なぜ竜宮は水の中にあるのか
キリスト教やイスラム教や仏教などの世界宗教においては、天国や極楽浄土といった理想的異界は、天の上あるいは天の彼方にあると信じられている。しかし、浦島伝説では、理想的異界は海の中にある。どちらの異界観のほうが古いのだろうか。
1. あの世はかつて天上にはなかった
折口信夫は次のように言っている。
私は日本民族の成立・日本民族の沿革・日本民族の移動などに対する推測から、海の他界観まづ起り、有力になり、後、天空世界が有力になり替つたものと見てゐる。
結論としては、折口に賛成なのだが、問題は、なぜかつては、理想的異界が海の中にあったのか、その理由である。 日本人が南の海から渡ってきたというのは理由にはならない。これは、日本人に限らず、世界に広く見られる異界観の変遷なのだから。
2. 竜宮は土の中にもあった
浦島伝説以外の日本の異界訪問譚、例えば「鼠の浄土」では、理想郷は土の中にある。中国でも、竜宮が洞窟の中にある場合がある。冒頭で紹介した『拾遺記』に記録されている竜宮伝説の舞台は、もともとは、洞庭湖ではなくて洞庭山で、竜宮は洞窟の中にあった。さらに、『拾遺記』よりも前の3世紀頃に、晋の干宝が書いたと伝えられる『捜神記』には、次のような「袋の中の鳥」という話がある。
会稽に、袁相と根碩という二人の男が住んでいた。ある時、二人は狩をするために山奥に入り、ヤギを追ったが、ヤギは一つの石橋を渡っていった。二人も石橋を渡り、ジグザグの小道を登っていくと、洞窟がある。中に入ると、いい匂いがするので、そのまま進んでいくと、一軒の家があった。二人が家を訪ねると、そこには十五、六歳で、非常に麗しい容貌をしている、青い服を着た二人の乙女が住んでいて、二人を家の中に迎え入れた。二人の乙女は袁相と根碩を手厚くもてなして、その妻になってしまった。
二人の男は夢のような心地で毎日をすごしていたが、そのうち故郷が恋しくてたまらなくなり、故郷に帰ることにした。すると、乙女たちは、「どんなことがあっても、この袋を開けてはなりません」 と言って、それぞれ一つの袋をわたした。男たちは約束を守って、決して袋を開けなかった。ところが、ある日、根碩の妻が、好奇心から、夫の留守中に袋の口を開けて しまった。中には青い小鳥が入っていて、そのまま飛び去ってしまった。その後、外で働いている根碩に妻が弁当を持っていくと、夫は既に死んでいた。夫の体から魂が飛び去って、もぬけの殻になっていたのである。
この話の全般的な分析は、また後でやることにして、ここでは、なぜ洞窟の中が理想郷でありうるのかという問題を考えよう。世界宗教では、土の中は、地獄であり、理想郷とは対極的な世界である。しかし、例えば、記紀に描かれている黄泉の国あるいは根の国(根堅州国)には、決してそのような否定的なイメージはない。
根の国は、黄泉の国とも呼ばれていた。黄泉の国の「よみ」は「やみ」の母音交代形 [白川 静:字訓, p.793] であるから、黄泉の国は闇の国である。イザナミを見るために、イザナギが火を灯したぐらいだから、闇の国であったことは確かである。
スサノヲは、根の国および黄泉の国のことを「妣の国」と呼んでいる。「妣」は、死んだ母のことであるから、イザナミのことを指していると解釈できる。しかし「妣の国」という名称には、 たまたまその時イザナミがいたという以上の意味がある。
日本神話は、天つ神と国つ神、高天原と黄泉の国、父性と母性、陽と陰、明と暗、支配者と被支配者、弥生文化と縄文文化という二元論によって構築されていて、イザナギとイザナミもこの二項対立に組み込まれている。イザナミが別名黄泉津大神であることからわかるように、黄泉に属することは、イザナミにとって本質的なことである。
世界宗教が登場するまで、人類は地母神を崇拝していた。乳幼児が父よりも母を頼るように、初期の人類は、父なる天よりも母なる大地にすがっていたのである。
3. 竜宮は地母神の子宮だった
旧石器時代のヨーロッパの遺跡からは、ふくよかな体をした女性の偶像が多数見つかっているが、男性の偶像は見つかっていない。また、この時代には、ラスコー洞窟に代表される壁画遺跡がたくさんあるが、宗教的な絵が洞窟の中に描かれるのは、この時代の宗教が地母神崇拝であることと関係がある。すなわち、洞穴の中は、母なる大地の子宮の内部として表象されていて、そこに豊穣を願う絵が描かれていたわけだ。
フランスとスペインの国境付近にあるニオー洞窟は、床が粘土で、その上には小さな足型がたくさん残っていることから、ここで成人式が行われたと推測されている。胎児が子宮の中から出てきて産まれるように、子供たちは、地母神の「子宮」の中から、狭い通路を通って出てくることで、成人式という第二の出産の通過儀礼を行ったと考えることができる。
子宮の中は羊水で満たされているので、海の中にあると考えられている竜宮も地母神の子宮 であると言うことができる。漢字の「海」の旁「毎」は、髪飾りの付いた母 である。日本語の「うみ」は、「産む」に通じる。ラテン語でも、母(mater)は海(mare)と語源的に近い。
