有性生殖はなぜ必要なのか
地球で最初に誕生した生物は、無性生殖により増殖していたと考えられるが、進化史上のどこかで、有性生殖が始まり、それが今日生殖の方法の主流となっている。だから、有性生殖には、デメリット以上のメリットがあるはずなのだが、そのメリットとはなんだろうか。
1. 有性生殖は無性生殖よりもコストがかかる
イギリスの遺伝学者、メイナードスミスは、有性生殖には、“性の二倍のコスト the two-fold cost of sex”があることを指摘して、この問題を提起した [Maynard Smith: What use is sex?, Journal of Theoretical Biology 30, 1971, p.319-335] 。有性生殖では、一つの個体を作るのに二つの個体が必要であり、一つの個体が一つの個体を作る無性生殖よりも、倍非効率である。したがって、他の条件を同じにしてシミュレーションしてみると、世代を重ねるうちに、有性生殖をする種は遺伝子プールから淘汰される。
単為生殖ができる性はメスに限られていることからもわかるように、生物の基本はメスである。哺乳類の胚は、性染色体構成がXXであれXYであれ、メスになるようにできており、Y染色体上のSRY遺伝子が働いて始めて、メスになるはずのものがオスに作りかえられる。だから、問題は、なぜメスは、メスだけを作らずに、ほとんどの種において子育てに協力しない、つまり、精子を提供することを除けば種の存続に貢献しないオスという余計で無駄なものを作るのかということである。オスという性を作ったばかりに、オスを生み育てるコストに加え、オスを探すコストまでがメスに重くのしかかる。いったいオスの存在理由は何か。
2. 有性生殖は自然環境への適応力を高めるのか
有性生殖においては、染色体の交叉、すなわち遺伝子組み換えのおかげで多様な個体が作られ、自然選択や性選択(雌の選り好み)により、環境に適応した個体が生き残り、進化が促されるというのが古典的で標準的な説明である。この説は、「ブレイ村の牧師」仮説と呼ばれる [Bell: The Masterpiece of Nature, The Evolution and Genetics of Sexuality, University of California Press, 1982] 。君主の交代があるたびに、それに合わせて、プロテスタントになったり、カトリックになったりする、ある小説に登場する牧師にちなんでそう呼ばれる。
しかし、実際には、環境への適応という点でも、多倍体の有性生殖よりも一倍体の無性生殖のほうが効率的である。無性生殖は、同じ遺伝子を複製し続けるだけだから、変異は生じないと考えられがちであるが、実際には、突然変異その他の理由で、個体間に差異が生じる。無性生殖は、たいがい一倍体(半数体)であるから、遺伝情報がそのまま表現型として表れる。したがって、環境に適応的でない遺伝子は急速に排除される。他方で、環境に適応的な遺伝子が生じると、効率のよい無性生殖により、急速にその数を増やすことができる。
ところが、有性生殖では、ある個体に環境適応的な表現型がたまたま現れたとしても、その個体と他の個体との間にできた次の世代では、その表現型が消えてしまうことがあるし、環境に適応的でない遺伝子が、劣性ゆえに淘汰されることなく残存することもある。環境適応という点でも、有性生殖は非効率的である。無性生物は、多くの有性生物が住む居心地のよい場所よりも緯度や標高が高い苛酷な場所に住む。だから、有性生殖は、厳しい自然環境を生き抜くための工夫ではない [Ridley, Matt: The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature, Chapter 2] 。
3. 有性生殖は遺伝子修復のための機構か
性の誕生を、進化を促進させるための進化としてではなく、逆に進化を否定するための進化として解釈する立場もある。多倍体の有性生物は、DNAのバックアップを持って、一本のDNAにエラーが生じると、DNAポリメラーゼという複製酵素が、変化していない方を原本にして、塩基対合の誤りを修復する。だから、もともと無性生物よりも遺伝情報の変更に対して否定的なのである。そして、配偶子の接合は、バックアップごと損傷を受けたDNAを修復するために行われるというわけだ。
