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ネットニュースは公共性がなくて低俗か

H-Yamaguchi.net: 情報財の計画経済と市場経済に対するコメント。ニュースの選別をアクセスランキング等に頼っていると、興味本位の記事ばかりが読まれ、まじめなニュースが読まれなくなるという既存メディアの主張の検討。

ニュースの選別をアクセスランキング等に頼っていると、興味本位の記事ばかりが読まれ、まじめなニュースが読まれなくなるという既存メディアの主張に対する反論が書かれています。

市民が勝手に情報を選んだら、きっとみんなテレビのバラエティ番組みたいなニュースばかり見るにちがいないと、そう思っていないだろうか?「公共性」は市民の側には期待できない、だから高邁な理想に燃えるメディア企業が必要だと、そういっているように思えるが言いすぎだろうか?

ネットのニュースが「テレビのバラエティ番組」のようになることはないでしょう。テレビは新規参入が事実上不可能な寡占メディアで、「公共性」が高いために、多くの人を喜ばせる《あれもこれも》のバラエティになってしまいます。これに対して、ネットは新規参入がいくらでも可能ですから、私的性格を強くすることができ、《あれかこれか》になります。そして、必ずしも《あれかこれか》の専門的メディアが《あれもこれも》の公共メディアよりも低俗ではないということに注目すべきです。公共性の高いメディアでは、政治や経済関係のニュースのみならず、スポーツや芸能などのニュースまで一緒に見させられますが、選択性の高いネットでは、低俗ニュースを排除して読むことができます。

ネットにはいろいろなランキングがあるけれども、役に立つことはほとんどありません。ベストセラーランキングを見ても、読みたい本が見つからないのと同じです。他人がおもしろいと思うことが自分にもおもしろいとは限りません。公共性の高いサイトが流すニュースよりも、私的な観点から選別し、解説されたニュースの方が、読み応えがあります。ネットの長所はカスタマイズが可能であるところにあるわけで、大衆化・均一化とはむしろ方向が逆です。

脱工業化社会では、物にではなくて知に投資する。情報革命とは、生産の知識集約化だと言ってよい。情報社会では、労働商品の場合を含めて、いかに同じ商品を安く大量に生産するかではなく、いかに質の高い商品を専門的に作るかが課題である。

[投稿者:永井俊哉|公開日:2005年5月 7日|コメント:1個]
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