政治学・政治史学
戦後の日本人は、保守と革新が右派と左派の関係にあり、保守勢力が好戦的であるのに対して、革新勢力は平和主義者であると考えがちである。しかし、戦前の日本を満州事変以降の自滅的な侵略戦争に駆り立てたのは、保守勢力ではなくて、一見すると右翼的であるが、実は左翼的な革新勢力であった。保守と革新という観点から、近現代の日本の歴史を振り返ってみたい。
従来、左翼は弱者の思想で、右翼は強者の思想と考えられてきた。たしかに、左翼や右翼という言葉が生まれたフランス革命後の議会では、そうした区別は有効だったが、現代では、弱者であるがゆえに右翼的な思想を持つ、プロレタリア型右翼とでも呼ぶべき、新しい右翼が増えてきた。知識人たちは、こうした右翼を権威主義的パーソナリティー論によって説明しようとするが、私はそれとは違う視点から、プロレタリア型右翼を解釈したい。
今日、韓国と北朝鮮は、太平洋戦争の被害者と称して、日本に対して謝罪と賠償を求めている。しかし、当時の朝鮮人は、太平洋戦争を熱烈に支持し、侵略戦争の被害者というよりもむしろ加害者としての役割を果たしていた。では、なぜ反日的なはずの朝鮮人が、日本の侵略戦争に加担したのだろうか。彼らの戦略のルーツは、元寇での成功体験にまで遡る。
女性の社会進出に伴って、結婚後夫婦を同姓にする民法上の規定の弊害が指摘されるようになった。現在、国会では、選択的夫婦別姓制度を認めるように民法を改正するかどうかをめぐって、継続審議となっている。夫婦同姓問題を解決するにはどうすればよいのか、氏名の自己決定権という、より一般的な観点からこの問題を考えてみたい。
ブッシュ政権は、アフガニスタン、イラクに続いて、イランや北朝鮮まで攻撃するのではないかと噂されている。ブッシュはなぜこれほど戦争に熱心なのか。ブッシュは、石油や天然ガスが欲しくて戦争をしているのか。ブッシュの戦争を分析しよう。
キリスト教は、なぜかつて地動説を否定して、天動説を支持していたのだろうか。たんに聖書に書かれている記述と矛盾するからだけなのか。キリスト教が母権宗教を否定する父権宗教である点に注目して、考えよう。
豊臣秀吉は、晩年、1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)の二回にわたって、明を支配するために朝鮮半島に兵を送ったが、戦果は芳しくなく、秀吉の死後、日本軍は朝鮮半島から撤退した。なぜ、秀吉はこのような出兵を行い、そして失敗したのだろうか。
戦争は、通常政治的な現象だと考えられている。民族や宗教やイデオロギーの対立から戦争が起きるとか、石油を手に入れるために戦争が起きるとか、そうした通俗的な説明に満足している限り、近代の戦争の本質を理解することはできないし、戦争を防ぐ有効な手段をも見つけることができない。
インダス文明は、紀元前1500年までに消滅した。その原因として、いろいろな説が出されているが、どれもまだ実証されていない。従来の説は、文明が滅びるのは環境が悪化したからだという先入見を共有しているのだが、私はこの前提を覆し、むしろ環境が好転したからこそ、文明は放棄されたのだと主張したい。
所有と占有の区別は何か。社会システムにとって、私的所有の相互承認はなぜ必要なのか。所有物はどこまで拡大解釈できるか。これらの問題をシステム論的に考えてみよう。
民主主義は多数決で結果を決めるが、多数決では、数は力なりで、少数派は切り捨てられる。少数の弱者を数の暴力から保護することが民主主義の課題である。政治学の教科書は、このように多数決原理に基づく民主主義の問題点を指摘するのだが、この古典的議論は正しいだろうか。現実の代議制民主主義を見れば、事態は逆であることに気がつく。実際に民主主義政治を動かしているのは、補助金や規制がなければ存立できない経済的弱者が結成した少数の圧力団体である。
人々は、フェミニズムをジェンダー・フリーな平等主義と誤解することで、フェミニズムが持っている欺瞞的性格を覆い隠してきた。フェミニズムと平等主義を区別しながら、なぜフェミニズムが女性を解放しないのかを明らかにしよう
一般に自由と平等は対立すると考えられている。もし人々に選択の自由を与えるならば、選ばれる人と選ばれない人が出てきて、社会が不平等になるというわけだ。だから平等を望む人は、自由競争には否定的な人が多い。だが、本当に自由は平等と対立するのだろうか。
英米は、第二次世界大戦で犯した過ちと同じ間違いをイラク戦争で繰り返している。二つの戦争に共通する構造を浮かび上がらせながら、戦争に勝つということはどういうことかを考えてみよう。




