どうすれば労働者の待遇は良くなるのか
2008年6月8日に、将来を絶望した派遣社員、加藤智大が秋葉原で無差別殺傷事件を起こしたことで、派遣社員の劣悪な労働条件に世間の注目が集まった。事件後、舛添要一厚生労働相は、日雇い派遣を禁止する方針を打ち出し、2008年秋の臨時国会に、労働者派遣法改正案が提出される予定である。しかし、こうした法的規制で問題は本当に解決するのか。派遣社員を含めたすべての労働者の待遇を改善するにはどうすればよいのか、抜本的な解決策を探りたい。
1. 労働者派遣制度の本当の問題点は何か
2008年7月3日に総務省が発表した就業構造基本調査によると、2002年から2007年にかけての5年間で、正社員(正規雇用労働者)が3.6%減少したのに対して、労働者派遣事業所の派遣社員は、1.6%も増加した[総務省:平成19年就業構造基本調査結果の概要(速報)p.10]。これは、労働者にとっては、憂うべき傾向である。派遣社員は、正社員と同じような仕事を同じ時間やっても、正社員ほど高い収入を得ることができないからである。
派遣社員は、直接企業に雇用されているわけではないので、派遣先企業が支払う人件費を満額受け取ることができない。派遣元企業が労働者の派遣によって受け取るマージン率は、派遣先が派遣元に支払う金額の3割前後である。もちろん、派遣元企業の取り分の中には、保険料のように、労働者が負担するべき費用も含まれていることもあるが、派遣元企業が仲介することで、労働者から見れば、賃金が割安となり、雇用者側から見れば、人件費が割高になっているという事実は、否定できない。
人件費が高くなるにもかかわらず、企業が、あえて労働者を直接雇用せずに、派遣社員を間接雇用する理由は何であろうか。自社だけでは、適任の労働者をすぐに見つけることができないからだろうか。そうではない。もしも派遣元企業の仕事が、たんに労働者を探して紹介することだけなら、派遣先企業は、派遣元企業に、小額の紹介料を1回払うだけですむはずであり、毎月派遣元企業に金を払う必要はない。企業が正規雇用に躊躇する本当の理由は、解雇のためのコストが途方もなく高いからである。
日本では、いまなお終身雇用制(厳密に言えば、定年雇用制)の慣行が続いている。企業は、新卒の若年労働者を採用し、原則として定年まで雇用し続ける。解雇には相応の理由が要求され、解雇する場合でも、転職先を紹介しなければならないのが普通である。そのため、日本企業は、不要になった労働者であっても、社内失業者、いわゆる「窓際族」として雇用し続けるということが多い。これは、企業にとっては大きなコストであり、このコストに比べれば、派遣元企業に支払う手数料は、安いものだというのが、派遣社員を受け入れている企業の認識である。
企業に人材派遣会社の利用をやめさせ、正社員を雇用させ、労働者に直接給料を支払わせるには、正社員を解雇するコストを大幅に下げる必要がある。もちろん、ゼロにするのが最も好ましい。しかしながら、こうした提案をする政治家はほとんどいない。辻広雅文氏は、ワーキングプアである派遣社員を救うには、正社員のクビを切りやすくする法制度改革が必要であることを認めつつも、そうした改革は、正社員たちが自分たちの既得権益を守ろうとするために、実現することはないだろうと言っている。
虐げられた人びと、ワーキングプアたちを救えという声は多く聞こえるが、正社員の雇用に手をつけるという視点は、世の中のどこにもない。それは、メデイアを含めて影響力のある人びとの多くが正社員という既得権者であるからだ。
辻広雅文氏は、派遣社員が定年雇用性の犠牲者であるのに対して、正社員はその受益者であると考えているが、雇用の流動化は、本当に正社員に不利益をもたらすのであろうか。
2. 正社員も定年雇用制の犠牲者である
定年雇用制は、全世界で崩壊しつつある。日本では、依然として、この雇用慣行が守られているのだが、だからといって、日本の正社員は、海外の正社員よりも恵まれていると言うことができるだろうか。このことを検証するために、定年雇用制が完全に崩壊している米国とそうでない日本とで、労働者の待遇を比較してみよう。
2007年11月に、E2パブリッシング株式会社は、米国の提携先と共同で、日米のエレクトロニクス・エンジニアの給与を調査したところ、次のような結果を得た。
調査対象の平均年齢も平均職務年数も、日米ともほぼ同じであるが、平均年収に大きな違いがある。さらに、平均勤務時間は日本の方が米国よりも長いので、単位時間当たりとなるとさらに大きな差がつく。これは、米国のエンジニアが日本のエンジニアよりも優秀であるからではない。エレクトロニクスは日本が最も得意としている分野の一つであり、おそらく平均的なエンジニアの質は日本のほうが上だろう。それにもかかわらず、これだけ大きな待遇の差が生じる理由は何か。
平均転職回数の項目を見てみよう。日本のエンジニアが0.8回であるのに対して、アメリカのエンジニアは3.1回もある。アメリカでは、待遇改善のために頻繁に転職がなされるが、日本ではそういうわけにはいかない。日本では、会社の業績が悪化すると、経営者が、従業員に、サービス残業や給料の削減を要求するが、従業員は、たいがい転職せずに、おとなしく要求を呑む。同じことをアメリカでやったら、従業員は、無能な経営者を見限って、もっとまともな会社に転職してしまう。日本のエンジニアの方が、アメリカのエンジニアよりも給料が安くて、労働時間が長いのはこのためであろう。
待遇を悪化させても転職しない日本の労働者は、中国人の目にも奇異に映るようだ。中村修二氏は、日本で起業した中国人の経営者の話をこう紹介している。
彼が言うわけですよ、日本で会社を経営するのは楽ですよと。業績が悪くなったら給料を減らせばよい。また悪くなったらさらに削る。こうしてどんどん給料を減らしていっても、社員はほとんど会社を辞めない。こんなに会社経営が楽な国はないって。中国で同じことをやったら、社員はあっという間に霧散して一人もいなくなる。米国だって同じ。だから、経営者は第一に社員の処遇を考えなければならない。処遇の改悪はぜったいにできないから、本業で業績を上げることを真剣に考え、取り組まざるを得ないわけです
