ヒューマノイド・ロボットは必要か
2005年3月25日、愛知万博が開幕した。海外のメディアが注目しているのは、テーマである環境への取り組みではなく、日本の技術の粋を集めたヒューマノイド・ロボット(人型ロボット)である。開幕式では、トヨタ、ソニー、ホンダが開発したロボットたちによる歌と踊りの競演が披露された。はたして、日本が得意とするヒューマノイド・ロボットの製造は、21世紀の主要産業となりうるのだろうか。
1. 盛り上がるヒューマノイド・ブーム
産業用ロボットとは異なり、人間を模範として、それに近づくことを目標に設計されたロボットをヒューマノイド・ロボットという。2000年11月20日にホンダが開発したヒューマノイド・ロボット・ASIMOは、滑らかな二足歩行を披露し、翌日ソニーが開発した人間版AIBOであるSDR-3Xは、パラパラを踊って見せた。
その後も各社は競って様々なヒューマノイド・ロボットを作った。愛知万博の実質的なホストであるトヨタは、開幕1年前に、人間の肺を模した機構を持ち、口で空気を吸ったりはいたりしてトランペットを演奏するロボットを開発した [asahi.com : マイタウン愛知 - 朝日新聞地域情報] 。
2005年3月15日には、日立製作所が、マイクなしで人間と対話して行動ができるサポートロボット「EMIEW(エミュー)」を発表した。
声だけではなく、動作によるコミュニケーションも行える。6つの自由度をもつ腕と物をつかみながら運ぶことのできる手があるため、動作も自然だ。人間の動きをモーションキャプチャーで計測し、動作データとして活用することで表情豊かなボディコミュニケーションを実現している。
翌日には、NECが、コミュニケーション能力を強化したパーソナルロボット「PaPeRo 2005」を発表した。このロボットは、漫才やコントができるのだそうだ [CNET Japan:NEC、コントや漫才ができるロボット「PaPeRo 2005」を開発] 。
それにしても、このような、限りなく人間に近づいていくヒューマノイド・ロボットに、商業的な需要があるのだろうか。私が、そう心配するのは、現在のヒューマノイド・ブームが、かつての人工知能ブームとそっくりだからである。
2. 人工知能ブームの教訓
1980年代に人工知能(AI)ブームがコンピュータ業界を席巻したことがあった。まるで人間のように、自ら考える「第5世代コンピュータ」を作ろうというわけだ。通産省は、1983年から新世代コンピュータ技術開発機構を設立し、540億円の予算を出して、コンピュータの知能化を推し進めようとした。このプロジェクトは、アカデミックな成果をある程度もたらしたものの、商品化という点では失敗に終わった。
このプロジェクトが失敗したのは、考えてみれば当たり前のことである。コンピューターは人間の知的作業を補助するための道具であって、人間と同じように思考するコンピュータに商業的需要があるはずがない。日本が愚かなプロジェクトに時間と金を費やしている間に、コンピュータの主導権は、アメリカに奪われてしまった。
この失敗にも懲りずに、子供の頃見た「鉄腕アトム」や「鉄人28号」の夢を追って、エンジニアたちや役人たちは、あいかわらず、「人間のような機械」を作ることにこだわっている。現在、経済産業省は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)という独立行政法人に交付金を支給し、「次世代ロボット実用化プロジェクト」の一環としてヒューマノイド・ロボットの開発を推進している。しかし、この国家プロジェクトも、かつての第五世代コンピュータのプロジェクトと同じ運命をたどるのではないだろうか。
3. 人間とは異なるロボットを作れ
ホンダが開発したASIMOは、日本科学未来館のロボットコーナーの解説員となった。だが、日本科学未来館がASIMOを採用したのは、そのアトラクション効果に期待したからであって、人件費を削除するためではない。愛知万博の案内ロボット、アクトロイドも同様である。
ヒューマノイド・ロボットはまだまだ高額である。大量生産すれば、一台あたりのコストが下がると思うかもしれないが、大量生産すればするほど、希少性、つまり集客力がなくなる。ちょうど、ペーパーフラワーには自然の花ほどのありがたみがないように、ロボットには人間ほどのありがたみがないようになるであろう。たんに人件費を削減するだけなら、会場に自動音声案内機を設置すればよい。ヒューマノイド・ロボットは、もし本当に普及するなら、人間の解説員ほどのありがたみはなく、自動音声案内ほど安くはないという中途半端な代物になってしまう。
