案内編論文編書籍編雑記編

酒鬼薔薇聖斗の深層心理

1997年3月16日に、小学校4年生だった山下彩花ちゃんを金槌で殴り殺し、5月24日には、小学校6年生の土師淳くん(11歳)の頭部を切断し、神戸市立友が丘中学校正門前中学校正門付近に置いた犯人として、6月28日に、14歳の少年Aが逮捕された。なぜこの少年は、このような事件を起こしたのか。

1. 14歳の少年が起こした猟奇事件

さあゲームの始まりです。
愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ。
ボクは殺しが愉快でたまらない。
人の死が見たくて見たくてしょうがない。
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを。

SHOOLL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇

[朝日新聞大阪社会部:暗い森―神戸連続児童殺傷事件]

挑発的なメッセージが書かれた紙片を、中学校正門前に晒した男児の生首の口にくわえさせ、世間を驚かせた殺人鬼、酒鬼薔薇聖斗は、「中年の変質者」という、逮捕前の世間のイメージとは程遠い、ごく普通の中学生であった。

神戸事件を読む―酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』の著者、熊谷英彦氏のように、酒鬼薔薇聖斗の冤罪を主張する人もいるが、酒鬼薔薇聖斗本人がその可能性を否定している。酒鬼薔薇聖斗の母親が公表した手記には、次のように書かれている。

2002年5月23日(木)仙台に面会に行った時、長男の様子を見て、とっさに判断し、前から胸につかえていた事を聞きました。長男の顔をじっと見て「冤罪という事は、ありえへんの?お母さんは直接あんたの口からはっきり聞かんと、納得出来へんネ!」私は泣きながら聞きました。すると長男は、私の眼をじっと見て、涙を浮かべて、下を向きながら「ありえへん」と一言答えました。

[毎日新聞:2004年3月13日,東京朝刊]

以下、少年Aを酒鬼薔薇聖斗とみなして、少年の動機を分析しよう。

2. 酒鬼薔薇聖斗の家庭的背景

酒鬼薔薇聖斗は、1983年に中流家庭の長男として生まれ、弟たちよりも厳しいしつけを受けて育った。もっとも、厳しく育てたのは父親ではない。父親は仕事熱心で、2-3週間家を空けることもあった。休日出勤も珍しくなく、たまの休みにもゴルフに出かけることが多く、父子の関係は薄かったようだ。

父親の欠如を埋めたのは母親である。母親は世話好きで教育熱心であった。酒鬼薔薇聖斗が小学生だった頃から、地元の子供会の面倒をよくみて、皆が嫌がるPTA役員も積極的に引き受けた。酒鬼薔薇聖斗へのしつけも幼年期から厳しく、小学校以前は午後五時までに自宅に帰らせた。その時刻を過ぎると、家に入れないこともあった。

酒鬼薔薇聖斗にとって、母親が父の役割を果たしたとするならば、母の役割を果たしたのは、祖母である。祖母は、母親に叱られている酒鬼薔薇聖斗をかばってやった。酒鬼薔薇聖斗も祖母には甘えていた。祖母にねだって買ってもらった愛犬を「おばあちゃんの犬」と呼んでかわいがっていた。そして祖母の言うことには反抗せずに従った。

酒鬼薔薇聖斗が小学校5年生のとき、祖母が亡くなった。「おばあちゃんの犬」も、中学に入る頃に死んでいる。これによって、彼は、愛しかつ愛される関係にある他者を失った。両親や学校は彼にとって抑圧者でしかなかった。祖母の死は、酒鬼薔薇聖斗にとって重要な出来事であったに違いないが、検事が記者会見で発表した「祖母が死亡したのをきっかけに死とは何かについて強い関心を抱くようになった」という動機解明には賛成できない。酒鬼薔薇聖斗は、もっと早い段階で暴力に目覚めていたのである。

3. エロティシィズムの目覚め

私は、次の幼児体験に犯罪の原型があったと考えている。酒鬼薔薇聖斗は小学校に入る前、近くに住んでいた少し年上の小学生から奴隷のように扱われていた。幼い酒鬼薔薇聖斗は、このガキ大将の命令で、友達に頭から砂をかけたり、女の子の友達を道路の側溝に突き落としたりといったことをさせられていた。従わないと暴力を振るわれる。酒鬼薔薇聖斗が頭をはたかれ「すいません」と謝っているのを当時の友達が目撃している。

マゾヒズムとサディズムは、鏡像的反転関係にあって、どちらも、バタイユが言う意味でのエロティシィズムの快楽に根ざしている。酒鬼薔薇聖斗は、最初暴力に脅されながら暴力を振るった。しかし引越しでガキ大将と縁が切れた後も、弱いものいじめという苦痛に満ちた、しかし同時にサディスティックな欲望を満たす行為を、強迫神経症患者のように何度も繰り返すことになる。

最初彼の暴力は、カエルや鳩や猫といった小動物に向けられる。酒鬼薔薇聖斗は、後に、鑑定医の質問に対して、次のように答えている。

初めて勃起したのは小学5年生で、カエルを解剖した時です。中学一年では人間を解剖し、はらわたを貪り食う自分を想像して、オナニーしました。

[一橋文哉:酒鬼薔薇は治っていない!

土師淳君の事件が起きる2年前から、須磨ニュータウンでは、虐待された跡のある猫の死体があっちこっちで発見されている。そのすべてが、酒鬼薔薇聖斗によるものかどうかは分からないが、友人の話によると、酒鬼薔薇聖斗は、猫の舌を何枚か塩水に浸した小瓶をジーパンのポケットに入れて持ち歩いていて、「家の天井裏にあと十枚くらいあるから、欲しかったらあげるで」と言っていたとのことである。ある同級生が酒鬼薔薇聖斗の猫虐待の話を言いふらしたため、この同級生は酒鬼薔薇聖斗に殴られることになる。後に酒鬼薔薇聖斗は、「学校の先生に殴られて学校に行かなくなった」と言っているが、これは「同級生を殴ったので学校に行かなくなった」の置き換えのようである。

4. 酒鬼薔薇聖斗のバモイドオキ神信仰

97年2月10日、須磨区で二人の小学生の女の子が、酒鬼薔薇聖斗に棒で殴られ、一人は10日間入院した。女の子は、「男は友が丘中のブレザーを着ていた」と言ったので、被害者の父親は友が丘中学校に「在校生の写真を見せろ」と迫ったが、学校側は「プライバシーにかかわるので見せられない」と拒否。結局捜査は進まないまま、うやむやにされてしまった。97年3月16日、同じく須磨区で小学4年生の山下彩花さんが頭を殴られ死亡。同時に小学3年生の女の子が腹部を刺され2週間のけがを負う。

この時、酒鬼薔薇聖斗は、次のような日記をつけている。

H9.3.16 愛するバモイドオキ神様へ 今日人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」をしました。[…]公園で、一人で遊んでいた女の子に「手を洗う場所はありませんか」と話しかけ、「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。ぼくは用意していた金槌かナイフかどちらで実験するか迷いました。最終的には金槌でやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。ぼくは「お礼を言いたいのでこっちを向いてください」と言いました。女の子がこちらを向いた瞬間金づちを振り下ろしました。[…]また女の子が歩いていました。女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。

[朝日新聞大阪社会部:暗い森―神戸連続児童殺傷事件]

「バモイドオキ」は一字づつ飛ばすと「バイオモドキ」と読める。この言葉は、「野菜」「実験」という言葉とつながっている。酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞社への犯行声明文のなかで、「一週間に三つの野菜を壊します」と言っているが、「野菜」は、無抵抗な弱者、失われた生命のメタファーである。

