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    <title>永井俊哉ドットコム書籍編</title>
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    <updated>2008-01-14T10:41:13Z</updated>
    <subtitle>修士学位論文から最新作に至るまで、過去にネットで公表した電子書籍を無料で公開します。</subtitle>
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    <title>なぜ江戸時代は平和だったのか</title>
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    <published>2005-05-07T20:55:04Z</published>
    <updated>2008-01-14T10:40:46Z</updated>

    <summary>1638年に島原の乱が鎮圧されてから幕末まで、200年以上もの間、江戸時代の日本は、戦争も大きな内乱もない平和な国で、人口もほぼ2600万人のまま変化がない安定した社会だった。これは、当時の世界の他の...</summary>
    <author>
        <name>Nagai Tosiya</name>
        
    </author>
    
        <category term="007_entropy" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/b/">
        <![CDATA[<p>1638年に島原の乱が鎮圧されてから幕末まで、200年以上もの間、江戸時代の日本は、戦争も大きな内乱もない平和な国で、人口もほぼ2600万人のまま変化がない安定した社会だった。これは、当時の世界の他の国と比べると驚異的なことで、海外では「パクス・トクガワ」などと呼ばれている。この平和と安定の秘密は何なのか。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 徳川綱吉とルイ14世</h2>
<p>実は、江戸幕府は、幕府開設から百年にして、経済的な危機に瀕していた。ちょうど近代小氷期の最盛期（マウンダー極小期）で、江戸幕府の日本のみならず、世界の国々がインフレに苦しんでいた頃である。前資本主義社会にとっては、資源不足が最も大きな危機であることは、これまで述べたとおりである。例えば、フランスのブルボン朝は、この時の危機を乗り越えられずに、フランス革命で滅亡する。日本の江戸幕府は、この難局をどう乗り切ったのか。</p>
<p>江戸幕府の徳川綱吉（1646～1709）とブルボン朝のルイ14世（1638～1715）は、ほぼ同時代の人物である。ルイ14世が即位したのは1643年で、綱吉が将軍職に就いた1680年よりかなり早いが、ルイ14世も親政を始めたのは、1661年からである。この2人に共通していることは、規律を失った財政支出の拡大により先代で築き上げられた政権の経済的基盤を危うくしたことである。</p>
<p>ルイ14世がいかに奢侈であったかは、いまさら説明するまでもない。ベルサイユ宮殿の建設（1682年完成）と連日連夜の社交会、スペイン継承戦争（1701～1713年）に代表される一連の戦争事業などにより、ブルボン朝は、ルイ14世が死去した頃には、歳入1・45億リーブルに対して、国債残高30億リーブルという巨額の債務を抱え込むことになる。</p>
<p>他方、綱吉も、広大な神社造営、臣下へのばらまき、様々な催し物など、戦争こそしなかったものの、金に糸目をつけぬ消費活動により、幕府の財政を大幅な赤字にした。綱吉と言えば、生類憐れみの令で有名だが、綱吉は特に犬を大切にし、飼い犬をけがさせた者を罰したため、飼い犬を捨てる者が続出した。そこで幕府は、各地に犬小屋をつくって十万頭を養うはめになる。犬小屋の工事費用だけで20万両を使い、さらに「お犬様」の養育費として1匹あたり奉公人の給料に匹敵する額を支出した。こうしたばかばかしい浪費のおかげで、1708年（綱吉が死去する前年）には、幕府の歳出が、歳入60～70万両に対して、倍以上の140万両となり、財政は破綻寸前となった。</p>
<p>いずれの場合でも、巨額の財政支出がハイパーインフレをもたらした。江戸幕府もブルボン朝も、破産寸前になり、それが遠因となってブルボン朝は1789年に滅亡したのに、江戸幕府は1868年まで存続した。何が両者の明暗を分けたのか。なぜ、日本では、フランスのような市民革命が起きなかったのか。フランスほどブルジョア階級が成長していなかったからなのか。あるいは、日本人はお上意識が強くて、権力に従順だったからなのか。また、なぜ日本はフランスのように戦争をする必要がなかったのか。</p>
<p>日本はフランスほどブルジョア階級が成長していなかったからという説明は、江戸時代の日本が農村社会だったという偏見に基づいている。当時の日本は、大坂・江戸を中心に、フランスと比べても遜色のない商業経済が発達しており、革命の担い手としてのブルジョア階級が不在であったわけではない。</p>
<p>日本人はお上意識が強くて、権力に従順だったから、自らの手で革命を起こすことはしなかったという民族気質に基づく説明はいかがなものだろうか。今でもフランスでは、国家官僚は日本の官僚以上に権力を持っており、ENAへの信仰は、日本人が抱く東大法学部への信仰以上である。そもそも江戸時代の被支配者階級は決して権力に従順ではなかった。幕府の経済運営がうまくいかなくなると、打ちこわしや1揆が各地で頻発した。もしも幕府の経済政策がきわめて不適切なものであり続けるならば、そうした民衆の反抗が大きくなって、革命となったかもしれない。</p>
<p>鎖国をしていたので、海外との戦争に巻き込まれるリスクは低かったとはいえ、デフレスパイラルがひどくなると、内乱という形で戦争が起きた可能性は否定できない。この点に注意して、以下、財政危機に対するブルボン朝と江戸幕府の対応の違いを見ていくことにしよう。</p>
<h2>2. ブルボン朝の破滅</h2>
<p>1715年にルイ14世が死去した後、ルイ15世が5歳でフランス国王に即位した。財政再建の任にあたったのは、摂政オルレアン公フィリップ2世であった。彼は、知り合いのスコットランド出身のギャンブラー、ジョン・ローが提案した、それこそギャンブル的な案に乗った。ジョン・ローは、1716年に600万リーブルの資本金で銀行を設立することを許可され、金と兌換できる銀行券を発行し、それで集めた金で、価格が下落していたフランス国債を買い始めた。</p>
<p>国債残高は膨大であるから、国債をもっと回収するためには、さらに新たな資本を作って、銀行券を追加発行しなければいけない。そこで彼は、ミシシッピー会社を立ち上げ、金鉱開発など、当時フランスの植民地であったルイジアナ（ミシシッピー川流域）で有望な事業を行うと発表し、会社の株価を吊り上げた。1718年には、彼の銀行は国立銀行（バンク・ロワヤール）となり、1719年には、ミシシッピーの特許事業を拡張し、1720年の1月には、彼の会社の株価は当初の36倍にまで跳ね上がった。国債残高は半減し、金利は低下し、インフレは沈静化した。しかしその代わり資産価格の異常な高騰、すなわちバブルが発生した。</p>
<p>バブルは、いつかははじける。ミシシッピーでの金鉱開発事業がでたらめであることが暴露され、株価は暴落した。人々は銀行券を金に変えようとバンク・ロワヤールに殺到したため、バンク・ロワヤールは支払い不能に陥ってしまった。1720年の12月には、ジョン・ローはブリュッセルに亡命し、フランス経済は深刻な恐慌に陥ってしまった。このデフレから脱却するためにブルボン朝がとった手段は公共事業としての戦争だった。ポーランド王位継承戦争（1733～35）、オーストリア王位継承戦争（1740～48）、7年戦争（1756～63）といった積極財政は、確かにリフレ効果はあったものの、財政逼迫というもとの問題を再燃させ、ブルボン朝は1789年の破局に向かっていく。</p>
<h2>3. 江戸幕府の知恵</h2>
<p>では、江戸幕府は、綱吉の死後、どのようにインフレと財政再建の問題に立ち向かったのか。1709年に綱吉が死去したあと、家宣（1709～1712）、家継（1713～1716）の2代にわたって、実際に政治を担当したのは新井白石だった。新井白石は、倹約によって支出を切り詰め、元禄・宝永の改鋳で落ちた金銀含有率を、幕府創設当初の慶長小判の水準に戻した。これを正徳・享保の改鋳という。元禄・宝永の改鋳では、金銀貨の流通総量が年平均で約5％増加したが、正徳・享保の改鋳では、逆に約2％減少した。要するに、緊縮財政と金融引き締めにより、インフレを抑制したわけである。</p>
<p>1716年に家継が死去すると、吉宗がいわゆる享保の改革を始める。享保の改革の前半は、新井白石のディスインフレ政策の継続だった。しかし、やがて物価、特に幕府の重要な財源であった米の価格が下落し始め、デフレの弊害が出てきたので、1736年には、改鋳、すなわち量的金融緩和によるリフレ政策が採られることになった。この元文の改鋳で貨幣供給量が増加し、物価も上昇に転じた。例えば大坂の米価は、改鋳後5年間で2倍にまで騰貴した。こうした米価の上昇や年貢の増収などにより、江戸幕府の財政は好転し、1758年には、財政は最高の黒字額を記録した。</p>
<p>ブルボン朝が、積極財政（戦争）によってデフレから脱却しようとして、財政規律を失い破滅したのに対して、江戸幕府は、金融緩和により、戦争をすることなく、そして財政再建をも同時に行いながら、デフレからの脱却に成功した。その後江戸幕府は、インフレ局面においては、倹約や増税などのディスインフレ政策を採り、デフレ局面においては、貨幣の改鋳によるリフレ政策を採ることを繰り返して、マネーサプライを適切にコントロールし、幕末にインフレの抑制に失敗して破滅したものの、200年以上にわたって、平和で安定した社会を実現した江戸幕府の功績は評価しなければならない。</p>
<p>では、最初に量的金融緩和によってデフレから脱却することを実行したのは誰なのか。それは、幕府の勘定吟味役、荻原重秀であった。彼が行った元禄・宝永の改鋳は、優れたリフレ効果を発揮し、元禄文化と呼ばれている町人文化の興隆をもたらした。重秀が貨幣の改鋳を行ったのは、金銀比率を下げることで得られる出目（改鋳差益）が目当てだったのか、それともそれは周囲を説得させるための口実で、本当はマネーサプライを適正化するためからだったからなのかはわからない。いずれにせよ、重秀は、「幕府が信用を与えさえすれば、貨幣は瓦でも石でも良い」と喝破したと伝えれているので、当時としてはかなり斬新な考えの持ち主だったようだ。</p>
<p>江戸時代、大阪堂島の米市場が、世界に先駆けてデリバティブを制度化したことからもわかるように、江戸時代の金融テクノロジーは世界最高水準にあった。マクロ経済の安定と戦争の回避という点で、私としては、先物取引の発明よりも、量的金融緩和の発明の方を評価したい。デフレからなかなか抜け出すことができない現在の日本も、江戸時代の知恵を学ばなければならない。</p>
<p>太陽黒点数の変動にともなって発生する資源インフレと資源デフレの差はそれほど大きいものではない。ところが、社会システムには、小さな摂動を増幅するポジティブ・フィードバック作用がある。ポジティブ・フィードバックを放置しておくと、スパイラル的なデフレやインフレが発生し、そしてそれが恐慌・戦争・失業・餓死など深刻な社会問題を惹き起こす。自然環境の変動に対して、システムが社会秩序の低エントロピー性を維持しようとするならば、マネーサプライの適切なコントロールにより、増大するエントロピーを縮減しなければならない。</p>
<p>私は、江戸時代の知恵に学べといったが、現在の経済システムは、江戸時代のそれと比べて、あまりにも複雑で、マネーサプライのコントロールを少数の中央銀行の官僚たちの裁量に任せるわけにはいかなくなっている。そこで、次節で、現代にふさわしい新しいマネーサプライのコントロール方法を提案したい。</p>
<div class="postscript">
読書案内</div>
<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%" class="left">書名</th>
<td width="70%" class="left"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478200483/n08-22/ref=nosim">信用恐慌の謎―資本主義経済の落とし穴</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">媒体</th>
<td width="70%" class="left">単行本</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">著者</th>
<td width="70%" class="left">ラース トゥヴェーデ 他</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">出版社と出版時期</th>
<td width="70%" class="left">ダイヤモンド社, 1998/12</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%" class="left">書名</th>
<td width="70%" class="left"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9058231372/n08-22/ref=nosim">Business Cycles: From John Law to the Internet Cycle</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">媒体</th>
<td width="70%" class="left">ペーパーバック</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">著者</th>
<td width="70%" class="left">Lars Tvede</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">出版社と出版時期</th>
<td width="70%" class="left">Harwood Academic Pub, 2001/02/01</td>
</tr>
</tbody>
</table>]]>
    </content>
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    <title>マネーサプライはどう調節するべきか</title>
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    <published>2005-05-07T21:05:23Z</published>
    <updated>2008-01-14T10:40:47Z</updated>

    <summary>現代の世界には、江戸時代とは違って、電子マネーなどのデジタル化技術とインターネットなどの通信インフラがある。これらの特性を生かせば、金融政策の最も重要な仕事、すなわちマネーサプライの適切なコントロール...</summary>
    <author>
        <name>Nagai Tosiya</name>
        
