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余剰博士の就職について

Doblog - 現代思想の泉・社会哲学 - へのトラックバック。「末は博士かホームレスか」での議論の続き。大学院重点化で増大した余剰博士が就職できるようになるにはどうすればよいのかについて。

当初「余剰博士が増大」という問題を設定していて、結論は「民間の投資による研究の自由化・民営化」となっているが、結論とは問題の解決でなければならないため、「研究が自由になる」「分業による効率化が期待できる」「報奨金の制度にする」といった帰結が、どのように「余剰博士」の問題にかかわってくるのか、かならずしもはっきりしていない。どうして自由化・民営化が余剰博士の数を減らせるのかが説明不足であるように見える。

余剰博士を減らすにはどうすればよいかという問題は、これ以上新たに作らないにはどうするべきかという問題と既にできてしまった余剰博士をどうするかという問題の二つに分けることができます。もんてすQさんのご批判は、私は、前者の解決策ばかりを論じて後者の救済策については何も言及がないという所に向けられているようです。

既にできてしまった余剰博士をどうするかという問題は、無責任な公共工事でできてしまった、赤字の高速道路やらテーマパークやらをどうするかという問題と同様に、手遅れという気がします。ただ、日本では買い手のつかない物件でも、海外の投資家が購入して、黒字に転換した例があることがヒントになると思います。博士に好意的な外資系の企業が参入すれば、博士の採用が増えるでしょう。

以前、私は、シティバンクの日本のある支店に行ったところ、支店長以下従業員がすべて女性であることに気付き、外資系らしい人事だなと感心したことがあります。日本の企業には、高学歴で有能な女性を採用しても、お茶くみしかさせないようなところが多いので、シティバンクは、そこに目をつけて、コストパーフォーマンスの高い人材を選んだのでしょう。外資系企業は、日本で不当に低く評価されている物件や人材を買う傾向があります。国粋主義者は、それをハゲタカの死肉漁りに喩えて軽蔑するわけですが、様々な価値観の持ち主が、日本の市場に参入することは、資源の有効活用という点で好ましいことだと思います。

もちろん、それでも就職できない、生計が立てられない博士が出てくるでしょうけれども、失業している博士を皆無にするために、無駄な公共事業を行うことは、断じてあってはならないと思います。現在政府は、科学ジャーナリストに金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て、その準備として、ジャーナリストを育てる博士課程を作っていますが、こうした御用ジャーナリストを育成する公共事業も、百害あって一利なしです。

科学ジャーナリストを育成する早稲田大大学院の教育プログラムが、今年度の国の科学技術振興調整費の交付対象に決まった。東京大、北海道大の科学技術の研究内容を社会に分かりやすく伝える人材育成プログラムも採択された。

早大のプログラムは、大学院政治学研究科に設置する。出身学部を問わず、博士課程修了者も含む多彩な人材を受け入れ、毎年10人以上を養成して、マスコミや行政、科学館、教育現場などさまざまな分野へ送り出す計画だ。

失業者を救済するのは、社会保険の仕事であり、これについては、[論文編:社会福祉は必要か]をご覧ください。

投資家たちの利益追求は、政府による「報奨金」に負っている。政府が充分な報奨金を用意する根拠はどこにあるのか。政府といえども、カネが足りなければ、厳しい財政状況のなか、どれだけ具体的に報奨金を出せるだろうか。日本の学術発展への報奨というものが、世間一般にどれだけ評価されているか、「血税をそんなことに使うな」といわれて報奨金を削るようでは、投資家たちのインセンティヴにも響いてしまう可能性がないのか。

かつて、80年代の頃、日本がアメリカの基礎研究の成果をただで利用しているというフリーライダー論がアメリカから出てきて、日本はアメリカにもっと金を出すべきだと言われました。金になる応用技術にばかり力を入れていると、こういうことになります。「ただ乗り」と非難されないためにも、基礎研究の分野でも、世界的に評価される、被引用度の高い研究をする必要があります。

引用の数値化は、哲学と経済学と天文学と医学などのあいだで平等と言い切れるのか。時間のかかる研究や元手のかかる研究に不利に作用しないか。

研究資金は分野ごとに分割します。被引用度数は、被引用数とは異なり、絶対値ではありません。投資効率の高い分野があったとしても、参入者が増えて、投資効率が落ちるので、市場原理により自動的に均一化されます。分野ごとの資金配分については、国際的に被引用度数が低い分野の水準を上げるように、毎回調節すればよいでしょう。

[投稿者:Nagai Tosiya|コメント:6個|この記事をYahoo!ブックマークに登録する この記事を含むlivedoorクリップ この記事をFC2ブックマークに登録する この記事をニフティクリップに登録する この記事を含むはてなブックマーク この記事のはてなブックマーク数
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コメント(6)

「ジャーナリストを育てる博士課程を作って」いるのはたしかでも、「政府は、科学ジャーナリストに金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て」ているという話はいったいどこから出てきたんでしょう?
この2つの間には相当な隔たりがあるように思うのですが。後者を証明するようなものが何かあるのでしょうか?もしないのなら、科学ジャーナリストに対して失礼な話だと思います。
それがゆるされるなら「現在政府は、哲学者に金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て、その準備として、哲学者を育てる博士課程を作っています」なんてこともいえるのでは。


基本的に科学ジャーナリスト見たいな(哲学者とおんなじぐらい)マイナーで影響力のない存在に金をばら撒くぐらいなら、もっといいばら撒き先があるのではとおもってしまうのですが?

