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リバタリアニズム

池田信夫 blog:リバタリアニズムへのトラックバック。池田信夫は、デジタル地上波批判・「日本発のグローバルスタンダード」批判などで有名な人で、彼の立場は、リバタリアニズムと言うことができそうです。

「リバタリアニズム」という言葉は、日本ではほとんど知られていないだろう。決まった訳さえない。「自由至上主義」とか「完全自由主義」というところだろうか。

アメリカでは、リベラリズムという言葉は、社会民主主義的な立場を意味するので、“Libertarianism”という言葉ができたようです。私としては、政治的自由主義と経済的自由主義との同一性を強調するためにも、「市場原理至上主義」と訳したいところです。

そもそも小さな政府を批判するときの「右派」とか「新保守主義」とかいった言葉はミスリーディングだ。私は右翼ではないし、古いシステムを「保守」しようとしているわけではない。新自由主義という名前も、リベラリズムはイギリスとアメリカで意味が正反対だから使うべきではない。保守主義という言葉だって、旧共産圏では、西側資本主義諸国とは正反対の意味で使われるから内容空虚なんだけれどもね。一番誤解の少ない名称は、市場原理至上主義ではないかな。

私は以前、市場原理至上主義を英語で何と表現するべきか迷ったものです。“Libertarianism”は、簡潔で、誤解の余地がないという意味で、良い名前です。

[投稿者:Nagai Tosiya|コメント:4個|この記事をYahoo!ブックマークに登録する この記事を含むlivedoorクリップ この記事をFC2ブックマークに登録する この記事をニフティクリップに登録する この記事を含むはてなブックマーク この記事のはてなブックマーク数
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コメント(4)

はじめて投稿します。リバタリアニズムを「市場原理至上主義」と訳すのですか?このことについては不案内なので、ご叱正を賜わるかもしれませんが、リバタリアニズムは元来意味するはずであったリベラリズムを、ロバート=ノージックが必死に死守しようとしたものであったように記憶しています。もちろん、研究者じゃないので読み違いはご愛嬌にて容赦して頂きたいのですが。よって、市場原理を至上のものとしてはいないような気もします。不案内ながら続けますと、確かに、無政府資本主義と呼ばれている学派ならこの呼称を歓迎するかもしれませんが、ここはやはり、自由尊重主義のほうが穏健な気もしますし、そもそもにて、訳して使うのもあまりいかがなものかという気もしないではありません。今現在でいうリベラルに近いリバタリアンもいるわけですし。それと、昨今の諸般につき、外来語を日本語に翻訳してなるべく用いるみたいなところが垣間見えますが、そもそも輸入語をしっくり翻訳しようなんてのは無理な気もします。誤解、無理解の点につきましては、遠慮無しにご批判下さい。

リバタリアニズムにせよ、リベラリズムにせよ、それは「自由な」を意味するラテン語の“liber”に由来しています。違いは、前者が国家からの自由を、後者が国家による自由を要求しているというところにあります。リバタリアニズムは、語源的には無政府主義をも含みますが、無政府主義にはアナーキズムという言葉があるのだから、私としては、無政府ではないが、大きな政府でもない、小さな政府を志向する立場という狭い意味に限定して使いたいと考えています。

大きな政府の立場を表す英語表現はたくさんあって、“socialism”、“communism”、“fascism”、“totalitarianism”というようにオプションが豊富です。この上さらに“liberalism”まで取り上げられてしまうと、小さな政府の立場を表す英語表現がなくなってしまいます。“capitalism”は大きな政府を排除しないし、“individualism”は、無政府主義を排除しません。だから、せめて“libertarianism”ぐらいは、小さな政府の立場を表す英語表現にしてほしいと思っています。

私の、拙い記憶を呼び覚ましてみると、リバタリアニズムは小さな政府と結びついてくるんですけど、それは、最小国家という意味ですか?それとも、<穏健に>、小さな政府という意味ですか?つまり、最低限の健康で文化的な生存権に実体性を見いだす意味でのそれですか?リバタリアンはかなりこの辺りを真剣に徹底して論じているはずですか。

小さな政府にするということは、たんに政府の仕事を量的に減らすということではなくて、政府の仕事を政府固有の仕事に限定するということです。日本では、民間がするべきことを政府がやっていたり、逆に、政府がするべきことを民間がやっているというケースを見かけます。

スポーツに喩えると、政府は、公平な審判の役割に徹するべきで、選手としてプレーしたり、監督やコーチとして特定チームに肩入れしてはいけません。だから、だから、政府は生産活動そのものから手を引くべきですが、生産活動の監視には介入するべきです。

特に、日本に必要なことは、生産者とその監視役が直接癒着しないように、政府が仲介者となることです。さもなければ、マンションの耐震強度偽装のような問題が、環境アセスメントや新薬の治験などで起きるでしょう。

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