フロイトの反復説
本書の浦島伝説解釈は、フロイトの象徴解釈に負うところが多い。だから、反復説に基づいて、去勢の歴史を再構築する前に、まずフロイトの反復説の検討から始めなければいけない。
1. フロイトのトーテム論の問題意識
フロイトは、ヘッケルの進化論的反復説の影響を受け、幼少年期の心理を理解するには、未開社会や原始社会の研究が必要だと考えていた。1913年の論文「精神分析学の関心」の中で、フロイトは、
ここ最近の数年の精神分析学的な仕事の結果、「個体発生は系統発生の反復である」という命題は心的生活にも適用可能でなければならないという思いが強くなってきた
と書いている。フロイトが1912年に出版した『トーテムとタブー』は、ヘッケル的な反復説を精神分析学に適用しようとした結果である。
『トーテムとタブー』で、フロイトは、原始(未開)人と子供が動物に対してとる共通の態度に注目する。
子供の動物に対する関係は、原始(未開)人の動物に対する関係ととてもよく似ている。子供は、後に、自分の気質と他の動物的なものすべてとの間に明確に一線を画そうとするようになる、文明国の成人のあの高慢さをまだこれっぽちすら示すことがない。
子供向けの話には、よく動物の主人公が登場する。それは、子供が動物と自己同一できるからである。だから、物語の中で、動物が、人間のように話をしたり、人間のような感情を持つことに全く違和感を持たない。男の子が、人間の主人公をヒーローとする偉人伝を聞いて、偉人崇拝を始めるのは、もっと大きくなってからのことであり、また、女の子が人形を使って「お母さんごっこ」をするようになるのも年長になってからであって、それ以前は、動物のぬいぐるみをかわいがるものである。
同様に、未開社会や原始社会の人々も、動物をトーテムとして自己同一できる存在として認知し、動物の偶像崇拝をする。人格神を崇拝し、動物を人間以下の存在として軽蔑するようになるのは、個人史的にも、人類史的にも、かなり後になってからのことである。
2. トーテムとは何か
トーテムというと、アメリカインディアンが建立したトーテムポールを連想する人が多いかもしれない。確かに、トーテムという言葉は、アメリカ北東部に住むオジブエ族が、自分たちの先祖として崇拝していた動物(まれに、植物や自然現象)を“オトテマン Ototeman”と呼んでいたことに由来するのだが、トーテミズム、すなわちトーテム崇拝は、決してアメリカインディアン特有の信仰ではなく、文明以前の自然民族に広く見られる宗教の形態である。
フロイトは、トーテミズムを、タブー(禁忌)という観点から、次のように特徴づけている。
トーテムは、もともとは、動物だけであって、各部族の先祖としてみなされていた。トーテムは母系で継承され、そのトーテムを殺したり(あるいは、未開社会ではよくあることだが、食べたり)、同じトーテムに属する者どうしが性的に交わったりすることが禁止された。
3. タブーはエディプス・コンプレックスの産物か
フロイトは、エディプス・コンプレックスが、馬に対する恐怖という形で現れたハンス少年の症例を手掛かりに、原始人/未開人が恐れるトーテムを父の象徴と解釈する。そして、この解釈に基づいて、フロイトは、トーテミズムのタブーを、エディプス・コンプレックスに結びつけようとする。
トーテム動物が父だとするならば、トーテミズムの二つの主要な戒律、すなわち、トーテムを殺すな、同じトーテムに属する女と性交するなという、トーテミズムの本質を形成する二つのタブーの規定は、自分の父を殺害して、自分の母を妻としたエディプスの二つの犯罪的行為と内容的に一致する。
そして、二つのタブーの成立を説明するためにフロイトが考案した仮説が、有名な原父殺害の物語である。
ダーウィンは、高等なサルの生活習慣から、次のように推測した。人類も、もともとは、その内部で、最も年上で、最も力の強い一人の雄が性的乱交を阻止している、小さな群れを成して住んでいたと。