異界は、海の中や土の中以外にも存在することがある。『丹後国風土記』の逸文にある「蓬莱山」は、海中の宮殿ではなく、海に浮かぶ島であった。また、異界が川の対岸として表象されることもある。これらの場所は、物理的空間としては同じでないかもしれないが、神話の象徴空間では、どれもみな地母神の子宮を象徴しているという点で同じである。異界は、羊水に囲まれた胎児の世界として表象されているのである。
文明以前の時代に地母神崇拝があったことは、屈葬の習慣からも伺える。旧石器時代の埋葬には、遺体の腕や脚を折り曲げて浅鉢や甕の中へ入れる屈葬が多い。また、遺体には、血の象徴である赤色顔料がしばしば塗られる。このように遺体を産まれた時の様子を再現して埋葬する習慣は、自分たちが胎内から産まれ、そして死後、再び胎内へと帰っていくと 人々が信じていたからだと説明することができる。
4. 竜宮思想は縄文文化に遡る
浦島伝説で、理想郷としてのあの世が海の中にあったということは、日本人もかつては、地母神を崇拝していたということである。『日本書紀』が編集されたころには、母なる大地よりも父なる天のほうが優位にある。それは、天つ神が国つ神を支配する様々なエピソードに表れている。では、いつから、母なる大地に対する父なる天の優位が始まったのだろうか。私は、縄文時代から弥生時代への変遷の中で、この転換がなされたと考えている。
もっとも、今となっては、縄文人の心の中を知る直接の手掛かりはないのだが、間接的な手掛かりならある。一つは、縄文時代の遺跡からの出土品 であり、もう一つは、縄文文化を本土人以上に忠実に受け継いでいる琉球人とアイヌ人の民俗である。
かつて、本土に住む日本人は、琉球人やアイヌ人を異民族扱いしたことがあったが、現在では、琉球人とアイヌ人の方が原日本人ともいうべき縄文人に近く、これに対して、本土の日本人は、原日本人と朝鮮半島から来た大陸系のモンゴロイドとの混血、すなわち弥生人であることが遺伝学的分析によって実証されるようになった。
宝来聡らの研究 [Satoshi Horai et al: Genetic origins of the Ainu] によると、父系が縄文の血統かどうかは、“Y-haplogroups D-M55/D-M125”という日本人にしか見られないY染色体上の遺伝子の有無によって調べることができるのだが、この遺伝子の保有率は、本土人よりもアイヌ人の方が高い。ミトコンドリアDNAを用いた母系の血統の調査でも、同様の結論が出ている 。
なお、アイヌ人は、縄文の血統を受け継いでいるが、遺伝子分析によると、サハリンを含めた来た北東アジアの血統も受け継いでおり、純粋な縄文人とはいえない。この点、アイヌ人よりも沖縄人の方が、遺伝子的には、縄文人に近いと言える。
アイヌ人が文化的にも北東アジアの影響を受けているように、琉球人は中国大陸から文化的に影響を受けている。アイヌ文化も琉球文化も、縄文文化と全く同じではないことに気をつけなければならない。
5. 縄文人が信仰するのは鳥か蛇か
世界宗教の信者は、生前の行いが正しければ、死者の魂は天に昇るが、悪いことをすれば地獄に落ちると信じている。縄文文化の著名な研究者である梅原猛も、仏教の影響を受けているためなのか、この信仰が縄文時代にも成り立つはずだと確信している。
古代人は他世界の強い信者であったと私は思う。天には神がいて、そこには先祖たちもいて、人間が死ねば、その天にある先祖たちの国に帰るのであろう。しかし、他世界はただ天のみではない。もう一つ、地の底にも他世界があり、それは黄泉の国である。いったんそこに落ちたら、絶対そこからもう出てこられない。人間は、死んで天の国に行くことを願い、地の底の黄泉の国に行くことを恐れる。
もしも、縄文人が天国へ行くことに憧れているならば、空を飛ぶ鳥(またはその人格化である天使)への信仰が主であってもよさそうなのだが、縄文時代の遺跡からの出土品には、弥生時代の遺跡からの出土品とは異なって、鳥の絵が描かれていない。むしろ、縄文時代の土器や土偶には、縄で模った蛇の紋様が多く用いられている。縄文土偶は、ほぼすべて、女の像なのだが、髪が蛇で表されたメデューサのような像もある。だから、地母神崇拝の方が強かったと考えることができる。
梅原は、しかしながら、蛇崇拝にはあまり注目しない。縄文人は、むしろ蛇を危険な存在として、嫌っていたと考えているようだ。
洞窟は、石器時代の人間にとってかっこうの住処であった。それは夏は涼しいし、冬は暖かい。そして獣に襲われる危険もない。ただ唯一の侵入者は蛇であろう。蛇がどうしてあれほど多くの神話や昔話に出てくるか。それは、穴居生活のもっとも大きい障害者が蛇であるということを考えれば、おのずから明らかであるように思われる。
