。</p>
<div class="object_left"><blockquote cite="http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2002_10_23/content.html" title="Source: 「ゲーム脳」の影響はここまで来た！？　女たちはなぜパンツを見せるのか; Accessed Date: 10/31/2008"><img src="sexual_automimicry_lowrise.jpg" alt="ローライズパンツ" /></blockquote></div>
<div class="caption_right">図2　ローライズパンツをはき、座って、ウエスト部分で腰の地肌とパンツを露出させる女性の写真。［<a href="http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/content.html">News Web Japan</a>：<a href="http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2002_10_23/content.html">「ゲーム脳」の影響はここまで来た！？　女たちはなぜパンツを見せるのか</a>（取材・文：草薙厚子　取材：島田健弘、渡辺江麻）］</div>


<p class="following">このファッションを取り上げた“<a href="http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/content.html">News Web Japan</a>”の記事は、以下のような澤口俊之のコメントを引用して、「脳の障害によるれっきとした病」と言っている。</p>
<blockquote cite="http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2002_10_23/content.html" title="Source: 「ゲーム脳」の影響はここまで来た！？　女たちはなぜパンツを見せるのか; Accessed Date: 10/31/2008" class="blockquote">
  <p>「ファッションというのは、どんな意識的な理由（口実）があったとしても、無意識な『繁殖戦略』が隠れています。よくいわれる本能というものです。男性に訴えかけるような体型とかファッションをする、わざとセクシーに見せるとか、逆に慎ましく見せるとかは、人を意識している行動なのです。これは問題ではない。ただ、無意識に下着が見えるような格好や行動をしたりするのは、周りに対して無頓着、かまわなくなるということなので、脳の障害でおこるれっきとした病です。パンツが見えようが、ブラジャーが見えようが気にしないというのは、それはうつ病の傾向を疑うか、人間としての本来的な働きが落ちていることなのです。実際、分裂病のかたは身なりを気にしなくなります。外界に対する意識の障害ですね。ある状況に対して、自分はどういう立場なのかという意識がないんです。そういう人たちが目だってきています。周りにどう思われているか意識しない、自己意識がなくなるというのが、『ゲーム脳』といわれている正体でもあります。若者が切れやすいというのも前頭前野の働きがにぶっているからです」</p>
</blockquote><div class="cite">［<a href="http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/content.html">News Web Japan</a>：<a href="http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2002_10_23/content.html">「ゲーム脳」の影響はここまで来た！？　女たちはなぜパンツを見せるのか</a>］</div>
<p>この<span class="following">澤口のコメントの</span>前半には同意できる。ファッションには、意識的な口実が何であれ、無意識な「繁殖戦略」が隠れているというのは、そのとおりである。だが、下着を見せるという行動には、「繁殖戦略」がないといえるだろうか。<span class="following">澤口</span>のような、年配の男性は、女性が下着を見せることに性的な魅力を感じず、むしろだらしがない程度にしか感じないだろう。しかし、若い男性は、必ずしもそうではない。彼女たちの腰見せファッションが、繁殖のパートナーとして、性的魅力の劣る中高年の男性を予め排除して、若い男性にターゲットを絞った誘惑であるとするならば、それは立派な「繁殖戦略」であると言うことができるのではないか。</p>
<p>ところで、この記事が書かれた2002年には、森昭雄の著書『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140880368?ie=UTF8&tag=n08-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4140880368">ゲーム脳の恐怖</a>』が出版され、「ゲーム脳」がマスコミの流行語になったが、この仮説は、未だに科学的には実証されていない。そもそも、日本の女性の大半が「分裂病」ということはないだろう。</p>
<p>モリスは、腰見せファッションがはやっているのは、女性がスカートをはく代わりにズボンをはくようになったからだと言う。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0312338538/n08-22/ref=nosim" title="Source: The Naked Woman: A Study of the Female Body; Author: Desmond Morris; Publication Date: 2007/02/20; Publisher: Griffin" class="blockquote">
  <p class="western">The result of this is that female legs have largely lost their role as areas of exposed flesh and some new zone was needed as a replacement. Low tops that expose shoulders and breast cleavarage have been employed in the past, but that solution had become too familiar. Something novel was required and somewhere, someone had the bright idea of wearing a top that was too short to reach the trousers. </p>
  <p>この結果、女性の脚は、露出された肉体領域としての役割をほぼ終え、代わりに新しいゾーンが必要とされた。肩と胸の谷間を露出させるロートップが過去に使われたことがあったが、そのやり方はすでに陳腐になっている。何か新しいものが求められていたところ、どこかで誰かが、短くてズボンに届かない上着を着るというすばらしいアイデアを思いついたのだった。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [Desmond Morris：<cite title="Author: Desmond Morris；Source: The Naked Woman: A Study of the Female Body；Publication Date: 2007/02/20；Publisher: Griffin"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0312338538/n08-22/ref=nosim">The Naked Woman: A Study of the Female Body</a></cite>, p.174] </div>
<p>たしかにそうではあるが、肌の一部を露出するのであれば、どのような方法でもよいというわけではない。</p>
<p>モリスは、胸の谷間を尻の性的自己擬態で説明したが、スカートを履いて足を露出することも、性的自己擬態で説明できる。</p>
<blockquote cite="http://www.nagaitosiya.com/a/finger.html" title="Source: 指の長い男はなぜもてるのか; Accessed Date: 10/31/2008" class="blockquote"><p>男の関心を惹きつけようとする女が、なぜ冬の寒い時でも、ミニスカートをはいて太ももを露出するのか、その理由を考えてみよう。ミニスカート・露出した太もも・Ｘ脚という男好みの三点セットがそろうと、尻と性器を連想させる肉の山と谷ができる。それは女陰の擬態なのだ。</p></blockquote><div class="cite">［<cite><a href="http://www.nagaitosiya.com/a/finger.html">指の長い男はなぜもてるのか</a></cite>］</div>
<p>ズボンをはくと、この性的自己擬態が無効になるとするならば、それを代替する腰見せルックスは、それに取って代わる性的自己擬態ということになる。実際、女性がしゃがんだ時、上着とパンツの間がぱっくりと開いて、地肌が露出すれば、まるで、女が両脚を開いた時にぱっくりと開く陰唇を縦にした時のようである。肌だけでなく、複雑なふち模様のパンツまで露出させると、それはまるで、陰唇の襞のようだ。だからこそ、それは、男にとっては、妙にエロチックに感じられるのではないか。</p>
<p>女の腰の肌自体は全然エロチックではないし、ビキニ姿の女が露出する肌の中で特に注目されている部分でもないのにもかかわらず、しゃがんで腰の地肌を露出させることが男を悩殺するのは、それが性器の擬態になっているからではないだろうか。</p>
<h3>2.2. 性的自己擬態としてのネクタイ</h3>
<p>他方で、男は、背広とワイシャツとネクタイというフォーマルな服装で性的自己擬態を行っている。フロイトは、ネクタイはペニスの象徴であると言った [Sigmund Freud：<cite title="著者：Sigmund Freud；書名：Gesammelte Werke. In 18 Baenden mit einem Nachtragsband. Werke chronologisch geordnet.；出版年：2001/11；出版社："><a href="http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3596503000/">Gesammelte Werke</a></cite> Bd.2/3, p.361] が、男の胸の中央でぶらぶらしているネクタイがペニスの擬態であるとするならば、そのペニスの付け根の横に広がる二つの襟は、睾丸に相当し、それらを囲む背広の左右の前身頃（まえみごろ）は、両脚に相当するということになるだろう。人間の男は、ゲラダ・ヒヒと同様に、胸に性器の類似物を作って、異性の注意を惹き付けようとしているのである。</p>
<p>ネクタイは、ペニスの見本としては長すぎるのではないかと思う読者もいるだろう。その通り。男たちは「自分のあそこはこんなに長いのだぞ」と誇大広告をしているのである。長くて大きなペニスは男たちの憧れの的である。ペニスが少々短くても、セックスする上で何の問題もないにもかかわらず、短小ペニスに悩んで病院を訪れる男性は少なくない。</p>
<p>男が大きなペニスを欲望するのは、短小なペニスでは、女にもてないと思っているからである。澤口によると、ペニスの大きさと背の高さは比例する [澤口俊之：<cite title="Source: モテたい脳、モテない脳; Author: 澤口 俊之 他; Publication Date: ; Publisher: 新潮社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101184518/">モテたい脳、モテない脳</a></cite>, p.112］。そして背の高さと知性の高さも比例する。プリンストン大学のアン・ケースとクリスティナ・パクソンによると、3歳の頃から、背の高い子供の方がそうでない子供よりも認識力のテストで良い結果を出す [Anne Case, Christina Paxson: <cite><a href="http://papers.nber.org/papers/w12466">Stature and Status: Height, Ability, and Labor Market Outcomes</a></cite>]。</p>
<p>もしもこれが本当ならば、背が高くてペニスの長い男を欲望する女は、知性の高い男を欲望しているということになる。男の性的自己擬態は、そうした女の欲望を満たそうと「背伸び」をした結果と解釈できる。もとより、澤口の説の科学的根拠は明確ではないし、だから、私は、「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/finger.html">指の長い男はなぜもてるのか</a>」では、生物学的説明ではなくて、象徴論的な説明にとどめておいた。</p>
<h2>3. 表象文化の起源としての性的自己擬態</h2>
<p>性的自己擬態は、視覚的手段以外に言語的手段によって行われる。そもそも言語は、その本来のありかたにおいて擬態的である。言語は、対象そのものではないが、対象を代表象する（represent 代理し表象する）機能を持つからである。漢字のような表意文字はもちろんのこと、アルファベットのような、今日純粋な表音文字として機能している文字も、その起源にさかのぼってみると、象形文字であったりする。象形文字は、本物である対象を模倣した擬態と言ってさしつかえない。</p>
<p>人間が最も発達した言語能力を持つ動物であることと、人間が意図的に性器を隠す唯一の動物であることは無関係ではない。性器の希少価値を高めるために異性に対して性器を隠蔽しなければならないと同時に、異性を誘惑するために性器の存在をほのめかさなければならないという相反する要求に答えるべく、人間は性的自己擬態を増殖させ続けてきた。そしてその延長上に、言語という最も洗練された表象文化を位置づけることができる。</p>
<p>考えてみれば、これまで新しいメディアを先導してきたのは、いつもポルノであった。インターネットが1996年に日本で爆発的に普及したのは、インターネットに接続すれば、無修正のポルノ画像が見ることができたからであり、だから、当時は男性のユーザーの方が圧倒的に多かった。ビデオデッキが一般家庭に普及することができたのも、アダルト・ビデオを自室で鑑賞したいという男たちの飽くなき欲望があったからである。CD-ROMも、映画も、写真も、そして活版印刷術も、不可視の性器を代表象させるためなら金に糸目を付けない消費者がいたからこそ、大衆規模までに市場を拡大することができるようになったのだ。</p>
<p>これまで新しいメディアの普及にポルノが果たしてきたパイオニア的役割を考えるならば、メディアの起源をポルノに求めることすら可能かもしれない。そこまで言ってよいかどうかは別として、もしも人間が性器を隠蔽しないようになるならば、性器の存在は水や空気と同じくありふれた存在になり、ちょうど水や空気を消費するために金を払う人がいないように、それを見るために金を支払う人はいなくなるであろうことは確かだ。人類が性器を隠蔽し続けてきたおかげで、人類は性的自己擬態を増殖させ、さらには豊かな表象文化一般を築き上げることができるようになったのである。</p>]]>
    </content>
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    <title>夫婦別姓問題を考える</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/family_name.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2211</id>

    <published>2008-10-30T02:55:22Z</published>
    <updated>2009-01-02T05:26:35Z</updated>

    <summary>  女性の社会進出に伴って、結婚後夫婦を同姓にする民法上の規定の弊害が指摘されるようになった。現在、国会では、選択的夫婦別姓制度を認めるように民法を改正するかどうかをめぐって、継続審議となっている。夫...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="7_politics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[  <p>女性の社会進出に伴って、結婚後夫婦を同姓にする民法上の規定の弊害が指摘されるようになった。現在、国会では、選択的夫婦別姓制度を認めるように民法を改正するかどうかをめぐって、継続審議となっている。夫婦同姓問題を解決するにはどうすればよいのか、氏名の自己決定権という、より一般的な観点からこの問題を考えてみたい。</p>]]>
        <![CDATA[  <h2>1. 夫婦別姓か夫婦同姓か</h2>
<p>
夫婦別姓（夫婦別氏）とは、結婚後も、夫婦が同じ氏/姓を称することである。民法第750条に「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」とあり、
戸籍上の夫婦別姓は不可能である。法律上は、夫の氏でも妻の氏でもどちらでもよいことになっているが、実際のところ九割以上、夫の氏に統一させられるので、夫婦別姓問題は、女性の人権問題として取り上げられることが多い。</p>
<p>
女性が、結婚後、専業主婦として家事と育児に専念している間は、同姓の強制は大きな問題とはならなかった。女性が結婚後も職場で働き続ける時代になると、氏姓を変えることによる業績の断絶や連絡の混乱などの弊害が顕著になってきた。夫婦別姓問題は、女性の社会進出に伴って生まれてきた問題である。</p>
<p>平成13年に行われた政府の世論調査によると、婚姻前から仕事をしていた人が婚姻によって姓を変えると、仕事の上で何らかの不便を生ずることがあると答えた者の割合は、41.9％にのぼり、20-49歳の女性に関しては、50%以上になっている。また、そう答えた者のうち、婚姻をしても仕事の上で不便を生じないようにした方がよいと答えた者の割合は、56.7％になっている［<a href="http://www8.cao.go.jp/survey/h13/fuufu/2-2.html">選択的夫婦別氏制度に関する世論調査</a>］。</p>
<p>
結婚による改姓の不都合を回避する方法としては、便宜的な方法と根本的な方法の二つがある。便宜的な方法は、旧姓による氏名を、戸籍上の氏名とは別の通名として使い続ける方法である。しかし、通名の適用範囲は限られており、健康保険証や運転免許証などの公的証明書では戸籍上の氏名を使わなければならず、このため混乱が生じるという不都合がある。</p>
<p>夫婦別姓以外の妥協的な解決策として、結合姓という方法もある。例えば、米国のヒラリー上院議員は、ビル・クリントンとの結婚後も旧姓を使用して、ヒラリー・ローダムと名乗っていたが、過激なフェミニストという印象を薄めるために、今では、ヒラリー・ローダム・クリントンというように、旧姓と夫の氏の両方を結合して名乗っている。だが、日本では、この方法は認められていない。ファースト・ネームを頻繁に使うわけではない日本では、結合姓の導入は困難という意見もある。</p>
<p>
夫婦別姓を貫く根本的な方法は、婚姻届を出さない事実婚により、夫婦関係を内縁関係に留めるという方法である。この場合、戸籍上も旧姓のままでいることができるが、家族が、扶養控除や配偶者控除の対象にならないとか、法定相続権がないために、遺言で遺産相続をしようにも、贈与扱いとなり、税金は二割り増しになるなど、法的に不利な扱いを受ける。</p>
<p>こうした不利な条件にもかかわらず、最初から、あるいはペーパー離婚（法律婚の夫婦が事実婚に移行する離婚）によって、事実婚を選ぶカップルが少なくない。別姓運動に取り組んでいる人の中には、婚外子差別撤廃運動にも関わっている人が多いことから、夫婦別姓反対論者の中には「別姓推進派の目的は家族破壊にある」[千葉展正：夫婦別姓推進論七つのウソ，<cite title="Source: 夫婦別姓大論破!; Author: 八木 秀次 他; Publication Date: ; Publisher: 洋泉社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896912349/n08-22/ref=nosim">夫婦別姓大論破!</a></cite>, p.23］と言う人もいるが、夫婦別姓のためだけに事実婚を選ぶ男女がいる以上、むしろ、家族制度の解体を防ぐために、夫婦別姓を容認するべきだという考えも成り立つのではないか。</p>
<p>家族崩壊は、子供に悪い影響を与える。スウェーデンは、婚外子差別を完全に撤廃したために、婚外子の割合が急増し、2001年現在、55.3%にまで達した［<a href="http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/index.html">社会実情データ図録</a>：<a href="http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1520.html">婚外子（非嫡出子）の割合（国際比較）</a>］。そして、
父親不在の家庭の増加に伴い、治安も悪化した。スウェーデンの人口当たりの犯罪数は、婚外子の割合が33.2%のアメリカの4倍、1.7%の日本の7倍もある [武田 龍夫：<cite title="Source: 福祉国家の闘い―スウェーデンからの教訓; Author: 武田 龍夫; Publication Date: ; Publisher: 中央公論新社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015754/n08-22/ref=nosim">福祉国家の闘い―スウェーデンからの教訓</a></cite>, p.134］。夫婦別姓がノミナルな問題であるのに対して、婚外子の増加はリアルな社会問題となる。</p>
<p>
夫婦別姓反対派は、夫婦別姓の容認も婚外子の容認も、行き過ぎた個人主義だと批判する。確かに、結婚は、子供という第三者の人権が関わるのだから、結婚に関する夫婦個人の自由はある程度制限されてしかるべきである。心の発展段階を考えても、子供に個人主義を求めるのは無理である。だから、夫婦を愛という気まぐれな関係だけで結合させるのではなくて、法的拘束力のある関係で結合させなければならないというのが、国家権力が結婚に介入する根拠である。</p>
<p>夫婦別姓反対派は、夫婦別姓の容認が家族制度の解体につながると危惧するが、私は、夫婦別姓ぐらいで家族の絆が弱まるとは思わない。皆さんは、姓がたまたま同じ赤の他人と、姓が異なる母方の親戚と、どちらに親類としての強い絆を感じるだろうか。明治時代以前の日本では夫婦別姓が実践されていたが、それが家族崩壊をもたらしたとする証拠はない。家族崩壊をもたらさないかぎりにおいて、夫婦の個人の自由は尊重されるべきである。</p>
<h2>2. 氏姓の歴史を振り返る</h2>
<p>
氏姓の起源を遡るなら、おそらく今日のプリミティブな社会に見られるトーテミズムのようなものに行き着くであろう。トーテムとは、自分たちの祖先として信じられている動植物などで、氏姓として機能し、自分たちのトーテムの動物は殺さない、同じトーテムの人間とは結婚しないというタブーがある。トーテムは母系で受け継がれるので、
トーテミズムは、子が母の姓を名乗るシステムに近い。ユダヤ法におけるユダヤ人の定義などは、今でも母系的である<sub>［ｍ］</sub>。</p>
<p class="note">[m] 私は、人類が、太古において母権性を取っていたと考えているが、これは、他の霊長類からのアナロジーでは必ずしも支持されない。人類と近いゴリラ・チンパンジー・ボノボは父系制である。ゴリラでは、リーダーが死ぬと、息子が跡を継ぐ。チンパンジーは乱婚的であるが、集団を出て行くのはメスの方である。ボノボは、チンパンジーと似たような父系の複雄複雌型の集団を作る（メスは全部よそから入ってくる）。但し、母親の影響がもっと強く、息子の順位は母親がどれだけ強いかで決まる。また、他の霊長類では、マントヒヒを除いて、母系制であるが。霊長類の性の形態は多様であるから、ゴリラ・チンパンジー・ボノボからの類推からだけでは決めることができない。</p>
<p>
しかし、やがて父権社会が成立するようになると、父系制が一般化し、西洋では、家族の氏を父の氏で統一する習慣が確立されるようになる。中国では、そこまで徹底せず、今日に至るまで、夫婦別姓である。父権社会化がさらに弱い日本は、かつては重系（双系）社会であったようだ。例えば、葛城県の割譲を推古天皇に要求した蘇我馬子は次のように述べている。</p>
<blockquote cite="http://www.j-texts.com/jodai/shoki22.html" title="Source:日本書紀　巻第二十二 ; Accessed Date: 12/28/2006" class="blockquote">
  <p class="chinese">葛城県者元臣之本居也。故因其県為姓名。</p>
  <p>葛城県は、もともと私の本拠地だ。だから、その県名を自分の姓名にしている。</p></blockquote><div class="cite"> [<cite><a href="http://www.j-texts.com/jodai/shoki22.html">日本書紀
：巻第二十二</a></cite>] </div>
<p>ここからもわかるように、
父が蘇我で、母が葛城だった馬子は、氏としては蘇我を、姓としては葛城を称していた。今日、氏も姓も同じ言葉として使われるが、本来は、氏が父系の出自を、姓は、その字が示すごとく
、生んだ女、つまり母系の出自を表した［通志：氏族略序］。この時代、妻問い婚、子の母方居住、女性の財産相続権など、母系制家族制度の名残が強かった。</p>
<p>姓（かばね）は、やがて職掌や格式を表す形式的な称号となり、父系の出自が重視されるようになる。日本では、明治の時代になるまで、中国や朝鮮でと同様に、夫婦別氏で、氏の父系継承が行われた。明治政府は、明治9年の太政官指令では、従来の夫婦別氏制度を踏襲することを布告したが、明治31年に公布された民法で初めて夫婦同氏を規定した。欧米の制度のまねである。</p>
<p>
日本の夫婦別姓（別氏）推進者たちは、「伝統的な家制度」からの解放を主張しており、決して、明治時代以前の伝統への回帰を主張しているわけではない。欧米で、夫婦別姓の動きが出てきたから、それを模倣したいというのが実情である。日本は、いつでも、中国や欧米といった、その時代の先進国の習慣に合わせようとしている。</p>
<p>
少なくとも先進国においては、
個人を常に家系において位置づけなければならない時代は終わった。ちょうど、子供が、母の影響、父の影響から脱して、個人として自立するように、人類も、母系でトーテムを受け継ぐ時代から、父系で氏を受け継ぐ時代を経て、氏名を個人を指す記号として使う時代に到達している。</p>
<p>日本には、欧米のように、相手を個人名（ファースト・ネーム）で呼び合う習慣がない。あたかも氏が個人名であるかのように使われる。それならば、例えば、「山田花子」の場合、「山田」を氏、「花子」を名として扱わずに、「山田花子」全体を名として、氏は「家所属」というように別に表記するようにすればよい。そうなれば、山田花子さんが鈴木太郎さんと結婚して、自分が姓を変えることに同意しても、「山田家所属の山田花子」が「鈴木家所属の山田花子」になるだけで、呼称の不連続が起きることはない。これならば、現行の制度をあまり変更することなく、夫婦同姓の問題点を解決することができる。</p>
<h2>
3.
戸籍名の自己決定権</h2>
<p>
夫婦別姓問題の本質は、自分の氏姓を維持する権利と変更する権利の両方を含む、命名の自己決定権にある。本稿を終えるにあたって、問題を一般化し、自分の名前を自分で決める権利はどこまで認めることができるかを考えてみよう。</p>
<p>
現在、日本では、個人のアイデンティフィケーションは、住民票コードを通じてなされており、かつての通名と戸籍名の関係を、戸籍名と住民票コードの関係に置き換えることは、技術的には可能である。にもかかわらず、戸籍名は、住所と同じように簡単に変更することはできない。だが、住民票コードを導入した以上、変更履歴を残すなどの措置を講ずれば、戸籍名を変更しても不都合は生じないはずである。</p>
<p>
他方で、通名は、戸籍に登録されないために、簡単に変えることができる。一部のマスコミが、被疑者となっている在日外国人の通名しか報道せず、実名が報道される日本人と比べて不公平だという指摘がある。もっとも、すべてのマスコミに実名報道を義務付けるわけにもいかない。この問題は、日本人の戸籍名も、在日外国人の通名と同様に、容易に変更可能にすれば解決する。</p>
<p>
戸籍名を簡単に変えることができるようにするならば、犯罪者が増えると懸念する人がいるかもしれない。しかし、実名報道のおかげで、刑期終了後も社会復帰ができなくなり、生活のためにさらに犯罪を繰り返すといった悪循環が生じている。本来、犯罪は、刑期の終了とともに清算されるべきであり、犯罪者に、戸籍名を変更して、人生をマイナスからではなくてゼロからやり直すチャンスを与えてもよいのではないだろうか。</p>
<p>
結婚した後も、自分の姓を変えたくない、あるいは、自分の氏名が気に入らないので、変えたいといった要望に対して、現在の日本の戸籍はあまりにも柔軟性を欠いている。自分の氏名を自分で決める権利は、もっと尊重されるべきだ。そうすれば、親から付けられた名前に不満があるとき、子が自分の名を変えるといったことも可能になる。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ストーカーは何を求めて付きまとうのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/stalker.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2210</id>

