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民主主義のパラドックス

民主主義は多数決で結果を決めるが、多数決では、数は力なりで、少数派は切り捨てられる。少数の弱者を数の暴力から保護することが民主主義の課題である。政治学の教科書は、このように多数決原理に基づく民主主義の問題点を指摘するのだが、この古典的議論は正しいだろうか。現実の代議制民主主義を見れば、事態は逆であることに気がつく。実際に民主主義政治を動かしているのは、補助金や規制がなければ存立できない経済的弱者が結成した少数の圧力団体である。

1. 少数派が多数決を支配できる理由

なぜ少数派である弱者が、民主主義政治を動かすことができるのか、単純な例でシミュレーションしてみよう。今1万人の住民を1人の住民代表が治めていて、住民は住民代表の決定に対して、1回20円の電話料金を払って、投票する権利を平等に持つと仮定する。住民代表が、住民全員から1人10円を徴収して、コミュニティで一番貧乏な弱者の助成に使うという決定をしたとき、誰がこれに反対するだろうか。

もし住民が経済合理的であるならば、誰も20円の電話料金を支払ってまで10円を失うことに反対しない。これに対して、助成される弱者は、10万円を受け取るわけであるから、電話で支持を表明することはもちろんのこと、受け取る補助金の一部を住民代表に献金する約束をしてでも、この助成を実行させようとする。これが、少数の経済的弱者がサイレントマジョリティを搾取できる仕組みである。

2. 多数派が多数決を支配できない理由

では、古典的理論が想定しているような、多数派による少数派の搾取が可能かどうかを同じような例で検討してみよう。住民代表が、コミュニティ一番の金持ちから10万円を徴収し、それを住民に1人10円づつ配分するという決定をしたとき、誰がこれに賛成するだろうか。

もし住民が経済合理的であるならば、誰も20円の電話料金を支払ってまで10円もらうことに賛成しない。これに対して、10万円を徴収される金持ちは、電話で抗議することはもちろんのこと、賄賂を住民代表に手渡してでも、この搾取を阻止しようとする。これが、多数派が少数派を搾取できない理由である。つまり少数派は、少数派であるにもかかわらずではなくて、少数派であるがゆえに、多数決原理に基づく民主主義を支配することができるのである。

もちろん、多数決の参加者が少ないならば、このようなことは起きないかもしれない。しかし、多数派の人数が増えれば増えるほど、利益であれ不利益であれ、自分への影響は減少し、また投票者としての存在も薄くなるので、「自分が投票しなくても結果は変わらない」と棄権するようになる。つまり「数は力なり」ではなくて、「数は無力なり」なのである。

3. どうすれば投票率は向上するのか

実際、先進国の有権者の投票率はきわめて低い。多くのサイレントマジョリティが投票所に足を運ばないのは、投票で得られる利益が、投票に必要な費用より少ないと判断しているからだ。

今ある有権者が、法案Bが議会で成立することを希望しているとする。その時、代議制民主主義では、次のような不確定性がある。

  1. Bを公約にしている代議士Cがいるかどうか不確定
  2. Cがいても、当選するかどうか不確定
  3. Cが当選しても、Cが公約を守るかどうか不確定
  4. Cが公約を守ろうとしても、実現するかどうか不確定

Bが法律となることの価値が大きくても、それにこうした4つの不確定性の確率係数を乗ずると、その積は限りなくゼロに近づく。その結果、多くのサイレントマジョリティにとって、情報を収集したり、投票所まで外出したりするのに必要な時間の機会費用の方が投票の利益を上回ってしまうのである。

サイレントマジョリティを公共選択に参加させるには、一方で投票の費用を削減し、他方で投票の利益を増加させなければならない。そうした選挙制度改革に、インターネットは重要な役割を果たすことができる。インターネットは社会を中抜きにするが、民意の伝達者としての代議士も不用にする。ネット投票で、直接民主主義を実現すれば、投票結果の不確定性が減少するので、投票の価値が上昇する。他方で、自宅の端末の画面上で簡単に情報収集や投票を行えるので、投票の費用は減少する。その結果、より多くの有権者が政策決定過程に参加し、民主主義は本来の姿に近づくことになるであろう。

読書案内
書名 Hidden Order: The Economics of Everyday Life
著者 David Friedman
出版社と出版時期 Harpercollins, 1997/09/01
書名 日常生活を経済学する
著者 デイビッド フリードマン 他
出版社と出版時期 日本経済新聞社, 1999/11
[投稿者:永井俊哉|公開日:2001年2月11日|コメント:9個]
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コメント(9)