この説にもいろいろなバージョンがあるのだが、有名なものに「ミュラーのラチェット」仮説がある [Hermann Joseph Muller: Some Genetic Aspects of Sex, American Naturalist 66, 1932, University of Chicago, p.118-138] 。無性生殖だと、コピーミスが不可逆的に蓄積していくので有害だという説である。なお、ラチェットとは、逆転止めの爪と組み合わせて、一方向だけに回転するように作られている歯車のことである。情報の不確定性が不可逆的に増大するという点で、エントロピーの法則の一つの例と言える。
しかし、この仮説も、無性生殖に対する有性生殖の優位を説明できているとは思えない。一倍体の無性生物では、有害なコピーミスは、直ちに排除され、子孫を残さない。だから、有害な遺伝子がどんどん蓄積するということはない。むしろ有利な「コピーミス」までが「修正」されないだけ、有性生殖よりも優れていると言えるかもしれない。
そもそも有性生殖のようなコストのかかる方法が、遺伝子修復だけのために必要なのだろうか。たんに、修復を確実にするというためだけならば、二倍体を三倍体、四倍体 … にする、つまり、バックアップの数を増やすなど、もっとコストのかからない修復方法が普及してもよさそうなものである。また、もしも性の目的が遺伝子修復だとするならば、なぜ多くの種は、異系交配を好むのかが説明できない。近親であればあるほど、そのDNAは自分のDNAと近い、つまりバックアップとして理想的であるはずなのに、なぜ、近親相姦は回避されるのか [Ridley, Matt: The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature, Chapter 2] 。
性は、DNAのエラーの修復といっても、解読不可能な損傷を解読可能な情報で置き換えることしかできず、解読可能な遺伝子間の不一致を是正することはしない。異質な染色体をどちらか一方に同化させることなく、むしろ交叉させて新しい組み合わせの子を作り出す性が、遺伝情報の保守だけのためにあるのではないことは明白である。問題は、性が作り出す多様性が何のためにあるのかということである。
4. 有性生殖は寄生者対策か
最近注目を浴びている説として、性は、ウィルスなどの寄生者対策として機能しているとする「赤の女王」仮説がある [Leigh Van Valen:A new evolutionary law, Evolutionary Theory, No 1, p.1-30] 。なぜこの仮説がそう呼ばれるかは、後で説明しよう。この仮説は、性を、自然環境ではなくて、社会環境への適応の産物と位置付けるところに特色がある。苛酷な自然環境で有性生殖が行われないのは、ライバルが少なくて、社会環境への適応に力を入れなくてよいからだ。
良好な自然環境の下では、ライバルがたくさんいるので、社会環境への適応が重要となる。生物は多様な寄生者から身を守るために、自らを多様にしなければならない。そうすることで、種全体が滅びることを防ぐことができる。例えば、アフリカには、多くのエイズ感染者と交わっても、全くエイズに感染しない売春婦がいたりするが、そうした、エイズに感染しない遺伝子をたまたま持った人は、有性生殖のおかげで生まれてくるわけだ。
無性生殖でも多様性を作ることはできるが、致死率が高いので、多産多死になってしまう。宿主となるほど大きな生物だと、少産少死の戦略をとらざるを得ないので、機能的に等価な部分だけを組み替える、より安全な方法、すなわち有性生殖が好まれる。コンピュータ・ソフトに喩えると、突然変異が、プログラムの任意のコードを書き換える危険な多様化策であるのに対して、有性生殖は、パスワードのような安全なところだけを書き換える安全な多様化策だと言うことができる。パスワードを多様にするだけでも、外部の侵入者を阻止する上でかなりの効果があるものだ。
5. 宿主は寄生者のスピードに勝てるのか
この説に対しては、寿命の長い宿主よりも寿命の短い寄生者のほうの世代間変化が速いのだから、寄生者対策にならないという批判がある。しかし、どの宿主の免疫システムをも突破できるほどに寄生者の変身が速いとしても、宿主には、寄生者をかわす方法があるのではないかと私は考えている。