    <published>2008-10-28T23:45:25Z</published>
    <updated>2009-01-02T05:26:35Z</updated>

    <summary> ストーカーは、何を求めて付きまとい、行動を監視して、電話をかけてくるのか。なぜストーカーは、被害妄想を抱いて、憧れ、愛している人を苦しめるのか。日本において、ストーカー規制法を成立させるきっかけとな...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="3_psychology" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>
ストーカーは、何を求めて付きまとい、行動を監視して、電話をかけてくるのか。なぜストーカーは、被害妄想を抱いて、憧れ、愛している人を苦しめるのか。日本において、ストーカー規制法を成立させるきっかけとなった、桶川女子大生ストーカー殺人事件におけるストーカーの精神分析を通じて、ストーキングの本質とその解決策を考えてみよう。</p>]]>
        <![CDATA[  <h2>1. ストーキングとは何か</h2>
<p>
ストーカーという言葉は、「忍び寄る」「追跡する」という意味の“stalk”という英語から作られている。しかしながら、スパイや探偵が行う尾行や記者たちが行う追跡取材など、対象に恋愛感情を抱かないつきまといは、ストーキング（stalking 
ストーカー行為）とは言わない。金目当ての誘拐を行うためのつきまといも、ストーキングとは言い難い。</p>
<p>ストーキングは、ストーカー規制法（<a href="http://www.npa.go.jp/safetylife/stalkerlaw/anti-stalking-law.htm">ストーカー行為等の規制等に関する法律</a>）の第二条が定義しているように、「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で」行われる。
私たちの中には、振られて諦める人もいる一方で、いつまでたっても諦めきれずに、恋愛対象に偏執する人もいる。ストーカーになりやすい人は、後者のパラノイア（偏執病）的なタイプの人である。</p>
<p>パラノイア患者は、独占欲が強く、偏執病の名のごとく、恋愛の対象に偏執する。プライドが高くて、誇大妄想にふける反面、現実とのギャップゆえに、猜疑心が強くなり、相手が浮気しているのではないか心配になって、しょっちゅう電話をかけたりメールをしたりする。そして、振られてプライドが傷つくと、プライドを守るために、相手に自分を認めさせようとして、しつこく関係の修復を求める。それができないと、被害妄想を膨らませ、相手を誹謗中傷するなど、攻撃的になる。</p>
<p>リビドー発展論の用語を使って言うならば、パラノイア患者は、去勢される以前のサディズム肛門愛的体制の特徴を色濃く残している。
肛門期の幼児は、父親不在の鏡像的な母子相愛の中で、母乳に対する糞尿といった贈与の交換により、大文字の他者（母）の中に理想自我を見出すことでアイデンティティを保っている。この相愛関係が崩れることは、
アイデンティティの喪失、ひいては自分の死をもたらすことになる。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3596503000/" title="Source: Amazon.de: Gesammelte Werke, 18 Bde. u. Nachtragsbd.: B&uuml;cher: Sigmund Freud; Accessed Date: 10/29/2006" class="blockquote">
  <p class="western">Die Zwangsvorstellung: ich m&ouml;chte dich ermorden, hei&szlig;t im Grunde, wenn man sie von gewissen, aber nicht zuf&auml;lligen, sondern unerl&auml;&szlig;igen Zutaten befreit hat, nichts anderes als: ich  	m&ouml;chte dich im Liebe genie&szlig;en. </p>
  <p>この場合、愛の衝動は、サディズム的な衝動の仮面をかぶらざるをえなくなる。「お前を殺したい」という強迫観念は、もしも、それをある種の、しかし偶然ではなく不可避的な付加物から解放してやれば、その根底においては「俺はお前の愛を享受したい」という意味に他ならない。</p>
</blockquote><div class="cite">[Sigmund Freud：<cite title="著者：Sigmund Freud；書名：Gesammelte Werke. In 18 Baenden mit einem Nachtragsband. Werke chronologisch geordnet.；出版年：2001/11；出版社：">Vorlesungen 
zur Einf&uuml;hrung in die Psychoanalyse, <a href="http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3596503000/">Gesammelte Werke</a></cite> Bd.11, 
p.356] </div>

<p>
ラカンは、学位論文『人格への関係から見たパラノイア性精神病』で、患者、エメ（仮名）のストーカー行為をパラノイアと診断し、その精神構造を鏡像段階論で説明しようとした［Jacques Lacan：<a href="http://www.amazon.fr/psychose-parano%EFaque-dans-rapports-personnalit%E9/dp/2020055104">De la psychose parano&iuml;aque dans ses rapports avec la personnalit&eacute;</a>］。私も、この考えを引き継ぎたい。</p>
<p>私は、すべてのストーカーがパラノイア的であると主張するわけではないが、典型的なストーカーは、パラノイア的であると思う。このことを、日本で最も有名なストーカー事件である桶川女子大生ストーカー殺人事件を分析することで明らかにしよう。</p>
<p>
桶川女子大生ストーカー殺人事件は、1999年10月26日に、埼玉県桶川市で、帰宅途中の猪野詩織さんが、ストーカーと化した元恋人、小松和人の関係者によって殺害されたという事件で、国会でも取り上げられ、ストーカー規制法が2000年5月18日に成立する上で大きな役割を果たした、特筆するべき事件である。私がこの事件をいまさらながら取り上げるのは、この事件では、警察の対応のまずさばかりがクローズアップされ、加害者の心理分析は、いまだ十分には行われていないという気がするからである。</p>
<h2>2. 桶川女子大生ストーカー殺人事件</h2>
<p>
まずは、桶川女子大生ストーカー殺人事件の概要の説明から始めよう。1999年1月、小松和人が、プリクラ写真を撮るために友人とともにゲームセンターに来ていた猪野詩織さんに声を掛けたのが、交際を始めるきっかけとなった。</p>
<p>3月以降、詩織さんから頻繁に相談を受けていた友人Ａは次のように語っている</p><blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840101590/n08-22/ref=nosim" title="Source: 桶川女子大生ストーカー殺人事件; Author: 鳥越 俊太郎 他; Publication Date: ; Publisher: メディアファクトリー" class="blockquote"><p> 
	付き合い出してからすぐ、詩織ちゃんは小松和人がヘンな男だということに気が付いたみたいです。鏡の前で1時間でも2時間でも上半身裸でニヤニヤしているとか、突然叫び出したりするとか。壁には血の跡もあったといっていました。ナイフを出して“俺のために自分の体を、今、お前は切れるか”と聞いたりもしたらしい。</p></blockquote><div class="cite"> [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 桶川女子大生ストーカー殺人事件；Publication Date: ；Publisher: メディアファクトリー"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840101590/n08-22/ref=nosim">桶川女子大生ストーカー殺人事件</a></cite>, p.105] </div>
<p>
「鏡の前で1時間でも2時間でも上半身裸でニヤニヤしている」ナルシシスティックな性癖は、彼が鏡像段階の妄想の中で生きていることを示している。突然叫び出すのも、そうした妄想に基づいていると考えることができる。</p>
	<p>以下は、詩織さんが友人Ａに相談するようになるきっかけとなった出来事であるが、このエピソードは、なぜ壁に血の跡が付いていたのかを説明している。</p><blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840101590/n08-22/ref=nosim" title="Source: 桶川女子大生ストーカー殺人事件; Author: 鳥越 俊太郎 他; Publication Date: ; Publisher: メディアファクトリー" class="blockquote"><p> 
	小松の暴力が激しくなったのは、3月のある日のことだった。</p>
	<p> 
	突然、「おらぁ、舐めとんのか」「俺に対して、冷めているのか」といったかと思うと、詩織さんの顔スレスレに拳で壁を何度も叩き、壁を血で染めたのだという。</p>
	<p> 
	小松の手首には、幾重にもリストカット－つまり自殺未遂の痕もあった。通院歴があり、薬を何種類か飲んでいた。</p></blockquote><div class="cite"> [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 桶川女子大生ストーカー殺人事件；Publication Date: ；Publisher: メディアファクトリー"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840101590/n08-22/ref=nosim">桶川女子大生ストーカー殺人事件</a></cite>, p.105] </div>
<p>この出来事は、詩織さんが、小松和人のマンションに遊びに行った際、室内にビデオカメラが仕掛けられていることに気が付き、和人にその理由を尋ねた時に起きた [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 虚誕；Publication Date: ；Publisher: 岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim">虚誕</a></cite>, p.53；cf. p.206] 
。</p>
	<p>	怒って壁を殴るという行為自体はありふれたものだが、壁に血が付くほど殴るとなると、リストカットと同様に、自傷行為としての性格を帯びる。自傷行為とは、プライドを傷つけられた人が、主体性を回復するために、自分を傷つける行為である。</p>
	<blockquote cite="http://www.nagaitosiya.com/a/buddhism.html" title="Source: 仏教はなぜ女性を差別するのか; Accessed Date: 10/28/2006" class="blockquote"><p>例えば、失恋した女性が髪の毛を切るという軽微な自傷行為を例にとって考えてみよう。女性は、元彼という「後ろ髪を引かれる思い」を切り捨てるために、髪の毛を切り捨てる。ふられるということは、プライドが傷つくショッキングな体験である。だから、「私は彼から切り捨てられたのではない。私が彼を切り捨てるのだ」と自分に言い聞かせるように、髪を切り捨て、自分のプライドを守って、失恋という苦から逃れようとする。手首や腕や足を傷つける場合も同様である。</p></blockquote><div class="cite"> [<cite><a href="http://www.nagaitosiya.com/a/buddhism.html">仏教はなぜ女性を差別するのか</a></cite>] </div>
<p>
和人は、詩織さんに「俺のために自分の体を、今、お前は切れるか」と聞いているが、実際には、詩織さんのために和人は自分の体を傷つけているのだから、彼の願望は、現実を鏡像的に反転したものになっている。彼は、プライドを取り戻すために、いわば報復的に、反転された行動を要求しているわけである。</p>
<p>和人の異常な人格に気がついた詩織さんは、和人に対する信用を失い、別れたいと思うようになった。しかし、和人は、詩織さんに別れることを許さなかった
。以下のテープレコーダに記録された電話での発言（5月頃）をみれば、それが、自分のプライドを守るためだったということがわかるだろう。</p>
	<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim" title="Source: 虚誕; Author: 鳥越 俊太郎 他; Publication Date: ; Publisher: 岩波書店" class="blockquote"><p> 
	お前、世の中なめすぎてんだよ、まったくよ。嫌いになって別れてそれで済むと思ったら大間違いなんだ。コケにされて騙されつづけてよ。そんな人間どこにいるよ、お前。あん、それでバイバイなんて言う人間じゃねえんだよ、俺は。自分の名誉のためだったら、自分の命も捨てる人間なんだよ。そういう人間なんだよ、それだけお前を愛してたんだよ。それに対してなんだ、テメー、なんだよ、お前。信用なくしただ? 
	ふざけんじゃねーよ、コノヤローテメー。</p></blockquote><div class="cite"> [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 虚誕；Publication Date: ；Publisher: 岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim">虚誕</a></cite>, p.101] </div>
	<p>「自分の名誉のためだったら、自分の命も捨てる人間なんだ」と「それだけお前を愛してたんだ」は、一見すると、結びつかないと思うかもしれないが、そもそも嗜好と区別された愛の本質は、「他者を媒介として自己の存在を確認するナルシシズム」[永井俊哉：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4921132860/n08-22/ref=nosim">縦横無尽の知的冒険</a>, 
	p.211］
	にある。自分で自分を誉めてもトートロジー的な自己同一であり、なんらの名誉でもない。名誉は、他者から承認されることで始めて得られる。そして、愛されるということは、性的魅力に関する、他者による承認なのである。</p>
<p>ラカンの鏡像段階論は、ヘーゲルの主と奴の弁証法の影響を受けているのだが、ヘーゲルは、承認を求める自己意識のあり方を次のように描写している。</p>
<blockquote cite="http://gutenberg.spiegel.de/hegel/phaenom/pha4a001.htm" title="Source: Projekt Gutenberg-DE - Kultur - SPIEGEL ONLINE; Accessed Date: 10/29/2006" description="Es ist f&uuml;r das Selbstbewu&szlig;tsein ein anderes Selbstbewu&szlig;tsein; es ist au&szlig;er sich gekommen. Dies hat die gedoppelte Bedeutung, erstlich, es hat sich selbst verloren, denn es findet sich als ein anderes Wesen; zweitens, es hat damit das Andere aufgehoben, denn es sieht auch nicht das Andere als Wesen, sondern sich selbst im Andern." class="blockquote"><p class="western">Es ist f&uuml;r das Selbstbewu&szlig;tsein ein anderes Selbstbewu&szlig;tsein; es ist au&szlig;er sich gekommen. Dies hat die gedoppelte Bedeutung, erstlich, es hat sich selbst verloren, denn es findet sich als ein anderes Wesen; zweitens, es hat damit das Andere aufgehoben, denn es sieht auch nicht das Andere als Wesen, sondern sich selbst im Andern.
	</p>
  <p>自己意識に対しては、別の自己意識がある。すなわち、自己意識は自分の外に出てきているのである。このことは、二重の意味を持っている。まず、自己意識は自分自身を失っている。というのは、自己意識は、自分が他方のもう一つの実在であることに気が付くからである。次に、そのため自己意識は、その他者を廃棄している。というのは、自己意識は他者もまた実在であるとは見ないで、他者のうちに自己自身を見るからである。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [Georg Wilhelm Friedrich Hegel：<cite><a href="http://gutenberg.spiegel.de/hegel/phaenom/pha4a001.htm">Ph&auml;nomenologie des Geistes</a></cite>, 
Selbstst&auml;ndigkeit und Unselbstst&auml;ndigkeitdes Selbstbewu&szlig;tseins; Herrschaft und 
Knechtschaft] </div>
	<p>
	この内にして外という自己意識の二重性に、愛とパラノイアの本質がある。他者を愛するとは「他者のうちに自己自身を見る」ことである。また、パラノイア（παράνοια）は、ギリシャ語では、外（パラ）と魂（ヌース）の合成からできた言葉で、自己の魂が、自己の外（他者）に乗り移って「我に返る」ということがないという意味での狂気である。</p>
	<p>パラノイア的な愛のあり方をよく示している日本語に「憧れる」がある。現在の「あこがれる」は、古語の「あくがる」に由来し、「あくがる」の「あく」は場所を意味し、「かる」は「離る」で、離れることを意味した。すなわち、古語の「憧る」は、魂が本来居るべき所、すなわち自分の体から離れてさまよい、浮かれ出るという意味の動詞である。愛においては、魂は愛の対象となる人の中にあるから、ここから、現在の「憧れる」という動詞が生まれた。</p>
	<p>
	パラノイア患者の魂は、憧れる他者の中にある。だから、憧れる他者と連絡が取れなくなるということは、自己を見失うということを意味する。ストーカーがひっきりまなしに意中の他者に電話をかけ
	たり、跡をつけたりするのは、アイデンティティを失うまいとする必死の努力によるものなのである。</p>
    <p>
	和人は、頻繁に電話をし、泣きついたり脅したりして、詩織さんを自分のもとに留めようとしたが、詩織さんは、6月14日に、和人に対して、付き合いを辞めたいとはっきり言った。すると、その日の夜、和人と和人の自称上司と自称社長が、
	猪野家に乗り込んで、自称上司は次のようなことを言った。</p><blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840101590/n08-22/ref=nosim" title="Source: 桶川女子大生ストーカー殺人事件; Author: 鳥越 俊太郎 他; Publication Date: ; Publisher: メディアファクトリー" class="blockquote"><p> 
	お宅のお嬢さんにそそのかされて、うちの社員が会社の金を500万着服した。どう落とし前つけるんだ。誠意を見せろ。お宅のお嬢さんを詐欺で訴えてもいいんだぞ。</p></blockquote><div class="cite"> [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 桶川女子大生ストーカー殺人事件；Publication Date: ；Publisher: メディアファクトリー"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840101590/n08-22/ref=nosim">桶川女子大生ストーカー殺人事件</a></cite>, p.193] </div>
	<p>この自称上司は、小松和人の兄、小松武史である。和人は、詩織さんに対して、職業を外車ディーラーと偽っていたが、実際には裏風俗店（違法な風俗店）の経営者であった
	。社長が和人なのだから、自称社長ももちろん偽者である。自称上司は、社員（和人）が、詩織さんに騙されて精神的におかしくなっていると主張したが、詐欺で付き合いを始め、相手を追い詰め、精神的におかしくさせているのは、他ならぬ和人の方である。和人は加害/被害の関係を鏡像的に反転させ、他者の中に自己を見出し、自らを被害者の立場に置いているのである。</p>
<p>詩織さんは「誠意を見せろ」という要求を「金を払え」という意味に誤解した。しかし、和人は、金が欲しくてこのような芝居をしたわけではなかった。和人は、月収が70－100万円あったから、金には困っていな
かったが、裏風俗店の経営者だから、名誉はない。だから、名誉に飢えてい
た。和人が、詩織さんに見せて欲しかった誠意とは、和人に対する感謝と謝罪であり、そして、和人は詩織さんとの復縁を望んだ。しかし、詩織さんは、和人のそうした願望も知らずに、和人からもらったプレゼントをすべて返すことで、関係を清算しようとした。</p>
<p>
ところで、和人はなぜ詩織さんに、本人が迷惑がっているのにもかかわらず、大量のプレゼントを押し付けたのだろうか。実は、過剰なプレゼントもまた、ストーキングによく見られる現象で、ストーカーはその対価として愛を要求し、贈与交換による鏡像的関係を維持しようとする。その点で、ストーカーは、自分が与える糞尿の対価として母が乳や愛情を注いでくれると想像する肛門期の幼児と同じである。詩織さんが、もらったプレゼントを返すということは、そうした贈与交換を終わらせるということを意味しており、だからこそ、和人 
は、詩織さんに「返してもらっても困るんだよ」 と言ったわけである [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 桶川女子大生ストーカー殺人事件；Publication Date: ；Publisher: メディアファクトリー"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840101590/n08-22/ref=nosim">桶川女子大生ストーカー殺人事件</a></cite>, 
p.113] 。</p>
	<p>
	和人は、両親に圧力をかけて、詩織さんを取り戻そうとしたが、失敗した。そこで、今度は、両親を含めた猪野家全体を、さらに外側から圧力をかけて、詩織さんを取り戻そうとした。7月13日には、詩織さんの写真が入った中傷ビラが近所に貼られた。さらに8月23日と24日には、父の勤務先に、父と詩織さんを誹謗する怪文書が大量に送られた。これは、ヘーゲルの言葉を使うなら、「承認をめぐる闘争」である。自分の主張を周囲の多数に認めさせ、そして、標的を包囲し、最終的には、詩織さんに認めさせようとしたのである。</p>
<p>和人は、この時まだあきらめていなかった。</p><blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim" title="Source: 虚誕; Author: 鳥越 俊太郎 他; Publication Date: ; Publisher: 岩波書店" class="blockquote">
	<p>「中傷ビラ」の準備に詩織さんの写真を提供する和人について、手下の男たちは、和人は「未練があった」「復縁したがっていたと思う」と証言している。</p>
</blockquote><div class="cite"> [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 虚誕；Publication Date: ；Publisher: 岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim">虚誕</a></cite>, p.88] </div>
	<p>
	だが、この包囲戦も、効果をあげずに失敗すると、和人は、最後の手段に訴えた。10月26日に、和人は、兄を通じて、元暴力団員の店員に1800万円を支払って、詩織さんを殺害させた。そして、翌年の1月27日、北海道の屈斜路湖で自殺した。実家に
	宛てた遺書には、こんなことが書かれていた。</p><blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim" title="Source: 虚誕; Author: 鳥越 俊太郎 他; Publication Date: ; Publisher: 岩波書店" class="blockquote"><p> 
	今思うといのしおりは悪まの女だったと思う</p>
	<p> 小松家にこんなゆるされないおめいをきせようとしている</p>
	<p> のだから　いろいろきたなくみにくい人間を見てきたが</p>
	<p> いのしおりという人間は見たことがない</p></blockquote><div class="cite"> [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Author: 鳥越 俊太郎 他；Source: 虚誕；Publication Date: ；Publisher: 岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim">虚誕</a></cite>, p.129-130] </div>
	<p>
	実際には、猪野詩織さんが小松家に汚名をきせようとしたのではなくて、小松和人が猪野家に汚名をきせようとしたのだから、ここでも和人の被害妄想は、現実を鏡像的に反転させたものになっている。</p>
<p>和人は、殺害翌日の夕方、安田生命池袋支社に電話している。和人の遺品であるリュックの中に「安田生命から下りる保険金を老後に役立ててください」という両親宛の遺言があることを考えると、和人は事件直後から自殺する決意をしていたことになる [鳥越 俊太郎 他：<cite title="Source: 虚誕; Author: 鳥越 俊太郎 他; Publication Date: ; Publisher: 岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000225227/n08-22/ref=nosim">虚誕</a></cite>, p.28］
	。</p>
<p>和人にとって、詩織さんは、鏡の中の自分だった。
だから、詩織さんを殺した段階で、和人は死んだ。承認をめぐる闘争において、承認してもらうべき他者を殺すことは、自立しようとする自己意識にとっては、自殺行為なのである。</p>
<h2>3. どうすればストーカーから逃れられるか</h2>
<p>以上、桶川女子大生ストーカー殺人事件という具体的なケースの分析を通じて、ストーカーの精神構造を明らかにした。ストーカーは、去勢体験以前の肛門期に後退している。だからーストーカーにストーキングを止めさせるには、父の名による去勢が必要である。</p>
<p>和人は、詩織さんに出会う前、別の女性にストーキングをしていた。彼の部屋の壁に付いていた血の跡や、彼の手首に多数あったリストカットの跡は、その時のフラストレーションによるものもあったのかもしれない。しかし、その女性は殺されずに住んだ。彼女が駆け込んだ川越署は、和人を呼び出し、さらに兄を身元引受人として呼び、ストーキングの再発を防いだ。</p>
	<p>
	ストーカーは、加害行為をしているにもかかわらず、加害/被害の関係を鏡像的に反転させ、自らを被害者の立場に置き換え、被害妄想を膨らませ、それに基づいてさらに加害を行うというループを繰り返す。この無限ループを切断するには、ストーカーとその鏡像的他者の間に、両者を超越する父なる存在が介入し、承認をめぐる戦いに対して、真理を提示しなければならない。そして、父なる存在として、この場合もっとも適切なのが、警察である。</p>
<p>
	ところが、詩織さんが被害を訴えた上尾署は、民事不介入と称して、詩織さんが殺されるまで、全く何の行動もとらなかった。それどころか、詩織さんが出した告訴状を取り下げさせようとさえした。もしも上尾署が、川越署のように、すぐに行動を起こしていたならば、詩織さんは、そしてまた和人も死ななくてすんだだろう。この事件における警察の怠慢の責任は、やはり大きいと言わなければならない。</p>]]>
    </content>
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<entry>
    <title>男女共同参画を推進する本当の狙いは何か</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/gender_free.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2209</id>