中村修二氏が主張するように、労働者たちが経営者に対して「待遇を改善しないと他の会社に行くぞ」と脅すことができるようにならない限り、労働者の待遇はいつまでたっても良くならないだろう。にもかかわらず、日本の労働者は、なぜその手段に訴えないのか。
日本の企業社会では、正社員は、本人によほどの落ち度がない限り、解雇されることはない。こういう慣行があまねく行われている社会は、会社を辞める人に対して「よほどのことがあったにちがいない不適合者」というレッテルを貼る社会でもある。
もちろん、理論的には、本人には何の落ち度もなく、たんに自発的に退職したということもありうるのだが、日本企業では、再就職が難しくなるといけないからという温情から、本人の落ち度を隠して離職処理をするということがしばしば行われており、また再就職希望者を審査する人事部が、そうした内情を最もよく知っている当事者ということもあって、いくら再就職希望者や元の職場が、本人に落ち度があったわけではないといっても、信じてもらえない。日本企業が、中途採用よりも新卒採用を好む最大の理由は、新卒採用では、そうしたリスクがないからだ。
日本の正社員が、転職に消極的なもう一つの理由は、転職すると、新しい職場でいじめられる可能性があるからである。新卒採用・定年退職・年功序列を特徴とする日本の典型的な職場においては、実年齢と入社後の年数と職場での地位が連動している。そうした先輩/同期/後輩の身分秩序が厳然と存在する職場に、実年齢と入社後の年数と職場での地位が相関しない中途採用の社員が入ってくると、格好のいじめの対象となる。蓋し、いじめとは、異物の排除によって秩序を再設定しようとするカタルシスである。
転職者に社会的不適合者というレッテルを貼る風潮が支配的であるなら、なおさらいじめの対象になりやすい。少数派に転落して、いじめられるのがいやなので、みんな転職に消極的になるのだが、転職が少ないがゆえに、ますます転職がしにくいというポジティブ・フィードバックが働くので、いっこうに雇用が流動化しないのが日本の現状である。
日本には、転職の自由は、形式的にはあるが、実質的にはない。日本の企業の中にいる正社員は、いわば檻の中の囚人のようなもので、どこにも逃げることができない。経営者はそれがわかっているから、社員がいなくなることを心配せずに、サービス残業やら給料カットやら、無理難題を平気で正社員たちに押し付けることができる。
このように虐げられているにもかかわらず、囚人たちは、檻の鉄格子を、自分たちから自由を奪い、自分たちの生活を惨めにしている桎梏としてではなく、自由経済の荒波から自分たちを守ってくれるありがたい防御壁と勘違いし、そこから脱出しようという気を全く持たない。そして、囚人たちを、檻の中から解放してやろうとすると、彼らは「俺たちを殺すつもりか」などと言って大騒ぎをし、鉄格子にしがみついて抵抗を試みる。辻広雅文氏の文にあったように、日本の正社員たちは、檻の中に監禁されていることを自分たちの「既得権益」であると思って、むしろその維持に懸命になっているのである。
実際には、敗者と言われる派遣社員のみならず、勝者と言われている正社員までもが、硬直的な正規雇用制度の犠牲者である。では、硬直的な正規雇用制度の真の受益者は、経営者かといえば、そうでもない。たしかに、有用な人材を長期的に保有し続けることができるというメリットもあるが、それは、不要な人材を長期的に保有し続けなければいけないというデメリットと抱き合わせである。
かつて、硬直的な正規雇用制度にデメリット以上のメリットがある時代があった。画一的製品を長期にわたって安定的に量産する工業社会では、生産者は均質な人材を長期にわたって安定的に確保する必要があった。工業社会は、増大する人口の最低限の需要を満たす上で適合的な社会の段階であるが、この段階を超えると、消費者は、商品の量ではなくて質を要求するようになる。この新しい段階の社会を私は情報社会と名付けている。日本を含めた先進国は、既に1970年代以降、この段階に入っている。情報社会は、短期間のうちに多品種の商品を少量生産するので、それに応じて、労働者も機動的に変化させなければならない。
情報社会化の進展により、終身雇用制は、世界的に崩壊しつつあるが、日本は相変わらず、古い雇用システムに固執している。グローバル化が進んでいる現代にあって、日本だけが硬直的な雇用システムを維持していることは、日本の国際競争力の維持という点で由々しき事態を惹き起こすことになる。
日本の技術者の中には、海外に活路を見出そうとする人がすでに出ている。
すべての技術者が泣き寝入りしたわけではない。それを不服とし、自らの専門技能を生かすべく会社を辞めていった人たちがいた。多くの技術者の証言によれば、その大きな受け皿になったのが韓国メーカーだった。こうした人材を大量雇用することで、韓国メーカーは日本メーカーが蓄積してきた技術やノウハウを、短期間で習得することができたのだという。
韓国の企業であるサムスン電子が、冷遇されている日本企業のエレクトロニクスの技術者を高い給与で引き抜き、短期間のうちに日本のテクノロジーを習得し、日本のすべてのエレクトロニクス企業を凌駕するほどの成功を収めたことはよく知られている。
日本の企業は、転職者に対する偏見が強く、経営者に理解があって、転職者を受け入れても、職場では異物としていじめられる傾向にある。しかし、海外の企業は、転職者への偏見を持たず、職場にも、中途採用を理由に同僚をいじめる習慣はない(例えば、韓国には終身雇用の慣習はほとんどない)。だから、待遇に不満を持つ日本の正社員にとって、外国の企業は、理想的な転職先である。現在、韓国のみならず、台湾、中国、シンガポールといったアジア各国が日本の優秀な技術者の引き抜きに力を入れている。
