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政府は科学ジャーナリストに金を出すべきか

[大学教員の日常・非日常:余ったポスドクで大本営発表] に対するコメント。問題提起を受けて、科学ジャーナリストを大学院で育成することの是非について論じます。

金を出すスポンサーが政府であれ民間企業であれ何であれ、書き手は、仕事を失いたくないのなら、スポンサーに配慮せざるをえません。当然のことながら、その言説にはバイアスがかかります。

もっとも、たとえスポンサーから支援を受けていない場合でも、人間にはそれぞれ利害がありますから、本人が意識しているかどうかは別として、いかなる作家の言説もポジショントークであることを免れることはできません。

ただ、様々なバイアスのかかった言説が流布すると、情報の消費者は、どれが正しいかを自分の頭で考えるようになるので、特定イデオロギーで大衆全体を洗脳することが難しくなります。これが自由主義社会が取っている方法です。

いかなる権力からも自由な、客観的で公平無私な言説などというものは、存在しません。ですから、言説にバイアスがかかっていること自体が問題なのではなくて、特定のバイアスがかかった言説ばかりが増えることが問題なのです。

それゆえ、政府から金をもらっている科学ジャーナリストばかりが増えるという事態は、好ましくないと私は考えます。政府から独立した、多様な考えを持ったジャーナリストが在野に多数存在する方が望ましいでしょう。さもないと、科学技術の国家プロジェクトを批判する科学ジャーナリストがいなくなってしまいます。

大本営発表というからには報道の統制を考えているのだろうが 洗脳した記者を各新聞社の科学部に配置してとかそんな馬鹿げたことはありえない。 独裁国家並の言論統制社会ならば、かつてのソ連のルイセンコ事件のように不可能でもなかろうが 今の日本ではあまりに非現実的な考え方ではないだろうか。 CoSTEPの教員や生徒、各マスコミを非常に馬鹿にした論理だと思う。

多分、この人は、国家と大学あるいは、国家と個人という関係だけで権力関係を考えているのでしょうが、私は、日本の場合、むしろ大学内部の権力関係に大きな問題があると思っています。日本の大学で、若手が教授を公然と批判する自由がどの程度あるでしょうか。多くの若手は、保身のために、自分の教授を批判しません。これも立派な言論統制です。日本のアカデミズムでは、師弟関係を媒介とした間接支配が行われているのです。

納税者が、自分たちの税金を使って行われた科学研究の成果を知りたいと思うことは当然であり、その媒介役としてサイエンスライターが必要だと政府が判断は間違っていないと思います。ただ、特定のサイエンスライターに税金を使うというやり方は不公平です。同じ税金を使うにしても、学会論文をネットで無料で閲覧できるようにして、すべてのサイエンスライターの経費を引き下げるなど、公平な支援策を打ち出すべきです。

[投稿者:永井俊哉|公開日:2005年11月24日|コメント:0個]
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