“「ジャーナリストを育てる博士課程を作って」いるのはたしかでも、「政府は、科学ジャーナリストに金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て」ているという話はいったいどこから出てきたんでしょう?”

これについては、

◎ 科学ジャーナリスト養成大学院の是非
http://www.nagaitosiya.com/c/postgraduate_journalists.html

をご覧ください。

“基本的に科学ジャーナリスト見たいな(哲学者とおんなじぐらい)マイナーで影響力のない存在に金をばら撒くぐらいなら、もっといいばら撒き先があるのではとおもってしまうのですが?”

「政府は、影響力がないにもかかわらず、哲学に金を出している」のではなくて、「政府が金を出すから、哲学には影響力がない」のです。かつてのマルクス主義を見ればわかるように、哲学(あるいは、広く言って、思想)には、政府を転覆するぐらいの力があります。

政府が哲学研究者に金を出すと、研究者は、自分の研究に公共性を要求されるようになります。私は、自分独自の哲学を打ち出したいと思って、哲学科に入ったのですが、そういう独自路線は、公私混同として非難されます。日本の大学で許されるのは、訓詁学的な哲学史研究だけです。

確かに、哲学研究ではなくて、哲学史研究なら、実証可能で、客観的な研究ができますが、それでは、哲学の本来の魅力が一般の人に伝わりません。その結果、一般の人は哲学に興味を失い、3S(スポーツ・スクリーン・セックス)に現を抜かす愚民となります。これは、権力者にとってはまことに都合のよいことです。

政府が文化を保護すると、その文化は本来の生き生きとした魅力を失い、大衆から見放され、化石のようにひなびた存在になります。ジャーナリストであれ、哲学者であれ、政府が文化人に直接金を出すことには、いろいろ問題があると思います。文化を保護する場合、そこに市場原理(消費者の選択)が機能するように、工夫を凝らす必要があります。

現在、博士課程に在籍し着実に科学に貢献することをライフワークにしているものです。

就職が難しいことには3つの理由が考えられます。

理由1:実力に応じてポストが分配されない→実績が就職に反映されない→努力が無意味
理由2:民間企業と博士をつなぐインフラが充実してない→就職先は存在するが見つける手段がない
理由3:学問は金になりにくい。(例えば、発明者にお金が入るわけではない。重要な調査を行いデータを集めても金が入るわけではない)

それぞれの改善策を挙げてみます。

改善策1:税金が給料となるポストは、実力に応じて配分する。年功序列はやめる。研究者がいきなり仕事が無くなるようなリスキーな職業というのは悲惨なので、ポストを失った場合の保証を設ける。
改善策2:博士専用の就職WEBサイトを作る。博士データベース。
改善策3:いくらでもフリーライドできるコンテンツを生成すると、コンテンツクリエーターにお金が支払われるような仕組み作り。音楽の著作権やオープンソースと同様の問題です。論文を書いても著者には少しもお金が入りません。

研究費分配問題について。
良い研究をするには、お金(科学研究費と科学者の給料)が必要なのは確かですが、研究を実行できる優秀な研究者の存在が欠かせません。ということで、予算を増やすより、誰が良い研究者なのかを見極めた方がいいと考えています。研究者はプロ野球選手と同様実力に差があります。ゴジラ松井を他の選手の100倍の値段で獲得した方がいいのは研究の世界でも同じです。違いは勝ち負けがわかりにくいことだけです。
予算の大きさと、研究結果には相関がありますが、
それ以上に人材のクオリティーと結果の相関は大きいと感じています。

書類操作で簡単にできるような対策ではなく、もっと知恵を振り絞ったクオリティーの高い対策をしてもらえれば、嬉しいです。

1. 研究者の実力を機械的に数量化することに無理があるということは、認めますが、だからといって、少数の審査員の評価に人事を委ねると、恣意的な裁量が入る余地を作ってしまいます。

2. 日本の民間企業が博士を評価しない以上、データーベースを作ったところで、あまり意味はないでしょう。海外の企業に売り込むためのデーターベースを作るというのならわかりますが。

3. 私は、以前、定額成長流通という仕組みを提案しました。これでどうでしょうか。

◎ 定額式超流通の提案
http://www.nagaitosiya.com/a/superdistribution.html

科学者のお給料は、何円ですか。

自然科学研究者の平均年収は、628万円なのだそうです[自然科学研究者 :平均年収と仕事内容 (年収ランキング~職業&平均年収ランキング)]。教育に長い時間がかかることや、競争率の高さを計算に入れたら、高いとはいえません。

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