またコンピュータの比喩を使おう。世界で最もウィルスの被害を受けているのは、マイクロソフトの製品である。だが、それは、マイクロソフトの製品が世界で最もウィルスに対して脆弱なソフトであるからではない。もっとセキュリティが甘いソフトがあっても、ユーザ数が少なければ、ウィルスにとっては魅力がない。マイクロソフトの製品のように、ユーザ数が多ければ、コンピュータを破壊しながらも、次々と他のコンピュータに感染することで子孫を増やすことができるが、ユーザ数が少なければ、他へと子孫を増やすことなく、壊したコンピュータと一緒に心中してしまうだけということが多いからだ。
ということは、レアなソフトを使うことには、ウィルスに狙われにくいという利点があるということであって、そのためなのか、少し前までは九割以上のシェアを誇ったマイクロソフトのインターネット・エクスプローラも、最近ではシェアを下げている。蓋し、マイクロソフトによるブラウザ独占を阻止する最大の功労者は、合衆国司法省ではなくて、コンピュータ・ウィルスである。
話を生物に戻そう。たとえ寄生者に対する免疫がある個体があっても、それが少数派であるならば、寄生者は、あえて侵入のために変身しない。寄生者が多数派全部に感染するにはかなり時間がかかるので、その間、抵抗力を持つ少数派は、少数派ゆえのモラトリアムを利用して、数を増やすことができる。そしてかつての少数派が多数派になり始めると、寄生者はその多数派に感染するために、変貌を遂げる。その間、宿主は、有性生殖を通じて、新たな組み合わせを模索する。
これではいたちごっこではないかと思うかもしれない。その通り。それがこの仮説に「赤の女王」仮説という名前が付いている所以なのである。「赤の女王」は、『鏡の国のアリス』で、「同じ場所に留まるには、全速力で走らなければならない」 [Lewis Carroll:Through the Looking-Glass and What Alice Found There, Chapter 2] と言っている。生き残るには、寄生者とのレースに勝たなければならないが、それによって、寄生者がいない時と比べて、何か改善されているわけではない。
6. オスはなぜ存在し続けるのか
ウィルスは、ともすれば、たんなる破壊者としてしかみなされないが、ウィルスの本命は、宿主と一緒に死ぬことではなく、宿主を殺さずに、自分の遺伝子を組み込むことである。もともと地球上の生命は、RNAウィルスで、逆転写酵素によって、自らの情報をDNAに安定的に保存することに成功して以来、そのDNAに割り込もうとする寄生的なレトロウィルスの攻撃を受けることになる。
生物を支配する遺伝子をメスと餌場を支配するアルファオス(ボス)に喩えるならば、ウィルスは放浪オスで、放浪オスがメスと餌場を乗っ取ろうとアルファオスに戦いを仕掛けるように、ウィルスは、細胞の支配権を奪い取ろうと、既にボスのいる生体に進入してくる。放浪オスが、アルファオスの放逐に失敗したり、あるいは成功しても、メスまでを殺してしまったり、メスから交尾の同意を得られなければ、子孫を残すことができず、再び新たなハーレムを求めてさまようしかないように、ウィルスも、新たな感染先を探すしかない。
多くの生物学者は、自分の遺伝子を後世に伝えることが生物の究極の目的だと考えている。そうだとするならば、寄生者対策としての有性生殖は、きわめてパラドキシカルである。ウィルスによって遺伝情報を変えられることを防ぐために、有性生殖によって遺伝情報を変えるということは、暴力団から店を守るために暴力団を用心棒として雇うようなものだからだ。暴力団に金を渡さないためには、暴力団に金を渡さなければならない。お望みとあらば、雇った暴力団を「警察」あるいは「軍隊」と呼び、上納金を「税金」と呼んでもよい。
冒頭で、オスの存在理由を問うたが、子育てをせずに戦争ばかりしているオスは、メスにとって余計な負担以外の何物でもないのだが、見知らぬオスに支配されるよりも馴染みのオスに支配されている方が、リスクが低いから、メスたちは既存のオスを用心棒として養うしかない。
軍隊のない平和な世の中のほうが理想的であるように、無性生殖のほうが有性生殖よりも理想的である。だが、実際には、軍隊を廃止したり性を廃止したりすることはできない。ある国が軍隊を廃止しても、他の国の軍隊が侵入してくるだけだ。但し、資源のない砂漠だらけの国なら、侵略するだけの魅力がないので、軍隊を置く必要はない。同じ理由で、苛酷な自然環境の下では、生物は性を放棄することができる。
7. 赤の女王の疾走は無意味か