これに対して、鳥信仰は、縄文時代にも、弥生時代と同様に、あるいはそれ以上に強くあったと梅原は主張する。その根拠は、アイヌの神事に用いられるイナウである。イナウとは、柳やミズキなどの棒に切り込みを入れたり、削りかけをつけたりした木製の幣束(へいそく)で、その役割は日本の祭壇に立てられる幣(ぬさ)に似ている。イナウは、鳥の羽の形に似ている。
イナウが鳥であり、このイナウに古い縄文時代の宗教の名残があるとするならば、既に弥生時代以前に鳥の信仰があったと考えざるをえない。そう考えた方がごく自然である。なぜなら、死んで人間が天へ行くという信仰が農耕とともに始まったとは考えにくいからであり、それは何万年前、あるいは何十万年前に狩猟採取文明の中で発明された思想にちがいない。狩猟採取民は動物と大変密接な関係を営んできて、当然鳥をこの霊界の使いと考えたにちがいない。その鳥の信仰がもし弥生時代にもたらされたとすれば、それ以前の日本人はどのような宗教の中で生きていたのか。まさか縄文時代の日本人が、死後の国をまったく信じない現代人のような合理主義者であったとはいえないであろう。縄文遺跡は、縄文の文明が最高に宗教的な文明であったことを明らかにしている。そこでは鳥が、弥生文明以上に強い役割を果たしたと考えられる。
天国がないならあの世もないというここでの議論は、先ほど『日本の深層』から引用した文と矛盾しているようにも見えるが、要は、梅原は、地下にある黄泉の国が死後の理想郷であるということは全く思いつきもしなかったということである。
6. アイヌ人の異界はどこにあるのか
本当にアイヌ人は、死後魂が天国にいくと考えていたのだろうか。ここで、梅原がアイヌ研究の師と仰ぐ藤村久和の見解を分析してみよう。藤村は、アイヌの老人と生活をともにしながら、臨死体験をした人の証言に基づく、あの世に関する伝承を採取した。
それによると、なぜか共通して、眼の前に道があり、そこを歩いていくと、あの世の入り口である洞くつがある。洞くつへ入っていくと、今度は長いトンネルである。なおも進んでいくと、急に道が狭くなり高さも低くなる。その非常に狭苦しいところを通って行くと、やがて向こうにポツンと灯りが見え、先を急ぐとようやくそのトンネルが終わり、新しい世界が眼の前に広がる。右手は海岸で、左手は山である。道はさらに曲がりくねってうねうねと続き、どんどん行くと一本の小川があり、橋が架かっている。その橋を過ぎると、行く手にポツポツと家が見え、煙が出ている。火を炊いているということは、家々に人がいる証拠である。そこは、まるでどこかの村のようで、この世と違う情景はまるでないという。ここがあの世へ旅立つための準備場所なのである。
そこでは、自分の正体を見ることができるのはイヌだけである。イヌだけが自分に吠えかかる。そうするとそこで暮らしている人たちは、何かおかしなものが来たというわけで、自分に灰などいろいろなものを投げつける。それが体中にペタペタくっついてとれない。いくら手で払っても離れない。生死をさまよった人の話だと、これらのものは、そこから戻ってくる時、先ほどのトンネルのいちばん狭いところ、ようやく体が通れるところを通った時に、全部体から落ちてしまうという。この世のイヌも、人間には見えない魔物がくるとわんわんと吠える。すると人々は、そこへ向かって灰を投げたりするのだが、そのときに魔物の霊についた灰も、魔物が逆にこの世からあの世へ戻る時には同様に取れてしまうということになるのだろう。
藤村によれば、図1に描いたように、霊は、「準備場所」にある一番高い山の頂点まで行き、そこから天空を越えてあの世の山へ行く。しかし、この「あの世へ旅立つための準備場所」は、「そこを指すアイヌ語から訳したものではなく、勝手に私がそう呼んでいるにすぎない」[藤村久和,アイヌ、神々と生きる人々,213頁]、つまり、藤村の仮説に基づいて考え出された概念に過ぎない。
もしも洞窟が「あの世の入り口」だとするならば、トンネルの向こうに広がる世界こそ「あの世」ではないのか。イヌと灰の話を見ても、トンネルを挟む二つの世界が対称的に語られている。
アニメ映画『千と千尋の神隠し』には、千尋の家族が、トンネルを潜り抜けて、八百万(やおよろず)の神々が住むあの世へと迷い込むというシーンがあるが、アイヌの異界観もこれと同じと考えて差し支えない。あの映画でも、千尋は、空の上にある別世界に行ったりはしない。トンネルの向こうが、そのまま神の世界なのだ。
藤村が、「あの世」を「あの世」と認めず、「準備場所」と考えたのは、梅原同様に、「あの世は天の上にあるはずであって、地面の下などにあるはずがない」という父権社会の先入見から脱していないからである。私は、この先入見を捨てて、図2で描いたように、アイヌ人にとってのあの世を地下に位置付けた。

アイヌ人が語る「洞窟」は子宮、「長いトンネル」は膣、「非常に狭苦しいところ」は子宮膣部に相当し、この世からあの世へ生まれ変わる時、この世に生まれる時と同じプロセスをたどることになる。「非常に狭苦しいところ」を出る時に「灰のようなもの」が取れるのは、イザナキノミコトが黄泉の国からこの世に戻る時に行った祓(はらえ=払え)と禊(みそぎ=身削ぎ)に相当し、蛇の脱皮をモデルにしている。