日本企業が、今後も「正社員はどこにも逃げはしまい」と高をくくって、処遇の改善に努めないなら、技術者と技術の流出がさらに加速するだろう。世界の潮流に反して硬直的な雇用システムを墨守し続けることは亡国のシナリオである。国内の雇用を流動化し、有能な人材に逃げられる無能な経営者の企業がつぶれるようにしなければならない。もしそうしなければ、有能な人材が海外に逃げることで、日本自体がつぶれることになる。
3. 新しい時代にふさわしい雇用システムを作れ
日本の雇用システムを情報社会の時代に適合的にするためには、労働者を弱者と規定して過剰に保護することなく、労働市場における売り手と買い手を完全に平等に扱う必要がある。
日本の民法は、雇用契約の解除に関して、労働者と使用者を対等に扱っている。
当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了する。
だが、労働基準法は、労働者よりも使用者に大きな責務を与えている。
使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも30日前にその予告をしなければならない。30日前に予告をしない使用者は、30日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない。
また、労働契約法は、解雇には正当な事由がなければならないとしている。
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
この労働契約法は、2008年3月1日から施行された新しい法律であるが、この法律が施行される以前から、整理解雇四要件に関する判例の積み重ねがあり、会社都合では容易には解雇できないようになっている。そこで、私は、肥大化した労働者の過剰保護を削減し、雇用契約の解除に関する法的規制を、労使が平等である民法第627条の規制にまで緩和することを提案したい。
雇用を流動化する上でのもう一つの障害は、労働組合である。労働組合を組織し、組合活動をする権利は、日本国憲法第28条で保障されているので、労働組合の禁止は容易ではないが、日本国憲法といえども、時代に合わなくなった条項は変更するべきだろう。
労働組合は、工業社会の時代においては、労働者の待遇を向上させる上で、有効に機能した。しかし、情報社会では、均一な労働力の対価(労賃)を画一的に引き上げるということ自体が無意味なので、労働組合の存在意義は、なくなりつつある。実際、労働組合の組織率は年々低下し、平成18年現在、18.2%にまで低下している[厚生労働省:平成18年労働組合基礎調査結果の概況]。
派遣社員の待遇が悪いからといって、派遣社員が労働組合を結成し、ストライキをやって待遇の改善を要求しても、問題の解決には全くならない。労働者の待遇を強制的かつ一律に向上させると、雇用が減少するので、失業者が増え、貧困問題はいっそう悪化する。法律によって、派遣業を禁止したり、正社員化を義務付けたり、法定最低賃金を引き上げたりといった手段を用いた場合も同様の帰結をもたらすので好ましくない。労使の選択の自由を奪うことによってではなく、むしろ全く逆に、労使の選択の自由を拡大することによって、貧困問題を解決しなければならない。
労使の選択の自由を拡大し、雇用を流動化すると、有能な正社員の待遇が良くなる一方で、そうではない正社員(特定の職場だけでではなくて、どの職場でも無能な正社員)の待遇は逆に悪化するのではないかと危惧する人もいるであろう。そのとおり、格差は、拡大する。だが、たとえ、格差が拡大しても、有能な人材が海外に流出することを阻止することを優先しなければならない。賃金が低すぎて、生活できない労働者に対しては、社会保険金の支給で最低限の生活ができるようにすればよいのだが、生産性の高い人材が国内に残らなければ、社会保険料の支払い手がいなくなってしまう。
終身雇用制が崩壊すると、企業は、終身雇用を前提に行ってきた社内研修や技術伝承に消極的になるのではないかと危惧する人もいるかもしれない。たしかに、金をかけて育てた若手従業員が、他の職場に転職したら、企業としては、人的資源への投資を回収できないということになる。それならば、社内研修や技術伝承を、終身雇用とのバーターで勤務時間内に行う無償のサービスから、勤務時間外に行う有料のサービスにすればよい。教育サービスを独立したビジネスにすれば、育てた人材が他の企業に転職しても、教育サービスの提供者は、不利益を被ることはない。
「転職が少ないがゆえに、ますます転職がしにくいというポジティブ・フィードバックが働く」という表現に対して、読者から「ポジティブ・フィードバック」は、「ネガティブ・フィードバック」の間違いではないかという指摘がメールでなされたが、ポジティブ・フィードバックとは、変動がその変動をさらに促進するループ作用のことで、変動の内容がポジティブかネガティブかということとは関係がない。つまり、「転職の減少が更なる転職の減少をもたらす」あるいは「転職の増加が更なる転職の増加をもたらす」ならば、これらのループ作用は、ポジティブ・フィードバックであるが、「転職の減少が逆に転職の増加をもたらす」あるいは「転職の増加が逆に転職の減少をもたらす」ならば、これらのループ作用は、ネガティブ・フィードバックである。






いつも興味深く拝見しています。大変学ぶところが多く感謝しております。
今回のテーマも、おおむね理解できたつもりでいますが疑問に思う点もあります。
日本企業がアメリカ型の成功報酬型の給与にしたところ、社員同士の協力が失われ、却って労働効率は落ちたという話を聞きます。多くの日本人は単純に高給よりも情の通う人間関係のある職場を求めており、そういう場の方がやる気がでるということではないかと思います。
就職の流動化を進め、年功序列型の給与体系を改め格差を容認するということは、やはり自然に助け合う快適な職場とはならないのではないでしょうか?
