ファラオと死者の書
古代エジプトは、母権社会的な色彩が強かった。このことは、ファラオ(男性)による統治と太陽崇拝に矛盾しないのか。吉村作治の『ファラオと死者の書―古代エジプト人の死生観』を読みながら、考えよう。
1. 星の崇拝から太陽の崇拝へ
ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬に関するテキストでは、死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であった。そこで死者は、決して消えることのない星々、北極星のまわりを回る周極星とともに永遠の命を生きるとされていた。その世界は「蘆の国」とか「捧げ物の国」とか呼ばれる理想郷であり、死者はそこで一つの霊(アク)として生き続けるのである。
しかし時代が移るにつれて人々は、死者が天界に入れるようにあらゆる支援を試みるようになる。そして太陽に関する有力な神話が形成され、暗黒の部分は空の北から冥界に移ったのである。この段階で、来世に入る道は西方にあり、至福の地は地下にあった。これは明らかに太陽が西で死に、地下の霊的な道を通ってやがて東方に再生したからである。
ここに、星派から太陽派への権力の移転を見て取ることができる。星の夜空は、エジプト神話では、ヌゥトと呼ばれる女神で表象されていたから、夜空に変わって、太陽が信仰の対象になったということは、母性原理から父性原理への移行をも読むことができる。
古代中国でも、古代エジプトでと同じ理由から、北極星(北辰=北の龍)は、皇帝のシンボルであり、そして、北辰から日と月が生じたと信じられていた。メソポタミア神話も、天神アンに対する崇拝から始まっており、この傾向は、かなり普遍的なようだ。つまり、理想郷は、天上から地下へ、そして地下から再び天上へと遷移するものだということである。
エジプト神話が示しているように、男性崇拝である太陽崇拝は、必ずしも、直ちには、女性蔑視と冥界の地獄化を帰結しない。なぜならば、太陽は、地面の下を通るからだ。「至福の地は地下にあった」というのは、興味深い。
2. 太陽とヌゥト
ラムセス六世王墓には、天の女神ヌゥトに生み出された太陽が天空を東から西に進み、夕方、女神に飲み込まれるまでを描いた「昼の書」と、飲み込まれた太陽が女神の体内を東に向かって進み、再び生み出されるまでを描いた「夜の書」が描かれており、宇宙と一体になった当時の宗教観を表している。
常識的に考えるならば、太陽が大地に飲み込まれ、大地から生み出されると考えた方が自然なように思われる。しかし、太陽と自分たちとを同一視して、考えてみよう。夕方に、私たちは、夜空の女神であるヌゥトに飲み込まれ、あたりは真っ暗になり、朝になると、外に出ることで、あたりは明るくなる。だから、ヌゥトの体が太陽の航行する道であるという神話は、人々の太陽(ラー、さらにはファラオ)との自己同一を前提に作られていると解釈することができる。
3. エジプトの怨霊崇拝
新王国時代にある重要な地位にあった役人は、妻の死後多くの不運に見舞われたために、妻が生きていた時、彼がどれほど深く彼女を愛し、いかに大切に扱ったかを述べ、死した後に自分に不幸をもたらす理由はないはずだという文面の手紙を書き、亡き妻の墓に添えている。
怨霊崇拝は、日本に特有だと考えられている。しかし、現在では、イスラム教という一神教を信じているエジプト人も、かつては、日本人と同様に、死者の霊魂を恐れていた。怨霊崇拝は、一神教が登場する前には、世界で広く行われていた、プリミティブな形態の宗教であったと考えることができる。
『ファラオと死者の書―古代エジプト人の死生観』は、『古代エジプトの秘教魔術』(1988年)を改題した、古代エジプトの宗教や魔術を解説した本です。
| 書名 | ファラオと死者の書―古代エジプト人の死生観 |
|---|---|
| 媒体 | 単行本(ソフトカバー) |
| 著者 | 吉村 作治 |
| 出版社と出版時期 | 小学館, 1994/05 |