多くの蛇信仰の研究者は、脱皮する蛇は永遠の生命の象徴であるから、世界的に蛇は神として崇められると説明する。だが、脱皮する動物は蛇だけではない。他の爬虫類や両生類や節足動物も脱皮する。蛇の脱皮は全身のつながった抜け殻を残すことで有名だが、昆虫も同様の抜け殻を残す。だからと言って、そうした昆虫がすべて永遠の生命を持った神として崇拝されるわけではない。むしろ、セミの抜け殻を意味する「空蝉(うつせみ)」に、はかないという意味があるなど、逆の場合すらある。蛇信仰の根拠を考える時には、蛇ならではの属性に注目しなければならない。脱皮という属性は、蛇信仰の根拠の一つにしか過ぎない。
母権宗教が蛇を神の使者として崇めるのは、蛇が、子宮へと通じる長いトンネルの形をしているからである。蛇が地を這う様子は、川が大地を流れる様とよく似ている。川の流れに身を任せれば、海に入ることができる。川は胎内回帰のための案内人であり、案内人としての役を果たす巫女は、蛇と自己同一する。
7. なぜアイヌのあの世はこの世と逆なのか
アイヌの人たちにとって、この世とあの世はあべこべの関係にある。
まず季節が逆である。だからこちらが冬であれば、むこうは夏になる。[…]それから、昼と夜とが逆である。こちらが昼の時は、むこうは夜である。[…]また時間の尺度が相当ちがうらしくて、ほんとうかどうかというのは確かめようがないが、この世の一日はあの世の六日にあたるという言い方をする。
私のモデルなら、このあべこべ関係を容易に説明できる。日本から見て、地球の裏側にある南米の国のことを考えてほしい。「こちらが冬であれば、むこうは夏」であり、「こちらが昼の時は、むこうは夜である」。藤村モデルのように、この世とあの世が天で接していると考えるなら、この世が昼の時、あの世も昼ということになってしまう。
もとより、縄文人が地球球体説を信じていたというわけではない。琉球人は、地面は平らで、太陽(てだ)は東の地面にある太陽の穴(てだがあな)から出てきて、西の地面にある太陽の穴(てだがあな)に沈むと考えていたが、縄文人もそう考えていたことだろう。
南米の国とは違って、地面の下にあるあの世は、この世とは質的に異なる世界である。この世の一日があの世の六日にあたるのも、あの世がこの世とは異質の世界であることを物語っている。この時間経過の異常は、浦島伝説の謎の一つに対応しているが、第四節でまた改めて取り上げることにしよう。
8. 琉球では神女が鳥になる
私は、アイヌ神話の分析から、縄文時代のあの世が地下にあったと判断した。では、縄文文化のもう一つの末裔である琉球文化ではどうか。梅原は、ここでもまた、鳥信仰の痕跡を探し求める。そして、1978年まで久高(くだか)島で行われていた儀式、イザイホーにそれを見出した。
イザイホーとは、久高島の女たちが神女(なんちゅ)になるための通過儀礼で、三晩、イザイ山の仮小屋に篭り、四日間にわたって、歌や踊りを伴う神事を行う。梅原は、最初の日の夕方に行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になるための儀式だと主張する。
鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。
七つ橋とはこの世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。
男たちは死ぬと海の向こうの遠い国、ニライカナイに行ってしまい、いつ帰ってくるかわからない。しかし、神となった、鳥となった女は死んでニライカナイにいってもすぐ、彼女たちがそこで生まれそこで神となった、祖先の霊のいるウタキに舞い戻り、そこに永久にとどまって末永く故郷の島の子孫たちを守るのである。
女が鳥になるのは、あの世が天の上にあるからだろうか。問題は、あの世である「ニライカナイ」がどこにあるかである。
9. 琉球人にとって異界はどこにあるのか
梅原は、アイヌ語でニライカナイの語源を推測する。
沖縄にはニライカナイという信仰があります。それは海の彼方のあの世を言うらしいのです。私はニライカナイというのをアイヌ語で解釈する。ニライ、根の下のところ、カナイ、空の上のところ、ということになりますが、それは根の下であるとともに、空の上である。根の下、夜の極点か[が?]、空の上、昼の極点になるのです。こういう根の下と空の上、夜と昼とが出会うところだと思います。大変哲学的な概念ですが、原始人は意外に哲学的なんです。
「ニライカナイ」は、琉球国の首里王府が1531年から1623年にわたって編纂した『おもろさうし』に出てくる概念だが、「ニライ」と「カナイ」は本来別概念で、中国風に対句を形成しているだけである。伝承ではただ「ニライ」と呼ばれる。「カナイ」は、中国の陰陽二元論の影響を受けて、後から付け加えられたものと考えられる。