宿主と寄生者との競争は、しばしば軍拡競争に喩えられる。隣国がミサイルの開発に成功し、自国が迎撃ミサイルの開発に成功したとしても、それによって国民の生活が以前より向上するわけではない。赤の女王の疾走は、生物全体に何の利益をももたらさないように見える。
軍拡競争が、科学技術の新分野の開発という思わぬ副産物を生み出すように、宿主と寄生者との競争も、何か思わぬ利益を生命全体にもたらすことはないのだろうか。性の誕生により、生物が多様になり、それによって、生物全体の、変化適応力が向上したと言うことはできないだろうか。
性は、決して自然環境への適応力を向上させることはないが、変化への適応力を向上させるかもしれない。以前、[論文編:環境適応か変化適応か]で書いたように、環境適応と変化適応は似て非なる適応であって、しばしば対立関係にある。有性生殖を行う多倍体の生物では、環境適応に有利な表現型が次の世代で失われたり、不利な表現型が劣性遺伝子として温存されたりするが、これらは、環境適応的ではないにしても変化適応的であると言える。今有利な形質も将来は不利になるかも知れず、逆もまた然りだからである。
資産運用に喩えるならば、一倍体の無性生殖は、最も有望な金融商品にすべての資産をつぎ込む方法で、多倍体の有性生殖は、より魅力のない運用先にも分散投資する方法ということになる。意外な事態に対して強いのは後者の方法である。その意味で、赤の女王の疾走は、必ずしも無意味ではない。
| 書名 | 生命進化8つの謎 |
|---|---|
| 媒体 | 単行本 |
| 著者 | ジョン・メイナード スミス 他 |
| 出版社と出版時期 | 朝日新聞社, 2001/11 |
| 書名 | The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature |
|---|---|
| 媒体 | ペーパーバック |
| 著者 | Matt Ridley |
| 出版社と出版時期 | Perennial, 2003/04/29 |





今回の論文でちょっと気になったところがあったので、質問させてください。「レアなソフトを使うことには、ウィルスに狙われにくいという利点があるということであって・・・」というソフトとコンピュータウイルスの例は大変興味深く思ったのですが、その次のパラグラフ、
“話を生物に戻そう。たとえ寄生者に対する免疫がある個体があっても、それが少数派であるならば、寄生者は、あえて侵入のために変身しない。寄生者が多数派全部に感染するにはかなり時間がかかるので、その間、抵抗力を持つ少数派は、少数派ゆえのモラトリアムを利用して、数を増やすことができる。そしてかつての少数派が多数派になり始めると、寄生者はその多数派に感染するために、変貌を遂げる。その間、宿主は、有性生殖を通じて、新たな組み合わせを模索する。”
との間にはどうも飛躍があるように感じました。それはコンピュータウイルス作成者はターゲットを決めて、その人の意思でウイルスをプログラムしますが、自然界のウイルスの突然変異はランダムで起こると思ったたらです。「寄生者は、あえて侵入のために変身しない。」とありましたが、例え自分たち(ウイルスたち)が宿主と心中することになる変異でも、他の変異と同様の確立で起こりうるだろうし、もし起こったら宿主は“少数派”ゆえにすぐに全滅してしまうのではないかと思います。
たしかに、両者に違いがあるでしょう。コンピュータのように、少数だから侵入しないのではなくて、ウィルスがランダムに突然変異しても、なおかつ侵入できない少数の宿主が存在しうるという違いです。従来の宿主が少なくなってきて、新たな宿主に挑戦する過程は、新たな殺菌剤に対して、菌が新たな耐性を持つ過程と似ていると思います。つまり、遺伝子の変異は、環境とは無関係に、純粋にランダムに起きるのではないということです。
上げられている仮説の紹介も考察も妥当なものと感じましたが、2つ疑問点があります。
疑問点1 前提となっている命題「進化史上のどこかで、有性生殖が始まり、それが今日生殖の方法の主流となっている」の後半は、必ずしも正しくないと思われます。無性生殖のみの生活環をもつ単細胞生物は現在も十分に繁栄しており、主流でもあると考えます。多様な無性生殖のみの種が単細胞生物であるが故に小さ過ぎ、人間に同定されていない、あるいは、日常認識されていないだけではないでしょうか?
