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イスラム教と日本人

イスラム教は、信者の数が、キリスト教についで世界で二番目に多い世界宗教である。にもかかわらず、なぜイスラム教は、仏教やキリスト教などの他の外来宗教とは異なって、日本で信者をほとんど確保することができないのか。小室直樹の『日本人のためのイスラム原論』を読みながら、考えよう。

1. イスラム教はなぜ日本で普及しないのか

小室は、世界三大宗教のうち、仏教とキリスト教は日本で普及したのに、イスラム教は日本で普及しない原因は何なのかという問題提起をする。小室の答えは、こうである。

その答えは規範なのである。

つまり、日本人とは本来、規範が大嫌いな民族なのである。規範を守るなんて、面倒くさいことこのうえない。日本人は無規範民族なのである。

だからこそ、無規範宗教のキリスト教は入ってこれたが、規範だらけのイスラム教は受け付けられなかった。

[小室 直樹:日本人のためのイスラム原論, p.73]

確かに、イエス・キリストは、律法を墨守するパリサイ派的偽善を批判し、内面を重視した「信仰あるのみ」の宗教である。仏教の場合、サンガで修行する僧には厳しい戒律を守ることが要求されるが、在家信者には戒律はないも同然である。特に日本では、僧すら戒律をほとんど守らないので、日本仏教は、事実上、無規範宗教である。

しかし、他方で、日本の伝統的な宗教である神道では、かなり細かい祭儀上の規範が守られている。規範の数が多くても、それによって満たされる宗教的欲望の満足度が高ければ、その宗教は信仰され、規範が少なくても、それによって満たされる宗教的欲望の満足度が低ければ、信仰されないのではないのだろうか。規範の数だけで議論するのは、表面的すぎる。

日本人は、大陸の諸民族と比べて、去勢体験が弱く、そのために母権宗教への固執が比較的強い[論文編:なぜ日本人は幼児的なのか]。だから、イスラム教のような典型的な父権宗教を受け入れることは難しい。 これに対して、ゲルマンの土着宗教と妥協したキリスト教や大衆迎合した大乗仏教は、母権的な宗教へと換骨奪胎することができた。

2. 父権宗教と母権宗教

では、父権宗教と母権宗教の違いは何か。もっともありふれた答えは、一神教か多神教かという違いである。ただし、三つの世界宗教のうち、明快に一神教であるのはイスラム教だけである。キリスト教には、三位一体の教説以外にマリア信仰まであって、多神教的な外観を呈している。仏教の場合は、神が存在せず、その意味では無神論的ですらある。

もう一つの特徴は、偶像崇拝を認めるかどうかである。この点でも、イスラム教は徹底している。キリスト教も仏教も、もともとは偶像崇拝を認めないが、後世になって、イエス像やら仏像やらをこしらえて、偶像崇拝で大衆迎合するようになる。

だが、最も重要な違いは、信者に対して去勢(禁欲)を要求するかどうかという点にある。母権宗教においては、信者は、まるで母におねだりする幼児のように、神に対して現世利益を要求する。しかし、父権宗教では、人間が神に要求するのではなくて、逆に神が人間に要求する。

母なる神が豊穣を与えてくれるのに対して、父なる神は苦難を与える。イスラエル人は、多くの不幸に見舞われたが、にもかかわらず、不幸を与える神を信仰した。

イスラエルの民自身のせいで、不幸が起きているのではないのだ。この苦難は、そもそも我々が「選ばれた民」であるがゆえに、わざわざ神が与えたもうのである…。

[小室 直樹:日本人のためのイスラム原論, p.167-168]

イエスにおいても神は「滅ぼす者」であって、けっして慈悲深い存在ではないのだ。

[小室 直樹:日本人のためのイスラム原論, p.171]

他方で、『コーラン』には、アッラーが慈悲深い神であることが繰り返し書かれている。しかし、アッラーは、異教徒を地獄に落とすことに関しては、容赦しない。

3. 奇跡と呪術

父権宗教は、来世での幸福を約束してくれるが、現世での幸福は約束しない。もちろん、信者にとってありがたい奇跡を起こしてくれることはある。しかし、それは疑い深い信者に神の威光を見せつけるためであって、決してそれが信仰の目的となることはない。この点で現世利益を目的とする母権的宗教の呪術と父権宗教的な奇跡は異なる。

キリスト教やイスラム教はもちろんのこと、仏教や儒教でも呪術は本来厳禁である。神様、仏様に何かをお願いするなんて認めていない。そうした呪術から決別したからこそ、これら諸宗はみな世界宗教になれた。

