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システム一般をどう定義するべきか

[数学屋のメガネ:機能としてのシステムの定義] に対するコメント。システムの定義において、機能が先か、構造が先かという問題を取り上げます。

僕は、システムのイメージを宮台氏の説明で頭に描いていた。それは、部分要素を持った集合体で、その部分の間に「互いの存在の前提を供給する」というループの構造を持ったものとして登場してきた。これは集合体としての実体に構造がプラスされて考えられていると受け取った。実体と機能の両方が統一されているものがシステムという感じがしていた。

たしかに、宮台さんは、

「システム」とは複数の要素が互いに相手の同一性のための前提を供給し合うことで形成されるループ(の網)です。最単純にはAがBのための前提を供給し、BがAのための前提を供給する「前提循環」ないし「交互的条件」づけがあるときシステムが存在します。

と言っています。しかし、これは「社会システム理論がシステムをどう概念化しているのか」に関してのルーマンの「有機体的システム概念」の紹介という文脈で出てきています。そして、前後を読んでわかることは、ここで謂う所の「有機体的システム概念」とは、ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラのオートポイエーシスのことであって、システム一般の定義ではありません。

ただ、宮台さんの説明を読むと、この定義は、有機体的なオートポイエーシスというよりも、むしろ、ダブル・コンティンジェントな社会システムのあり方の説明ではないかと思います。オートポイエーシスというのは、「三つ子の魂百まで」というような、自己準拠的な自己再生産であって、環境との相互作用とは逆の概念ですから。

そう断った上で、「複数の要素が互いに相手の同一性のための前提を供給し合うことで形成されるループ」の最単純なケースを数学的な対応例で考えてみましょう。

y=2x
x=2y+1

という二つの関数では、x=1とすると、y=2となり、y=2とすると、x=5となり、x=5とすると、y=10となり...というように、いつまでたっても関数の値が決まりません。変数によって関数が一意的に決まるがゆえに、一意的に決まらないというパラドックスが生じます。

もちろん、時系列にそって、x1=1, x2=5, x3=21... というように、番号振って、差別化すれば、矛盾もパラドックスも生じなくてすむのですが、xやyが人間の場合、超時間的な同一性が社会的責任として要求されます。約束を破った人が、自分の言動に番号を振って、「それは“私1”の発言であって、今の“私2”とは関係がない」などとは言えません。ですから、社会学においては、相互に相手の選択が自己の選択の前提となっているダブル・コンティンジェンシーは、パラドキシカルな様相を呈して、学問的関心を惹きます。

私は、以上のようなダブル・コンティンジェントな社会システムを「他者準拠型の複雑系」と名付けました[複雑系としての社会システム]。それは、複雑系全体を包括するわけでもなければ、ましてや、システム一般と同一視することはできません。相互に相手を変数として含むことが、関数一般の特徴でないように、「複数の要素が互いに相手の同一性のための前提を供給し合うことで形成されるループ」は、システム一般の特徴ではありません。

[投稿者:永井俊哉|公開日:2005年12月17日|コメント:0個]
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