ここで言う「高等なサル」とは、ゴリラのことなのだろう。ゴリラの群れでは、シルバーバックと呼ばれる一頭の強い雄が、ライバルとなる雄をすべて追放し、群れのすべての雌を独占している。ゴリラよりも人類に近いチンパンジーでも、少数の雄が雌を性的に独占し、若い雄には、交尾のチャンスがほとんどない。だから、人類にもかつて一夫多妻の時代があったという仮説に、可能性がないとは言えない。
異論の多いフロイトの奇妙な空想は、この後始まる。
ある日、追放されていた兄弟たちが、力を合わせて父を打ち殺し、食べてしまった。その結果、父による群れの支配が終焉を迎えた。
なぜ、父を殺すだけでなく、食べてしまったかといえば、息子たちは、一方では、父に憎しみを持ちながらも、他方では、父のようになりたいという憧れも持っていたからで、食べるという行為は、父との同一化を意味している。このように、相反するアンビバレントな感情の複合(コンプレックス)が、エディプス・コンプレックスの特徴をなしている。
息子たちが父を殺し、彼らの憎しみが和らげられ、彼らの父との同一化願望が満たされた後、そうした沈静化した、思いやりに満ちた情動を持続させなければならなかった。
原父殺害を繰り返さないように、息子たちは、自分たちの群れの女性と性交しないことを決め、父を象徴するトーテム動物を殺さないようにし、祭りの際にのみ、トーテム動物を殺して食べ、原父殺害の記憶が風化しないようにしているというわけである。
4. フロイトのトーテム論の問題点
私は、以上のフロイトによるトーテミズムの説明は、反復説という観点からすると、以下の理由で、問題があると思う。
4.1. 子供は動物を目上として恐れない
フロイトは、「子供の動物に対する関係は、原始(未開)人の動物に対する関係ととてもよく似ている」と言うが、トーテム動物を父と解釈したために、並行関係が崩れてしまっている。原始時代に存在したとされる追放された息子たちは、原父に恐怖を感じていたはずだが、子供たちは、一般に、動物に恐怖を感じない。子供たちにとって、動物は、自分たちと同類の友達なのであって、目上の存在ではない。ハンス少年が馬を父の象徴として怖がったのは、馬の首が、勃起したペニスと形状が似ているからであって、トーテムとして崇拝されるすべての動物がファルスとして機能するわけではない。フロイトは、ハンス少年の特殊な例を一般化しすぎている。
4.2. 男根期は最初に現れない
フロイトは、『性欲論三篇』などの著作で、性器の発達段階として、口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期という区分を行っている [Sigmund Freud:Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie., p.98-101]。
ところが、フロイトが想定する系統発生では、去勢を特徴とする男根期が、最初に来る。
太古の時代、人類の家族においては、嫉妬深く残酷な父親によって、成長した少年に実際に去勢が行われていたと私たちは推測する。未開人たちの間で、成人式の一環としてしばしば成される割礼は、去勢の名残をよくとどめている。
割礼は、典型的な父権宗教であるユダヤ教の習慣である。フロイトは、ユダヤ人だから、そのことを知らないはずはない。もしかすると、フロイトは無神論者だから、宗教的なものはすべて未開だと思っているのかもしれない。しかし、同じ宗教でも、割礼を行う父権宗教とエロティシィズムを全面的に肯定する母権宗教は区別されるべきである。割礼は、地母神と人の間にあるへその緒を切断するきわめて父権的なイニシエーションである。
フロイトの説明では、原父殺害の後、息子たちが女を大切にすることで、母権制が誕生したということになるのだが、それでは、系統発生的にも逆になるし、個体発生的にも対応する出来事を見出すことができない。
4.3. トーテムは母系社会の特徴である
トーテム動物が父の象徴だとするならば、なぜ「トーテムは母系で継承され」るのか。トーテム崇拝を行わない文明社会が父系社会であるのに対して、トーテム崇拝を行っている未開社会が母系社会であるのは、おかしいのではないのか。父系の文明社会では、トーテムとして機能しているのは、姓である。男の家に嫁入りした女は、男の姓(ノン・ドゥ・ペール)を名乗る。しかし母系社会では、男が女のトーテムに加入する。トーテムは母の象徴ではないのか。