もう一点。企業が人を育てるという場合、新入社員を現場に連れ歩きながら少しずつ仕事を体験させ長い時間をかけて一人前に育てていくというのが一般的ではないでしょうか。そう言った教育は簡単にはカリキュラム化して勤務時間外の有料サービスに出来ないと思いますがいかがでしょうか?
“日本企業がアメリカ型の成功報酬型の給与にしたところ、社員同士の協力が失われ、却って労働効率は落ちたという話を聞きます。多くの日本人は単純に高給よりも情の通う人間関係のある職場を求めており、そういう場の方がやる気がでるということではないかと思います。”
競争の単位は、必ずしも個人である必要はなく、会社内チームを成功報酬の評価の対象にするという手もあるかと思います。ただ、その場合でも、個人がチーム内でうまく働くことができない場合やチームが解散となる場合などが生じてくるでしょうから、会社内チーム間転職や、会社間転職の自由は最大限認められるべきです。
“企業が人を育てるという場合、新入社員を現場に連れ歩きながら少しずつ仕事を体験させ長い時間をかけて一人前に育てていくというのが一般的ではないでしょうか。そう言った教育は簡単にはカリキュラム化して勤務時間外の有料サービスに出来ないと思いますがいかがでしょうか? ”
そういう意味での教育ならば、何をやっても教育ということになると思います。同じ会社に在籍し続けていてはわからないこと、転職を繰り返してみて始めてわかることもあるわけですから、そうしたことを学ぶという点では、それも一つの教育であるということになります。
ベーシック・インカムでは駄目なのですか?
最低所得を保証するという点では、ベーシック・インカムの制度と同じです。但し、保険金の受給者の勤労意欲を減退させないようにするには、ミルトン・フリードマンなどが提案する負の所得税制度のように、働いただけ所得が増えるような仕組みを作らなければいけません。この仕組みがあるならば、最低賃金規制など不要だし、廃止したほうが望ましいということになります。また、社会保険は、政府が独占的に行うべきではなく、政府自体は、たんに選択のプラットフォームの役割に徹すべきです。
>>働いただけ所得が増えるような仕組み
累進減税の様なものですか?
まず一人一日一万円程度の最低所得保障があるとして、
非就労者の所得税を50%、
就労者の所得税を25%、
後は年収が上がるごとに所得税を減税していくと。
この様なものですか?
負の所得税の税率はフラットです。税率をr、最低保証金をbとして、固定し、収入をiとすると、所得は、
r(b+i)=rb+ri
となり、収入がゼロでも、所得はrbとなり、収入が増えるにつれて、所得もri増えます。
「自分の年収が上がる程自分の税金が下がる制度より、他人の年収が上がっても他人の税金が下がらない制度の方が、社会の多数派である年収が上がらない人の労働意欲が下がらないので良い」という事でしょうか。よく分からなくてすいません。
それでも、負の所得税制を施行した場合、今よりも政府が「大きな政府」になってしまうのではありませんか?
対案として、『マネーサプライはどう調節するべきか』の様に貨幣を電子化し、そして政府を介さずに中央銀行の口座に直接入金する、「全民投資」と言える様な制度を考えてみましたが、どうでしょうか。
この場合、「黒点数の変動により地球環境のエントロピーを決定する太陽」の様に、「通貨供給量の調節により市場経済の成長率を決定する中央銀行(天照銀行?)」が出現してしまう気がしますが、「マネーサプライは~」の様に経済を民主化すれば、『地球環境による太陽の黒点数の決定』の様な事が可能になるので、大丈夫だと思っています。この理屈は合っていますか?
負の所得税に関する教科書的説明としては、例えば、このページでの説明などをお読みください。
“それでも、負の所得税制を施行した場合、今よりも政府が「大きな政府」になってしまうのではありませんか?”