引用したメモの横には、ノートいっぱいに以下のような図(左)が描かれていた。

バモイドオキ神
バモイドオキ神の図。左の図は『フォーカス』(98年3月11日号)が「少年が書いたもの」と報じたもので、右は、朝日新聞(97年7月19日)が掲載したもの。おそらく、右の図は、記者による模写であろう。[早稲田大学新聞(2002年6月27日(木)発行):資料3]

酒鬼薔薇聖斗は、小学校時代、赤色と白色だけの抽象的な絵を描き、図画の教師に「赤は血液で、白は体液」と説明した。だから、この絵に描かれている黒い粒は血液、白い粒は体液と理解するべきである。

上部に描かれている奇妙な人間は、首は切り離され、手と心臓と血管しかない。それ以外の肉は下に切り落とされているように描かれている。これは供犠[i]で屠られた生贄の姿のようである。イエスが処刑されて神の子となったように、原父が殺害されてはじめてトーテムとして子孫たちから畏怖されたように、生贄は、供犠で屠られてはじめて神聖な存在者となるわけである。だからこの人物は、生贄であると同時にバモイドオキ神でもあるわけである。

[i] 供犠(immolation)とは、生贄を捧げることで、未開社会に見られる富の蕩尽形態である。バタイユによれば、供犠には死の恐怖とともにエロティシズムの快楽があり、供犠の過程で、供犠執行者と供犠される者とは、両者の個体性を際限なく消尽し、至高性を体験する。この至高体験が、供犠が執行される祝祭空間を労働空間から区別する。

下半分を見てみると、右に昼の世界、左に夜の世界が描かれている。昼の世界が、現実原則によって支配されたアポロ的な秩序の世界であるのに対して、夜の世界は、すべての差異=秩序が消滅したディオニソス的な祝祭空間で、快楽原則と涅槃原則によって支配されている。私たちは普通この二つの世界を区別している。昼間仕事でいやなことがあっても、夜飲み屋でそのうさを晴らすというように。職場の上司がむかつくことを言ったからといって、その上司をその場ですぐに殴り倒すわけにはいかない。私たちは我慢し「分をわきまえる」。この分別を失うと、文明は、そして人格は成り立たなくなる。

図では、バモイドオキ神が昼の世界と夜の世界の区別を超越する位置にいる。また下半分には、境界線を侵犯する位置に黒丸が描かれている。この黒丸は、上半分に描かれている、円形図形と線対称になっていて、まるで鏡に映し出された影のように相関している。酒鬼薔薇聖斗は、殺戮によって境界線を侵犯できるかどうか実験をしてみたわけである。そして実験は「成功」した。

日記のなかで、酒鬼薔薇聖斗は、「人間の壊れやすさを確かめる」ことを実験の目的としている。これは生贄となる「汚い野菜ども」が壊れやすいかどうかということと、他ならぬ自分自身の人格が壊れやすいかどうかを確かめる実験でもあったと解釈できる。酒鬼薔薇聖斗は、殺人という超えてはいけない一線をついに超えてしまった。その瞬間、彼は至高のエロティシズムを体験したに違いない。

5. 淳君は「聖なる儀式」の生贄だった

山下彩花さんの死亡を受けて、須磨署は捜査本部を設置した。捜査本部はいいかげんな目撃証言を重視し、事件をシンナー中毒の少年による犯罪と判断し、エリアを拡大して捜査したため、酒鬼薔薇聖斗は容疑すらかけられなかった。「愚鈍な警察署君」が的外れな捜査をしている間に、酒鬼薔薇聖斗は次の供犠の儀式に向かって準備を始める。

H9.5.8 愛するバモイドオキ神様へ ぼくは今14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式「アングリ」を行う決意をしなければなりません。ぼくなりに「アングリ」について考えてみました。「アングリ」を遂行する第一段階として学校を休むことを決めました。いきなり休んでは怪しまれるので、自分なりに筋書を考えました。その筋書はこうです。

[朝日新聞大阪社会部:暗い森―神戸連続児童殺傷事件]

3月16日の「実験」開始からつけている日記はここで終わっている。16日後に土師淳君が行方不明になることを考えると、「アングリ」とは、淳君を屠る儀式のことのようである。もちろんスケープゴートの常として、淳君は、たまたま生贄に選ばれたのであって、酒鬼薔薇聖斗も後に「自分より弱い子をやった」「淳君でなくてもよかった」と供述している。また、なぜ淳君の頭部を切断したのかと聞かれて、「清めの儀式だ、やらなあかん」と答えている。「聖なる儀式」に付けられた名前、「アングリ」は「ハングリー」を連想させる。バモイドオキ神は、血に飢えているのではないだろうか。バモイドオキ神と酒鬼薔薇聖斗は一体だから、バモイドオキ神が飢えているということは、酒鬼薔薇聖斗もエロティシィズムに飢えているということでもある。

バタイユは、供犠の典型として、メキシコの人身御供に注目していた。メキシコ人は、彼らが崇拝する太陽神が血に飢えていて、血を捧げないと太陽が輝くことをやめると信じていた。メキシコ人が戦争や人身御供をするのは、もっぱら太陽神に糧を与えるためだったのである。祭儀の執行人たちは、戦争で獲得した捕虜を俎板の上に投げ倒し、手足と頭をしっかり押さえつけ、黒曜石の短刀を胸にぐさりと突き立て、ぴくぴくと動く心臓を抉り取り、それを太陽に捧げていた。神官は剥ぎ取った血だらけの皮膚を身につけ、生贄の肉は饗宴で振る舞われた。生贄を連れてきた戦士が切り取られた首を片手に踊って、饗宴は締めくくられる。

6. 酒鬼薔薇聖斗の深層心理を解読する

読者の中には、「バモイドオキ神」や「アングリ」は、ビデオか漫画に出てくる名称で、「バイオモドキ」とか「ハングリー」という意味を読みこむことは無意味ではないかと思う人もいるであろう。たしかに酒鬼薔薇聖斗の自室からは、たくさんのホラービデオや格闘技漫画が見つかっているので、出典はそのうちのどれかにあるのに違いない。しかし私が問題にしたいのは、多くの候補があるはずなのに、なぜこの名称が深層心理の働きによって選ばれたのかということである。

深層心理を読むということは、本人ですら意識していない動機を解明するということである。テレビ朝日の『サンデープロジェクト』で、島田伸介が「本当の動機は、本人以外は誰もわからないでしょうね」と言っていたが、実は本人もわかっていないのである。本人がわからないから、精神分析が必要なのである。

酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)という名前の漢字も、「榊原」という普通の漢字を使っていないのだから、明らかに選ばれた意味がある。「酒」は「酔う」、「鬼」は「殺人鬼」、「薔薇」は「赤色の血液」、「聖斗」は「聖なる闘い」の意味である。全体として、殺人鬼が聖なる闘いで流血に酔いしれるというイメージが浮かび上がってくる。また「SHOOLL KILLER」は、「SCHOOL KILLER」の間違いであるが、間違いにも意味がある。「SHOOLL」は、「シュール」と読める。そこには、シューレアリズム(超現実主義)の連想がある。

酒鬼薔薇聖斗には、現実を超えた想像力があった。彼は、淳君の首を絞め、頭部を切断しただけでなく、「魂を出してあげるために」、口の両端を耳付近まで切り裂き、両まぶたにバツ印の傷をつけるなど、入念な細工をした。そうした儀式の作法は、恣意的なものでなく、彼なりに意味のある必然的なものだったはずだ。逮捕後の供述で、酒鬼薔薇聖斗は、家族や学校の話を聞かれても「うーん」と反応が少ないのに、殺害の手口について聞くと、目を輝かせて能弁に儀式の方法についてしゃべったとのことである。

校門前に晒された頭部が発見されてから8日後、酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞に犯行声明文を送っている。その中で、彼は自分を「透明な存在」と称している。この言葉には二つの意味がある。