    <published>2008-10-28T05:03:35Z</published>
    <updated>2009-01-02T05:26:35Z</updated>

    <summary>1999年に男女共同参画社会基本法が成立し、2001年には内閣府男女共同参画局が設置され、国も自治体も女性の社会進出に向けて取り組んでいる。だが、政府が推進する男女共同参画社会とは、左翼系フェミニスト...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="5_sociology" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>1999年に男女共同参画社会基本法が成立し、2001年には内閣府男女共同参画局が設置され、国も自治体も女性の社会進出に向けて取り組んでいる。だが、政府が推進する男女共同参画社会とは、左翼系フェミニストが期待しているような、女性労働者の地位の向上を保証する平等な社会ではなく、むしろ資本家を儲けさせるための格差社会である。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 男女共同参画社会基本法はなぜ成立したのか</h2>
<p>
女性を家事と育児に固定する性別分業は、憲法で謳われている男女平等の理念に反するとして、フェミニストたちから長らく批判されてきた。彼女たちは、立法や行政を司る国会議員や官僚のほとんどが男性であることから、女性解放は困難と当初は見ていたようだが、1985年に<a href="http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html">女子差別撤廃条約</a>が批准され、<a href="http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/josei/hourei/20000401-29.htm">男女雇用機会均等法</a>が成立し、1999年には、<a href="http://www.gender.go.jp/9906kihonhou.html">男女共同参画社会基本法</a>が成立するなど、女性の職場進出に向けての法的整備は着々と行われている。</p>
<p>以下のグラフは、昭和55年（1980年）から平成19年（2007年）までの間での、専業主婦がいる世帯の数と共働きの世帯との数の推移を描いているが、これをみれば、女性の社会進出が、法的整備を背景に、着実に進んでいることがわかる。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://www.gender.go.jp/whitepaper/h20/zentai/top.html" title="Source: 男女共同参画白書　平成20年版; Accessed Date: 10/28/2008"><img src="gender_free_two-income.png" alt="男女共同参画白書　平成20年版" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">共働き等世帯数の推移［<a href="http://www.gender.go.jp/whitepaper/h20/zentai/pdf/DKH20H01.pdf">男女共同参画白書 平成20年版</a>, p.78］</div>
<p>フェミニストたちも、男女共同参画社会を推し進める政府の積極的な姿勢に驚いているようだ。男女共同参画審議会委員の大沢真理との対談の中で、フェミニストの上野千鶴子は、1996年7月に、男女共同参画審議会が、男女共同参画ビジョンを答申したことについて、次のように言っている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim" title="Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2001/10; Publisher: 平凡社" class="blockquote"><p> 
	かつて国連で女性差別撤廃条約が締結された時、条約の文言を読んで日本の現実とのあまりの落差に茫然自失しました。こんなものに署名してきた日本政府代表って、おいおい、本気かよ、字が読めなくなって署名してきたんじゃないのか（笑）と思うぐらいの大きなショックがありましたけど、これはそれと同じくらいの落差があります。ジェンダーの解消を目指す私たちにとっては願ってもない歓迎すべきゴールですけれど、それが今日の時点における政府の審議会で合意形成されたという、その事実そのものが、にわかには信じがたい（笑）。</p></blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集；Publication Date: 2001/10；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim">ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集</a></cite>, p.26] </div>
<p>
これに対して、大沢は、その時代背景を次のように分析している。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim" title="Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2001/10; Publisher: 平凡社" class="blockquote"><p> 
	男女共同参画室と審議会が設置され、北京会議に備えるという体制が作られたのは羽田内閣から村山内閣に変わる境目の頃なんですね。やっぱりあの頃、戦後五十年決議であれ、なんであれ、いろいろ言われても、自民党単独政権ではとてもなされないだろうようなことがいろいろなされてきた。私はそういう九十年代連立政治の一つの結果であるというふうに思っています。</p></blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集；Publication Date: 2001/10；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim">ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集</a></cite>, p.14] </div>
<p>大沢は、このように、男女共同参画社会の実現には、社さの閣外協力が追い風になったと考えている。では、自民党の保守主義者は、社会主義者たちとは異なって、女性の社会進出に消極的だったかと言えば、必ずしもそうではない。男女共同参画社会基本法を成立させたのは、純粋な保守政党である。女子差別撤廃条約を批准したり、男女雇用機会均等法を成立させたのは、タカ派の保守主義者として知られる中曽根康弘が首相のときだった。</p>
<p>大沢は、対談の後にできた男女共同参画社会基本法案について次のように述べている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim" title="Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2001/10; Publisher: 平凡社" class="blockquote"><p> 
	一九九八年夏の参議院選挙を境に「自社さ」から「自自（自民党と自由党）」へと変わった政権のもとで、法案がどのようなものになるか懸念していたが、意外にもいくつかの点で審議会答申よりも踏み込んだ法案となったことを、やや驚きながら歓迎した覚えがある。</p></blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集；Publication Date: 2001/10；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim">ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集</a></cite>, p.78] </div>
<p>
自由党というのは、1998年から2003年にかけて存在した、小沢一郎を中心とした保守政党である。上野は、1999年に、男女共同参画社会基本法が、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化する法律とともに成立した後、次のように感想を述べている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879740179/n08-22/ref=nosim" title="Source: ジェンダーフリーは止まらない!―フェミバッシングを超えて; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2002/01; Publisher: 松香堂書店" class="blockquote">
<p>
この法律は、「君が代・日の丸」国会で、超党派の満場一致で成立しました。「君が代・日の丸」法案を通した同じ議員が通したんですよ、信じられます？［］よう通したな、こんな過激な法律を</p>
</blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: ジェンダーフリーは止まらない!―フェミバッシングを超えて；Publication Date: 2002/01；Publisher: 松香堂書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879740179/n08-22/ref=nosim">ジェンダーフリーは止まらない!―フェミバッシングを超えて</a></cite>, 
	p.35-36] </div>	
<p>
2000年12月の講演では、上野はこう言ったと伝えられている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569638120/n08-22/ref=nosim" title="Source: 新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす; Author: 西尾 幹二 他; Publication Date: 2005/01/12; Publisher: PHP研究所" class="blockquote">
  <p> 男女共同参画社会基本法が可決された。しかも全会一致で！私はこのように思った。この男女共同参画社会基本法がどのようなものか知っていて通したのかよー、と［］これにより後で保守系オヤジどもを地団駄踏んで悔しがらしてやる</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [西尾 幹二 他：<cite title="Author: 西尾 幹二 他；Source: 新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす；Publication Date: 2005/01/12；Publisher: PHP研究所"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569638120/n08-22/ref=nosim">新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす</a></cite>, p.214] </div>
<p>上野も大沢も、男女共同参画社会基本法の成立で女性の地位が向上すると喜びつつも、なぜフェミニストの敵と思われている保守本流のオヤジ議員たちが、誰も、これ反対しなかったのか、理解できず、不思議に思っているようだ。</p>
<h2>
2. 男女共同参画社会の理念は何か</h2>
<p>
上野は、しかしながら、男女共同参画基本法に全面的に賛成しているわけではない。彼女は、法の名前に、「男女平等社会」ではなくて、「男女共同参画社会」が採用されていることに文句を言っている。たしかに、「男女共同参画」の英語訳が“gender equality”となっていることを考えると奇妙であるが、日本国憲法で平等の理念が謳われているにもかかわらず、「男女平等」という言い回しいは当初から慎重に避けられていた。</p>
<p>
ちなみに、1987年に制定された「西暦2000年に向けての新国内行動計画」では「男女共同参加型社会」という表現が使われていた
。しかし「参加」では、付け足しのようなイメージが強いので、「参画」という言葉が使われた。大沢はこう回顧している。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim" title="Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2001/10; Publisher: 平凡社" class="blockquote"><p> 
	財界の人たちは、法制度がどうこうより、要は能力と努力によって差がついているだけなので、それに不満を言い立てるなんてとんでもないと。男女平等という言葉に男性のお偉方のアレルギーが強いということを考慮して、平等とは言わないで、男女共同参加とか共生と言ってきた。参画と言うようになったのは、日本では参加、参加で大衆動員するので、それよりは意思決定過程に参与することを強調する意味で参画を使おうということになって出てきた言葉ですね。</p></blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集；Publication Date: 2001/10；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim">ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集</a></cite>, p.17] </div>
<p>
ここからわかるように、委員たちは、財界人の圧力を受けて、男女平等という文言を入れないことで、この法律が《結果の平等》を保証しているかのような印象を払拭し、保証しているのはあくまでも《機会の均等》だけだというメッセージを名称に込めたのである。同じことは、所謂「男女雇用機会均等法」、つまり、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」にも当てはまる。どちらの法律も、本文には、日本国憲法に言及した箇所以外では、「平等」という言葉は出てこない。この言葉の問題が、政府とフェミニストの思惑のずれを象徴している。</p>
<p>フェミニズムというのは、たんに男女が対等であることを主張しているだけの形式的な思想ではない。それは、女性原理を尊重し、エコロジーや社会主義と親近性を持つ、実質的な内容を持った思想である [<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/feminism.html">フェミニズムとは何か</a>] 
  。だから、自由競争のような男性原理を肯定する、自由主義的な機会均等主義者は、フェミニズムとは言わない。上野自身、ブルジョワ的で自由主義的な女性解放思想は、フェミニズム理論に含めることはできないと言っている [上野 千鶴子：<cite title="Source: 家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平; Author: 上野 千鶴子; Publication Date: 1990/11; Publisher: 岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/400000333X/n08-22/ref=nosim">家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平</a></cite>, p.12］
  。</p>
<p>
上野は、マルクス主義的フェミニストである。マルクス主義的フェミニズムは、男性/女性の関係をブルジョワ/プロレタリアンや先進国/発展途上国といった搾取/被搾取、強者/弱者の関係で捉え、後者の前者からの解放を主張する。マルクス本人がフェミニストであったわけではないが、フェミニストたちは、自由競争という男性原理を否定し、弱者を救済するという点を評価して、マルクス主義を女性原理で染め上げた。</p>
<p>上野は、リベラリズム（アメリカ的な意味ではなくて、イギリス的な意味でのリベラリズム）を、資本主義のイデオロギーとして批判する。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879748617/n08-22/ref=nosim" title="Source: フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2000/00; Publisher: ウィメンズブックストア松香堂書店" class="blockquote">
<p>
リベラリズムは「自由主義」と訳します。自由主義ってカッコよく響きますが、自由主義の自由って何かというと、資本家が金を儲ける自由のことです。この自由を守れというのがリベラリズムというのものなんです。</p>
</blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録；Publication Date: 2000/00；Publisher: ウィメンズブックストア松香堂書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879748617/n08-22/ref=nosim">フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録</a></cite>, p.42] </div>
<p>上野は、男女雇用機会均等法は、女を自由競争に巻き込むという理由で、この法律に反対している。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879748617/n08-22/ref=nosim" title="Source: フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2000/00; Publisher: ウィメンズブックストア松香堂書店" class="blockquote">
<p>
ヨーイドンの競争で、最後に結果に差がつけば、これまではヨーイドンの競争に入れてもえら［ママ］なかったから男女格差がついていたように見えたけれど、ヨーイドンの結果、「勝ち組」の女と「負け組み」の女ができるだけでしょう。そうすると勝った女を「いいわね、あの人は。でも私はしょせん、頑張らなかったから－」と、女が自分の劣位に同意をする、同意を調達するシステムに、女がより深く巻き込まれていくだけでしょう。</p></blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録；Publication Date: 2000/00；Publisher: ウィメンズブックストア松香堂書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879748617/n08-22/ref=nosim">フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録</a></cite>, p.49] </div>
<p>最近では、さすがに上野も「マルクス主義」を口にしなくなったが、相変わらず、競争のない社会主義的な平等社会を理想としている。だが、現在日本で実現されつつある男女共同参画社会は、そうした理想とは全く逆の社会である。</p>
<h2>
3. 保守主義者が男女共同参画社会を支持する理由</h2>
<p>
なぜ、自民党や元自民党の保守主義の議員たちは、男女共同参画社会基本法に賛成したのか、その理由を考える前に、「男女共同参画社会」の実現が何をもたらすのかを考えよう。上野は、こういう予測を立てている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim" title="Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集; Author: 上野 千鶴子 他; Publication Date: 2001/10; Publisher: 平凡社" class="blockquote"><p>国内で女性の労働力参加を促進する政策を取ることは、一国国内的な経済性や生産性の効率のためにはプラスかもしれません。ですが、国内で上がりすぎた男女の人件費は、安い労働力を求める資本移動をとめることはできません。福祉国家とかあるいは一国内ジェンダー・ディストリビューション・ジャスティス（ジェンダーによる資源の分配公正）を、域内平和として達成することは可能かもしれないけれども、気がついたらとっくに国内の雇用の空洞化が起きていた、ということにもなりかねません。</p></blockquote><div class="cite"> [上野 千鶴子 他：<cite title="Author: 上野 千鶴子 他；Source: ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集；Publication Date: 2001/10；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582472273/n08-22/ref=nosim">ラディカルに語れば―上野千鶴子対談集</a></cite>, p.68] </div>
<p>
ここからもわかるように、上野は、もしも女性が本格的に職場に進出するなら、女性の賃金が男性の水準にまで上昇すると予想し、その結果、資本は低賃金による搾取を海外に求めるようになるのではないかと懸念している。</p>
<p>しかし、私は、上野が考えているのとは全く逆の事態になるだろうと予測している。それまで家庭の中で眠っていた女性の労働力が、労働市場に出てくれば、労働力の供給が増えるのだから、賃金水準は下がることはあっても上がることはない。女性労働者の待遇を今の男性労働者なみに良くするのではなくて、男性労働者の待遇を今の女性労働者なみに悪くすることで男女格差を解消し、同時に、国内の雇用の空洞化を阻止することが、男女共同参画社会実現の結果である。</p>
<p>
女性の社会進出は、賃金水準の切り下げを媒介としつつ、ポジティブフィードバックによって促進されるだろう。夫の賃金が下がれば、それまで専業主婦でやっていけた妻も、家計を維持するために、働きに出なければならなくなる。より多くの専業主婦が、労働市場に出れば、賃金水準はさらに下がる。そうなれば、さらにより多くの専業主婦が...というように。</p>
<p>
上野のような左翼のフェミニストは、ワークシェアリングによる福祉国家の実現を夢見ているのであろう。確かに、女性が労働市場に進出しても、男女の労働時間を短縮すれば、賃金水準の値崩れを防ぐことができるだろう。しかし、日本の雇用政策は、世界的なトレンドに合わせて、福祉国家的ないしフォーディズム的な労使協調を終わらせる方向で動いている。</p>
<p>
1999年から施行された改正男女雇用機会均等法では、男女の均等取扱いとひきかえに、女子保護規定が撤廃され、女性の残業・休日労働・深夜業規制がなくなった。男女の労働者に、現在の男性なみの厳しい労働条件で、かつ、現在の女性なみの安い賃金水準で働いてもらうことで男女間の格差を解消したいというのが資本家たちの本音である。そして、資本家から多額の政治献金を受けている自民党や元自民党の保守主義の議員たちが、
資本家の利益になる政策に賛同するのは当然である。</p>
<p>フォーディズム的な労使協調の終焉は、たんに賃金水準を切り下げるだけでなく、雇用形態の変更をもたらす。雇用者は、社会保険や福利厚生費を削減するために、あるいは雇用の硬直化を防ぐために、非正規雇用を増やしつつある。非正規雇用といっても、正規雇用と比べて必ずしも労働時間が短いわけではなく、むしろ時間給が低い分、長時間働かなければいけないというのが現実である。企業は、非正規の雇用を増やすことで、一人当たりの労働時間を減らそうとしているわけではなくて、企業にとって重要でない従業員の一生の面倒を見ることを放棄しようとしているのである。</p>
<p>この終身雇用制の崩壊もまた、男女間格差を是正することになる。これまで女性の賃金水準が男性の賃金水準よりも低く抑えられていたのは、かならずしも経営者の性的偏見が原因とは言えない。女性従業員は、結婚や出産でいつ辞めるかわからないので、スキルアップのための長期投資や、企業秘密を漏らすことになる経営参画の対象にはなりにくかった。つまり、女性従業員の賃金水準が安いのは、男性アルバイト従業員の賃金水準が安いのと同じ理由なのである。しかしながら、長期にわたって働く女性が増えてくると、そうした差別は根拠を失うことになる。</p>
<p>以下のグラフは、男性一般労働者（正規雇用労働者）の時給を100とした時の、女性一般労働者（正規雇用労働者）、男性短時間労働者（非正規雇用労働者）、女性短時間労働者（非正規雇用労働者）の時給の相対値の推移を示したものである。平成元年（1989年）においては、男性の非正規雇用労働者の時給水準は、女性の正規雇用労働者の時給水準に近かったが、その後、下落して、女性の非正規雇用労働者の時給水準に近づきつつある。正規雇用と非正規雇用の格差が厳然と維持される一方で、正規雇用においても、非正規雇用においても、男女の格差は縮小しつつある。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://www.gender.go.jp/whitepaper/h20/zentai/top.html" title="Source: 男女共同参画白書　平成20年版; Accessed Date: 10/28/2008"><img src="gender_free_transition.png" alt="男女共同参画白書　平成20年版" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">労働者の１時間当たり平均所定内給与格差の推移<br />
  ［<a href="http://www.gender.go.jp/whitepaper/h20/zentai/pdf/DKH20H01.pdf">男女共同参画白書 平成20年版</a>, p.77］</div>
<p>男女格差だけでなく、日本と世界平均との格差も縮小しつつある。発展途上国と比べて高い日本の労働賃金の水準は、今後とも下がっていくだろう。但し、下がるといっても、それはあくまでも平均的に下がるというだけであって、個別に見るなら、少数の勝ち組と多数の負け組みに二極分化することになるだろう。では、勝ち組の条件は何かといえば、それは、将来ロボットやコンピュータによるオートメーション化が進んでも、それらによって代替されることがない仕事をしている人たちである。</p>
<p>男女共同参画社会による、労働賃金水準の下落は、究極的には、オートメーション化によって惹き起こされている。
かつて主婦の仕事は、成人のフルタイムの仕事に相当するほど多かったが、家電製品の自動化により、
格段に省力化されるようになった。女性の労働市場への進出は、家庭内オートメーション化によって浮いた労働力が家庭外に補充されることを意味している。</p>
<p>ロボットやコンピュータによって代替できない仕事は、誰にでもできるような単純な仕事ではないのだから、誰もが仕事をする能力があることを前提にしている社会主義的なワークシェアリングは適切ではない。自由競争により、機械によって代替できる人間と、そうした人材ないし機械を使いこなすことができる人間とに選別する必要が出てくる。福祉国家崩壊後の新自由主義（新保守主義とも呼ばれる）は、そうした考えに基づいて現れてきたのである。</p>]]>
    </content>
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    <title>日本は米国に代わって世界を支配できるか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/hegemony.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2208</id>