    </author>
    
        <category term="007_entropy" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/b/">
        <![CDATA[<p>現代の世界には、江戸時代とは違って、電子マネーなどのデジタル化技術とインターネットなどの通信インフラがある。これらの特性を生かせば、金融政策の最も重要な仕事、すなわちマネーサプライの適切なコントロールを自動的に行ってくれる通貨制度を作ることができる。本節では、私が数量調節型貨幣と名付ける新しい電子マネーのあり方を提案したい。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 電子マネーによる決済</h2>
<p>90年代の後半から、いくつかの民間企業が電子マネー発行を試みたが、ほとんどは失敗に終わっている。貨幣の本源的な発行者が国家であることを考えるならば、政府や中央銀行が電子マネーの発行者となるべきである。政府が、住民票など個人をアイデンティファイする機能を持つICカードを全国民に配れば、電子マネー普及のためのインフラが整備される。但し、私が念頭においている電子マネーは、ICカードにバリューをチャージするオープン・ループ型電子マネーではない。ネットワーク型で、中央銀行に取引履歴が残る、クローズド・ループ型電子マネーである。ICカードには、認証用情報や取引履歴などが記録されるだけだ。</p>
<p>将来、世界中どこからでもインターネットに有線または無線でアクセスできるようになると仮定しよう。その場合、すべての決済は、オンライン上でできる。貨幣を所有するということは、もはや物としての貨幣を占有することではなく、その貨幣を発行する中央銀行に、自分の登録番号と残高を登録することと同義になる。売買に際して、支払人と受取人がそれぞれICカードをインターネットに接続し、登録番号と暗証番号（あるいはバイオメトリックス）でログインし、支払金額の移転を行う。使い方は小切手とよく似ている。違いは、民間銀行ではなくて、中央銀行が直接当座預金を管理していること、インターネットを使うので、決済が全て瞬時に行われることである。</p>
<p>この制度のもとで、中央銀行は、全ての決済履歴をホスト管理する。したがって、貨幣の偽造、すなわち他人の残高を減らすことなく、自分の残高を増やすことは制度的に不可能である。盗まれることは制度的にありうるが、犯人の登録番号が残るので、現金やクレジットカードよりも安全である。また、決済履歴をもとに中央銀行が徴税を代行することもできるので、脱税の摘発も容易になる。</p>
<p>但し、中央銀行に集まる情報は、プライバシー保護のために、犯罪捜査以外の目的には使用できないように法律で定めるべきである。ICカードのユーザは、支払相手に対して匿名となる設定を選べば、一度買物をした店からしつこくスパムが送られてくるといったことを防ぐことができる。</p>
<p>中央銀行が当座預金を引き受けても、民間の銀行が不要になるわけではない。利子収入を得るためには、貨幣を貸し出さなければならない。貨幣を貸借するときには、登録番号をそのままにして、一定期間内での特定金額へのアクセス権とその使用権を貸与する。</p>
<p>商品の売買や貨幣の貸借に際して、電子マネーは、従来の貨幣と同様に、商品あるいは債券と交換される。しかし為替市場と株式市場では、以下説明するように、交換とは違った置換のルールが適用される。</p>
<h2>2. 為替市場における数量調節</h2>
<p>従来のアナログ貨幣の場合、例えば、円を売ってドルを買っても、たんに2種類の通貨を交換するだけなので、世界に存在する円とドルの数量は変化せず、需給のアンバランスは為替レートの調整によって解消される。すなわち、もし円よりドルの取引需要が増えると、ドルは円に対して高くなる。すると、投機家はそれを見越して、ドルを買おうとする。その結果、円安ドル高がさらに進む。このように、価格調節型貨幣の場合、ポジティブ・フィードバックが働くために、為替市場が、ファンダメンタルズから乖離して不安定になる。</p>
<p>為替リスクをなくすという点で、固定為替相場制のほうが望ましいのだが、通貨に対する評価が絶えず変化する中で、数量と価格をともに固定することはできない。1973年以降、為替相場は、数量固定単価変動制となったが、電子マネーなら、数量変動単価固定制にすることができる。</p>
<p>後者の場合、円をドルに替える場合、交換相手としてドルの所有者を見つける必要はない。日銀に登録してある残高を減らし、固定された為替レートに従って、その分、ＦＲBに登録する残高を増やす。このように、交換する場合とは異なって、置換する場合、円をドルに替えるたびに、円の総量が減って、ドルの総量は増える。</p>
<p>円が割高でドルが割安だと感じると、人々は円を売ってドルを買うので、量的にドルが増えて円が減る。すると、希少性を失ったドルの価値は下がり、希少となった円の価値は上がるので、最終的には固定レートで均衡に達する。このように、数量調節型貨幣では、ネガティブ・フィードバックが働くために、為替市場は安定する。</p>
<h2>3. 株式市場における数量調節</h2>
<p>この数量調節の原理を株式にも当てはめてみよう。株式分割や増資などの場合を除けば、通常株式数は一定で、株式市場が決定するのは、1株の価格だから、株式は数量固定単価変動型有価証券である。ある株式会社の収益改善期待が高まり、その株への需要が増大すると、株式数が一定なので、株価は値上がりする。すると、配当には関心のない、キャピタル・ゲイン目当ての投機家たちも、その株を買おうとするので、さらに株価は上昇する。株価が値下がりを始めた時にも、同様のポジティブ・フィードバックが働く。株式市場が、熱しやすく冷めやすい所以である。</p>
<p>株券および取引が完全に電子化されれば、株式も、信用度の高い発行済み株式に限ってであるが、次のように数量変動単価固定型にすることができる。まず、数量固定単価変動型であった時の終値で株価を固定し、次に、株主が、株式の売却を望む時、従来のように貨幣と引き換えに株式を他者に譲渡するのではなく、株主リストから登録してある保有数を減らし、その情報に基づいて、中央銀行が、株価×株式数を売却者の残高に付け加えるようにする。こうすれば、株式を売却すると、数量的に貨幣が増え、株式が減る。発行済み株式を購入する時も、同様に、交換せずに置換する。不動産などから得る収益を裏付けとする資産担保証券についても、数量調節型にできるようにする。</p>
<p>ある株式会社の配当総額が増えると、その株式の購入者が増えるが、それに伴って、1株あたりの配当額が以前と変わらない水準まで株式数も増えるので、株価が上昇することはない。逆に収益が悪化しても、株式数が均衡に達するまで減るだけで、株価は下がらない。時価総額の変化は、もっぱら株式数で調節される。</p>
<h2>4. 決済手段としての外貨と株式</h2>
<p>このように、外貨や株式の売買に置換のルールを導入した上で、外貨や株式を決済手段として売買することを考えよう。支払手段として、減らしたい有価担保証券を、受取手段として、増やしたい有価証券を手持ちのICカードに設定しておけば、通常の決済を通して自分のポートフォリオを望ましいポジションに持っていくことができる。その際、相手がどのような決済手段を使うかは、全く気にする必要がない。</p>
<p>例えば、Aは支払手段として円建ての不動産証券を、Bは受取手段としてユーロ通貨を指定していたとする。AがBから商品を購入する時、その決済情報は地主管理サーバーに送られ、そこで支払金額に相当する不動産証券の枚数が削除され、その金額がユーロに換算されて、Bが持っている欧州中央銀行の口座でのユーロ通貨が増加する。</p>
<p>なお、債券は数量調節型有価証券ではないので、決済手段としては使えないようにするべきだ。特に、国債は、信用力という点でその国の通貨に匹敵するので、国債に流動性を与えると、利払いのない国債である通貨が使われなくなってしまう。これから説明するように、数量調節型有価証券は、景気変動に対するビルトイン・スタビライザーとして機能する。この機能を無効にしないためにも、国債は、譲渡不可能な指名債権とするべきである。</p>
<p>通貨や株式などを数量調節型にすると、これらは景気変動に際して、ネガティブ・フィードバックの機能を発揮することになるなるので、経済システムは安定する。すなわち、スパイラル的なインフレ（バブル）やスパイラル的なデフレ（恐慌）を回避することができる。</p>
<p>景気が悪くなると、流動性選好が高まり、人々は株や不動産を売却して現金化しようとする。するとベースマネーの量が増え、実質金利が低下し、マネーサプライが増加する。この自動的な金融緩和により、景気は回復に向かう。反面、株や不動産などの有価証券は、売られることにより、数量が減少し、単位あたりの利回りが元の水準に戻るので、過剰に売られることはない。</p>
<p>景気が良くなると、人々は、配当や地代の増加期待から、株や不動産などの資本を手に入れようとする。しかし、その場合、有価証券の数量が増えるので、資産価格がバブル的に高騰することはない。また、貨幣の数量が減るので、金融引き締めによりインフレが阻止される。</p>
<p>現在、金融政策は、中央銀行の裁量に委ねられている。しかし、景気の現状把握、政策変更の決定と実行、効果の発現に時間がかかるので、適切な時期に金融政策を行うことは難しい。過去の歴史を見ればわかるように、中央銀行は、往々にして、景気回復局面で金融緩和を行ってバブルを発生させ、景気後退局面で引き締めて不況を深刻にする。間違いの多い手動調節よりも市場原理に基づく自動調節のほうが望ましい。通貨の発行量を決める大権を、選挙の洗練を受けたわけでもない中央銀行総裁から通貨を使っている個々人に委譲すること、それは究極の経済民主化である。</p>
<div class="postscript">
読書案内</div>
<table>
<tbody>
<tr>
<th width="30%" class="left">書名</th>
<td width="70%" class="left"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806121770/n08-22/ref=nosim">電子マネー戦争 Suica一人勝ちの秘密―魔法のカードの開発秘話と成功の軌跡</a></td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">媒体</th>
<td width="70%" class="left">単行本</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">著者</th>
<td width="70%" class="left">岩田 昭男</td>
</tr>
<tr>
<th width="30%" class="left">出版社と出版時期</th>
<td width="70%" class="left">中経出版, 2005/02</td>
</tr>
</tbody>
</table>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>浦島伝説の謎を解く</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/b/urashima.html" />
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    <published>2006-01-27T16:06:46Z</published>
    <updated>2008-01-14T11:12:28Z</updated>

    <summary> 浦島伝説には不可解な謎がある。なぜ竜宮は水の中にあるのか、なぜ竜が登場しないのに竜宮なのか、なぜ玉手箱を開けると年を取るのか。これらの謎を解明しながら、個人史的にも人類史的にも忘れ去られら太古の記憶...</summary>
    <author>
        <name>Nagai Tosiya</name>
        
    </author>
    
        <category term="008_urashima" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/b/">
        <![CDATA[<div class="object_left"><img src="http://www.nagaitosiya.com/b/urashima000.jpg" /></div>
<p>浦島伝説には不可解な謎がある。なぜ竜宮は水の中にあるのか、なぜ竜が登場しないのに竜宮なのか、なぜ玉手箱を開けると年を取るのか。これらの謎を解明しながら、個人史的にも人類史的にも忘れ去られら太古の記憶を甦らせ、さらに、なぜこの記憶が抑圧され、忘れ去られるようになったのか、個体発生的かつ系統発生的にそのフラクタルなプロセスを明らかにする。</p>]]>
        <![CDATA[<div class="postscript">目次</div>
<div class="index1">
<p><a href="riddle.html">第１章 竜宮への旅</a></p>
<div class="index2"><a href="riddle.html">第１節 竜宮伝説の三つの謎</a></div>
<div class="index2"><a href="womb.html">第２節 なぜ竜宮は水の中にあるのか</a></div>
<div class="index2"><a href="dragon.html">第３節 なぜ竜が登場しないのに竜宮なのか</a></div>
<div class="index2"><a href="eternity.html">第４節 なぜ玉手箱を開けると年を取るのか</a></div>
<p><a href="castration.html">第２章 竜宮からの脱出</a></p>
<div class="index2"><a href="castration.html">第１節 父権宗教による去勢</a></div>
<div class="index2"><a href="christianity.html">第２節 キリスト教による去勢</a></div>
<div class="index2"><a href="islam.html">第３節 イスラム教による去勢</a></div>
<div class="index2"><a href="buddhism.html">第４節 仏教による去勢</a></div>
<p><a href="recapitulation.html">第３章 太古の記憶を語る</a></p>
<div class="index2"><a href="recapitulation.html">第１節 個体発生と系統発生</a></div>
<div class="index2"><a href="freud.html">第２節 フロイトの反復説</a></div>
<div class="index2"><a href="libido_development.html">第３節 反復説の再構成</a></div>
<div class="index2"><a href="momotaro.html">第４節 浦島太郎と桃太郎</a></div>
</div><div class="postscript">読書案内</div>
<p>地母神崇拝については、</p>
<p class="indent">安田喜憲：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047032107/n08-22">大地母神の時代</a></p>
<p>竜信仰については、</p>
<p class="indent">荒川 紘：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314007265/n08-22/ref=nosim">龍の起源</a></p>
<p class="indent">池上 正治：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106005794/n08-22/ref=nosim">龍の百科</a></p>
<p class="indent">篠田 知和基：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409540521/ref=nosim">竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち</a></p>
<p>などを参考にした。</p>
<p>父権宗教に関しては、聖典が文字で残っているので、『<cite title="著者：共同訳聖書実行委員会 他；書名：聖書―新共同訳 旧約聖書続編つき；出版年：1998/01；出版社：日本聖書協会"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4820212052/n08-22/ref=nosim">聖書</a></cite>』『<cite title="著者：井筒俊彦（訳）；書名：コーラン 上；出版年：1957/11；出版社：岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003381319/n08-22/ref=nosim">コーラン</a></cite>』『<cite title="Source: ブッダのことば―スッタニパータ; Author: 中村 元; Publication Date: 1958/01; Publisher: 岩波書店"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003330110/n08-22/ref=nosim">スッタニパータ</a></cite>』などを直接読むべきであるが、参考書としては、</p>
<p class="indent">石田 友雄：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794213611/n08-22/ref=nosim">聖書を読みとく―天地創造からバベルの塔まで</a></p>
<p class="indent">小室 直樹：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797670568/n08-22/ref=nosim">日本人のためのイスラム原論</a></p>
<p class="indent">磯部 隆：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4887302053/n08-22/ref=nosim">釈尊の歴史的実像</a></p>
<p>などが役に立った。</p>
<p>フロイトの反復説の代表作としては、『トーテムとタブー』を挙げることができる。</p>
<p class="indent">Sigmund Freud：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3100227107/n08-22/ref=nosim">Totem und Tabu</a></p>
<p class="indent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409310038/n08-22/ref=nosim">フロイト著作集 第3巻 文化・芸術論 (3)</a></p>
<p>反復説批判としては、</p>
<p class="indent">Stephen Jay Gould：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0674639413/n08-22">Ontogeny and Phylogeny</a></p>
<p class="indent">スティーヴン・ジェイ・グールド：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4875021402/n08-22">個体発生と系統発生</a></p>
<p>が有名である。最後に、去勢に関しては、ラカンから影響を受けたので、難解ではあるが、</p>
<p class="indent">Jacques Lacan: <a href="http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/2020027526/f-21">Ecrits</a></p>
<p>を挙げておこう。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>竜宮伝説の三つの謎</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/b/riddle.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2006:/b//12.836</id>