「透明な存在」とは、常識的には、警察にはつかまらない、目立たない存在ということである。この少年は実際に外から見ている限り目立たない普通の子供であった。学校の教師は「印象の薄い子」と言い、近所の人たちも「道で会えばあいさつする普通の子」と言っている。

「透明な存在」にはもう一つ隠れた意味がある。虚しい、満たされない、つまりハングリーな存在という意味である。英語の want には、欲望と欠如という二つの意味があるが、満たされない存在であるからこそ、メキシコの太陽神のように、絶えず生贄の血を求めるのである。「透明な存在」が「ハングリーな存在」であるとするならば、犯行声明文に登場する「世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」が誰なのかが分かる。バモイドオキ神である。

酒鬼薔薇聖斗は、この「友人」に相談してみたところ、「友人」は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすればうるものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界をつくっていけると思いますよ」とアドバイスしている。こんなアドバイスを中学校の同級生がするとは考えられない。

引用文に続けて、酒鬼薔薇聖斗は、「その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した」と述べている。この箇所は、彼にとって復讐がどういう意味をもつかを示す重要な部分である。

犯行声明文には「義務教育と義務教育を生み出した社会への復讐」が書かれているが、記者会見した検事は、「捜査機関に少年以外の者が犯人であると思わせることにより、捜査を撹乱するために作成したと考えている」とのことである。しかしこの解釈は合理主義的すぎる。もし酒鬼薔薇聖斗が、逮捕される可能性を最小にしようとしている合理的な犯罪者であるならば、捜査機関に字体の手がかりを与えるような犯行声明文を書かないはずだし、ましてや中学生であることをほのめかすような「義務教育への復讐」について言及しないはずである。

ではなぜ、酒鬼薔薇聖斗は、「義務教育への復讐」という大義名分を掲げたのか。その答えは、犯行声明文の中に書かれている。「やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむこともできた」が、「世間の注目をあつめ」「せめてあなたたちの空想の中だけでも実在の人間として認めていただきたい」からである。

後に酒鬼薔薇聖斗は、淳君の首を切ったとき、「大した感動がなかった」と供述している[h]。そこで彼は、エロティシズムの感動を極大化するために、「君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えて」いこうとしたわけである。

[h] 当初、こう報道されたのだが、一橋文哉のレポートによると、酒鬼薔薇聖斗は、淳君の首を絞めながら勃起し、首を切断する瞬間、射精したとのことである。さらに、首を小学校正門に置いた時も、「性器に何の刺激も与えていなのに興奮し、何回もイってしまった」そうである[一橋文哉:酒鬼薔薇は治っていない!]。

栗本慎一郎の言葉を借りるならば、エロティシズムとはパンツを脱ぐ夜の快楽である。パンツを脱ぐためには、パンツという昼の秩序が必要である。そこで酒鬼薔薇聖斗は、学校やマスコミといった昼の世界を彼のゲームに参加させよとしたのである。この彼のもくろみは成功した。テレビでは、連日のように教育評論家たちが出演して、学校批判を繰り返した。彼らは、酒鬼薔薇聖斗のしかけたゲームにまんまとのせられたのである。

7. 酒鬼薔薇聖斗事件は現代特有の現象ではない

犯人が中学生であることが判明すると、マスコミは、学校や家庭や地域社会に問題があるのではないかと疑った。

しかし学校には、酒鬼薔薇聖斗が妄想したような、「教師に鼻血が出るほど殴られる」という事実はなかった。友が丘中学校の校長が、卒業式終了後、不謹慎なところにふらふらと出かけて行って、ゴシップ誌を喜ばせ、世間の顰蹙を買ったが、事件発生当時、学校側に重大な落ち度があったわけではない。

また、母親は、しつけは厳しかったが、所謂「お受験ママ」ではなかった。神戸市には、灘をはじめとする名門私立学校があり、中学受験の競争も激しいところであるが、酒鬼薔薇聖斗は、多くの同級生とは異なって、進学塾に行かず、また二人の弟が通った書道教室にも行かなかった。勉強にはうるさくなかったようだ。

地域社会にも問題はなかった。事件の舞台となった須磨ニュータウンは、兵庫県労働者住宅生協によって開発・分譲された。入居者の多くが労組関係者で、自治会は市内で最も組織力があるとされる。淳君が殺害されたときも、パトロールが自治会活動として行われるなど、コミュニティの連帯は健全であった。

だから、この事件を説明するのに、「学校での管理教育による抑圧」とか「受験競争による心の歪み」とか「地域社会の崩壊」といった、現代文明を批判する評論家好みの決まり文句は使えない。私は、犯行の原因は、幼児期に味わった、弱いものいじめによるエロティシィズムの反復強迫だと思う。この事件は、人類史的にはきわめてプリミティブな欲動から生まれたものであり、現代特有の現象ではない。

8. 事件後の酒鬼薔薇聖斗

酒鬼薔薇聖斗は、逮捕後、身柄を神戸少年鑑別所に移送され、1997年10月20日には関東医療少年院に送致された。2001年11月から2002年11月にかけて、中等少年院である東北少年院で矯正教育を受けた後、関東医療少年院に戻り、2004年3月10日、21歳で仮退院した。

関東地方更生保護委員会の小畑哲夫委員長らは、「再犯の可能性はないと判断した。保護観察に付することが改善更生と円滑な社会復帰のために相当と認めた」と説明している[毎日新聞:2004年3月11日,東京朝刊]。法務省は、「人格が固まった成人が性的サディズムと診断をされると良くなるのは難しいが、男性は思春期にあったため、いい方向に変化した」と言っている[毎日新聞:2004年3月11日,東京朝刊]。

ところが、報道によると、2004年12月、酒鬼薔薇聖斗は、カウンセリングの最中に、女医を押し倒して暴行を働こうとする事件を起こしてしまった[週刊新潮:2005年1月20日号]。この女医は、母親のような役割で酒鬼薔薇聖斗を治療していたのであるが、若くて美人であったために、酒鬼薔薇聖斗は、この女医に恋をしてしまったらしい。

成人した酒鬼薔薇聖斗は、いよいよ本物のエロティシィズムに目覚めたのかもしれない。暴行未遂事件を起こすようでは、性的サディズムが完治したとは言えない。にもかかわらず、酒鬼薔薇聖斗は、2005年1月1日に、関東医療少年院を正式に退院した。このような危険な人物を社会に復帰させて、本当にだいじょうぶなのか。

読書案内
書名 酒鬼薔薇聖斗の告白―悪魔に憑かれたとき
媒体 単行本
著者 河 信基
出版社と出版時期 元就出版社, 1998/05
書名 地獄の季節―「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所
媒体 文庫
著者 高山 文彦
出版社と出版時期 新潮社, 2001/04
書名 暗い森―神戸連続児童殺傷事件
媒体 単行本(ソフトカバー)
著者 朝日新聞大阪社会部
出版社と出版時期 朝日新聞社, 2000/02
書名 少年A 矯正2500日全記録
媒体 単行本
著者 草薙 厚子
出版社と出版時期 文藝春秋, 2004/04/06
[投稿者:永井俊哉|公開日:1999年10月 2日|コメント:50個]
ブログ内移動
カテゴリー内移動
コメント(50)

永井さんがおっしゃるように「犯行の原因は、幼児期に味わった、弱いものいじめによるエロティシィズムの反復強迫」の場合、この少年を修正、もしくは気づく方法はあったのでしょうか?前兆を気づくのはほとんど無理と聞いたことがあります。もしなにかお考えがおありでしたら、伺いたくおもいます。また、この少年が女の子だったなら、つまり少女だったとしたも、こんな惨い事件はおこりえたのでしょうか?