    <published>2008-09-24T01:56:36Z</published>
    <updated>2010-03-05T02:26:51Z</updated>

    <summary>現在、覇権国家として、世界で支配的な権力を握っているのは米国である。将来、多くの人がそう予想するように、中国が、米国に代わって覇権国家となるのだろうか。かつて有力な候補だった日本が覇権国家となることは...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="6_economics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>現在、覇権国家として、世界で支配的な権力を握っているのは米国である。将来、多くの人がそう予想するように、中国が、米国に代わって覇権国家となるのだろうか。かつて有力な候補だった日本が覇権国家となることはもはや不可能か。過去の覇権国家の盛衰から、覇権国家の法則を導き出し、それに基づいて、これらの問題を考えてみたい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 覇権国家の条件は何か</h2>
<p>ここで、私は、覇権国家（hegemony）という言葉をウォーラーステイン（Immanuel Wallerstein）が使った意味で使っている。ウォーラーステインは、中核（core）と周縁（periphery）によって差異化された世界システムにおいて、単独で世界システムの経済と政治を支配する最強の中核を、特に覇権国家（hegemony）と呼んだ。第二次世界大戦以降の覇権国家は、言うまでもなく、米国である。では、米国の覇権は、今後も続くだろうか。</p>
<p>ドイツのベルテルスマン財団が、2005年に世界の主要国を対象に行った調査によると、2020年に世界の強国（world powers）としての地位を持つことが、多くの人によって予想される国は、1位が米国（57%）、2位が中国（55%）、3位が日本（32%）、4位がEU（30%）、5位がロシア（26%）であった [<a href="http://www.bertelsmann-stiftung.de/cps/rde/xchg/bst">Bertelsmann Foundation</a> (2006) <a href="http://www.bertelsmann-stiftung.de/bst/en/media/xcms_bst_dms_19189_19190_2.pdf">World Powers in the
21st Century</a>, p.16]。</p>
<p>この割合は、2005年時点での認識と比較すると、米国は24%減で、中国は10%増である。この調査からもわかるように、多くの人は、将来、米国の覇権が衰退し、中国が新たな覇権国家として浮上すると予測している。特に、中国人の返答だけに限定すると、2005年現在での強国としての現状認識は、米国（84%）の方が中国（44%）よりもはるかに高いが、2020年での予測は、中国（71%）の方が米国（42%）よりもずっと高くなっている。</p>
<p>著名な投資家、ジム・ロジャーズも次のように言っている。</p>
<blockquote cite="http://online.barrons.com/article/SB120795383008909011.html?mod=9_0002_b_this_weeks_magazine_home_left&amp;apl=y&amp;page=sp" title="Source: Light-Years Ahead of the Crowd: Interview With James B. Rogers, Private Investor - Barrons.com; Accessed Date: 10/19/2008" class="blockquote"><p class="western">China is going to be the next great country. The 19th century was the century of the U.K. The 20th century was the century of the U.S. The 21st century is going to be the century of China.</p>
  <p>中国は、次の大国となるだろう。19世紀は英国の世紀だった。20世紀は米国の世紀であった。21世紀は中国の世紀となるであろう。</p>
</blockquote><div class="cite">［<cite><a href="http://online.barrons.com/article/SB120795383008909011.html?mod=9_0002_b_this_weeks_magazine_home_left&amp;apl=y&amp;page=sp">Light-Years Ahead of the Crowd: Interview With James B. Rogers, Private Investor - Barrons.com</a></cite>］</div>
<p>多くの人がこう予想する理由は、成長著しい現在の中国の経済力である。IMFによると、中国の購買力平価ベースのGDPは約7兆ドルで、約14兆ドルの米国に次いで、既に世界第二位である［<a href="http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2008/01/weodata/index.aspx">International Monetary Fund (2008) World Economic Outlook Database</a>］。中国の経済成長が著しいことから、2026年には、中国の購買力平価ベースのGDPは米国のそれを追い越すかもしれないとする予測もある［<a href="http://www.economist.com/">Economist.com</a>（2006）<a href="http://www.economist.com/theworldin/international/displayStory.cfm?story_id=5134720&amp;d=2006">The world in 2026</a>］。中国が今後も現在の経済成長のスピードを維持することができるかどうかは、はなはだ疑問であるが、では、もしも、中国のGDPが、購買力平価ベースで、さらには名目でも、米国のそれを追い越したなら、そのとき、中国は米国に取って代わる覇権国家になれるだろうか。</p>
<p>私はそうは思わない。なぜなら、GDPが世界一であることは、覇権国家であるための必要十分条件ではないからだ。英国は、1815年にライバルであるフランスに最終的に勝ってから、1873年に成立したドイツ帝国を新しいライバルとして迎えるまでの間、覇権国家として世界に君臨したが、その黄金時代の間ですら、「世界の工場」である英国のGDPが中国のGDPを超えたことはなかった［<a href="http://www.oc.jful.jp/~oc429s/newpage2.htm">GDP表</a>：実質GDPの水準］。しかしながら、この当時の中国が、とりわけアヘン戦争（1840年）敗北後の清王朝が、いくらGDPが世界一だとしても、覇権国家としての地位を持っていたとはいえない。</p>
<p>一般的に言って、GDPという尺度で測ると、国土が広くて、人口が多い国の方が有利になる。私たちは、ともすれば、覇権国家や超大国と聞いて、米国や旧ソ連や中国など、広大な領土と膨大な人口を持った国を思い浮かべがちであるが、英国やオランダといった、かつて世界の海を支配した覇権国家は、領土も人口規模も小さい国であったことを考えると、覇権国家の条件を考え直さなければならないであろう。</p>
<p>覇権国家の条件としては、GDPよりも1人当たりのGDPの方が重要である。以下のグラフは、主要国の1人当たりのGDP（購買力平価ベース）の世界平均に対する倍率の歴史的推移を描いているが、これを見ると、オランダ→英国→米国という覇権国家の推移が、対世界倍率の高さとなって現れていることに気がつく。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4545.html" title="Source: 図録▽１人当たりGDPの歴史的推移（日本と主要国）; Accessed Date: 10/27/2008"><img src="hegemony_maddison.png" alt="Angus Maddison " /></blockquote></div><div class="caption_bottom">［<a href="http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4545.html">図録▽１人当たりGDPの歴史的推移（日本と主要国)</a>, <a href="http://web.archive.org/web/20071111064734/www.ggdc.net/maddison/content.shtml">Angus Maddison</a>］</div><p>もとより、1人あたりのGDPだけで覇権国家かどうかが決まるわけではない。ルクセンブルクは1人あたりの名目GDPが世界一だが、この小国が覇権国家だと思う人はいない。</p>
<p>では、覇権国家の条件は何か。世界を支配する権力の源泉は何か。権力には、文化資本、経済資本、政治資本という三つの源泉がある。覇権国家は、科学技術力、経済力/金融力、政治力/軍事力という三種類の権力において、他の国に対して優位にあるのだが、私は、過去の覇権国家の盛衰から判断して、科学技術力の優位が経済力/金融力の優位をもたらし、経済力/金融力の優位が政治力/軍事力の優位をもたらすと考えている。</p>
<p>通常の世界史の説明では、覇権国家の盛衰は、戦争の勝敗で説明される。例えば、「スペインは、アルマダの海戦で英国に敗れたので、覇権を失った」とか「オランダは、三回にわたる英蘭戦争に敗れて覇権を失った」とか、「フランスは、英国との第二次百年戦争に敗れたので、覇権国家になることができなかった」とか、「ドイツは二回の世界大戦で敗れたので、覇権国家になることができなかった」といった説明がそうである。しかしながら、覇権国家の盛衰は、戦争の勝敗だけでは決まらない。英国は、二度におよぶ世界大戦に勝ったが、世界大戦に勝利するたびに、覇権国家の地位から転落した。</p>
<p>戦争の勝敗は、覇権国家の盛衰に対して、二次的な影響しか与えない。一次的な影響を与えるのは、先端的な産業における主導権である。私は、この観点から、覇権をめぐる列強の争いを、次の三法則で説明してみたい。</p>
<div class="remark">
  <ol>
    <li>その時代が要求する先端技術のパラダイムで主導権を握った国が、覇権国家となる。</li>
    <li>先端産業の担い手を迫害する国は権力を弱め、彼らが移住した国は権力を強める。</li>
    <li>古い技術から新しい技術へとパラダイムが変化する時、古いパラダイムで成功した国は、変化に乗り遅れやすくなる。</li>
  </ol>
  </div>
<h2>2. 先端産業で主導権を握った国が覇権を握る</h2>
<p>大航海時代になって世界が一体化してから、さまざまな列強が覇権をめぐって争った。大航海時代の先駆者は、ポルトガルとスペインだが、ウォーラーステインは、ポルトガルやスペインは、当時、イタリアの都市国家やアジア/アラブの世界帝国に対して圧倒的な力をもっていたわけではないので、中核ではあっても覇権国家ではないと考えていた。近代の世界システムにおける最初の覇権国家は、オランダであり、その次は英国であり、その次は米国である。これらの国は、なぜ覇権国家となることができたのか。</p>
<h3>2.1. オランダ</h3>
<p>世界で初めて近代的な市民革命と産業革命を起こして、資本主義国家となったのは、英国ではなくて、オランダだった。この解釈は一般的ではないが、それは、今日にまで続く学界でのアングロサクソンの覇権のおかげである。よく言われるように、歴史は勝者によって書かれる。英国人たちは、オランダ人のまねをしたにもかかわらず、オランダが世界の近代化と資本主義の成立において果たした先駆的役割を過小評価することで、自分たちの業績を過大評価させようとしているのである。</p>
<p>今日のオランダとベルギーは、かつてネーデルラント（低地）と呼ばれ、スペインの支配下にあった。1568年に、オラニエ公ウィレムが指導者となって、スペインに対して反乱を起こし、1579年に、ネーデルラントの北部7州がユトレヒト同盟を結成し、ネーデルラント連邦共和国が成立した（以下、慣例に従って、オランダと呼ぶ）。スペインという絶対主義的国家に対して、新教徒のブルジョワたちが中心になって行ったこの独立戦争は、ピューリタン革命やアメリカ独立戦争と同様に、市民革命と呼ばれてしかるべきである。</p>
<p>もしも産業革命（the Industrial Revolution 工業革命）を、手工業から人間や家畜以外の動力源を用いた工場制機械工業への移行と定義するならば、世界で最初の産業革命は、オランダで起きたと言ってよい。1594年に、コルネリスゾーン（Cornelis Corneliszoon）は、風力で動くのこぎりを開発した。のこぎりの動作は正確かつ強力で、これが船舶の大量生産を可能にした。オランダは、風車工場で、大航海時代に増大した船舶の需要に応えた。風車は、これ以外にも、灌漑、毛織物の縮絨、穀物の製粉の動力源として用いられた。ワット（James Watt）が最初の商用蒸気機関を作ったのは、1776年であるから、オランダの産業革命は、英国の産業革命に200年近く先行していたことになる。</p>
<p>オランダは、1602年に東インド会社を設立したが、これは、世界初の株式会社であった。1531年にアントワープで開設された市場では、世界初の先物取引が行われた。これは、1730年に大阪の堂島米会所で始まった先物取引に200年近く先行していた。もとより、アントワープは、現在ベルギーの北部に位置し、オランダには属さない。だから、ネーデルラントの北部7州がスペインから独立してからは、交易と金融の中心は、アントワープからアムステルダムに移った。アムステルダムは、ロンドンにその地位を奪われるまでは、世界の交易と金融の中心であった。</p>
<p>オランダは、あらゆる面から見て、世界初の近代資本主義国家だった。オランダが覇権国家になることができた理由としては、ネーデルラントはもともと毛織物産業が盛んで、気温が低下し、衣類の需要が増加した近代小氷期が有利に働いたということを挙げることができるが、風力を動力源とする産業革命によって生産性が向上したことが、オランダの覇権の源泉になっていたという事実はあまり知られていない。</p>
<h3>2.2. 英国</h3>
<p>英国は、オランダより遅れて、1642年の清教徒革命、1688年の名誉革命といった市民革命を経て、ブルジョワ経済に移行した。英国では、産業革命に先立って、18世紀に農業革命が起きた。これは、ノーフォーク農法と呼ばれる輪栽式農業による生産性の向上のことなのだが、同様の農業革命は、オランダで、ずっと以前から起きていたことであった。英国の海上帝国は、オランダの海上帝国をのっとる形で築かれた。</p>
<p>こういうと、まるで英国はたんにオランダのまねをしただけのように見えるが、英国は、オランダが成しえなかった重要なイノベーションを成し遂げた。オランダは、動力源として風力を使ったが、英国は、石炭火力を用いた。オランダが素材として木を用いたのに対して、英国は鉄を用いた。オランダが毛織物産業に終始したのに対して、英国は機械生産が可能な綿織物産業を発展させた。</p>
<p>動力源を風力に依存すると、オランダのような、風力が強いところに利用が限定されてしまう。石炭火力による蒸気機関なら、どこでも利用できるし、船や鉄道のような可動体にも使える。英国は、燃料源を木炭から石炭へと変えると同時に、石炭を利用したコークス製鉄法により、良質の鉄鋼を量産するようになった。こうした産業革命による一連の技術革新が、英国の覇権を可能にしたことは、言うまでもない。</p>
<h3>2.3. 米国</h3>
<p>1815年に、英国は、ナポレオン戦争を終結させ、長年覇権をめぐって争ってきたフランスを突き放し、その後、半世紀以上にわたって、覇権国としての地位を安定的に維持する。しかし、19世紀末になると、技術革新の停滞により、衰退が始まる。英国は、繊維産業、製鉄産業、蒸気機関による鉄道産業の技術革新を中心に起きた、いわゆる第一次産業革命を先導したが、重化学産業、電気産業、内燃機関による自動車産業の技術革新を中心に起きた第二次産業革命を先導したのは、米国とドイツであった。</p>
<p>ポスト大英帝国の覇権争いに勝ったのは、米国である。第二次世界大戦後、ライバルだったドイツの没落により、米国は、覇権国となった。ソ連は、宇宙開発といった限られた分野以外では、米国に及ばなかった。しかし、1980年代になると、米国の覇権は、日本に脅かされるようになった。日本が、バブル崩壊後、長期的に低迷するまでは、ウォーラーステインのように、米国の覇権は終了し、日本が代わりに覇権国となると予想した人もいた [Wallerstein: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521406048/n08-22">Geopolitics and Geoculture</a>, p.43]。</p>
<p>しかし、結局そうはならなかった。第二次産業革命の最後の勝利者は日本であったが、1980年代に、日本が時代遅れのパラダイムで勝利を収めていた後、米国は、次の技術革新のパラダイムである情報産業で、主導権をとり、新しい時代の覇権国として返り咲いた。2000年のドットコムバブルの崩壊や2007年の住宅バブル崩壊といった経済危機のたびごとに「米国の時代は終わった」という人が出てくるが、米国の覇権はまだ続いている。もちろん、米国の覇権が永遠に続くわけではない。</p>
<h2>3. 先端産業の担い手を迫害する国は没落する</h2>
<p>以上、覇権国家の成功事例を紹介してきたが、今度は、有力な候補であったにもかかわらず、覇権国家になることができなかった中核国の失敗の原因を分析してみよう。覇権国家が自由で民主主義的な政治システムによって技術革新を促進したのに対して、これらの国々は、抑圧的な政治システムによって、優れた技術者や知識人を失い、技術革新の競争に敗れている。このことを、以下確認しよう。</p>
<h3>3.1. スペイン</h3>
<p>スペインは、1580年にポルトガルを併合し、南北アメリカ、アフリカ、アジアにまたがる広大な植民地を手にし、「太陽の沈まない国」を実現した。ウォーラーステインは、スペインを覇権国家とはみなさなかったが、当時のスペインは、覇権国家の有力候補であったことは確かだ。それにもかかわらず、なぜスペインは、その後没落し、後進的な弱小国に転落したのか。</p>
<p>スペインの最盛期の国王はフェリペ2世であるが、スペインの没落のきっかけを作ったのもまた、フェリペ2世である。フェリペ2世は熱心なカトリック信者で、国内の新教徒を弾圧した。その結果、新教徒が多かったネーデルラントは独立戦争を起こし、結局スペインはネーデルラントの北部7州を失うことになった。これは、スペインにとって、致命的な出来事であった。なぜなら、当時最も重要な産業は毛織物産業であり、毛織物産業の主要な担い手は、ネーデルラントの新教徒であったからだ。</p>
<p>多くの人は、スペインは、アルマダの海戦で英国に敗れたので没落したと信じているが、もしもこの戦争がそれほど決定的ならば、スペイン没落後、オランダではなくて英国がすぐに覇権国家になってもよさそうなのであるが、実際にはそうはならなかった。そもそも、スペインが英国に無敵艦隊を派遣したのは、英国が、ネーデルラントの北部7州の独立を支援していたからであり、アルマダの海戦は、スペインがネーデルラントの北部7州を失う過程でエピソード的な意義しか持たない。</p>
<h3>3.2. フランス</h3>
<p>近代においてフランスの大国としての基礎を築いたのは、アンリ4世である。アンリ4世は、1598年にナントの勅令を発布して、新教徒対してカトリック教徒とほぼ同じ権利を与え、フランス国内の宗教戦争、ユグノー戦争を終結させた。その後、フランス・ブルボン朝は、リシュリューやマザランといった宰相の補佐により、オランダや英国と覇権を争う中核国となっていった。</p>
<p>フランスは、ルイ14世の時代に最盛期を迎える。しかし、ルイ14世は、フェリペ2世と同じ過ちを犯す。ルイ14世は、これまでの和解政策を翻し、ナントの勅令を廃止し、国内の新教徒を弾圧した。その結果、国内の産業の主要な担い手であった新教徒たちの大半は、国外（主としてライン川流域）へ逃れ、これがフランスの産業を衰退させることになった。以後、フランスは、先端産業において主導権を握ることができないまま、覇権国家のレースから外れていく。</p>
<p>多くの人は、フランスは、第二次百年戦争で英国に敗れたので没落したと信じているが、むしろ産業競争に敗れて経済的に没落したからこそ、ナポレオンのような軍事的天才をもってしても、フランスは覇権国家になることはできなかったと言うべきである。ナポレオンは、1806年に、英国を大陸の市場から締め出すべく、大陸封鎖令を発令したが、フランスが、経済先進国だった英国の代わりになることはできなかったので、フランスの同盟諸国は経済的に大いに困窮し、これが同盟諸国の反乱とナポレオンの没落をもたらすことになった。</p>
<h3>3.3. ドイツ</h3>
<p>ルイ14世が新教徒の技術者や資本家を迫害したおかげで、彼らが避難して来たドイツ西南部は先進的な工業地帯となった。そして、1871年に成立したドイツ帝国は、米国とともに、第二次産業革命を推し進めることで、英国を凌駕する工業国家として台頭するようになる。特に科学に関しては、世界の最先端に位置していた。このことは、1901-1945年における自然科学分野でのノーベル賞受賞者は、ドイツが36人で、26人の英国や18人の米国を抑えて最多であったことからも窺うことができる。</p>
<p>ところが、1933年にアドルフ・ヒトラーが権力を掌握すると、ドイツは、ユダヤ人を迫害するようになる。その結果、ユダヤ人の科学者や資本家たちがドイツからアメリカへと大挙して亡命することになった。これまでの事例においてもそうであったが、先端産業の担い手を迫害する国は没落し、その国が享受した繁栄は、彼らが移住する国によって奪われる。第二次世界大戦後、科学の最先端はドイツから米国に移り、これが米国の覇権を決定的にした。</p>
<p>多くの人は、ドイツは、第二次世界大戦で英米に敗れたので没落したと信じているが、そういう結論で満足する前に、なぜドイツは第二次世界大戦に敗れたのかをさらに考えてみる必要がある。第一次世界大戦での敗北は、ドイツにとって大きな負担になったが、ドイツは依然として、科学技術の面では世界の最高水準にあった。もしもヒトラーがユダヤ人を迫害していなかったなら、ドイツは原子爆弾の開発に成功して、第二次世界大戦に勝利していたかもしれない。逆に、レオ・シラード、ニールス・ボーア、ジョン・フォン・ノイマン、エンリコ・フェルミといった迫害を逃れて渡米した科学者たちがいなければ、米国は、原子爆弾を製造することはできなかったかもしれない。</p>
<p>科学技術力は、経済力を媒介にして、軍事力に間接的に影響を与えるのみならず、兵器の性能という点で、直接的な影響をも与える。戦争の勝敗は、覇権国家の盛衰に大きな影響を与えることがあるが、軍事力が果たす役割は、二次的、三次的なものに過ぎない。</p>
<h2>4. 古いパラダイムでの成功者は変化に乗り遅れて没落する</h2>
<p>ある技術で成功した企業が、その技術による既得権益を守ろうとして、競合する新技術の開発に消極的になり、技術変革の波に乗り遅れて没落するということはよくある。例えば、ソニーは、ベガ (WEGA) という、画面をフルフラット化したブラウン管テレビを開発し、人気を集めた。だが、この成功ゆえに、液晶テレビやプラズマテレビといった、次世代のフラットパネルディスプレイを使った薄型テレビの開発に遅れ、それがその後のテレビ部門におけるソニーの不振をもたらした。企業レベルで起きていることが、国家レベルでも起きる。</p>
<h3>4.1. オランダ</h3>
<p>多くの人は、オランダは、英蘭戦争で英国に敗れたので没落したと信じているが、これは正しくない。英蘭戦争は三度にわたって行われたが、いずれにおいても、オランダは英国に敗れてはいない。特に、第二次英蘭戦争（1665-1667年）と第三次英蘭戦争（1672-1674年）では、むしろオランダ側の方が優勢のまま和議がなった。1688年の名誉革命では、オランダの統領であるオラニエ公ウィレム3世は、2万の軍を率いて、英国に上陸し、戦わずしてジェームズ2世を王位から追放し、ウィリアム3世として、妻とともに王位に就いたのであるから、形式的には、英国はオランダに併合されたことになる。</p>
<p>だから、オランダは、イギリスに政治的・軍事的に敗北を喫して没落したわけではない。オランダは、第三次英蘭戦争後も、ヨーロッパ一の経済先進国であり、政治的・外交的地位も高かった。ただ、英国やフランスの台頭で、相対的に地位が低下しただけである。オランダが覇権国から転落するのは、18世紀の後半からである。このことを1人当たりのGDPの推移から確認してみよう。</p>
<p>オランダは、繁栄を極めた17世紀後半においても、GDPは英国の40-45%程度にしかならなかった。それでも、1人当たりのGDPは、英国よりも30-40%も高かった［Jan De Vries, Ad Van Der Woude (1997) <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521578256/n08-22/ref=nosim">The First Modern Economy: Success, Failure, and Perseverance of the Dutch Economy, 1500-1815</a>, p.710］。以下のグラフからもわかるように、1740-60年頃になると、オランダの優位は10-15%程度となり、18世紀の末には英国に逆転されてしまう。</p>
<div class="object_bottom">
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521578256/n08-22/ref=nosim" title="Source: The First Modern Economy: Success, Failure, and Perseverance of the Dutch Economy, 1500-1815; Author: Jan De Vries , 他; Publication Date: 1997/06; Publisher:Cambridge University Press">
<img src="hegemony_gdp.png" alt="The First Modern Economy: Success, Failure, and Perseverance of the Dutch Economy, 1500-1815" />
</blockquote>
</div>
<div class="caption_bottom">18世紀から19世紀にかけての英国（実線）とオランダ（点線）の1人当たり国民所得の推定値［Jan De Vries, Ad Van Der Woude (1997) <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521578256/n08-22/ref=nosim">The First Modern Economy: Success, Failure, and Perseverance of the Dutch Economy, 1500-1815</a>, p.707］</div>

