インターネットによる直接民主主義
インターネットが普及したおかげで、有権者が電子投票により、直接公共選択に参加することが技術的に可能になった。問題は、直接民主主義が、現行の間接民主主義よりも優れているかどうかである。
1. 公共選択はどうあるべきか
多くの日本人は、政治に不信感と無力感を抱いている。半数近い有権者は、選挙に行かないし、代議士を自分の代表だとは考えていない。公約違反、収賄、票田の世襲が横行し、民主主義が機能不全に陥っている。政治に民意を反映させるには、有権者が直接政策意思決定に参加するレファレンダム(referendum)が必要である。
レファレンダムの採用は、議会制民主主義を完全に否定するわけではない。議員には、政策立案・法案作成の仕事が残っている。議員に政策パッケージを作らせることで、有権者に過大な負担をかけさせたり、個別に可決された法や政策が相互に不整合となることはなくなる。
有権者が、ネットでの投票を通じて、与えられた政策パッケージに選好順序を与えることで最も高い得点を獲得した案が採択される。こうしたボルダ方式による票の集計は、アナログ投票では時間がかかるが、デジタル投票では簡単にできる。
投票が簡単にできるようになるから、「政策の選挙」だけでなく、「人の選挙」に関しても、従来より範囲を広げることができる。現在、日本国民は、国レベルの行政に対して自分たちの意思を直接に反映させる方法を持たないが、行政の最高責任者は直接国民が選ぶべきだし、その他の行政の上層部も、最高裁判所裁判官と並んで国民審査を受けるべきである。
裁判官の国民審査は、わかりにくくて不評だが、インターネット投票でなら、例えば、過去の論争の余地のある裁判のケースに自分の考えで判決を下し、それらから外れた判決を出した裁判官に、自動的に罷免の票が投じられるようにすれば、陪審制度など導入しなくても、国民の声を司法に反映させることができる。これ以外の投票でも、工夫次第で、わからないから棄権するという人の数を減らすことができる。
2. セキュリティ上の問題はないのか
電子投票システム自体は、国内外で普及しつつある。日本でも、2002年に電子投票特例法が施行され、条例を定めるならば、地方自治体の選挙では、有権者が投票所に出向き、電子投票を行うことが可能となった。電子投票には、開票時間の短縮や人件費削減などのメリットがあるが、他方で、セキュリティ上の問題も指摘されている。2004年に行われたアメリカ大統領選挙では、電子投票が導入されたものの、投票結果が出口調査の結果と大きく食い違うケースが多数あり、ブッシュ陣営による陰謀がささやかれた。
こうした不正は、従来の選挙でも起きうることだが、電子投票、特にインターネットを使った投票では、権力者による干渉やハッカーによる侵入で、集計結果が不正に操作されたり、プライバシーが侵害されるといった不安がより大きいことも事実である。
しかし、ここで、インターネットはもともと、情報処理を脱中心化することでリスクを分散させる軍事技術であったことを思い出さなければならない。権力者による干渉やハッカーによる侵入は、集計主体が一つしかないと容易だが、集計主体の数が増えるにつれて困難になる。これまで非公式に出口調査を行ってきたマスコミを、正式な集計協力者として参加させ、投票結果を多重チェックできるようにすれば良い。
具体的に投票方法を説明しよう。まず、投票のたびに有権者にID番号を割り当て、ID番号とパスワードを有権者に通知すると同時に、そのリストを集計協力者に配布する。これと並行して、投票ソフトが集計協力者に配布され、各協力者は、社内でテストを行い、プログラムの精度を検証する。
次に、投票が始まると、有権者は、投票管理委員会、もしくは、自分が信頼を寄せている集計協力者のサイトに行って、投票を行う。投票サイトが複数あるので、たまたまどこかのサーバーがダウンしていても、投票は正常に行うことができる。投票結果は、ネットを通じて、投票管理委員会とすべての集計協力者に送られる。公開プロクシサーバーを使うこともできるようにすれば、集計協力者がIPアドレスから、IDの身元を割り出すことはできないから、投票者のプライバシーは守られる。
投票終了後、IDごとの投票内容は、各サイトで公表され、投票者は、正しく届いていることを確認できるようにする。棄権者も棄権を確認することができる。こうすれば、他人のIDとパスワードを盗んで投票しても、すぐ発覚する。そして、投票管理委員会の結果がすべての集計協力者の結果と一致するなら、投票結果は信用できる。不一致が生じるなら、調査を行って、原因を究明し、意図的な改竄があれば、処罰を行うべきだ。
集計は、即座に行われるので、マスコミには、集計協力のメリットがないと思うかもしれないが、付随的なアンケートの結果は、投票したサイトの管理者にしか行かないので、独自取材の余地がある。
セキュリティ上の問題は、これで解決できる。しかし、直接民主主義には、技術的問題とは別に、以下のような政治哲学的な問題が残っている。
3. 直接民主主義は衆愚政治か
大衆の知的水準は低いので、古代ギリシャのときと同様に、直接民主主義は衆愚政治になると危惧する人がいる。私は、政策決定には、大衆ではなくてエリートがリーダーシップを発揮すべきだという主張には賛成であるが、現在のような《大衆の間接決定=エリートの直接決定》ではなくて、《エリートの間接決定=大衆の直接決定》にするべきだと考えている。
大衆は時間的ないしは能力的制約から、政治の本格的研究・調査をすることができない。だから代議士というエリート(フランス語で選ばれた人という意味)がその仕事を代行して、大衆に選択肢を提示する。大衆はどの選択肢を選んでいいのかわからないので、マスメディアに登場する有識者の意見に耳を傾ける。大衆たちが口にする「自分の意見」の大半は、オピニオン・リーダーというエリートの受け売りである。レファレンダムを導入しても、結局政治を動かすのはエリートである。