この種の事件が起きる家庭では、父親の存在が希薄であることが多いです。ファルスが存在しないのなら、ファルスを創らなければなりません。酒鬼薔薇聖斗が創ろうとしたファルスは、「バモイドオキ神」であり、土師淳君は、この神に捧げられた犠牲者でした。

少女の場合、家庭内でファルス所有欲望を満たすことができずに、ファルスを求めて家出し、非行に走るというケースが考えられますが、男の子の場合であれ、女の子の場合であれ、エロティシィズム追求型の犯罪を防ぐには、大人が子供たちのファルス同一化欲望あるいはファルス所有欲望を満たす存在でなければなりません。つまりこれは、前兆に気が付いてから何かの対策を講じるといった類の問題ではないのです。

記事を読んでいて気にかかる点がありました。イエスキリストは神の子です。神様がご自分の一人子をこの世界に送ってくださったのです。神は,その独り子をお与えになったほどに,世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで,永遠の命を得るためである。ヨハネによる福音書3:16 イエスキリストは私達の罪のために十字架にかけられたのです。

イエスは処刑前から神の子だったという信仰自体が、処刑後にできたものです。なお、イエスの処刑に関しては、これを御覧ください。

◎ 三位一体とは何か
http://www.nagaitosiya.com/a/trinity.html

イエスがこの世に来られたのは神の愛を私達に伝えるためです。“イエスは処刑前から神の子だったという信仰自体” ヨハネによる福音書20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は,幸いである。」 これはイエスが処刑され復活された後に復活を信じる事が出来なかった弟子の一人に言われた言葉です。私達クリスチャンにとって聖書の言葉は糧です。私達が今日こうして生活できるのはイエスが私達の罪のために十字架にかけられたからです。 目に見えるものを信じるのは簡単ですが,目に見えないものを信じるのは簡単な事でしょうか。 I do not know what I am saying, but I believe that Jesus is God's son. Because, Bible says so. Father, forgive them, for they do not know know what they are doing. Though he loves you and God bless you.
Midori

横レスで申し訳ありませんが、みどり様はイエス=キリスト信仰をここで布教なさろうとしておられるのでしょうか。もしそうならば、それは、TPOにふさわしくない行為だと思います。
一部の慢心に基づく布教熱心なキリスト者は仏教や釈尊の偉大さを認めず、また、阿弥陀仏のおかげて救われ生きているという念仏信者をさげすんだりします。
しかし、神信仰もあったヘーゲルの三位一体についての永井俊哉氏の論文にもある通り、「普遍と特殊」「本質と派生」「本地と垂迹」「本門と迹門」「真理と方便」という対比について、みどりさんはもっと思索を深めるべきだと思います。
パウロの「文字は殺し、霊は活かす」の真意はまさにそこにあります。個体としてのイエスが方便身であったことを理解できないと、過激イスラム教徒と類似のあやまりに陥ります。
永井氏を単なる無神論者だと決めつけて噛みつくと恥をかくことになります。

ここは、酒鬼薔薇聖斗を論じるページですから、イエスに関する議論は、イエスに関するページのコメント欄でお願いします。

I am just saying what you have said was not right. Have I ever 一部の慢心に基づく布教熱心なキリスト者は仏教や釈尊の偉大さを認めず、また、阿弥陀仏のおかげて救われ生きているという念仏信者をさげすんだりします, 永井氏を単なる無神論者だと決めつけて噛みつくOR 布教??????? NEVER. Again I just wanted to tell you that you are giving wrong info. to people who do not know about Christianity. "恥をかくことになります"What is this????? I am so SAD. Thanks anyways.

>人の死が見たくて見たくてしょうがない

「死に関する感心を示している。
それがエロから来ている。」

上記は異常な犯罪へ結びついた。

「でも死に関する関心も
エロイ気持ちも
普通の事ですよね?」

殺人も、人を人だと思わなければ

(これは人との心の交流が出来ない状態であり
 つまり心の交流が出来なければ、人は人でなくなり
そこらへんに落ちている「枯葉」と同じに見えると思われる)

「枯葉」を焼き芋を焼くのに焼いてしまうのと同じ感覚でもいても
おかしくないので、それなら別に普通に出来ると思われるし
(殺人が普通ではなくて「枯葉を焼くのが普通」なのだから人を「枯葉」くらいに思っていなければ普通になるという意味。)

更にばれないと思えば、「枯葉」を焼くくらい、なのだから
信号無視くらいの感覚でいてもおかしくないし

だから深層心理など別にありがちなものだと思われる。
その「枯葉」と「エロ」が結びついただけにすぎないと思われるし
でも他の要素も絶妙に結びついて
(だから普通の要素と普通の要素だが、そういった方向へうまく(?)
結びついたと)

更に結びついたものは「刺激」ですな。

>愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ。

愚鈍と言う言葉が注目ですな。

自分が愚鈍なんですな。幼少に辛くて、麻痺してしまった心は

通常の刺激では満足できないのですな。

人は刺激がないと気が狂うのですな。

だから麻痺した人間と言うのは
強い刺激を求める傾向にあるのですね。

深層心理というのなら、「愚鈍な警察諸君」の

「愚鈍」がとても重要なキーワードですな。

自分でも自分が愚鈍で刺激を求めて、「刺激!刺激!刺激!」と
心で叫んでいるのをあらわしているのですな。

バモイドオキ神も神秘的なものへの憧れでして、
神秘的なものへ憧れる心理と言うのは
自分の潜在の「力」を刺激するものを求めるものが
宗教などへ興味を示すのですね。

つまり神への興味は自分の潜在的な力の「刺激」を求めているのですね。

潜在的な力の刺激を求める事自体は悪い事ではないですよ。
どう結びつくかですね。


という感じですが

これが合っているのかは分かりません。
でも多く一致しているでしょう。

でもだからといって私がその酒鬼薔薇のような心を体験したとか
ではないのですな。少なくとも人を「枯葉」と思って刺したりなど
出来ませんもの。私はね、人を刺す事など出来ないのですよ。

痛さというのがとても分かりますし、人を刺すのと自分を刺すのと
どちらを選ぶかといえば自分を刺しますよ。

ははは、エムだとか思うのでしょうか?
違いますね。人を刺すと私の心が、自分を刺した時より、苦しいから
自分を刺すほうが楽なのですよ。

何故体験してもないのが分かるかというと、それが魔法なんですよ。

そう思います。

>死に関する感心を示している。

ああ、コレなんですけど

人の死に全く

無反応な人のほうがよっぽどおかしいという事です。

まあ、ニュースで誰が死のうが、無反応なのは分かるが

家族とか、身近なものが死んでも

全く無反応な人って、ちょっと恐ろしい。

それはどういう状態の人か分かりませんよ。

ああ、魔法使いなのに、失格ですな。

それ課題にしときます。

>つまり神への興味は自分の潜在的な力の「刺激」を求めているのですね

これは大多数の人ですな。稀に普通に神と共に歩んでいるものも
いるのですがね。

でもだいたいが神秘的な事への憧れや
ミラクルチックな力への憧れですよ。

超能力者みたいな、特別な力というか
特別意識ですね。

でも実際の能力者は、能力があっても、既に、特別意識などないのですね。

それが無いほうが不思議に思うくらいじゃないですか?

またそう思わない能力者は偽物ですよ。

特別意識を持った、本物の能力者など、その意識が起こった時点で
もう偽物になりますな。

>ああ、魔法使いなのに、失格ですな。

上記を見ると、特別意識があるように思えますが

私がその能力者だとは言っていませんし

しかも、魔法など、誰でも使えるのですね。

普通に。ああ、キリスト教さんから、沢山、投稿あったようなので

言わせてもらいますが、魔法など、悪魔とは全然関係ないのですよ。

魔法とはただ、自分の精神の内部に神殿を建てて

神殿の中には回路もあるので、色々と、精神を活用しやすい状態にする。

それだけです。でもその回路を悪く使えば、魔法も最悪です。
でも、根本的に魔法は、神へとのコンタクトです。

神から直接真理を聞く。

それだけです。

>家族とか、身近なものが死んでも

>全く無反応な人って、ちょっと恐ろしい。

上記、ちょっと補足ですけど

これは先程の心の交流がなく平気で殺せるというのとは
違って

死に対して「恐怖」も「感心」も、何も全くないという状態です。

死に全く無反応。

だから、死に無反応な人は、生きているという実感もないのですよ。

生きているという事実にさえ、気がつかないから

死に無反応なのではないですか?