例えば、日本の縄文時代では、蛇がトーテムとして崇拝されていた。そして、第一章で説明したように、蛇は地母神の使いである。縄文時代が終わった後も、蛇をトーテムとした過去の習慣の痕跡が残った。天皇の即位に際し、代々伝えられる三種の神器もその一つである。
記紀神話によると、三種の神器のうち、草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、スサノヲが出雲の簸川上で倒したヤマタノオロチの尾から出てきたことになっている。クサナギノツルギは、クサを臭(糞)、ナギを、インドのナーガと同根の蛇と解するならば、蛇が糞をひるように、尻尾から出した剣ということになる。この剣は、天羽羽斬剣(あめのはは きりのつるぎ)とも呼ばれ、文字通り、ハハ(蛇)を切った剣である。
八咫鏡(やあたのかがみ)は、親指から中指までの距離(アタ)の八倍の長さを持つ鏡という意味である。天照大神が岩戸隠れした際、天照大神(太陽神)を呼び戻すために使われた鏡で、蛇の丸い眼に相当すると考えられる。
『日本書紀』によれば、持統天皇が皇位を継承したとき、「神璽(かみのしるし)の剣・鏡を皇后に奉る」とある。もともと三種の神器は二種の神器なのであり、持統天皇から文武天皇への皇位継承において初めて三種の神器となった。
新たに加わった八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も蛇の体の一部分であるとみなすことができる。タマは玉でだけでなく、魂でもある。「タマシイ」の「シイ」は複数形語尾であり、「タマ」だけで、霊魂という意味がある。魂である玉が曲がっているのは、蛇の身体が曲がっているからであると考えることができる。ニ(瓊)は、赤い玉という意味で、心臓を表している。ヤサカ(八尺)は、一つの玉の長さとしては長すぎるので、緒に繋いだ 長さと解釈したほうが合理的である。勾玉を紐に通すと、さながら鱗を持った蛇のようになる。
この一例からも窺い知ることができるように、トーテム崇拝は地母神崇拝である。母系社会では具象的な動物が崇拝されていたのに、文明化に伴って、偶像崇拝が捨てられ、姓という抽象的な言葉で、人々が自己同一ができるようになったという変化に注目しなければならない。
4.4. 原父殺害は近親相姦回避の原因ではない
原父殺害と似た出来事が、サルやライオンのハーレムでも起きる。他所から来た若くて強い雄が、年老いて、力が衰えたボスを追放するというアルファ雄の交代劇である。アルファ雄が殺され、食べられるということはないが、激しい決闘で深手を負い、それが原因で命を落とすアルファ雄もいる。これを括弧つきの「原父殺害」と表現することにしよう。
この「原父殺害」は、フロイトがそう考えたような近親相姦回避の原因ではなくて、結果である。雌たちは、アルファ雄が来て間もない頃は、子殺しを防ぐために、雄と一緒に侵入者を防ごうとするが、雄が自分の娘と子供を作る頃になると、もはや雄に協力せず、「原父殺害」を傍観する。新しいアルファ雄は、子殺しの後、雌たちと交尾するが、一見非情に見える子殺しも近親交配を防ぐためのものなのだ。一般に、有性生殖を行っている生物は、すべて原則として近親相姦を回避しているのだから、人類がいかにして近親相姦を回避するようになったかを説明する仮説など不要である。
5. トーテム崇拝は地母神崇拝に基づく
以上の理由から、私は、フロイトのトーテミズムの説明に賛成することができない。フロイト説の最大の間違いは、トーテムを父と解釈した点にある。トーテムを、父ではなくて、母の象徴と解釈すれば、以上の問題点を解決することができる。
人類史におけるエディプス・コンプレックスの時代は、エディプスの悲劇それ自体が成立したころの「枢軸時代」というのが私の解釈である。人類史の男根期に父権宗教が成立したが、それ以前の口唇期と肛門期は、母権宗教の時代であったと考えられる。