それならエリートが直接政治を行った方が効率的だと思うかもしれない。しかしエリートとて欲望を持った存在なのだから、無媒介に権力を手にすると、私利私欲のために職権を濫用する危険がある。だから《エリート》と《権力》の間に《大衆》という中間項を媒介させなければならない。《大衆》というフィルターにかけられることによって、《エリート》の決定は、その不純なエゴイズムが取り除かれて政治に反映されるのである。《大衆→エリート→権力》ではなくて、《エリート→大衆→権力》が、《能力はないが、利害を主張すべき大衆》と、《能力はあるが、利害を主張すべきではないエリート》とのあるべき関係なのである。
4. マスコミは世論操作で政治を左右できるか
国民はマスコミの影響を強く受けるので、マスコミが政治を操作することになりかねないという政治家たちの危惧は、もしマスコミがひとつしか存在しない独占体とするならば、妥当である。しかし実際には、マスコミは複数存在するし、最近では、インターネットの普及により、マスコミによる世論操作は、かつてなく難しくなってきている。ネットで誰でも自分の主張ができる環境がある以上、マスコミの力を過大評価するべきではない。
5. 数の暴力をどうやって防ぐか
数の論理で政策決定がなされるというのは、現在の議会制民主主義でも同じことである。現在の政治システムの問題点は、ある特定の少数の意志、例えば特定の圧力団体の意向が、他の少数の意志を押さえることができるところにある。投票率50%の小選挙区の選挙で、有権者の半分以下の票で当選した国会議員が、半数を少し超える数で政治を動かすのだが、与党の意志は、与党の過半数の意志でしかないことを計算に入れると、有権者の16分の1程度の意見で政治が動くこともあることになる。
この点、多数派の利害が反映されるレファレンダムの方がまだましなのだが、どちらにしても、重要なことは、議論を尽くすこと、優れた提案に対しては、たとえ提案者が少数であったとしても聞く耳を持つことである。そのためにはまず、政策決定のプロセスを、料亭での密談からパブリックな討論の場へと移さなければならない。レファレンダムが行われるようになれば、メディアは、政治家の権力闘争を報道する代わりに、討論会を開くようになるだろう。
6. 地域エゴをどう防ぐか
大衆は自分たちの利益しか考えない。住民投票が地域エゴになりがちなように、国民投票は、主権国家のエゴに走る傾向がある。例えば、廃棄物処理所を建設を認めるかどうかという住民投票をすれば、どこでも否決されるに決まっている。そういう場合は、どこに建設するかを、ロールズが謂う所の「無知のベール」で覆って、まずは、廃棄物処理所を建設した際の周辺住民への補償に関する普遍的な法を決め、しかる後に、広域的な範囲でレファレンダムを行えばよい。エゴを否定するのは、常に普遍的な(相手の立場になることができる)法なのである。
7. 投票回数が増えると投票率が下がる
国民の多くは政治に無関心で、選挙をやっても投票率が低いから、本当の民主主義にはならないと言う人もいる。たしかに、国政選挙を例にとっても、投票率は下落傾向にある。かつて70%前後あった衆議院議員選挙の投票率は、平成8年には始めて60%を切り、参議院議員選挙にいたっては、平成7年に45%にまで落ち込んだ。
このことは政治に関心のある人が、有権者の半分程度しかいないということを意味するのではない。政治に関心があるにもかかわらず、いやそれゆえに、現在の政治に幻滅を感じている無党派層はたくさんいるのである。そうした人々は、おそらくレファレンダムを棄権しないであろう。投票率を上げるには、有権者から、間接民主主義につきまとう隔靴靴痒(かっかそうよう)の感を拭い去る必要がある。
今ある有権者が、法案Bが議会で成立することを希望しているとする。その時、代議制民主主義では、次のような不確定性がある。
- Bを公約にしている代議士Cがいるかどうか不確定
- Cがいても、当選するかどうか不確定
- Cが当選しても、Cが公約を守るかどうか不確定
- Cが公約を守ろうとしても、実現するかどうか不確定
Bが法律となることの価値が大きくても、それにこうした四つの不確定性の確率係数を乗ずると、その積は限りなくゼロに近づく。その結果、多くのサイレントマジョリティにとって、情報を収集したり、投票所まで外出したりするのに必要な時間の機会費用の方が投票の利益を上回ってしまうのである。
インターネット投票なら、自宅で簡単に投票したり、投票についての関連情報を集めたりすることができるので、投票のコストは下がり、不確定要素が減るので一票の価値が増える。だから、投票率は増える。投票回数が増えても、例えば、毎週日曜日には、必ず何らかの投票があるということになれば、かえって忘れる人もいなくなるだろう。
もちろん実際の投票率は、採決事項の内容にもよる。あまりにも特殊な案件で有権者全体の関心を呼ばず、投票率が低くなる場合でも、関係者にとっては深刻な問題であることがあるから、そうした人々による投票の結果はやはり尊重されるべきである。
8. 代議士をどう説得するか
最後に、私の提案したレファレンダムが、本当に実現する可能性があるのかという現実主義者の疑問に答えたい。言うまでもなく、この制度を実現する上での最大の障害は、権力を失う代議士たちである。国政選挙について言うと、憲法改正には衆参両院の総議員の3分の2以上が賛成する必要がある。だが参議院議員が、自らの失業を圧倒的多数で賛成するだろうか。衆議院議員が、自らの権限の縮小を圧倒的多数で賛成するだろうか。そのようなことはまずありえない。