私は「保険金の受給者の勤労意欲を減退させないようにするには、ミルトン・フリードマンなどが提案する負の所得税制度のように、働いただけ所得が増えるような仕組みを作らなければいけません」と書きましたが、負の所得税制度そのものを支持しているわけではありません。だから「社会保険は、政府が独占的に行うべきではなく、政府自体は、たんに選択のプラットフォームの役割に徹すべきです」と書いたのです。
具体的な提案は、「社会福祉は必要か」に書きました。多分、このページが、あなたの関心に一番近いかと思いますので、まずは、これをお読みください。
派遣労働者の問題には労働者側と企業側の問題の二つがあります。 秋葉原事件以降労働条件の劣化だけが問題視されますが、それによって引き起こされる企業競争力劣化の方が日本にとってより深刻でしょう。 この問題を放置するとやがて日本の企業競争力は衰え、日本経済の縮退につながっていくでしょう。
その好例が日本のIT産業の状況です。 一昔前、日本産業の救世主と目され、将来の経済成長の柱になると期待されたIT産業が、今は競争力など皆無の構造不況産業に成り果てています。 中国やインド、韓国にまで追い越されています。 原因と考えられるものは幾つかありますが、最大の問題は派遣道動力依存です。
日本のIT産業は昭和30年代末、IBMとのコンピュータ戦争で始まりました。 当時日本にはアメリカと対抗出来るコンピュータ技術が無く、ハードウエア、ソフトウエアともアメリカ技術に完全依存しました。 ハードウエアは昭和40年代末までに何とかキャッチアップしましたが、ソフトウエアはノウハウと熟練プログラマが絶対的に不足し、どうにもなりませんでした。 IBMの競争力に圧迫された日本のIT産業経営者は、致命的なプログラマ不足を補うために派遣労働者獲得に走りました。 日本の経営者のソフト軽視も原因の一つです。
やがて大手コンピュータ企業のソフトウエア開発現場は派遣労働者で埋め尽くされました。
大雑把に見て、当時の開発現場で、9割は正社員ではなく派遣労働者だったでしょう。 もちろん86年に産業側の強い要請で労働者派遣法が施行される前のことですから、すべて偽装請負です。 ご時世だったのでしょうが、労働基準監督署も違法と知りながらまったく取り締まりませんでした。
80年代末までに日米コンピュータ戦争はアメリカの完勝で勝負がつきましたが、コンピュータ産業の後裔であるIT産業の派遣労働力依存は改まりませんでした。 その結果、IT産業の競争力の源泉であるソフトウエア産業が日本には育ちませんでした。 ソフトウエアの塊であるWindowsもGoogleもインターネットも、すべてアメリカ技術と製品で埋め尽くされています。 この分野で世界に通用する日本製品は皆無です
こうなった最大の原因は派遣労働力依存にあります。 ソフト産業の生命であるノウハウが社内にまったく蓄積さらなかったからです。 例えばバンキングシステムは規模も大きく、要求仕様も厳しいので、ソフトウエア技術蓄積はもってこいです。 IBMなどアメリカコンピュータ産業もこれで技術を磨きました。 今でもそうですが、その頃の日本のバンキングシステム開発現場は偽装請負の派遣労働者で埋め尽くされていました。 開発プロジェクトが終わると、派遣労働者はちりぢりになります。 それと一緒にノウハウも散逸してしまいます。 ソフトウエアノウハウのだいぶ部分は属人的なものですから、いつでたっても社内にノウハウが蓄積されません。 最近大手都市銀行や証券取引所のシステムで頻発するトラブルの最大原因です。 日本のIT企業はもはや自力で大規模システム開発が出来ません。 インドや中国への依存度が高まっています。 繰り返しますが、こうなった根本原因は派遣労働力依存です。
最近、産業省系の団体、ソフトウエア振興事業協会に天下った(天上がった)元NEC社長の西垣西垣浩司が、学生とのトップ対談で、「IT企業が欲しいのは個人の能力でなく業務ノウハウ。 天才プログラマは要らない」と述べています。 ソフト事業の意味がまったく分かっていません。 かってのIT企業最大手の経営者がこんな馬鹿げたことを言う。 日本のIT産業がインド、中国にまで置いていかている理由がよく分かります。
IT産業の大失敗例を目の当たりにしながら、政府も経団連も派遣労働者の問題を看過するのはなぜなのでしょう。 桝添厚労大臣は一日派遣を見直すといっていますが、問題の本質がまるで分かっていません。 一日派遣は昔からあるいわゆる日雇いで、いわば最低賃金労働者のライフラインです。 これを制約したら、別の新たな問題が生まれるだけでしょう。 問題は企業の、特に製造業現場の派遣依存です。
今のような派遣労働力依存を放置すると、労働環境が悪化すると同時に日本産業の国際競争力はますます劣化するでしょう。 派遣労働者で大きな収益を上げてきたトヨタが、今年に入って販売台数、利益とも下がり始めていると言います。 労働力を部品扱いする“人間カンバン方式”の限界が見えてきたようです。
86年の労働者派遣法と、小泉内閣による2004年の派遣法拡大を、抜本的に見直す時期に来ています。 そうしないと、日本経済に将来はないでしょう。
IT業界における中間搾取がかなりひどいということは承知していますが、日本で競争力のあるIT企業が育たないのは、既存の大企業が優秀なプログラマを正社員として雇わないからではなくて、彼らが容易に起業できないからでしょう。
そんなことありません。IT業界で起業は沢山していますよ。それこそ雨後の竹の子のように。おおむねそこそこ利益を上げています。
しかし、かってのアメリカのように高い技術力と競争力を持ったIT企業に育たない。そう言う新興IT企業そのものが、マイクロソフトやグーグルのようなかってのITベンチャーのようにR&Dに投資しないで、手軽に利益を上げられる派遣業に成り下がってしまうからです。派遣側、被派遣側双方が派遣の中毒に罹っているのです。それというのも派遣業法を改正(改悪)して、安易な派遣労働者依存体質を作ったからであり、派遣依存が一時的に利益につながるからです。