私は進化史上のどこかで、有性生殖が始まり、それが今日まで生殖の方法として多くの種において継続しているとすべきと考えます。
疑問点2 上記に関連しますが、タイトル「有性生殖はなぜ必要なのか」です。現在主流とされている地球史の仮説を前提にするとき、無性生殖は生命の初期から現在に至るまで継続し、この方針をとる生命は十分に繁栄しています。また、進化史上のどこかで偶発的に有性生殖が始まり、それが偶発的に今日まで継続し得た、ことも事実です。しかし、有性生殖それ自体が必要であることは、証明不可能と感じます。
地球環境が激変することを思考実験するとき、一部の無性生殖の単細胞生物に有利である条件を想定することは容易いのですが、有性生殖の生物にのみ有利な条件を想定することは困難です。むしろ、地球史規模の過去における生態系のあり方や現在の生態系を考察するとき、有性生殖は、種ではなく生命全体の存続という視点に立つならば、本質的には必要ではないと感じます。
私の主観になってしまいますが、有性生殖と無性生殖には本質的な優劣は存在せず、その生物の置かれた環境あるいは状況に依存して、一見、どちらかにメリット、デメリットがあるようにみえるだけ、と考えることが妥当ではないでしょうか?
有性生殖か無性生殖かは、体が大きいか小さいかだけで決まるわけではありません。比較的体の大きなトカゲやタンポポが無性生殖/単為生殖を行っていたり、微生物が有性生殖を行ったりすることがあります。本文にも書いたとおり、有性か否かは、多くの生物が住んでいる、人気のある、しかし競争の激しい地域に住んでいるか否かということと大きな関係があります。
主流か傍流かということは、社会学的な言葉を使うならば、中心か周縁かということです。東京は、周縁の田舎と比べると、中心であり、多くの人が住んでいる、人気のある、しかし競争の激しい地域です。防犯対策も、のほほんとした田舎よりも進んでいます。有性生物は、東京に住む都会人と同様に、中心的存在なのです。
もっとも、私は、「東京に住んでいる人間は、田舎者よりも偉い」という価値観は持っていません。同様に、「中心に住む有性生物は、周縁に住む無性生物よりも偉い」という価値観も持っていません。しかし、両者の間には、たんに二つの異なったグループという以上の構造的な差異があります。
「有性生殖と無性生殖には本質的な優劣は存在せず、その生物の置かれた環境あるいは状況に依存して、一見、どちらかにメリット、デメリットがあるようにみえるだけ」という考えには、同意します。「個体発生は系統発生を繰り返すのか」で書いたとおり、私もこうした価値相対主義の立場を採っています。
「有性生殖は、種ではなく生命全体の存続という視点に立つならば、本質的には必要ではないと感じます」という主張は、「軍隊は、民族国家ではなく人類全体の存続という視点に立つならば、本質的には必要ではないと感じます」という主張とよく似ています。軍隊や警察が不要な、平和で安全な社会は理想的ですが、現実には、不可能と言ってよいでしょう。
すべて、生物のしくみに意味があるとは言い切れない。
有性生殖と無性生殖が混在しているのは結果であって、意図されたものではないはずだ(宇宙人につくられたのでない限り笑)。
実際、有性と無性が存在していることからも、本質的に必要なものであるかの答えは、今のところ選ばれていない。ぐらいが妥当ではないかと思う。有性と無性があること自体、環境の変化に対する種の多様性という防御策ではないだろうか。
“有性生殖と無性生殖が混在しているのは結果であって、意図されたものではないはずだ”と“有性と無性があること自体、環境の変化に対する種の多様性という防御策ではないだろうか”は矛盾していませんか。我が身を守るという意図なくして防御ができるのですか。
生物が意図的に生き残ろうとする行動はあります。大きな動物に食べられそうになる前に逃げるとか。しかし、種を多様化することで色々な環境のもとで生きることができるようになったということは、例えば一匹の虫や動物ができることではなく、意図的ではないと考えます。その場所で生きていくことができる種だけが結果的に生き延びたという結果論的な話ではないでしょうか。
その結果を生み出しているのは、DNAであり、そこにどういう機構で繁栄の文字が書かれているのかはまだわからないわけですが。
“その場所で生きていくことができる種だけが結果的に生き延びたという結果論的な話ではないでしょうか。”
そうです。私もそうしたダーウィン的なレベルで考えています。
地球誕生より無性生殖が主流に行われていたが、あるときから有性生殖が行われるようになった。そして、人類は無性生殖ではなく現在も有性生殖を選択しているという事実。人類至上主義というわけではないが、地球上でもっとも大きな脳をもつにいたり、進化しているということから、どうして人類は有性生殖を選択したのかますます考させられる。