経済産業省が、ヒューマノイド・ロボットの開発を推進するのは、エンタテインメントのためのロボットは、あくまでも過渡的段階での商品モデルであって、量産による低価格化が実現されれば、人間の代替として、安価な労働を提供してくれる実用的商品となると考えているからである。しかし、もし効率性と経済性を重視するならば、人間に代わって道具を使うロボットを作るのではなくて、道具そのものをロボットにするべきだ。例えば、介護ベッドで働くヒューマノイド・ロボットを作るよりも、介護ベッドそのものをロボットにした方が、合理的である。そして、それが産業用ロボットを開発してきたエンジニアたちの基本的な考えである。
2001年にニューヨークで起きた、世界貿易センター崩壊事件の際、瓦礫の下敷きになった人々の探索を行ったレスキュー・ロボットは、ヒューマノイド・ロボットではなくて、戦車のようなキャタピラー型ロボットだった。人間とは全く違った形をしているからこそ、レスキュー・ロボットは、人間が入れないような狭い隙間に入っていくことができた。
『旧約聖書』によると、神は、自らに似せて人間を造った [聖書, 創世記,01:26]。ニーチェ以降、私たち人間は、神を殺して、自ら神になろうとした。そしてさらに、自らに似せてロボットを造ろうとしている。しかし残念ながら、私たち人間は神のような完全な存在者ではない。私たちは、完全な存在者ではないからこそ、その不完全性を少しでも補おうとして道具を作っている。人間を完全な模範とみなし、ロボットをそれに一歩でも近づけることが技術の進歩だと考えることは、道具の本質に対する誤解に基づいている。道具を開発する意義は、人間と同じ種類の不完全さを増やすことではなく、その不完全性を補って減らすところにあるのだから、いかに人間と同じロボットを作るかではなくて、いかに人間とは異なるロボットを作るかということこそ、ロボット開発の目標でなければならない。
| 書名 | アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のステップ |
|---|---|
| 媒体 | 単行本 |
| 著者 | スティーヴ・グランド |
| 出版社と出版時期 | アスペクト, 2005/02/10 |
| 価格 | ¥ 2,310 |





人型ロボットをつくるのか、人型でないロボットを作るのかの判断は、未来に対するかなり重要な思想的な判断だと自分は思います。日本で人型ロボットをつくり、外国でそうでもないという事実は面白いですね。日本人は寂しがりやなのでしょうか? 自信がないのでしょうか? 話によると、人型ロボットは、ユーザーインターフェイスの機能だけの意義しかないそうです。
外国では、神は、被造物である人間に対して超越的です。だから、人間が神の位置を占める時、ロボットには道具的役割しか期待しません。しかし日本の神は超越的ではないので、人間とロボットの関係は、人間と神(あるいは異人)との関係と同様に、対等なものなのです。この現象は、日本人が召使いを家族の一員として扱ったのに対して、外国では奴隷を人間扱いしないことにも見て取れます。
人間にとっての未知は、世界・自己・絶対者であるという話をどこかで聞きました。人間は星や宇宙の行く末を知ろうとしていますが、それは商的利用や実用主義という視点からだけでは説明できません。世界の探求そのものが目的なのではないでしょうか。同様に、ロボット開発は人間自身への探求ということなのではないでしょうか。たしかに実現の順番は経済的な制約をうけるので、道具としてのロボット開発を優先するのは自然な流れだと思いますが、もともとの目指す先の「知の充足」を忘れては、人間そのものの問いを発する能力を放棄するものでしょう。副産物が目的ではないと思います。というわけで、ロボット開発のマイルストーンを定めるという意味であれば、同意いたしますが、最終目標ということであれば違和感をうけてしまいます。無論、何を充足することが人間にとって重要であるかという問いが先にあるべきではないかとは思います。
赤ん坊は親の顔を見て笑います。心理学的に顔の認知が優先される(かどうかはわかりませんが)とすれば、顔を持つ、人の身体性をもつ、身体性に根ざした認識と動作を持つということが、人間の本能に根ざす安心感につながっていると考えても、不思議ではありません。いま、社会の発展の上でコミュニケーションの空洞化が問題になっています。現代において人間はだれかに安心感を与える時間と能力を失ってしまいました。とすれば、それを補う存在を作り出すことを考えたとしても、ぜんぜん不思議ではないと思います。そのような目的のために人間のデザインを突き詰めることは、道具としても悪くない着想だと思います。効率よりも、安心を与えるデザインのための研究としてとらえるほうにこそ、ヒューマノイド・ロボットに実用的意味を与えられるのではないでしょうか。もちろん、デザインが先にあるだけでは意味がないので、こちらも優先順位の問題に帰着すると思いますが…。