だから、国会議員を説得するために、国民投票が代議士にとっても大きなメリットをもたらすことを示さなければならない。そのメリットとは、A. 圧力団体の拘束やB.党議拘束から自由になって、自分の政治的良心に忠実になれるれるということである。
- 現在各種の圧力団体が選挙後援や政治献金をして自分たちの息のかかった議員を国会に送り込もうとするのは、国会での決定がそのまま政府によって実行されるからである。しかし新しいシステムのもとでは、特定団体の利害を露骨に反映した法案は国民投票で排除されるから、圧力団体は政治に期待しなくなる。その結果、政財界の癒着は弱まるし、そうなれば選挙費用の相場も全体として下がることになるだろう。代議士は民意の伝達者としてよりも、政策立案・法案作成のプロとしての性格を帯びるようになる。政策秘書を増やすことによって、失業する参議院議員の雇用を吸収することができる。
- 代議士は、自分の主義主張と党執行部の方針が食い違うとき、苦悩する。与党の大政党によくあることである。しかし直接民主主義では、もはや過半数を取るための巨大政党は不要になる。その結果多くの小政党ができることになるが、小さな政党では、党執行部と代議士個人の距離は短くなる。またAとの関係で言えば、資金面でも政党の魅力は薄くなる。だから、党が代議士を拘束することがなくなる。
レファレンダムで不利益を被るのは、与党の執行部だけである。与党の主流派が、全議員数の半分の半分だとすると、レファレンダムによって利益を得るのは全議員の4分の3ということになり、3分の2を越える。だから野党と与党の反主流派が足並みを揃えれば、憲法改正は不可能ではない。もちろん与党議員が利権色の強い政治屋ばかりであるならば、このようなわけにはいかない。政治屋が減って政策家が増えることは、レファレンダム導入の結果である以前に前提でもあるのだ。選挙で、土下座をする政治屋ではなくて、政策立案能力のある候補者を選ぶことが、まず第一歩である。
| 書名 | 「憲法九条」レファレンダム |
|---|---|
| 媒体 | 新書 |
| 著者 | 今井 一 |
| 出版社と出版時期 | 集英社, 2003/10 |





非常におもしろいと思いましたが,いくつか疑問があります。
まず,メディアで取り上げられないような細かい法案に大衆が興味を示すとは思えません。そうすると投票率は低くなると思いますし,国家や政治家への漠然とした反発感による反対票の占める割合が高くなってしまいかねません。そのような場合には法案は通りにくくなり,当該法案によって不利益を被るものによる票の買収もなされやすくなるのではないでしょうか。
また,この制度を実施するとして,国会にどのような権能を残すのかがわかりません。法案提出権のみでしょうか。権力分立の観点から,どのような権限分配がなされどのようなチェック・アンド・バランスがはたらくのかを明らかにしていただきたいと思います。
「メディアで取り上げられないような細かい法案」の場合、棄権が増えるでしょうが、有効投票のみをカウントするので、何も決まらないということはありません。
投票者数が減れば、それだけ買収も容易になりますが、それならば、間接民主主義の方が、投票者数がはるかに少ないのだから、買収はそれだけさらに簡単になります。
現在の憲法は、三権分立という形で「権力分立」を実現していますが、三つに分割するだけでは、不十分です。立法・行政・司法に有権者をもっと直接に参加させることで、有権者一人一人に分権することが、究極の権力分立です。具体的な構想については、これから投稿していきますので、またコメントお願いします。
裁判員制度も含めて日本の大衆が政治決定に参加する事は恐らく悲しい結果になるだけと思います。日本は戦前、普通選挙制度を実現したら、帝国が崩壊し原爆が落とされるまで廃墟となった歴史があります。首相公選からネットによる直接民主主義に至るまで刹那願望の極大化をもたらすだけです。宗教の本質は永遠に実現しそうにない未来にあります。人はドラマの最終回は見たいですが見てしまえばそれで終りです。大日本帝国は79年(1867~1946年)で滅亡しました。それでも滅びる時には1000名近い人間が自決しました。司馬遼太郎の死ぬ直前の言葉ではないですが今度の闇は本当に深いです。
http://www.khaleejtimes.com/DisplayArticle.asp?xfile=data/comment/2005/April/comment_April3.xml§ion=comment&col=
王政、貴族政、民主政、私はこの循環を前提とした制度こそが正しく、その育成機関が必要だと考えています。
歴史というものは、螺旋階段のようなもので、循環してはいるけれども、長い目で見ると一定の方向に向かっているものです。
韓国は日本より早くインターネットが急速に普及しました。また、IMF占領によって外資が上場企業が株の過半数を支配しました。その結果、ネチズンと新しい外交政策が生まれました。
http://japanese.joins.com/html/2005/0404/20050404210848100.html
>歴史を理由に、中国、北朝鮮、韓国が同じラインに立つのでは
>ないのか。これが隠れた絵ではないか
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/09/
20050309000089.html
>恐怖の校内暴力組織「一陣会」 性行為イベントも
私は社会がこの方向に進むことを許容できません。産業型植民地、金融型植民地、洗脳型植民地と時代が変わると支配形態も変わります。多数派は必ずしも正しくなく、時に金で買収、時にメディアで誘導、時に宗教で洗脳できます。歴史の不可逆点を越える前に対処しなければなりません。
ご返事ありがとうございます。いくつかコメントをさせていてただきます。