<p>18世紀後半に起きた逆転の原因は、英国の産業革命である。オランダは、排水による国土の維持から造船にいたるまで、あらゆる動力源を風力に頼っていたので、風力が駆動する風車から石炭火力が駆動する蒸気機関へという英国が先導した動力源のパラダイム転換の流れから取り残され、その結果、覇権国から弱小国へと転落していく。</p>
<h3>4.2. 英国</h3>
<p>第一次産業革命に成功した英国は、ライバルだったフランスに競り勝ち、覇権国として、地球の四分の一を支配する帝国を築き、植民地から集まる膨大な富で繁栄を謳歌したが、それとともに、技術革新は停滞した。ドイツと米国が第二次産業革命により、新たな産業を育成している時にも、英国は、植民地をほとんど持たないそれらの後発国が自分たちの巨大な帝国を脅かすほどのものではないと油断していた。</p>
<p>一般的に言って、イノベーションを行うのは、現状に満足した中心の存在者ではなくて、ハングリー精神のある辺境の存在者である。第二次産業革命の担い手となったのは、当時は、まだ西欧文明の辺境に過ぎなかったドイツと米国であった。英国の繊維産業は、もはや先端産業ではなくなり、ドイツでは化学工業が、米国では電気工業が新たな先端産業として出現した。石炭を燃料とする蒸気機関（外燃機関）からガス/石油を燃料とする内燃機関へと動力源が変化するにつれて、古いインフラで古い技術により古い産業を続けていたイギリスの産業競争力は落ちていった。</p>
<h3>4.3. 日本</h3>
<p>米国は、第二次産業革命の推進者として、英国から覇権を奪い、ライバルだったドイツを突き放し、第二次世界大戦以後、覇権国として世界に君臨した。だが、1980年代に入ると、自動車、電気、化学といった第二次産業革命の主要な分野で、日本が技術革新の主導権を握るようになり、米国の覇権は危機に瀕した。だが、これにより、米国は「古いパラダイムでの成功者は変化に乗り遅れて没落する」という法則を免れた。ババを引いたのは、日本である。</p>
<p>私は本節の冒頭で、ソニーのベガの話をしたが、日本の失敗は、ソニーの失敗で喩えるとわかりやすい。ソニーはブラウン管テレビという古いパラダイムでなまじ成功したおかげで、薄型テレビという新しいパラダイムへの適応に遅れてしまった。日本は、第二次産業革命が生み出した古いパラダイムで最も成功したがゆえに、新しいパラダイムへの適応に遅れてしまった。最も、ここで言うパラダイム・シフトとは、作っているものの変化ではなくて、作り方の変化である。</p>
<p>第二次産業革命に最も適合的な生産システムは、フォーディズムである。フォードの名前に由来することからもわかるように、米国から始まったシステムであるが、第二次世界大戦直前にドイツや日本もこの準社会主義的なシステムを取り入れた。米国は、覇権国としての全盛期に、フォーディズムを採用し続けたが、80年代に入って、経済が悪化すると、これを放棄した。そして、このフォーディズムからの脱却が、その後の情報革命を可能にした。</p>
<p>これに対して、日本は、フォーディズムという古いパラダイムでなまじ成功したおかげで、過去の成功体験による呪縛から逃れられず、ポスト・フォーディズムの新しいパラダイムへの移行が進まない。前回「<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/labor_conditions.html">どうすれば労働者の待遇は良くなるのか</a>」で終身雇用制の廃止を提案したところ、ある人は「単に欧米の真似をすればうまくいくという単純思考」と評したが、これはポスト・フォーディズムの時代に適応できるかどうかという問題であって、日本/欧米といった文化の差異が問題なのではない。</p>
<p>そもそも、終身雇用制度などというものは、明治時代の日本にはなかった労働慣行である。日本人が日本的経営と呼んでいるフォーディズムは、日本固有の経営方法でもなければ、日本の伝統的な経営方法でもない。米国から輸入した時代遅れのパラダイムに「日本的」などという民族の自尊心をくすぐるような形容をして、それに固執し続けるということは、日本の将来にとって望ましいことではない。</p>
<h2>5. 日本は覇権国家になることができるか</h2>
<p>以上、私は、覇権国家の盛衰を、三つの法則で説明してきたが、基本的な考えは「先端産業で主導権を握った国が覇権を握る」という第一法則で尽きている。そして、この法則に基づいて、中国が2020年までに覇権国家になるということはまずないと判断できる。</p>
<p>中国は人口が多いので、優秀な人材も多く、彼らが米国で先端的な科学技術を学んでいるのは事実であるが、それにもかかわらず、中国国内ではいっこうに先端産業が育っていないのは、人材や技術に問題があるからではなくて、社会システムに問題があるからだ。</p>
<p>中国のような社会主義経済は、第二次産業革命を遂行する上では効率的ではあるが、情報社会における先端産業を育成するには、社会主義を脱して自由で民主主義的な政治システムに移行する必要があるのだが、中国が現在の共産党による独裁体制から脱却することは、日本が従来の開発独裁体制から脱却する以上に困難である。</p>
<p>中国が永遠に覇権国になれないというわけではないが、あと10年か20年で覇権国になるというのは無理である。短期的には、まだ日本の方が、覇権国になる可能性が高い。日本は、中国と比べて国土が狭く、人口も小さいが、オランダや英国よりも国土も人口規模も大きいのだから、それが理由で覇権国になることができないということはない。</p>
<p>こう言うと、オランダや英国は海外に広大な植民地を持つことができたから覇権国になることができたのであって、現代の日本は、それができない以上、覇権国になることはできないのではないかと反論する人もいるだろう。また、日本は、戦争アレルギーが強いので、米国のような「世界の警察」としての役割を果たすことができないと考える人もいるだろう。</p>
<p>たしかに、国外の領土を政治的に支配することはできないが、株式を取得して海外の企業を経済的に支配することならできる。海外の労働者が稼ぐ利益の一部が本国に上納されるのであるから、これは経済的帝国主義である。情報社会の時代における経済的帝国主義の維持には、工業社会の時代における政治的帝国主義の維持の時とは異なって、強力な軍隊などは必要でない。</p>
<p>工業社会の時代においては、各国の国民経済は自立性が高くて、経済制裁はあまり効果を発揮しない。しかし1970年代以降の情報社会においては、グローバル化とボーダレス化が進むので、各政治単位の経済的自立性が低くなり、経済的帝国主義に対する反乱は、経済制裁だけで鎮圧することができるようになった。</p>
<p>例えば、ジンバブエを例としてあげよう。ジンバブエは、かつて白人が支配する英国の植民地であったが、1980年に成立したジンバブエ共和国では、黒人のロバート・ムガベが首相（後には大統領）に就任した。ムガベは、2000年8月から「農地改革」と称して、白人農場主から農地を強制収用し、黒人に再配分した。2008年3月には、国内全企業の株式の過半数を地元の黒人住民に所有させる法案に署名した。これは経済的帝国主義の支配に対する反乱である。</p>
<p>その結果、どうなったか。技術力のある白人が農業経営から撤退したことで、農業の生産性が大幅に減少し、さらに、外資がジンバブエから撤退したことで、ジンバブエでは、記録的なハイパーインフレが生じた。</p>
<blockquote cite="http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080731-OYT1T00108.htm" title="Source:読売新聞：超インフレ、ジンバブエが１００億分の１へ通貨切り下げ; Accessed Date: 9/24/2008" class="blockquote"><p>ＡＰ通信によると、超インフレが続くジンバブエの中央銀行は３０日、１００億ジンバブエ・ドルを１ジンバブエ・ドルとするデノミ（通貨単位の切り下げ）を８月１日に実施すると発表した。</p>
  <p>政治・経済双方で混乱が続く同国ではインフレ率が２００万％を超えており、先週、前代未聞の１０００億ジンバブエ・ドル札が導入されたばかり。１０００億ドルでも卵３個程度しか買えず、現金自動預け払い機（ＡＴＭ）の運用にも支障が出ていた。ただ、大幅なデノミでさらに混乱が広がる可能性もある。</p>
  <p>大規模なデノミとしては、第１次大戦後の１９２３年、ドイツが１兆マルクを１マルクにした例がある。 </p>
</blockquote><div class="cite">［読売新聞：2008年7月31日］</div><p>経済帝国主義の反乱者を鎮圧するためには、軍隊を送る必要はない。経済制裁と市場原理により、反乱者は自滅してくれる。</p>
<p>経済帝国主義は、覇権国が技術や資本を提供する代わりに、その対価を受け取るという互恵的な支配関係であり、暴力なき権力に基づいている。暴力がなければ維持できない権力よりも、暴力がなくても維持できる権力の方がはるかに強力であり、持続可能である。</p>
<p>米国の覇権が後退すると、世界が無秩序化し、安全保障がおろそかになると危惧する人もいるが、9/11以降の世界情勢を見ると、米国の覇権が衰えた方が世界は平和になるのではないかと思わざるをえない。日本が、経済制裁をすることはあっても、軍事力を行使しない覇権国家として世界を支配することは可能であるし、世界各国もそのような覇権国家を歓迎するだろう。</p>
<p>最後に、日本が覇権国家になるにはどうすればよいのかを考えてみたい。日本が覇権国家を目指すのであれば、食料、新エネルギー、環境といった、焦点となっている分野で、技術的に主導権を握らなければならない。だからといって、政府が大学や関連企業に補助金をばら撒くといった工業社会型・開発独裁型の「振興策」をとるべきではない。<a href="http://www.dpj.or.jp/special/bira/images/01/06031P-4P.pdf">民主党は農家に所得補償をすることを公約にしている</a>が、こうしたばら撒きもするべきではない。</p>
<p>私の提案は、法人税・事業税を廃止して、代わりに環境税を導入することだ。そうすれば、企業は、環境税の負担を減らすために、環境技術や代替エネルギーの開発に投資するようになるだろう。官僚が、自分らで「有望な技術」を指定して、補助金をつけるという方法よりも、民間の創意工夫が生かされるので、技術革新を促進する。</p>
<p>食料に関しては、まず、農業は、補助金で守らなければいけない衰退産業ではなくて、新技術により付加価値が付くハイテク産業であるという認識を持つことが重要である。この認識に基づいて、農協を解体し、株式会社による農業経営への参加を促進するべきである。</p>
<p>国内で、新技術の開発に成功したら、それを用いて、世界のマーケットでビジネスを展開すればよい。世界は、今、食料・エネルギー価格の高騰と環境悪化に苦しんでいる。この分野で日本が覇権を握っても、誰も非難しないし、逆に歓迎されるだろう。</p>
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    </content>
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    <title>どうすれば労働者の待遇は良くなるのか</title>
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    <published>2008-07-15T01:42:27Z</published>
    <updated>2009-01-02T05:26:35Z</updated>

    <summary>2008年6月8日に、将来を絶望した派遣社員、加藤智大が秋葉原で無差別殺傷事件を起こしたことで、派遣社員の劣悪な労働条件に世間の注目が集まった。事件後、舛添要一厚生労働相は、日雇い派遣を禁止する方針を...</summary>
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        <name>永井俊哉</name>
        