大学の研究者の中には、「ヒューマノイド・ロボットを作るプロセスを通して、人間の仕組みがよくわかるようになった」と研究意義を語っている人がいます。人間が人間自身を知ることは重要なことですが、それは、ロボット開発やAI研究を通じてしか行えないことなのでしょうか。だいたい、なぜ営利企業がヒューマノイド・ロボットに多額の研究費を投じているのかわからなくなります。
ご指摘のように、ヒューマノイド・ロボットの最も有望な市場は、エンタテインメント市場でしょう。日本人は、少子化によって満たされなくなった欲望をペットで満たそうとします。ペットなら、人間と違って、気に入らなくなれば、いつでも捨てることができました。しかし、動物愛護運動の高まりで、それも難しくなりました。そこで、ロボットを飼おうということなのでしょう。でも、もしヒューマノイド・ロボットをいつでも捨てられる道具として扱うなら、心の通ったコミュニケーション効果は期待できないし、人間並みに扱うのなら、なぜ本物の人間を相手にしないのかということになるでしょう。
したがって、ヒューマノイド・ロボットの市場規模は、現在の模造品や玩具のそれと同じ程度ではないかと予想されます。
人間が他人を見て「その人は心を持っている」というのは主観的な判断であり、確かめたりすることはできません。「心を持っている」というのは単なる思い込みです。同様に、ロボットが人型であれば、「心を持っているかもしれない」と思い込みやすくなります。また、人型ロボットを作ろうとするのは、企業の宣伝があるためです。技術力の高さを見せてやろうと言うことです。リクルートにおいても効力を発揮できそうです。研究が進めば、性能の良い義手なんかもできるかもしれません。他の分野への応用が可能です。兵器としての研究も進んでいます。さらに、「ヒューマノイド保護団体」というものができたらどうするの?というのがすぐに頭に浮かぶ疑問です。アメリカとかだと設立されそうな気がしません?
ヒューマノイドロボットには、エンタテインメント以外の需要はありません。兵器が人間の形をしていなければならない理由は何もありません。義肢は、いくら技術が進んでも本物の四肢には及ばないので、ES細胞を用いた再生医療の方が有望です。
論点からそれるかもしれませんが、私のblogの拙文をもとに、世相に対する私の考えや感想を述べさせてください。
私のカミさんいわく、人々がペットロボットを可愛がるのは、
「いやしを与えてくれるからよ。それに糞の世話や散歩の面倒もないし。」
それに対して私は、
「そんなの絶対変だよ。いやしというものは、本物の動物や本物の植物と接して得られるものだよ。IT技術が人間の感性をおかしくしているんだよ。」
と笑って反論しました。
アトムは心を持つロボットでした。人間の気持ちの理解も共感もできて、笑ったり怒ったりすることができました。しかし私は、絶対的な自信を持って言いますけど、そういうロボットを作ることは、不可能です。いずれ、はっきり証明されます。
(「人間だって、高度なロボットだ」という人が意外に多くて、私はあちこちの議論サイトで、大論争を続けてきたのでした。)
私はロボットにいやしを求める現代人(日本人?)に、非常に精神の虚弱化と退廃を感じます。自分にとって、かわいくて、やさしくて、手間をかけさせないものが、いいのです。そういうものと一緒に、ストレスのない生活がしたいのです。
生身の人間や生身の動物は、自分に対して”やさしく”ない。一緒に生活することは、苦痛になることが少なくない。
ロボットに可愛さや優しさを求めたり、自分の言動に都合よく反応してくれることに満足したりするのは、私には不毛な自慰行為に思えます。
ロボットに人間の気持ちや感情が伝わることはありえないのです。
ヒューマノイド・ロボットは儲からない、というのは間違いだ。
高度な技術を用いた高性能なダッチワイフは間違いなく売れる。
また、単なるオナペットとしても売れるだろう。
二つ前のコメントで、「ヒューマノイドロボットには、エンタテインメント以外の需要はありません」と書きました。ダッチワイフはエンタテインメントでしょ。問題は、高級人形以上の需要があるかどうかです。
高級人形としての需要があればいいのではないのですか?