“投票者数が減れば、それだけ買収も容易になりますが、それならば、間接民主主義の方が、投票者数がはるかに少ないのだから、買収はそれだけさらに簡単になります。”
地位も名誉も与えられてその投票行動が明らかにされる国会議員と,インターネットにおいて匿名性・秘密性を確保された一般国民を比べるときに,前者のほうが買収しやすいと本当に言えるのでしょうか。
たとえ買収されなくても,自分に利害関係のない(ように見える)法案については,わざわざ賛成に投じるインセンティヴが働かないのに対し,漠然とした反発感あるいはその他の理由から(例えばネットを介した一種のデモとして)多数の人がわざわざ反対票に投じるような事態も想定しうるように思われるのです。
そもそも,膨大な数の構成員からなる政治社会において,国民の政治問題への無関心・無能力は合理的帰結なのであって,投票コストを多少下げたところで,不合理な決断がなされやすいという問題は解決できないと思うのです。政治問題のために国民にいちいち金と時間と脳みそを使わせるのは非効率的ですし,関心がなければそもそもそんなことは不可能です。ですから,国民に投票させる対象を適切に選別して限定し,細かいことは専門家に任せるという方式が,効率的で国民の利益にかなうのだと思いますし,だからこそ代表民主制が基本的には正しいのだと思うのです(現状がよいという意味ではありません。例えば,政党を介した民意の集約が適切になされるようにするような方向が望ましいように思いますし,エージェンシー問題への対処ももっとなされるべきでしょう。)。
“現在の憲法は、三権分立という形で「権力分立」を実現していますが、三つに分割するだけでは、不十分です。立法・行政・司法に有権者をもっと直接に参加させることで、有権者一人一人に分権することが、究極の権力分立です。”
永井様は権力分立を何のための原理とお考えなのでしょうか。それが明らかでない限り,「究極の」と言われても無内容に思われます。最近の見解では,権力分立とは,(水平的分立については,)立法権,行政権,司法権のうち2つ以上を1つの機関に独占させてはいけない,という消極的な意味で捉えられています(かつては,国家権力を3つに分けるべきだという積極的な意味に捉えられていましたが。)。もし独占させると,チェック・アンド・バランスが保てないからです。永井様のおっしゃる権力分立は,これとは異なる趣旨ということでしょうか。
“地位も名誉も与えられてその投票行動が明らかにされる国会議員と,インターネットにおいて匿名性・秘密性を確保された一般国民を比べるときに,前者のほうが買収しやすいと本当に言えるのでしょうか。”
買収交渉をしなければならない人の数が増えれば増えるほど、ばれるリスクは増大します。
“自分に利害関係のない(ように見える)法案については,わざわざ賛成に投じるインセンティヴが働かないのに対し,漠然とした反発感あるいはその他の理由から(例えばネットを介した一種のデモとして)多数の人がわざわざ反対票に投じるような事態も想定しうるように思われるのです。”
そうしたことは、代議士の選挙でも起きうることです。
“政治問題のために国民にいちいち金と時間と脳みそを使わせるのは非効率的ですし,関心がなければそもそもそんなことは不可能です。”
間接民主主義では、
1. 望ましい政策は何か
2. その望ましい政策を主張しているのは誰か
3. その人は公約を守りそうなのか否か
というたくさんの知識が必要です。直接民主主義で必要なのは、1だけですから、むしろ理想的な政治を実現するために必要な時間と労力は、直接民主主義の方が少なくてすみます。
“永井様は権力分立を何のための原理とお考えなのでしょうか。”
独裁防止のための原理です。特定の個人の意志で政治が動かないようにすることが重要です。
"買収交渉をしなければならない人の数が増えれば増えるほど、ばれるリスクは増大します。"
数以外のファクターの指摘に対するご返事として数の問題を出すのはかみ合っていないように思います。どちらが買収しやすいかは結局よくわかりませんが,数だけで決まるものではないと思います。
"そうしたことは、代議士の選挙でも起きうることです。"
議員選挙で行われる場合と法案投票で行われる場合では後者のほうがより深刻なように思うのです。
"間接民主主義では、……直接民主主義の方が少なくてすみます。"
これは間接民主主義についての通常の理解とは異なるように思います。間接民主主義というのは,個々の議案ごとに国民がいちいち考えて判断せずにすみ,代わりに判断してくれる専門家を選ぶだけでよいという制度ではないでしょうか。(もちろん,国民全体の利害に関わる重要議案は国民に判断させるべきでしょう。現状においては,それは選挙の争点となることを通じて判断されています。また,そういったものに限って国民投票を限定的に導入することも可能でしょう(現状では憲法改正のみですが)。)
もし国民の多くが直接民主主義を望み,個々の政治問題について非常に関心をもっているとすれば,永井様の指摘されるように,間接民主主義のほうが負担が重くなるかも知れませんが,そのような仮定は現実を無視していると思います。
"独裁防止のための原理です。特定の個人の意志で政治が動かないようにすることが重要です。"
了解しました。
“どちらが買収しやすいかは結局よくわかりませんが,数だけで決まるものではないと思います。”
確かに、議員は一般人より買収しにくいでしょう。しかし、レファレンダムでは、そうした違いが、全く問題にならないぐらい、買収しなければならない人数が多いのです。全国規模の投票なら、買収がばれる確率は100%に近いと言ってもよいでしょうし、ばれない規模の買収なら、投票結果に影響を与えません。
“議員選挙で行われる場合と法案投票で行われる場合では後者のほうがより深刻なように思うのです。”
その理由は?