    <published>2006-01-27T17:26:15Z</published>
    <updated>2008-01-14T10:40:47Z</updated>

    <summary>浦島伝説と類似の民話は、世界に広く見られる。このことは、浦島伝説には、人類に普遍的な何かがあるということを意味しないだろうか。浦島伝説の問題の所在を確認しよう。...</summary>
    <author>
        <name>Nagai Tosiya</name>
        
    </author>
    
        <category term="008_urashima" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/b/">
        <![CDATA[<p>浦島伝説と類似の民話は、世界に広く見られる。このことは、浦島伝説には、人類に普遍的な何かがあるということを意味しないだろうか。浦島伝説の問題の所在を確認しよう。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 浦島伝説の起源は何か</h2>
<p>日本人なら誰でも浦島太郎の物語を知っている。忘れてしまった人は、浦島太郎の唄を歌って思い出そう。そして、この唄を歌った子供の頃を思い出そう。この本は、幼かった頃の記憶を甦らせる本なのだから。</p>
<div class="remark">
<p>昔々浦島は<br />
助けた亀に連れられて<br />
竜宮城へ来て見れば<br />
絵にもかけない美しさ</p>
<p>乙姫様のごちそうに<br />
鯛やひらめの舞踊<br />
ただ珍しくおもしろく<br />
月日のたつのも夢の中</p>
<p>遊びにあきて気がついて<br />
おいとまごいもそこそこに<br />
帰る途中のたのしみは<br />
みやげにもらった玉手箱</p>
<p>帰って見ればこはいかに<br />
もといた家も村もなく<br />
みちに行きあう人々は<br />
顔も知らない者ばかり</p>
<p>こころぼそさにふた取れば<br />
あけて悔しき玉手箱<br />
中からぱっと白けむり<br />
たちまち太郎はおじいさん</p>
</div>
<p>浦島の話は、8世紀の文献である『日本書紀』や『丹後国風土記』の逸文に登場するのが最も古い。「浦島太郎」は「浦嶋子」、「竜宮城」は「蓬莱山（とこよのくに）」、「玉手箱」は「玉匣（たまくしげ＝化粧箱）」と呼ばれているが、『丹後国風土記』の逸文に描かれているあらすじは、現在に伝わる浦島伝説とほぼ同じである。ただ、浦嶋子が亀を助けた話がないこと、乙姫様が亀の化身で、「亀姫」と呼ばれていたこと、玉匣を開けると、浦嶋子が「風雲のむた翩りて蒼天に飛びゆきぬ（風雲と共に天に飛び去った）」となっていることなど、いくつかの相違点もある。</p>
<p>「浦嶋子」が「浦島太郎」になるのは、室町時代のお伽草子においてである。冒頭が動物報恩譚で始まり、結末は、浦島太郎が玉手箱を開けた結果、太郎は鶴となって蓬莱山へ飛んで行き、そこで亀に再会して、夫婦ともに丹後の明神となったというハッピーエンドで終わっていて、道徳的色彩が強い。</p>
<h2>2. 浦島太郎は実在の人物か</h2>
<p>8世紀に書かれた浦島伝説は、7世紀末の日本の文人、伊預部馬養による創作と考える人がいる一方、実在の人物の実体験に基づく伝説だと主張する人もいる。フジテレビの番組「奇跡体験！アンビリーバボー」は、2000年9月14日に、浦島伝説は、日本から南東へ3700キロ離れたところにあるミクロネシアのポナペ島に潮流で漂着して、そこから帰還した漁師の体験が元になった話だという説を放送した。</p>
<p>この番組によると、ポナペ島南東の海底に、「聖なる都市」という意味のカーニムエイソという海域があり、そこでは、強い磁気のおかげで時間の感覚がなくなってしまうとのことである。この強い磁場を取り囲むように、高さ5mほどの丸い石柱19本が海底に建てられており、さながら海底都市の遺跡ような外観を呈している。さらに、この地域には、次のような伝説がある。</p>
<div class="remark">
<p>昔、ある男が、海を泳いでいると亀に出会い、泳いで付いて行くとカーニムエイソの海底都市を見つけた。彼は、カーニムエイソでの体験を絶対話してはいけないと言われたにもかかわらず、地上に戻ると、周りの人たちにこのことを話してしまった。すると、その瞬間、男は死んでしまった。</p>
</div>
<p>口を開けて秘密を外に漏らしたことが、玉手箱を開けてしまったことに相当するというわけだ [フジテレビ：<cite title="Source: p103_3; Accessed Date: 5/15/2005"><a href="http://web.archive.org/web/20031213223915/www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p103_3.html">浦島太郎伝説の真実</a></cite>]。</p>
<h2>3. 浦島伝説の起源は琉球か</h2>
<p>もっとも、ポナペ島は日本から遠すぎて、『丹後国風土記』の逸文が伝えるように、三日では漂着できない。日本にもっと近いところでは、琉球諸島（特に、八重山列島）が伝説発祥の地として有力視されている。折口信夫によると、海の彼方あるいは海底に「ニライカナイ」という異郷の浄土があって、そこから神（まれびと）が現れ、現世の地上の人々を訪れるという信仰が琉球諸島にある [折口 信夫：妣が国へ・常世へ，<cite title="Source: 古代研究〈1〉祭りの発生; Author: 折口 信夫; Publication Date: 2002/08; Publisher: 中央公論新社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121600363/n08-22/ref=nosim">古代研究〈1〉祭りの発生</a></cite>]。</p>
<p>この信仰のためなのか、琉球諸島では、浜辺を訪れる亀は神として大切にされている。「ニライカナイ」は、本土の言葉で言えば、常世（とこよ）に相当する、時間を超越した理想郷であり、竜宮城の条件を満たしている。そして、1995年には、竜宮城にふさわしい海底遺跡が与那国島近海で発見された。</p>
<p>グラハム・ハンコックによれば、与那国海底遺跡は、1万年以上前に存在した超古代文明によって造られ、氷河時代の終わりに世界を襲った大洪水で水没し、遺棄された巨石建築物である [グラハム・ハンコック：<cite title="Source: 神々の世界(下); Author: グラハム・ハンコック 他; Publication Date: 2002/10/01; Publisher: 小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093561826/n08-22/ref=nosim">神々の世界(下)</a></cite>]。本当に人間が作ったものかどうかは別として、あの幻想的な石造物が宮殿のように見えることは確かであり、たまたまこれを水中で見つけた昔の琉球の人が、その神秘的な体験からニライカナイ伝説を作り出したという仮説を考えることもできる。</p>
<h2>4. 浦島伝説は世界中にある</h2>
<p>以上のミクロネシア起源説と琉球諸島起源説は、どちらも、浦島の話が日本特有であり、日本人のある実体験に基づいているはずだという前提の下で出されている。ところが、実は、浦島伝説とそっくりの民話が中国にもある [君島 久子：<cite title="Source: 月をかじる犬―中国の民話; Author: 君島 久子; Publication Date: 1984/01; Publisher: 筑摩書房"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480040811/n08-22/ref=nosim">月をかじる犬―中国の民話</a></cite>]。いろいろなバリエーションがあるが、一番日本のものと近いのは、「洞庭湖の竜女」と呼ばれている、長江流域に伝わる、次のような話である。</p>
<div class="remark">
<p>昔、若い漁夫が、ある乙女を助けたところ、その乙女は、実は竜女だった。彼女の招待で、漁夫は洞庭湖の湖底にある竜宮城に行くことができた。漁夫は、竜宮城で湖の生き物たちに歓待され、ついには竜女と結婚して幸せに暮らした。楽しい日々が続いたが、漁夫はふと、故郷の母親を思い出し、故郷に帰りたいと言うと、竜女は「私に会いたくなったら、いつでもこの箱に向かって私の名を呼びなさい。でも、この手箱を開けてはいけません」と言って、宝の手箱を渡した。</p>
<p>漁夫が故郷に帰ってきてみると、村の様子はすっかり変わり、自分の家は無く、村人たちも知らない人ばかりだった。村の年寄りに聞くと、「子供の頃に聞いた話だが、この辺りに、出て行ったきり帰らぬせがれを待つ婆様が住んでいたということだが、もうとうの昔に亡くなったということじゃ」と言われた。気が動転した漁夫は、竜女に説明を求めようと、思わず手箱を開けてしまった。すると、一筋の白い煙が立ち上がり、若かった漁夫は白髪の老人に変わり、湖のほとりにばったりと倒れて死んだ。</p>
</div>
<p>この話は、六朝時代に編集された『拾遺記』にある。『拾遺記』は、その原本が東晋の時代（5世紀以前）に書かれわけだから、『日本書紀』や『丹後国風土記』よりもずっと古い。だから、中国南部にあった民間伝承が日本に伝わり、それを伊預部馬養が日本風にアレンジして、史実であるかのように書き記したと考えることができる。実際、『日本書紀』や『丹後国風土記』に書かれている浦島伝説には、「蓬莱山」、「仙都」、「神仙の堺」など、中国の神仙説話から影響を受けたことを示す言葉が使われている。</p>
<p>では、浦島伝説発祥の地は、中国なのか。そう断定することはできない。なぜなら、浦島伝説と類似の竜宮伝説は世界の他の地域にも見られ、かつその起源は相当に古いからだ。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409540521/n08-22/ref=nosim" title="Source: 竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち; Author: 篠田 知和基; Publication Date: 1997/11; Publisher: 人文書院" class="blockquote">
<p>竜宮の信仰は必ずしも日本や中国だけのものではない。インドのナーガ神の宮殿も地下か海底にあって、当然、憂いを知らない楽園である。いや、アーサー王物語のモルガンや湖の夫人の宮殿も水底の妖精世界である。グラエランやギンガモールが訪れた妖精の国もある。こちらは必ずしも水底とは言われないが、たいていは川を渡った彼方にあり、妖精も水の妖精の性格が強い。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[篠田 知和基：<cite title="著者：篠田 知和基；書名：竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち；出版年：1997/11；出版社：人文書院"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409540521/n08-22/ref=nosim">竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち</a></cite>, p.35] </div>
<p>ヨーロッパで最も浦島伝説と似ているのは、アイルランドに伝わるオシーン（オシアン）の伝説である。これは、簡単にまとめると、次のような話である。</p>
<div class="remark">
<p>騎士オシーン（Oisin）が父や仲間の騎士たちと狩に出かけると、美しい乙女が馬に乗って現れた。彼女は常若の国（Tir na nOg ティル・ナ・ノグ）の王女でニアヴ（Niamh）といい、オシーンと結婚するために来たと言った。オシーンはニアヴに魅了され、彼女と共に行くことを承知した。 オシーンは、馬にまたがってニアヴと共に霧に覆われた海の上を駆けて行った。霧が晴れると、常若の国が現れた。オシーンは、王と王妃に迎えられ、素晴らしい祝宴が何日も続いた。三年が経つのは瞬く間のことだった。</p>
<p>やがて、オシーンは父や仲間が恋しくなり、一度帰ろうと思い立った。ニアヴにそれを告げると、彼女は「この馬から降りてはいけません」と言って馬を用意した。オシーンは決して馬から降りないと約束し、それに乗って、常若の国を後にし、懐かしい故郷に帰った。ところが、目にする光景は、何もかも変わっていて、愕然とする。途中、オシーンは、大勢の小人たちが大きな石の水槽を動かそうとしているのに出会い、彼らを助けようと馬の上から身をかがめて片手で岩を持 ったところ、馬から転落した。そして、オシーンは、両足が土に触れると、皺だらけの老人になってしまった。白馬はいなないて駆け去り、二度と戻らなかった。</p>
</div>
<p>この神話の起源は3世紀まで遡ると言われている [Harry Mountain：<cite title="Source: The Celtic Encyclopedia (Celtic Encyclopedia); Author: Harry Mountain; Publication Date: 1998/05/19; Publisher: Upublish.Com"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1581128924/n08-22/ref=nosim">The Celtic Encyclopedia (Celtic Encyclopedia)</a></cite>, p.576-577]。つまり、この話は、キリスト教が伝来する前から存在したケルト人たちの土着的な伝説なのである。中国の竜宮伝説ほど浦島伝説には似ていないが、後で示すように、このオシーンの伝説も浦島伝説と等価である。</p>
<h2>5. 浦島伝説は何を伝えているのか</h2>
<p>起源の問題を別としても、浦島伝説をはじめとする世界の竜宮伝説には、多くの謎がある。</p>
<ol>
<li>なぜ竜宮は、理想郷であるにもかかわらず、天の上ではなくて、海や湖といった水の中にあるのか 。竜宮伝説の中には、竜宮が、島や洞窟の中にある場合があるが、これはなぜか。</li>
<li>なぜ日本の浦島伝説には、竜が出てこないのに、竜宮が出てくるのか。なぜ浦島を竜宮に連れて行ったのは亀だったのか。なぜニアヴは馬に跨っていたのか。</li>
<li>なぜ、竜宮では時間の流れが遅いのか。なぜ浦島は、玉手箱を開けたとたん年を取ってしまったのか。 なぜオシーンは、足を地に着けたとたんに老人になってしまったのか。</li>
</ol>
<p>これらの謎を解くことで、私たちは、人類の精神史の初期に光を当てることができる。自分自身の過去を思い出しながら、忘れ去られた人類の過去の記憶を呼び覚まそう。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>なぜ竜宮は水の中にあるのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nagaitosiya.com/b/womb.html" />
    <id>tag:www.nagaitosiya.com,2006:/b//12.837</id>