その点に関して、ダッチワイフという大きな需要があるではないか、ということを言っているのです。
社団法人日本ロボット工業会は、将来、ヒューマノイド・ロボットが医療・福祉・介護、災害防止・救助、アミューズメントなどの分野に進出し、その市場規模は、2010年には約3兆円、2025年には約8兆円にまで成長するだろうと予測しています。もしも進出可能な分野がアミューズメントだけならば、これだけ大きな市場を形成することはないでしょうし、開発者たちが考えているような、日本の新しい基幹産業の担い手にはならないでしょう。
ダッチワイフが、バーチャルな恋人へと進化し、限りなく人間に近づくと、ダッチワイフの販売が売春に近づくため、公序良俗を乱すとして、法的な取締りの対象となることも考えられます。性の商品化を肯定すると、性の価値が暴落するので、ロボットのコストが問題となります。売買春も合法化すると、料金がマッサージ・サービス並みに下落するそうです。バーチャルな恋人の場合も、《本物ほどの価値がなく、本物ほど安くもない》という問題を抱えることになるわけです。
何でもイイから、とりあえずセリオみたいなメイドロボット作って欲しい
ドジっ子機能はいらないからm9(`・ω・´)シャキーン
本来3次元の女なんか全く興味無いけど
メイドロボは別ヽ(゜∀゜)ノアヒャ
はじめまして
最近,人型ロボット論争が巻き起こってますが,おそらく私が読んでるブログ関係ではこれが大元なのでここからコメントさせていただきます.
人型ロボット,ヒューマノイド・ロボットには経済効果はないと考えているようだが,考えるうえで大きな問題があるように思う.
それは市場を現在のまま固定している点である.ヒューマノイド・ロボットによって生まれる,もしくは広がる市場のことを考えているようには思えない.たしかに必要だから開発するという技術・製品もある.だが市場を広げるような製品もあるだろう.
その完成度によるが,どんなに肉体的にきつい作業でも,長時間文句も言わず行える作業員がいれば,欲しいという企業はいくらでもある.どんなに技術が進歩しても,人間の手でないと難しいという作業はある.また,専用の機械を開発するのが採算に合わない作業もある.そんな作業にソフトウェアを交換するだけで対応できる汎用人型ロボットに需要ないだろうか?
以下は論文中の気になった点について反論
人工知能開発プロジェクトのくだり
"このプロジェクトが失敗したのは、考えてみれば当たり前のことである。コンピューターは人間の知的作業を補助するための道具であって、人間と同じように思考するコンピ>ュータに商業的需要があるはずがない。"
つまり,商業的需要がないプロジェクトは必ず失敗するといいたいのか?そうではないだろう.そのプロジェクトの結果が商業利用できなかっただけである.確かに失敗かもしれないが知能コンピュータに需要がないといいきれるものではない.
"道具を開発する意義は、人間と同じ種類の不完全さを増やすことではなく、その不完全性を補って減らすところにあるのだから、いかに人間と同じロボットを作るかではなくて、いかに人間とは異なるロボットを作るかということこそ、ロボット開発の目標でなければならない"
これは論理の飛躍だろう.「道具を開発する意義が人間の不完全性を補うところにあるのだから,その不完全性を補うロボットを開発するのが目標である.」というならわかる.しかし人間と異なるロボットを作れば,不完全性を補えるというのはつながらない.
“本来3次元の女なんか全く興味無い”
この世には、本物の女には興味がなくて、バーチャルアイドルしか愛せない倒錯した人がいるそうです。同様に、本物の女には興味がなくて、ヒューマノイドの女しか愛せない人も出てくるかもしれません。そういう特殊な人には、ヒューマノイドは売れるでしょう。ヒューマノイドに高級人形としての需要があることは否定しません。
“その完成度によるが,どんなに肉体的にきつい作業でも,長時間文句も言わず行える作業員がいれば,欲しいという企業はいくらでもある.どんなに技術が進歩しても,人間の手でないと難しいという作業はある.また,専用の機械を開発するのが採算に合わない作業もある.そんな作業にソフトウェアを交換するだけで対応できる汎用人型ロボットに需要ないだろうか?”