“個々の議案ごとに国民がいちいち考えて判断せずにすみ,代わりに判断してくれる専門家を選ぶだけでよい”
私たちが商品を買うとき、面倒でも、一つ一つよいかどうか判断して買いますね。代わりに判断してくれる専門家を雇うのは例外的なケースでしょう。私たちは、税金を払って、行政サービスを購入する消費者なのです。もっと消費者の選ぶ権利を認めるべきでしょう。
なお、選ぶのが面倒な場合には、信頼している有識者に委任し、その有識者が、委任された数の票をレファレンダムで投票するという制度があっても良いと思います。しかし、そうした制度を認めたとしても、自分で直接投票したいという人の権利を奪うべきではありません。
たびたびご返事ありがとうございます。
"その理由は?"
1つには,国の政策決定に直接関わるからです。2つ目としては,選挙を通じて候補者ないし政党に不満をぶつけることは,基本的には,民主的過程における正しい姿勢だからです。議案に対して関係のない不満をぶつけるのとは違います。
"私たちが商品を買うとき、面倒でも、一つ一つよいかどうか判断して買いますね。"
その場合はコストよりもメリットが大きいからです。集団的な決定における個人の投票はコストが大きい割にメリットが小さくなってしまい,無関心,フリーライドが合理的な帰結になってしまいます。
"代わりに判断してくれる専門家を雇うのは例外的なケースでしょう。私たちは、税金を払って、行政サービスを購入する消費者なのです。もっと消費者の選ぶ権利を認めるべきでしょう。"
集団的な決定においては例外的どころか,むしろ通常です,ある程度以上の規模の団体においては,理事ないし理事会(呼称はいろいろですが。)が業務について決定権限を有し,社員総会(これも呼称はいろいろですが。)は理事の選任や基本的事項の決定をするのが通常でしょう。現行法の株式会社や新会社法の取締役設置会社においては株主総会の権限は大きく制限されており,取締役会で決議すべき事項を株主総会決議で代えることも許されません。集団の構成員に決定権を認めすぎるとかえって構成員にとって有害になるからです。多くの構成員はきちんと判断しようとしないからです。(ただ,株主の権利を強調し,株主総会の活性化を唱える商法学者もたくさんいるのは事実です。永井様はおそらくこのような考えに近いのだと思います。しかし,不合理なことをやれというのは不合理だと思われるのです。)
"なお、選ぶのが面倒な場合には、信頼している有識者に委任し、その有識者が、委任された数の票をレファレンダムで投票するという制度があっても良いと思います。しかし、そうした制度を認めたとしても、自分で直接投票したいという人の権利を奪うべきではありません。"
これはよい考えだと思います。もし実施するなら,やる気だけがあって能力のない人があまり多くないことを願いますが。なお検討してみたいと思います。
“1つには,国の政策決定に直接関わるからです。2つ目としては,選挙を通じて候補者ないし政党に不満をぶつけることは,基本的には,民主的過程における正しい姿勢だからです。議案に対して関係のない不満をぶつけるのとは違います。”
代議士の選挙では、「有名タレントだから」とか「容姿に好感が持てるから」とか「自分と同じ大学の出身だから」とか、政治理念とは関係のない理由で選ばれてしまいます。またセックススキャンダルのような、政治とは関係のない私的なことに対して不満をぶつける現象もよくおきます。
“個人の投票はコストが大きい割にメリットが小さくなってしまい,無関心,フリーライドが合理的な帰結になってしまいます。”
これも代議士の選挙について言えることであって、政策の選挙では、不確定性が少ない分だけメリットが増えます。
“現行法の株式会社や新会社法の取締役設置会社においては株主総会の権限は大きく制限されており,取締役会で決議すべき事項を株主総会決議で代えることも許されません。集団の構成員に決定権を認めすぎるとかえって構成員にとって有害になるからです。”
ほとんどの株主は、キャピタル・ゲインが目当てですから、経営に参加する必要はありません。経営への参加に興味のある人は、大株主になって、実際に経営に口出しをしています。レファレンダムでも、有権者は、自分には全く関係がないと思う事案では、棄権するでしょう。
"代議士の選挙では、「有名タレントだから」とか「容姿に好感が持てるから」とか「自分と同じ大学の出身だから」とか、政治理念とは関係のない理由で選ばれてしまいます。またセックススキャンダルのような、政治とは関係のない私的なことに対して不満をぶつける現象もよくおきます。"
関係のない不満をぶつけることによる弊害の程度の問題でしたから,第2の理由はそもそもおかしかったかもしれません。ただ,間接民主主義においてはそのような現象が政策決定に直接に関わらない点がやはり違うのだと思います。視点を移して表現すれば,さほど質のよくない選挙で選ばれた(全体としてあまり利口とは言えない)議員たちによる政策選択のほうが,無知で無関心な大衆による政策選択よりもまだずっと信用できる,という判断があるということです。ただ,この判断は直感的なものに過ぎませんね。
"これも代議士の選挙について言えることであって、政策の選挙では、不確定性が少ない分だけメリットが増えます。"
まず,買い物の例えが使えないことを説明するために言ったのだ,ということを指摘しておきます。そして,細かな政策についての判断は,どのような形であれほとんどの国民はやりたくもなければやる能力もありません。それを前提にすれば,メリットが増えるとは言えません。むしろ,調査コストが増大し,投票によるメリットも個々の政策限りのものになって減ってしまいかねません。ただ,「政策のパッケージ」をかなり大きなものにすることによってであれば,メリットを大きくし,コストも減らすことは可能でしょう(それなら私は特に反対しません)。その場合には,政党本位の間接民主主義とさほど変わりません。