南西諸島では、「ニライ」は単独で「あの世」を指す。沖永良部島では「ニラ」、喜界島では「ネインヤ」、奄美大島では「ネリヤ」、沖縄本島では「ニルヤ」と呼ばれるが、概念としてはみな同じである。それは、梅原が正しく認識しているように、そして現地の人がそう信じているように、根の下にある国である。
柳田国男は、次のように言っている。
沖縄本島なども多分同じだろうが、ニーラには「非常に遠い」というような語感があると、先島方面の人はいっている。例えば堀井の底の水面が、深い処で幽かに光り、容易につるべの届きそうにもないのを形容して、ニーラサというような表現があるという。それで私はこの語尾のR子音は、もと形容詞化のための添付であって、一語の要部はニーすなわち「根」にあるのではないかとも想像している。
柳田の指摘は、ニライが根の国に相当することを示している。そして、根の国は、文字通り、地下にあったと考えることができる。 だから「非常に遠い」と言っても、それは、海の彼方に向かって水平方向に遠く離れているわけではなく、文字通り根が生えている方向に、すなわち垂直方向に遠く離れていると解釈するべきである。だから、ニライは、記紀神話に登場する常世国や根国や黄泉の国と同じ地下世界である。
イザイホーで女が鳥になるという解釈を認めたとしても、それは直ちに「あの世」が天の上にあることを帰結しない。神女は、鳥となることで、太陽の穴(てだがあな)を通って、あの世とこの世を自由に行き来しようとしていたのではないだろうか。
10. 縄文時代の土偶は何のために作られたのか
縄文時代にあの世が地下にあったという仮説を検証するには、アイヌ文化と琉球文化を検討するだけでなく、直接縄文時代の出土品を検討する必要がある。
縄文時代の遺跡から発掘される遺物の中で最も宗教的なのが土偶である。世界の他の旧石器時代の遺跡から発掘される偶像と同様に、縄文土偶は、豊満さを強調した女体で、頭は存在しないかもしくは人間的でない。縄文土偶の多くは妊娠していることから、縄文土偶は、豊穣を願う地母神崇拝の証拠とされるのが通例だが、梅原は、この解釈に反対する。
梅原は、
- 縄文土偶には、腹に引き裂かれたような直線を持っているものが多い
- 少数ではあるが、縄文土偶には、意図的に埋葬されたものがある。
- 土偶のほとんどは壊されており、五体満足な土偶はほとんどない
ということを根拠に、地母神像説を否定する [梅原 猛:梅原猛著作集〈11〉人間の美術, p.98]。
梅原は、福島県で起きた死胎分離埋葬事件を手掛かりに、土偶は妊婦葬送儀礼のための道具だと考える。死胎分離埋葬事件というのは、会津のある村で、懐妊後死亡した母の腹を長男が切って、胎児を摘出して埋葬し、役場に二通の死産届けを出したところ、死体損壊罪として摘発されたという事件である。その後の調査により、この風習は、福島県では昔から広く行われていたことがわかった。
この風習が行われた背景には、死んだ妊婦をそのまま埋めると、胎児の霊が母体から出られなくなり、怨霊としてこの世にとどまるという考えがある。だから、怨霊による祟りを防ぐために、胎児を腹から出して、霊がすぐに生まれ変わるようにするわけである。妊婦と胎児の分離埋葬に際しては、人形が入れられるという習慣がある。そして、梅原は、その人形の起源が縄文土偶だと考える。
たしかに、この解釈なら、なぜ土偶の腹に直線が引かれることがあるのか、なぜ土の中に埋まっている土偶があるかが説明できる。では、土偶が壊されているのは、なぜか。
葬式のときに、日本人は茶碗や道具などいろいろなものを死者に贈るが、この場合、かならず何らかの傷をつける。傷をつけるのは、あの世とこの世とあべこべの世界であるという思想による。この世で完全なものはあの世で壊れる。この世で壊れたものはあの世で完全になる。とすると、壊れた土偶は本来、あの世へと送り届けられるものとしてつくられたのではないだろうか。
縄文人も、アイヌ人と同様に、この世とあの世があべこべの世界と考えていたにちがいない。今でも日本人は、死者の装束(しょうぞく)を、生きている人間の着装とは逆に左前にするが、これも同じ考えに基づいている。
この梅原の着想を、3のみならず1にも応用してみよう。腹に縦の線があるということは、安産を否定する記号である。この世にある縄文土偶は、あの世にいる五体満足で安全に生命を育む地母神とあべこべの関係にあるのだから、縄文土偶は、あの世にいる地母神のこの世における対応物ということにならないか。2についても、土偶が地母神の像だとするならば、それをこの世の土に埋めて、土地の豊穣を願うということは決して理解できないことではない。
縄文土偶は、墓地からではなくて、人々が生活していた場所から出土している[楠戸義昭:神と女の古代,33頁]。だから土偶は副葬品ではない。また、もしも梅原が言うように、縄文土偶が最近まで行われていた死胎分離埋葬に使われる人形の起源だとするならば、なぜ土偶が弥生時代から姿を消したのかについての説明が必要となる。私は、土偶が作られなくなったのは、縄文時代の終焉とともに地母神崇拝が衰退したからだと考えている。