私はポリティアPoliteiaは好きですがデモクラティア(Democracy)には反吐が出ます。バブルの少し前(1985年ぐらい)から日本は本格的におかしくなりました。私の好きな国は全て自由な小国です。

ザーイド・ビンスルタン・アールナフヤーン大統領(兼
アブダビ首長)
私は20世紀で最も尊敬している政治家の1人です。
昨年、亡くなられました。日本は幾つかの国(民主体制、共和体制、君主制)に別れていれば・・・と思います。私は日本の大きさから考えて君主共和制が最も相応しいと考えています。私の計算ではこの国は後20年は落ち続け、20年後には中国の自治領か、米国の属州になっているように思います。プエルトリコや太平洋の島々のように・・・


世界はひとつ

何かのCFで聞いたキャッチフレーズだったと思いますが
永井様はあとどれくらいで世界がひとつになれると思いますか?

もし実現したらその主なきっかけとなるサプライズはなんでしょうか?

またその後の政治はどのように変わっていくのでしょうね?

人類の生活スタイルもかなり変化すると思います。
その辺りの話も伺えたら嬉しいです。

1970年代以降、ボーダーレス化とグローバル化が進んでいるので、その意味では、世界はすでに一つになっていると思います。


小沢さんは今年の党定期大会で以下のように言われました
http://www.dpj.or.jp/special/20090118_taikai/index.html
「民主党の実現目標は「国民の、国民による、国民のための政治」を実現する。民主主義の原点であります。その当たり前のことが、日本では行われてきませんでした。それこそが、今日、政治、経済、社会の混迷を招いた最大の原因であります。」
また次のようにも言われています。「衆院選挙では旧来の政治の仕組み(旧来の官僚のやり方、それに乗っかっている自民党のやり方)を前提として、個々の政策の是非を論争するのではない、政治行政の仕組みを根本から改めて、本当に税金を有効に国民のために使うようにしたいということだ」と述べておられます。
仕組みを根本から変える・・・政治の仕組みの大分類としては「直接政治」か「間接政治」なのですが、「汎用国民投票」を引っ込められたことを見れば「一括一任間接政治」は変えるおつもりはないようです。
「一括一任」「自由委任」を変えることこそが「根本から変える」事なのですが・・
さて、上のような美辞麗句にも関わらず違法献金問題が発覚しました。振込むように督促までしていたとか・・・。
献金者は言うなれば「献金者の為の政治」を期待しています。民主党や自民党のよって立つ基盤が国民ではなく献金者であったとすれば、政治家の言う民主主義とは国民の考える民主主義とは似て非なるもので「献金民主主義」とでも言うべきでしょう。(納税者のみに選挙権があった時代もあります)

政治家が高邁な政治思想、真の民主主義を標榜されるなら「パーティーも含めて一切の献金を禁止、役人との懇親禁止」と主張されても不思議ではないはずです。
「旗本議員を金縛りするために政治資金は必要なんだ」では旧来となんら変わるところはありません。
この事件を契機として若手政治家が「汎用国民投票制度そして並存政治制度も含め真に国民の、国民による、国民のための政治を実現する」ために立ち上がることを期待するものです。

そもそも外見と弁舌で人の真実が見抜けるとする間接政治制度そのものが片山慶応大学大学院教授(前鳥取県知事)が言われるようにオミクジを引くと変わらないのです。日本は嵐の中、船長のいない船と同様です。いま霞ヶ関は「役人天国は永遠だ」と快哉を上げています。

さてテレビの最新の世論です(3月6日朝)。「首相にしたい政治家」いない61%。小沢6%。小泉5%。麻生3%。菅3%。宮崎県知事2%・・・・


ただ、直接民主をやるならば、国民の判断二ゆだねる投票の争点や
その判断が波及するすべての効果について、ものすごく簡潔かつ隅々まで
説明できなくてはならない。そうでないと直接民主ではなくなる。

永井のように、「結局、20円の徴収の例えは、投票に行く
ことのめんどくささ、コストを表していたのか。。。」と結論で
分からせるような、無駄な説明をするセンスのないやつは、
携わってほしくないです

「投票の争点やその判断が波及するすべての効果」は、あまりにも膨大かつ複雑すぎて、一人では把握できないからこそ、多数による意思決定プロセスへの参加が必要なのです。


矛盾は生じますよね。
自明の理という言葉がありますよね。

>>実際に民主主義政治を動かしているのは、補助金や規制がなければ存立できない経済的弱者

では、もし経済的弱者がいない民主主義社会が実現したら、その民主主義政治を動かしているのは誰ですか?

弱者がいなければ、強者もいないということになるので、経済的モチベーションの差異による政治的モチベーションの差異は消滅するでしょう。しかし、それは実際にはありえないことです。

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