"ほとんどの株主は、キャピタル・ゲインが目当てですから、経営に参加する必要はありません。経営への参加に興味のある人は、大株主になって、実際に経営に口出しをしています。レファレンダムでも、有権者は、自分には全く関係がないと思う事案では、棄権するでしょう。"
キャピタル・ゲインが目当てであれば,投票を通じて,より効率的な経営をしてもらい企業価値を向上させることについて利益があります。しかし,調査・投票コストがあまりに大きいために,合理的無関心に至ります。大株主であればコストが同じかより低いのに対して投票によるメリットは(議決権の数に応じて)大きくなるので,経営に口を出すインセンティヴができます。民主政治においてはこれは許されません。合理的な判断のできる有権者は,自分に関係があるかどうかやその程度の判断をする前に棄権してしまうでしょう。コストに対してメリットがあまりに小さいからです。そして,もし棄権しなかったとしても,全くの素人によるその選択がどれほど有益かどうかはかなり疑わしいと思います。
“政党本位の間接民主主義とさほど変わりません”
いいえ、大きな違いがあります。政党は公約違反をします。また、公約していないことは、自分らで勝手に判断します。だから政党は信用されず、無党派層が増えるのです。
“さほど質のよくない選挙で選ばれた(全体としてあまり利口とは言えない)議員たちによる政策選択のほうが,無知で無関心な大衆による政策選択よりもまだずっと信用できる”
もしも、有権者が「無知で無関心な大衆」ならば、直接民主主義どころか間接民主主義すら不要ということになりませんか。
“合理的な判断のできる有権者は,自分に関係があるかどうかやその程度の判断をする前に棄権してしまうでしょう。コストに対してメリットがあまりに小さいからです。そして,もし棄権しなかったとしても,全くの素人によるその選択がどれほど有益かどうかはかなり疑わしいと思います。”
これも、直接民主主義批判というよりも、民主主義そのものを否定する発言としか思えません。もしもあなたが、大衆には判断力がないから、民主主義は止めるべきだと主張するならば、賛成はできませんが、少なくとも理解はできます。しかし、直接民主主義はだめだけれども、間接民主主義ならうまくいくというのは理解できません。
"いいえ、大きな違いがあります。政党は公約違反をします。また、公約していないことは、自分らで勝手に判断します。だから政党は信用されず、無党派層が増えるのです。"
有害な公約違反は選挙を通じて当該政党が責任を負うことになります。代表者には,公約しないことについても,自分らで勝手に判断することが求められています。無党派層がなぜ増えたのかについては,いろいろな議論があるでしょうが,政党の存在それ自体に原因がある(つまり政党本位の民主主義はそれ自体成り立ちえない)という議論には説得力を感じません。
また,私の立場からは民主主義を否定するということにはなりません。細かい政策決定については,一般国民は判断をしたくないし,できないという状況のもとで,それでもなおその利益を守り実現するには,代わりに決定を行う代表者たる専門家を選ぶ過程に関与させることが望ましいということです(憲法改正などの国家の基本的事項への直接的参加は別論です。ですから,大きな政策パッケージへのレファレンダムも私は否定しません。そのような場合には国民は無関心ではいられないからです。)。代表者の選挙にあたって国民が判断すべきなのは,その候補者の能力,忠実性,思想傾向,主要論点における意見,などであり,その人が決定に関わるであろう個々の政策についての判断は求められていません。それによって大幅に国民のコストが低減されるわけです。そして,それくらいの判断であれば,ある程度はまともな判断ができると考えられます。日本国民は文字が読めますし,それなりの教養を持っていますし,自由な言論に接することもできます。(完全に無知蒙昧であれば,確かに間接民主主義すら望ましくないでしょう。)
個々の政策について国民全体が判断したがっており,それだけの能力と暇を国民が有しているという仮想の前提の元では,間接民主制はただの中途半端な制度にか見えないでしょう。しかし,現実を前提にすれば,代表民主主義が,それによってあまりたいしたことのない専門家が選ばれるとしても,国民にいちいち直接決めさせたり,あるいは,国民が影響力を行使しえない貴族ないし専制君主に決めさせることに比べればすっとましだと考えられていると思いますし,私もその考えは正しいと思うのです。
連続投稿すみません。
念のため付言しておきますと,私の立場からは,国民が政治についてもっと賢ければ直接民主主義が望ましくなるということにはなりません。国民全体が政治についてもっと賢ければ議員たちはもっと賢いでしょう。それが社会的分業というものです。そして,もし,仮に国民全体が議員たちに近いくらいに政治について賢いとしても(そのような状況はは社会的コストが非常に大きいのですが。),それでもなお,直接民主主義で,かつ,政策パッケージが小さいと,個々の政策パッケージについて合理的無関心となることは避けられません。代表民主主義はメリットを増加させ,コストを低減することで,国民の関心を呼び覚ますことができる手段なのです。(現状ではまだ十分に機能していませんが,改善の余地はあるでしょう。)ただ,大きな政策パッケージと直接民主主義の組み合わせ,あるいは,投票委任の可能な直接民主主義については,なお,検討してみたいと思います。
“無党派層がなぜ増えたのかについては,いろいろな議論があるでしょうが,政党の存在それ自体に原因がある(つまり政党本位の民主主義はそれ自体成り立ちえない)という議論には説得力を感じません。”