    <published>2006-01-27T17:47:02Z</published>
    <updated>2008-01-14T10:40:47Z</updated>

    <summary>キリスト教やイスラム教や仏教などの世界宗教においては、天国や極楽浄土といった理想的異界は、天の上あるいは天の彼方にあると信じられている。しかし、浦島伝説では、理想的異界は海の中にある。どちらの異界観の...</summary>
    <author>
        <name>Nagai Tosiya</name>
        
    </author>
    
        <category term="008_urashima" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/b/">
        <![CDATA[<p>キリスト教やイスラム教や仏教などの世界宗教においては、天国や極楽浄土といった理想的異界は、天の上あるいは天の彼方にあると信じられている。しかし、浦島伝説では、理想的異界は海の中にある。どちらの異界観のほうが古いのだろうか。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. あの世はかつて天上にはなかった</h2>
<p>折口信夫は次のように言っている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122003644/n08-22/ref=nosim" title="Source: 折口信夫全集 第20巻 神道宗教篇 (20); Author: 折口 信夫 他; Publication Date: 1976/06; Publisher: 中央公論新社" class="blockquote">
<p>私は日本民族の成立・日本民族の沿革・日本民族の移動などに対する推測から、海の他界観まづ起り、有力になり、後、天空世界が有力になり替つたものと見てゐる。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[折口信夫：民族史観における他界概念 ，<cite title="著者：折口 信夫 他；書名：折口信夫全集 第20巻 神道宗教篇 (20)；出版年：1976/06；出版社：中央公論新社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122003644/n08-22/ref=nosim">折口信夫全集 第20巻 神道宗教篇 (20)</a></cite>, p.53] </div>
<p>結論としては、折口に賛成なのだが、問題は、なぜかつては、理想的異界が海の中にあったのか、その理由である。 日本人が南の海から渡ってきたというのは理由にはならない。これは、日本人に限らず、世界に広く見られる異界観の変遷なのだから。</p>
<h2>2. 竜宮は土の中にもあった</h2>
<p>浦島伝説以外の日本の異界訪問譚、例えば「鼠の浄土」では、理想郷は土の中にある。中国でも、竜宮が洞窟の中にある場合がある。冒頭で紹介した『拾遺記』に記録されている竜宮伝説の舞台は、もともとは、洞庭湖ではなくて洞庭山で、竜宮は洞窟の中にあった。さらに、『拾遺記』よりも前の3世紀頃に、晋の干宝が書いたと伝えられる『捜神記』には、次のような「袋の中の鳥」という話がある。</p>
<div class="remark">
<p>会稽に、袁相と根碩という二人の男が住んでいた。ある時、二人は狩をするために山奥に入り、ヤギを追ったが、ヤギは一つの石橋を渡っていった。二人も石橋を渡り、ジグザグの小道を登っていくと、洞窟がある。中に入ると、いい匂いがするので、そのまま進んでいくと、一軒の家があった。二人が家を訪ねると、そこには十五、六歳で、非常に麗しい容貌をしている、青い服を着た二人の乙女が住んでいて、二人を家の中に迎え入れた。二人の乙女は袁相と根碩を手厚くもてなして、その妻になってしまった。</p>
<p>二人の男は夢のような心地で毎日をすごしていたが、そのうち故郷が恋しくてたまらなくなり、故郷に帰ることにした。すると、乙女たちは、「どんなことがあっても、この袋を開けてはなりません」 と言って、それぞれ一つの袋をわたした。男たちは約束を守って、決して袋を開けなかった。ところが、ある日、根碩の妻が、好奇心から、夫の留守中に袋の口を開けて しまった。中には青い小鳥が入っていて、そのまま飛び去ってしまった。その後、外で働いている根碩に妻が弁当を持っていくと、夫は既に死んでいた。夫の体から魂が飛び去って、もぬけの殻になっていたのである。</p>
</div>
<p>この話の全般的な分析は、また後でやることにして、ここでは、なぜ洞窟の中が理想郷でありうるのかという問題を考えよう。世界宗教では、土の中は、地獄であり、理想郷とは対極的な世界である。しかし、例えば、記紀に描かれている黄泉の国あるいは根の国（根堅州国）には、決してそのような否定的なイメージはない。</p>
<p>根の国は、黄泉の国とも呼ばれていた。黄泉の国の「よみ」は「やみ」の母音交代形 [白川 静：<cite title="著者：白川 静；書名：字訓 新装普及版；出版年：1999/01；出版社：平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582128122/n08-22/ref=nosim">字訓</a></cite>, p.793] であるから、黄泉の国は闇の国である。イザナミを見るために、イザナギが火を灯したぐらいだから、闇の国であったことは確かである。</p>
<p>スサノヲは、根の国および黄泉の国のことを「妣の国」と呼んでいる。「妣」は、死んだ母のことであるから、イザナミのことを指していると解釈できる。しかし「妣の国」という名称には、 たまたまその時イザナミがいたという以上の意味がある。</p>
<p>日本神話は、天つ神と国つ神、高天原と黄泉の国、父性と母性、陽と陰、明と暗、支配者と被支配者、弥生文化と縄文文化という二元論によって構築されていて、イザナギとイザナミもこの二項対立に組み込まれている。イザナミが別名黄泉津大神であることからわかるように、黄泉に属することは、イザナミにとって本質的なことである。</p>
<p>世界宗教が登場するまで、人類は地母神を崇拝していた。乳幼児が父よりも母を頼るように、初期の人類は、父なる天よりも母なる大地にすがっていたのである。</p>
<h2>3. 竜宮は地母神の子宮だった</h2>
<p>旧石器時代のヨーロッパの遺跡からは、ふくよかな体をした女性の偶像が多数見つかっているが、男性の偶像は見つかっていない。また、この時代には、ラスコー洞窟に代表される壁画遺跡がたくさんあるが、宗教的な絵が洞窟の中に描かれるのは、この時代の宗教が地母神崇拝であることと関係がある。すなわち、洞穴の中は、母なる大地の子宮の内部として表象されていて、そこに豊穣を願う絵が描かれていたわけだ。</p>
<p>フランスとスペインの国境付近にあるニオー洞窟は、床が粘土で、その上には小さな足型がたくさん残っていることから、ここで成人式が行われたと推測されている。胎児が子宮の中から出てきて産まれるように、子供たちは、地母神の「子宮」の中から、狭い通路を通って出てくることで、成人式という第二の出産の通過儀礼を行ったと考えることができる。</p>
<p>子宮の中は羊水で満たされているので、海の中にあると考えられている竜宮も地母神の子宮 であると言うことができる。漢字の「海」の旁「毎」は、髪飾りの付いた母 である。日本語の「うみ」は、「産む」に通じる。ラテン語でも、母（mater）は海（mare）と語源的に近い。</p>
<p>異界は、海の中や土の中以外にも存在することがある。『丹後国風土記』の逸文にある「蓬莱山」は、海中の宮殿ではなく、海に浮かぶ島であった。また、異界が川の対岸として表象されることもある。これらの場所は、物理的空間としては同じでないかもしれないが、神話の象徴空間では、どれもみな地母神の子宮を象徴しているという点で同じである。異界は、羊水に囲まれた胎児の世界として表象されているのである。 </p>
<p>文明以前の時代に地母神崇拝があったことは、屈葬の習慣からも伺える。旧石器時代の埋葬には、遺体の腕や脚を折り曲げて浅鉢や甕の中へ入れる屈葬が多い。また、遺体には、血の象徴である赤色顔料がしばしば塗られる。このように遺体を産まれた時の様子を再現して埋葬する習慣は、自分たちが胎内から産まれ、そして死後、再び胎内へと帰っていくと 人々が信じていたからだと説明することができる。</p>
<h2>4. 竜宮思想は縄文文化に遡る</h2>
<p>浦島伝説で、理想郷としてのあの世が海の中にあったということは、日本人もかつては、地母神を崇拝していたということである。『日本書紀』が編集されたころには、母なる大地よりも父なる天のほうが優位にある。それは、天つ神が国つ神を支配する様々なエピソードに表れている。では、いつから、母なる大地に対する父なる天の優位が始まったのだろうか。私は、縄文時代から弥生時代への変遷の中で、この転換がなされたと考えている。</p>
<p>もっとも、今となっては、縄文人の心の中を知る直接の手掛かりはないのだが、間接的な手掛かりならある。一つは、縄文時代の遺跡からの出土品 であり、もう一つは、縄文文化を本土人以上に忠実に受け継いでいる琉球人とアイヌ人の民俗である。</p>
<p>かつて、本土に住む日本人は、琉球人やアイヌ人を異民族扱いしたことがあったが、現在では、琉球人とアイヌ人の方が原日本人ともいうべき縄文人に近く、これに対して、本土の日本人は、原日本人と朝鮮半島から来た大陸系のモンゴロイドとの混血、すなわち弥生人であることが遺伝学的分析によって実証されるようになった。</p>
<p>宝来聡らの研究 [Satoshi Horai et al: Genetic origins of the Ainu] によると、父系が縄文の血統かどうかは、“Y-haplogroups D-M55/D-M125”という日本人にしか見られないY染色体上の遺伝子の有無によって調べることができるのだが、この遺伝子の保有率は、本土人よりもアイヌ人の方が高い。ミトコンドリアDNAを用いた母系の血統の調査でも、同様の結論が出ている 。</p>
<p>なお、アイヌ人は、縄文の血統を受け継いでいるが、遺伝子分析によると、サハリンを含めた来た北東アジアの血統も受け継いでおり、純粋な縄文人とはいえない。この点、アイヌ人よりも沖縄人の方が、遺伝子的には、縄文人に近いと言える。</p>
<p>アイヌ人が文化的にも北東アジアの影響を受けているように、琉球人は中国大陸から文化的に影響を受けている。アイヌ文化も琉球文化も、縄文文化と全く同じではないことに気をつけなければならない。</p>
<h2>5. 縄文人が信仰するのは鳥か蛇か</h2>
<p>世界宗教の信者は、生前の行いが正しければ、死者の魂は天に昇るが、悪いことをすれば地獄に落ちると信じている。縄文文化の著名な研究者である梅原猛も、仏教の影響を受けているためなのか、この信仰が縄文時代にも成り立つはずだと確信している。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771066/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈6〉日本の深層; Author: 梅原 猛; Publication Date: 2000/11; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>古代人は他世界の強い信者であったと私は思う。天には神がいて、そこには先祖たちもいて、人間が死ねば、その天にある先祖たちの国に帰るのであろう。しかし、他世界はただ天のみではない。もう一つ、地の底にも他世界があり、それは黄泉の国である。いったんそこに落ちたら、絶対そこからもう出てこられない。人間は、死んで天の国に行くことを願い、地の底の黄泉の国に行くことを恐れる。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈6〉日本の深層；出版年：2000/11；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771066/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈6〉日本の深層</a></cite>, p.110-111] </div>
<p>もしも、縄文人が天国へ行くことに憧れているならば、空を飛ぶ鳥（またはその人格化である天使）への信仰が主であってもよさそうなのだが、縄文時代の遺跡からの出土品には、弥生時代の遺跡からの出土品とは異なって、鳥の絵が描かれていない。むしろ、縄文時代の土器や土偶には、縄で模った蛇の紋様が多く用いられている。縄文土偶は、ほぼすべて、女の像なのだが、髪が蛇で表されたメデューサのような像もある。だから、地母神崇拝の方が強かったと考えることができる。</p>
<p>梅原は、しかしながら、蛇崇拝にはあまり注目しない。縄文人は、むしろ蛇を危険な存在として、嫌っていたと考えているようだ。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771066/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈6〉日本の深層; Author: 梅原 猛; Publication Date: 2000/11; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>洞窟は、石器時代の人間にとってかっこうの住処であった。それは夏は涼しいし、冬は暖かい。そして獣に襲われる危険もない。ただ唯一の侵入者は蛇であろう。蛇がどうしてあれほど多くの神話や昔話に出てくるか。それは、穴居生活のもっとも大きい障害者が蛇であるということを考えれば、おのずから明らかであるように思われる。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈6〉日本の深層；出版年：2000/11；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771066/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈6〉日本の深層</a></cite>, p.106] </div>