「無性生物は、多くの有性生物が住む居心地のよい場所よりも緯度や標高が高い苛酷な場所に住む。だから、有性生殖は、厳しい自然環境を生き抜くための工夫ではない。」
と、いうところについて教えて下さい。
・ここでいう無性生物や有性生物とは、メスやオスといった概念を持った生物ということでしょうか。
もし、そうだとすると有性生殖とは意味合いが違うと思うのですが、よく分からないのでお教えください。
・「厳しい自然環境」とはどういった環境のことを言われているのか、よく分からないので教えて下さい。
・小さな日本のさらに狭い地域の、自分の目にとまった限られたものしかみていないものの意見ですが、水や光の多い少ない、風の強い弱い、標高の高低、などの環境要素の両極に近いところに生育するほうが有性生殖をするものが多く、自然環境はそれほど厳しくない(生物同士の競争は激しい)ところには無性(無配)生殖をするものが多いように思います。
ただ、先に書いたように私が観察している地域や種類が偏っていたり、たまたま私が観察したものだけがそうで実際には私が見たものの方が特異なのかもしれませんし、私にとってはどのようにしてそういう考えに至るのかを、どうしても知りたいのです。
ご自身のどういった観察結果からそのような考えに至ったのか、もしくは、どういった信ずるに値する情報からそうなったのかを、宜しくお教えください。
ここで謂う所の無性生物とは、無性生殖を行う生物という意味です。単為生殖/無配生殖も一種の無性生殖ですが、本稿では除外して考えています。
“ご自身のどういった観察結果からそのような考えに至ったのか、もしくは、どういった信ずるに値する情報からそうなったのかを、宜しくお教えください。 ”
本文中に出典を挙げたように、Ridley, Matt: The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature (邦訳名:赤の女王―性とヒトの進化)という本に書かれています。
早速のご回答ありがとうございます。
「本文中に出典を挙げたように、Ridley, Matt: The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature (邦訳名:赤の女王―性とヒトの進化)という本に書かれています。」
ですから、なぜその本に書かれていることをそうだと言い切れるのですか?とお聞きしているつもりです。
その本に書かれていることはその著者の方の立場から書かれていることであって、その本を読んでご自身がどうしてそのように思いこの場で書かれているのか、私には分かりようがありませんので文字にして説明していただけないでしょうか。
直接観察して確かめようとするのは、科学者として正しい態度ですが、研究資金のない普通の個人が、いちいち事実に関して実験なり調査なりにより実証するということは不可能です。したがって、このサイトでは、理論的に考えて疑う理由のない事実については、信じるという方針を取っています。私は、有性生殖が自然環境への適応のためであるという説を疑っていますが、それは事実を鵜呑みにすることによってではなく、本文で指摘したように、理論的に成り立たないからです。
ところで、じばくれいさんは、「小さな日本のさらに狭い地域の、自分の目にとまった限られたものしかみていない」と言っていますが、肉眼で見ることができるほど大きな生物には有性生殖をしている生物が多いので、このような方法では、結論は下せません。問題となっている事実を否定したいのであれば、富士山に登るなり、北極圏に行くなりして、土壌サンプルを採取し、顕微鏡で観察して、無性生殖をする生物が存在しないことを実証しなければなりません。
富も名声もなくどこの馬の骨ともつかない研究者な私の書き方が悪く、頭に血が上られてしまったのかわかりませんが、どうも冷静な受け答えのとは思えないレスでしたので、少し時間をおいたら冷静になって新たに書き直したレスをいただけるのかと、思っていました。
「いちいち事実に関して実験なり調査なりにより実証するということは不可能です。」
とは、不可能だから"やらなくても良い"とか"やる必要が無い"ということとは違うのではないですか。
「理論的に考えて疑う理由のない事実については、信じるという方針を取っています。」
何度も言いますが、なぜ理論的に考えて疑う理由が無いのかを、お聞きしているのです。図鑑に書いてあったからとか、論文に書いてあったからとか、どこかのサイトにあったとか、何でも良いですのでなぜそのように思うのかお聞かせください。
「事実を鵜呑みにすることによってではなく」