11. 偶は縄文時代のメデューサである
梅原が注目しない、縄文土偶のもう一つの特徴を指摘しよう。それは、土偶にはいたるところに蛇の形象があるということである。アイヌの民族衣装にも蛇の文様が付いているが、あれは縄文時代の蛇信仰の名残である。
「縄文」という言葉は、もともと、土器に付けられた縄の文様に由来しているのだが、縄文は、その細長い形とウロコのような模様から、蛇の文様ということができる。実際、縄文土器には、写実的な蛇を付けた物もたくさんある。
縄文土偶にも、抽象的な蛇の文様が付いているだけでなく、写実的な蛇が頭でとぐろを巻いているものまである。安田喜憲は、これを「縄文のメデューサ」と名付けている[安田喜憲:大地母神の時代,101頁]。頭に蛇を持つメデューサは、後に父権宗教によって、恐ろしい化け物にされてしまったが、もともと地中海地方で地母神として崇められていたわけだから、これもまた、縄文土偶が地母神像である根拠の一つである。
古墳時代の「みずら」から、武士の時代の「ちょんまげ」に至るまで、日本人が頭に蛇の形状を連想させる髷(まげ)を結うのは、縄文時代のメデューサの名残だと考えることができる。女性は、必ずしも曲げを結ったわけではないが、これは、長く伸びた髪は、それだけで、蛇を連想させるものだからなのだろう。
縄文時代晩期に作られた土偶の中には、ゴーグルのような大きな丸い眼孔と閉ざされた瞼により一直線となった眼が特徴的な遮光器形土偶がある。その眼は蛇の眼のようにも見える。ちなみに、夜行性の蛇の眼は丸くて大きく、光を当てると、瞳が縦長になる。ただし、遮光器形土偶の眼の線は、縦長ではなく、水平である。それは文字通り水のように平らなのだ。
水のようだといっても蛇のようだといっても、それは縄文人にとっては同じことである。蛇は水の神である。だから、例えば、縄文土器の文様が蛇なのか流れる水なのかといった議論にはあまり意味がない。母なる大地を流れる川のように大地を這うから、蛇は神の化身として信仰されたのである。それゆえ、蛇が崇拝された理由は水が崇拝された理由と同じである。
12. 異界は鏡像的他者である
ここでもう一度図2を見て欲しい。あの世は、ちょうど水面に映し出されたこの世のように見えないか。水は、あの世を映し出す鏡であり、だから、縄文人は、鏡としての水に畏敬の念を抱いたはずだ。アイヌ人もまた、鏡や写真を恐れた。江戸末期の頃、武士は写真を撮られると、魂が奪われるといって怖がったが、これもまた、あの世をこの世の鏡像的対応物とする考えに基づいている。
鏡や鏡の働きをするものは、この世とあの世のインターフェイスである。鏡に映し出された自分を見ていると、魂があの世の自分に移ってしまい、この世の自分は、石のような無生物になってしまうかもしれない。西洋の神話でメデューサの眼を見た者が石になると語られたのは、このためだろう。
メデューサの神話とナルシスの神話には、共通のモティーフが見られる。美少年ナルシスが愛したのは、水面に移った鏡像的他者であり、彼は、母の無限の欲望に飲み込まれ、湖に身を投げた。地上に残ったのは、石ではなくて、一輪のスイセンであったが、この違いは重要ではない。ペルセウスは、母の欲望に打ち克ち、メドゥーサの首を切り落とすことで、去勢を自ら成し遂げた。
日本には、次のような「蛇女房」の話がある。
どこからか来た美しい女が嫁になるが、あるとき昼寝の場面を覗いたら女は蛇になっていた。蛇は見られたことを恥じて山の湖に去ってゆくが、去り際に目玉をくりぬいて、これをしゃぶっているようにと子供に残してゆく。「蛇の目玉」である。話はこの後、その目玉を殿様に召し上げられ、さらにもう一つの目玉まで取られるに及んで、蛇が洪水を起こし、領民一同水の底に消えてゆくと語っている。
中国の山東省にも、似たような民話がある [池上 正治:龍の百科, p.191-193]。
崔黒子(ツオエヘイツ)という男が、龍の子を見つけて育てたが、大きくなると世話をすることができなくなって、洞窟に連れて行くことになった。崔が皇帝の命令で龍の眼が必要になると、龍は左の目玉を与えて、恩返しをした。この功績で崔は大臣となり、傲慢となり、今度は龍の許可もなく、龍の右目を取ろうとしたところ、龍に呑み込まれてしまった
蛇ではなくて、竜の話だが、本質的な違いはない。
蛇の目は鏡である。自己を鏡像的他者に置き換える死の抱擁という点で、水面に落ちるナルシスの物語や見る人を石にするメデューサの物語と同じモティーフを有している。蛇には鏡像的他者、つまり母の性格が残っている。
ここで、話を縄文時代の遮光器形土偶に戻そう。あの土偶の一直線になった眼は、風が吹かず、鏡のようになった水面を横から見た形となっている。直線のない丸い眼の土偶もあるが、それは水面を上から見た形である。縄文土偶の眼が大きく描かれ、強調されているのは、そこが、あの世を映し出す鏡だからだと考えられる。
