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調整インフレは有害か

国債発行残高は587兆円に達する(2005年1月現在)。この巨額の借金を削減するには、歳出のカットだけでは不十分である。残された方法は二つしかない。増税するか、債務を帳消しにするかである。増税すれば、日本の景気回復に悪影響を与える。そこで、デフレ圧力を弱める後者の調整インフレ政策が脚光を浴びるわけである。

1. 調整インフレとは何か

調整インフレとは、わかりやすく説明すると、日銀がお札を刷って、国の借金を返し、マネーサプライ(通貨供給量)の伸び率を増加させ、通貨価値を下落させることで、経済をデフレから回復させる金融政策のことである。借金が減って、景気が良くなるのだから、一石二鳥の政策である。

借金が棒引きになるのは、国だけではない。国の借金のように、名目でも減額するわけではないが、利子が固定されている債務は、実質的に減価されるので不良債権の償却が容易になる。債権者である預金者は打撃を受けるが、それによって消費や投資が落ち込むことはない。なぜなら、デフレが解消されるからである。

デフレとは、貨幣供給の収縮のことであり、これが原因となって、物価や賃金や資産価値(以下、まとめて物価と呼ぶ)の下落が起きる。物価が下がり続けると、人々は、「今後も物価は下がり、逆に貨幣価値は増え続けるだろう」と予測し、消費や投資を控え、通貨を死蔵しようとする。その結果、経済は不況となり、倒産や失業が相次ぐようになる。だから、問題なのは、物価の下落そのものではなくて、物価が下落し続けるだろうと人々が予期することなのだが、物価下落の予期をくじくには、実際に物価を上昇させるしかない。

調整インフレを行うと、通貨の減価により、為替相場は円安になる。そして、輸入物価の上昇は、更なるインフレ要因として機能する。日本は輸出主導型経済であるから、為替相場が円高である時は、調整インフレは、輸出を後押しするという点でも景気対策になる。実際、日本で最初に「調整インフレ」という言葉が使われたのは、1985年9月のプラザ合意以降に急速な円高が進展した、円高不況の時期だった。

「調整インフレ」と似た用語に、「インフレ・ターゲット」と「量的金融緩和」がある。インフレ・ターゲットは、物価上昇率の目標値のことで、もともと高すぎるインフレ率を抑えるために使われ始めた言葉である。インフレ率を一定以上にするときにも使われるが、手段を特定しないたんなる目標にすぎない。これに対して、量的金融緩和は、調整インフレと同じ意味で使われることが多い。

ただし、日銀関係者は、量的金融緩和を、歯止めのきいた調整インフレと認識しているようだ。日銀が、2001年3月に量的金融緩和を始めた時、銀行券発行残高を越える長期国債を保有しないと明言することで、無節操な国債発行を牽制した。

今回、新しい金融調節方式の実施にあたり、長期国債買い切りオペを増額するのは、あくまで、資金供給オペの未達(いわゆる「札割れ」)が多発するケースなど、所要の資金供給を円滑に実施するうえで必要と判断される場合です。したがって、今後も、国債価格の買い支えや財政ファイナンスを目的として長期国債買い切りオペを増やすということは考えていません。このような趣旨を明らかにするため、今回、これまでの「長期国債買い切りオペは銀行券に対応させる」という考え方を守り、銀行券発行残高を長期国債保有残高の上限とする明確な歯止めも用意しました。

この姿勢は今でも変わらない。

福井日銀総裁は、衆院予算委員会で、財政法で禁止されている日銀の国債の直接引き受けについて、「(財政法の)条文の根底には財政規律の確保と金融政策の有効性を両立させるという非常に重い哲学が含まれている。日銀としては、今後とも国債の直接引き受けを行う考えはない」と語った。

[ロイター 2005/03/01]

したがって、あえて区別を設けるならば、通貨供給量の決定権を日銀が保持し続ける場合が量的金融緩和で、日銀の独立性が侵される場合が調整インフレということになる。こう考えれば、なぜ日銀が、量的金融緩和を行っても、調整インフレは頑なに拒み続けるかが理解できる。