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        <![CDATA[<p>2008年6月8日に、将来を絶望した派遣社員、加藤智大が秋葉原で無差別殺傷事件を起こしたことで、派遣社員の劣悪な労働条件に世間の注目が集まった。事件後、舛添要一厚生労働相は、日雇い派遣を禁止する方針を打ち出し、2008年秋の臨時国会に、労働者派遣法改正案が提出される予定である。しかし、こうした法的規制で問題は本当に解決するのか。派遣社員を含めたすべての労働者の待遇を改善するにはどうすればよいのか、抜本的な解決策を探りたい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 労働者派遣制度の本当の問題点は何か</h2>
<p>2008年7月3日に総務省が発表した就業構造基本調査によると、2002年から2007年にかけての5年間で、正社員（正規雇用労働者）が3.6%減少したのに対して、労働者派遣事業所の派遣社員は、1.6%も増加した［<a href="http://www.soumu.go.jp/index.html">総務省</a>：<a href="http://www.stat.go.jp/data/shugyou/2007/pdf/gaiyou.pdf">平成19年就業構造基本調査結果の概要（速報）</a>p.10］。これは、労働者にとっては、憂うべき傾向である。派遣社員は、正社員と同じような仕事を同じ時間やっても、正社員ほど高い収入を得ることができないからである。</p>
<p>派遣社員は、直接企業に雇用されているわけではないので、派遣先企業が支払う人件費を満額受け取ることができない。派遣元企業が労働者の派遣によって受け取るマージン率は、派遣先が派遣元に支払う金額の3割前後である。もちろん、派遣元企業の取り分の中には、保険料のように、労働者が負担するべき費用も含まれていることもあるが、派遣元企業が仲介することで、労働者から見れば、賃金が割安となり、雇用者側から見れば、人件費が割高になっているという事実は、否定できない。</p>
<p>人件費が高くなるにもかかわらず、企業が、あえて労働者を直接雇用せずに、派遣社員を間接雇用する理由は何であろうか。自社だけでは、適任の労働者をすぐに見つけることができないからだろうか。そうではない。もしも派遣元企業の仕事が、たんに労働者を探して紹介することだけなら、派遣先企業は、派遣元企業に、小額の紹介料を1回払うだけですむはずであり、毎月派遣元企業に金を払う必要はない。企業が正規雇用に躊躇する本当の理由は、解雇のためのコストが途方もなく高いからである。</p>
<p>日本では、いまなお終身雇用制（厳密に言えば、定年雇用制）の慣行が続いている。企業は、新卒の若年労働者を採用し、原則として定年まで雇用し続ける。解雇には相応の理由が要求され、解雇する場合でも、転職先を紹介しなければならないのが普通である。そのため、日本企業は、不要になった労働者であっても、社内失業者、いわゆる「窓際族」として雇用し続けるということが多い。これは、企業にとっては大きなコストであり、このコストに比べれば、派遣元企業に支払う手数料は、安いものだというのが、派遣社員を受け入れている企業の認識である。</p>
<p>企業に人材派遣会社の利用をやめさせ、正社員を雇用させ、労働者に直接給料を支払わせるには、正社員を解雇するコストを大幅に下げる必要がある。もちろん、ゼロにするのが最も好ましい。しかしながら、こうした提案をする政治家はほとんどいない。辻広雅文氏は、ワーキングプアである派遣社員を救うには、正社員のクビを切りやすくする法制度改革が必要であることを認めつつも、そうした改革は、正社員たちが自分たちの既得権益を守ろうとするために、実現することはないだろうと言っている。</p>
<blockquote cite="http://diamond.jp/series/tsujihiro/10011/?page=2" title="Source: 正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか｜辻広雅文　プリズム+one｜ダイヤモンド・オンライン; Accessed Date: 7/9/2008" class="blockquote">
  <p>虐げられた人びと、ワーキングプアたちを救えという声は多く聞こえるが、正社員の雇用に手をつけるという視点は、世の中のどこにもない。それは、メデイアを含めて影響力のある人びとの多くが正社員という既得権者であるからだ。</p>
  </blockquote><div class="cite">［<cite><a href="http://diamond.jp/series/tsujihiro/10011/?page=2">正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか｜辻広雅文　プリズム+one｜ダイヤモンド・オンライン</a></cite>］</div>
<p>辻広雅文氏は、派遣社員が定年雇用性の犠牲者であるのに対して、正社員はその受益者であると考えているが、雇用の流動化は、本当に正社員に不利益をもたらすのであろうか。</p>
<h2>2. 正社員も定年雇用制の犠牲者である</h2>
<p>定年雇用制は、全世界で崩壊しつつある。日本では、依然として、この雇用慣行が守られているのだが、だからといって、日本の正社員は、海外の正社員よりも恵まれていると言うことができるだろうか。このことを検証するために、定年雇用制が完全に崩壊している米国とそうでない日本とで、労働者の待遇を比較してみよう。</p>
<p>2007年11月に、E2パブリッシング株式会社は、米国の提携先と共同で、日米のエレクトロニクス・エンジニアの給与を調査したところ、次のような結果を得た。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://www.e2p.co.jp/" title="Source: E2 パブリッシング株式会社 - E2 Publishing Corporation -; Accessed Date: 7/10/2008"><img src="labor_conditions_usa_jpn.png" alt="エンジニアの待遇の日米格差" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">エレクトロニクス・エンジニアの待遇の日米比較。平均年収の水準や平均転職回数から判断して、調査対象となった日本のエンジニアのほとんどは正社員と考えられる。［<a href="http://www.e2p.co.jp/">E2 パブリッシング株式会社</a>：<a href="http://www.e2p.co.jp/pdf/071107_Survey_Salary.pdf">米国と日本のエンジニアの平均年収に500万円の差
「EE Times Japan」の給与/意識調査で明らかに</a>］</div>
<p>調査対象の平均年齢も平均職務年数も、日米ともほぼ同じであるが、平均年収に大きな違いがある。さらに、平均勤務時間は日本の方が米国よりも長いので、単位時間当たりとなるとさらに大きな差がつく。これは、米国のエンジニアが日本のエンジニアよりも優秀であるからではない。エレクトロニクスは日本が最も得意としている分野の一つであり、おそらく平均的なエンジニアの質は日本のほうが上だろう。それにもかかわらず、これだけ大きな待遇の差が生じる理由は何か。</p>
<p>平均転職回数の項目を見てみよう。日本のエンジニアが0.8回であるのに対して、アメリカのエンジニアは3.1回もある。アメリカでは、待遇改善のために頻繁に転職がなされるが、日本ではそういうわけにはいかない。日本では、会社の業績が悪化すると、経営者が、従業員に、サービス残業や給料の削減を要求するが、従業員は、たいがい転職せずに、おとなしく要求を呑む。同じことをアメリカでやったら、従業員は、無能な経営者を見限って、もっとまともな会社に転職してしまう。日本のエンジニアの方が、アメリカのエンジニアよりも給料が安くて、労働時間が長いのはこのためであろう。</p>
<p>待遇を悪化させても転職しない日本の労働者は、中国人の目にも奇異に映るようだ。中村修二氏は、日本で起業した中国人の経営者の話をこう紹介している。</p>
<blockquote cite="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080519/302262/?P=1&amp;ST=management" title="Source: だから技術者は報われない：ITpro; Accessed Date: 5/23/2008" class="blockquote">
  <p>彼が言うわけですよ、日本で会社を経営するのは楽ですよと。業績が悪くなったら給料を減らせばよい。また悪くなったらさらに削る。こうしてどんどん給料を減らしていっても、社員はほとんど会社を辞めない。こんなに会社経営が楽な国はないって。中国で同じことをやったら、社員はあっという間に霧散して一人もいなくなる。米国だって同じ。だから、経営者は第一に社員の処遇を考えなければならない。処遇の改悪はぜったいにできないから、本業で業績を上げることを真剣に考え、取り組まざるを得ないわけです</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<cite><a href="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080519/302262/?P=1&amp;ST=management">だから技術者は報われない：ITpro</a></cite>］</div>
<p>中村修二氏が主張するように、労働者たちが経営者に対して「待遇を改善しないと他の会社に行くぞ」と脅すことができるようにならない限り、労働者の待遇はいつまでたっても良くならないだろう。にもかかわらず、日本の労働者は、なぜその手段に訴えないのか。</p>
<p>日本の企業社会では、正社員は、本人によほどの落ち度がない限り、解雇されることはない。こういう慣行があまねく行われている社会は、会社を辞める人に対して「よほどのことがあったにちがいない不適合者」というレッテルを貼る社会でもある。</p>
<p>もちろん、理論的には、本人には何の落ち度もなく、たんに自発的に退職したということもありうるのだが、日本企業では、再就職が難しくなるといけないからという温情から、本人の落ち度を隠して離職処理をするということがしばしば行われており、また再就職希望者を審査する人事部が、そうした内情を最もよく知っている当事者ということもあって、いくら再就職希望者や元の職場が、本人に落ち度があったわけではないといっても、信じてもらえない。日本企業が、中途採用よりも新卒採用を好む最大の理由は、新卒採用では、そうしたリスクがないからだ。</p>
<p>日本の正社員が、転職に消極的なもう一つの理由は、転職すると、新しい職場でいじめられる可能性があるからである。新卒採用・定年退職・年功序列を特徴とする日本の典型的な職場においては、実年齢と入社後の年数と職場での地位が連動している。そうした先輩/同期/後輩の身分秩序が厳然と存在する職場に、実年齢と入社後の年数と職場での地位が相関しない中途採用の社員が入ってくると、格好のいじめの対象となる。蓋し、<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/bullying.html">いじめとは、異物の排除によって秩序を再設定しようとするカタルシスである</a>。</p>
<p>転職者に社会的不適合者というレッテルを貼る風潮が支配的であるなら、なおさらいじめの対象になりやすい。少数派に転落して、いじめられるのがいやなので、みんな転職に消極的になるのだが、転職が少ないがゆえに、ますます転職がしにくいというポジティブ・フィードバックが働くので、いっこうに雇用が流動化しないのが日本の現状である。</p>
<p>日本には、転職の自由は、形式的にはあるが、実質的にはない。日本の企業の中にいる正社員は、いわば檻の中の囚人のようなもので、どこにも逃げることができない。経営者はそれがわかっているから、社員がいなくなることを心配せずに、サービス残業やら給料カットやら、無理難題を平気で正社員たちに押し付けることができる。</p>
<p>このように虐げられているにもかかわらず、囚人たちは、檻の鉄格子を、自分たちから自由を奪い、自分たちの生活を惨めにしている桎梏としてではなく、自由経済の荒波から自分たちを守ってくれるありがたい防御壁と勘違いし、そこから脱出しようという気を全く持たない。そして、囚人たちを、檻の中から解放してやろうとすると、彼らは「俺たちを殺すつもりか」などと言って大騒ぎをし、鉄格子にしがみついて抵抗を試みる。辻広雅文氏の文にあったように、日本の正社員たちは、檻の中に監禁されていることを自分たちの「既得権益」であると思って、むしろその維持に懸命になっているのである。</p>
<p>実際には、敗者と言われる派遣社員のみならず、勝者と言われている正社員までもが、硬直的な正規雇用制度の犠牲者である。では、硬直的な正規雇用制度の真の受益者は、経営者かといえば、そうでもない。たしかに、有用な人材を長期的に保有し続けることができるというメリットもあるが、それは、不要な人材を長期的に保有し続けなければいけないというデメリットと抱き合わせである。</p>
<p>かつて、硬直的な正規雇用制度にデメリット以上のメリットがある時代があった。画一的製品を長期にわたって安定的に量産する工業社会では、生産者は均質な人材を長期にわたって安定的に確保する必要があった。工業社会は、増大する人口の最低限の需要を満たす上で適合的な社会の段階であるが、この段階を超えると、消費者は、商品の量ではなくて質を要求するようになる。この新しい段階の社会を私は情報社会と名付けている。日本を含めた先進国は、既に1970年代以降、この段階に入っている。情報社会は、短期間のうちに多品種の商品を少量生産するので、それに応じて、労働者も機動的に変化させなければならない。</p>
<p>情報社会化の進展により、終身雇用制は、世界的に崩壊しつつあるが、日本は相変わらず、古い雇用システムに固執している。グローバル化が進んでいる現代にあって、日本だけが硬直的な雇用システムを維持していることは、日本の国際競争力の維持という点で由々しき事態を惹き起こすことになる。</p>
<p>日本の技術者の中には、海外に活路を見出そうとする人がすでに出ている。</p>
<blockquote cite="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080519/302262/?ST=management&amp;P=4" title="Source: だから技術者は報われない：ITpro; Accessed Date: 7/14/2008" class="blockquote"><p>すべての技術者が泣き寝入りしたわけではない。それを不服とし、自らの専門技能を生かすべく会社を辞めていった人たちがいた。多くの技術者の証言によれば、その大きな受け皿になったのが韓国メーカーだった。こうした人材を大量雇用することで、韓国メーカーは日本メーカーが蓄積してきた技術やノウハウを、短期間で習得することができたのだという。</p></blockquote><div class="cite">［<cite><a href="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080519/302262/?ST=management&amp;P=4">だから技術者は報われない：ITpro</a></cite>］</div>
<p>韓国の企業であるサムスン電子が、冷遇されている日本企業のエレクトロニクスの技術者を高い給与で引き抜き、短期間のうちに日本のテクノロジーを習得し、日本のすべてのエレクトロニクス企業を凌駕するほどの成功を収めたことはよく知られている。</p>
<p>日本の企業は、転職者に対する偏見が強く、経営者に理解があって、転職者を受け入れても、職場では異物としていじめられる傾向にある。しかし、海外の企業は、転職者への偏見を持たず、職場にも、中途採用を理由に同僚をいじめる習慣はない（例えば、韓国には終身雇用の慣習はほとんどない）。だから、待遇に不満を持つ日本の正社員にとって、外国の企業は、理想的な転職先である。現在、韓国のみならず、台湾、中国、シンガポールといったアジア各国が日本の優秀な技術者の引き抜きに力を入れている。</p>
<p>日本企業が、今後も「正社員はどこにも逃げはしまい」と高をくくって、処遇の改善に努めないなら、技術者と技術の流出がさらに加速するだろう。世界の潮流に反して硬直的な雇用システムを墨守し続けることは亡国のシナリオである。国内の雇用を流動化し、有能な人材に逃げられる無能な経営者の企業がつぶれるようにしなければならない。もしそうしなければ、有能な人材が海外に逃げることで、日本自体がつぶれることになる。</p>
<h2>3. 新しい時代にふさわしい雇用システムを作れ</h2>
<p>日本の雇用システムを情報社会の時代に適合的にするためには、労働者を弱者と規定して過剰に保護することなく、労働市場における売り手と買い手を完全に平等に扱う必要がある。</p>
<p>日本の民法は、雇用契約の解除に関して、労働者と使用者を対等に扱っている。</p>
<blockquote cite="http://www.houko.com/00/01/M29/089B.HTM#s3.2.8" title="Source: 民法・第３編　債権; Accessed Date: 7/14/2008" class="blockquote"><p>当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から２週間を経過することによって終了する。</p></blockquote>
<div class="cite">［<cite><a href="http://www.houko.com/00/01/M29/089B.HTM#s3.2.8">民法 第3編</a> 第627条 第1項</cite>］</div>
<p>だが、労働基準法は、労働者よりも使用者に大きな責務を与えている。</p>
<blockquote cite="http://www.houko.com/00/01/S22/049.HTM#s2" title="Source: 労働基準法; Accessed Date: 7/14/2008" class="blockquote"><p>使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも30日前にその予告をしなければならない。30日前に予告をしない使用者は、30日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない。</p></blockquote><div class="cite">［<cite><a href="http://www.houko.com/00/01/S22/049.HTM#s2">労働基準法</a> 第20条 第1項</cite>］</div>
<p>また、労働契約法は、解雇には正当な事由がなければならないとしている。</p>
<blockquote cite="http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO128.html" title="Source: 労働契約法; Accessed Date: 7/14/2008" class="blockquote"><p>解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。</p></blockquote><div class="cite">［<cite><a href="http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO128.html">労働契約法</a> 第16条</cite>］</div>
<p>この労働契約法は、2008年3月1日から施行された新しい法律であるが、この法律が施行される以前から、整理解雇四要件に関する判例の積み重ねがあり、会社都合では容易には解雇できないようになっている。そこで、私は、肥大化した労働者の過剰保護を削減し、雇用契約の解除に関する法的規制を、労使が平等である民法第627条の規制にまで緩和することを提案したい。</p>
<p>雇用を流動化する上でのもう一つの障害は、労働組合である。労働組合を組織し、組合活動をする権利は、日本国憲法第28条で保障されているので、労働組合の禁止は容易ではないが、日本国憲法といえども、時代に合わなくなった条項は変更するべきだろう。</p>
<p>労働組合は、工業社会の時代においては、労働者の待遇を向上させる上で、有効に機能した。しかし、情報社会では、均一な労働力の対価（労賃）を画一的に引き上げるということ自体が無意味なので、労働組合の存在意義は、なくなりつつある。実際、労働組合の組織率は年々低下し、平成18年現在、18.2%にまで低下している［<a href="http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/06/kekka.html">厚生労働省：平成18年労働組合基礎調査結果の概況</a>］。</p>
<p>派遣社員の待遇が悪いからといって、派遣社員が労働組合を結成し、ストライキをやって待遇の改善を要求しても、問題の解決には全くならない。労働者の待遇を強制的かつ一律に向上させると、雇用が減少するので、失業者が増え、貧困問題はいっそう悪化する。法律によって、派遣業を禁止したり、正社員化を義務付けたり、法定最低賃金を引き上げたりといった手段を用いた場合も同様の帰結をもたらすので好ましくない。労使の選択の自由を奪うことによってではなく、むしろ全く逆に、労使の選択の自由を拡大することによって、貧困問題を解決しなければならない。</p>
<p>労使の選択の自由を拡大し、雇用を流動化すると、有能な正社員の待遇が良くなる一方で、そうではない正社員（特定の職場だけでではなくて、どの職場でも無能な正社員）の待遇は逆に悪化するのではないかと危惧する人もいるであろう。そのとおり、格差は、拡大する。だが、たとえ、格差が拡大しても、有能な人材が海外に流出することを阻止することを優先しなければならない。賃金が低すぎて、生活できない労働者に対しては、<a href="http://www.nagaitosiya.com/a/welfare.html">社会保険金の支給で最低限の生活ができるようにすればよい</a>のだが、生産性の高い人材が国内に残らなければ、社会保険料の支払い手がいなくなってしまう。</p>
<p>終身雇用制が崩壊すると、企業は、終身雇用を前提に行ってきた社内研修や技術伝承に消極的になるのではないかと危惧する人もいるかもしれない。たしかに、金をかけて育てた若手従業員が、他の職場に転職したら、企業としては、人的資源への投資を回収できないということになる。それならば、社内研修や技術伝承を、終身雇用とのバーターで勤務時間内に行う無償のサービスから、勤務時間外に行う有料のサービスにすればよい。教育サービスを独立したビジネスにすれば、育てた人材が他の企業に転職しても、教育サービスの提供者は、不利益を被ることはない。</p>

<div class="postscript">追記</div>
<p>「転職が少ないがゆえに、ますます転職がしにくいというポジティブ・フィードバックが働く」という表現に対して、読者から「ポジティブ・フィードバック」は、「ネガティブ・フィードバック」の間違いではないかという指摘がメールでなされたが、ポジティブ・フィードバックとは、変動がその変動をさらに促進するループ作用のことで、変動の内容がポジティブかネガティブかということとは関係がない。つまり、「転職の減少が更なる転職の減少をもたらす」あるいは「転職の増加が更なる転職の増加をもたらす」ならば、これらのループ作用は、ポジティブ・フィードバックであるが、「転職の減少が逆に転職の増加をもたらす」あるいは「転職の増加が逆に転職の減少をもたらす」ならば、これらのループ作用は、ネガティブ・フィードバックである。</p>]]>
    </content>
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    <title>オーストラリア人は鯨肉を食べろ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/whaling.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2206</id>

    <published>2008-05-05T04:56:07Z</published>
    <updated>2009-06-17T04:25:30Z</updated>

    <summary>ケビン・ラッド政権の時代になってから、オーストラリアは、公式に、日本の調査捕鯨に抗議するようになった。オーストラリアでは、昔から反捕鯨の世論が強いが、捕鯨をして鯨肉を食べなけれべならないのは、日本人よ...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="9_policy" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>ケビン・ラッド政権の時代になってから、オーストラリアは、公式に、日本の調査捕鯨に抗議するようになった。オーストラリアでは、昔から反捕鯨の世論が強いが、捕鯨をして鯨肉を食べなけれべならないのは、日本人よりもむしろオーストラリア人の方ではないのか。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 日豪捕鯨論争勃発</h2>
<p>2007年11月にオーストラリアで行われた総選挙で、最大野党だった労働党が過半数を制し、11年半ぶりに政権を奪取した。自由党党首のジョン・ハワード首相は、退陣し、1996年以来続いた保守政権の時代が終わった。</p>
<p>もともと、オーストラリア人の間では、反捕鯨の世論が強かったが、日豪関係を重視していたジョン・ハワードは、日本の捕鯨活動を批判することはなかった。だが、労働党のケビン・ラッド党首は、首相就任後早々（2008年2月10日）に、税関の巡視船を派遣し、日本の自称「科学的調査捕鯨」が違法である証拠を収集して、国際司法裁判所あるいは国際海洋法裁判所へ訴訟することを検討すると述べるなど、反捕鯨政策を前面に打ち出した。</p>
<p>こうしたオーストラリアで盛り上がる日本叩きに対して、日本では感情的な反発が高まっている。YouTubeでは、日本人と思われる人物が投稿した“<a href="http://jp.youtube.com/watch?v=b7dmXwB8LBA">Racist Australia and Japanese whaling</a>”なる反豪動画が大きな反響を呼んだ。この動画のコメント欄では、日本人とオーストラリア人と野次馬たちの口汚い罵り合いが続いている。これに対して、オーストラリアでは、「日本人をよりよく理解するために、日本人の科学的調査をするべきだ」といった冗談［<a href="http://www.abc.net.au/tv/chaser/war/">ABC TV</a>：<a href="http://jp.youtube.com/watch?v=pZMZmNZov2g">Chaser's: War on Everything
</a>］が流行したりして、日豪関係はかつてなく険悪になっている。</p>
<p>日本の捕鯨擁護論をみていると、日本の国益という観点からなされたナショナリスティックなものが多いが、これでは、オーストラリア人を説得することができない。オーストラリア人に納得してもらうには、オーストラリアの国益という観点から、捕鯨の必要性を説くべきだろう。</p>
<h2>2. オーストラリアはなぜ砂漠化しているのか</h2>
<p>現在のオーストラリア人にとっての最大の悩みは、旱魃と国土の砂漠化である。特に2003年から始まった旱魃は、「観測史上最悪」 [ABC: <a href="http://www.abc.net.au/rural/news/stories/s938242.htm">Worst drought on record</a>] で、穀物の生産高は、平年と比べて半減し、綿花生産量は、66%減少した。農家の中には、農地を手放したり、自殺したりする人が増えている［BBC：<a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6065220.stm">Australia drought sparks suicides</a>］。水不足と農作物価格の急騰は、都市の生活者にも深刻な影響を与えている。</p>
<p>乾燥化の短期的な強化要因はエルニーニョ現象と考えられているが、数年周期で繰り返されるエルニーニョ・南方振動では、「千年に一度の旱魃」［The Guardian：<a href="http://www.guardian.co.uk/world/2006/nov/08/australia.drought">Australia suffers worst drought in 1,000 years</a>］を説明することはできない。2002-2003年、2004-2005年、2006-2007年にエルニーニョが観測されているが、どれもそれほど強いものではない。</p>
<p>もっと長期的な背景因としては、温室効果ガスによる地球温暖化を挙げることができる。中緯度高圧帯（亜熱帯高圧帯）の地域は、温暖化による降雨量の増加の恩恵を受けず、逆に気温の上昇により、乾燥化がいっそう進むことが知られている [IPCC (2007) <a href="http://www.ipcc-wg2.org/">Impacts,
Adaptation and Vulnerability</a>, p.6]。オーストラリア大陸は、中緯度高圧帯のもとにあるで、地球温暖化がオーストラリアの砂漠化を促進しているのは事実である。</p>
<p>しかしながら、オーストラリア大陸の砂漠化は、温室効果ガスによる地球温暖化が顕在化する80年代よりもはるか以前から、すなわち、イギリス人が植民活動を開始した18世紀末の時から始まっていた。</p>
<blockquote cite="http://www.int-res.com/abstracts/cr/v11/n1/p51-63/" title="Source: G. Pickup：Desertification and climate change -　the Australian perspective; Accessed Date: 5/4/2008" class="blockquote"><p class="western">In Australia, desertification tends to be associated with land degradation in the rangelands. It results from unsustainable land use and the impact of European settlement, rather than changing climate. </p>
  <p>オーストラリアにおいては、砂漠化は、放牧地における土壌劣化と関連する傾向にある。それは、変動する気候よりも、持続不可能な土地利用とヨーロッパ人の定住の衝撃から帰結している。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［G. Pickup：<a href="http://www.int-res.com/articles/cr/11/c011p051.pdf">Desertification and climate change -　the Australian perspective</a>］</div>
<p>イギリス人が入植後オーストラリアで始めたのは、羊の放牧であった。羊の放牧は、牛の放牧以上に砂漠化を促進する。なぜならば、牛が草の葉の部分しか食べないのに対して、羊は根や若芽まで掘り起こして食べてしまうからだ。いったん植被が減ると、土壌流出や風化によって、土地が不毛となる。劣化した土壌は、自然回復が難しい。また植物による保水や蒸散がなくなると、降雨量が減り、乾燥化が更なる砂漠化を進める。このように、羊の放牧は、様々なポジティブ･フィードバックにより、砂漠の面積を広げていく。</p>
<p>1995年の論文によると、オーストラリアの五百万平方キロメートルにおよぶ乾燥地と半乾燥地の42%で、何らかの形の砂漠化が起きている [John A. Ludwig and David J. Tongway: <a href="http://www.springerlink.com/content/t7474w3123p55257/">Desertification in Australia: An eye to grass roots and landscapes</a>]。オーストラリアの砂漠化は、2003年から始まった空前の旱魃により、さらにひどくなっているのではないか。このままでは、オーストラリアは、人間が住めない死の大陸になってしまう。</p>
<h2>3. オーストラリアを緑化するにはどうすればよいのか  </h2>
<p>植物は、生きていく上で、16の元素を外部から取り入れなければいけない。水素、炭素、酸素、窒素、カリウム、リンは大量に必要だが、カルシウム、マグネシウム、イオウは少量でよく、さらにモリブデン、銅、亜鉛、マンガン、鉄、ホウ素、塩素はごく微量でかまわない。このように必要な量に差はあるものの、どれか一つでも欠くならば、正常な成長ができないという意味で、これらの元素は必須元素と呼ばれる。</p>
<p>必須元素のうち、水素、炭素、酸素は、空気と水から直接補給することができる。それ以外は、自力で取り入れることはできない。必須元素が不足していると、いくら日光と水があっても、植物は育たない。オーストラリアの土壌には、もともと植物に必要な無機元素（以下、栄養塩と呼ぶことにする）が少ないといわれている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0143036556/n08-22/ref=nosim" title="Source: Amazon.co.jp： Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed: Jared Diamond: 洋書; Accessed Date: 4/29/2008" class="blockquote">
  <p class="western">Australia is the most unproductive continent: the one whose soils have on the average the lowest nutrient levels, the lowest plant growth rates, and the lowest productivity. That's because Australian soils are mostly so old that they have become leached of their nutrients by the rain over the course of billions of years.</p>
  <p>オーストラリアは、最も非生産的な大陸である。その土壌の栄養塩の平均値、植物の生育率、生産性は最低である。これは、オーストラリアの土壌の大部分が古くて、長い年月の経過とともに、雨によって、栄養塩が洗脱されたからである。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [Jared Diamond：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0143036556/n08-22/ref=nosim">Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed</a>, p.328］</div>
<p>だから、放牧をすれば、すぐに砂漠化してしまうのである。オーストラリアを再緑化するには、不足している栄養塩を増やす必要がある。</p>
<p>手っ取り早い手段として、化学肥料を投入するという方法があるが、費用が高くつくという以外に、持続可能ではないという問題点がある。化学肥料の主要成分 
である窒素とリンとカリウムのうち、窒素は空気中にほぼ無尽蔵にあるが、リンとカリウムは鉱山から採掘している。カリ鉱石は比較的資源が豊富であるが、リン鉱石は資源が枯渇しつつある。完全に枯渇する前に、リン価格の高騰により、利用が現実的ではなくなるだろう。</p>
<p>化学肥料の大量使用には、富栄養化という別の問題もある。海・湖沼・河川などの水域に、一度に大量の栄養塩が流入すると、植物プランクトンが急増する。植物プランクトンは、日中光合成をするので、酸素を大量に発生するが、夜間は呼吸するだけなので、水中は酸素不足になり、魚をはじめ、プランクトン自身も含めて水中生物が大量に死滅する。さらに、嫌気性微生物が、それらの死体を分解するので、悪臭が発生したりする。</p>
<p>肥料だけではなく、合成洗剤を含んだ生活廃水や工場廃水も富栄養化を惹き起こすので、富栄養化の防止には総合的な対策が必要であるのだが、人類はこれまで大量の栄養塩を水中に捨ててきたのだから、新たに陸地や空中から栄養塩を供給するのではなくて、水中に溜まった栄養塩を回収して、陸地に還元する方が、栄養塩の分布バランスの是正という観点からして望ましいということになる。</p>
<p>そうした回収をやろうとすれば、莫大な費用とエネルギーが必要になると思うかもしれないが、心配は無用である。魚や鯨が代わりにやってくれる。魚や鯨は、体内に大量のリンを集めているから、それを農地に還元すればよいのだ。</p>
<p>水中に分散している希少元素を生物を使って回収するという方法は、他でも試みられている。ホヤが海水から摂取し、体内に濃縮したバナジウムを回収するとか、日本海の浅瀬でホンダワラを養殖し、そこからエタノールを精製するだけでなく、ウランやヨウ素を回収するといったプロジェクトが日本で計画されている。しかし、魚や鯨を使って、海中に流出した栄養塩を回収し、肥料として使うということは、江戸時代の日本で大規模に実用化されていた。江戸時代の日本で成功した方法をオーストラリアの砂漠化防止に適用すればよい。</p>
<p>江戸時代の日本人は、鯨の骨を粉にして、肥料として活用していた。また、陸上動物はほとんど食べずに、魚や鯨を食べ、糞尿を肥料として使用していた。人糞を肥料として使うことは、一般に不衛生だと思われている。しかし、最近では、人糞をおがくずと混ぜることで、衛生的に有機肥料を作るトイレが開発されている。正和電工株式会社は、このトイレにバイオトイレという名前をつけて、普及を目指している。</p>
<blockquote cite="http://www.seiwa-denko.co.jp/civil.html" title="Source: 聞いて流せぬトイレの話　土木学会誌より|| 正和電工株式会社; Accessed Date: 5/5/2008" class="blockquote"><p>私たちの糞尿の成分のほとんどは水分だ。その水分が便座下の便槽内のおがくずに吸収される。トイレ使用後はボタンを押し電動式スクリューで攪拌する。微生物が活発に動くように、おがくずはヒーターで55度前後に保たれている。微生物の作用と適温により数時間で糞尿を水と二酸化炭素に分解するのだ。臭いも殆ど発生せず、換気の設備も備えている。おがくずの交換は年に数回程度で大丈夫。取り出したおがくずは素手で触っても害はなく、有機肥料として再利用することができる。</p>
  <p>［］</p>
  <p>使用後のおがくずには、大腸菌群や寄生虫など人体に有害な微生物は生息していないことがわかっている。バイオトイレから取り出した使用済みのおがくずはN（窒素）、P（リン）、K（カリウム）など植物へ有効な栄養分が多く含まれている。有機肥料として安心して活用できるのだ。 </p>
</blockquote>
<div class="cite">［正和電工株式会社：<cite><a href="http://www.seiwa-denko.co.jp/civil.html">聞いて流せぬトイレの話</a></cite>］</div>
<p>オーストラリア人は、砂漠化の原因となっている家畜（とりわけ羊）の飼育を減らし、漁業と捕鯨に力を入れるべきだ。捕鯨のほうが、家畜の飼育よりも資源の消費量は少なくてすむ［Reuters：<a href="http://www.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idUSEIC37493020080303?sp=true">Eat whale and save the planet</a>］。陸上動物の肉を食べる代わりに、魚や鯨といった海中動物の肉を食べ、それをバイオトイレで有機肥料に変える。魚や鯨の骨も、リンが豊富だから、重要な肥料の材料である。バイオトイレでは、水を流す必要がないから、これの使用により、多くの水を節約することができる。これは、水不足に悩むオーストラリア人にとっては朗報である。節約した水と有機肥料を使って、農業や植林をすれば、オーストラリアの砂漠化を阻止し、再緑化することができる。</p>
<p>オーストラリアの反捕鯨活動家たちは、捕鯨を禁止すれば鯨の数が増えると単純に考えている。しかし、人間が捕獲しなくても、鯨は、少なくとも寿命に達すれば死ぬ。そして、鯨の体内に集積した栄養塩が海底に沈む。その栄養塩を陸上生物が活用するまでには、途方もない時間がかかる。それならば、十分子孫を残した鯨を捕獲し、陸上の生物の繁栄のために使ったほうがよい。</p>
<p>陸上の生命が豊かになれば、それだけ多くの有機・無機の栄養分が海中に流れ込むので、鯨を含めて、海中の生物も豊かになる。オーストラリア周辺の海域では、オーストラリア大陸から海に流入する栄養塩が貧弱であるため、海洋資源も貧弱である。商業捕鯨の禁止にもかかわらず鯨の数増えない最大の原因は、餌不足である。逆説的であるが、日本が伝統的に行ってきたエコロジカルな捕鯨なら、鯨の数を逆に増やすことすら可能である。オーストラリア人は、自ら捕鯨を再開し、鯨肉を食べるべきだ。</p>
<div class="postscript">読書案内</div><table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%">書名</th>
<td width="70%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413040163/n08-22/ref=nosim">クジラと日本人―食べてこそ共存できる人間と海の関係 (プレイブックス・インテリジェンス)</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">媒体</th>
<td width="70%">新書</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">著者</th>
<td width="70%">小松 正之</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">出版社と出版時期</th>
<td width="70%">青春出版社, 2002/04</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%">書名</th>
<td width="70%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4425852117/n08-22/ref=nosim">よくわかるクジラ論争―捕鯨の未来をひらく (ベルソーブックス)</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">媒体</th>
<td width="70%">単行本</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">著者</th>
<td width="70%">小松 正之 他</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">出版社と出版時期</th>
<td width="70%">成山堂書店, 2005/08</td>
</tr>
</tbody>
</table>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>熱塩海洋循環の停滞は何をもたらすのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/thermohaline.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2205</id>