肉体労働であれ、頭脳労働であれ、仕事には《機械は得意で人間は苦手》という仕事と《機械は苦手で人間は得意》という仕事の二種類があります。発展途上国にいくらでも安い労働力があることを考えるならば、後者の仕事、「人間の手でないと難しいという作業」をさせるロボットを作るよりも、前者の仕事をさせるロボットの方が投資効率がよいと考えることができます。そして、《機械は得意で人間は苦手》という仕事をさせるには、ロボットを非ヒューマノイドにしなければなりません。つまり、非ヒューマノイドのロボットを開発した方が、投資効率がよいということです。
私は、ヒューマノイドの需要がないとは言いません。私が問題にしているのは、ヒューマノイドの完成に必要な膨大な開発費を回収できるだけの需要があるのかということです。そして、私が主張していることは、希少な研究開発費をもっと投資効率が高そうなプロジェクトに使ってくれということです。
倒錯した人
をいをい、それは差別だろうよ。リアル女を絶対愛さなければならない理由があるか?
二次元マンセーヽ(゜д゜)ノ二次元マンセーヽ(゜д゜)ノ
二次元マンセーヽ(゜д゜)ノ二次元マンセーヽ(゜д゜)ノ
性欲は生殖を目的としているので、生殖につながらない性欲は、倒錯です。もちろん、人は、生殖を含めた労働のためだけに生きているわけではなく、労働に結びつかない遊びの余地があっても良いと思います。
もし永井さんがヒューマノイドロボットを開発している部署の
リーダーに任命されて、「10万体売れ」と言われたら、どのような
新しいサービスを考えますか?
私のような人間が、そのような部署のリーダーに任命されることはないでしょう。
ヒューマノイド・ロボットの開発を企業が行うのは勝手ですが、税金を使って研究を進めている大学機関では、何のために作るのかという事を明確に示す必要があります。
研究費を取ってくるために話題性だけを求めて研究をするというのは、失敗すればその分野全体の評価を下げ、将来性のある研究まで衰退する危険があります。
残念ながらこの手の研究者にその研究目的を聞いても明快な答えを得る事はできません。
永井さんのおっしゃるとおり別な方法での代用があるのではと指摘すると、いろいろな方法での解決法があった方がいいという消極的な見解が多いのが事実です。
確かに解決法が多い方がよいのですが、研究者がその研究によってしか到達できない唯一性を明確に主張できないというのは致命的です。
ヒューマノイド・ロボットの開発に関しては、もう少しその研究のコンテンサスを磨く必要があるということです。
未熟な点が多くあるとおもいますが、自分なりに意見を述べさせていただきます。
僕は、ヒューマノイドの存在意義は大いにあると考えます。
まず、ロボットは目的とする行動ができるように設計されるべきです。そして、これから到来する高齢化社会において、介護の負担を軽減させたり、憧れや好奇心をもってもらう。ということを目的とするなら、親しみやすく、その形状から人間の暮らす環境に適したヒューマノイド型が最適であり、アトムのように、感情をもつロボットを目指しても無駄ではないのでは?たとえ、不可能だったとしても、少なくとも途中で得た技術を他の分野に応用出来ないこともないでしょうから。
ロボットと人のあいだで本当に心がかよいあわなくても癒しの効果があれば、十分ヒューマノイドの存在価値はあるように思います。金銭のような利益も重要ですが、チャレンジして、高度な技術という利益を得ることも、人類にとって多方面で価値のあることではないでしょうか?