枯葉を切り裂いて、それを校門の前に晒しても、なんとも感じないから、それはエロティシズムではありません。もしも酒鬼薔薇聖斗が、山下彩花ちゃんや土師淳くんを本当に枯葉程度にしか考えていなかったならば、二人の殺害は、エロティシズムの快楽をもたらさなかったでしょう。だから、酒鬼薔薇聖斗は、そこまで鈍感ではなかったということです。

ええ。そうですね。

しかし、人間を人間だと、きちんと認識できている状態、
つまり相手には「刺したら痛みもある」、「生きたいという希望もある」
という事を、もし分かっていたら出来ない事をしている。→殺害

少なくともそれを痛いほどは分かっていないのだと思える。
だから人間に対して見る価値は(相手への尊厳)は低かったと思われる。

その一方で、サディズムのエロティシィズムがあるので
「相手を刺したら痛い」が快感になっているという面。
が、それは大多数の男の性の性質である。
責めて喜ぶ男性。

が、酒鬼薔薇はそのエロティシィズムの性の快感と
人間に対する尊厳を単純に比べたらエロが上まわっている。
エロ度が高いのなら、尊厳を上げればいい事だと思うし
逆にエロ度が低くても、尊厳がもっと低いのなら
同じになるのではないのかと。

で、注意深く見て頂きたい。

>「枯葉」を焼き芋を焼くのに焼いてしまうのと同じ感覚でも

うまい焼き芋→すごい殺害(誰にも出来ない行為の優越感を感じるもの)
枯葉→被害者

つまりその枯葉は誰にも出来ない殺害という特別意識を満足させる為の
特別の枯葉である。枯葉と言っているのは命に対してはそれくらいしか
価値が無いという意味。
枯葉自体にはあまり価値がないが、焼き芋(特別意識)を焼ける枯葉。
そんな訳で、価値のない枯葉だが、特別になる。

だから枯葉なみの尊厳しか感じないが、優越感ももたらす魔法の枯葉だった。

そう理解できます。

まだまだ書ききれませんが、また。

>少なくともそれを痛いほどは分かっていないのだと思える。
>だから人間に対して見る価値は(相手への尊厳)は低かったと思われる。

そういう意味での枯葉。

>初めて勃起したのは小学5年生で、カエルを解剖した時です。中学一年では人間を>解剖し、はらわたを貪り食う自分を想像して、オナニーしました。

でも上記は変わってますな。色々な性癖があるですな。
が、性的興奮の対象などは、想像上であるのなら
規制できるものではないですし

しかし下記、
>ファルス同一化欲望あるいはファルス所有欲望を満たす存在でなければなりません。

ファルス同一欲望が満たっていないのは「不健康である状態だから改善」すべき
ですね。

そして、それが満ちた後はどんな空想をしていても空想ならいいわけで空想すらも規制するというはおかしいですね。

変な空想や妄想も頭の中だけなら行う権利はあると思うのですけどね。
が、それが犯罪に結びつくものなら、空想や妄想すらも規制したほうが良いのでしょうね・・・。

しかし犯罪に結びつくと言っても、国の考えで、人殺し(戦争)が
正義になりうるものであって、なんと曖昧で頼りないものに都合よく合わせなくてはならないのかとも思える。

全人類の深層心理を全く同じものにしたほうがいいのでしょうか?

うーん。犯罪に結びつくものなら、そうなのでしょう。

>枯葉自体にはあまり価値がないが

これはエロとしては興奮の対象としては価値の在るものかも知れないが
人間の尊厳という視点からだと、人間という視点では枯葉並みの価値になる
というの分かりますか?

エロとしての価値など、=価値の無いもの

に思えます。

といいますのは、私がエロとして価値があると言われるのはひどい
侮辱と感じるからです。

エロとしての価値があると言われるのは、人間の尊厳を傷つけるものだと思われる。

やはり自分はエロの存在ではなくて、人間としての尊厳がある存在だと

思ってもらいたいという気持ちから、エロとしての価値など

ゴキブリ並みの価値だと思えるのです。

それとアーキタイプは積み重なっていくから

財産になりますのに。(人間が原始生物だった時からの記憶もあるだろう)

人類共通の財産。共有の財産。

その財産は酒鬼薔薇にもあるだろう。壊れたものもあるだろうが。

でも全くないわけではない。全くなければ、人間が生まれた時は

原始生物となる。なっていないから、ある。

折角の財産のアーキタイプをどう振動、共鳴させれるか。

酒鬼薔薇にどういう象徴で作用できるのか。

象徴は典礼と降りていき元型へ。元型から喚起されたし
エネルギーは、犯罪者への心の共振を促すことも。

難しいですよ。シャーマンなど。

それと

>ファルスが存在しないのなら、ファルスを創らなければなりません。酒鬼薔薇聖斗>が創ろうとしたファルスは、「バモイドオキ神」であり

うんにゃ。これ違うと思われる。

ホッチも酒鬼薔薇と同じ歳くらいの時にさ

「バモイドオキ神」に似ている、ちょっと薄気味悪い神っぽいのを
ノートの最後のページに描いた。

今でもその薄気味悪い神の像を覚えている。

その描いた目的は何だったと思いますか????

自分で神を創造すると、その自分で創造した神から感謝されて
力を与えてくれると錯覚するのですよ。

まあね、適当にノートに描いた(といっても完成度の高い美しく薄気味悪い神)

そんな神などが、創造してくれたから感謝してくれて力を与えてくれるなど

あり得ないでしょうけどね。

だって、描くほうに力などないですし、ただの二次元の絵ですよ。

我々のほうが、3次元なのだから。

その紙に書かれた神など

なんの力もないですけど、その絵を見るとそう思えるのではないですか?

偶像崇拝をしている人は、自分で勝手に偶像を作っているのではなくて、自分は神の力に突き動かされて神の像を作っているのだと考えているのでしょう。だから、彼らにとって、偶像はたんなる物以上のものになります。

永井さん、お久しぶりです。

最近、異常性癖を研究しております。

ホッチも少し考えが甘かったようです。

もっと、異常性癖について、

また、ファルスについて、

深く学びなおして、また、登場致します。

◎ 酒鬼薔薇聖斗は正常な人になって社会に出てくると思えません。
◎ そしてこの人のような人は世の中にたくさんいると思います。
◎ でもこの人たちも苦しんでいると思います。何をどうすればいいのか難しいですね。

 事件が起こったとき、私は13歳でしたが、ニュースを見ていて犯人が14歳と聞きよくやってくれた!っと思ってました。大人たちがようやく自分たちの社会はおかしいと気付いてくれると思ったのです。犯人の気持ちとはちょっと違うかもしれませんが私も社会と学校教育に怒りを感じていたからです。
 大人が人を殺すなら子供だって殺します。子供だって社会に殺されてばかりではないのです。日本中が恐怖に彩られてくのをぞくぞくしながらブラウンカンをのぞいてました。自分にはそこまでのアクションを起こす勇気がなかっただけ。
 犯人の性癖についても理解できてしまう。自分だって何かのきっかけでおかしくなってしまうかも知れない。
 そう思う人間は他にもいるんじゃないでしょうか。それがこの社会がつくった人間の一つの型であったなら社会自体がこれを善だの悪だの判断するのはおかしいですよね。せめて頭ごなしに悪いと決め付けるだけではなく、自分だったらどういう動機があればこんな事をしてしまうのか考えて欲しいです。そういうことを14歳にさせる原因がこの世界にはあるのです。

世間が悪い、大人が悪い、社会が悪い、学校が悪い、親が悪い、家庭環境が悪い。という人はたくさんいますが、それは言い訳ではないでしょうか?