2. 三度目の正直だった量的金融緩和

日銀は、通貨の番人であり、たとえ景気を犠牲にしてでも通貨の価値を守るべきだと考える傾向が強い。そのため、80年代後半のバブルが崩壊した後、日本では長期にわたってデフレが続いたにもかかわらず、日銀は、常に調整インフレに対して否定的な立場を採り続けた。

2.1. 岩田翁論争

マネーサプライ(M2+CD)の伸び率は80年代には円高不況のときを含めて6%以上だったのに対して、バブル崩壊後の90年代には6%未満になってしまった、特に、マネーサプライの伸び率がマイナスとなった1992年には、通貨供給は民間銀行の資金需要に合わせるべきだという受動的な「日銀理論」に対する批判が集まった。

1992年9月に、岩田規久雄は、日銀に次のような勧告をした。

ベースマネーを手形や国債の買いオペなどによって積極的に増やすべきである。ベースマネーを絶対額で減少させて、マネーサプライの増加率を抑制するといった危険な賭けに挑むべきではない。

[岩田規久雄:「日銀理論」を放棄せよ]

これに対して、日銀のエコノミスト、翁邦雄は、資金需要もないのにベースマネーを増やしても、短期金融市場における資金がだぶつき、コール・レートがゼロになる可能性があると言って、日銀理論を擁護した [翁邦雄:「日銀理論」は間違っていない] 。

この論争では、岩田の方が正しいと思う。ベースマネーを増やせば、名目金利はむしろ上昇するはずだし、そもそも、民間の資金需要が日銀の資金供給から独立に決まっているという想定も間違っている。結局、日銀は、金利を引き下げるという伝統的な金融政策に甘んじたため、93年には、不況がいっそうひどくなったが、政府が公共投資を増やすなどして、とりあえず危機は脱した。

2.2. クルーグマン論争

ところが、1997年に、当時の橋本龍太郎内閣が緊縮財政に転じると、再びデフレがひどくなり、北海道拓殖銀行、山一証券がなどが相次いで倒産し、さながら金融恐慌の様相を呈した。この日本経済の危機に対して、マサチューセッツ工科大学の著名なエコノミスト、ポール・クルーグマンが、調整インフレを提案して話題となった。

しかし、この時も、日銀は、ゼロ金利政策が流動性の罠に陥って、機能しなくなっているにもかかわらず、量的金融緩和を拒否した。そこで、小渕内閣が、無節操な積極財政でその場をしのいだ。やがて、加熱するアメリカのITバブルのおかげで、日本経済も、一時的に好景気に沸いた。

2.3. 日銀が重い腰を上げる

2000年にITバブルが崩壊し、2001年3月、世界的にデフレが深刻になって初めて、日銀は、量的金融緩和に踏み切った。表1にあるように、その後、マネーサプライの伸び率が上昇し、表2と表3から伺えるように、1~2年ほどのタイムラグを経て、物価や資産価値が上昇している。日銀が量的金融緩和を始めた翌月、小泉純一郎が内閣総理大臣になり、積極財政に終止符を打ったが、日本経済は好転している。

表1 過去6年間のマネーサプライ(M2+CD)対前年同月比伸び率。
[日本銀行:マネーサプライ時系列データ]
表2 過去6年間の国内企業物価指数総平均の対前年同月比伸び率。
[日本銀行:企業物価指数時系列データ]
表3 2000年2月を規準にした5年間の日経平均(青色)TOPIX(赤色)JASDAQ(緑色)の指数変化率 [Yahoo!ファイナンス]

2003年以降、マネーサプライの伸び率が鈍化していることが気がかりである。マネーサプライの伸び率は、景気の先行指数であり、1~2年のタイムラグを置いて、景気の減速を惹き起こすかもしれない。量的金融緩和が効果を失うならば、次は調整インフレの出番である。