『古事記』に、雄略天皇があの世の鏡像的他者と出会ったことが記されている。
ある時、天皇は葛城山に登りにお出かけになったが、この時百官の人たちはみな紅の紐を着けた青摺りの衣服を頂戴して着ていた。その時に、その葛城山の向かいの山の裾から、山の上へ登る人がいた。全く天皇の行幸の列にそっくりで、また人々の服装の様子や人数もよく似て区別しがたかった。そこで、天皇がこれを眺め、尋ねさせて、
このヤマトの国に、私の他に二人と王はいないのに、今誰がこのようにしていくのか。
と言ったところ、直ちに向こうから答えて言った言葉のさまもまた、天皇のお言葉のとおりだった。そこで天皇は大いに怒って矢を弓につがえ、百官の人たちもみな矢をつがえて構えた。すると、向こうの人々も同じくみな矢をつがえて構えた。それで天皇はまた尋ねて、
そちらの名を名乗れ。そうして、お互いに名を名乗ってから矢を放とう。
と言った。これに対し、相手は答えて、
私が先に問われたので、まず私から名乗りをしよう。私は悪いことでも一言、善いことでも一言のもとにきっぱり言い放つ神、葛城の一言主の大神である。
と言った。天皇はこれを聞いて恐れかしこまり、
恐れ多いことです、わが大神よ。私は現身の人間なので、あなたが神であることに気づきませんでした。
と申して、大御刀と弓矢をはじめとして、百官の人たちが着ていた衣服を脱がせ、拝礼して献上した。
雄略天皇が、自分を現身(うつしみ)と言っている。「現す」「移す」「映す」「写す」は、すべて「うつす」と読む同根の語である。あの世の自分が本物で、自分は鏡に映された「写し身」にすぎないと考えられていたのである。
13. 鏡の語源は何か
日本人は「鏡(kyang)」を「かがみ」と訓じる。多くの学者は、その語源を「影見(かげみ)」に求めているが、吉野裕子は、 蛇の古語が「カカ」であること、『捜神記』で、蛇の目が大鏡に譬えられていることを手掛かりに、「カガミ」を「蛇目(カカメ)」の転訛と推測している [吉野 裕子:蛇―日本の蛇信仰, p.84]。吉野はさらに、名前に「カガミ」を含む植物が、すべて蛇そっくりの蔓植物であることを手掛かりに、「カガミ」を「カカ」+「ミ」、つまり「蛇」+「身」と も解釈している [吉野 裕子:蛇―日本の蛇信仰, p.84]。
しかし、「カガミ」の「ミ」は甲類で、「身」の「ミ」、「目」あるいは「眼」の「メ」は乙類だから、この解釈は無理である。『類従名義抄』には、「カヾミル」という訓もあることから、「蛇」+「見る」と解釈 してはどうだろうか。ちなみに、「見る」の「ミ」は、甲類である。「カヾミル」は、転訛して「カンガミル」(鑑みる)になった。
吉野が指摘するように、古代人にとって蛇の目は鏡であった。そして、鏡像的段階の古代人にとって、「蛇」+「見る」としての「カヾミル」は、「蛇を見る」でもあり「蛇が見る」でもあった。それは、鏡像的段階の幼児が、母という鏡像的他者を見るとき、同時に母が見る自己を母において見ているのと同様である。原始の日本人は、銅鏡ではなくて、水面を鏡として使っていたはずだ。その時、我々の祖先は、蛇のように身を「カガメ」て、「カガミ」に「カカ」を「ミ」たことだろう。
14. なぜ蛇崇拝は地母神崇拝なのか
古代の日本人は、蛇を「カカ」と呼んでいただけでなく、「ハハ」とも呼んでいた [吉野 裕子:山の神―易・五行と日本の原始蛇信仰, p.31]。古代の日本語には、K音とH音の区別がなかったので、両者は同じ言葉である。蛇がハハと呼ばれていたことは、蛇信仰が地母神崇拝であることを示している。
現代の日本人には、「ハハ」とは違って、「カカ」はなじみがないかもしれないが、江戸時代の武士は、今のように「おかあさん」ではなくて、「おかかさま」という呼び名を使っていた。現在では、「嚊天下(かかあでんか)」などに過去の形が残っている。
蛇の呼称としても、今でも、青大将のことを「山カガシ」あるいは「山カカ」と言ったりする。「山ハハ」の方は、「山の神」という意味を保持しつつ、「山姥(やまんば)」に転訛した。
後に母を意味するようになる言葉が、かつて蛇を指す言葉として使われていたことは注目すべきことである。吉野がこの点を指摘しないのは、これは多分、蛇とペニスの形状の類似性から、母には無縁と考えたからだろう。しかし、古代人は、男根期以前の幼児と同様に、ペニスのはえた母、いわゆるファリック・マザーの幻想を抱いており、蛇信仰と地母神崇拝は、まったく矛盾しないのである。
15. ペニスは胎内回帰のための橋である
幼児は、なぜ母にペニスがあると信じたがるのだろうか。それは、幼児にとってペニスは、胎内に戻るための橋だからである。フロイトも、Sandor Ferencz の説[Sandor Ferencz:The symbolism of the bridge, International Journal of Psychoanalysis 3:163-168, 1922]に従って、橋を、両親の体をつなぐペニスの象徴であると考えている [フロイト:精神分析入門(続); Gesammelte Werke Bd.15, p.25]。