派遣はIT産業だけでなく、いまやあらゆる二次産業、三次産業に浸透しつつあります。この状態を放置すると、日本企業の技術力、競争力はどんどん低下するでしょう。安い労働力依存の企業経営では、日本はどうやっても中国やインドに勝ち目はありません。
そろそろ歯を食いしばって引き返すべきです。派遣体質からの脱却は、労働者の利益でもありますが、それ以上に企業側の利益になります。経団連もそろそろそのことに気がつくべきです。
起業すると、法人になるわけですから、その会社が業務請負をしても、それは人材派遣ということにはなりません。もちろん、偽装請負では、実質的には、派遣労働と同じになりますが、その問題は、派遣労働全般の問題と同様に考えてよいでしょう。
なぜ、日本の新興IT企業が、「マイクロソフトやグーグルのようなかってのITベンチャーのようにR&Dに投資しないで、手軽に利益を上げられる派遣業に成り下がってしまうか」という問題提起ですが、私は、最大の原因は、バブル崩壊以後、日本がとり続けてきた低金利政策にあると思います。
日銀は、金利を下げれば、それで景気がよくなると考えていたようですが、現在のようなグローバル経済で、日本だけが金利を他の先進国よりも著しく低く抑えていると、マネーが高金利を求めて海外に流出し、かえって日本は不況になります。
特に深刻な影響を受けるのは、ハイリスク・ハイリターンな新興ベンチャー企業です。彼らは、金融がネックとなって、大胆な投資ができず、ローリスク・ローリターンな業務請負しかできません。これは、ITのみならず、他のすべての分野で見られる現象です。
国際競争力のある企業を日本で育てる上で必要なことは、派遣労働の規制といった労働者の法的保護の強化ではなくて、国際的な金利格差の縮小とハイリスク・ハイリターンな投資の促進であると私は考えます。
たしかに派遣法をいじくっただけでは本質的な解決にならないかも知れませんね。物事、特に経済的な問題は原因が複雑に絡み合っていますから。しかしそう言うことを言っていると、堂々巡りを繰り返すだけで、物事は何も解決しません。派遣法に限ってみれば、少なくとも1987年以前は民間の職業紹介や派遣は原則禁止されていた事実があります。今問題になっている製造業への労働者派遣も、2004年前は原則禁止でした。それでも日本経済はそこそこ成り立っていたのです。これをあえて規制緩和した理由はどこにあるのでしょう。やはり中国の低賃金攻勢に耐えきれなくなった産業側が、経団連などを通じて手っ取り早い労働法改正を働きかけたことが最大の要因でしょう。
そもそも労働環境や労働市場と言うものは、労働に対する国民の共通認識、社会慣行の中で成り立つものです。当時終身雇用や年功序列と言った日本的雇用形態に皮相的な批判が集まり、アメリカのような能力主義、成果主義がもて囃されました。派遣法やその改正はこの発想と基を同じくしています。しかし労働というな国民社会の精神構造に依存する問題は、成果主義を取り入れたり、非正規雇用を拡大することだけでうまく行くはずがありません。アメリカをお手本にするつもりだったのでしょうが、最も重要な労働市場の流動性を置き去りにしたままでした。終身雇用をやめ、非正規雇用をも多とするなら、日本特有の新卒採用慣行をやめなければなりませんでした。日本は今でも新卒時一回限りの機会を逃したら、正社員になる道は事実上閉ざされています。大学4年生の就職活動は過酷を極め地獄の様相です。この機会を逃すと、派遣かフリーターしか道がないことを学生が身に凍みて知っているからです。今の若者は転職にそれほどの抵抗感がありません。しかし転職回数がキャリアとして評価されるアメリカと違い、転職は有利な条件とはなりません。転職を繰り返せば、ごく少数の幸福な例外を除いて、おおむね雇用条件は悪化していきます。このことが日本の労働環境を悪化させ、若い労働力の意欲や向上心を大いに阻害しています。そのことが回り回って社会の劣化につながり、企業の利益をも圧迫するようになります。経団連はじめ産業側は、新卒採用一辺倒の採用を変えないまま、派遣による労働市場の流動性だけを求めました。そのことが日本の労働市場、果ては社会秩序まで歪めています。多くの企業でアメリカ式成果主義も行き詰まっています。労働環境全体を考えず、企業にとって都合の良い点だけ規制改革をしたからです。
今からでも遅くはありません。派遣法をいったん昔に戻し、企業側の短期利益だけではなく、国民の労働観に合致した法改正、労働市場の改変を行うべきです。派遣に限って言えば、企業側が新卒主義を撤廃し、労働市場を十分に流動化させることが不可欠の前提となるでしょう。
新卒採用一辺倒を是正することには賛成ですが、そのためにまず必要なことは、解雇を制限する法的規制を撤廃することです。これをやらずに、経団連に文句を言っても仕方がありません。
貨幣経済システムである限り、
永遠に労働者が報われる事は無いですよ。
もし主の提案する方法で平均給与が上がり、
企業からの人材流出が防げたとしても、
格差拡大の幅が増すだけ。
すでに、社会Vs個人の自由の闘いになってる。
社会システムを安定させようとすると個人が犠牲になり、
個人を優先すると社会が犠牲になる。
そのバランスが、どうしても抑えられない状況にまで地球が狭くなっただけ。
“もし主の提案する方法で平均給与が上がり、企業からの人材流出が防げたとしても、格差拡大の幅が増すだけ。”
あなたは、格差拡大の幅が増すことを望ましくないことと考えているようですが、私は、今の日本で問題なのは、格差の拡大ではなくて、格差の固定化と考えています。格差が流動化し、誰にも上昇するチャンスが与えられているオープンな社会ならば、格差はむしろあった方が、社会は活性化するので、望ましいということになります。
労働市場の流動化が必要だというご意見には賛成ですが、会社に自由な解雇権を与える以外にも方策があるのではないでしょうか。自由な解雇権に関しては、代替制度として派遣法の拡充があるていどの成果をあげているわけですから。たしかに自由な解雇権が正社員にも適用されるようになれば、派遣労働のゆがみがいくらか是正されるかもしれません。「会社側のやめさせる権利」が普及することが「労働者側のやめられる環境」を創出することにもつながるというお考えも理解できます。