<p class="box-jp">これに対して、鳥信仰は、縄文時代にも、弥生時代と同様に、あるいはそれ以上に強くあったと梅原は主張する。その根拠は、アイヌの神事に用いられるイナウである。イナウとは、柳やミズキなどの棒に切り込みを入れたり、削りかけをつけたりした木製の幣束（へいそく）で、その役割は日本の祭壇に立てられる幣（ぬさ）に似ている。イナウは、鳥の羽の形に似ている。 </p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上); Author: 梅原 猛; Publication Date: 2001/05; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p class="box-jp">イナウが鳥であり、このイナウに古い縄文時代の宗教の名残があるとするならば、既に弥生時代以前に鳥の信仰があったと考えざるをえない。そう考えた方がごく自然である。なぜなら、死んで人間が天へ行くという信仰が農耕とともに始まったとは考えにくいからであり、それは何万年前、あるいは何十万年前に狩猟採取文明の中で発明された思想にちがいない。狩猟採取民は動物と大変密接な関係を営んできて、当然鳥をこの霊界の使いと考えたにちがいない。その鳥の信仰がもし弥生時代にもたらされたとすれば、それ以前の日本人はどのような宗教の中で生きていたのか。まさか縄文時代の日本人が、死後の国をまったく信じない現代人のような合理主義者であったとはいえないであろう。縄文遺跡は、縄文の文明が最高に宗教的な文明であったことを明らかにしている。そこでは鳥が、弥生文明以上に強い役割を果たしたと考えられる。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)；出版年：2001/05；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)</a></cite>, p.120] </div>
<p>天国がないならあの世もないというここでの議論は、先ほど『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771066/n08-22">日本の深層</a>』から引用した文と矛盾しているようにも見えるが、要は、梅原は、地下にある黄泉の国が死後の理想郷であるということは全く思いつきもしなかったということである。</p>
<h2>6. アイヌ人の異界はどこにあるのか</h2>
<p>本当にアイヌ人は、死後魂が天国にいくと考えていたのだろうか。ここで、梅原がアイヌ研究の師と仰ぐ藤村久和の見解を分析してみよう。藤村は、アイヌの老人と生活をともにしながら、臨死体験をした人の証言に基づく、あの世に関する伝承を採取した。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094600671/n08-22/ref=nosim" title="Source: アイヌ、神々と生きる人々; Author: 藤村 久和; Publication Date: 1995/02; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p style="margin: 0px;">それによると、なぜか共通して、眼の前に道があり、そこを歩いていくと、あの世の入り口である洞くつがある。洞くつへ入っていくと、今度は長いトンネルである。なおも進んでいくと、急に道が狭くなり高さも低くなる。その非常に狭苦しいところを通って行くと、やがて向こうにポツンと灯りが見え、先を急ぐとようやくそのトンネルが終わり、新しい世界が眼の前に広がる。右手は海岸で、左手は山である。道はさらに曲がりくねってうねうねと続き、どんどん行くと一本の小川があり、橋が架かっている。その橋を過ぎると、行く手にポツポツと家が見え、煙が出ている。火を炊いているということは、家々に人がいる証拠である。そこは、まるでどこかの村のようで、この世と違う情景はまるでないという。ここがあの世へ旅立つための準備場所なのである。</p>
<p style="margin-bottom: 0px">そこでは、自分の正体を見ることができるのはイヌだけである。イヌだけが自分に吠えかかる。そうするとそこで暮らしている人たちは、何かおかしなものが来たというわけで、自分に灰などいろいろなものを投げつける。それが体中にペタペタくっついてとれない。いくら手で払っても離れない。生死をさまよった人の話だと、これらのものは、そこから戻ってくる時、先ほどのトンネルのいちばん狭いところ、ようやく体が通れるところを通った時に、全部体から落ちてしまうという。この世のイヌも、人間には見えない魔物がくるとわんわんと吠える。すると人々は、そこへ向かって灰を投げたりするのだが、そのときに魔物の霊についた灰も、魔物が逆にこの世からあの世へ戻る時には同様に取れてしまうということになるのだろう。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[藤村 久和：<cite title="著者：藤村 久和；書名：アイヌ、神々と生きる人々；出版年：1995/02；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094600671/n08-22/ref=nosim">アイヌ、神々と生きる人々</a></cite>, p.210-211] </div>
<p>藤村によれば、図1に描いたように、霊は、「準備場所」にある一番高い山の頂点まで行き、そこから天空を越えてあの世の山へ行く。しかし、この「あの世へ旅立つための準備場所」は、「そこを指すアイヌ語から訳したものではなく、勝手に私がそう呼んでいるにすぎない」［藤村久和，<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094600671/n08-22">アイヌ、神々と生きる人々</a>，213頁］、つまり、藤村の仮説に基づいて考え出された概念に過ぎない。</p>
<img src="urashima001.png" /><div class="text_bottom"><span class="bold">図1 藤村久和が描くアイヌ人にとってのあの世</span><br />
[藤村 久和：<cite title="Source: アイヌ、神々と生きる人々; Author: 藤村 久和; Publication Date: 1995/02; Publisher: 小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094600671/n08-22/ref=nosim">アイヌ、神々と生きる人々</a></cite>, p.215] の図を元に作成</div>
<p>もしも洞窟が「あの世の入り口」だとするならば、トンネルの向こうに広がる世界こそ「あの世」ではないのか。イヌと灰の話を見ても、トンネルを挟む二つの世界が対称的に語られている。</p>
<p>アニメ映画『<cite title="Source: 千と千尋の神隠し (通常版); Author: ; Publication Date: 2002/07/19; Publisher: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005S8LI/n08-22/ref=nosim">千と千尋の神隠し</a></cite>』には、千尋の家族が、トンネルを潜り抜けて、八百万（やおよろず）の神々が住むあの世へと迷い込むというシーンがあるが、アイヌの異界観もこれと同じと考えて差し支えない。あの映画でも、千尋は、空の上にある別世界に行ったりはしない。トンネルの向こうが、そのまま神の世界なのだ。</p>
<p>藤村が、「あの世」を「あの世」と認めず、「準備場所」と考えたのは、梅原同様に、「あの世は天の上にあるはずであって、地面の下などにあるはずがない」という父権社会の先入見から脱していないからである。私は、この先入見を捨てて、図2で描いたように、アイヌ人にとってのあの世を地下に位置付けた。</p>
<img src="urashima002.png" /><div class="text_bottom"><span class="bold">図2 私が描くアイヌ人にとってのあの世</span></div>
<p>アイヌ人が語る「洞窟」は子宮、「長いトンネル」は膣、「非常に狭苦しいところ」は子宮膣部に相当し、この世からあの世へ生まれ変わる時、この世に生まれる時と同じプロセスをたどることになる。「非常に狭苦しいところ」を出る時に「灰のようなもの」が取れるのは、イザナキノミコトが黄泉の国からこの世に戻る時に行った祓（はらえ＝払え）と禊（みそぎ＝身削ぎ）に相当し、蛇の脱皮をモデルにしている。</p>
<p>多くの蛇信仰の研究者は、脱皮する蛇は永遠の生命の象徴であるから、世界的に蛇は神として崇められると説明する。だが、脱皮する動物は蛇だけではない。他の爬虫類や両生類や節足動物も脱皮する。蛇の脱皮は全身のつながった抜け殻を残すことで有名だが、昆虫も同様の抜け殻を残す。だからと言って、そうした昆虫がすべて永遠の生命を持った神として崇拝されるわけではない。むしろ、セミの抜け殻を意味する「空蝉（うつせみ）」に、はかないという意味があるなど、逆の場合すらある。蛇信仰の根拠を考える時には、蛇ならではの属性に注目しなければならない。脱皮という属性は、蛇信仰の根拠の一つにしか過ぎない。</p>
<p>母権宗教が蛇を神の使者として崇めるのは、蛇が、子宮へと通じる長いトンネルの形をしているからである。蛇が地を這う様子は、川が大地を流れる様とよく似ている。川の流れに身を任せれば、海に入ることができる。川は胎内回帰のための案内人であり、案内人としての役を果たす巫女は、蛇と自己同一する。</p>
<h2>7. なぜアイヌのあの世はこの世と逆なのか</h2>
<p>アイヌの人たちにとって、この世とあの世はあべこべの関係にある。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094600671/n08-22/ref=nosim" title="Source: アイヌ、神々と生きる人々; Author: 藤村 久和; Publication Date: 1995/02; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>まず季節が逆である。だからこちらが冬であれば、むこうは夏になる。［…］それから、昼と夜とが逆である。こちらが昼の時は、むこうは夜である。［…］また時間の尺度が相当ちがうらしくて、ほんとうかどうかというのは確かめようがないが、この世の一日はあの世の六日にあたるという言い方をする。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[藤村 久和：<cite title="著者：藤村 久和；書名：アイヌ、神々と生きる人々；出版年：1995/02；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094600671/n08-22/ref=nosim">アイヌ、神々と生きる人々</a></cite>, p.216] </div>
<p>私のモデルなら、このあべこべ関係を容易に説明できる。日本から見て、地球の裏側にある南米の国のことを考えてほしい。「こちらが冬であれば、むこうは夏」であり、「こちらが昼の時は、むこうは夜である」。藤村モデルのように、この世とあの世が天で接していると考えるなら、この世が昼の時、あの世も昼ということになってしまう。</p>
<p>もとより、縄文人が地球球体説を信じていたというわけではない。琉球人は、地面は平らで、太陽（てだ）は東の地面にある太陽の穴（てだがあな）から出てきて、西の地面にある太陽の穴（てだがあな）に沈むと考えていたが、縄文人もそう考えていたことだろう。 </p>
<p>南米の国とは違って、地面の下にあるあの世は、この世とは質的に異なる世界である。この世の一日があの世の六日にあたるのも、あの世がこの世とは異質の世界であることを物語っている。この時間経過の異常は、浦島伝説の謎の一つに対応しているが、第四節でまた改めて取り上げることにしよう。</p>
<h2>8. 琉球では神女が鳥になる</h2>
<p>私は、アイヌ神話の分析から、縄文時代のあの世が地下にあったと判断した。では、縄文文化のもう一つの末裔である琉球文化ではどうか。梅原は、ここでもまた、鳥信仰の痕跡を探し求める。そして、1978年まで久高（くだか）島で行われていた儀式、イザイホーにそれを見出した。</p>
<p>イザイホーとは、久高島の女たちが神女（なんちゅ）になるための通過儀礼で、三晩、イザイ山の仮小屋に篭り、四日間にわたって、歌や踊りを伴う神事を行う。梅原は、最初の日の夕方に行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になるための儀式だと主張する。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上); Author: 梅原 猛; Publication Date: 2001/05; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)；出版年：2001/05；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)</a></cite>, p.148-149] </div>
<p>七つ橋とはこの世とあの世（ニライカナイ）との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上); Author: 梅原 猛; Publication Date: 2001/05; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>男たちは死ぬと海の向こうの遠い国、ニライカナイに行ってしまい、いつ帰ってくるかわからない。しかし、神となった、鳥となった女は死んでニライカナイにいってもすぐ、彼女たちがそこで生まれそこで神となった、祖先の霊のいるウタキに舞い戻り、そこに永久にとどまって末永く故郷の島の子孫たちを守るのである。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)；出版年：2001/05；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)</a></cite>, p.148] </div>
<p>女が鳥になるのは、あの世が天の上にあるからだろうか。問題は、あの世である「ニライカナイ」がどこにあるかである。</p>
<h2>9. 琉球人にとって異界はどこにあるのか</h2>