事件当時、私は15歳でしたが、その時からこの考えは変わりません。

私達は恵まれているということを知るべきです。

社会が悪いというのは具体的に何が悪いのでしょうか?この世界の何を知ってますか?

自分が失敗したり、思うようにうまく行かないのは全部人のせいですか?

うまくいくのは、社会のおかげではなく、親のおかげでもなく、学校のおかげでもなく、恵まれた環境のおかげでもなく、自分ががんばったから?自分のおかげ、努力の成果ですか?

恵まれている環境だからこそ、こんなことが出来るのです。
自分のおかれた環境のせいにして、社会を憎み、自分に同情して、人を殺すのです。くだらない。

ハリダーさん、殺された人の気持ちを考えたことはありますか?その家族の気持ちを考えたことはありますか?
もし、殺されたのが自分であっても、『よくやってくれた!』と首を絞められているときに思えますか?『これで社会が変わる』と?『世界がおかしいから、この人はおかしくなったんだ。僕は殺されても仕方ない』と?


彼は自ら選んで人を殺しました。正当防衛でもなんでもなく、私欲のためです。そして、今はもうどこかで普通に生活しているのです。
被害者から奪った命のことは忘れて、のどが渇いたらジュースを買って、眠たくなったら温かい布団の中で眠り、お腹が減ったら御飯を食べて、良い事があれば喜び、悪いことがあれば落ち込む。悲しければ泣き、楽しければ笑うこともできる。かつて、人を私欲のために殺したのに。

いつか、好きな人が出来て恋をして結婚して子供が生まれるかもしれません。
かつて人の子を私欲のために殺したのに。

頭ごなしに、悪いといわせていただきます。彼が悪い。自分の判断で、私欲のために人を殺した彼が悪い。
何の罪もない、言葉通りに何の罪もない5歳の子供を私欲で殺した彼が悪い。

社会に出るならば、自分が少年Aだと名乗るべき。過去を隠し、名前を変えて社会で生活しているのでしょうか?
私が、母ならば、彼を殺してしまうかもしれません。私の命でないことは重々承知です。ただ、このまま許してしまっていいのでしょうか?きちんと償うべきではないでしょうか?本当に罪の意識から反省し、償わなければいけないと心から思っているのであれば、社会に出てくることは出来ないのではないでしょうか?

今25歳、病気や事故がなく健康に生きるとすればあと50年は生きることが出来るでしょう。

被害者とその家族の人生を奪い、狂わせ、苦しめても、彼(加害者)自身の人権は守られているのです。

まったく、生まれた時からすべてに恵まれていますね。

性的欲求を満たす為に人を殺した。
だが、頭部を校門に置くパフォーマンスをしながら肝心の遺体は性的暴行がない。
快楽殺人としてはつじつまがあわない気がする。

エロティシズムは、常識的な意味での性的体験よりも広い意味を持ちます。ですから、首を切ること自体も「性的暴行」の一種です。

酒鬼薔薇聖斗様があの時に行った行動を、今現在の大人たちが忘れているとしたら、それは彼の悪行が無駄になったということになると思うんですね。
あんなに残酷なことが出来ますか。出来ないでしょう。大人でもためらうほどの残酷な行動を、当時の日本は彼にさせたのではないですか。

子供は誰しも、犯罪を犯すために生まれてきたわけじゃない。

子供の世界は小さい。だからそれゆえに簡単に壊れる。大人のように世間をよく知って、それなりに自分のその中での生き方を得ているわけではないから、子供は簡単に途方にくれる。そのときに救いの手が一つだけでもあったなら、彼は変わっていたかもしれない。周りの大人たちが、異常だ、理解できないなどと遠巻きにしなければ、彼は犯罪者としてのレッテルを張られなかったのかもしれない。ま、想像ですけどね。
いつも彼は一人だったと思います。だからこそ自分の中で想像上の友達を創り上げ、自分が生きる意味を示すバモイドオキ神様を遂行し、殺人を自分が生きる目的だと思った。そうするしかなかったんじゃないですかね、やっぱり。

今の時代も、酒鬼薔薇聖斗様は子供の心の片隅に棲んでいますよ。頭角を現さないだけで、ひっそりと息を潜めているんです。
今の世間はどうですか。子供も簡単に犯罪を犯す。人を殺し、騙し、陥れる。
全ては大人がしていることです。ニュースを見て、報道されている内容をしってアホらしくなります。今のご時世、大人も犯罪を犯しているのですから、子供が人を殺すのは当然ですね。

私は私で、彼を尊敬し、敬っています。彼は当時の腐った日本に大きな打撃を与えてくれた方ですから。
でも、今はどうなんでしょう。世の中の人みんな、彼を覚えているでしょうか。
忘れているとしたら、なんと悲しいことでしょう。
彼の悲痛な悲鳴があの事件にはあったはずなのに、ニュースで多くの報道がされるように、事件は新たな事件に押しつぶされ、殺されて行く。
この世界が悲しくてなりません。
でも、私は彼を永遠に忘れないでしょう。私に、希望を与えてくれた人だから。墓場まで持っていくつもりです。

それだけを言いたかったんです。失礼します。

私は小学生の頃の両親の躾は今で言う虐待でした。学校の先生も恐ろしい人が何年かツ多く、棒で殴られたり頬を張られておりました。
誰にも本当の弱い自分は見せられず、怒られても泣くと余計に怒られるので、奥深くに本当の自分を住まわせ、たまに会話をしたりしていました。周りの人間は全て愚弄であり自分以下なのだから何を言われようがどうでも良いという気持ちで居ました。

ある日学校から帰る途中、いつものように誰かと心の中で会話をしていました。
それを「神様」とし目をつぶって歩いてみようと思いましたが、歩道の段差にこけ額を縫う大怪我をしました(笑
そこが運命の分かれ目だったのでしょうか、それから話すことは余り無くなったかも知れません。


また余談ですが、幼少期の頃、近所の姉弟の友達がカエルの口に石を入れ殺したりしているのを見ましたが、私に興奮などは一切ありませんでした。カエルの気持ちなども考えませんでしたしそうすることによりカエルが死ぬことについて何も思っておりませんでした。
彼女たちと拾ってきた子猫を(殺したいという願望は一切なく、可愛がり)体を綺麗にしてあげてる時に水死させてしまいました。
それも快楽や興奮などなくとめどない悲しみと後悔が残っただけでした。
お墓を作り花を添えに行っておりました。


しかし、歳の離れた私の弟や動物を愛でる時に虐めたくなる気持ちが出ます。
それはどのような心理なんでしょうか...