[小室 直樹:日本人のためのイスラム原論, p.207]

小室は、呪術と奇跡の違いを次のように説明する。

呪術医の場合、もし病気が治ったら「これは自分の功績だ」と主張する。

しかし経典宗教の預言者は、そうは言わない。「奇跡は神の力によるものである」と説明する。

[小室 直樹:日本人のためのイスラム原論, p.220]

呪術医は、新興宗教の教祖が時々やるように、自らを神と称する場合は別として、通常は、神の力を借りて病気を治す。だから、クライアントから謝礼をもらうものの、近代医のように、自分だけの功績だとは考えない。重要な違いは、むしろ現世利益が信仰の目的になるのか、たんなる験(しるし)にすぎないのかというところにある。

4. タテの関係とヨコの関係

キリスト教は、神への愛と隣人愛から成り立っている。前者は、父権宗教に特徴的なタテの関係で、後者は、母権宗教に特徴的なヨコの関係である。日本にはヨコの関係しかなく、イスラム教国ではタテの関係しかない。

たとえば、不測の事態が起こったり、何かミスが起きて、契約を守れない状況が発生したとする。

そのとき欧米人や日本人は、トラブルを何としてでも乗り越えて契約を履行しようとするだろう。あるいは、契約書に従って違約金を支払うのを覚悟する。

これがヨコの契約に慣れた人間の感覚。

だが、タテの契約に取り巻かれたイスラム教徒はそう思わない。

何かトラブルが起きて、契約が守れなくなった。

このとき彼らは反射的に「これはアッラーの思し召しによるもの」と考える。

[小室 直樹:日本人のためのイスラム原論, p.424]

日本人は義理と人情というヨコの関係に拘束されるが、普遍者とのタテの関係によってヨコの関係を媒介しようとしない。だから、契約内容を書面で残すという習慣が、なかなか普及しない。

日本人にとって、ヨコの関係をも重視するキリスト教のほうがなじみやすいし、この点でも、イスラム教は、日本で普及しない宗教だということができる。

読書案内
書名 日本人のためのイスラム原論
媒体 単行本
著者 小室 直樹
出版社と出版時期 集英社インターナショナル, 2002/03
[投稿者:Nagai Tosiya|コメント:5個|この記事をYahoo!ブックマークに登録する この記事を含むlivedoorクリップ この記事をFC2ブックマークに登録する この記事をニフティクリップに登録する この記事を含むはてなブックマーク この記事のはてなブックマーク数
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コメント(5)

永井様
 茶道とか連歌など芸事の世界では、事細かい規則を作りそれを遵守するのが大好きで、その規則から外れることを極端に嫌うように思います。
 卑近な例では、校則なんかバカみたいです。
 日本人のこうした決まりごと大好きというのと永井さんが言われるような宗教的規範が大嫌いというのは、どういう風に考えればいいのでしょう。
 

“日本人のこうした決まりごと大好きというのと永井さんが言われるような宗教的規範が大嫌いというのは、どういう風に考えればいいのでしょう”

日本人は、規範に縛られるのがいやだからイスラム教に入信しないといっているのは、小室直樹さんであって、私ではありません。

 永井様
 すいませんでした。間違えました。規範の数で判断するのは、表面的だというのが、永井さんの意見でした。
 タテとヨコの規範の強制力のバランスの方が重要ということでした。
 しかし、タテの関係つまり絶対的な存在との関係を前提にしないと、ヨコの関係としての対等、友愛もない気がします。
 日本では、ヨコの関係が強いとしても、友愛とか対等というのとはかけ離れていると思えます。
 日本での師弟、先輩後輩関係というのは、何だかよく分からない。
 日本がヨコとして、そのヨコ関係を支えているタテの関係に絶対者らしきものが見当たらない。その辺りが、良く分からないのです。
 
 
 

タテの関係が父と子の関係だとするならば、日本におけるヨコの関係は母と子の関係です。それは対等な関係ではないにしても、普遍者によって媒介されていない贈与の関係という点で、タテの関係ではありません。

永井様
よく分かりました。タテとヨコの議論への蟠りが、解消しました。ヨコというより、贈与なんですね。それをとりあえずヨコと呼んだということですね。日本人は理想の人間関係として、表面はともかく無意識に母子の一体化を求めているんでしょうね。
 あまりに当を得ているので、言葉がありません!!

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