<p>梅原は、アイヌ語でニライカナイの語源を推測する。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771082/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下); Author: 梅原 猛; Publication Date: 2001/07; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>沖縄にはニライカナイという信仰があります。それは海の彼方のあの世を言うらしいのです。私はニライカナイというのをアイヌ語で解釈する。ニライ、根の下のところ、カナイ、空の上のところ、ということになりますが、それは根の下であるとともに、空の上である。根の下、夜の極点か［が？］、空の上、昼の極点になるのです。こういう根の下と空の上、夜と昼とが出会うところだと思います。大変哲学的な概念ですが、原始人は意外に哲学的なんです。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下)；出版年：2001/07；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771082/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下)</a></cite>, p.470] </div>
<p>「ニライカナイ」は、琉球国の首里王府が1531年から1623年にわたって編纂した『おもろさうし』に出てくる概念だが、「ニライ」と「カナイ」は本来別概念で、中国風に対句を形成しているだけである。伝承ではただ「ニライ」と呼ばれる。「カナイ」は、中国の陰陽二元論の影響を受けて、後から付け加えられたものと考えられる。</p>
<p>南西諸島では、「ニライ」は単独で「あの世」を指す。沖永良部島では「ニラ」、喜界島では「ネインヤ」、奄美大島では「ネリヤ」、沖縄本島では「ニルヤ」と呼ばれるが、概念としてはみな同じである。それは、梅原が正しく認識しているように、そして現地の人がそう信じているように、根の下にある国である。</p>
<p>柳田国男は、次のように言っている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480024018/n08-22/ref=nosim" title="Source: 柳田国男全集〈1〉; Author: 柳田 国男; Publication Date: 1989/09; Publisher: 筑摩書房" class="blockquote">
<p>沖縄本島なども多分同じだろうが、ニーラには「非常に遠い」というような語感があると、先島方面の人はいっている。例えば堀井の底の水面が、深い処で幽かに光り、容易につるべの届きそうにもないのを形容して、ニーラサというような表現があるという。それで私はこの語尾のＲ子音は、もと形容詞化のための添付であって、一語の要部はニーすなわち「根」にあるのではないかとも想像している。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[柳田 国男：海上の道，<cite title="著者：柳田 国男；書名：柳田国男全集〈1〉；出版年：1989/09；出版社：筑摩書房"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480024018/n08-22/ref=nosim">柳田国男全集〈1〉</a></cite>, p.98] </div>
<p>柳田の指摘は、ニライが根の国に相当することを示している。そして、根の国は、文字通り、地下にあったと考えることができる。 だから「非常に遠い」と言っても、それは、海の彼方に向かって水平方向に遠く離れているわけではなく、文字通り根が生えている方向に、すなわち垂直方向に遠く離れていると解釈するべきである。だから、ニライは、記紀神話に登場する常世国や根国や黄泉の国と同じ地下世界である。</p>
<p>イザイホーで女が鳥になるという解釈を認めたとしても、それは直ちに「あの世」が天の上にあることを帰結しない。神女は、鳥となることで、太陽の穴（てだがあな）を通って、あの世とこの世を自由に行き来しようとしていたのではないだろうか。</p>
<h2>10. 縄文時代の土偶は何のために作られたのか</h2>
<p>縄文時代にあの世が地下にあったという仮説を検証するには、アイヌ文化と琉球文化を検討するだけでなく、直接縄文時代の出土品を検討する必要がある。</p>
<p>縄文時代の遺跡から発掘される遺物の中で最も宗教的なのが土偶である。世界の他の旧石器時代の遺跡から発掘される偶像と同様に、縄文土偶は、豊満さを強調した女体で、頭は存在しないかもしくは人間的でない。縄文土偶の多くは妊娠していることから、縄文土偶は、豊穣を願う地母神崇拝の証拠とされるのが通例だが、梅原は、この解釈に反対する。</p>
<p>梅原は、</p>
<ol>
<li>縄文土偶には、腹に引き裂かれたような直線を持っているものが多い</li>
<li>少数ではあるが、縄文土偶には、意図的に埋葬されたものがある。</li>
<li>土偶のほとんどは壊されており、五体満足な土偶はほとんどない</li>
</ol>
<p>ということを根拠に、地母神像説を否定する [梅原 猛：<cite title="Source: 梅原猛著作集〈11〉人間の美術; Author: 梅原 猛; Publication Date: 2002/11; Publisher: 小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771112/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈11〉人間の美術</a></cite>, p.98]。</p>
<p>梅原は、福島県で起きた死胎分離埋葬事件を手掛かりに、土偶は妊婦葬送儀礼のための道具だと考える。死胎分離埋葬事件というのは、会津のある村で、懐妊後死亡した母の腹を長男が切って、胎児を摘出して埋葬し、役場に二通の死産届けを出したところ、死体損壊罪として摘発されたという事件である。その後の調査により、この風習は、福島県では昔から広く行われていたことがわかった。</p>
<p>この風習が行われた背景には、死んだ妊婦をそのまま埋めると、胎児の霊が母体から出られなくなり、怨霊としてこの世にとどまるという考えがある。だから、怨霊による祟りを防ぐために、胎児を腹から出して、霊がすぐに生まれ変わるようにするわけである。妊婦と胎児の分離埋葬に際しては、人形が入れられるという習慣がある。そして、梅原は、その人形の起源が縄文土偶だと考える。</p>
<p>たしかに、この解釈なら、なぜ土偶の腹に直線が引かれることがあるのか、なぜ土の中に埋まっている土偶があるかが説明できる。では、土偶が壊されているのは、なぜか。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771112/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈11〉人間の美術; Author: 梅原 猛; Publication Date: 2002/11; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>葬式のときに、日本人は茶碗や道具などいろいろなものを死者に贈るが、この場合、かならず何らかの傷をつける。傷をつけるのは、あの世とこの世とあべこべの世界であるという思想による。この世で完全なものはあの世で壊れる。この世で壊れたものはあの世で完全になる。とすると、壊れた土偶は本来、あの世へと送り届けられるものとしてつくられたのではないだろうか。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈11〉人間の美術；出版年：2002/11；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771112/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈11〉人間の美術</a></cite>, p.107] </div>
<p>縄文人も、アイヌ人と同様に、この世とあの世があべこべの世界と考えていたにちがいない。今でも日本人は、死者の装束（しょうぞく）を、生きている人間の着装とは逆に左前にするが、これも同じ考えに基づいている。</p>
<p>この梅原の着想を、３のみならず１にも応用してみよう。腹に縦の線があるということは、安産を否定する記号である。この世にある縄文土偶は、あの世にいる五体満足で安全に生命を育む地母神とあべこべの関係にあるのだから、縄文土偶は、あの世にいる地母神のこの世における対応物ということにならないか。２についても、土偶が地母神の像だとするならば、それをこの世の土に埋めて、土地の豊穣を願うということは決して理解できないことではない。</p>
<p>縄文土偶は、墓地からではなくて、人々が生活していた場所から出土している［楠戸義昭：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4620313505/n08-22">神と女の古代</a>，33頁］。だから土偶は副葬品ではない。また、もしも梅原が言うように、縄文土偶が最近まで行われていた死胎分離埋葬に使われる人形の起源だとするならば、なぜ土偶が弥生時代から姿を消したのかについての説明が必要となる。私は、土偶が作られなくなったのは、縄文時代の終焉とともに地母神崇拝が衰退したからだと考えている。</p>
<h2>11. 偶は縄文時代のメデューサである</h2>
<p>梅原が注目しない、縄文土偶のもう一つの特徴を指摘しよう。それは、土偶にはいたるところに蛇の形象があるということである。アイヌの民族衣装にも蛇の文様が付いているが、あれは縄文時代の蛇信仰の名残である。</p>
<p>「縄文」という言葉は、もともと、土器に付けられた縄の文様に由来しているのだが、縄文は、その細長い形とウロコのような模様から、蛇の文様ということができる。実際、縄文土器には、写実的な蛇を付けた物もたくさんある。</p>
<p>縄文土偶にも、抽象的な蛇の文様が付いているだけでなく、写実的な蛇が頭でとぐろを巻いているものまである。安田喜憲は、これを「縄文のメデューサ」と名付けている［安田喜憲：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047032107/n08-22">大地母神の時代</a>，101頁］。頭に蛇を持つメデューサは、後に父権宗教によって、恐ろしい化け物にされてしまったが、もともと地中海地方で地母神として崇められていたわけだから、これもまた、縄文土偶が地母神像である根拠の一つである。</p>
<p>古墳時代の「みずら」から、武士の時代の「ちょんまげ」に至るまで、日本人が頭に蛇の形状を連想させる髷（まげ）を結うのは、縄文時代のメデューサの名残だと考えることができる。女性は、必ずしも曲げを結ったわけではないが、これは、長く伸びた髪は、それだけで、蛇を連想させるものだからなのだろう。</p>
<p>縄文時代晩期に作られた土偶の中には、ゴーグルのような大きな丸い眼孔と閉ざされた瞼により一直線となった眼が特徴的な遮光器形土偶がある。その眼は蛇の眼のようにも見える。ちなみに、夜行性の蛇の眼は丸くて大きく、光を当てると、瞳が縦長になる。ただし、遮光器形土偶の眼の線は、縦長ではなく、水平である。それは文字通り水のように平らなのだ。</p>
<p>水のようだといっても蛇のようだといっても、それは縄文人にとっては同じことである。蛇は水の神である。だから、例えば、縄文土器の文様が蛇なのか流れる水なのかといった議論にはあまり意味がない。母なる大地を流れる川のように大地を這うから、蛇は神の化身として信仰されたのである。それゆえ、蛇が崇拝された理由は水が崇拝された理由と同じである。</p>
<h2>12. 異界は鏡像的他者である</h2>
<p>ここでもう一度図２を見て欲しい。あの世は、ちょうど水面に映し出されたこの世のように見えないか。水は、あの世を映し出す鏡であり、だから、縄文人は、鏡としての水に畏敬の念を抱いたはずだ。アイヌ人もまた、鏡や写真を恐れた。江戸末期の頃、武士は写真を撮られると、魂が奪われるといって怖がったが、これもまた、あの世をこの世の鏡像的対応物とする考えに基づいている。</p>
<p>鏡や鏡の働きをするものは、この世とあの世のインターフェイスである。鏡に映し出された自分を見ていると、魂があの世の自分に移ってしまい、この世の自分は、石のような無生物になってしまうかもしれない。西洋の神話でメデューサの眼を見た者が石になると語られたのは、このためだろう。</p>
<p>メデューサの神話とナルシスの神話には、共通のモティーフが見られる。美少年ナルシスが愛したのは、水面に移った鏡像的他者であり、彼は、母の無限の欲望に飲み込まれ、湖に身を投げた。地上に残ったのは、石ではなくて、一輪のスイセンであったが、この違いは重要ではない。ペルセウスは、母の欲望に打ち克ち、メドゥーサの首を切り落とすことで、去勢を自ら成し遂げた。</p>
<p>日本には、次のような「蛇女房」の話がある。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409540521/ref=nosim" title="Source: 竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち; Author: 篠田 知和基; Publication Date: 1997/11; Publisher: 人文書院" class="blockquote">
<p>どこからか来た美しい女が嫁になるが、あるとき昼寝の場面を覗いたら女は蛇になっていた。蛇は見られたことを恥じて山の湖に去ってゆくが、去り際に目玉をくりぬいて、これをしゃぶっているようにと子供に残してゆく。「蛇の目玉」である。話はこの後、その目玉を殿様に召し上げられ、さらにもう一つの目玉まで取られるに及んで、蛇が洪水を起こし、領民一同水の底に消えてゆくと語っている。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[篠田 知和基：<cite title="著者：篠田 知和基；書名：竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち；出版年：1997/11；出版社：人文書院"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409540521/ref=nosim">竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち</a></cite>, p.20] </div>
<p>中国の山東省にも、似たような民話がある [池上 正治：<cite title="著者：池上 正治；書名：龍の百科；出版年：2000/01；出版社：新潮社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106005794/n08-22/ref=nosim">龍の百科</a></cite>, p.191-193]。</p>
<div class="remark">
<p>崔黒子（ツオエヘイツ）という男が、龍の子を見つけて育てたが、大きくなると世話をすることができなくなって、洞窟に連れて行くことになった。崔が皇帝の命令で龍の眼が必要になると、龍は左の目玉を与えて、恩返しをした。この功績で崔は大臣となり、傲慢となり、今度は龍の許可もなく、龍の右目を取ろうとしたところ、龍に呑み込まれてしまった</p>