3. 調整インフレ批判への反論

調整インフレに対して、これまで様々な批判がなされてきた。調整インフレに反対する人たちが挙げる理由を一つずつ検討して、なぜ調整インフレが、デフレの時代に必要なのかを改めて、説明しよう。

3.1. マーシャルのkから判断して、既にマネーサプライは過剰である

マーシャルのk(M2+CD/名目GDP)は、1997年以降上昇しており、既に潤沢に流動性が供給されているので、これ以上のマネーの供給は不要だという人は多い。しかしマーシャルのkは、98年の金融危機の時に見られるデフレ局面で上昇する傾向にある。これは、デフレ懸念があるとき、流動性選好が高まって分子が増え、不況と期待物価上昇率の低下により分母の名目GDPが減るためである。だから、マーシャルのkの上昇を理由に金融を引き締めると、デフレスパイラルを加速することになり、危険である。

3.2. 財政出動に歯止めがきかなくなり、ハイパーインフレになる

経済企画庁によれば、1999年現在で10%から12%のGDPギャップが生じており、GDPを480兆円とすると、年間60兆円前後マネーサプライを増やしても、デフレギャップを埋めるために使われるので、悪性インフレにならないことになる。もちろん、過剰なマネーの供給はハイパーインフレをもたらす。戦前の高橋是清蔵相は昭和恐慌を乗り切るために新規国債を日銀に引き受けさせたが、その後財政感覚の麻痺により軍事費が増大し、戦後、ハイパーインフレをもたらした。この前例に対する反省から、現在では政府の発行する国債は、市中消化が原則で、新規発行国債を日銀が引き受けることは財政法・日銀法で禁止されている。歯止めなきインフレはもちろん望ましくはないが、リフレ政策なら許容されるはずだ。財政法第5条に「すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない」とあるが、「但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない」と例外も認めているので、あらかじめ引き受け額の上限を設定した上で行えばよい。

3.3. 金利が上昇し、企業の債務返済が逆に困難になる

ベースマネーを増やせば、名目利子率は上昇するが、実質利子率は逆に下がる。現在名目金利は、短期金利はほぼゼロで、長期金利も2%以下に抑えられていて、超低金利だが、デフレだから実質金利は高い。金利をマイナスにすることはできないので、名目金利がゼロでも、デフレがひどくなるとデフレになった分だけ実質金利は上昇していく。日銀の低金利政策は、今まさに限界に来ている。今後の不当な実質金利の上昇を抑制するためにも、調整インフレは必要である。

3.4. 円安が加速し、マネーの海外流出が加速される

円安になっても、日本は海外の他の多くの国と違って、債務超過国ではないから、外貨建て負債額の膨張という問題に悩まなくてもよい。しかし、逆に円安期待が、国内への融資を減らすのではないかという別の懸念がある。実際90年代の後半から、通貨安・低金利の日本から通貨高・高金利の米国へ大量のマネーが流れた。マネーが海外に流失すると、国内投資の増加が期待できない。だが、もし調整インフレにより金融不安が回避され、景気回復の方向が出てくるならば、円が一方的に売られることはない。98年には金融不安から、1ドル140円を超える円安が進んだが、こうした事態は防ぐことができる。とはいえ、調整インフレは、急激な円高が進行しているという外部環境のもとで行うことが望ましい。その意味で、1ドル100円近くまで円高が進んでいる現在は、調整インフレを行う環境にあると言える。

3.5. ゼロ金利のもとでは、金融緩和の効果は薄い

もし国債の金利が文字通りゼロならば、国債の買い切りオペを行っても、利子の付かない債券の代わりに同じく利子の付かない債券である紙幣を発行するだけだから、金融緩和の効果はない。しかし、短期国債やコールレートは事実上ゼロだが、中長期の国債の金利はゼロではない。したがって、中長期の国債の買い切りオペを行えば、効果があるはずだ。万一それでも不十分なら、格付けの高い社債の買い切りオペを行えばよい。ローリスク・ローリターンの有価証券から、ハイリスク・ハイリターンの有価証券へとオペの対象を広げていけば、必ずいつかはインフレになる。