    <published>2008-04-28T01:20:19Z</published>
    <updated>2009-01-02T05:26:35Z</updated>

    <summary>地球温暖化によって、将来、熱塩海洋循環が停滞ないし停止するのではないかと言われている。熱塩海洋循環が停滞すると、何が起きるのか。たんにヨーロッパが寒くなるだけなのか。ヤンガードリアス・イベントの影響を...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
        <category term="1_physics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>地球温暖化によって、将来、熱塩海洋循環が停滞ないし停止するのではないかと言われている。熱塩海洋循環が停滞すると、何が起きるのか。たんにヨーロッパが寒くなるだけなのか。ヤンガードリアス・イベントの影響を参考に考えて見たい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 熱塩海洋循環とは何か</h2>
<p>熱塩海洋循環（Thermohaline Ocean Circulation）とは、海洋における熱と塩分の差異によって駆動される地球規模の海流である。1980年代に、ブロッカー（Wallace Smith Broecker）によって発見された。ブロッカーは、この循環を次のように描いている。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://www.af-info.or.jp/jpn/honor/honor.html" title="Source: 旭硝子財団 顕彰事業ブループラネット; Accessed Date: 3/23/2008"><img src="thermohaline_broecker.png" alt="ブループラネット賞" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">図1　海洋の大コンベアベルト［<a href="http://www.af-info.or.jp/jpn/honor/honor.html">旭硝子財団 顕彰事業ブループラネット</a>：<a href="http://www.af-info.or.jp/jpn/honor/pdf/kouen.pdf">ウォーレス・S・ブロッカー博士記念講演『我らが青い星“地球”の気候システムが危ない』</a>, p.10］</div>
<p>図1は、北大西洋で沈んだ海洋が、インド洋と北太平洋で浮上することを示している。この図は、しかしながら、単純化しすぎている。現在では、沈み込みの地点が他にもあることが確認されている。以下の図2の方が、もっと精確である。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://www.pik-potsdam.de/~stefan/thc_fact_sheet.html" title="Source: Stefan Rahmstorf (2006) Thermohaline Ocean Circulation, Encyclopedia of Quaternary Sciences, Edited by S. A. Elias; Accessed Date: 3/3/2008"><img src="thermohaline_rahmstorf.png" alt="The Thermohaline Ocean Circulation" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">図2　熱塩海洋循環<br />
  ［<a href="http://www.pik-potsdam.de/~stefan/Publications/Book_chapters/Rahmstorf_EQS_2006.pdf">Stefan Rahmstorf (2006) Thermohaline Ocean Circulation</a>］</div>
<p>図2では、沈み込みの地点として、L（ラブラドル海）、G（グリーンランド海）、W（ウェッデル海）、R（ロス海）の4箇所が、オレンジ色の丸印で記されている。これらを転換点として、赤色の表層海流は、青色の深層海流、あるいは紫色の海底海流へと折り返され、ACC（南極周極流 Antarctic Circumpolar Current）を形成した後、インド洋、太平洋、大西洋で表層へと湧昇することが、この図から読み取れる（海流の経路や湧昇地点に関しては異説もある）。</p>
<p>熱塩海洋循環は、風力で駆動される風成海洋循環と、動力因という点で概念的に区別されるべきではあるが、実体としては不可分の関係にあり、両者は、まとめて海洋大循環と呼ばれている。図2では、風成海洋循環による湧昇地点は黒丸で、熱塩海洋循環と風成海洋循環の両者による湧昇地点は赤丸で記されている。</p>
<p>熱塩海洋循環は「海洋における熱と塩分の差異によって駆動される」と書いたが、これについてもう少し詳しく説明しよう。北大西洋や南極での海水の氷結は、氷自体は純水であるから、塩分を排出し、海水の塩分濃度を高め、その結果、海水の凝固点が降下する。極地の気温は、きわめて低いので、海水は液体のまま、どんどん水温を下げていく。塩分濃度が高くなって、温度が低くなることで、表層海水は、深層海水よりも密度が高くなり、海底に沈み込む。そしてこの沈み込みが、熱塩海洋循環の動力因となっている。</p>
<p>英語版ウィキペディアは、沈み込みのメカニズムを以下のように説明している。</p>
<blockquote cite="http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Thermohaline_circulation&amp;oldid=197325426" title="Source: Thermohaline circulation - Wikipedia, the free encyclopedia; Accessed Date: 3/22/2008" class="blockquote"><p class="western">The dense water masses that sink into the deep basins are formed in quite specific areas of the North Atlantic and the Southern Ocean. In these polar regions, seawater at the surface of the ocean is intensively cooled by the wind. Wind moving over the water also produces a great deal of evaporation, leading to a decrease in temperature, called evaporative cooling. Evaporation removes only molecules of pure water, resulting in an increase in the salinity of the seawater left behind, and thus an increase in the density of the water mass. </p>
  <p>深い海盆に沈み込む高密度の水塊は、北大西洋や南洋の、きわめて特定の地域で形成される。これらの極地では、海洋の表層海水は、風によって激しく冷やされる。水上を吹く風は、大規模な蒸発をも引き起こし、蒸発冷却と呼ばれる温度低下をもたらす。蒸発は、純水の分子のみを取り除くので、取り残された塩分を増加させ、かくして、水塊の密度の上昇を帰結する。</p>
</blockquote><div class="cite">［<cite><a href="http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Thermohaline_circulation&amp;oldid=197325426">Thermohaline circulation - Wikipedia, the free encyclopedia</a></cite>］</div>
<p>なるほど、表層水は、深層水とは異なり、蒸発するので、気化熱を奪われることで、深層水に対して温度が低下するということは考えられる。また、蒸発した水が、別の地域で雨や雪となって降るのであれば、それは、塩分濃度の上昇をもたらすであろう。しかしながら、本当に蒸発で沈み込みを説明できるのだろうか。</p>
<p>図2は、塩分濃度が高い海域を緑色で、低い海域を濃い水色で示している。緑色の海域は、降雨量が少なくて、陸地では砂漠が多い中緯度高圧帯付近に見られる。反対に降雨量が多い海域では、濃い水色になっている。沈み込みが起きている地点は、広域的には、塩分濃度が低い。ここから、蒸発による海水温度の低下と塩分濃度の上昇だけでは沈み込みが起きないということがわかる。沈み込みが起きるための第一の条件は、永久氷床が近くにあって、気温が著しく低いことではないのか。さらに、氷床が湾状に窪んでいる所で沈み込む傾向があると言えそうだ。四つの沈み込み地点は、南極大陸の二つの大きな湾であるウェッデル海とロス海、突き出た永久氷床であるグリーンランドの両脇である。</p>
<h2>2. 現在、熱塩海洋循環は弱まりつつあるのか</h2>
<p>熱塩海洋循環は、地球温暖化との関係で近年注目されている。すなわち、地球温暖化が、極地の氷の溶融による塩分濃度の低下と水温上昇をもたらし、その結果、海水の密度が低下して、沈み込みが停滞ないし停止するのではないかという懸念がもたれている。</p>
<p>2005年に、Harry L. Bryden ら、イギリスの国立海洋学センターの研究グループは、2004年の北大西洋の熱塩海洋循環が、1957年と比べて、30%も速さを落としていると発表した［<a href="http://www.nature.com/nature/journal/v438/n7068/full/nature04385.html">Harry L. Bryden et al.(2005) Slowing of the Atlantic meridional overturning circulation at 25°N</a>］。しかしながら、現在すでに熱塩海洋循環に異常が見られると主張している科学者は少数派である。多くの科学者は、その異変を自然の変異ないし測定誤差の範囲内とみなしている。</p>
<p>地球温暖化で、北極海やグリーンランド周辺の氷が解けていることは事実なのに、なぜ北大西洋の熱塩海洋循環の勢いは衰えないのか。</p>
<blockquote cite="http://www.pik-potsdam.de/~stefan/thc_fact_sheet.html" title="Source: Thermohaline Circulation - Fact Sheet by Stefan Rahmstorf; Accessed Date: 4/27/2008" class="blockquote">
  <p class="western">It is worth noting that the Gulf Stream is primarily a wind-driven current, forming part of the subtropical gyre circulation. The thermohaline circulation - approximated here by the amount of water needed to compensate for the southward flow of NADW - contributes only roughly 20% to the Gulf Stream flow.</p>
  <p>メキシコ湾流が、本来、風力で駆動される海流で、亜熱帯環流の一部を形成しているということに留意するべきである。熱塩循環は、北大西洋深層水の南方へ下る水量を補填するのに必要な水量で概算すると、メキシコ湾流のたった20%程度にしか貢献していない。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.pik-potsdam.de/~stefan/Publications/Book_chapters/Rahmstorf_EQS_2006.pdf">Stefan Rahmstorf (2006) Thermohaline Ocean Circulation</a>, p.2］</div>
<p>水温と塩分濃度の差異によって駆動される熱塩海洋循環は、風力で駆動される風成海洋循環と不可分の関係にあり、後者の駆動力が全体の大部分を占める以上、多少、水温と塩分濃度の差異が縮小しても、風力が衰えないうちは、海洋大循環全体にはあまり影響を与えないと考えることができる。</p>
<p>このため、大西洋における海洋大循環を指す言葉として、熱塩海洋循環という原因を特定した名称に代って、子午面循環（<span class="western">Meridional Overturning Circulation</span>）というような地理的特徴に因んだ名称が使われる傾向がある。地球温暖化に対して悲観的な予測を行っているIPCCの第四次報告書も、子午面循環がすぐに停止するとは予測していない。</p>
<blockquote cite="http://www.ipcc-wg2.org/" title="Source: ; Accessed Date: 5/22/2007" class="blockquote">
  <p class="western">Based on climate model results, it is very
    unlikely that
    the Meridional Overturning Circulation (MOC) in the North Atlantic will undergo
    a large abrupt transition during the 21st century.</p>
  <p>気候モデルの結果に基づくならば、北大西洋の子午面循環（MOC）が、21世紀中に大規模で急激な変動を被ることは、極めてありそうにない。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [IPCC (2007) <cite><a href="http://www.ipcc-wg2.org/">Impacts,
  Adaptation and Vulnerability - Summary for Policymakers</a></cite>, p.15] </div>
<p>では、地球温暖化によって、熱塩海洋循環が停滞ないしは停止するというのは全くの杞憂かといえば、そうではない。なぜならば、急激な温暖化によって、熱塩海洋循環が停止もしくは著しく停滞したことが過去にあるからである。</p>
<h2>3. ヤンガードリアス期に何が起きたのか</h2>
<p>熱塩海洋循環は、1万3千年前ごろのヤンガードリアス（Younger Dryas ヤンガードライアスとも言う）期に停止もしくは著しく停滞したと考えられている。ヤンガードリアス期に先立つアレレード期の温暖化は、当時北米を覆っていたローレンタイド氷床を融かし、広大なアガシー湖を形成した。その融氷水は、当初、ミシシッピー川を経てメキシコ湾に流れていたが、東側にあったマルキュティ氷河がなくなったために、セントローレンス川を経て、北大西洋に流れた。その結果、北大西洋の塩分濃度が大幅に薄まり、熱塩海洋循環の動きが止まったというわけである。</p>
<p>熱塩海洋循環が停止すると何が起きるかを知るには、ヤンガードリアス期に何が起きたかを知らなければならない。ヤンガードリアス期の最もよく知られた変動は、気温の急激な低下である。特にメキシコ湾流の流れが止まった結果、北大西洋地域が寒冷化した。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0415198429/n08-22/ref=nosim" title="Source: The Great Ice Age: Climate Change and Life; Author: S. A. Drury 他; Publication Date: 1999/12; Publisher: Routledge"> <img src="thermohaline_yd.png" alt="氷河時代の終焉" /></blockquote>
<div class="caption_bottom"> 図3 過去3.5万年間の極地における気温変動の復元図 [S. A. Drury et al：<cite title="Author: S. A. Drury 他；Source: The Great Ice Age: Climate Change and Life；Publication Date: 1999/12；Publisher: Routledge"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0415198429/n08-22/ref=nosim">The Great Ice Age: Climate Change and Life</a></cite>, p.128] </div>
<p>図3には、A～Dの四つの曲線が描かれている。Aは南極、Bはグリーンランドから採掘したアイスコアの酸素同位体比のグラフである。Cはグリーンランドにおける大気中のメタン濃度、Dは南極における大気の二酸化炭素濃度のグラフである。BとCには、YDと記された、急激な寒冷化の時期を見て取ることができるが、AとDには、それが見当たらない。ここから、寒冷化は、南極にまで及んでいなかったと判断することができる。</p>
<p>しかし、だからといって、ヤンガードリアス・イベントが、全地球的影響力を持たなかったとは言えない。そもそも、熱塩海洋循環が停滞すると、南半球の気温はむしろ上昇するというシミュレーションすらある。</p>
<blockquote cite="http://www.pik-potsdam.de/~stefan/thc_fact_sheet.html" title="Source: Thermohaline Circulation - Fact Sheet by Stefan Rahmstorf; Accessed Date: 3/23/2008" class="blockquote"><p class="western">In models the northern hemisphere cools and the southern hemisphere warms if the THC is brought to a halt, because the cross-equatorial heat transport in the ocean is reduced. This change in heat partitioning between the two hemispheres shifts the thermal equator to the south, and thus the inter-tropical convergence zone (ITCZ) and the associated tropical rainfall belts.</p>
  <p>モデルによると、もしも熱塩循環が停止すると、海洋における赤道を越えた熱輸送が減るので、北半球は寒冷化し、南半球は温暖化する。この両半球における熱分断をもたらす変化は、気温上の熱帯を、したがって、熱帯収束帯とそれに結びついた熱帯雨林地帯をより南へと移動させる。</p>
</blockquote>
<div class="cite">［<a href="http://www.pik-potsdam.de/~stefan/Publications/Book_chapters/Rahmstorf_EQS_2006.pdf">Stefan Rahmstorf (2006) Thermohaline Ocean Circulation</a>, p.7］</div>
<p>熱塩海洋循環の効用を、北大西洋を温暖にすることよりも、地球全体の気温の安定化に求める人もいる。実際、図3のBのグラフを見ると、熱塩海洋循環が復活した後の、1万年前以降の気温が、異常に安定していることがわかる。だから、例えば、NHKは、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GNRF/n08-22/ref=nosim">NHKスペシャル「海」第4集～深層海流/二千年の大航海～</a>』という番組で、熱塩循環（深層海流）による熱の分配のおかげで、現在の間氷期の気候は安定しているという説明をしていた。</p>
<blockquote cite="http://www.nhk.or.jp/school/junior/kaisetsu37.html" title="Source: かがく用語集; Accessed Date: 6/15/2006" class="blockquote">
  <p>近年、深さ数千ｍ～１万ｍもの深海に、ごくごくゆっくりとした海水の流れがあることがわかってきました。その流れは、場所ごとに決まった方向を持ち、約２０００年で海洋を一周する循環をつくっています。この深層水は北大西洋で作られ、その循環が気候の安定化に重要な役割を果たしていることがわかってきました。</p>
  <p>過去の気候を知る重要な手がかりが、グリーンランドの氷床を打ち抜いた、ボーリングコアの試料から得られています。そこには氷期の激しい気候変動や、ヤンガードライアス期と呼ばれる約13000年前の寒冷期の記録が閉じこめられていました。</p>
  <p>融解し、縮小する大陸氷床が残した大量の淡水が、密度が低いために北大西洋の深層への沈み込み口を覆い、そのために深層循環が停止し、北米やヨーロッパでは氷期に逆戻りしたような気候を一時的に経験したと考えられています。</p>
  <p>最終氷期が終わってから、過去約１万年の間、全体として地球は温暖な環境を維持してきました。深層海流の流れは、安定した気候条件を維持するために、きわめて重要な役割を果たしていたのです。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [NHK：<cite><a href="http://www.nhk.or.jp/school/junior/kaisetsu37.html">深層海流二千年の大航海 解説</a></cite>] </div>
<p>しかし、こうした説明と、ボーリングコアの試料の分析結果は矛盾していないだろうか。もしも熱塩海洋循環の停滞でヤンガードリアス・イベントが起き、熱塩循環の回復で気候が安定するようになったとするならば、ヤンガードリアス・イベントが起きる前は、それ以降と同様、安定した気候が続いたはずなのに、グラフを見ればわかるように、全然そうではない。図3には、3.5万年前までの記録しかないが、過去においては、氷期のみならず、間氷期においても、気候は安定していない。</p>
<p>熱塩海洋循環は、ヤンガードリアス・イベントの終了によって初めてできたのではなく、それ以前から存在していた。現在のような形が形成されたのは、460-250万年前、南北アメリカ大陸が接近・合体した時で、これにより、それまでカリブ海から太平洋に流れ出ていた海流が行き場を失い、メキシコ湾流に沿って北大西洋沖まで運ばれるようになった。メキシコ湾流の強化により、北大西洋での水の蒸発が増え、降雪量も増え、北大西洋での氷河の形成をもたらした [S. A. Drury et al：<cite title="Author: S. A. Drury 他；Source: The Great Ice Age: Climate Change and Life；Publication Date: 1999/12；Publisher: Routledge"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0415198429/n08-22/ref=nosim">The Great Ice Age: Climate Change and Life</a></cite>, p.144] 。460-250万年前は、現在に続く氷河期が始まった時期と重なっている。氷河期の開始とともに熱塩循環が強化されたとするならば、なぜ過去の氷河期の気温が、氷期においても間氷期においても不安定だったのか、NHKの説明ではわからなくなる。</p>
<p>もう一度図3を見てみよう。確かにグラフBを見る限り、過去1万年間の気温は安定していたと言うことができる。しかし、グラフAやDを見ると、必ずしもそうとは言えないことがわかる。過去1万年間の気候が本当に安定していたかどうかは、まだ十分に実証されていないし、また、もしも本当に安定していたとしても、熱塩海洋循環がその主要な原因であるとは言えない。</p>
<p>ヤンガードリアス期の北大西洋地域に見られた特徴として、寒冷化とともに乾燥化を挙げることができる。メキシコ湾流は、日本海流（黒潮）とともに、世界最大規模の暖流であり、熱帯付近の膨大な量の熱をヨーロッパ方面に運ぶと同時に、この海域の降雨量を増やすことに貢献している。メキシコ湾流が弱まると、大西洋の湾流に沿った海域で雨が降らなくなる可能性があることが、地球シミュレータの再現実験によってわかっている［読売新聞：2008年3月13日］。だから、メキシコ暖流が停滞したヤンガードリアス期に、乾燥化が起きたことは、理解できることである。</p>
<h2>4. なぜヤンガードリアス期に農業が始まったのか</h2>
<p>人類が始めて農業を始めた時期は、ヤンガードリアス期と重なっていることから、ヤンガードリアス・イベントが農業開始の原因ではないかとする説が有力である。現在わかっている最古の農耕遺跡は、シリアのアブ・フレイラ遺跡である。Gordon Hillman らは、アブ・フレイラ遺跡に関して次のように報告している。</p>
<blockquote cite="http://hol.sagepub.com/cgi/content/abstract/11/4/383" title="Source: New evidence of Lateglacial cereal cultivation at Abu Hureyra on the Euphrates -- Hillman et al. 11 (4): 383 -- The Holocene; Accessed Date: 3/19/2007" class="blockquote">
  <p class="western">New evidence from the site of Abu Hureyra suggests that systematic cultivation of cereals in fact started well before the end of the Pleistocene by at least 13000 years ago, and that rye was among the first crops. The evidence also indicates that hunter-gatherers at Abu Hureyra first started cultivating crops in response to a steep decline in wild plants that had served as staple foods for at least the preceding four centuries. The decline in these wild staples is attributable to a sudden, dry, cold, climatic reversal equivalent to the ‘Younger Dryas’ period. At Abu Hureyra, therefore, it appears that the primary trigger for the occupants to start cultivating caloric staples was climate change. </p>
  <p>アブ・フレイラからの新しい証拠は、穀物の組織的な栽培は、事実上、更新世が終わるかなり前から、少なくとも13000年前には始まっていて、ライ麦は最初期の穀物だったことを示唆している。また、この証拠から、アブ・フレイラの狩猟採集者は、少なくとも4世紀にわたって主食としていた野生種植物の急速な減少に反応して穀物の栽培を最初に始めたことがわかる。これらの野生の主要食料の減少の原因は、「ヤンガードリアス」に相当する、寒くて乾燥した気候への急激な逆戻りに求めることができる。アブ・フレイラでは、それゆえ、住民が高カロリーの主食を栽培し始めたきっかけは気候変動のようである。</p>
</blockquote>
<div class="cite"> [Gordon Hillman et al：<cite><a href="http://hol.sagepub.com/cgi/content/abstract/11/4/383">New evidence of Lateglacial cereal cultivation at Abu Hureyra on the Euphrates, The Holocene, Vol. 11, No. 4, p. 383-393</a></cite>] </div>
<p>たしかに、寒くて乾燥した気候になれば、野生の主要食料が減少するということはあるかもしれない。しかし、寒くて乾燥したから農業が始まったとするならば、なぜ、氷期の最盛期に農業が始まらなかったのだろうか。最終氷期の最盛期は、ヤンガードリアス期と同じかそれ以上に寒くなり、乾燥したのである。農業開始の原因として、寒冷化と乾燥化以外の要因を見出さなければならない。</p>
<p>最終氷期の最盛期とヤンガードリアス期の大きな違いは、熱塩海洋循環が健全であったか否かにあり、その違いがもたらす別の効果に着目しよう。熱塩海洋循環は、熱だけでなく、栄養分（特にリン）を循環させている。地上に存在する栄養分は、雨によって洗い出され、海に流出し、その一部は生物によって摂取されるが、最終的には、海底に蓄積する。そのままであれば、陸上、さらには表層水中の生物は、栄養分が不足して死に絶え、地球は死の世界となるのだが、熱塩海洋循環は、海底に溜まった栄養分を表層水へと湧昇させ、それをプランクトン、さらには魚などが摂取し、それをさらに鳥や人間が食べることで、栄養塩は陸上へと還元される。熱塩海洋循環が停滞すると、この栄養分の循環が停滞するのだから、地上を含めた地球全体の食糧生産が危機に直面することになる。この食糧危機を克服するべく、人類は農業を始めたと考えることができる。</p>
<p>図2を見てもわかるように、海洋大循環の湧昇地点は、世界各地に散在する。ヤンガードリアス・イベントによる寒冷化と乾燥化が、北大西洋とその周辺に限定されるローカルな現象だったとしても、栄養分の循環が停滞することによる食糧危機は、西南アジアを含めたもっと広範囲の地域に影響を与えたと推測することができる。将来、地球温暖化によって、海洋大循環が停滞するならば、同じ現象が見られることだろう。</p>
<div class="postscript">読書案内</div>
<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%">書名</th>
<td width="70%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/478972283X/n08-22/ref=nosim">氷に刻まれた地球11万年の記憶―温暖化は氷河期を招く</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">媒体</th>
<td width="70%">単行本</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">著者</th>
<td width="70%">リチャード・B. アレイ</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">出版社と出版時期</th>
<td width="70%">ソニーマガジンズ, 2004/05</td>
</tr>
</tbody>
</table>