</div>
<p>蛇ではなくて、竜の話だが、本質的な違いはない。</p>
<p>蛇の目は鏡である。自己を鏡像的他者に置き換える死の抱擁という点で、水面に落ちるナルシスの物語や見る人を石にするメデューサの物語と同じモティーフを有している。蛇には鏡像的他者、つまり母の性格が残っている。</p>
<p>ここで、話を縄文時代の遮光器形土偶に戻そう。あの土偶の一直線になった眼は、風が吹かず、鏡のようになった水面を横から見た形となっている。直線のない丸い眼の土偶もあるが、それは水面を上から見た形である。縄文土偶の眼が大きく描かれ、強調されているのは、そこが、あの世を映し出す鏡だからだと考えられる。</p>
<p>『古事記』に、雄略天皇があの世の鏡像的他者と出会ったことが記されている。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096580015/n08-22/n08-22/ref=nosim" title="Source: 新編日本古典文学全集 (1) 古事記; Author: 山口 佳紀 他; Publication Date: 1997/05; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>ある時、天皇は葛城山に登りにお出かけになったが、この時百官の人たちはみな紅の紐を着けた青摺りの衣服を頂戴して着ていた。その時に、その葛城山の向かいの山の裾から、山の上へ登る人がいた。全く天皇の行幸の列にそっくりで、また人々の服装の様子や人数もよく似て区別しがたかった。そこで、天皇がこれを眺め、尋ねさせて、</p>
<p class="indent">このヤマトの国に、私の他に二人と王はいないのに、今誰がこのようにしていくのか。</p>
<p>と言ったところ、直ちに向こうから答えて言った言葉のさまもまた、天皇のお言葉のとおりだった。そこで天皇は大いに怒って矢を弓につがえ、百官の人たちもみな矢をつがえて構えた。すると、向こうの人々も同じくみな矢をつがえて構えた。それで天皇はまた尋ねて、</p>
<p class="indent">そちらの名を名乗れ。そうして、お互いに名を名乗ってから矢を放とう。</p>
<p>と言った。これに対し、相手は答えて、</p>
<p class="indent">私が先に問われたので、まず私から名乗りをしよう。私は悪いことでも一言、善いことでも一言のもとにきっぱり言い放つ神、葛城の一言主の大神である。</p>
<p>と言った。天皇はこれを聞いて恐れかしこまり、</p>
<p class="indent">恐れ多いことです、わが大神よ。私は現身の人間なので、あなたが神であることに気づきませんでした。</p>
<p>と申して、大御刀と弓矢をはじめとして、百官の人たちが着ていた衣服を脱がせ、拝礼して献上した。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[<cite title="著者：山口 佳紀 他；書名：新編日本古典文学全集 (1) 古事記；出版年：1997/05；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096580015/n08-22/n08-22/ref=nosim">新編日本古典文学全集 (1) 古事記</a></cite>, p.] </div>
<p>雄略天皇が、自分を現身（うつしみ）と言っている。「現す」「移す」「映す」「写す」は、すべて「うつす」と読む同根の語である。あの世の自分が本物で、自分は鏡に映された「写し身」にすぎないと考えられていたのである。</p>
<h2>13. 鏡の語源は何か</h2>
<p>日本人は「鏡（kyang)」を「かがみ」と訓じる。多くの学者は、その語源を「影見（かげみ)」に求めているが、吉野裕子は、 蛇の古語が「カカ」であること、『捜神記』で、蛇の目が大鏡に譬えられていることを手掛かりに、「カガミ」を「蛇目（カカメ）」の転訛と推測している [吉野 裕子：<cite title="Source: 蛇―日本の蛇信仰, p.78-58; Author: 吉野 裕子; Publication Date: 1979/01; Publisher: 法政大学出版局"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4588203215/n08-22/ref=nosim">蛇―日本の蛇信仰</a></cite>, p.84]。吉野はさらに、名前に「カガミ」を含む植物が、すべて蛇そっくりの蔓植物であることを手掛かりに、「カガミ」を「カカ」＋「ミ」、つまり「蛇」＋「身」と も解釈している [吉野 裕子：<cite title="Source: 蛇―日本の蛇信仰, p.78-58; Author: 吉野 裕子; Publication Date: 1979/01; Publisher: 法政大学出版局"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4588203215/n08-22/ref=nosim">蛇―日本の蛇信仰</a></cite>, p.84]。</p>
<p>しかし、「カガミ」の「ミ」は甲類で、「身」の「ミ」、「目」あるいは「眼」の「メ」は乙類だから、この解釈は無理である。『類従名義抄』には、「カヾミル」という訓もあることから、「蛇」＋「見る」と解釈 してはどうだろうか。ちなみに、「見る」の「ミ」は、甲類である。「カヾミル」は、転訛して「カンガミル」（鑑みる）になった。</p>
<p>吉野が指摘するように、古代人にとって蛇の目は鏡であった。そして、鏡像的段階の古代人にとって、「蛇」＋「見る」としての「カヾミル」は、「蛇を見る」でもあり「蛇が見る」でもあった。それは、鏡像的段階の幼児が、母という鏡像的他者を見るとき、同時に母が見る自己を母において見ているのと同様である。原始の日本人は、銅鏡ではなくて、水面を鏡として使っていたはずだ。その時、我々の祖先は、蛇のように身を「カガメ」て、「カガミ」に「カカ」を「ミ」たことだろう。</p>
<h2>14. なぜ蛇崇拝は地母神崇拝なのか</h2>
<p>古代の日本人は、蛇を「カカ」と呼んでいただけでなく、「ハハ」とも呼んでいた [吉野 裕子：<cite title="Source: 山の神―易・五行と日本の原始蛇信仰; Author: 吉野 裕子; Publication Date: 2004/11; Publisher: 人文書院"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409590111/n08-22/ref=nosim">山の神―易・五行と日本の原始蛇信仰</a></cite>, p.31]。古代の日本語には、K音とH音の区別がなかったので、両者は同じ言葉である。蛇がハハと呼ばれていたことは、蛇信仰が地母神崇拝であることを示している。</p>
<p>現代の日本人には、「ハハ」とは違って、「カカ」はなじみがないかもしれないが、江戸時代の武士は、今のように「おかあさん」ではなくて、「おかかさま」という呼び名を使っていた。現在では、「嚊天下（かかあでんか）」などに過去の形が残っている。</p>
<p>蛇の呼称としても、今でも、青大将のことを「山カガシ」あるいは「山カカ」と言ったりする。「山ハハ」の方は、「山の神」という意味を保持しつつ、「山姥（やまんば）」に転訛した。</p>
<p>後に母を意味するようになる言葉が、かつて蛇を指す言葉として使われていたことは注目すべきことである。吉野がこの点を指摘しないのは、これは多分、蛇とペニスの形状の類似性から、母には無縁と考えたからだろう。しかし、古代人は、男根期以前の幼児と同様に、ペニスのはえた母、いわゆるファリック・マザーの幻想を抱いており、蛇信仰と地母神崇拝は、まったく矛盾しないのである。</p>
<h2>15. ペニスは胎内回帰のための橋である</h2>
<p>幼児は、なぜ母にペニスがあると信じたがるのだろうか。それは、幼児にとってペニスは、胎内に戻るための橋だからである。フロイトも、Sandor Ferencz の説［Sandor Ferencz：The symbolism of the bridge, International Journal of Psychoanalysis 3:163-168, 1922］に従って、橋を、両親の体をつなぐペニスの象徴であると考えている [フロイト：<cite title="著者：フロイト；書名：フロイト著作集 (1), 精神分析入門（正・続）；出版年：1971/01；出版社：人文書院"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409310011/n08-22/ref=nosim">精神分析入門（続）</a></cite>;<cite title="著者：Sigmund Freud；書名：Gesammelte Werke. In 18 Baenden mit einem Nachtragsband. Werke chronologisch geordnet.；出版年：2001/11；出版社："><a href="http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3596503000/d00-21/"> Gesammelte Werke</a></cite> Bd.15, p.25]。</p>
<p>母と子をつないでいたへその緒という橋が切断された後、男の子は、その代替物を自分のペニスに求め、そして、母にもその鏡像的対応物としてのペニスを想像する。ラカンは、これを想像的ファルスと名付けている。</p>
<p>神話などに登場する橋は、たいがい、川の向こうの対岸や海の向こうの島として表象されるあの世（胎内）へ入るためのペニスである。本節の最初に紹介した「袋の中の鳥」の話でも、袁相と根碩は、石橋を渡って、洞窟の中に入っていった。イザイホーでは、この世とあの世（ニライカナイ）との間に架けられた七つ橋を神女たちが走って渡った。</p>
<p>梅原によれば、橋と走ることには語源的につながりがある。アイヌ語の「パシ」は、「走る」という意味だが、日本語のｈ音は、奈良時代以前の上代ではｐ音で発音されていたので、「ハシ」＝「走る」という等式が成り立つ。アイヌ語の「ラ」は「下」を意味するので、「ハシラ（柱）」は、「下に走る」もしくは「下から走る」のどちらかである。そして、梅原は、この語源分析から、久高島の七つ橋渡りと諏訪の御柱祭りに共通点を見出す。</p>
<h2>16. 諏訪の御柱祭の起源は何か</h2>
<p>日本人は、古くから柱を神聖視してきた。縄文時代の三内丸山遺跡や真脇遺跡などで巨大木柱が発見されたことを考えると、御柱祭のような今に伝わる柱信仰の起源も、縄文時代の信仰にまで遡って求めることができそうだ。実際、御柱祭りが行われる諏訪地方は、縄文文化の中心地だった。そして、梅原は、ここから、縄文時代の人が憧れたあの世は、天の上にあったと主張する。</p>
<p>梅原によれば、御柱祭りの柱は、記紀に記されている、天と地の間にかけられた天の浮き橋に相当し、この橋を通って、神々が「下に走る」もしくは「下から走る」がゆえに、「ハシラ」と呼ばれた。たしかに、記紀の時代には、そう考えられたのだろう。しかし、私は、御柱祭りでの「ハシラ」は、縄文時代には天に登るための柱ではなくて、地下に降るための柱だったと思う。そして、その名残が、御柱祭りのハイライトである木落しとして残っているのではないだろうか。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim" title="Source: 梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上); Author: 梅原 猛; Publication Date: 2001/05; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>「木落し」というのは山の斜面から御柱を落とすのであるが、裸の木に人が馬乗りになり、身体を支える何もない状態で、急斜面を降りるのである。ものすごいスピードで落下する。御柱に乗る男たちはその行方も知れぬ柱に必死でつかまり、振り落とされ、振り落とされたらまた乗り、と危険を繰り返すのである。最後まで御柱に乗っている男は英雄となるが、御柱の下敷きになったり、振り落とされて死ぬものもいる。御柱には死者は付きものである。しかし誰も祭りの残酷さを責めようとはしない。むしろ死人が出ることで祭りは盛り上がり、神はそれを喜び給うているとこの土地の人は思っているかのようである。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[梅原 猛：<cite title="著者：梅原 猛；書名：梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)；出版年：2001/05；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096771074/n08-22/ref=nosim">梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)</a></cite>, p.184] </div>
<p>木落しが建御柱を行う途中で起きる付随的で非本質的なハプニングでないように、死者が出ることも付随的で非本質的なハプニングではない。木落としで死んだ男は、母なる大地に戻る。彼がつかまっている木は、胎内回帰のためのファリック・マザーのペニスである。「はしら」とは、地下にあると縄文時代に信じられていたあの世、黄泉の国に向かって「下へ走る」ことだったと考えることができる。地母神の胎内に回帰するための橋だった柱が、なぜ天に登るための柱になったのかに関しては、また後で次の節で説明することにしよう。</p>
<p>柱が、天上に登るためのではなくて、地下に降るための橋であったことは、かつて日本に存在した「人柱」の習慣を見ればわかる。水害や旱魃といった、暴れる水の神をなだめるために、人間が、生き埋めになったり、水中に沈められた。人柱は、神として崇められた。そのためなのか、日本では、神を数えるとき、一柱、二柱というように、「柱」という単位を使う。</p>]]>
    </content>
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    <title>なぜ竜がいないのに竜宮なのか</title>
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    <published>2006-01-27T18:28:01Z</published>
    <updated>2008-01-14T10:40:48Z</updated>