しかし別の観点からもこの問題をとらえることもできます。「終身雇用制」を語るさいに思い出していただきたいのは、この制度が文字通り機能していたのは役所や大企業においてであり、多くの中小零細企業においては新卒から定年までというキャリアがかならずしも当たり前のものではありません。大企業にくらべて労働市場の流動化が進んでいると言ってもいいでしょう。
なぜかと言えば、こうした企業に往々にして見受けられるワンマンオーナーが理不尽な労働条件を押しつけたり、気分しだいで解雇をくり返したりするからではありません。そうしたこともあるでしょうが、それならば大企業においても、ほとんどいじめのような手段を用いて退職に追い込んだりすることがありますから、似たようなものでしょう。
中小零細企業において労働市場の流動化が進んでいるのは、解雇されるからではなく自主的にやめる従業員が多いからです。それはひと言でいえば、大企業の従業員にくらべて失うものが少ないからです。大企業から中小企業への転職だと、労働条件に大幅な差がでますが、中小企業から中小企業へなら、それほどたいしたものではありません。たいていどこの職場にも転職者がいるでしょうから、疎外感を感じることもそれほどありません。
大企業と中小零細企業では、社会的地位といった精神的なもの、給料や福利厚生の格差を別にして、なにより退職金が違います。役所や大企業とくらべると、見劣りするとどといったレベルのものではありません。
私は資本金2億円、従業員300人の中小企業に10年間勤めたあと退職、起業して経営者となって今年でちょうど10年になりますが、もし大企業に就職していれば意地でも会社にしがみついていたかもしれません。それほど「失うものの大きさ」がちがいます。
こうした観点からすると、たとえば大企業において退職金の抑制を法制化すれば、まちがいなく労働市場の流動化が進むのではないでしょうか。個別の企業が導入しようとすれば、必要な人材からまっさきに逃げ出すでしょうから、強制力のある法律が必要です。企業のコスト削減にもつながります。
ただまちがいなく不人気な法案を政治家が通すことができるかが問題ですが、その点では経営者に自由な解雇権を付与する法律も似たようなものですから、論考の対象としては度外視してもよいのでないでしょうか。
“大企業においても、ほとんどいじめのような手段を用いて退職に追い込んだりすることがありますから、似たようなものでしょう。 ”
企業側の都合で辞めさせられないなら、本人が自発的に辞めるように苛め抜くという話はよく聞きますが、こうした陰湿な手段を使わなくても、辞令一通でできるようにするべきでしょう。
“こうした観点からすると、たとえば大企業において退職金の抑制を法制化すれば、まちがいなく労働市場の流動化が進むのではないでしょうか。”
これにも賛成です。退職金は、賃金の後払い(しかも不当に長い期間を経た後の)です。「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」とする労働基準法第24条を厳密に適用するならば、違法ということになりますが、明文化したほうがよいと思います。
派遣法や制度を変えるだけでは、うまくいかないでしょうね。
文化的な部分から時間をかけて変えていかないと。
正社員保護の色合いが強い現行制度は、日本人に大変馴染む制度なので、手放すのは大変でしょう。
下記のフリーライダー現象にも代表されるように、さまざまな文化的心理的な性質を改善しないと、結局ダメでしょう。
国家100年の計で取り組む覚悟が必要ですね。
>実験経済学での日米比較実験によると、日本人はアメリカ人と比べ、自分が損をしてもフリーライドする人の足を引っ張る傾向にある。[2]たとえば、友人と2人でアルバイトし、店を選ぶ決定権が自分にある場合、自分も友人も10万円もらえる店Aと、自分は9万9千円もらえるが友人は8万円しかもらえない店Bを選ぶとき、約1割の日本人がBを選択する。
この傾向は小学生低学年には見られなかったことから、ある程度年齢を経るにつれ、徐々に得られるものだと思われる。
フリーライダー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
終身雇用や年功序列賃金の制度は、昭和初期の金融恐慌をきっかけに導入された制度で、60年ほどの歴史しかありません。それを元に戻すのに、100年もかかりますか。法律を変えても社会が変化しないことはよくありますが、社会の変動に法律が適合できないときには、その法律を社会に適合させることは、社会の変化を加速させることになるでしょう。
昭和の高度経済成長期のように経営側の報酬が労働者の10倍程度のかつての終身雇用・年功序列制度ならばどのような労働法制をとろうが問題ない。アメリカ式経営者は一般労働者の100倍以上の報酬を手にすることができる時代だ。
ところが日本は大きな組織ほど平均年齢40代後半、とても頭が大きい(=労働コストが大きい)組織になってしまった。
今まで滅私奉公してきた50代にとっては現在の高給もそれにともなう退職金も既得権益である。辞退しますなどというはずがない。現実として退職金は自分の子供への投資や今までの負債返済に充てられる。教育投資が必要ない定年退職者は退職金を減額するか、この国の将来を背負う子供たちに還元される制度にする必要がありそうだ。高度経済成長期と現代のどちらが過密でストレスのかかる仕事をしているか、高度経済成長期をすごしたご本人が忘れている。というよりも美化してはいないか。
一方、若年層に見られる終身雇用・年功序列回帰は現段階では不可能である。経済全体が成長せずむしろ負担が増える社会なのだから、前者を保障するかわりに後者を捨てなければならない。年齢が上がってもほとんど上がるに相当しない緩やかな昇給(ベア)と企業業績にリンクした賞与・手当。終身雇用を守りたいならば、しばらくは受け入れざるをえない。