例えば、小泉首相の構造改革に共鳴する有権者は、党内に多数の抵抗勢力を抱える自民党に投票するべきかどうか迷ってしまいます。西村真悟の支持者は、左翼系の議員がたくさんいる民主党に投票するべきかどうか迷ってしまいます。政権を担える大政党ほど八方美人を演じようとするので、政策が不透明になります。小さな政党は、政策的に純粋になりやすいのですが、連立を組むと、政権全体の政策が曖昧になります。無党派層は、必ずしも政治に無関心ではなく、むしろ組織の論理で投票する人よりもまじめに政治を考えているからこそ、支持できる政党がないのではないでしょうか。
まじめな有権者にとっての、選択の難易度は、
気に入った政党を選ぶ>気に入った議員を選ぶ>気に入った政策を選ぶ
という順になります。能力に限界があるからこそ、有権者に政策を選ばせるべきなのです。
“国民が政治についてもっと賢ければ直接民主主義が望ましくなるということにはなりません。国民全体が政治についてもっと賢ければ議員たちはもっと賢いでしょう。それが社会的分業というものです。”
もしも賢いだけでよいのなら、選挙で選ばずに、法学や経済学のペーパー試験で選抜すればよいのではないですか。代議士を選挙で選ぶのは、彼らには、有権者の利害の代弁者としての機能があるからです。日本のような通信インフラが充実した社会では、もはや利害の代弁者としての代議士の役割は終わったということができます。
永井俊哉さんの主張とSAさんの主張、どちらも説得力があるなと思いつつ読みました。
読み終えて、考え終えて思ったことを記します。
私は永井俊哉さんの提案するような直接民主主義が理想的なのではないかと思います。
SAさんの主張するように、大衆に細かい判断まで課すのはコストが高すぎ、また政策的にも良好にはなりにくいというのは納得できます。
しかし間接民主主義ではひとつふたつの「大きな民意」が反映され、その他の議論を無視してしまう可能性があります。
例えば①という議論と②という議論が存在し、それに対して政党Aが①に賛成、②に反対、政党Bが①に反対、②に賛成だとします。
選挙の際①が大きな関心を呼び多くの人が①の賛否を意識して投票、Aが当選しました。
ある集団は②に関心を持ち、②の賛否を意識して投票。
すると、①に賛成の者の票は②に反対、①に反対の者は②に賛成の票として入ったも同然となります。
つまり、①に関心があった多くの人が②に関しどう感じていたかを差し置いて、②は否決とされてしまいます。
これと同様のことが起こっていれば、最悪過半数以上の議席を獲得した政党の意見には多くの国民が賛成であるという蓋然性すら怪しくなりませんか。
もしレファンダムが行われれば①の議論には①の賛否で、②の議論には②の賛否で決定が行われます。
もちろん全ての政策に対してレファンダムが行われれば国民の負担は相当なものになりますし、あるべき姿とはいえません。
しかし政策パッケージを大きくしたり、信頼できる有権者に票を託すなど工夫により負担軽減がスムーズに行われれ、許容できる範囲まで軽減されるなら、直接民主主義こそ真の民意の反映に繋がる体制です。
一つきがかりなのは「漠然とした反対」など意見のない投票の蔓延です。
これが解決されないかぎり、今の間接民主主義が妥当でしょうか。
私は永井様の意見を支持します。
国民による直接民主政府という全体主義的社会を形成した方が合理的(国民利益を優先させる事が出来き、国有化が有効的な物になる。)であることはもちろんのこと、現在の議会は国民にとって非常に不透明(例えるならば、金という苔で覆われ、循環のない水槽)で良くわからないものである。というのがもっとも大きいところではないでしょうか?不透明だからどうでも良いという考えを持ってる人間も少なくないでしょう。しかし、直接民主政府を形成した場合それは不透明な物ではなくなる。したがって国政にもっと積極的になる人間が増えるのではないでしょうか?
「直接民主主義は衆愚政治か」
エリートを管理する物を作る事が重要だと思います。アケメネス朝時代神の眼、神の耳と言われた物を国民全体で行えば良いと思います。したがって国政を操作しえるエリートには人権はほぼない方が良いでしょう。
「マスコミは世論操作で政治を左右できるか」
マスコミを国有化すれば良いのではないでしょうか?この場合の国有化は国民の管理下におかれる為非常に有効だと思います。情報の透明化は現代社会においては非常に重要な事だと思います。
「投票回数が増えると投票率が下がる」
投票数が有権者の60%もしくは70%未満の場合その法案を否決すれば良いと思います。大半の支持がない法案を通しても無意味であるというのが私の考えです。投票率を増やすにはどうすれば良いかについてですが、まず義務教育段階での教育、徴兵制の執行(失業者の救済にもなる)、不法入国者の排除などをしてナショナリズムを高揚させれば良いのではないでしょうか?
最後になりますが、私は日本の国政が変わるには日本人のナショナリズムの高揚が必要不可欠だと思っています。精神的より所の無い日本人にとって国に対して愛国心を持たない限り上からの改革、下からの改革も保守的精神が優先され改革は不可能のように思います。
“一つきがかりなのは「漠然とした反対」など意見のない投票の蔓延です。
これが解決されないかぎり、今の間接民主主義が妥当でしょうか。”
自分で判断できないのなら、信用できる人に投票を委託すればよいでしょう。しかし、直接投票したいという人がたくさんいるのに、それを認めないとしたら、問題があるというのが私の主張です。
“国民による直接民主政府という全体主義的社会を形成した方が合理的”
「全体主義」という概念は、共産主義であれファシズムであれ、個人の自由を認めない体制を指す言葉として使われるので、レファレンダムの理想の対極にあります。ただし、レファレンダムによって、全体主義が肯定され、レファレンダム自体が廃止になるというシナリオはあるでしょう。
インターネットを利用するなら直接間接並立民主制のほうがよいのではないでしょうか?