    <summary>前節では、かつて、あの世が水中・地下・島・対岸など、地母神の子宮を象徴する場所に存在したこと、そしてその子宮に入るための橋であるペニスが、蛇として観念されていたことを確かめた。読者の中には、竜宮伝説に...</summary>
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        <name>Nagai Tosiya</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nagaitosiya.com/b/">
        <![CDATA[<p>前節では、かつて、あの世が水中・地下・島・対岸など、地母神の子宮を象徴する場所に存在したこと、そしてその子宮に入るための橋であるペニスが、蛇として観念されていたことを確かめた。読者の中には、竜宮伝説には蛇は登場しないではないかといぶかしむ人もいるかもしれない。たしかに、蛇は登場しない。しかし、蛇に相当する動物が、代替として登場する。その代表が竜である。</p>]]>
        <![CDATA[<h2>1. 竜とは何か</h2>
<p>中国における竜（龍）、ヨーロッパにおけるドラゴンの語源は何だろうか。ドラゴンは、蛇を意味するギリシャ語、ドラコーンに由来する。竜の甲骨文字は、蛇の原字の頭に辛字形の冠飾を付けた形となっいる。だから、蛇をモデルにした動物である。</p>
<p>しかし、竜やドラゴンは、たんなる蛇ではない。それは、たしかに、爬虫類のような鱗を持ち、胴体は蛇のように長いが、他方で、空を飛ぶ。西洋のドラゴンなどは、鳥のように翼を持つ。ここからわかるように、竜とは、蛇と鳥という二大トーテムを合成した空想上の動物である。アメリカ大陸では、ケツアルコアトルという、羽のはえた蛇が崇拝されていたが、あれも一種の竜だと考えてよい。</p>
<p>中国では、鳳凰が、龍と並んで崇拝されているが、鳳凰も竜と同様に合成獣である。龍が部分的に鳥の蛇であるのに対して、鳳は部分的に蛇の鳥である。中国の龍には、角が生えているが、これは、中国の伝承によれば、雄鶏の角を盗んだものだということになっている。鳳凰は、首の部分が蛇であるとされている。</p>
<h2>2. 日本の空崇拝は海崇拝である</h2>
<p>蛇信仰が純粋な地母神崇拝に基づくのに対して、竜信仰は、母権宗教から父権宗教への移行期に現れる。日本神話は、そうした移行期のコスモロジーに基づいて作られている。国つ神に対する天つ神の優位は、日本文化が父権的であることを示しているように見えるかもしれないが、実は、そうではない。日本文化には今日に至るまで、縄文時代の母権的価値観が色濃く残っている。</p>
<p>例えば、アマテラスは、太陽神のはずなのに、女であり、高天原にいるはずなのに、鎌倉時代に書かれた『通海参詣記』では、蛇だったということになっている。このことは、縄文時代に地母神に仕えていたシャーマン、蛇巫が、弥生時代には太陽神に仕える日巫女（ひみこ）となり、それが後に太陽神と同一視されるようになったからだと推測できる [永井 俊哉：<cite title="Source: 縦横無尽の知的冒険; Author: 永井 俊哉; Publication Date: 2003/07/15; Publisher: プレスプラン"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4921132860/n08-22/ref=nosim">縦横無尽の知的冒険</a></cite>, p.173-183]。</p>
<p>蛇をトーテムとする縄文文化は、弥生時代になって衰えたが、蛇憑きは、最近まで中国地方や四国地方に残っていた。『古事記』は、ヒナガヒメの正体を蛇としているが、これも蛇を地母神とする古い観念の残存であろう。</p>
<p>『記紀』が成立するころには、海崇拝よりも空崇拝の方が強くなった。しかし、日本は、父権宗教のように、地下や海を悪魔の領域とはせずに、空を海の一種とすることで、海崇拝から空崇拝へとスムーズに移行することができた。そのことは、太陽船という観念にみてとることができる。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595458/n08-22/ref=nosim" title="Source: アマテラスの誕生; Author: 筑紫 申真; Publication Date: 2002/05; Publisher: 講談社" class="blockquote">
<p>船がその上に太陽をのせて陸地をめざして訪れるという太陽船の信仰は、東南アジアにひろくみられる信仰であり、そしてまたそれは日本でも古墳時代にはあきらかに信じられていました。そのことは、古墳の壁画にそのような太陽をのせた船、つまり太陽船が描かれていることでわかります。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[筑紫 申真：<cite title="著者：筑紫 申真；書名：アマテラスの誕生；出版年：2002/05；出版社：講談社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595458/n08-22/ref=nosim">アマテラスの誕生</a></cite>, p.205] </div>
<p>太陽船という観念は、古代エジプトにも存在した。青い空をよぎる太陽は、青い海をよぎって航行する船に乗っているかのようである。</p>
<p>過渡的な地母神崇拝の時代においては、空は第二の海であり、しばしば地母神の胎内と同一視された。このことを、高天原の語源分析で示そう。「たかまがはら」は、タカ＋アマ＋ハラの三つの言葉から成り立っている。このうち、“Ama”は、シュメール語や中国広東語 で「母」を意味し、日本語の「あま（尼・天）」は、そこに由来している。タカを「高貴な」、アマを「母」、ハラを「腹」と解釈するならば、高天原とは、聖母の母胎のことで、高天原からの天孫の降臨とは、ニニギが、聖母の胎内から産まれ落ちたということになる。これは、母なる海から人間が生まれるという母権時代のモデルを九十度回転させただけである。</p>
<h2>3. 天橋立伝説は何を意味するのか</h2>
<p>日本神話においては、この世からあの世への通路は、水平方向でも、垂直方向でも、橋として表象される。『丹後国風土記逸文』には、それを示すこんな件がある。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096580058/n08-22/ref=nosim" title="Source: 新編日本古典文学全集 (5) 風土記; Author: 植垣 節也; Publication Date: 1997/09; Publisher: 小学館" class="blockquote">
<p>国をお生みになった大神、イザナギノミコトが、天にお通いになろうとして、橋を建立なさった。それで、アマノハシダテといった。神がお休みになっている間に倒れてしまった。</p>
</blockquote>
<div class="cite">[<cite title="著者：植垣 節也；書名：新編日本古典文学全集 (5) 風土記；出版年：1997/09；出版社：小学館"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096580058/n08-22/ref=nosim">新編日本古典文学全集 (5) 風土記</a></cite>, 丹後国風土記逸文] </div>
<p>天橋立は、京都府宮津湾にある砂嘴で、日本三景の一つとして知られる景勝地であるが、古代の日本人は、この橋を、天と地を結ぶ橋が倒れたものと表象していた。もっとも、実際の順序は逆で、最初に水平方向の現実の橋があって、次に、垂直方向の橋を想像しているわけで、この実際の順序は、現実的な蛇の信仰から想像的な龍の信仰へという思惟の歴史を反映している。</p>
<p>天橋立の景観は「飛龍観」と呼ばれている。股のぞきをすると、海と空が逆転し、天橋立が、空を飛ぶ龍のように見えるからである。実際に股から覗いたわけではないが、天橋立の写真とそれを天地逆にした写真を掲載したので、それをご覧いただきたい。図4は、空が海で、海が空だと思えば、昇竜の写真のように見えないだろか。</p>
<blockquote cite="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%A9%8B%E7%AB%8B" title="Source: 天橋立 - Wikipedia; Accessed Date: 12/11/2005">
<img src="urashima003.jpg" width="275" height="260" /></blockquote>
<div class="text_bottom">
<p><span class="bold">図3 海中の竜としての天橋立</span> [<cite><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/天橋立">天橋立 - Wikipedia</a></cite>：南側からの天橋立の眺め（飛龍観） 2005年7月24日 nnh撮影] </div>
<blockquote cite="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%A9%8B%E7%AB%8B" title="Source: 天橋立 - Wikipedia; Accessed Date: 12/11/2005">
<img src="urashima004.jpg" width="275" height="260" /></blockquote>
<div class="text_bottom"><span class="bold">図4 空中を飛ぶ竜としての天橋立</span> [図3を上下逆にしたもの] </div>
<p>天に架かる橋という想像を可能にした自然現象として、虹を挙げることができる。「虹」という漢字は、「蛇」と同様に、「虫」の字が付くが、この「虫」は昆虫という意味ではなくて、本来は、爬虫類の形を模した象形文字である。だから、虹は一種の竜と考えられていたと考えてよい。なお、虹は雄の方で、雌の虹は、霓（本来は、虫偏に兒）と呼ばれていた。甲骨文に「昃（ゆふぐれ）にまた出霓（虫偏に兒）ありて北よりし、河に飮（みづの）めり」とあって、虹が現れるのは、竜が河水を飲みに下る時とされていた［白川静：<cite title="Source: CD-ROM版 字通; Author: ; Publication Date: 2003/08/02; Publisher: 平凡社"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000C85L9/n08-22/ref=nosim">字通</a></cite>］。</p>
<p>虹は実体のない橋であり、竜のような幻想のモデルにふさわしい。浦島伝説においても、この世と竜宮とをつなぐ橋は、禁忌を犯すことで、虹のようにあっという間に消え、浦島は竜宮に戻ることができなくなってしまった。</p>
<h2>4. 天橋立伝説と浦島伝説と羽衣伝説を結ぶ線</h2>
<p>ところで、天橋立の話を載せている『丹後国風土記逸文』に、浦島伝説とならんで羽衣伝説が記されているが、これは偶然ではない。羽衣伝説は、中国の七夕伝説の影響を受けたりして、様々なバージョンを生むことになるのだが、典型的には、次のような要素を持つストーリーである。</p>
<ol>
<li>ある男が、水浴びをしている天女を見つけ、近くに脱ぎ捨ててある羽衣を盗んで隠してしまう。</li>
<li>羽衣を見つけられない天女は天に帰ることができず、止むを得ず、羽衣を盗んだ男と結婚する。</li>
<li>その後、男の油断により、天女は羽衣を見つけ、天に戻ってしまう。</li>
<li>男は追いかけるが、天の川の向こうには渡ることができない（七夕的付加）</li>
</ol>
<p>羽衣伝説は、男が彼岸に行く代わりに女が此岸に来るという点で、竜宮伝説の逆になっている。竜宮伝説では、女が積極的に誘ったのに対して、羽衣伝説では、男が強引に女を引き寄せる。だから、羽衣伝説は、竜宮伝説の続きであると解釈すると、わかりやすい。竜宮伝説が、胎内から出てしまって、戻れなくなる話であるのに対して、羽衣伝説は、胎内に戻ろうとして、失敗する話なのである。</p>
<p>羽衣伝説は、後に、鶴女房という民話になり、それはさらに、木下順二が書いた『夕鶴』という演劇で有名になった。鶴女房のあらすじは、以下のようなものである。</p>
<div class="remark">
<p>昔、一人暮らしをしている、ある貧乏な若者が鶴を助けてやった。すると、しばらくして、美しい娘が、その若者の家を訪れ、彼の女房になった。彼女は、機織部屋を作ってもらい、「私が部屋を出てくるまで、絶対に中をのぞかないでください」と言って、その部屋で機を織り、美しい布を織った。若者は、その布を売って、金持ちになった。</p>
<p>ところが、ある日、若者は、なぜ女房が、糸もないのに、機を織ることができるのか不思議に思って、機織部屋を覗いてしまった。すると、部屋の中では、鶴が、自分の羽を嘴で抜いて、機を織っていた。女房は、助けた鶴だったのである。彼女は、「あなたに本当の姿を見られては、もうあなたのおそばにはいられません」と言うと、空へ舞い上がって、二度と戻らなかった。</p>
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<p>これは、かなり浦島太郎物語に近くはないだろうか。羽衣伝説も、竜宮伝説も、仏教的な因果応報の影響を受けたためなのか、後世には、鶴の恩返しや亀の恩返しといった動物報恩譚が付け加えられた。中を覗くなという禁忌とそれを男が破ることによる別離という点でも、似ている。中国版竜宮伝説である「袋の中の鳥」では、袋を開けると、青い鳥が飛んでいくという場面があったが、青い鳥は、青い服を着ていた乙女のことだから、その点では、夕鶴に似ている。</p>
<p>鶴女房の話では、羽衣伝説の天女が鶴という鳥になった。なぜ鶴が選ばれたのだろうか。私は、鶴が蛇のように長い首を持っているからだと思う。西洋の神話では、天女が白鳥であることが多いが、白鳥の首も、蛇のように長い。これらは、いずれも、中国の鳳凰に相当する鳥だ。七夕の牽牛星（アルタイル）と織女星（ベガ）が、はくちょう座を構成しているのも、偶然ではないのかもしれない。</p>
<h2>5. なぜ鶴女房は機を織ったのか</h2>
<p>七夕（しちせき）は、日本では「たなばた」と訓ずるが、「たなばた」は、本来「棚機（棚のように見える横板のついた織機）」であったはずだ。日本の鶴女房も中国の織姫も、機を織っていた。アマテラスも記紀では、機を織っている。機を織るということにはどのような意味があるのだろうか。</p>
<p>機を織ることは、女の伝統的な仕事である。フロイトは、女が衣類を編むのは、ペニス羨望ゆえに、擬似ペニスを作りたがっているからだと説明している。しかし衣類はペニスの形をしていない。むしろ糸をペニスと見立て、織物を母体とするならば、機織機で、糸が織物へと織り込まれていくさまは、川が海に注ぎ込む様子と似ている。</p>
<p>しかしながら、機織姫伝説では、視覚的象徴よりも聴覚的象徴のほうが重要である。鶴女房が機を織る姿を見ることができなくても機を織る音は聞こえていた。また、これとは別に、日本各地に、川や池など水の底で機を織る女性の伝説が残っているが、ここでも、姿は見えず、音だけが聞こえる。</p>
<p>では、機を織る音は、何の象徴なのだろうか。私は、それは、胎内の音の再現ではないかと考えている。胎内音は海の波打つ音に似ている。そして、波の音の周期と、胎内で聞こえる心臓の鼓動の周期と、機織の音の間隔は、ほとんど同じである。</p>
<p>浦島太郎物語では、機織が出てこないが、これは海の寄せ来る波の音が、胎内回帰願望を掻き立てる背景音として十分効果を発揮しているからである。これに対して、川や池など、それがない所では、機織の音で、代替となる背景音を作らなければならない。</p>
<h2>6. 人は胎内振動の再現に共鳴する</h2>
<p>胎児は聴覚が十分発達していないので、胎内音を聞くというよりも、むしろそれを振動として感じたはずだ。私たちの意識は、胎内での体験を忘れているが、私たちの無意識は、今でも胎内の生命のリズムに深く共鳴する。クラブでは、人々は、子宮の中のような暗闇の中で、ビートに合わせて体を揺すり、エクスタシーに酔うが、それは胎内にいた時の記憶が甦るからなのだろう。</p>
<p>フロイトが指摘するように、乳幼児は、身体を機械的に揺すられることに性的興奮を感じる。むずかる赤ちゃんも、ゆりかごに入れて揺り動かしてやると、寝つかせることができる。幼児は、ブランコが好きだし、鉄道で揺られることも好きである。そのため、鉄道の運転手になりたがる少年は少なくない。</p>
<blockquote cite="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409310054/n08-22/ref=nosim" title="Source: フロイト著作集 第5巻 性欲論・症例研究 (5); Author: フロイト 他; Publication Date: 1969/01; Publisher: 人文書院" class="blockquote">
<p>少年たちは、鉄道での出来事に、尋常ならざる謎めいた関心を向け、空想が活発になる年頃（思春期の少し前）になると、その出来事をこの上ない性的象徴の核にするのが常である。</p>