同時に絶対匿名で源泉徴収や確定申告は当然、国会議員並みの資産公開するぐらいの大胆な発想の転換も求められる。2000万円の売り上げがあっても所得税対象額が50万円のカラクリがよくわかる。最近ビジネス系の雑誌で給与額の比較特集をよく見かける。ネットでもある程度収入がわかる時代だ。
役所や金融機関のみが労働者の個人の経済情報を独占する時代はもう終わり。
天下りの可能性がある公務員及び特殊法人と、他人の財布の中身を見ることができる金融関係者は実名で収入を公開。やましい気持ちがなければできるでしょう。
>終身雇用や年功序列賃金の制度は、昭和初期の金融恐慌をきっかけに導入された制度で、60年ほどの歴史しかありません。
ご指摘の通りなのですが、日本型経営は日本の伝統文化を体現していると思っている人が案外多いように思えます。しかも、近年の不況で日本型経営への回帰を待望する声も上がっています。このような状況で、法律改正に踏み切るのは厳しいのではないでしょうか。
私たちが日本的経営と呼んでいるものは、フォーディズムと呼ばれるアメリカ直輸入の経営手法です。フォーディズムは、その名の由来となったフォードをはじめとするアメリカ・ビッグスリーの現状を見ればわかるとおり、経営手法としては行き詰っています。ミクロ経済におけるフォーディズムは、マクロ経済におけるパターナリスティックな大きな政府に対応しています。デフレになると人々がパターナリスティックな打開策を求めるのは自然なことですが、パターナリズムは麻薬中毒患者への麻薬の投与と同様で、一時的な気休めにはなっても、長期的には問題をかえって深刻にしてしまいます。これに関しては、「フォーディズムとナチズム」と「サブプライム問題はなぜ起きたのか」をお読みください。
派遣業という悪徳ピンハネ業者を駆逐すれば、ピンハネ分だけ労働者の所得が増えるというだけの内容であれば、雇用流動を促すことと、その弊害になっている終身雇用の廃止には賛成できます。しかし、日米のエンジニア比較から雇用流動化と国外流出の阻止を展開するのは無理があると思いました。
たとえば日米エンジニアの比較表ですが、40代の終身雇用制度に飼いならされた世代で比較するのはフェアではないでしょう。そして、各種の条件で比較する以前の問題として、国内のエンジニアは絶対値的に安いということができます。日本の経営者はエンジニアを高く評価しません。中途の募集でも300~400万円台というふざけた金額が並んでいるのが現実です。そもそも他の業種での比較ならまだしも、エンジニアは国内でも比較的流動的な業種です。なので、終身雇用を廃して労働者競り市場になれば値上がりするのかといえば、恐らくNOです。また、エンジニアという人種自体が必ずしも給料を重視してはいません。たとえ今の倍の給料になるとしても興味のないものは作りたくないのです。
そう考えると、日米のエンジニア比較は、実は経営者の質やモラルの比較だといえるのではないでしょうか。エンジニアという人種の足元を見て金を出さない国か、労働の質や内容を評価して金を出してくれる国か、ということです。
また、雇用体系の改善で国外流出を防ぐという論調は苦しいと思いました。海外から引き抜かれるような人材は、元々終身雇用に抑止されず、国内でも高給を得て移動できる希少層です。大間のマグロも高級品は台湾に流れているそうです。今や人も物も価値を判断できないからみすみす流出しているだけではないと言えます。
以上は、私自身がエンジニアなので言えることです。自分の意見もそうですが、やはり氷山の一角をつまんで展開する理論は弱いと感じてしまいます。一般化したデータで理論を展開する必要があるでしょう。金融や営業など他の業種、幅広い世代で比較されていればもっとよかったと思います。
論文の着地点が海外流出の阻止というのも時代錯誤的でイマイチでした。国益や国民という括りで考えていること自体が社会主義的なのだと思います。社会主義の国益重視といえば、中国はエグさダントツですね。工場だけでは土地を貸してくれず、国内に開発拠点を義務付けてるんだとか。技術力やノウハウを盗むためだそうです。手法云々は別としても、国政の態度としては見習うべきところもあるように思います。結局論文のタイトルとは関係なくなってしまいますが、「人材の流出は止めようがないのだから、終身雇用なんてさっさとやめて日本企業も海外の有能な人材の流入に力を入れるべきだ。」くらいの方が建設的だと思います。そうなると「文字先行の英語教育などの過去の人材流出防止政策は流入を阻害するので全て廃止するべきだ。」とか変な方向に向かって支離滅裂になりそうですが。
最近このサイトを知って色々楽しく読ませていただいています。ありがとうございました。
“エンジニアという人種自体が必ずしも給料を重視してはいません。たとえ今の倍の給料になるとしても興味のないものは作りたくないのです。 ”
この点でも、終身雇用制には大きな問題があります。日本の企業は、終身雇用制を維持するために、仕事がなくなったエンジニアを解雇せずに、他の、エンジニアリングとは関係のない業務に従事させて、人材の使い回しをします。よく言われることですが、日本の企業が正社員として雇うのは、スペシャリストではなくて、ジェネラリストです。その結果、給料よりも仕事の内容を重視していたエンジニアが、希望した仕事ができなくなり、希望する仕事をするために、他の企業に転職しようにも、リスクが大きくて、二の足を踏んでしまうということがしばしばあるからです。
“人材の流出は止めようがないのだから、終身雇用なんてさっさとやめて日本企業も海外の有能な人材の流入に力を入れるべきだ。”
私の主張とこの主張は、矛盾しないと思います。確かに、本稿では、終身雇用制の廃止が、海外の優秀な人材の採用を容易にすることにまで言及しませんでしたが、それは、私の日本語の文章を読むのは大部分日本人であろうという推測から、読者が興味を持たないテーマを除外したというだけのことです。だから、本稿のタイトルは、「どうすれば日本の労働者の待遇は良くなるのか」だと考えてください。