母と子をつないでいたへその緒という橋が切断された後、男の子は、その代替物を自分のペニスに求め、そして、母にもその鏡像的対応物としてのペニスを想像する。ラカンは、これを想像的ファルスと名付けている。
神話などに登場する橋は、たいがい、川の向こうの対岸や海の向こうの島として表象されるあの世(胎内)へ入るためのペニスである。本節の最初に紹介した「袋の中の鳥」の話でも、袁相と根碩は、石橋を渡って、洞窟の中に入っていった。イザイホーでは、この世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた七つ橋を神女たちが走って渡った。
梅原によれば、橋と走ることには語源的につながりがある。アイヌ語の「パシ」は、「走る」という意味だが、日本語のh音は、奈良時代以前の上代ではp音で発音されていたので、「ハシ」=「走る」という等式が成り立つ。アイヌ語の「ラ」は「下」を意味するので、「ハシラ(柱)」は、「下に走る」もしくは「下から走る」のどちらかである。そして、梅原は、この語源分析から、久高島の七つ橋渡りと諏訪の御柱祭りに共通点を見出す。
16. 諏訪の御柱祭の起源は何か
日本人は、古くから柱を神聖視してきた。縄文時代の三内丸山遺跡や真脇遺跡などで巨大木柱が発見されたことを考えると、御柱祭のような今に伝わる柱信仰の起源も、縄文時代の信仰にまで遡って求めることができそうだ。実際、御柱祭りが行われる諏訪地方は、縄文文化の中心地だった。そして、梅原は、ここから、縄文時代の人が憧れたあの世は、天の上にあったと主張する。
梅原によれば、御柱祭りの柱は、記紀に記されている、天と地の間にかけられた天の浮き橋に相当し、この橋を通って、神々が「下に走る」もしくは「下から走る」がゆえに、「ハシラ」と呼ばれた。たしかに、記紀の時代には、そう考えられたのだろう。しかし、私は、御柱祭りでの「ハシラ」は、縄文時代には天に登るための柱ではなくて、地下に降るための柱だったと思う。そして、その名残が、御柱祭りのハイライトである木落しとして残っているのではないだろうか。
「木落し」というのは山の斜面から御柱を落とすのであるが、裸の木に人が馬乗りになり、身体を支える何もない状態で、急斜面を降りるのである。ものすごいスピードで落下する。御柱に乗る男たちはその行方も知れぬ柱に必死でつかまり、振り落とされ、振り落とされたらまた乗り、と危険を繰り返すのである。最後まで御柱に乗っている男は英雄となるが、御柱の下敷きになったり、振り落とされて死ぬものもいる。御柱には死者は付きものである。しかし誰も祭りの残酷さを責めようとはしない。むしろ死人が出ることで祭りは盛り上がり、神はそれを喜び給うているとこの土地の人は思っているかのようである。
木落しが建御柱を行う途中で起きる付随的で非本質的なハプニングでないように、死者が出ることも付随的で非本質的なハプニングではない。木落としで死んだ男は、母なる大地に戻る。彼がつかまっている木は、胎内回帰のためのファリック・マザーのペニスである。「はしら」とは、地下にあると縄文時代に信じられていたあの世、黄泉の国に向かって「下へ走る」ことだったと考えることができる。地母神の胎内に回帰するための橋だった柱が、なぜ天に登るための柱になったのかに関しては、また後で次の節で説明することにしよう。
柱が、天上に登るためのではなくて、地下に降るための橋であったことは、かつて日本に存在した「人柱」の習慣を見ればわかる。水害や旱魃といった、暴れる水の神をなだめるために、人間が、生き埋めになったり、水中に沈められた。人柱は、神として崇められた。そのためなのか、日本では、神を数えるとき、一柱、二柱というように、「柱」という単位を使う。





永井様
凄い洞察で、いろいろと刺激されます。正月の鏡餅なんかも、もはや蛇がどくろを巻いたものではないかと思ってしまいました。神社でご神体に鏡を祭っているのもうなづけます。
縄文の人たちの世界を身近に感じることが出来ました。堕胎した子供を水子というのも、縄文的な世界が息づいているような気がします。
機織の音に注目されている点も、説得的です。自分の好きな曲がなぜか三拍子なのが不思議だったのですが、何か関係あるのかと考えてしまいました。
これは、質問ではなく、感想というか連想です。
永井さんの文を読むと、自分の見方が変わったのでしょうが、世界が以前と違って見えてきます。本当に、ありがとうございます。続編が愉しみです。これで、少しはラカンのことが分かるのかなと期待しています。
“正月の鏡餅なんかも、もはや蛇がどくろを巻いたものではないかと思ってしまいました。”
吉野裕子さんも『蛇』で、その点を指摘しています。
どうしてあの世・この世を、わけたのか?
「自分は、死んだ後どうなるのだろうか」という、誰もが一度は疑問に思う問いに答えることを考えてみてください。