3.6. インフレ抑制時の国債売り切りオペは日銀のバランスシートを悪化させる

中長期国債買い切りオペによって追加的な資金供給を行うと、景気回復後には資金吸収が必要になるが、その時点では、金利が上がっているので、買い切った額以上の国債を売却することにより、日銀がキャピタルロスを被ることになるのではないかと日銀系エコノミストは心配している。この心配は、もし金融政策の目標が経済のゼロ成長なら正しい。しかし、私たちは、資源の枯渇や環境破壊を惹き起こさない範囲で、経済を持続的に成長させることを望んでいる。日銀法第二条は、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を金融政策の理念としているが、もっと正確に言うならば、金融政策の理念は、「物価上昇率の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」でなければならない。すなわち、金融政策は、常にインフレ寄りにバイアスをかけて行わなければならない。したがって、日銀は放出した資金をすべて回収する必要はない。

3.7. 銀行の預金残高の減少は、貸し渋りを激しくする

期待物価上昇率が銀行預金の利率を上回るようになれば、預金の解約が相次ぐことになり、銀行による融資の回収がひどくなると心配する人がいる。だが貸し渋りと呼ばれる債権回収は本当に望ましくないことなのか。先進諸国において、一般企業の資金調達額がGNPに占める割合は、どこでもだいたい150%前後と同じであるが、間接金融による借入金の割合は、アメリカが19%、イギリスが27%であるのに対して、日本は112%もある。だから日本の銀行は貸し渋りどころか貸し過ぎている。長期にわたる安定した融資を必要とする資本集約的な重化学工業が中心的な役割を果たした時代では、間接金融中心でよかった。しかし知識集約的な情報産業が中心的な役割を果たすようになると、より機動性に富む直接融資が重要になってくる。調整インフレを行えば、インフレヘッジとしての株式に買いが集まる。銀行は今後銀行業務を縮小し、投資信託に力を入れなければならない。

4. 調整インフレを行う前提条件

間接金融から直接金融へマネーが移動しても、国内産業の収益性が低ければ、投資は海外に向かってしまう。また放漫財政が是正されなければ、調整インフレはハイパーインフレになってしまう。だから、調整インフレを行うには、

  1. 日本国内の期待収益率が高い
  2. 円高で海外にマネーが流失する恐れがない
  3. 政府の財政赤字を削減する

といった条件が必要である。BとCは最初のAの条件に依存している。生産性が高まれば、日本への投資が増え、円安が回避され、また税収も増えるので、財政赤字も拡大しない。

では日本の生産性を高めるにはどうすればよいのか。一番効果的なのは、外形標準課税導入である。現行の法人税や事業税のように、利益に課税していると、企業から利益率を高めようとするインセンティヴが失われてしまう。利益を出すことに税というペナルティを課すのではなく、独占禁止という観点から規模の大きさに対して税というペナルティを課すべきである。

もちろん増税によって「小さな政府」を目指す行政改革を遅らせることがあってはならない。「安定した税収を確保するため」といった安易な理由で外形標準課税を導入してはいけない。既存の法人税・事業税を廃止して、それを外形標準課税に置き換え、トータルで増税にならないようにすることが必要である。財政赤字は、あくまでも調整インフレで減らしていくべきである。そしてこれは、中央政府と日銀の仕事である。

読書案内
書名 金融政策の論点―検証・ゼロ金利政策
媒体 単行本(ソフトカバー)
著者 岩田 規久男 他
出版社と出版時期 東洋経済新報社, 2000/07
書名 ドキュメント ゼロ金利 -日銀vs政府 なぜ対立するのか-
媒体 単行本
著者 軽部 謙介
出版社と出版時期 岩波書店, 2004/02/28
[投稿者:Nagai Tosiya|コメント:0個|この記事をYahoo!ブックマークに登録する この記事を含むlivedoorクリップ この記事をFC2ブックマークに登録する この記事をニフティクリップに登録する この記事を含むはてなブックマーク この記事のはてなブックマーク数
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