直接間接並立民主制はインターネットを利用しなければ物理的に運用不可能です。
議会の議員の一人一票の原則を崩壊させるかわりに、有権者の一人一票の原則を優先させる。また死票を一切なくすのと同時に直接民主の原則も取り入れる。
システム的には選挙に出馬された方は全員当選し、議会においては、その得票数をそのまま使う。(10万票の方なら10万票を1万票の方なら1万票を。)
話し合いに関しては上位得票の議員さんが今までどおり話し合う。そして下位の得票の議員の方は賛成反対のみにおいてのみ意思表示する。
有権者の方はいつでも政治に参加する権利の委託を行うことができる。それは自分での行使か、別の議員に委託を移すことです。
議員の給料に関してはその信任数に応じて支払う。
のようなシステムのほうがうまく運用できるのでは?
前のコメントで、「選ぶのが面倒な場合には、信頼している有識者に委任し、その有識者が、委任された数の票をレファレンダムで投票するという制度があっても良いと思います」と書きましたが、これは結果として、「直接間接並立民主制」ということになるでしょう。しかし、私は委任される有識者として、既存の議員を念頭においていません。投票コストは平等であり、委任数が多いからといって報酬を出す必要はないでしょう。
返事ありがとうございます。
>私は委任される有識者として、既存の議員を念頭においていません。投票コストは平等であり、委任数が多いからといって報酬を出す必要はないでしょう。
確かにそのとおりだと思います。
永井さんの考えは現在よりもより民主的にうまく運営されると思います。
直接民主主義は絶対に必要です。そしてこのサイトが非常に有意義で勉強になります。しかしこのまま意見交換を続けていくと、とても利用しにくくなってしまうことが心配です。そこで提案ですが、文字の羅列だけでなく概念図のようなものを含めた意見交換の場があればわかり易く理解できるのではないかと思います。ホームページ作成に心得のある方に、お願いしたらいかがですか?
このサイトに掲載している文章の多くは、かつてメールマガジンで配信したものだから、文字ばかりのが多いのです。私は、一応、Macromedia Studio 8 を持っているので、今後は、言葉だけではわかりにくい場合は、画像やフラッシュを使って説明しようと思っています。
はじめまして
ネット時代のデモクラシーのありようを示唆した非常に優れたサイトであると思いました。私は以下のような主張をしています、
年間5-7の重要テーマ毎に公論し、そのテーマについてはどの政党を支持するのかを議会の議決の場に表現する制度 ( 多忙な人は従来の選挙で意志表示しておき、議員は平均得票数約7万票を行使する)
一括一任政治から 直接間接並存というより丁寧なプロセスを提唱しています
私も、直接民主主義と間接民主主義のハイブリッドという方向で新しい案を考えています。
頑張って下さい。
出来る事なら、こういう事を仕事としてやりたいですね。
少しずつよい未来に向かっていると信じたいものです。
政治の不満の多くが、税金が何にどうつかわれるかだと思うので、直接民主主義では、税金が何にどう使うのかを投票で決める事が重要だと思います。
税金の使われた方をすべて国民が判断するのは難しいが、一部でも意味は大きいと思う。
直接民主主義というのは、政治責任を国民が背負うという事が重要なんだと思います。
直接民主主義をどう取り入れていくか、中々適切な答えを見出すのは難しいが、全体的な合理性あるSystemとして素晴しい構想だ。
特に、一旦施行された法律に問題がある時、それを民意に基づいて改正したり、廃止したりすることがとてもやりやすくなると思う。
今の代議制民主主義では決まるまでやたらと時間がかかる一方、一旦決まるとそれに問題があっても柔軟に変え、覆すことがとても難しい。
法律を実際に社会に適応して試す、その結果を見て柔軟に変えていくということが容易にできるようになれば、社会の矛盾が速やかに解決されていくよき国になる。
永井さんはこのような速やかで柔軟な事後改変が担保されているが故に政治制度・法律を実社会で容易に試すことができるならば、社会は圧倒的によくなると思いませんか?
反対です。
議員は選挙によって評価されますが、インターネットを使って政策を投票する国民は評価されません。したがって、国民は政策決定において議員に比べて利己的な感情が先行します。
それは、現実に利益をもたらさない将来志向の政策を支持する人間が減るということを意味します。
もちろん議員にもそういう類の人間はいます。
しかし、割合でいうと議員の方が少ない。議員のほうがましです。なぜなら、上で述べた「選挙で評価されるから」ということと、「いざというときは自分の立場を捨てて(政治生命に賭けて)利他的に決断する人間の割合が国民に比べて多いから」です。
つまり、利他的に決断できる人間の割合が、国民全体より、与党全体の方が多いということです。
たとえば、消費税の導入を思い出して下さい。国民は大多数が反対でしたが、竹下登が無理やり成立させました。
>現在の政治システムの問題点は、ある特定の少数の意志、例えば特定の圧力団体の意向が、他の少数の意志を押さえることができるところにある。
ということですが、これがメリットになることがあるということです。
デメリットとしては、土建屋が異常に儲かってるということがありますが、国民が常に圧力をかけていく、という程度にとどめるのが望ましいです。政治家に裁量権をたーくさんもたせるべきです。
民主主義くそくらえってことです。
議員にとって利他的な決断とは、その支持者にとっては利己的な決断ですから、同じことです。直接民主主義でも、間接民主主義でも、政治というものは、所詮利己主義のぶつかりあいです。
インターネットなど情報技術を活用し直接民主主義実現を目指すハンガリーの政党、インターネット民主党。ご参照ください。
Wikipedia記事リンク:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A