倫理学 法学 思想史学
一つ禅問答をしよう。絶対に蚊に刺されないようにするにはどうすればよいだろうか。蚊取りせんこうをたいたり、虫よけスプレーをまいたりしても根本的な解決にはならない。絶対に蚊に刺されないようにするには、蚊を絶滅させなければならない。では、そのためにはどうすればよいか。
「自殺は悪だ」が、私たちの常識である。多くの常識がそうであるように、この常識も、根拠が問われることなく信じられている。はたして、私たちは、自殺が悪であることを根拠付けることができるだろうか。
「情けは人のためならず」という諺の意味の解釈が、日本人の間で変化しつつある。これは、福祉国家の理念が破綻し、新自由主義が台頭するという時代の流れを反映したものである。つまり、若い世代の日本人は、自助自立・自己責任・受益者負担といった新自由主義的原則を当然視しているということである。
1997年10月に臓器移植法が施行され、1999年2月には、この法律に基づく初の脳死判定と臓器移植が実施された。しかし、日本では、心臓死が社会通念としての死であったので、脳死を人の死とすることには大きな抵抗があった。はたして脳死は人の死か。そして、脳死判定に基づく臓器移植は肯定されるべきか。
多くの倫理学者は、経済的価値と道徳的価値は、異質であると考えている。経済的誘惑に打ち克つことこそ道徳的価値の本質だと考える人すらいる。はたしてそうだろうか。
私たちの現実存在(existence 実存)に理由はあるだろうか。「なぜあなたは大学に進学したのか」と問われれば、私は理由を挙げて答えることができる。しかし「なぜあなたは生まれてきたのか」と問われても、私は答えることができない。私は自分の意志で、時空上の気に入った特定点を選んでこの世に生まれてきたわけではないからだ。ふと気が付くと、存在していたというのが実情である。だから自分の行為に理由を与えることができても、自分の存在に理由を与えることはできない。実存は無根拠である。
人は権威に弱い。お上意識の強い日本人は特にそうである。自分で判断せずに、権威に依存することにはどのような問題があるのか。そして権威主義に陥ることで被害を受けるのは誰か。
たんに幸福と感じていれば、それが幸福なのか。それとも、本当の幸福には、それ以上の条件があるのか。SF的な思考実験を通して考えてみよう。