介護は重労働ですから、その負担を軽減するためにロボットを導入することは有益ですが、それならば、パラマウントベッドをロボットにすればよいわけであって、技術的に開発が困難で、しかも効率の悪いヒューマノイド・ロボットを導入しなければならない必然性はありません。また癒しの効果という点では、本物の人間(特に家族)に及びません。ですから、ヒューマノイド・ロボットは、帯に短し襷に長しで、専門ロボットに対しても、人間に対しても優位性を持たないのです。
ここで議論をいくら重ねたところでヒューマノイド開発の流れは止まらないでしょ。<禁句?>
私が問題にしていることは、ヒューマノイドの開発が続くかどうかではなくて、それがビジネスとして成功するかどうかです。
先のことは分からないけど、
予想でいいなら、成功するんじゃないですかね。
自分の言うことを嫌な顔ひとつせず何でも聞いてくれる、
美少女メイドさんや美男子ホストいたら欲しいって人はたくさんいると思うし。
介護にしたって面倒見てくれるベットなんかより、
人型の介護ロボの方がいいと思う人は多いと思うよ。
ぶっちゃけた話、酒が飲みたい時、
機械的なアームが延びて即座にテーブルにコップに入った酒が用意されるのと、
うただやらジャニーズ系美少年が隣にいてお酌してくれるのとどっちがいいんだ?って話。
多くの人にとって結果は聞くまでもないよね。
なので品質さえ上がれば十分商売になると思いますよ。
ヒューマノイドロボットには、そうした「お人形」としての需要しかないことが問題なのです。
それはお人形業界に対する侮辱じゃないですかね
精神的な満足感や癒しなどには真面目に取り組む価値がないって事?
アイドルや風俗やペットなども全否定ですか?
いいえ、ヒューマノイド・ロボット製造への投資を回収するには、市場規模が小さいということです。
10年以上前の話ですが機械学会のイベントでガンダムの富野監督と
話す機会が有りました。実は彼はロボットが嫌いだが商業目的で
ロボットアニメを製作したこと、その為人間ドラマを作品に持ち込んだ事
等聞かせていただきました。
面白かったのはその後の話。当時イベントでアクトロイドの原型を
持ち込んだのですが、富野さん曰く
「こういうコンパニオンとかロボットがやるのは企画側は楽で良いよね。
説明間違えないし遅刻しないし休まないし。でも間違えたり
遅刻したりするから人間使うと面白いんじゃないかな。
こういう代替品は好きじゃないね。だけど人型ロボットの
存在は否定しないですよ。
私、暫くうつ病を患ったことが有るのですが、人には会いたくないのに
人恋しく成るんです。そういう時人であって人でないこういう存在
必要に成るんですよ。老人だってそうです。今後はメンタルケア
の意味でこういうロボットの開発を進めて欲しいですね。」
さていかがでしょう。全てではないですが需要や用法が
後から付いてくる物も有ると思うのですが。
何かロボットの人の形を否定することに
終止している様に思えたので書いてみました。
ヒューマノイドロボットが必要かどうかということは、「ヒューマノイドロボットは必要か、不必要かという議論自体必要か」ということと同じだと思います。この質問を書こうと思った時、永井さんは何を思っていたのでしょうか。
実質的な利益だけでは、世の中は成長(見方によっては退化)していかないし、人は生きることができないのではないでしょうか。宗教感を抜いて、考えれば、ヒューマノイドロボットが生きているか、死んでいるか、関係ないと思います。人間の存在が観念のみであるとしたら、その間にニューマノイドロボットが存在しても、それに夢中になる人(製作者やそれを楽しみにする人)がいる限り、必要だと思います。
もしも趣味でヒューマノイドロボットを開発している人がいるとするならば、私はその人に対して何も言うことはありません。しかしながら、現在、ヒューマノイドロボットを開発している人たちは、それがビジネスになると期待してやっているわけで、私は、そういう人たちに対して、ビジネスにならないといっているだけです。
ビジネスというものを一元的な金銭のやり取りでみるのか、人間の生活の一部としてみるのかのちがいだと思います。私はどちらで見てもビジネスになると思っています。もちろん、今現在では、難しいでしょう。しかし、将来、人間との共存を考えると、実務能力以外の付加価値は必ず必要になると思います。
一点、、『癒しの効果という点では、本物の人間(特に家族)に及びません。』という永井さんのコメントがありましたが、私は疑問に思います。もちろん、そうあってほしいし、そうあるべきだとも思いますが、親子同士の殺し合いが増える中、また人間関係が希薄になった今、それを言いきることはできません。
