古代メソポタミアの神々
最古の文明である古代メソポタミア文明での神話は、日本の神話にどのような影響を与えたか、岡田明子と小林登志子の共著『古代メソポタミアの神々―世界最古の「王と神の饗宴」』を読みながら、考えてみよう。
1. エンリルの役割
天と地を分けたのはエンリルである。原初の海が天と地を一つに結合している宇宙的な山を生んだ。人間と同じ姿のアン(天)は男性、キ(地)は女性であった。彼らの結婚が大気の神エンリルを生み、次にエンリルは天を地から分離した。天を運び去ったのは父アンであったが、エンリル自身は母であるキ、すなわち地を運び去った。エンリルが母なる大地と結合したことが、宇宙の生成、人間の創造、そして文明の樹立のための舞台を用意した。
天父神と地母神が抱き合い、セックスして、エンリルという子供を産んだとするならば、ここでは、乳児の父に対する無関心と母との近親相姦的な交わりが描かれていることになる。メソポタミア神話では、アンには存在感がなく、暇な神と呼ばれた。
これと類似の神話が、エジプトにもある。ただし、下になっている大地の神ゲブは男で、上になっている夜空の神ヌゥトは女と、性が逆になっている。エジプト神話で、メソポタミア神話における風の神、エンリルに相当する役割を演じているのは、大気の神シューである。
大気の神シューは何とかヌゥト女神の体を天まで引き上げ、両手両足を大地につけ、虹のように曲がった彼女の体で空を形成したいと考えた。しかしシューの体はそれを成し遂げるには小さすぎた。考えた末、彼は階段を利用して女神の体を持ち上げることに成功したという。このことから階段の護符は「天まであげる」という意味を持っている。
この話は、エジプトにおける階段ピラミッドやメソポタミアにおける階段ピラミッドであるジグラトの起源を示しているのかもしれない。ちなみに、ジグラトは、「高くする」という意味の「ザカル」という動詞に由来し、固有名詞には、「天と地」を意味する「アンキ」という言葉がよく使われている [岡田 明子:古代メソポタミアの神々―世界最古の「王と神の饗宴」, p.100-101]。
日本の出雲大社には、かつては、ジグラトを髣髴とさせる階段が付いていた。出雲大社は、スサノオの子孫を祀っているが、スサノオは、「スサ」に荒れすさぶの意があるので、嵐の神、暴風雨の神と考えられている。他方で、エンリルもまた「荒れ狂う嵐」と呼ばれていた。スサノオは、日本版エンリルだとみなすことができる。
2. あの世とこの世の往来
文学作品『イナンナ女神の冥界降り』『ネルガル神とエレシュキガル女神』などは、あの世とこの世の往来が主題になっている。神々は自分の領域から他の領域には行けないといった原則的禁忌があり、ことに他の領域の飲食物を口にしてはならないという禁忌もあった。
原則的というのは、ドゥムジを身代わりに地上に戻ったイナンナのような例外があるからである。
「他の領域の飲食物を口にしてはならないという禁忌」があったというのは、興味深い。日本神話では、イザナミが黄泉の国の食べ物を口にしたために、イザナギのもとに戻れなくなり、ギリシャ神話では、デメテルとゼウスの娘であるペルセポネーが、黄泉の国でザクロを食べたために、地上の世界に戻れなくなった。両者とも、メソポタミア神話の影響を受けたのだろうか。
3. ヒッタイトにおける太陽の女神
ヒッタイトが崇拝した太陽神は、シウあるいはスと呼ばれた。ヒッタイトの原住民、ハッティは、固有名詞「エスタン/イスタヌ」の代わりに、アリンナという地名で太陽の女神に言及していた。ハットゥシリ三世妃プドィヘパの祈祷文では
この国ではアリンナの女神とお呼びするが、かの杉の国ではヘパトという御名をお持ちでいらっしゃる女神へ
と呼びかけられている。「杉の国」とは、ミタンニ王国のことで、ヘパトは、フルリ人の神話では、天界の女王と称される女神である。太陽神を女性として表象しているのは、日本ぐらいかと思っていたが、もう一つ例外があることを知った。アマテラス信仰がアリンナ信仰の影響を受けているかどうかはよくわからない。
なお、ケルト語、ゲルマン語、ヘブライ語では、太陽は女性名詞で、月は男性名詞である。
4. アッカッド朝の斎宮
わが国では中世まで皇族の未婚の女子が皇大神宮(伊勢神宮の内宮)に斎宮として奉仕したが、メソポタミアでも似たような制度があった。サルゴンは娘のエンヘドアンナを月神ナンナの「エントゥ」(エン女神官)としてウルに送り、シュメル人の宗教的伝統を尊重した。
似たような制度だが、斎宮が、太陽神であるアマテラスに仕えたのに対して、エントゥは月神に仕えているという重要な違いがある。日本では、ツクヨミの存在は非常に薄い。太陽崇拝の欠如は、シュメール人の大きな特徴であり、弥生人シュメール起源説の否定材料の一つだ。