<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%">書名</th>
<td width="70%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478871086/n08-22/ref=nosim">気候変動 +2℃</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">媒体</th>
<td width="70%">単行本</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">著者</th>
<td width="70%">山本 良一 , 他</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">出版社と出版時期</th>
<td width="70%">ダイヤモンド社, 2006/04/07</td>
</tr>
</tbody>
</table>

<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%">タイトル</td>
<td width="70%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000WM8RXS/n08-22/ref=nosim">デイ・アフター・トゥモロー (Blu-ray Disc)</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">媒体</th>
<td width="70%">Blu-ray</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">監督, 出演</td>
<td width="70%">ローランド・エメリッヒ</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">出版社と出版時期</td>
<td width="70%">20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン, 2007/12/21</td>
</tr>
</tbody>
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    </content>
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    <title>天皇と日食</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/a/eclipse.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2008:/a//17.2204</id>

    <published>2008-02-07T07:28:17Z</published>
    <updated>2009-12-31T00:47:48Z</updated>

    <summary>かつて、中世の日本には、日食/月食に際して天皇の御所を席で裹む風習があった。なぜこのようなことが行われたのか。私は、以前、アマテラス＝卑弥呼説に基づいて、天皇の起源がスケープゴートにあったことを主張し...</summary>
    <author>
        <name>永井俊哉</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/a/">
        <![CDATA[<p>かつて、中世の日本には、日食/月食に際して天皇の御所を席で裹む風習があった。なぜこのようなことが行われたのか。私は、以前、アマテラス＝卑弥呼説に基づいて、天皇の起源がスケープゴートにあったことを主張したが、この観点から、この問題に答えてみたい</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 日食/月食に御所を席で裹む作法</h2>
<p>1221年に順徳天皇が完成させた有職故実の書『禁秘抄』によれば、日食と月食の時には、天皇の御座所の御簾は下ろされ、御殿は席（むしろ）で裹（つつ）まれた。公家たちも、御所に来て参籠したが、とりわけ籠もらなければいけなかったのは天皇である。</p>
<p>なぜこのような裹みと籠もりが必要だったのだろうか。黒田日出男氏は、「こもる・つつむ・かくす」と題した論考の中で、「この行為の目指すところは、天皇に、日食・月食の放つ妖光を当てないようにすることなのであった」［黒田 日出男：<cite title="Author: 黒田 日出男；Source: 王の身体 王の肖像 (イメージ・リーディング叢書)；Publication Date: 1993/03；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582284701/n08-22/ref=nosim">王の身体 王の肖像</a></cite>, p.26］と説明している。</p>
<p>たしかに、『禁秘抄』には、「天子殊に其の光にあたりたまはず、蝕の以前・以後と雖も、其の夜光に当りたまはず、日・月これ同じ、席をもつて御殿を裹み廻らし、供御ごとく其の光に当らず」とあるから、そのような解釈も可能ではあるが、ここから光を邪悪視していたことは、直接には読み取れない。「妖光」というのは、あくまでも黒田氏の解釈である。</p>
<p>もしも、黒田氏が言うように、天皇が日食/月食の放つ妖光を忌避していたというのであれば、皆既日食/月食の時で、光が完全に遮断される間は、御簾を上げたり、外に出たりしてもよいはずだ。しかし、そのような習慣はなかった。</p>
<p>黒田氏は、「日食・月食に際しての天皇の御所を席で&lt;裹む&gt;作法が、自然秩序の異変などの&lt;穢れ&gt;から&lt;王&gt;としての天皇を守ろうとするものであった」［黒田 日出男：<cite title="Author: 黒田 日出男；Source: 王の身体 王の肖像 (イメージ・リーディング叢書)；Publication Date: 1993/03；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582284701/n08-22/ref=nosim">王の身体 王の肖像</a></cite>, p.26］と言うのであるが、ケガレは、死や病など、光よりもむしろ闇を連想させる事象を指す言葉である。</p>
<p>民俗学では、「ケガレ」を「気枯れ」と解釈することが多い。古代人は、気を生命力とみなしていた。気が枯れると人は死ぬという論理でいくならば、日食や月食は、太陽や月の生命力である光が枯れていくから、太陽や月の死ということになる。日食や月食の光を穢れとみなすよりも、光が枯れていくことを穢れとみなすほうが自然なのではないだろうか。</p>
<h2>2. 天人相関説による解釈</h2>
<p>私は、日食/月食に際して天皇の御所を席で裹む作法を、天人合一説/天人相関説に基づいて解釈したい。天人合一説/天人相関説とは、天と人（とりわけ君子）を同一視し、相関させる中国の思想で、日本の思想にも影響を及ぼした。日本神話において、天皇は太陽神（アマテラス）の子孫とみなされ、月神であるツクヨミは、太陽神に準ずる存在とされている<sub>［ｔ］</sub>。日食/月食で、太陽と月が、一時的にであれ、姿を隠すときには、君子やそれに準じる人たちもまた、同様に姿を隠さなければならない。</p>
<p class="note">［t］『古事記』では、アマテラスはイザナギの左目から、ツクヨミは右目から生まれたということになっている。但し、ツクヨミは、アマテラスに比べると、格段に存在感がない。</p>
<p>黒田氏の妖光忌避説では説明できないが、天人合一説/天人相関説ならば、うまく説明できる事例がある。以下の『吾妻鏡』の記載がそうである。</p>
<blockquote cite="http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azutext3.htm#T93" title="Source: ; Accessed Date: 2/5/2008" class="blockquote">
  <p class="chinese">今日申酉間、可有蝕之由、諸道雖勘申之。窮冬有其沙汰、任右大將家建久九年正朔日蝕時之例、不被裹御所、隨而又、蝕不正現、若他州事歟〈云云〉。</p>
  <p class="classic_jp">今日、申酉の間、蝕あるべきの由、諸道これを勘申すと雖も、窮冬其の沙汰あり、右大將家の建久九年正朔日蝕の時の例に任せて、御所を裹まれず、隨つてまた、蝕正現せず、もしくは他州の事かと云々。</p>
  <p>今日の夕方頃日食が起きる理由を、道士たちは調べて申し上げたが、12月にその知らせはあり、建久九年正月の頼朝の時の例に倣って、御所を裹まなかった。したがってまた、日食も正現しなかった。あるいは、他所での出来事かと云々。</p>
</blockquote><div class="cite">［<a href="http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azumatop.htm">吾妻鏡本文データ</a>：<cite><a href="http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azutext3.htm#T93">吾妻鏡（寛元四年・正月一日）</a></cite>］</div>
<p>なぜ、御所を裹まなかったことが原因で、日食が正現しなかったのか。黒田氏は、「この記事の理解は難しい」［黒田 日出男：<cite title="Author: 黒田 日出男；Source: 王の身体 王の肖像 (イメージ・リーディング叢書)；Publication Date: 1993/03；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582284701/n08-22/ref=nosim">王の身体 王の肖像</a></cite>, p.31］と言うが、たしかに、妖光忌避説ではこの記事は理解できない。しかし、天人合一説/天人相関説ならば容易に理解できる。天と人が相関しているのだから、地上の太陽である君主を裹まなければ、天上の太陽も裹まれないはずであり、実際にそうなった。これが、この記事の言わんとするところであろう。</p>
<h2>3. 穢れと裹み</h2>
<p>この解釈だと、御殿を裹むことは、御殿を穢れから守るというよりも、むしろ御殿を穢れとして扱うことになるのではないかと訝かる向きもあるだろう。天皇を穢れとして扱うのはけしからんという常識は理解できるが、天皇を絶対的な清浄として穢れに対置するのは、近代の絶対主義的君主の思想であって、古代や中世においては、天皇は、穢れた存在と不可分の関係にあった。</p>
<p>ここで、なぜ御所を「つつむ」時、「裹む」という漢字が使われているのかを考えてみよう。「裹」は、衣と果から成り立つ会意文字で、白川静氏によれば、果を衣中に加えるのは、死喪のとき行った魂振り儀礼において、招魂するためであり、裹と同じ構造法をとる漢字（哀・襄・衰）は、みな、死者の衣襟に、それぞれの呪具を加え、また呪儀を行うという意味を持つ［白川静：<cite title="Source: CD-ROM版 字通; Publication Date: 2003/08/02; Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000C85L9/ref=nosim">CD-ROM版 字通</a></cite>］。</p>
<p>裹屍（かし＝屍を包む）や裹革（かかく＝馬革で屍を包む）といった熟語が示すように、裹は、死体を包む時に使う字である。御所が裹まれたということは、御所が穢れから守られるべき清浄であるというよりも、むしろそれ自体が穢れになったということを外部に対して示しているのではないだろうか。</p>
<p>黒田氏は、「こもる・つつむ・かくす」の中で、さまざまな裹頭（かとう＝覆面）姿の人々を紹介しているが、裹頭姿の人々は、乱暴狼藉をはたらく僧兵、癩者（ハンセン病患者）、宿の長吏（犬神人、但し、後に「穢多」ないし「非人」と呼ばれて差別された人々）など、いずれも浄ではなくて穢に属するとみなされた人々ばかりである。</p>
<p>黒田氏は、彼らが、「&lt;穢れ&gt;の中世的秩序を可視的・身体的に表現していたのであって、彼らのシンボリックなスタイルでの、境界的な存在の仕方そのものが、中世社会の秩序の特有な身体性を表現している」［黒田 日出男：<cite title="Author: 黒田 日出男；Source: 王の身体 王の肖像 (イメージ・リーディング叢書)；Publication Date: 1993/03；Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582284701/n08-22/ref=nosim">王の身体 王の肖像</a></cite>, p.31］ことを正しく指摘しているのに、なぜ同じことを天皇や将軍に対しても当てはめないのか。それは、黒田氏が、天皇や将軍は、穢に対する浄、境界的存在に対する中心的存在のはずだという近代的な先入観に拘束されていたからであろう。</p>
<h2>4. 古代における日食と天皇の関係</h2>
<p>黒田氏によると、日食/月食に際して天皇の御所を席で裹む作法に言及した最古の記録は、藤原実資が残した日記『小右記』の長元2年（1029年）8月1日の記事にある。安倍晴明（没年1005年）のような、優れた陰陽師のおかげで、当時、既に日食の時期を正確に予測することができたことが窺える。</p>
<p>日食/月食の時期を予言することができなかった古代には、こうした作法は不可能であるが、日食/月食という太陽/月の死と天皇の死を重ね合わせる天人合一説/天人相関説的思想はあったと考えることができる。なぜならば、『日本書紀』には、天皇や天皇に準じる貴人の死と天変地異が関連づけられて述べられているからである。</p>
<p>井沢元彦氏や安本美典氏が、248年頃の卑弥呼の死と247年3月24日（あるいは248年9月4日）の皆既日食を、天人合一説/天人相関説に基づいて関連付けたことはよく知られている。また、もしもアマテラスを卑弥呼と解釈するならば、『古事記』や『日本書紀』に見える岩戸隠れの神話は、このときの出来事と関係があるということになる。しかしながら、これには反論もあって、邪馬台国の位置が北九州であれ、畿内であれ、247年3月24日にも248年9月4日にも、皆既日食は観測されなかったのではないかということが指摘されている。</p>
<p>以下の画像は、NASAのサイトにある、Fred Espenak が作成した、241-260年における世界の日食の軌跡を描いた図のうち、日本周辺の部分を切り取ったものである。</p>
<div class="object_top"><blockquote cite="http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/eclipse.html" title="Source: NASA - Eclipse Home Page; Accessed Date: 2/6/2008"><img src="eclipse_nasa.png" alt="Eclipse Predictions by Fred Espenak, NASA/GSFC" /></blockquote></div>
<div class="caption_bottom">241-260年における日本周辺での日食の軌跡。青色は皆既日食で、赤色は部分日食が観測された地域。この地図は、<a href="http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/SEatlas/SEatlas1/SEatlas0241.GIF">NASAが提供している地図</a>の一部であり、全部は、リンク先を参照されたい。［<a href="http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/eclipse.html">NASA/GSFC</a>：<a href="http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/SEatlas/SEatlas1/SEatlas0241.GIF">Total and annular solar eclipse paths（by Fred Espenak）</a>］</div>
<p>この図では、247年3月24日の皆既日食観測可能地帯は、対馬あたりまでしか来ていないし、248年9月4日の皆既日食観測可能地帯は、出雲沖合いの北の方までしか来ていない。だが、皆既日食観測可能地帯の周辺には、部分日食観測可能地帯が広範囲にわたって広がっているので、二回とも、西日本では、部分日食が見られたであろうということが推測できる。日食率は、247年では95%、248年では93%と推定されている。</p>
<p>また、もしもこの図が正確ならば、247年3月24日に、対馬では、日没時に皆既日食が観測されたはずである。対馬国は邪馬台国の支配下にあったので、日食があったという事実は当時の邪馬台国の人々は認知したはずである。また、このときの皆既日食は、朝鮮半島や中国でも観察されたわけだから、『日本書紀』の編者が、外国からの知識を活用し、天岩戸神話を作ったということも考えられる。部分日食でも、薄い雲を通してなら、肉眼で確認できる。</p>
<p> 『日本書紀』の巻第二十二には「日有蝕尽之」というように、皆既日食について記載した箇所がある。すなわち、628年4月10日に日食が起こって、数日後に推古天皇（アマテラスと同様に女性）が崩御したというのである。このときの日食は、現在の計算では、部分日食だったと推定されているのだが、どうも『日本書紀』の編者は、《太陽の死》と《天皇の死》を結びつけることで、天皇が日神の化身だという印象を読者に与えようとしているようだ。だから、実際には部分日食でしかなかったものを皆既日食のように大げさに書いたのであろう。 </p>
<p>天皇は、古代においては、日和見人（ひよりみびと）すなわち暦の支配者として認識されていた［宮田 登：<cite title="Source: 日和見―日本王権論の試み; Author: 宮田 登; Publication Date: 1992/10; Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582841430/n08-22/ref=nosim">日和見―日本王権論の試み</a></cite>］。だから雲の上の出来事と雲の上の人々が関連付けられたことは、ごく自然なことである。日食/月食に際して天皇の御所を席で裹むことは、天皇を一時的に穢れとして扱うことになるが、それは、天皇をはじめとする貴人たち、殿上人（てんじょうびと）を天上人として扱うことでもあったと考えるならば、決して天皇等を貶める行為ではなかったということができる。</p>
<div class="postscript">読書案内</div>
<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%">書名</th>
<td width="70%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582284701/n08-22/ref=nosim">王の身体 王の肖像 (イメージ・リーディング叢書)</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">媒体</th>
<td width="70%">単行本</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">著者</th>
<td width="70%">黒田 日出男</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%">出版社と出版時期</th>
<td width="70%">平凡社, 1993/03</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<div class="postscript">追記</div>
<p>2009年7月22日に、以下の図に示されるように、インド、ネパール、バングラデシュ、ブータン、ミャンマー、中国、日本の一部を皆既日食帯が通過した。</p>
<div class="object_top"><blockquote title="Source: 2009年7月22日皆既日食の情報：国立天文台; Accessed Date: 7/24/2009"><img src="eclipse_20090722.gif" alt="日食図" /></blockquote></div><div class="caption_bottom">［国立天文台：<a href="http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/index.html">2009年7月22日皆既日食の情報</a>］</div>
<p>BBCは、このとき南アジアで行われた風習を次のように紹介している。</p>
<blockquote title="Source: BBC NEWS | Science & Environment | Asia watches long solar eclipse; Accessed Date: 7/22/2009" class="blockquote"><p class="western">In Nepal, authorities shut all schools for the day to avoid exposing students to any ill-effects, says the BBC's Joanna Jolly in Kathmandu. 
Some parents in Delhi kept their children from attending school at breakfast because of a Hindu belief that it is inauspicious to prepare food during an eclipse, while pregnant women were advised to stay inside due to a belief that the eclipse could harm a foetus. </p>
<p>ネパールでは、当局は、その日に備えて、生徒たちに悪影響が及ぶことを避けるためにすべての学校を閉鎖したとカトマンドゥーのBBCジャーナリスト、Joanna Jolly は言う。デリーの親は、日食中に食べ物の用意をすることは不吉であるというヒンドゥー教の教えにより、学校で朝食を食べさせない。また、日食は胎児に悪影響を及ぼすという信仰に基づき、妊娠した女性は屋内に留まるように忠告されている。</p>
</blockquote><div class="cite">［BBC (2009) <a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8161578.stm">Asia watches long solar eclipse</a>］</div>
<p>これらの習俗は、妖光忌避説的に説明できると思うかもしれないが、私は、天人相関説的に説明できると思う。皆既日食は、天空に開いた黒い穴に見える。それは、この世とあの世を結ぶ通路の入り口として、女陰や口と容易に同一視される。これらは、胎児や子供をあの世とこの世の境界上の両義的存在と認知することに起源を持っているのだろう。また、ヒンドゥー教では、イスラム教徒は異なって、夜間に断食を行い、朝、その断食を解く（break-fast）。「日食中に食べ物の用意をすることは不吉であるというヒンドゥー教の教え」はこれと同じ考えに基づくのだろう。</p>
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