何を持って事実と仰っているのかわかりませんが、事実であるならば"鵜呑みにする・しない"に関らず事実なのではないですか。
「本文で指摘したように、理論的に成り立たないからです。」
本文のどちらで理論的に成り立たないと指摘されているのでしょうか。
「無性生物は、多くの有性生物が住む居心地のよい場所よりも緯度や標高が高い苛酷な場所に住む」
このように思う理由を理論的に、お示し下さい。
「肉眼で見ることができるほど大きな生物には有性生殖をしている生物が多いので、このような方法では、結論は下せません。」
とは、私の書いた言葉から推察されるどのような方法のことでしょうか。
「問題となっている事実を否定したいのであれば」
私がどのような事実に対して、否定をしたいと書いているのですか。
「富士山に登るなり、北極圏に行くなりして、土壌サンプルを採取し」
どうしてその場所の土壌サンプルを採取しなければならないのですか。また、否定できるという"何が"わかるというのですか。お教えください。
今回こちらで扱っている「有性生殖はなぜ必要なのか」とは"土壌中の生物のみ”につい書かれていると理解すればよいのですか。
「いちいち事実に関して実験なり調査なりにより実証するということは不可能です。」
と、文頭で書きながら、否定をするために実証しろと書かれた理由を、理論的にご説明下さい。
“富も名声もなくどこの馬の骨ともつかない研究者な私の書き方が悪く、頭に血が上られてしまったのかわかりません”
“「いちいち事実に関して実験なり調査なりにより実証するということは不可能です。」と、文頭で書きながら、否定をするために実証しろと書かれた理由を、理論的にご説明下さい。 ”
文頭で書いた「研究資金のない普通の個人」というのは、私のことです。じばくれいさんのことではありません。もしも私と異なって、じばくれいさんにお金があるなら、ぜひ調査してくださいというつもりで書いたのを誤解したようですね。
“何を持って事実と仰っているのかわかりませんが、事実であるならば"鵜呑みにする・しない"に関らず事実なのではないですか。”
ここで言っている事実とは、真理のことではなくて、理論と対比される、経験的に獲得された事実のことです。経験的に確認された事実との対応と理論的整合性は、真理の二つの源泉ですが、両者の関係をどう捉えるかは、哲学的認識論の問題ですが、私の考えは、「真理とは何か」で簡単にまとめています。
“本文のどちらで理論的に成り立たないと指摘されているのでしょうか。”
以下の箇所が、「有性生殖は自然環境への適応力を高める」という説に対する理論的反論です。
“環境への適応という点でも、多倍体の有性生殖よりも一倍体の無性生殖のほうが効率的である。無性生殖は、同じ遺伝子を複製し続けるだけだから、変異は生じないと考えられがちであるが、実際には、突然変異その他の理由で、個体間に差異が生じる。無性生殖は、たいがい一倍体(半数体)であるから、遺伝情報がそのまま表現型として表れる。したがって、環境に適応的でない遺伝子は急速に排除される。他方で、環境に適応的な遺伝子が生じると、効率のよい無性生殖により、急速にその数を増やすことができる。
ところが、有性生殖では、ある個体に環境適応的な表現型がたまたま現れたとしても、その個体と他の個体との間にできた次の世代では、その表現型が消えてしまうことがあるし、環境に適応的でない遺伝子が、劣性ゆえに淘汰されることなく残存することもある。環境適応という点でも、有性生殖は非効率的である。”
これに対して、以下の部分は、経験的事実に基づく反論です。
“無性生物は、多くの有性生物が住む居心地のよい場所よりも緯度や標高が高い苛酷な場所に住む。だから、有性生殖は、厳しい自然環境を生き抜くための工夫ではない”
要するに、理論と経験的事実の両面から批判したということです。後者に疑問を持つならば、ぜひ検証してみてください。ただし、無性生殖をする生物の多くは微生物ですので、肉眼での観察だけでは、結論は導けません。「自分の目にとまった限られたものしかみていない」というのは、肉眼での観察ということではないのですか。
非常に面白い話で勉強になりました。ありがとうございます。
有性生殖を選んだ生物は、多様な遺伝子を残して変化に適応できることを目指したのですね。
有性生殖生物 => 変化が激しい場所に生息
無性生殖生物 => 変化が少ない場所に生息
何が何でも絶滅を避ける、という戦略のためには、急激な個体数の増大という特性を無駄にしても多様性のある遺伝子を残すのが良いのだと思いました。
今現在を生き残るのに有効な遺伝子だけを強制的に選別しようとする優生主義的な操作は、変化対応力を損なうという意味では有害になりうるということですね。