こういう少年犯罪者を見ると、自分がいつかそうなってしまっていたのではと思い恐ろしくなります・・そして自分とは違うところを探したいのかもしれません。


この少年と同い年であり、
同じく大人になった私は今もやはり一人だという感覚は直りません。
唯一、この事を打ち明け全てを受け入れてくれた彼も家族に自分の彼が居るなどと言えない家族に自分の気持ちをあらわせられない事から…一悶着あり、ダメになりました。
それも、8年前の話・・・未だにもう誰にも自分を抱きしめてもらえないままです・・・。


犯罪者を見ると、可哀想だという気持ちになります。
自分ときっと似た淋しさのもっと酷いものを感じるからかもしれません。
こうした犯罪者はとても悲惨で痛ましい事件を起こしています。
被害に遭われた方の、遺族の気持ちも察します。
そして、犯行に及んだ犯人の気持ちも察してしまいます。

>全ては大人がしていることです。ニュースを見て、
>報道されている内容をしってアホらしくなります。
>今のご時世、大人も犯罪を犯しているのですから、子供が人を殺すのは当然ですね。
>私は私で、彼を尊敬し、敬っています。彼は当時の
>腐った日本に大きな打撃を与えてくれた方ですから

あなた自身の何らかの経験・体験による社会と大人への恨みと不信(ベクトル)
を彼の行為と重ね合わせて、自分の恨みを果たしてくれた代弁者と
して見てしまい、彼の行為に共感し満足しているようにしか見えません
貴女と酒気薔薇の持つエネルギー(動機)は全く別質のものですよ?
自分の鬱積・堆積している物が大きいあまり、その復讐の体現者として
彼に自分の姿を投影してるにすぎません、非常に危険な状態ですよ。


加害者を擁護したり崇拝してる人達は必ず

『自分が襲われても貴方は納得出来ますか?』の問いに答えません。

本当に納得されるなら、擁護崇拝される方同士お会いして

交互に殺し合いをされたらいい。

こう書いても必ずしません。 貴方達は無責任な発言をしてるとわかっているから。

もう一度自分の言っている事を被害者側に立って考えて見ましょう。

『被害者の方達は可哀相だけど社会に対して発言した』なんて

おかしな事は言えなくなると思います。

私は無責任な発言により被害者やその周りの方々にどれだけの悲しみを与えたか気づいて欲しいと思います。


自己同一性を見失った人間による自己確立の為の異常行動に過ぎない

①その異常行動がたまたま殺人であった事と
②自己確立の為のツールがテレビというメディアであった事
③そして、その異常行動により快楽を得ていた事

これらの問題点全ては、主体である酒鬼薔薇に起因する訳だが
14という若さで、彼をそこまで至らしめた
「社会」と「家庭」も問題として捉えられるべきではないか?

自分を殺さなきゃ生きづらい世の中での活路を見出す為に
他者を殺すという行為による自己顕在化を図ったのではないか?
倫理規範から大きく外れる事による他者との差異化、及び顕在化
誰もが願望を持ちながらも理性で抑えている感情
それが何かの拍子に溢れ出して、止まらなくなってしまったのではないか?

それらの物事も知らずに生きている人々を「野菜」と表現したのではないか?

彼は突然変異的に生まれた猟奇的殺人犯ではないはずだ。
神などに縋る程に弱りきった弱者である。
そういった者に対する救いの手はないのだろうか。
社会不安は高まるばかりである。


「大人が、社会が悪い」と主張される方に酒鬼薔薇の崇拝者が多いのは何故なんでしょうか?
社会を震撼させたこの事件によって、報復出来たと思ってる方は何が根拠なんですか?
事件が起きて、世間が騒げば世の中が自分にとって都合がいいように変わるとお思いなんでしょうか?

事件は非常に幼く、非秩序型に思えます。

いじめられっ子といじめっ子の経験は殆どの人にあると思います。
私も両方経験しました。

酒鬼薔薇も近所の年上の小学生に虐められてたという事ですが、同じ経験があっても
ここまで根深い憎悪と異常性癖に囚われる人は殆どいないのに、
何故彼は事件を実行するまで思いを膨らませてしまったのでしょうか?

幼い時と大人になった今では全く考え方も違うと思いますが、気質というのは
変わらないものだと私は思います。
一般的に児童が心の変化をかんじてから72時間以内に軌道修正する道を
示してあげないと、時間が経つにつれどんどん根深くなっていくと聞いた事があります。
幼い頃に定着した思想は、心理的に脳内に「忘れた」という形で秘めているものなんじゃないでしょうか?

「カウンセラーの女性を襲った」とありますが、それ自体があるまじき行為で、
性的な衝動にかられて、相手の気持ちを考えずに欲求を満たそうとする思想は、
事件を起こした時と何ら変わらないと思うんです。

彼は事件を心から後悔、反省し、更正をした元加害者。
という「社会的性格」というベールを被る、「世渡り」という知識を身につけた、悪魔のままなのではないでしょうか?
事件の凶悪性を考えると、どうしてもそう考えられずにはいられないのです。

彼がしたのは、ただ彼の欲望を満たす為の行為。
その残忍な欲望が作られたのは、確かに環境のせいかもしれない。
でも家庭とか社会の問題なんて、プールの水の一滴くらいの割合だと思う。
彼が自分で選んで経験してきた事、(読んだ本、映画、美術etc)
それと彼の理念とか世界観とかの、つまり彼の想像力、そこから派生した生き方から起きた欲望だと思います。
社会が豊かになると、余裕ができるから、人間はその暇でいろんな事をしてしまう。
そしてそれが、世界を、人を、楽しく美しくさせるのだと思います。
私は、彼を擁護するつもりはありません。
ただ、世界を美しくさせる事ができないという事はつまらないとおもいます。
そして、それができる人はすくないです。
私もできずにもがいています。
しかし彼はストイックなまでにそれを体現しました。
彼は世界の美しさを知るのが早すぎたか、彼は衝動を抑えられないたちなのか、これがこの事件の問題点だったと思います。
ご遺族となくなられた子供たちがかわいそうです。

コメントさせて頂きます。
皆さん色々と言い分をお持ちのようですが・・・

彼、酒鬼薔薇聖斗を「幼い」とか「神に縋る弱者」だとか…
そう思う、それがそもそもの間違いでないかと

人間的思考では理解ならぬ、私達とは懸け離れた存在、自分にはそう思えるのです。
全く別種の者、自分達の思考では理解する事すら間違っている

ある意味、言わば「神」「悪魔」の類ではないでしょうか。
文字通り、彼が崇拝する「バモイドオキ神」のように。

もちろん彼を例えるのに「神」等と言う言葉を使っているからと言って
彼を崇拝している訳などでは有りませんが。

彼は自分達のような一般的思考で理解するべき人間ではない、
それが言いたかっただけです。

ではでは、14歳の若輩者が失礼しました・・・
子供から見た意見を知って貰いたかったのです。


サカキバラは愛情不足。
愛情を求めていたに過ぎない。
あとの手段なんかはかれが勝手に色々な知識で組み立てただけ。
奴の当時の本音は「愛してくれ!」だ。

女医に恋ができる心をもってたんなら、人を想う心ももってたはず。

彼が人を殺したことは、世間の影響もやっぱあるのかなぁと思う。
それだけじゃないはずだけど。

あと、若かった。
10代のときは 人と違う感性があるし、感受性が高いかどうかだけでも
けっこう周りの景色や色は違って見える。
なんてのは、nagataさんのいう一般的思考ってとこですかね。

まぁ、確かに理解できませんね。
狂っているといえばそうかもしれないけど、それは
殺人の際の殺し方や常日頃の奇行であって、
それ以外は至って普通の考えを持って動いてる。
死体を隠すという考えは、普通。こういうとまず殺すこと自体が普通じゃないと
いわれそうですが。
まぁ殺してしまったのを前提として言っただけです。
けっこう頭よさそうですし。
その点でいうと、ただの異常者の方が動きの予測はつけやすいです。
だからしっかりした考えがあるゆえに、彼という人を私たちが理解することなんて
無理ですね。。

彼は幸せですね。批判であろうと、彼のことについてこんなに
話す人達が、この世の中にはいるんですから。


皆さん何を言っているのですか?足がもつれて天使が来ただけじゃないですか。

父親との接する時間が少ない事、母親が教育熱心な事、学校での虐め、要するに彼にはどこにも逃げ場が見つからなかった。男の子にとって父親の存在はゼッタイです。事件後お父さまもお母さまも彼に愛情を注いであげられなかったことにお父さんなんか得にそうです!休日になるとゴルフへ出かけてしまうのですか?この父親は家族を大切にするよりも自分が第一に大切なんでしょうね。なんかゴチャゴチャした家庭だ。彼の人生は真っ当に生きろといわれても一度自分の手を汚した人間には真っ当な生き方はできないと思います。自分自身がしてきたことを十分に反省してほしいですね。