動物に癒される、息子や娘は文句を言うが、ペットの犬は文句を言わないなど、利他的精神より、利己的精神が大きく支配してきている中、ペットより賢く、すぐれたロボットがいれば(感情的にも)、そちらを選ぶのではないでしょうか(何度も言いますが、今現在の技術では無理です)。
ロボットに感情があるか、ないかということを考える人は、まずヒューマノイドロボットを必要としないでしょう。その他の利己的精神でものを見る人にとっては大変便利なものではないでしょうか。今、便利という言葉を使いましたが、「あいつ使えないなあ」「便利な男」「都合のいい女」などという言葉を必要とする人たちです。
もちろん、人間よりもロボットのほうが癒してくれると感じる人も中にはいるでしょうが、問題は、開発費を回収できるほど市場規模が大きいかどうかです。
とても面白い議論ですね。
ヒューマノイド・ロボットに対する研究は日本ほど熱心な国が他にはありません。これに対し、日本ロボット研究者の中でも異論があります。しかもヒューマノイドらしいものを作ってから、段々と解析と修正を加えていくような研究を取っているから、ヒューマノイドの全体像、優位性、実用性、将来性、限界などを十分に検討していません。勿論、このような研究は義肢などに応用できますが、神経信号の解析を含めた専門的な義肢研究と
比べて、明らかに効率が悪いです。
たとえ表面的に人とそっくりなヒューマノイドを作ったとしても、人の感情までも作るというのは妄想に近いでしょう。 感情の数理的な理論を空白なままですから。ちなみに、ロボットの笑い口が感情ではありません、それは笑い口の形が出来る機械だけで、紙に書いた笑い口の図と本質上に同じです。感情とは何ですか?恩情、友情、感動、愛情など、その仕組みと理論をまだ誰も解っていません。人間とロボットの違いが木と石とのぐらい大きいです(素粒子レベルで同じでも)。
ヒューマノイドを面白く見えるけど、研究者にとって地味の学問なはずです。電気、機械、数学、力学、制御理論などの固いものばかりです。満足な小型高容量の電池もまだできていません。実用性は確か疑問です。
そもそも人間の体はある特定の行動に対して特化された構造ではないので,用途を限定された産業ロボットなどに作業効率でかなうはずがありません.
これは人間をモデルにしているヒューマノイドも同様であり,人間にできない作業をヒューマノイドにやらせようとする意味はあまりありません.
では何故ヒューマノイドを研究するのかというと,
(1)趣味性
(2)セクサロイド(ダッチワイフ)
(3)人間の機械化(機械の人間化)
が挙げられると思います.
(1)は単純に人間の似姿を作ることが面白いということですが,産業としての収益を抜きにしても研究者のモチベーションが維持できるということはロボティクスの業界全体を活性化することに繋ります.
(2)は世界全体の人口爆発を抑える特効薬として重要です.再生医療の進展により,今後人間はますます死ににくくなります.このペースで人口が増え続けると食料,エネルギーの点で確実に破綻をきたすので,技術的に人間の性欲を方向付けてやる必要があります.これは必ずしも自律したAIを必要とするものではなく,例えば遠隔地にいる男女が仮想空間でセックスをするときのインターフェースとしてヒューマノイドを用いる,などといった利用法も考えられます.
(3)21世紀の情報産業で本質的になるであろう技術が「人間を機械と接続すること」です.今,ホンダとATRが人間の脳活動からASIMOを遠隔操作するという研究をやっていますが,この例のように人間が遠隔操作するインターフェースとしてはヒューマノイドである必然性があります.また,人間の脳内で行われていることは未だにブラックボックスなので,モデルを仮定してヒューマノイドの上にこれを実装し,ブラックボックスの入出力と合致するかを調べる研究分野も最近出てきました.
ほかにも色々考えられると思いますが,とりあえず思いついたのを書いてみました.
まとめると、人型ロボット(ヒューマノイド・ロボットとは異なる)の効用は、
1.エンタテインメント用の人形
2.危険な業務の代行
の二つということです。2は、具体的にいうと、放射能汚染を起こした原子炉での作業とか、ご指摘の人体実験の代用とかです。
マンマシンシナジーエフェクタ
http://homepage.mac.com/kanaoka/mmse/index.html
↑の実現性は、人型ロボット自体を目的とはしていないので低くは無いという事でしょうか。
「人間のみ,あるいは機械のみでは実現できない機能を,人間と機械の相乗効果(マンマシンシナジー)によって実現する効果器」ということですから、ヒューマノイド・ロボットとは異なるでしょう。