きちんと更正してないような気がします。
更生中に女性に暴行でしょ?!
ありえないですよ・・・
近くにもし住んでいたらと思うだけで怖いです。

悪いけど1度汚してしまった人はもう元のようには戻れないと思います。

きちんと反省して人に危害を加えないようにしてほしいですね。


 人間も所詮動物です。ただ、人間は知性を持ち、秩序の中で生きなければならない。

 その中にあって、様々な個性があり、その個性として動物的感性のまま振舞うことは許されず、淘汰されるべき。

 なぜなら、「過った理性」に守られ、淘汰されないとなると、動物的感性のまま振舞うことが永遠に継続するからである。

 そのようなことでは愛する家族や友人が脅威にさらされる。

 だからこそ、淘汰しなければならないのだが、そこにもやはり更生の道があると言われれば淘汰するわけにもいかない。更生の道を作ってあげるのは仕方ないのだが、再犯率を考えると、同じ枠組みの中で生活するのは勘弁してもらいたい。

 おそらく研究対象には持って来いの材料だろうから、今でも厳重な監視の下に生活しているとは思う。

 もう二度と枠組みから外れるような事が起こらないでもらいたいと切に願う。

知り合いで、幼少時に長年、両親から酷い仕打ちを受け続け、
(しかも、兄弟の中でその人にだけという状況で)
学校ではいじめにもあっていた人を、知っています。
その人が成長して、犯罪者になったでしょうか。
異常性愛を示したでしょうか。答えは全くのNO。
これから先はわからない、と言う人もいるかもしれませんが、
それは、誰にも言えることですからね。

どのように育っても、
他人から見て「異常」な性癖を持つ人は、生まれます。
私たちはその異常性を恐れ、社会として
世界がどうだ、家庭がどうだと、分析せざるを得ませんが、
万人が納得できる正解は、ないと思います。

私たちにできることは、
個人レベルで彼に共感できるとかできないとか言ってないで、
身近な人に目を向けたり、自分の声を上げることなのでは。
それと、「今」「この社会」において「危険」とされる人について
きちんと見ていく機関をつくってほしいですね・・・・
状況によっては戦争とか虐殺とかできる人種が、
何を、って気がしないでもないですが・・。

彼の絵って「素敵」(うまい言葉が見つかりませんが)じゃないですか?
すごい感性を持っているなぁと思ったのですが・・

愛されたいと思った時期(乳幼児期)にその欲求が満たされないと、言葉や態度で示せなくなったりその「愛されたい」という感情すら自分自信で気づけなくなってしまう
そこからこういうエロティシズムが生まれるんじゃないかと思ったんですが、違うのかな

それはしょうがなかったとしたら、もっと他の部分で彼の才能を認めてあげる人がいれば変わっていたんじゃないかと思いました。

事件に関しては許せない行為ですし、これからの彼の生き方を考える事は私には無理です


細胞にも固体によって優劣があるように
幼女殺人の宮崎や酒鬼薔薇のような人間は
いわゆる欠陥細胞です。

猟奇殺人犯人には、先天的に遺伝子に異常のある者がいるそうで
彼らもその一部じゃないだろうか。

いろいろ皆さん語っているが、彼らに「罪の意識」や「愛のある人間らしさ」
などを基準に語っても無意味に感じます。

彼らに「思いやりや、愛を持て」などと言っっても、
焼肉やステーキを普通に食べて生きる我々に
「殺された牛や豚の気持ちを考えろ」
と諭すようなものでしょう。

天文学的な数の人間がいるんですから
たまにあるんでしょう。。。
こういう欠陥細胞が発生してしまうことが。。。宇宙の法則なのか?!仕方のないこと
なのかも知れませんね。

でもなぜ、こういう人間たちは芸術方面の才能があるのかが不可解です。


この酒鬼薔薇聖斗事件に日本中が衝撃を受けた。私もその一人だ。

いや、衝撃は確かに受けたのだが、それを上回る“恐怖”というものが襲ってきた。

足が震え、胸が熱く、今にも何かが込上げるような・・・・

いつも以上に自分の血管の流れが分かる。脈が分かる。


彼は愛してほしかったのかもしれない。だけど、そんなの誰だってそうじゃないか。愛されたい、嫌われたくない。そのために気に入られようと努力をする。

彼がしたことは努力している人達を馬鹿にしている行為。頑張っているのに、
努力しているのに、目標を失っては一体誰に愛されたいというのだ。
 
自分から愛してくれるかもしれない人を手放してしまったんだ。自分から自分を手放してしまったんだ。自分から社会を学校生活を手放しちゃったんだ。


アングリはハングリーではなく、
「angry」怒りです。

少年は母親に物・ペットとして扱われ育ったので、
自分自身の魂・心・尊命を軽視されているので
殺人を犯した。それは大変わかりやすい経緯です。

少年は心を持った一人の人間として母親に認識されておらず、
母親の私物として育ち、その怒りが爆発したのが
この事件です。昨今の無差別殺人事件も同様です。

「殺すのは誰でも良かった」それは自分が「誰でもないから」。
親に一個の人格を認められない親の所有物であるからです。

自分で何かを創り出す妄想、それが昇華であれば
芸術となったりしますが、それだけの妄想力が母親によって
否定されてしまうと、凄まじい鬱積となり爆発します。


この少年のケースとDVは同一延長上にあります。
母親による侮辱を理解者によって精算しようとするのが
妻を捜して暴力をふるいに行くDV男です。
幼少期から蓄積された屈辱は並大抵ではなく、
自分でも怒りの正体がわかりません。
日本中がこれを理解すべきです。


酒鬼薔薇の第2は出ないかな

僕がなりたい

サカキバラわ神だ

サカキバラはカリスマになっている。
このことは重く受け止められるべきだと考える。

動機や責任能力も確かに重要であるが、結果を重視してほしい。
少年であるというだけで、更生の機会が無条件に与えられるのはおかしい。

安易にまねをする連中も多い。

冤罪もさけられないし、運命は悲しい。基本的人権も大切である。

しかし、この事件を引き起こした凶暴な人間が普通に生活を送るのは正義に反する。

アメリカでは脳の性欲に関する部位を切除し、廃人にして外に出すようである。

事件の結果の重大性に鑑みれば、人権を論ずること自体が吐き気がする。

暴力がなくならないことも現実だが、やはり許せない。

事件を風化させないことが必要であると感じる。


もうすでに自分の性欲を満たすために、何人か殺してそう。
誰にもばれないように上手くやれそうだし。



いろいろコメント読ませてもらいました。
サカキバラを擁護するとかしないとか、社会が悪いとかそうでないとか、
とにかく異常な事件であったといういことは間違いないようですね。

事件の背景にあるものや、少年の心理分析などは、実際に私が見たわけでも調べたわけでもないので、専門に研究なさっている方たちにお任せしますが、
どうであれ、

「人として、人の命を奪ってはならない!」

という大原則が、理解できていないということでしょう?

この先、このような事件を繰り返さないためにも、事件の詳細な分析は必要だし、また事件を風化させないためにも、この場で皆さんの意見が交わされることはとてもいいことだと思います。

ただ、どういう見方をしても、人の命が奪われたという事実はなくならないし、無視することはできません。
だから、社会がどうの、教育がどうの、などという前に、まずは

「人として、人の命を奪ってはならない!」

という大原則を破った本人が100%悪い! ということでしょう・・・

この大原則を無視して、サカキバラの気持ちが理解できるとか、希望を与えてくれるとかいう人、

あなたたち おかしいでしょ!

社会が悪いんじゃない! 本人が悪いんだって!

なぜ事件が起きたか?より
なぜ人を殺してはいけないのか?を考えなさい!

なぜ人を殺してはいけないのか?     それは、「痛い」からだ・・・


コメントする
Sponsored Links
Recommended Books